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はてなキーワード: 車輪とは

2024-03-20

anond:20240320192155

手回しの車輪「ありがとう」っていっぱい書いてそれを高速で回したら実質的にはありがとうを100回言ってるのと同じになるんじゃない

2024-03-19

anond:20240319093051

オーストラリアでは2001年にジョン・マイケルキーオによって車輪が再発明され、特許が取得された。

なお、キーオオーストラリア特許庁は、その年のイグノーベル技術賞を受賞した。

anond:20240319093357

やっぱり車輪にかなうモノは無かった、という意味にも捉えられる

車いすにもなる便器付きパワードスーツをみんな使えばいいんだよ

車輪をつければ通勤も楽々

車が売れなくなっては困るのでトヨタ日産など発明しないだろう

アメリカから関税もりもりで輸入するしかない

パワードスーツ研究している海外大学寄付をしたらいいかもですね

日本大学は車産業に反することは出来ない

車輪の再発明」という言い回し発明されたのはいつなのか

気になる、調べましょうね

調べました

車輪発明されたのは紀元前だが、「車輪の再発明」という言い回し発明されたのは20世紀になってからのようだ

「車輪の再発明は良くない」というのは誰が言い始めた言葉ですか? 日本で広まったのはいつごろでなぜですか? | Quora

Reinvent the Wheel – Idiom, Meaning & Origin | GRAMMARIST

The term reinvent the wheel dates back to the 1950s, often used as a business and advertising metaphor.

One of the earliest published occurrences of the phrase dates to 1956 and is found in Documentation in Action from an article concerning how research workers, executives and others use information:

車輪の再発明」という用語は1950 年代にまで遡り、ビジネス広告比喩としてよく使用されていました。

このフレーズが最も早く出版されたものの 1 つは 1956 年に遡り、研究員幹部などが情報をどのように利用するかに関する記事が「Documentation in Action」に掲載されています

なるほどねえ

これ以前に全然別の文脈で「車輪の再発明」という言い回しがあった場合、「車輪の再発明」が車輪の再発明されていたということになりネタとして面白いんだが……流石に無いかもな

これは日記です

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しか

“The intensive literature search at the beginning of a research project is intended to define the precise boundaries between the known and the unknown and to forestall unnecessary duplication or, as one scientist has expressed it, to avoid re-inventing the wheel.”

研究プロジェクトの開始時に集中的に文献を調査することは、既知と未知の境界を正確に定義し、不必要な重複を防ぐこと、あるいはある科学者表現したように、車輪の再発明を避けることを目的としています。」

"one scientist"……「ある科学者」とはだれなのだろうか

その人こそ車輪の再発明というmemeの発明者……か?

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イタリア語には「お湯を発見する」のような言い回しがあるらしい

微妙ニュアンスが違うっぽいが「車輪の再発明」と近いニュアンス意味のようだ

2024-03-18

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

――――――――

  

自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

――――――――

  

いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

――――――――

  

他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

――――――――

  

マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

――――――――

  

設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

――――――――

  

そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

――――――――

  

おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

――――――――

  

やっぱりあんまりまとまらなかった。

2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

2024-03-10

anond:20240310210742

ドンキーコングタイヤが出てくると、なぜタイヤが?車輪のついた乗り物は出てこないだろう?ははあ、さては、人類滅亡世界かな?と妄想捗る

2024-03-08

[] ワイくんは反面教師になるのか問題

結論から書くと、能力場合、他の人々にとって新たな学びや価値提供するものには、どんな能力でもなり得ない

 

例えば、ポンコツのワイくんが出来ることは人類の9割くらいが出来る。既に出来ていることから得られる新たな知見はないだろう

じゃあ反面教師としてワイくんが役立つのかと言えば、これもまた役には立たない。なぜなら、ポンコツのワイくんが出来ることは9割くらいの人類は苦なく出来るから

既に出来ること、一度も失敗していないことから改善は学べない

 

だったら、ポンコツ一般的能力ではなく、天才や難しいチャレンジをしている人なら参考になるかと言えば、やっぱりそれも新たな学びや価値提供するものにはなり得ない

なぜなら、その能力環境ほとんどの人類が持っていないからだ

 

稀有能力でも一般的能力でもポンコツ能力でも、能力のものから得られる学びは等しく何もない

 

 

ただ、"態度" や "作品(学術書も含む)" だったらどうでしょうね?そこには無限♾️の気づきや学びや改善があるだろう

ほんま、"態度" や "アウトプット"って大事だなぁって改めて思いました

 

 

アウトプットについてはまぁいつかの機会にするとして、態度についての反面教師的な共有を書いとこうと思います

 

  1. 修理の知識が無かったり、スケジュールタイト場合は、諦める必要があるかもしれませんが、家電も人も叩いても叩いても解決しないことだけは確かです
    (比喩表現で本当に物理攻撃はしていないよ)
  2. 殺すか殺されるかの世界で生きていくつもりがないのなら、破壊衝動に身を委ねるのはやめておきましょう
    圧があると言うのは、イミフな誇張表現ではなく、こういう何しでかすかわからない基地外オーラ他人様が感じ取った発言っぽいです
  3. 余計なこと言う自覚がある場合、黙っているだけでだいぶいいです(沈黙は金)
  4. 『守るべきものを守る力がない』という現実に直面するのは、たいてい非常に残酷で厳しい状況
    緊急性を感じていない、または苦手意識がある事柄にどう取り組むかが、重大な課題となる
    重ための困難があるChallenged(チャレンジド)も、自立するために、家族全員で力を合わせて好きではないこと・苦手意識があることにめっちゃ頑張って取り組んでたりすることがある
    結局のところ、緊急性を感じていない、または苦手意識がある事柄に対する取り組みは、能力ではなく、"態度" 、こうありたい自分問題
  5. こうありたい自分(自分が目指す態度を決めて貫くこと)と、人生コントロールし、常に正解を求めることは異なります
    人間は神の視点から最適な道を選ぶことはできませんし、起こる事を選ぶこともできません
    から、常に正解を求めたり、すべてをコントロールしようとするのではなく、自分が目指す態度を習慣として身につけることに集中しましょう

 

 

・・・うーん、書いてみて思ったけど、古代からいろんな人間が言ってきていることをただ雑に書き殴っただけだね

ワイくんも子どもの頃にこれらの言葉をそれらしい文章で見たと思うが、頭でなく実感で理解出来るようになったのは今だ

人間は先人が散々○○だぞ!って言ってもけっきょく同じ轍を踏むんだね・・・

 

勉強技術と同様に、車輪を再発明せずに済む方法はないものしらね

2024-03-02

anond:20240302144142

車輪のない自動車なら縄文時代に作る意味があった...?

まり万年もありながら空飛ぶ自動車を作らなかったのが怠惰ってことか

anond:20240302143302

縄文時代日本車輪で走れる土地が広大なのに車輪を作らなかったのか怠惰な奴らめ

anond:20240302093242

アメリカ先住民なんて15世紀までかけても鉄どころか車輪すら作れてないもんな

2024-02-28

わたしを離さないで」がノーベル文学賞なの未だに理解できない。萌えゲーアワードさえ取れそうもない程度のエロゲなのに

いやマジでエロゲだろ。

・謎の施設

少年少女主人公

村上春樹ばりのテンポで入るセックス

・急に飛ぶ時間

・やたらポエミーな独白

世界の闇(ニチャァ)

これ全部足して生まれるのなんてどうやってもエロゲだろ。

挿絵がないだけのエロゲ脚本

ストーリーは一本道で「悲しい運命(ニチャァ)」に主人公たちは立ち向かい、そして「心の勝利(キリリ」を手に入れてメリーバッドエンド

うーん。

要素を混ぜ過ぎだよね。

謎のルールとの戦いがしたいなら「車輪の国」にすべきだし、臓器提供メインならエンジェルビーツ、悲しい運命を受け入れるながれならNarcissusやAIRみたいな感じの方が良いと思う。

なんだかなあ。

結局さ、海外エロゲ文化がまともに発達してないから、この程度のerogamespace中央値70点を過大評価しちゃったという話でしょ?

これがノーベル文学賞なら田中ロミオ奈須きのこノーベル賞授与してておかしくないよ。

2024-02-09

コワーキングスペース選び

個人事業主ソフトウェア開発の仕事をしている。受託中心、請負契約が多めなので、いわゆる「フリーランス」とはちょっと違うと思う(フリーランスと言うと、準委任契約でどこかの企業ソフトウェア開発をお手伝いしてるイメージ。厳密な定義は知らんけど)。

自宅で仕事をするとサボってしまう程度には精神が軟弱なので、オフィス仕事をした方が効率が良い。今もお世話になっている場所はあるのだが、値段の割には要求仕様を満たしていない面もあって、より良いものを探したいところだ。

長文になってしま申し訳ないが、この記事増田要望を書き連ねておく内容になっている。もしもコワーキングスペース企画運営側の人の目に止まれば幸いではあるが、同じ考えの人が多く居るのか?という点での保証は致しかねる。

これを見てる皆さんは、どういう条件を重視するのだろう?

凡例
  • 「★」は必須要件。満たしていなかったら契約絶対にしない。
  • 「●」はできれば要件。満たしていなくても契約するかもしれないが、見劣りはする。
  • 「▲」は優先度の低い要件。優先度の高いものを満たしている場所複数あったらチェックするくらい。
セキュリティ
トイレ
机と椅子
  • ★机の幅が90cmを超えていること:目安として、27inchディスプレイ+13inchMacBookを横並びで置ける広さが90cmくらい。だいたい。
  • 車輪つきのオフィスチェア or 座り心地の良いダイニング(?)チェア
  • ●机と机の間の仕切り:隣の人の画面や細かい所作は見えない方が集中して作業に向き合える。ちなみに、個室になると、自宅と一緒で集中ができなくなる。「何をやってるのかわからんけども、隣に人が居てそいつ作業を頑張ってるっぽい」という状況こそが自己集中力を高めるのだ。
ネットワーク
その他の設備
逆に「これは要らん」というもの

2024-01-19

anond:20240117233342

車と書くと本来意味である車輪とか車両(大八車や自転車も含めた)をも表し得るので、そういう意味ではクルマ表記する方が紛らわしくなくて良いのだと思う。「火の車」とか。 

カネと書くほうが金と書くよりも紛らわしくないのと同じように。

anond:20240118214559

そのながれでいくと次はディスコードで次はラインヤフーJPかかえた)じゃないの

そんで最終的にどこもダメとなって分散型(マストドンとかブルースカイ)におちつく

これ核戦争終末型創作でよくみた(最近リバイバルされたやつでいえばバッシュ・ザ・スタンピードが主人公トライガンとか、北斗の拳とかみたいな砂漠に点在する村ね)

そのうちみんなが

「あれっ?スマホって、ネイティブで安定な通話機能がついてるぞ!課金月額1500円で全日本遅滞なく通話し放題じゃん、発信者非通知もできるし」

車輪の再発見しだしてさら民意に答えるグループ通話ができると化ける

さら進化するとテレホタイム復帰するやろなw

まあ素人だらけの一方通行生放送はあるんだけど女同士は部屋着か裸族でしゃべれればええねんて……

 

ニュースでも

「あれっ!文春って、すごい情報源じゃん、月額1000円で読み放題じゃん」みたいになっとるし

昭和から令和に対応できてるサービスやつらはまあすごいわ

2024-01-14

anond:20240113144228

車輪再生

車輪再生産するのは当たり前やろという話

1個だけ車輪作ってどうすんねん

2024-01-13

クリシェだけで話したい

もう既に使い古された有名な表現クリシェ)を適切なタイミングで挟みながら会話したい。

だって、私が新しい言葉を考え出さなくても十分なくらい、面白い言葉表現は多数開発されているのだ。

それらをいくつか吸収し、それらを適切に会話に放てば、たぶん「なんか面白い」ことは言えるはずなのだ

素人である私が新しい言葉を考えて笑わそうとしても、それは車輪再生産になるはずで、

一昔前の流行語CM動画など、しょっちゅう見返して、「あっ、新しいな」と思ったら、会話で使ったりしてる。

また、一方でクリシェで話すのには、自分の考えを隠すという役割もある。

他人がよく使っている表現だけを使えば、私の偏用する用語言い回しから、私の指向性を隠すことができる。

から目標は「クリシェだけで話したい」なのだ

私はクリシェを操るだけで、私自身の言葉を放たない。

そのクリシェをどう選ぶかに、その人の個性が現れるって?

例えば、流行してることしか喋らない人に「流行好きだね〜」以上のことを感じたりする?

そういうこと。クリシェという大きな社会ノイズの中に、自分というものを隠していたいのだ。

自分を隠していれば、何を言われたって、本当の意味で傷つくことは無いのだから

クリシェを駆使して面白いレスポンスになるよう期待しつつ、自分自身の言葉は誰にも伝えず生きていきたい。

「なんか面白い言葉は、自分を隠すためにも有効なんだ。

2023-12-31

大晦日だし35歳の価値観をまとめて書く

人間は一つの正解に固執しがち。二つの派閥があるとどちらが上かで争いがち。でも殆ど場合は正解を決める必要がない。少なくとも自分が正解を決める必要はない。わからないことはわからないままにしていい。そして他者自分意見いかに両立させつつ穏便に済ますかが処世術になる。

人間ネット言語を十全に扱う能力が無い。ネット上では基本的言葉に振り回される。人間ではなく言葉相手一人相撲を始めるのが人間。論争に出口は無いし、最後には言葉自分ペルソナを上書きしていく。

・人は簡単には死ねない。死にたい死にたい適当に生きてると苦しむ時間けが伸びる。健康に健やかに長く生きた方が楽。

・人の体は食べたもの構成される。間食は避け、外食も減らし、食材国産にこだわること。水はたくさん飲め。

筋トレより有酸素運動重要。足を使う機会を惜しんではいけない。仕事中も1時間に1回は席を立つこと。トイレに行った後で軽くストレッチと足踏みをすること。

・大便に勝る快感は無い。

交通事故複数ミスが重なった時に起こる。交通ルールをよく理解し、他人ミスを織り込んで用心深く生きること。

あの世は想定する必要がない。人間は肉の生き物であり、死んだら死体としてきちんと形が残る。ありのまま人間を受け入れればいい。

・人の社会は不幸なニュースほど話題性が高いが、個々の人間はそれほど不幸ではないと思って生きたい。

・憎い相手は大抵自分のことを何も考えていない。好きな相手自分のことは眼中に無い。

歩きスマホはやめろ。

・数か月に1回は歯医者に行くこと。

早起きは出来る時でいい。早寝は徹底すること。

・親とは喧嘩してもいいが縁は切るな。兄弟勝手に生きていく。

職場人間とは週に一回でいいから楽しく雑談しろ毎日喋ろうとするより寧ろ上手くいく。

生活上の困りごとは早めに人に言え。斜め上の回答が返ってくる。

過去の失敗を振り返る時もあるが、今が幸せなら全部オッケーだ。

ネガティヴ感情を振り払えない時は場所を変えろ。とにかく動け。

・大きな買い物は自分だけで決めないこと。家族や友人、同僚に雑談がてら相談しつつ気長に悩め。

人間全体を肯定する必要なんてない。自分の家庭と職場円満ならそれでいい。

・世の中に怖い人間はどうしても存在する。そういう相手には勝とうとしなくていい。とにかく逃げきれ。

人間本質的に「見なかったフリ」はできない。見ないなら見ない方がいい。自分が見せる側になった時はとりあえず謝って去れ。

善悪という軸は融通が利かない。フィルターとして使い分けろ。多少の悪は翌日には消えてなくなるし、微量の善は記憶されない。

・憎しみは5年で色あせる。幸せは一瞬で過ぎ去る。車輪の様に回りながら人生は続いていく。悔いのない人生なんて存在しない。大抵の失敗は忘れられる。

・人は思っているほど仮想現実区別していない。仮想のような現実なのか、現実のような仮想なのか、本人にも分からないことが多い。ネット上のやり取りではその点に留意すること。

他人一挙一動一喜一憂しないこと。みんな自分が中心でこちらのことなんて考えていない。

他人が丁寧な対応をしてくれた時はこちらも丁寧に対応すること。

・上手くいかないことが続く時は衣食住のどれかが欠けている可能性がある。

人間はどこまでいっても動物だ。生きるために生きている。価値観習性の一つにすぎない。

大晦日だし35歳のおっさん自分価値観をまとめて書く

人間は一つの正解に固執しがち。二つの派閥があるとどちらが上かで争いがち。でも殆ど場合は正解を決める必要がない。少なくとも自分が正解を決める必要はない。わからないことはわからないままにしていい。そして他者自分意見いかに両立させつつ穏便に済ますかが処世術になる。

人間ネット言語を十全に扱う能力が無い。ネット上では基本的言葉に振り回される。人間ではなく言葉相手一人相撲を始めるのが人間。論争に出口は無いし、最後には言葉自分ペルソナを上書きしていく。

・人は簡単には死ねない。死にたい死にたい適当に生きてると苦しむ時間けが伸びる。健康に健やかに長く生きた方が楽。

・人の体は食べたもの構成される。間食は避け、外食も減らし、食材国産にこだわること。水はたくさん飲め。

筋トレより有酸素運動重要。足を使う機会を惜しんではいけない。仕事中も1時間に1回は席を立つこと。トイレに行った後で軽くストレッチと足踏みをすること。

・大便に勝る快感は無い。

交通事故複数ミスが重なった時に起こる。交通ルールをよく理解し、他人ミスを織り込んで用心深く生きること。

あの世は想定する必要がない。人間は肉の生き物であり、死んだら死体としてきちんと形が残る。ありのまま人間を受け入れればいい。

・人の社会は不幸なニュースほど話題性が高いが、個々の人間はそれほど不幸ではないと思って生きたい。

・憎い相手は大抵自分のことを何も考えていない。好きな相手自分のことは眼中に無い。

歩きスマホはやめろ。

・数か月に1回は歯医者に行くこと。

早起きは出来る時でいい。早寝は徹底すること。

・親とは喧嘩してもいいが縁は切るな。兄弟勝手に生きていく。

職場人間とは週に一回でいいから楽しく雑談しろ毎日喋ろうとするより寧ろ上手くいく。

生活上の困りごとは早めに人に言え。斜め上の回答が返ってくる。

過去の失敗を振り返る時もあるが、今が幸せなら全部オッケーだ。

ネガティヴ感情を振り払えない時は場所を変えろ。とにかく動け。

・大きな買い物は自分だけで決めないこと。家族や友人、同僚に雑談がてら相談しつつ気長に悩め。

人間全体を肯定する必要なんてない。自分の家庭と職場円満ならそれでいい。

・世の中に怖い人間はどうしても存在する。そういう相手には勝とうとしなくていい。とにかく逃げきれ。

人間本質的に「見なかったフリ」はできない。見ないなら見ない方がいい。自分が見せる側になった時はとりあえず謝って去れ。

善悪という軸は融通が利かない。フィルターとして使い分けろ。多少の悪は翌日には消えてなくなるし、微量の善は記憶されない。

・憎しみは5年で色あせる。幸せは一瞬で過ぎ去る。車輪の様に回りながら人生は続いていく。悔いのない人生なんて存在しない。大抵の失敗は忘れられる。

・人は思っているほど仮想現実区別していない。仮想のような現実なのか、現実のような仮想なのか、本人にも分からないことが多い。ネット上のやり取りではその点に留意すること。

他人一挙一動一喜一憂しないこと。みんな自分が中心でこちらのことなんて考えていない。

他人が丁寧な対応をしてくれた時はこちらも丁寧に対応すること。

・上手くいかないことが続く時は衣食住のどれかが欠けている可能性がある。

人間はどこまでいっても動物だ。生きるために生きている。価値観はただの習性にすぎない。

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