はてなキーワード: やおいとは
……というのもあるのだよ。
女性が主体的に男性をいたぶったり、酷い目に合わして性的に満足を得る、女性向けの娯楽ってアングラすぎるのか全然見かけなかったんだよね。
稀にある女性官能作家の作品もだいたい男性向け雑誌に載ってるもの。
極普通の若い女性の手に入れられるもので、欲求を満たせるものは、JUNEなどの耽美ものややおい同人誌(当時は「二次創作」なんて言葉ない)くらい。
結果的に一番SM成分が強い作品を楽に手に入られるBLに走ってしまった。
異性愛物の中にたまーに見かけるようになったのって、女性のエロ方面の娯楽が重視され始めて、レディコミが売れて、一般的になっていってからじゃなかろうか。
今はほんと良い時代になったよねえ。
今でも作品数自体は少ないとはいえ、堂々と後ろめたい気分なしにネットでも通販でも読めるんだもん。
しかも、男性向けM男物にも綺麗な絵柄で、しかも逆転してM男が攻めに転じる展開なし挿入なしも見れるようになったし。
こういうタイトルにすると、私がBLに対して「こんな同性愛はリアリティがない!」とかいう内容を書くんじゃないかって思われそうだけど、別にそういう話じゃない。
BLが創作上にしかないもので、実際に存在しているゲイ事情(同性愛事情)とは違うことはわかっているし、BLに限らず、百合にだってリアリティを求めようとは思わない。大体、そんなものをいちいち求めるようだったら、ストレスがたまりすぎてとっくの昔に腐女子なんてやめていると思う。
自分が同性愛者であることと、男性同士の同性愛を扱うBLを好むことが無関係だとは思わないけど、同性愛だから共感して興味を持ったわけでもない。共感するんだったらむしろ、百合の方に共感していたと思う。
なんでこんなことを書いているのかって言うと、今日のニュースで、渋谷区が同性結婚(結婚とは違うけどそれに準じた法律?条例?というようなのを見た)を認めたというのをやっていたからだ。
やっていたと言っても、私はTwitterに流れていた話を見ただけで、ちゃんと調べた訳じゃないから、なにか違っているところがあったら申し訳ない。
とあるオンラインゲームで(伏せたいわけではなくて忘れてしまった)同性結婚ができるという仕様が明かされたときも、腐女子の人は(ってまとめてしまうと怒られそうなので腐女子の人の一部ってことです)「やったー!推しカプ結婚できる!」って喜んでいた。
とあるゲームでは同性結婚結婚が海外版でしか出来ないことを知って、「海外は進んでいる」「日本はケチ」なんてことを言っていたりもした。
私は、そういうのはなんか違う気がする。
悪いことだとは思わないけど、そういうものじゃないと思う。
これは、うまく言えないけど。
私はさっき、BLと現実のゲイは違うって言ったし、BLにおける同性愛の感覚が本物と違うことにはなんとも思わないし、そう言うものだと思う。
ただ、それ故に、同性愛とBLは乖離していると思ってる人は多い。自分の身の回りに、同性愛者がいるなんて思ってないんだと思う。BLはファンタジーだから。
でも、実際、割合から考えてみたら、私みたいな人も少なくはないんじゃないかなって思う。
私は自分がそうであることを明かしてないから、そういうことで自分が傷ついても仕方ないと思ってる。
でも、多分なんか納得いかないからここにこんなことをだらだらと書き込みに来てしまった。
幸せそうなBLを見て、「実際は同性愛はうまくいかないに決まってるのに」とか、「普通家族に反対されるよね」とか、そういう、ファンタジーであるBLに、なぜか「リアル」を持ち込もうとする人は少なくない。
趣味や趣向を否定するつもりはないから、いくら胸くそ悪いBLを賛美していても気にすることはないんだけど、作品という枠を離れて同性愛の話をされると、それが同性愛を否定する話だと、私はとてもやるせない気持ちになる。
それも、言っている方は本当に何気なく言うことがほとんどで、やっぱり「普通はそういう意識なんだな」という気持ちが強くなるばかりだ。
よく、カップリング戦争のときに最終結論として「ホモにしてる時点で捏造」ってやつ、あれもホントは嫌だ。裏を返せば、「同性愛は普通じゃない、普通に考えて作中のキャラクターはテヘロ」って言ってるように聞こえる。
考えすぎで、言ってる方はそんな細かいこと思ってないんだって思ってるけど、それでも気になるものは気になってしまう。
腐女子ばかりがそうじゃないって言うことはわかっていても、そもそも腐女子でなければ日常的に同性愛の話をする人は少ないから、あまり聞くこともないんだと思うけど、やっぱりやるせない思いは募る。
あとは余談になるけど、腐女子はすぐにホモって言葉を使う。BLややおいという言葉がもう死後だって言うこともあるだろうし、そういう粗暴な言葉をさらっと言った方がかっこいい、恥ずかしくない、っていう文化なんだと思う。
でも、ホモって侮蔑語って聞いたし、そう思うとあんまり使うものじゃないと思う。腐女子は絶対に、自分が浴びせられることがない侮蔑語を使い続けているし、それを「侮蔑語だよ」なんて言っても、自治厨うざいってなるだけだ。
私も、周りにあわせて使ってしまうこともある。
腐女子でいるっていうのはそう言うことだ。
私はこれからも周りに同性愛者であることは教えないし、教えないのにそう言うことで傷ついてるって文句を言うつもりもない。
じゃあ、なんでこんなことを書きにきたのかはわからない。
なんとなく、同じようなことを考えてる人を見つけてみたいと思ったのかもしれないし、誰かにこういうこともあるんだってことを気づいてほしかったのかもしれない。
これを書くことで何かが変わるとも思っていない。
多分、大多数は(腐女子の人もそうでない人も)私が腐女子をやめれば解決するのにって思うと思う。
腐女子の人の中には口うるさくてウザいなって思う人も居ると思う。
でも、そう言う風に冷淡でいられるのは、この話が自分とは関係ない話だからだ。
同性愛っていうものは絶対に自分とは重ならないファンタジーだから、簡単に無視できる。
私はそれが悪いことだとは思わないし、それが普通だと思う。
そんなことを考えた1日だった。
いわゆる「やおい作品」において、男性同士のベッドシーンにで胸部を愛撫する場合、いわゆる「乳首責め」主に乳頭およびその周辺部のみが対象となる。
一方で女性の場合は乳頭のみでなく、胸部全体を愛撫されることが多い。
これは、女性の胸部は、脂肪によって乳房が形成され、それ全体をかたまりとして「おっぱい」と認識されていることによる。
脂肪によって形が形成されることにより、「つかむ」「変形する」「揺らす」「挟む」等の様々な行為が可能となっている。
しかし、男性の胸部には脂肪がほとんどなく、「おっぱい」という独立したものではなくあくまで「胴体」の一部として腹部と複合的に捉えられる。
したがって、その中で目立つ一点の部位として「乳頭」が相対的に注目されることとなる。
だたし、一部男性においても、鍛え上げた大胸筋により擬似的に構成された乳房、いわゆる「雄っぱい」というものが存在する。
大きさは鍛え上げたとしても最大でCカップ程度と女性の「おっぱい」よりは大きさでは劣る。
しかし、「おっぱい」はほとんどが脂肪で構成されており、外部からの力により受動的にしか動かないのに対して、「雄っぱい」を構成するのは主に筋肉である。
つまり、能動的に動かすことができるという点において、「雄っぱい」は「おっぱい」とは異なる可能性を秘めている。
「雄っぱい」の限界として、それを持つことができるのは全身を鍛えているか、太っていることが前提となる。
「スレンダー巨乳」という体型は女性でこそ魅力的なものとして捕らえられるが、痩せ型の男性で胸部の筋肉のみが発達しているという体型は魅力よりも違和感を持つ者が多数であろう。
このように、痩せ型~普通体型に巨大な乳房は、女性の場合はさほど不自然ではないが男性の場合は大きな違和感が伴うこととなるだろう。
C1(第1回)のコミックマーケットは1975年12月21日、漫画批評集団「迷宮」が実質的な主催の下、東京・虎の門の日本消防会館会議室において参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約700名で開催された。(…中略…)主催者によると、入場者の9割余を「中・高校生の少女まんがファンを中心とした女子」[32]が占めたという。この時既に、「やおい」の先駆的同人誌も出されていた。
男性のサークル参加は2008年→2014年で3割から4割へ増加
http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn080225.pdf
http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn201401.pdf
文中に「兄弟姉妹」と書いてあったので増田の家の娘は増田一人ではないようだが、おかん氏は他の姉妹にも同様だったんだろうか。
また、他の姉妹も増田と同様の「女の子コンプレックス(出来たばかりの言葉で定義があいまいだが、とりあえずこう言っとく)」が見られるのだろうか。
うちの母も同じような感じだった。
自分一人で初めて選んで買った服を着て、出かける日の朝「あんたのwwwwセンスwwwwwwww」と母から指をさして笑われた。妹も同様に笑われていた。
クラスメイトから体育の時間中に日焼け止め塗ることを勧められたのをきっかけに、自分なりに選んで買った日焼け止めを買った。
母は玄関からずっと私と顔を合わせていたのに、駅についてから「あんた日焼け止め塗りすぎ。首と顔で色が全然ちがうじゃない。顔真っ白」と言われた。
電車の時間があるのでトイレに駆け込むことも出来ず、電車の中にいる間じゅう私はずっとハンカチで顔をぬぐっていた。母はそうしている私を見ようともしなかった。
私は中学~大学くらいにかけて腐女子をこじらせていたので、思春期には女の子がどうだこうだと言った事はあまり考えなかった。
しかし、母の熱心な躾のおかげで「自分が大人の体になっていくのを知られるのはマズい」ということだけは叩き込まれた。
化粧品は全て通販で母がいない日を配送の指定日にした。買ったものは全て、クローゼットの奥に隠した。
化粧をするようになってクレンジングも使うようになったが、クレンジング料は洗面所で使うたび自分の部屋へ持ち帰った。
使った下着は溜めておいて、一人の時にひそかに洗濯した。
生理用品は自分で買い、生理用品を換えるのは意地でも学校等の出かけ先だった。
女性性への忌避感は根深いと思っていたけれど、幸い私には同じように女性性へ忌避感を持っている腐女子の友人がいて、
彼女と一緒に化粧品を買ったり、好きな人の話をすることが出来た。
今は一人暮らしをしているので、割とスカートでもなんでも着たいものを着て生きている。
しかし、母の暮らす家に行くときだけはジーパンと愛想の無いユニクロのシャツを着ている。
おしゃれが面倒なのではない。おしゃれしている姿を母に目撃されるのが怖いのだ。
25歳。 すげえ焦る。
なんか、1988前後の生まれの奴ら、多くね?
大成功している、福原愛だっけ?卓球の。 ああいうの見るとすげえあせる。
成果出してるやつはもうとっくに出してる年代なんだよね。
上下の世代にはちらほらすげえ奴聞くんだけど。 1988前後っていうと。。。。
すげえあせる。
ネットでも、株とかで数千万稼いだとかは聞くし。 なんかリア充っつーか、リアルがんばってるみたいなのもよく聞く。 意識高いっつーか。
大学卒業して、3年目とか、4年目の奴らと、フリーターなりニートなりって奴ら。
両極端すぎないか?
それとも、ニート勢から復帰組が多少でて、正社員勢と多少まぜてもらって。
ニート、フリーターに残った奴らって、もういないような存在?産廃的な感じ?社会的には?
え?50%は正社員になれないんだろ? 25なのに、もう人生の差がついちゃった?
もう追いつけないのかな? いまさら大学行っても就職できるわけでもないし。
正社員行った奴らのなかでも、上中下ができて、上位は「人生ってすばらしい」って感じ? 真ん中でもサザエさんくらいはある? 下流は悲惨? じゃあその↓に位置するニートってどうなるんだ???
勘弁してよ。 10歳ごろに、ファミコンからパソコンに移行して。 あれよあれよと高校卒業の頃にはネット社会での就職みたいなのが当たり前で。
ネットのおかげかネットのせいなのか、仕事が効率化してオーバーワークが増えて。
やっとツイッターみたいなの覚えたと思ったら、フェースブック? みくしいすらわかんねーのに。。。
ネットのおかげで海外のセックスはほぼタダで見れたり、ニュースも早い、為政者の嘘もそれなりに見える。
だけど、ブラック企業は無くならないし、効率よく上から職が埋まっていくから、底辺に楽な仕事やおいしい仕事は無い。 きつくて給料が減った職業だけ。
マジ辛い。
10代前半はこんな世の中とは想像しなかった。
工場勤務とかさ、まあ、無口でもできるだろ的な。
スーパーのパートのおじさんみたいな、まあ、1日4時間×週5 で、12万くらい? みたいなので行けると思ってたんだよ。
電灯ができる前は、夜は寝てればよかった。
派遣制度が一般的になる前は、まあ正社員にはなれた。(総合一般の違いはあったけど)
産業革命ノコロッテ、機械をぶっ壊したんだっけ? らだいと運動? だっけ?
ネット社会かあ。。。
うらやましいわ。
でも、産業革命当初は、死ぬほど働いたんだっけ? 羊が人間を食うとかって例えあったよね? 人が産業にコロされる的な。
キッツ。
たいした金額でもないけど、あの頃の自分にとっては大金だった。
アクセサリーを選んでいるとき、店員さんにどういうのがいいか聞いて、誕生日石の付いたやつを勧められたけど結構高くて、
もう少し安いのはないか相談して、結局小ぶりの石がついたものにして
「お母様、きっと喜んでくれますよ」
という店員さんの言葉に、セールストークだとわかっていてもちょっと顔がほころんでしまったり。
父親とはあんま話したことなくて、でもとりあえず酒が好きだから、有名な久○田を買った。
暇を見ては帰省して、帰省するたびに近所の有名な和菓子やおいしそうな食べ物を手土産に持って帰ったりして。
家の手伝いはしなかったけど、両親と他愛もない話をして。
俺物欲もそんなに無いから、景品とかが当選したら実家に送ったりしたし、
ポイントの有効期限がもうすぐで切れそうだったりすると、何かもったいないから何かに交換しようと思うんだけど、別に欲しいものもないから、カタログに交換してそのカタログを実家に送付して。
俺、彼女も居ないから、別にどっか行ったからと言って嫉妬してくれる人も居ないんだ。
1人旅行も好きだけど、どうせだったら両親連れて行こうと思って。
今まで俺も含めて数人の子供を、何十年もかけて育ててきたんだから、きっとろくに旅行も行けなかっただろうし。
過去に行けなかった色々な場所に、連れて行ってあげたいなあって。
そうやって、少しずつ自分なりの恩返しをしてきた。
そしたら、ある日、毎月仕送りをして欲しいとメールで言われた。
は?
最初は「俺ら子供が全員巣立っても生活苦しいのか・・・」と思ったけど、生活ぶりを見るとそうでもない。
冷蔵庫の中は常にパンパンだし、電化製品も結構最新のを使っている。
「何に使うの?ちゃんと節約とかしてる?ざっとでいいから毎月の収支教えてよ。改善できる所がないか教えて上げられるかもしれないし」
ってメールしたら
「そんなこと言うんだったらもういい」
って返ってきた。
そしたらしばらくして上の兄から連絡きて
実は今までは上の兄が仕送りをしていたこと、兄が勤めてる会社の方針で職場が配置換え、給与が大幅減額になったせいで仕送りができなくなったこと
だからお前も大変なのはわかるけど、どうか仕送りをしてあげてほしい
ということだった。
で、結局今度は俺が仕送りをすることになった。
ウン万円が、送金されて何の跡形もなく消えていく。
俺がスーパーのチラシを見て特売品を買って、自炊もして、高熱水費も節約して、コツコツ貯めてる金が
特にそれに対する連絡はない。
何に使われているのかも知らない。
毎月毎月、年12回。
年間で数十万円。
数年で軽く3桁は超える額が、俺に何の見返りもなく消えていく。
送られた先で何に化けているのか一切知らない。
これは、親か俺か、どちらかが死ぬまで続くのだろうか。
なんと素晴らしい親孝行だろう。
これが本当の親孝行なんだろうな。
思えば、俺があげたアクセサリーは、2,3回しか付けてるとこ見たこと無い。
ポイントであげた美容製品も、健康グッズも実家に帰った時に見た記憶が無いし、
実家に帰る度に渡す手土産も、別段喜んでる様子もなく、結局俺と兄弟でほとんど食べてる。
旅行の事だけは毎回楽しそうに思い出話をするけど。
結局、物とか気持ちとかより、最終的に一番喜ばれるのは現金なんだ。
今まで自分がしてきた親孝行なんて、結局親孝行してる自分に酔いたいだけの、エゴの塊でしかないものだったんだ。
そう思って毎月送金している。
そうだよな、両親は俺らを育て上げるために何千万という大金をつぎ込んで来たんだから、立派に育った俺らから
ちゃんと回収しなきゃ割りに合わないよな。
そうやって毎月、何の気持ちもこもっていないお金を送っている。
俺の通帳の残高が消えるたびに、親への愛情が少しずつ色あせていく。
固く結ばれた紐が、毎月送金するたびに、少しずつ、少しずつほどけていく。
濃紺な俺の情が真っ白になるのは一体いつだろう。
真っ白になればきっと、こんなことで悩まずに割り切っていられるのだろう。
つい最近、未だに実家に居てプラプラしている下の兄が家に入れている額が俺よりも少ないことを、つい口が滑ったかのように親が漏らしていた。
聞かなかったことにして流しておいた。
上の兄が帰省した際「次はどこに連れて行ってもらおうかな~」と両親が言っていたとメールがきた。
メールに返事はしなかった。
やっぱりミカサが女っぽすぎる 何あのケバケバしいまつ毛と唇。
エレンとミカサの関係性って限りなくやおいに近い何かだと思うのだけれど。
女性としてエレンに恋する気持ちは匂わせてる程度で、基本的には性愛でも家族愛でもない『何か』で結ばれてるんじゃないかと思う。
俺はミカエレのそういうところに萌えてた。腐女子でも何でもないけれど、男ヲタだってそういう関係性に惹かれてしまうのは同じだよね。
だからあまりにもミカサの見た目が『女』すぎるとこの先の色んなシーンがちょっとね……。
『女』として性の赴くままに奔走してる感じがするじゃないですか。正直そういうの見るのヤなんですよ。
1話は『これはすごいな』って思って感動したけれど、2話3話とどんどん幻滅してきたなー。残念。
帰ってきてあちこちネットの感想を拾ってみた感じでは、一番おもしろいなと思ったのはこの人
http://blog.livedoor.jp/omaenoteki/archives/20168180.html
の言ってることだった(押井守監督の意見もおもしろいが、あれは別種のおもしろさ)。
しかし、この意見、わりと賛成できるけど、本作がターゲットにした豚は謎豚だけではないと思う。
断っておくが、僕は豚です。
ただし謎豚ではない。
僕向けのエサは非常にわかりやすくこの映画の中に用意されていた。
僕は喜んで自分用のエサに飛びつき、そして自分がブヒブヒ言えるシーンが終了した瞬間に悟った。
こいつ(※監督)は全ての豚を馬鹿にしているのだ。「そのためのエヴァだ」。
この作品でいちばん面白いなーと思ったのは、各豚ごとにパート分けされたその作品構造。
それもめちゃくちゃデジタルに分かれてる。あんまりそんなの聞いたことない。
少なくとも、「メカ豚」「厨二豚」「やおい豚」「謎豚」向けのパート分けはあったと感じた(一回観ただけなのであやふやだけど)。
戦艦のデザイン自体はなんかすごいダサい(と僕は思いました)し、乗っているのはよく分かんない観たことない知ったこっちゃないキャラ。
こんなの普通の人(=メカ豚でない、このテのシーンに人並み以上にロマンを感じない)が観てもポカーン、なんじゃこりゃ、早く終われよ、だったんじゃないかと推測する。
だが自身もメカ豚であろう庵野監督の勘所を抑えた演出力は、そんな諸条件による違和感を軽々と凌駕し、純粋な「かっこ良さ」の演出だけでメカ豚に感動を与えてくれる。ご丁寧にナディアの曲まで付けて。
重ねて言いますが僕はメカ豚なので、この序盤だけは大変興奮しました(この映画の中で一番光っていたパートはここだったと信じて疑いません。やはり監督自身も好きなものが一番描きやすく演出もしやすいのでしょう)。
次にキャラの描写と、その後の世界の軽い仄めかしがちょっと入って、「厨二豚」向けのパートが始まります。
(厨二豚っていうか、自意識豚?サブカル豚?)旧エヴァのそういう部分が好きだった人。そういう部分にこそ食いついた人。その人たちのためのパートです。
どこまでも暗く思弁的な独白、キャラアニメらしからぬ演出、演劇に影響された演出(冬月との将棋シーンなんかいい感じでしたね)、などなど。
繰り返すが、たぶん、例えばやおい豚の方は、序盤のメカ豚向け演出にはいまいち乗りきれず、違和感を覚えるものだったと思う。
逆にメカ豚にとってはやおい豚向けの演出は「どこを熱くなればいいんだろう?」というしろものだった。
終盤付近の謎豚向けの演出は、もちろん謎豚以外の豚には「どこを熱くなれb(略)。
「その他の豚と人間の方はどうぞ寝ててください」とでも言わんばかりの、デジタルな構造。
ドラマはそれぞれの豚パートをつなげるための、付随的な存在なので、キャラの動機や行動が不自然になるのは当たり前。
本作の目指すところはやはり純粋かつ単純、「豚よ、踊れ」だと僕は思った。
(「エヴァ」という作品、舞台装置そのものに信仰を捧げる「エヴァ豚」も含めて。)
しかも、この構造は、結果として「種類の違う豚同士は本質的には相容れない」という事実まで突きつけてくる。
非A豚は、A豚がなぜその演出で喜んでいるのか理解できない。一緒に熱くなれない。早くA豚パート終われとまで思う。
…多分というか間違いなく深読みしすぎだと思うが、
そういう意味では、非常に批評的な構造を持った作品と言えるのかもしれない。
またそういう意味で、テレビ版ラストや旧劇を完全に引き継いでいると思う。
そんな本作が踊らせられなかったのが、「それなりのドラマを見に来たお客さん」なんじゃないかな。
つまり、豚でない人や、豚だけど自分向けのエサは投げてもらえなかったような人も含むすべての観客。
最初に「監督はすべての豚を馬鹿にしている」と書いたけど、逆に言えば、豚に対してはちゃんと向き合っているのだ。
「これを投げときゃ満足するんだろ(笑)」は、ウラを返せば「金を取るかわり満足させるよ」ということでもある。
エヴァQでは、豚に対しては全力でエサを投げていることが感じ取れるが、「みんなが食べられるもの」を出すことについては試合を放棄して逃げ出している。
カラーの製作体制のことは知らないし、ここからは完全に妄想です。
序・破はこれがたまたま奇跡的に上手くいった。あるいはちゃんとシナリオ面のチェック機構が働いていた。
でも実際には、監督は「みんなを踊らせること(=人間として共感可能なカタルシスを用意すること)」については非常に自信がない。
どうしていいのかわからない。だから、直球で勝負することからは逃げたかった。
みんなを同じエサで踊らせることができないのであれば、せめてエサの分かっている豚だけでもそれぞれに踊らせなければならない。
そんな判断の末に、Qはこういう姿になったのではないか。
いくらなんでも邪推でしょうか。しかし、こんな姿でQは生み落とされた。
観始めたとき、豚としての僕は喜んだんだけど、観終わったとき、人間としてはちょっと喪失感を覚えていました。
Qがこういう展開になってしまった以上、次回以降のエヴァにもう「豚のエサ」以外の末路は残されていない。
いや、最初からそうだったのだが、最近たまたまおかしなことになっていただけか。
最近pixivのランキングやTwitterのトレンドで黒子のバスケ及びそのキャラ名らしき名前を目にするので、読んだこと無いけど勝手に抱いたイメージを書いていく。
読んだこと無いとさっき書いたけど、昨日pixivで、ネタ絵による簡単なキャラの性格紹介は見た。
pixivのランキングや、新着で見る絵に出てくるキャラは結構固定化されている。
キャラの頭髪がカラフルだけど、大体5人から6人くらいのキャラしか見たこと無い。
自分が読んだことあるバスケ漫画はスラムダンクだけなのでそれに当てはめるけど、主人公校のバスケ部の主要キャラは【ゴリラ、メガネ君、三井、背の低い人、流川、花道】の6人。(うろ覚えだけど)
黒子のバスケで見たことのあるキャラは【主人公?水色、赤髪、金髪、緑眼鏡、でかい紫、色黒青】の多分6人。
勝手な想像だけど、全員主人公と同じ学校なのではないかな?と思う。
で、人気が一緒集中なのは、きっとテニプリにおける氷帝前の青学人気みたいなものかなーと。
でも、主役たちにあんなカラフルな頭を配色したら、本格的に他校出そうとすると、ネタ切れしそうだなあ。
他校出てないとしたら、ストーリーあんまり進んでないと思う。レギュラー争いの話が主なのかね。
でもあんな目立つ主要キャラがいたらレギュラー争いとか意味無さそうだな。
黄色の名前が黄瀬っていうらしいからかな?松坂世代みたいなものか。まさかさっき書いた6人全員が同じ世代じゃないとは思うけど。
先輩後輩がなければやおい的に旨みが減ると思うし、大きいお姉さんたちの食いつきも違うだろうから、やっぱ誰かは年上か年下なのか。
なるほど、確かに、BLにしろレディコミにしろケータイ小説にしろ、そしてロリコン漫画・アニメにせよAVにせよ、恥じらいも無く我が侭な異性像やセックス妄想にうつつを抜かしている人間はあまり感心されないもの。そういう意味合いに於いてなら分かる。大抵の健全な大人は空想よりも現実の異性の方を好むのが当然だからだ。
しかし、そういうセックスメディアやファンタジー全般に対する忌避とは違う、単に「興味が無い」「好きじゃない」というレベルではなく、他のジャンルと比べてもより特殊な嗜好として扱われ、ことに同性からも露骨に強烈な嫌悪を露わにされ、積極的に攻撃されているところにいささか過剰さ、違和感を拭えない。
http://anond.hatelabo.jp/20120721130727
BL、やおい、JUNEってのが、結局は、女性性の特徴を男性にかぶせて、女性のタブー感を除去して、男女の営みを提供しているもの。
と理解している女性が、そう多くいるとは思えない。
心底嫌いという女性はそう多くは無いはず
嫌いな人は、まず近づかない。読まない。分析なんて絶対やらない。単純に「ホモの話でしょ」と思っている人は、正常な動物の反応として「子どもを作らない性」に違和感を覚える。
私は嫌いじゃないんだが、元々属性がないのに、無理やり、そういうフィールドにキャラが放り込まれるのは我慢ならない。BLのキャラじゃない奴を絡ませるなと思う。原作は大切にしてほしい。
…の感覚と言うのが正直、理解しがたい。
もちろんのこと、好きと公言したり、その種の類の作品に親しんだり自分で作って発表したりする女性(=腐女子)は多数派だとして、そういう嗜好を生理的に受け付けないとか、心底嫌いという女性はそう少なくは無いはず、とごく最近になるまで思っていられる神経が分からない。
「ホモが嫌いな女なんていません」
この台詞にどんだけBLに興味がない女性(特に女性オタク)が迷惑したことか。
私は漫画が好きだし、小説もラノベも大好きだし、そのキャラクターが物語の終わったあとどうしているか想像するのは大好きだ。
救われなかったキャラクターの「もし」を考えるのも好きだし、それを小説や漫画にして発表するのも好きだ。
だけど、どうしても、原作で同性愛者じゃないキャラを同性愛者にしなくちゃならないのかわからないし、
それがなぜか多数派っぽかったり、
あまつさえキャラや原作を冒涜している!と言われるのは本気で分からない。ましてや×の前後が違うだけでいがみ合うのも理解できない。
ポルノなら普通に男性向けやエロゲで事足りる。ていうか自分の体に置き換えられる方が気持ちよくないか。陵辱とか痛い系はいやだけど作品選べばいい。
だいたい痔を患って以来そっちは痛くて駄目だ。
率直に言うと、健康な若い女性が女としてのセックスを本気で忌避したり、本気で受け付けないというのと似たような違和感を感じる。
「BL、やおい、JUNEなどにハマってる人(※)が大嫌いで受け付けられないから、BL(以下略)まで嫌いになった」ってのが結構いる。
横だけど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
ホモソーシャル (Homosocial) とは、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする、男性同士の強い連帯関係のこと。それ自体同性愛的なものでありながら、男性同性愛者を排除し、異性愛者同士で閉鎖的な関係を築く。
なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている
どうみてもお前がwikipediaを読むべきだと思うぞww
http://blog.livedoor.jp/nicovip2ch/archives/1737372.html
「自分を腐女子」と自認している腐女子像:やおい(意味はggr)が好き。自分達の趣味が世間で受け入れられないのを理解しており、公共の場では慎むのが最上のマナーとされている。やおいやBLが好きではない(あるいは嫌っている)女オタは腐女子に含まれない。
まとめブログのコメント欄等で蔓延している腐女子像:気持ち悪いオタ女。腐女子はほぼ必ずホモ・BL・乙女ゲー・ドリーム小説(意味はggr)・テニミュに代表されるミュージカル系・ジャニーズ・その他男性アイドルが好き。
こんな感じか・・・。
将来が暗いニュースや、若者が辛い時代になると言う世論も多いけど、良く考えたら悪い時代では無いんじゃないかと考えた。日本のバブル時代や、バブル中の国と比較すれば、もちろん見劣るし夢も萎む。
日本はすでに人口オーナス(人口も減り、老人が増え働き手が減る)であり、成熟国に入っている。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国と幸せのあり方を、一緒に考えてはいけないのでは。
ガンガン物を手に入れて幸せになる時代ではなく、持っている物を楽しむ時代であると感じる。
もちろんバンバン働いて、金や物も手に入れて幸せになることも正しい。
ただそれを、バブル期や発展途上国のように、絶対的な物差しとしてはいけないと考えた。
約2010年の日本人が普通(8割ぐらいの人は)に持っている物は、
・贅沢はできないが、安心で好きな食べ物やおいしい食べ物を入手できる環境
・ガードマンはいないけど、安心して外出でき夜中でも襲われることのない日常
・100%保証ではないけど、安心して通院できる医療制度や腕利きの病院
・費用負担はあるけど、十分使えるパソコンに、自由なインターネット環境
・住んでいる地区にもよるけど、お金をかけなくても楽しめる観光や旅行や遊ぶところ
・他にも、漫画、アニメ、映画、SNS、2ch、はてな、Amazon を嗜む環境etcetc
は大体の人が持っていて、無駄遣いしなければ月10万あれば、この暮らしができる
(例:家賃5万、デリカ250円×3=750×30=22500、ネット3000円、その他10000円、貯金10000円。かつかつで)
月10万なら、資格や能力が何も無くても、特殊な問題を抱えていなければ、ある程度
年齢が越えていても、コンビニ等の働き先は、いくらでもあるんじゃないかと。
さらに8割以上の人は、18万以上稼いでいますよね。
何も無い人が、簡単に月10万稼げる国は、世界でも少ないはずで、
いやいや、今の時代はつらいよ。原発、老人介護、医療、年金etcと、これから大変だよ。
患者150万人のうち15万人が死亡。
世界恐慌に加え、冷害・凶作、昭和三陸地震や津波が続き、身売り、欠食児童、行き倒れ、自殺などが激増して悲惨な状態
生活はどんどん制限
生活はどんどん制限
3500人死亡
約30万人が死亡
日本は300万人が死亡
今は戦争も日本ではないし、食べ物はあるし、病院もあるし、すごい良い時代だ。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国の幸せのあり方だったと思う。
これは悪くない時代だったはず。
で僕らは、獲得する幸せは感じないけど、1950年代の人が、全力で手に入れた物を
僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。
つか、ネットがあると、それだけ十分楽しめるよねって話でした。