はてなキーワード: 車輪とは
自動車メーカーは、先進的機能を宣伝するために、自社の車が「車輪付きコンピューター」であることを何年も自慢してきた。しかし、乗員のプライバシーにとってコンピューターの運転が何を意味するかについての議論は、あまり追いついていない。
自動車ブランドは自社の車両を強力なデータを読み込むマシンに変えることで、密かにデータ ビジネスに参入した。車内で何をしているのか、どこに行くのかを見たり、聞いたり、情報を収集したりされている。
連中はあなたに関する非常に個人的な情報を収集できるということだ。医療情報、遺伝情報から「性生活」、運転速度、どこで運転するか、そして家の中でどのような曲を演奏するかに至るまで収集している。次に、連中はそれを使用して、あなたの知性、能力、興味などについての「推論」を通じて、あなたに関するさらなるデータを作成している。
自動車ブランドのほとんどは、サービス プロバイダー、データ ブローカー、および私たちがほとんどまたはまったく知らないその他の企業と個人データを共有できる。さらに悪いことに、連中は個人データを販売できる。
「要求」に応じて政府や法執行機関と情報を共有できるとも答えている。
上級司法裁判所の命令ではなく、「非公式請求」のような簡単なものだ。
真面目な話、自動車会社がデータを喜んで共有しようとするのは、不気味さを通り越している。
それは実害を引き起こす可能性があり、車とプライバシーに関する最悪の悪夢を引き起こしている。
link: https://foundation.mozilla.org/en/privacynotincluded/articles/its-official-cars-are-the-worst-product-category-we-have-ever-reviewed-for-privacy/?ref=orwell.org
子供は嫌いではないつもりだったんだが、ファミリー向けのマンションに住んで数年でよその元気な子供がだめになった。
独身だけど、フルリモートで正社員をしながら友人の会社で副業をしてして仕事場を分けられるよう3LDKほどのマンションを探していて、いい感じに郊外だけど都内にも出やすく駅から近くて手頃な価格のマンションを購入した。
そこは子供の多い地域で子育てを応援するというような広告で宣伝されていた物件だが、子供は嫌いではないつもりだったので気にせず購入に至った。
実際住んで最初の年は特に気にならなかったが、数年に渡り左か右か上か分からないドンドンという音が朝と夜に鳴り続け、朝は子供と共に家を出る家庭の声と何か子供用の乗り物に乗っている車輪の音が響く環境がだんだん辛くなってきた。
住み始めた頃は小さな子供だからしかたないと思えたし、ご近所さんたちも挨拶に行くとうるさくなる可能性について把握しており問題があれば改善したいので言ってほしい旨を伝えられていて特段人格に問題があるとは思っていない。
だけど昔問題ないと思っていた音が今は本当にだめになってしまった。
ついでに今までは「子供だから」と許せていた、公共の人混みのある場所で走り回るなどの行動も顔が歪むほど見るのが嫌になった。
近々住み替えの相談に行く予定だ。
東中山の駅で各駅停車を横目に速度を上げて通過しているとき、運転席から「あー!」という声が聞こえて直後にゴンという音と軽い衝撃。電車は駅を通り過ぎて止まった。
自分は運転席のすぐ後ろにいたが、座っていたので事故は見えなかった。60代くらいの男性らしい。駅員と車掌で救助完了とのことだが、あの速度では助からなかっただろう。処理が早かったので、恐らく車輪には巻き込まれず線路脇に跳ね飛ばされたのだと思う。高砂で運転打ち切りになった列車の先頭を覗いてみたが、なんの痕跡も見えなかった。
この列車で人身事故がー、という自動音声があったこと、20分もせず運転再開になったことの日常茶飯感がやばかった。
なお、運転再開後、勝手に踏切を渡った人がいたせいで徐行や一時停止が頻発し、真面目に待っている人が更に待たされるという、囚人のジレンマが裏切られるこの都会は💩
プログラムも一種の文章であり、他人の日記を読めば意味不明な記述ばかりで読みづらいのと同じで、仕方ないことなのだ。
と周りに伝えたら、共感してもらえなかった。
私の職場はプログラミング専業じゃないわけで、そこで書かれるプログラムなんて、やりたいことを実現するための念仏でしかない。
その記述方法に気を払う余裕なんてなくて、だからこそ個人的には、プログラムは自意識が無意識に溢れる「日記」なんだと思っているのだが。
ちなみに、周りの人間は「正しいプログラムの書き方」みたいなものを語っていたが、そんなものは「正しい日本語」くらい、どうでもいい概念だ。
車輪の再生産なコードだから、プログラムの本質が失われるとでもいうのか?
どっかで見たよ~な要素がぶち込まれまくってひたすら車輪の再発名をしている感じ
あんたそれ以外描けないの?いや描けないであろうことはわかるんだけどさ
風立ちぬはいいよ?初めて(その年にして初めて!)「俺は結局はお坊ちゃんなんだよ」って言ったからね
でも二度も三度もやることじゃないでしょ
良くも悪くも心が動かされたのは序盤の風立ちぬ+トトロ再利用したような絵面に突っ込みいれているあたりと
終盤に入って爺さんから積み木の話聞かされて以降くらいだった
あっそっすよね
ペリカンさんも大変っすよね
たしかNHKドキュメンタリーの「終わらない人 宮崎駿」のなかだったと思うけど
鈴木敏夫がポニョについて「あまり好きじゃない」と語るくだりがあった
全編昔やったことだらけじゃないの
だってほぼ全てのひとが思ってるだろうけど
しかもその石の破壊も主人公じゃなくてインコがぶった切っちゃうし
いや、いろいろ読解の余地はあるよ
外界の住人である主人公ではなくて世界の住民自身の(誤った)行動によって世界が崩壊するとか
崩壊ではあるけどインコたちは外に出れてるわけで自らを束縛するものを自分たち自身の手で否定できてるとか
でもね、些末なのよ
味のないガムも楽しもうと思えば楽しめますみたいなものであってそれ以上じゃない
インコの王様の動きは「おっ!」と思わせるものがあってここで最後に主人公と大立ち回りを繰り広げてくれるのか!?と思ったら
剣でテーブルごと積み木ぶった切るだけ
マジか~
まぁ説明不足なのとか見てると宮崎駿が体力的に持たなかったってことなんかな
それならもう仕方がないや
でも「敢えて」描かなかったとかならエンタメ映画つくるのやめちまえよと思う
通俗エンタメにも作法があるはずで、ここでアクションをいれる!みたいのあるでしょ
昨今のジャンル映画がジャンルの型を否定するがあまりジャンルそのものを否定するのを見てると脱力する
そんなに枠組みを否定したいならそのジャンルでやんなきゃいいじゃんね
通俗エンタメならちゃんと観客をスカッとさわやかな気分にさせてくれ
いや個別にそういう作品もあるってんならまだ納得できるかもだが
ただまぁ時が経てば言及する奴は熱狂的なファンに限定されていくし
否定的なファンの感情も摩滅していくから結果的に味のある作品って社会的評価になるのかもね
宮さんお疲れさまでした
いやーあれはよかった
正直言うと、あまり気のりしないんだ。
俺にとってはずっとそうだったから2000円も払って見に行くというのに勿体なさがある。
交通費とポップコーンとIMAXも考えると実質3500円ぐらいだ。
家で配信を見るんだったらもし買い切りでも500円だし、コーラもポップコーンもドンキで100円だから、せいぜい700円だろう。
5倍以上の価値なんてあるのか?
でも俺は今見たいんだ。
「今見る」ということに差額分を出す。
既に俺の中でコンコルドは飛び立とうとしている。
こうやって思い悩んでいる間にも乗客たちの乗り入れは始まり、車輪は滑走路を滑り出している。
引き返せない思いが俺に「凄かった!」という感想をもたらすだろう。
信者か、アンチか、何者になるのかは分からないがきっと俺は大いに驚くと思う。
そのことを先に書いておく。
許してくれ。
俺にとって「わざわざジブリを映画館で見る」というのは冒険なんだ。
原作既読でもあった俺は、大いなるアンチとしてネット中を暴れ回った。
その傷も癒え、今本当に久しぶりに映画館でジブリしにいくんだよ。
どうなってしまうんだろうな。
ニュースとか見ていると「『車で接触して逃げた』だけであって『ひいて』はいないだろ」って事件が「ひき逃げ」と表現されているのが謎。
轢くってのはタイヤで人体を踏みつけたときに使うものではないのか?
[名](スル)自動車などで、人をひいてそのまま逃げること。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BD%A2%E3%81%8D%E9%80%83%E3%81%92/#jn-183840
要は「人をひいて逃げること」。そのまんまである。
ひ・く【引く/×曳く/×牽く】 の解説
1 物の端を持って手近の所に寄らせる。手前に引き寄せる。
2 引き寄せ操って目ざす所に伴う。
3 線状に伸ばし延べる。
4 出ているものを近づけ寄せる。
5 (「退く」とも書く)出ているものが遠くへ去る。しりぞく。
6 強く押し当てたものでこする。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BC%95%E3%81%8F/#jn-183987
しかし6には以下の通りさらに小見出しが立てられていている(上記の引用では小見出しまで引用すると見にくいので省いている)。
㋐(ふつう「挽く」と書く)のこぎりや鉋 (かんな) で切ったり削ったりする。「のこを―・く」「ろくろで―・く」
㋑(ふつう「碾く」と書く)ひき臼 (うす) を回して穀類をすり砕く。「豆を―・く」
困った。この中に「車で接触した」に使えそうな項目がない。
㋒が目につくがこれは「車輪が」とある通り、やはりタイヤで人体を踏みつけたときに使うものであって車体本体が人に接触しただけのときに使うものではないだろう。
もっというとひき逃げを漢字で書くと「轢き逃げ」だからひき逃げの「ひく」が意味するところはこの中では6の㋒しか考えられない。
が、その唯一の可能性である6の㋒がどう見ても「車で接触した」に使えるものではないので、「車で接触して逃げた」事件を「ひき逃げ」と表現する妥当性が少なくとも辞書的には全く見当たらない。
この前「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」というアニメの一挙放送があって全部見て劇場版の1作目も見てめっちゃよかったので
この前放映されたばかりの劇場版も観に行ってしまったくらい好きになったんだけど、似たようなマンガとかラノベが他にないか教えてほしい。
「青春ブタ野郎」の特徴を書きだすと
どちらかというとセカイ系
恋愛や青春の要素はそれなりだが、密接にかかわってくるミステリ?謎解き?要素
こんな感じだろうか
で、似たような作品を選出してみた。
※いや、別に病気に固執してるわけじゃないけどそういやまぁまぁ似てるなとおもったのがコレ
あと2つは?
増田でブクマたくさんついてたやつを丸パクリして書いてみたけど案外このフォーマットだと食いつきがいいのかな?
セカイ系と書いたものの青ブタがセカイ系っぽい感じであって、自分自身は別にセカイ系じゃなくても好き。
ただ最初はすげー現代っぽい感じだったのに、いきなりファンタジーに振られるのは好きではないかな。ひぐらしみたいな。
後はみんなが出してくれたやつに一言書いたり後で見る用にまとめておくよ。
・ハルヒ
青ブタがハルヒや化物語の系譜というのは大体そうかも。ハルヒは読んでたからわかるってのはあるけど。
・化物語
Airやったことあるから絵の耐性それなりにあるとはいえ、リメイク出てきそうならリメイクやりたいな感。
・終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?
返信した通り、アニメ一挙放送で見たけどゴリゴリのハイファンタジーバトル寄りのラブコメ要素少しみたいな感じだった。
アニメ後のあらすじとかも見た。面白かったけどこういうのではないかな。
フルバはそうなのか?アニメは録画してるけどなんかどうなんだろっていうところ。
返信した通りだけど、 ちょっと前まで微妙だったけど風呂敷畳めるんだろうか。
・俺ガイル
アニメ見たけど心がエグくなるのは好きなものの鉄骨渡りみたいな感じで落ちたら無理みたいな感じなのでちょっと考えたい。
原作読むかなぁ。
・りゅうおうのおしごと
フィクションが原作超えちゃったみたいだけど面白そうだし読むか。
・AURA
映画はクソなんか……?
・デュラララ
アニメしか見てないけどミステリだっけ?総じてミステリなのかもしれんけど。
一瞬アニメ見て切ったような切ってないような。読んでみるか。
自分の中ではハラハラ感が強くて「向日葵の国 車輪の少女」みたいな感じだったような気もするんだよね。
見直してみるか。
うみねこはラブコメ要素あるのかな?中途半端に連載してたのかじったことある気もするけどそんな感じじゃなさそうだった。
ありゃミステリだし読んだことあるので好きな部類だけど、ラブコメかと言われると疑問符が浮かぶ
ラブコメとはちょっと違うけど面白いよなぁ。車輪の国のるーすぼーいとは知らなんだ。
漫画アプリで最新話まで追いついてから読んでなかった気がするから追いなおしてみようかな。
・天国大魔境
・タイム・リープ あしたはきのう
・ぼくとぼくらの夏
・この恋が壊れるまで夏が終わらない
・僕が答える君の謎解きなどで有名な紙城 境介
・雨の日も神様
・灰谷健次郎の『海の図』
・五等分の花嫁
・粛正プラトニック
・「最終兵器彼女」「交響詩篇エウレカセブン」
・『輪番制で救世主を担当してきたのに、今回の俺は魔王らしい』
・空とタマ
・野崎まど
つまんでみようと思う。
YU-NOはともかくとして、ほか2つは毛色が違くない?
ゲームやるか……アニメ見た感じはあまり好きじゃなかったんだけど。
・むしろ昭和のノベルス系ミステリーの得意分野だったのでは?赤川次郎の得意分野だったし田中芳樹とふくやまけいこのアレとかも。
なるほどわからん。頭の片隅に置いておくね。
駐輪してすらいないと断言したい。
駐輪場つーっても白線引いてあるだけの空間なので自前のスタンド必須。
というか折りたたみとか携帯できるスタンド持ち歩けよ、迷惑なんだよ。コンビニとかでどうしてんだよ。迷惑かけてんだろ、どうせ。クソが。
そんでチャリが倒れてみろ、こっちが悪い事にされかねねー。
ウチの地域のケーサツは「触っただけのつもりでも肉眼で見えない微細な傷がつくんだよ」とか頭の具合を疑う事を真顔で言うタイプのケーサツだぞ。絶望しかねー。
そんな微細な傷、屋外の駐輪場に止めた時点で、ちょっとした砂埃にヤラレ済みだわ。
その論法で言うと通路にはみ出した車輪に引っかかったゴミ袋にも「肉眼で見えない微細な傷」がついてるけど、まだ捨ててないから自分の持ち物に傷がついたんだけど弁済してくれんのか?ってDQNしたくなるだろうが。
あえてのロードバイクチャンなんだろ?部屋に持ち帰って磨けよ。好きなんだろ?
こんなボロボロにする程度の気持ちならママチャリにしろよ、ちゃんとスタンド付いてるから。
ライトすら増設してねーの、ケーサツ仕事しろとしか言いようが無い。走行中にしょっぴけ。
でもって大家もクソでクソなのが真理。
毒親といるとノーを言えなくなる人がいるのは理解できるが、「ノーしか言えなくなる」ことはないのだろうか
例えば毒親が、見合いするか?といったとき、「イエス」と答えてみるとバツイチじいさんの情報を流してくる
洋服買ってあげる→10万円のコート1着(増田はそれに合う服など持ち合わせていない)
マンション買ってあげる→線路際の半地下の部屋で電車の車輪が目の前を通る
要は人をいたぶりたいのだから、危険すぎて「ノーしか言えない」ということになる
そうすると、「アナタハイツモ ヒトノキモチヲ フミニジル」ミサイルが飛んでくるが、それは躱すしかない
子どもだったころは当然のように暴力と言葉の暴力を振るわれたが、大きくなるといたぶる方法を変えるらしい
おぞましさで、恐怖を感じる余裕がないほどだ
ただ、それは通常の日本人だと言われれば、そうとも言えるし、益田がいる業界では特にそうかもしれない
「期待させたうえ、期待外れにする」つまり益田は、タダの人にも業者にも、何も期待はできない、ということを知っただけである
その前日は、プロジェクトの責任者として費用対効果が目標に至らず、詰められ、報告と対策の提案は翌週に持ち越しになった。
その日は燃えるゴミの収集日だった。虫が苦手だから、燃えるゴミの日は何が何でもゴミ出しをせねばならない。
ギリギリ近所を歩ける格好に着替え、靴を履き、ゴミ袋とスマホと鍵を持ち、すやすやと寝ている夫を背に玄関を出る。ごみ収集所に向かい、ゴミを捨て、天を仰ぐ。雲ひとつない晴天。
死ぬならこんな綺麗な日がいい。
ふと思い浮かんだその気持ちに、抗うもなく、肯定するもなく、ただ足は近くの踏切に向かって歩いていた。
永遠を誓ったはずが独身の自由さに戻るため離婚したいという夫。人の意思は自由だから。
何度も調整し言質をとり議事録にも残っていることを認めず責任を問う経営層。立場上、弱音を吐くことを他の従業員や役員に見せることはできないから。
期日を過ぎても成果物を提出してくれない取引先。他の案件も忙しいなかで大変だから。
疲弊するだけで工数ばかりがかかり成果の見合わないプロジェクトを売った営業担当。彼には達成しなければならない売上目標があるから。
人にはみな都合があり、都合のぶつかり合いで世の中は意思決定がなされていく。
都合を主張するのが苦手な自分は、かと言って『察しろ』と開き直ることもできず、都合と都合の調整に追われ、今日まで来てしまった。ただ疲れてしまった。
自分の都合などとうに捨てた。何がしたかったのかも分からない。
いや、正確には一つあった。夫と老人になってもただ二人で緩やかに暮らしたかった。
しかしそれは叶わぬ都合だった。では、私にはもう望むものなどないのだ。
、
シミュレーションのために1本、2本と踏切の先で通り過ぎる電車を見る。 駅の近くにあった踏切だから、電車は遅く見えた。
この速度なら、跳ね飛ばされるよりも車輪下に入り込んですり潰されかねない。それはとても痛そうだ。
電車が通過し遮断器があがった。踏切に入り、横に遠く伸びる線路を眺めた。
少し先にいくつかまた踏切が見える。あちらの方が、電車の速度が出ていそうだ。
手押しのカートをひいた白髪のおばあちゃんがよろよろ歩きながら私の後ろにいるのに気がついた。
いま踏切にとどまれば、このおばあちゃんにグロテスクなものを見せてしまうかもしれない。
そう思うと、踏切で止めるべき足は止まらず、渡りきってしまった。
次の電車を待とうと踵を返そうとしたら、線路脇の一軒家、2階ベランダで洗濯物を干している女性と目があってしまった。踏切前をふらふらしている人間なんて不審者でしかない。
居心地が悪くなり、線路から見えた一つ奥の踏切に向かおうと思い、歩き出した。
いのちの電話、かけたことあるよ。ただ、電話口で「さあ話して」と構えられても何から話していいか分からずロクに話をせずに一言謝り切ってしまったけど。救われる人もいるのだろう。
閑話休題、その踏切は道幅の割に意外と交通量が多かった。どこかの抜け道になっているのかもしれない。
人に見られると思うと憚られた。遮断器に入ってる間に緊急停止ボタンを押すかもしれないし、白昼堂々、あまりよろしくないものを見せるのは望んでない。
ここもダメだと歩き出した。首都圏ベッドタウン、連休初日の朝。
都合よく人のいない踏切や道などなく、次の踏切、次の踏切、と歩いている間にとうとう隣駅についてしまった。
ついぞ踏切で立ち止まることはできなかった。
駅前のコンビニでコーヒーを買って、ロータリーのベンチに座る。
私以外みんな幸せそうに見えたが、そんな自己憐憫に浸っている自分が恥ずかしく、思わず下を向いた。
ベンチの足元には花が咲いていた。小ぶりで白い可憐な花。
じわりと視界が歪み、涙が目に溜まり、地面に落ちた。
来た道を戻りもう一度踏切行脚をする気力も体力もなかった。
スマホに入れたSuicaで改札に入り、駅のホームに設置されたベンチから空を眺めた。
今日でなくて、明日でもいいかもしれない。いや、明日するなら今日でもいい。
今日なら、夕方でもいいか。今日ずっと考えて、明日結論を出すのはどうか。
猶予は5日間あるのだから焦らなくてもいいと結論を出すまでに2時間が経っていた。
その日はおとなしく帰宅し、ただ泥のように眠った。
次の日は曇りだった。踏切を思うことはなく、持ち帰っていた仕事を片付けるためにPCを開いた。