はてなキーワード: 適応障害とは
人間関係は悪くない職場だけど、業務量の多さやストレスのかかる業務が多いため心療内科に通院している。
月に一度はメンタル不調で当日欠勤してしまうし、週一で仕事が原因で泣いてしまう。
ケアレスミスの量はかなり増えてきているし、メールの返信漏れも前は月に一度程度だったのがここ最近は業者から毎週指摘されるようになった。
美味しいご飯を食べても前のように美味しく思えなくなったし、週末はぐったりして何もできない。
ただ、今の職場で働き続けたらスキルアップできるだろうから辞めるに辞められない。この半年間騙し騙しではあるが働けたのだから、少なくともあと半年、一年は耐えられるんじゃないか。
派遣だから休職制度もないし、辞めるか続けるかの二択しかない。
業務量についてはキャパオーバーなことを上も把握しているが、それでも業務量を増やすんだから改善は難しいだろう。
タッカー・カールソン: トランスジェンダー主義はアメリカで最も危険な過激派運動です
フォックス・ニュースのホストであるタッカー・カールソンは、「タッカー・カールソン・トゥナイト」で、バイデン政権が「宗教的過激派」で構成されたトランスジェンダー主義運動を促進していると警告している.
https://www.foxnews.com/video/6324164359112
なので名札はフルネーム。
できない適応障害を優占するの狂ってる。
つきまとい・検索・撮影…「名札」がもたらす苦痛、適応障害の事例も
バスやタクシーで掲示されてきたドライバーの名札や写真が見直されることになった。客の利便性か、働き手のプライバシー保護か――。悩みながら対策に乗り出した業界もある。
約2200台を保有するタクシー大手の「国際自動車」(東京)は、運転手の氏名や顔写真、社名などを記載した証明書を助手席前に置いている。だが、酔客などとトラブルになった際に、スマホで撮影されるケースが目立ち、女性ドライバーを中心に不安の声が寄せられているという。
松本良一取締役は「領収書に記載された番号やナンバープレートなどで、お客様にはどの車両か分かっていただける。(見直しで)ドライバーの不安が解消されるように選択の幅が広がってありがたい」と話す。
東海地方の20代の乗り合いバスの運転士は生まれたときの性別は女性だが、自認する性別が異なる。制服は男性用を着用してきた。だが、運転席の背後に掲示された名札を見た乗客から「きょうの運転士は女性なのね」などと言われ、苦痛を感じてきた。
だったら働くな。
苦痛はあって当たり前。
28歳、男。
大学院を出て新卒で戦略系のファームに入り、3年ほど働いた後同業種に転職した。
タイトルに記載したとおり、ここ数か月自分の様子がおかしい。最近Twitterを介してはてな匿名ダイアリーをしばしば目にし、気になっていたので備忘的に今の状況を投稿してみた次第。
前提として、仕事自体は心から愛している。普段何気なく目にしている製品やサービスの裏側は私の好奇心を刺激して止まないし、チームで一丸となって課題を特定し、あるべき姿の定義とそこに向けた道筋をロジカルに定義するプロセスは非常に美しいと感じる。勿論コンサルタントとして自身の能力や会社のリソースを活用し、彼らの課題解決に資するものなら、これほど喜ばしいことはない。
労働時間は長いし、その割に給料も大したことないというのが正直なところだが、実家の太さも、顔面の強さも何一つ持ち合わせていない私が成り上がるためには最高の環境だと思う。
具体的には、
・ 始業ギリギリまでPCを開けない(普段は早朝からPCを開いてダラダラリサーチや資料準備をしている)
・ 原因不明の発熱(37-38℃くらいを行ったり来たり)が1週間程度続く
・ 食事の喜びが感じられなくなり、平日食べるご飯の味がしない
といった感じだ。
原因として明らかに長時間労働と業務上のプレッシャーが該当するように思えるが、早朝から深夜まで馬鹿みたいに働いて睡眠不足なのはここ数年変わってないし、上司の激詰めは今に始まったことではない(寧ろ新卒の頃のほうが酷かったような…)。
正確なところは専門家に判断いただこうと思っているが、個人的には環境要因というよりは、自縄自縛的に事故っているように思う。
日々逆立ちしても敵わないような優秀な人間に囲まれ、彼ら彼女らに間接的に自身の至らなさを指摘され、それによって自己嫌悪に陥るサイクルを何年も繰り返してくると、能力の輪郭がはっきりしてくる。当然輪郭は一定努力によって拡張できるものと思うが、たかだか数年の努力で優秀な人間が積み重ねてきたものに敵うはずがない。「ああ、自分の限界はこの程度なのか」という現実が受け入れられず、肉体的・精神的にエラーが出ているものと思う。
病院で適当に診断書を書いてもらえれば休職は容易に可能だが、これは私にとってこの業界から渡される引導であり、今後ここでキャリアを築くことは難しくなるだろう。私はまだ、ここで働いていたい。
等身大の「この程度の仕事ができる自分」と「この程度しか仕事ができない自分」をどのようにして受容し、乗り越えてきたか(或いは、回避してきたか)、先人の知恵を拝借させていただきたい。
実際に診断書は出ていないけど問診の結果、適応障害っぽいねという評価を医者からもらって、抗不安剤を半年間くらい服用していた。
以前勤めていた会社では、私へのパワハラとしか思えないことが常態化していた(主観)。言われていることは正論だったので言い返せず、周りも特に干渉してこなかった。毎日自分を責め続けた結果、自分の責務内は言われたことをやるが、それ以上のことを拒否るようになり、最終的に戦力外通告みたいな感じで実質解雇のような形で半ば強制的に辞めることになった。
働いていた時は、ここで耐えないと他の会社でも同じことが起きると思っていたので踏ん張っていた。
離職票を見ると、私の自己都合で退職扱いとなっていてさらに腹が立った。しかし、自分は前から個人事業主として収入があったので、失業保険適用外であることはほぼ確定していたため、異議申し立てはしなかった。
なお、その会社は、広報活動で「俺らイケイケっす〜〜〜」みたいなことをドヤっていて本当に腹が立つ。事業が潰れて全員不幸になってほしい。(ガソリンは撒きません。)
適応障害になって休職中なんだが、やっと動けるようになってきたので全国旅行支援のやつ使って泊まれるスーパー銭湯行ってきたんだけどめちゃくちゃ良かった。
オープンと同時にチェックインすることにしてたから着いた直後と岩盤浴した後と昼寝した後とで3回風呂に入った。
(本当は朝風呂もしたかったんだけど時間帯を勘違いしていたせいで入らなかった)
んで、風呂の何が良くてどうメンタルが改善されたのかは全く説明できないんだけど、とにかく帰ってきてからえらく調子が良い。
出かける前に流しに置きっぱなしだった食器の片付けも、買うだけ買って床に置いてたものの片付けも、やらなきゃと思って放置してた不要な服の整理も出来た。
頭も妙にスッキリしていてまだまだ何か出来る感じがする。
前に日帰りで別のスーパー銭湯行った後もしばらく調子が良かった。
その後に実家でトラブルがあって調子崩してたけど、その前まではそういや調子がよかった。
けど家の風呂だとここまで回復しないんだよな。入らない時よりはマシだけど。
というわけでちょっとだけなら動けるかな程度に回復したならば銭湯へ行くことを強くお勧めする。
全然動けないならひたすら寝て脳を回復させてくれ。そしてちょっとはマシになったら銭湯に行ってくれ。
あくまで自分の体験談だから他の症状の人にも効くのかは分からん。すまん。
けど効いたらいいなと思っている。
お互い何とか生きてこう。
■人の心を5人前も持ち合わせてない
周りに鬱or躁鬱or適応障害の友人が5人いる。
日々キツイ症状を口にしていて、なんとか普通に働きている私は、その立場にはないため理解はできないけど納得はしている気持ちでいた。
最近、許せなくなってきた。
躁鬱の1人が傷病手当金で毎月17万円貰っていると言っていた。
その人は17万から、家に入れる金と健康保険年金を引かれるらしい。10万残る。
なぜ働いてないのに、私の手取りの半分も金が残るのか??
働いてないではなく、働けない分の金であることは百も承知である。
でも、私は毎朝必死に起きてリモートできないので満員電車乗って通勤して、値上げされた昼飯で金が消えての日々で、働いてるのに、働いてなくて税金を食って生きてる人よりお金がないのは、何故?
まあ、私は浪費してしまうから、最初から貯金できない人間ではある。
そもそも家から出るだけで金かかるんだけどね。家から出ないで一日甘い炭酸飲料摂取だけで済む人と、毎日3食摂ってる人とでは生きていくのにかかる費用が変わりすぎる。
その人、障害者手帳2級通ったからいろんなところで割引受けるし、将来が怖いから年金払うけど障害者年金ももらうんだって。
一緒に出かけたら付き添いの入場料半額になるよ!って誘われたけど、そんな手段で安く趣味を楽しみたくない。だってこっちはまともに働いてるんだから、適正な金を払うべきだ。
2週間に1回は確定で精神科行く人と、病気にかからない限り病院行かない人で、保険や税金の恩恵受ける差も出るし。自立支援がなんだとかで1割負担?なにそれ。
知り合いが立ち上げた会社の事業が軌道に乗ったら今の手伝いのそのまま採用されて手取り24万を目途に給料払われるって言ってたし
まともに外に出て働いている私とは!?
30代、プログラマ。体調が悪くなり、仕事を休み、様々な病院へ行った。
その過程で倒れて、救急車で運ばれたが、そこでは特になにもなく即日退院となった。
心療内科では、適応障害という診断がおり、休職したが、それからも私は仕事がまともにできなくなったと思い、結局退職することにした。
薬は鎮痛薬が処方され、それを飲み、横になる日々を送った。
よく考えたら、プログラムもめちゃくちゃ好きな人に比べたらそうでもないじゃないか。
横になっている時にそんなことを考えた。
私の内のサイコパス的な声が語りかける。
お前はもう頑張ったじゃないか。今死ねば保険金の条件もクリアしているし、何より働く必要もない、経済全体が良くなる展望もないじゃないか、と。
ない。ない。……ないはずだ。
適応障害と診断を受けてしばらく経つ。
世間一般で言う残業をこなしていたわけでもないと思うし、明確なハラスメントがあったわけでもないと思うし、もっと頑張ってる人はたくさんいると思うのだけれど。
朝が来ることが恐怖で寝られない日々
通勤時に痛む頭と胃
ふとした時に謎に出てくる涙
数日間の出張を終えたある日、堰を切ったように涙が止まらなくなって、泣きながらどうにか帰宅した。
仕事量だけならなんとかなった気がするけれど、人生のアップダウンを振り返ってみるといつだって落ちていたのは人間関係が関連していた。今回も職場での人間関係が影響している。
昔苦しんでいたのは、特定の友人との行き違いとか、よくあるクラス内の同性同士での軋轢とか。
その度に苦しい思いをしていたけれど、休み時間は図書館で過ごす、部活に集中する、付き合う友人を変える、など逃げようと思えば逃げられる場所がいつでもあった。
工夫すれば一定の距離を置いて数年後には関わりそのものがなくなる環境であった。
いまはどうだろう?
逃げ場がない、関係が良くない人と関わらなくなる未来も見えない。環境を変えるか、鈍感力を上げるかの選択だと思うのだけれど全然思考が働かない。
私にとって仕事は生きる糧を得るための手段、だから人生賭けて取り組んでいる意識は全くない。
そういうものに出会えるのは幸せだし、周りにはたくさんそういう知人がいて羨ましいなぁといつも思っている。
根拠も自信もなく「自分は何者かになれるはず」と思っていた。いざ社会に出てみたら何者にもなれず、「これだけは誰にも負けない」みたいなものも特に思いつかず、人間関係のあれこれもうまく処理できず、立ち止まっている。
「あなたはあなた、人と比較しなくて良い」ってよく聞くけれど、どうやったら周りと自分を比較しなくなるのだろうか。
「好きなことで、生きていく」ってフレーズがあるけれど、「好きなこと」があるだけで幸せじゃないだろうか。
みんな、すごいなぁ
みんなが社会で何か成し遂げている中、私は何もせず毎日をただ消費している
今日も何も考えずに、また1日が過ぎていきそう
コロナウイルスが流行りだした2020年の某月、両親が離婚し母が実家から出ていった。
原因はお金の問題にあった。両親は共働きだったが家計の管理は上手く共有できておらず、父親が実家のローン返済に充てるはずの退職金を使い込んでしまったことが発端だった。
(何に使ったのかは未だに明かさないが、自分が小学生の頃、父親の携帯で遊んでいた際にふと開いたメールボックスにキャバ嬢らしき人物のメールのやりとりがあったのを覚えていたので女にでもつぎ込んだのだろうと考えている。)
自分は実家で両親と暮らしており、社会人で貯蓄もそこそこあったためローン返済の問題はなんとか解決の目処が立ったが、
両親の仲は悪くなる一方で、寝室を別にしてから1年、遂に別れの時が訪れた。
母が実家から出ていく日、自分は仕事があったため朝7時頃には家を出なければならなかった。
母に行ってきますと別れの挨拶をする際、情けないことに涙が溢れてしまった。マザコンではないのだが、息子としてもっと何かできなかったのかとその時になって後悔した。
会社への足取りは重く、仕事も殆ど身が入らなかったがオフィスでは何もない素振りをしていた。
それから3週間が経過し月末に近づいたある朝、ベッドから起き上がるのを強烈に拒んでいる自分がいた。
体が動かないわけではなかったが、とにかく起き上がるのが嫌だった。2時就寝7時半起床で睡眠時間が少ないのもあったが、普段はそれでも問題なく出社していた。
前日は会社の先輩と普段乗る駅を飛ばして歩きながら帰宅した。先輩は仕事について楽しそうに語り、自分も自分の仕事の考えをそれとなく話し自販機でジュースを買い二人でタバコを一本ふかしてから解散した。
夜飯を食べていなかったためコンビニで弁当を買い帰宅した。時計は既に23時半を指していたが何事もなく食べ始めたのだが、買った弁当は味がしなかった。
その時、薄暗い部屋でスーツを着た大人が、広いリビングで1人コンビニ弁当を食べているという事実に気づいた。
何を言っているのか分からないかもしれないが、今までは家族で囲んでいた食卓が1人のものとなったことに対して、とてつもない虚無感が時間差でやってきたのだ。
ちなみに父親(無職)は2階で寝ていたのだが、母が出ていってからは一切口をきいていなかった。
そして翌日。ベッドから起き上がらない自分は「あ~このままだとやばいな~」「あと15分経ったら始業時刻にぎりぎり間に合う電車乗り過ごすな~」「あとちょっとで朝礼始まるな~」と迫りくる始業時刻に焦りを感じながらも天井をただただ見ていた。
そして始業時刻になった。やってしまったと思ったが、変わらず天井を見ていた。始業時刻の5分後には上司から社用携帯に電話がかかってきた。が、出たくなかったのでとりあえず無視した。
しばらくして自分から上司に電話をかけ、ベッドから起き上がれなくなったと伝え有給を消化することになった。それから3日間トイレ以外はベッドで天井を眺めて有給を消化し続けた。
病院にいってほしいとお願いされたため、それから数日後に病院に行ったところ適応障害と診断され休職することとなった。
休職の手続き(診断書原本の提出と会社の資産物の返却)をしなければいけないため一日だけ顔を出せないかと上司にお願いされた。電車に乗ることはできなかったが車なら行くことができる気がしたので車で職場に向かった。
手続きは1時間もかからなかったが駐車料金は3000円近く取られた。休職となりとりあえず脳死で休めるとなったので気持ちが楽になり車の中で奇声を上げながら帰った。
何もしないでベッドにいると自殺を考えることが増えたため近所のパチンコ屋で連日暇を潰した。それまでパチンコは殆どやらなかったのだが、爆音と散財はその時の自分には救いとなった。
もともとアニメを観るのは好きだったためパチンコで時間をつぶすのは簡単だった。減るはずのお金が何故か増え続けたのが面白かった。これがビギナーズラックかと思った。
休職してから2週間が経過した頃、体重を測ったら3kg落ちていた。食事を一切摂らず開店9時~22時50分までパチンコを打っていたため当然の結果とも言える。
これからどうしようかな~とYoutubeを観ていたら競艇のCMが流れてきた。11月にボートレーサーの試験があることを知り自分に受験資格があることが分かったため気晴らしに挑戦してみようと思った。
当時体重は60kgだったが、ボートレーサーは52kgに近づけないといけなかったため大きな減量に挑戦する必要があった。両親が離婚してから食欲がなくなっていったのは逆に都合が良かった。
炭水化物は一切取らず、鶏胸肉、豚肉、卵、アボカド、納豆などを中心に食べた。ある程度鍛えなければならなかったためゴールドジムに入会した。
また、筆記試験もあったため数学、国語、理科、社会(いずれも中学生レベル)の勉強をする必要があった。そこそこの大学を出ていたため筆記もまあ余裕だろうと思いながらも気晴らしになると勉強した。
11月になる頃には体重は52.5kgになり二次試験への準備もできた状態で一次試験を受けた。試験は上出来だったが二週間くらい経った頃に来た結果は不合格だった。年齢の問題もあるよなとあっさり受け止めた。
適応障害の診断は変わらずだったため休職を延長しつづけ、翌年の3月末に休職の期限が限界となったが働く気が全く起きなかったため退職することになった。無職の誕生である。
それからは家ではネットサーフィン、外ではパチンコ・風俗三昧だった。パチンコでは期待値の追い方、捻り打ちを覚え風俗では上手なデリヘル嬢の選び方、本番交渉の術を習得した。
友人とも普通に遊び、泊まりで旅行や富士急に行ったりもした。それまで仕事に向けていた熱量を遊びに向けた。
その頃家に帰ればいた父親は仕事が見つからず他県に引っ越すこととなった。実家一人暮らし無職の誕生である。
父親は時々実家に帰ってきたが口をきかなかった。顔を合わせるのも嫌だったので自分も引っ越しをしようと決めた。
友人と気軽に遊べなくなるのは寂しかったが、父親と顔を合わせるほうがもっと嫌だったし、アパート探しをして新天地にひとり行くのも楽しいと思った。
そして現在、引っ越しは完了し1人で暮らしているが、どうにも働く気が起きずこれまでと同じような日々を過ごしている。
貯金も無限ではないため、底をついたら生活保護を受けることになるのだろうか。それもまあ別にいいかと思っている。
最初は考えていた自殺も、時間が経てば死ぬより身近な快楽を得ていた方が良いのではと考えるようになった。
これを見た人はどう思うのだろう。自堕落な生活をして情けないと思うのだろうか。さっさと死ねと思うのだろうか。
精神疾患に対して一定理解のある人はどう思うのだろうか。「いやでも遊べてるやん」と思うのだろうか。
いや、そもそも自分は精神疾患なのだろうか。病院には継続して通っているが精神疾患ではなく自分がただのゴミクズなのではと思っている。
時期は違うが私も適応障害からの体調不良でしばらくフルタイムで働けなかった。自分語りにはなるけど参考になれば。
身体153cm、当時体重53キロ女、当時20歳(現在28歳)
とにかく疲れやすくて常にぐったりしていた。
夜になると微熱になるし風邪をひきやすくてフルタイムで働けなかった。
血液検査の炎症項目だけ高めだが、医者からは気にするほどじゃないと言われる。
・胃の検査→異常なし
・サプリ類→変わらない
・養命酒→変わらない
・運動→運動すると体調を崩す頻度が増えるので続けられなかった
はじめはパートタイム→週5の7時間→週5の8時間と年単位で徐々に伸ばしていく。私の場合はフルタイムで働かないと生活できなかったのもあるけど…。
まあ、今もなんだかんだ休みがちだし、フルタイムで働けるようになった後自己免疫疾患だとわかって今は働きながら治療中。全身のCTを撮ってないなら撮ってみるのもありかもしれない。
自分かと思った。
その間もちらちら精神科に通ってた。
常にどこか怠くておっくうだった。
多分睡眠相後退症候群なんだけど、
それを無理矢理誤魔化して社会の時計に合わせて生きていたので身体にかなりストレスだったみたい。
休職期間の残りがなくなりそうなのに睡眠相が整わず、そのままでは退職になりそうだったので1ヶ月入院して医者の管理の元で睡眠相ずらして誤魔化して復職したりしたよ。
妊娠がわかった瞬間に医者に相談してハイペースで抗うつ剤を減らし、産後ついに全部なくしたが元気。(元々量はかなり少なかった)
出産したら女性ホルモンとは不思議なもので、赤子の泣き声ですぐ起きるけど短時間でも寝れればとりあえず死なない身体になる。
。自分のことを二の次にして赤子の世話ができるのでありがたい。
ただ、今後、女性ホルモンのバフがなくなったときと、子育てひと段落したときにガクッとこないかは心配。
割と特殊な原因なので参考にならなさそうだけど、ひとつだけ参考になるかもしれないとしたら、
「小学生の頃から続く困りごとはないか?」を思い出してみること。
ささいなことでも思い出すとヒントになるかも。
あと、子供産めるまで回復したのは頭の良い女性精神科医が的確にサポートしてくれたからなので運要素もかなりあった。
しっくりこなければ当たり引くまで何回か転院するのも手。
なんか似てたのでついに長々と語っちゃった。
これが参考になるかはわからないけど、
ここ2年くらい自律神経失調症なのかなんなのかわからんけど体調が悪い どこが痛いとかそういうのはない
ストレスが強くかかっていた期間があるけど、体調不良が起きた時期よりずっと前
【試したこと】
・精神科の通院(抗うつ薬・双極性障害の薬・抗不安薬・統合失調症の薬・漢方を試したけど効果は出なかった。副作用が辛かったので今は飲んでない)
・鍼級マッサージ 効かなかった
【今現在やっていること】
・筋トレ 体調不良だからハードなメニューはこなせないけどやってる 効果は感じていない
・食生活の改善 体調不良で自炊するのがが辛いけど、家族に手伝ってもらいながらなんとかやってる
【追記】
自分は30歳女性、23歳で適応障害を起こした以外は大きな病気はしてない 体調不良になったから今はやむを得ずパートで働いてる、仕事は大したストレスではない 会社の健康診断とか血液検査では異常はなかった
中性脂肪が若干高いけど160cm50kgだから普通体型だと思う
精神科通院時に飲んでた薬は医師に相談しながらゆっくりやめた ピルも同じく
【追記2】
体調不良になる前に高熱が出たことがあって、唾液でPCR検査をしたら陰性だったけど、実はやっぱりコロナだったとかあるのかな