はてなキーワード: 車両とは
終わりだよな。
逆走車両は走行車線だと思って左側の車線を走る(=正常に走ってる車両の追い越し車線)
正常に走ってる車両が追い越し車線に出るときって前の車両を追い越すときだから、前から逆走車両がきたら左側も前側も塞がっててどこにも逃げ場が無い。
とりあえず法律を見ると、道路交通法第13条第1項に以下のような条文がある。
第十三条
歩行者等は、車両等の直前又は直後で道路を横断してはならない。ただし、横断歩道によつて道路を横断するとき、又は信号機の表示する信号若しくは警察官等の手信号等に従つて道路を横断するときは、この限りでない。
ということで、元増田の挙げた例での飛び出しは同条違反となる。それで同条違反の場合、どんな罰則が科されるかというのを見てみると、以下の条文がある。
(通行方法の指示)
第十五条
警察官等は、第十条第一項若しくは第二項、第十二条若しくは第十三条の規定に違反して道路を通行している歩行者又はこれらの規定若しくは第十四条の二若しくは第十四条の三の規定に違反して道路を通行している遠隔操作型小型車の遠隔操作を行う者に対し、当該各条に規定する通行方法によるべきことを指示することができる。
第百二十一条
この条文を見ると、法第13条第1項に違反した者についても、たまたまそこに居合わせた「警察官等」の「指示」が無ければ罰則が科されることは無いようである。
また、罰則が科されたとしても「二万円以下の罰金又は科料」に過ぎない。
なお、元増田の例によれば「誰かを助けようとして」という事実があるので、緊急避難(刑法第37条第1項)の適用が問題になりそうだが、上記の事情でさして問題にならなさそうなので割愛する。
ここまでが刑事の話で、民事については過失割合が問題となるが、これはもう状況により結論が区々となるので、「飛び出し 過失割合」とでも検索してくれれば色んなケースにおける過失割合の相場観が出てくる。
突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。
JR九州は不動産にしか興味がありません。JR九州は今や九州最大のマンションデベロッパーになっていて、手間がかかり面倒な鉄道事業なんて捨てたいと思っています。コロナ禍を理由に減便したダイヤを元に戻す気は無く、駅は異常な混雑。通勤電車の車内の座席を何故か減らしてまともに座れない。車両は雑なメンテナンスで外も中もボロボロ。九州在住の人なら、JR九州が今明らかに異常な企業体質になっているのを肌で実感していることでしょう。
そこにきて今回の浸水高速船の隠蔽事件。九州在住者としては「でしょうね」という気持ちしかありません。今回は国交省のおかげで事故に至らずにすんだものの、近々もっと大きなやらかしを起こしても不思議はない状態だと思います。なんなら"危険な鉄道事業は大幅縮小して不動産会社として頑張ろう"という流れを作るために、なんらかのやらかしを待っている状況なのでは?とすら思います。
この予感が当たらなければよいのですが。
藤田伸二や瀧川何某の言ってることを
真に受け鵜呑みにしてる
眠れぬ夜を、過ごした事だとは思うけど
小生が得た情報だと
安心したまえ
↓
解ってない競馬民が多いようだけど
JRAは、別段
発表することはないんだけどね
彼は今もおそらく
軟禁下にあるし
処分を決議するまでの間は
↓
小生が得てる情報
職員によって取り押えられ
閉じ込められた
幸いにも裏函期間中なので
容易であったということ
以上だな
↓
藤田伸二は、ね
屠られたんだな
↓
考えてもみたまえ
取り逃す大馬鹿者は、いない
ましてや函館競馬場には
↓
安心したまえ
『俺たちは騙されたんだ❗️』と
大きな声で主張すれば
皆、慰めてくれるはずだからさ
↓
↓
信じて疑わなかった、情弱の小心者たちよ
知恵をつけなさいね
ヒトを蹴落とすために、さ
↓
20代だったということで
やんや、やんや、と騒いでる
競馬民がいるわけだけど
彼の"自決"を望む輩連中よ
少しは、冷静になれ(笑)
↓
まゝならない競馬民は
歓喜してるようだけど
DNA鑑定を要するぐらい
ぐっちゃぐちゃになってしまった
礫死体を
身元を特定できるはずが
ないんだけどな🙄
↓
皆様おはようございます (^-^)
体調が整わないため
前の会社を辞めて、今月でちょうど十年になる。いい機会だから振り返ってみたい。若かりし日のことを。
この振り返りの日記が、ソーシャルゲーム業界や、ゲーム開発者への理解を深めるきっかけになれば幸いだ。
大学を出て、新卒で入ったのがその会社(以下D社とする)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中で一番ノッてくる時期だった。
出身大学は、準MARCH的な目立たないところである。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。
リクルートは仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドアの自分にはちょっと、メーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。そして、残ったのがゲーム・エンタメ・ITの世界だった。
在学中にD社のサービスを体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験は自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらお互いにwinwin」だと思っていた。
それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。自分の魅力をアピールできたと思う。
私は採用パンフレットに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。
ソーシャルゲームを開発する部署への配属だった。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事は委託先がやってくれる。主には企画開発がメインだった。
ソーシャルゲーム、という言葉はまだ一般的じゃなかった。言われ始めた頃だったかな。いろんな会社がDeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと、雨後の筍のように湧いていた。
新入社員の頃は、どうだったかな? 研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそうだ。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプルな研修だった。
配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、職場や協力会社の見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを言っていた。レベルは低かったと思う。
デバッグはよくやった。専用の画面でゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。すると、エンジニアの人がババッとコードが入った画面を開いて、適宜修正を検討する。当然私にはできなかった。今ならコードを読むことはできる。
Q&Aの仕事もやらされた。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。「やらされた」というと受け身だけど、本来はほかの部署の仕事だった。社内アルバイトのようなもの。ベンチャーなので、そのあたりの垣根は低い。
文章を作る力は、わりかし評価されていた。中学生や高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくることがあったけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど……チームリーダーに褒めてもらえた。
意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな? と思っていたら、40代ほどのおじさんおばさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、どう考えても子どもが名付けそうな名前(卍侍候extreme卍 みたいな...「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分の世界が狭くて気付かなかった。こういう体験は今でも大事にしてる。
社会人一年目は、ひたすら下働きをして学びを深めていった。年度の最後の方では、担当ゲームをひとつ持たせてもらえた。開発チームの末端だったけど嬉しかった。
二年目は……といっても、二年目で当日記(に書く内容)は終わりだ。一言いっておきたい。
すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかったし、おそらく消費者庁に提出する反省文の原案を作らないといけなかったし、ほかのチームメンバーも死にそうな顔だったし、毎日とんでもない量の苦情の電話やメールがあって辛かった。
電車で通勤してたんだけど、夜に電車がホームに入ってくるのを見ると、「飛び込んでみようかな」と思ったりした。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、とも思った。
その年の4月時点で、所属チームが開発していたのは地味なゲームだった。
ほかの同業他社が出してるソシャゲは、日の目が当たるキャラ性の主体がメインでゲーム世界を形作っていた(海賊とかドラゴンとか)。対してこちらは、ドリルで地面に穴を掘り続けるゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた。
私の仕事はルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である。一般社会でいうと、道路を管理するための特殊車両がウインウインウイン……と低速で走っていて、アスファルト舗装の亀裂を見つけてると思う。ああいう地味な仕事だ。
みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じていないか点検したり、ユーザーからの質問に答えたりする。
その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了のようだった。老舗タイトルだったからか、名前だけは残された。
私は、ガワだけを変えたそのソシャゲ風カードゲーム(以下、『幣タイトル』とする。今のゲームに例えると、「グランブルーファンタジー」や「Fate/Grand Order」をもっとシンプルにした感じ~)のチームへと異動になった。
多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲームの10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。
穴掘りゲームと比べたら射幸性が高い。みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンも進んでくれたし、回復アイテムを買ってくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。
ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。業務量はものすごかったけど、あの頃は楽しかった。社会の役に立っている実感があった。ただ若かっただけかもしれないけど。
秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世間に知られるゲームになっていた。自分もリリースからちょっとの間だけどプレイしていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さがいい。
ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定のカードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。
ちょっとだけ確率の話をする。例えば、10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする。最初の1枚目のカードの入手確率は50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%だった。プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。
電子上のガチャというのは、コンビニのくじ引きとは違って箱の中味が無限だ。この場合、ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)がある場合だと、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上のガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。
※箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性もある。電子上のガチャはハイリスク・ハイリターンということだ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグなので。
実際のコンプガチャでは、一番難しい入手率2~3%のカードを引けた時には、ほかのカードも揃っている可能性が高いためだろうか~~期待値は約10~15万円ほどで推移していた。
コンプガチャというのは、「影響力の武器」などの名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。とにかく、まず最初にやってもらうということだ。
この仕組みを考えたのが誰かは知らない。「自分が考えました」と主張する人間が、当時の開発チームのリーダーや、他部署の先輩・上司や役員クラスまで含めて、少なくとも5名はいた。誰が最初の考案者かは本当にわからない。
あの頃は、「うちの会社は儲かってる。CMもこんなにやってる。やった、すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。今では思う。当時の自分達がやっていたのは、暗号資産投資と本質は一緒だった。
つまり、純然たる賭博(ギャンブル)であるものを別の何かで覆い隠している。ビットコインの場合は『未来の技術』であり、幣タイトルの場合は『ソーシャルカードゲーム』になる。
会社の飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は新興ゲーム業界のリーディングカンパニーであり、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……といった未来を、和風洋風エスニック、いろんなお店がある都内某エリアの飲み屋で深夜まで語り明かしていた。
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同じくらいの文字数です。
後半
Tは、東京にある大学から、千葉にある自宅まで毎日1時間30分くらいかけて帰っていた。
時刻は夜10時過ぎで、Tは疲れていた。電車の中で彼はいつものように、ぶつぶつと文句を言いながらスマホゲームに勤しんでいる。
楽しむためのゲームで苛つきを募らせていたTがふと電車の周りを見渡してみると、すっかり乗客も少なくなっていることに気付き、着実に自宅に近づいていることを確認した。
そしてTがまた無益な戦いに舞い戻ろうとした、まさにその時だった。
よりにもよって、こんなすいてる車内で、というか、母親は何しているんだ。
Tはその事態に戸惑い慌てて横を向くと、幼女の母親と思われる女性は手元のスマホを弄っていて、幼女のことは気にもとめてない。
しかし、基本的に内弁慶なところがあるTは、母親に対して注意することができなかった。
何より、その時のTは幼女の熱を感じていた。
正確な時間は定かではないが、幼女を膝枕していた時間は、いつもの煩雑な電車通学の時間ではなくなっていた。
するとTの最寄駅を示すアナウンスが聞こえる。幼女はまだ彼の膝の上で寝ている。母親は何も言ってこない。
そしてTも何も言わなかった。
ただ幼女と一体化していた。
結局、自宅の最寄り駅から大分離れた駅で幼女と母親は降りて行った。
母親は降りる瞬間に幼女を起こし、幼女は眠気眼を擦りながら、母親の手を握って歩いて行く。
Tは一言何か声をかけるでもなく、その姿を目で追っていた。電車のドアが閉まり、幼女が見えなくなるまで、ずっと、ずっと。
もうすっかりTの中の幼女の母親に対する怒りなんて消えている。
Tに残ったのは、自分はロリコンであるという、そんなどうしようもない確信だけだった。
いかがだったであろうか。もしかしたら、あなたもいつの日か、ふいにロリコンに目覚めるかもしれない。そんなメッセージがTの体験談からは読み取れるのではないか。
話はこれでは終わらない。Tはオープンで、社会不適合なタイプのロリコンに進化した。彼の中にはロリコンに対する罪悪感はなく、我はロリコンであると堂々と公言していた。
その姿を見て、ある意味まだ捕まってないだけ、彼は頑張っているのかもしれないと思った。Tという男は、要は犯罪者予備軍であった。
Tは電車に乗ると幼女を探し、学校の近くを歩けば幼女を探し、公園を見たら幼女を探す男だ。
そんな彼が塾講師でバイトをしていたのだ。事件が起きなかっただけ幸運な状態であった。その証拠に、「小学生の女の子は距離が近いから懐かれると擦り寄ってくる」と嬉々として話していた彼の笑顔は、単純に気持ち悪かった。普通はバイト代が出なくてブラックバイトと文句を言う筈の居残り指導も、彼にとってはむしろご褒美のようだった。
そんなTに大事件が起きる。なんと塾の小学生の女の子から告白されたのだ。
Tは大層悩んだ。教育者として。大人として。男として。そして1人の人間として。
悩み抜いた末にTは、その告白を断るという決断を下す。なけなしの常識がTを踏みとどまらせた。1人の幼気な女の子がロリコンの魔の手から守られた瞬間でもあった。
ここで終わったら凄くかっこよかったのだが、Tは告白を断ったのをひどく後悔していた。何ヶ月もその恋を引きずっていた。どうやら告白された女の子は、可愛い子で、付き合いたかったらしい。まあ社会が許さないのだが。
「どうせその子は中学に上がり一旦塾辞めるんだから、俺も辞めてその子と付き合えば良かった」
ある日の部室で机に肘をつきながらTがそう言った。誰も見ていなかったら悔し涙を流し始めるんじゃないかと思うほど、その日のTは打ちのめされていた。ロリコンのガチ失恋なんて、誰も対処の仕方がわからない部室の空気は、異様に重たかった。
その姿を見た私は、Tにとってロリコンというのは、無理矢理背負わされた重荷なんだと思った。
果たしてTが幼女を求めてしまうのは、彼の自由意志か。それとも周りの環境のせいか。それとも親の教育の責任か。
学術的な根拠は分からないが、性癖とはきっと先天的なものだと思う。
最近「親ガチャ」なる言葉が流行ったが、これではまるで「性癖ガチャ」ではないか。
そのガチャの中でもロリコンは外れであることは疑いようがない。ロリコンに世知辛い世の中をTは生き抜いていかねばならない。それは道なき道を行く覚悟が必要で、もし自分の性癖に身を預け、ロリコン道を突き進んだら最後、Tを待ち受けるのは社会的な抹殺だろう。
もし、あの電車に乗らなかったら。隣の車両に乗っていたら。隣の席に座っていたら。
彼は違う道を進んでいたかもしれない。
●「しょっぱい」なんて言わない。言ったことないし、知人友人親族でも言ってる人見たことがない。老若男女やっぱり「辛い」と言うね。ただし、「塩辛い」とはあんまり言わない。
●ごめん、大阪人ではないからなんとも言えないけど、「知らんけど」は大阪人なら会話の中でナチュラルに使っているよ。知らんけど。
●おにぎりせんべいはたしかに特別に好きってこともないけど、米菓と言われたらおにぎりせんべいかぼんち揚しか出てこないぐらいには皆好きだしポピュラー菓子だよ。
●インテックス大阪はまじで幕張メッセ的な感じでいいと思う。イベントがある時にしか行かないよね。関東の人に聞きたいんだけど、幕張メッセだってそんな頻繁にいくところか?イベントがないとあそこなんもないじゃん。
●阪急電車がおしゃれ、というよりも阪急電車沿線はおしゃれエリアが多いから必然的に乗客も車内もおしゃれだよねという話。阪神電車と違って時間帯によっては発着駅できっちり虫一匹逃さないレベルで清掃入るし、頻繁にコラボラッピング車両走るし、京都行きは特別な内装の車両もあるから、やっぱりおしゃれでいいと思う。阪神電車と阪急電車乗り比べたら鉄ヲタじゃなくても絶対にわかる。両方を体験したことがない関西人って、ほんの一部の和歌山県民くらいじゃないの?(偏見かつ悪口)
●モータープールは後期高齢くらいのジジババがたまに言う。若い人はあんまり言わない。看板はたいがいモータープールになってるのはガチ。
https://lowcarb.style/2024/07/23/toyota-mirai-owners-sue-toyota/
トヨタ・ミライのオーナーおよびリース契約者の集団が、水素燃料電池電気自動車(FCEV)での満足のいかない経験について、日本の自動車メーカーであるトヨタを相手取り、集団訴訟を起こしました。
訴訟の原告によると、トヨタは水素燃料電池自動車の所有に関する実態について消費者を欺いていたとのことです。
トヨタとその従業員(販売員を含む)は、以下のことを積極的に隠ぺいしている
2.ミライに水素燃料を満タンにするのに平均で数時間かかること
3.水素燃料ポンプが凍結してミライに固着することが多く、その結果、原告や他のミライ所有者は、燃料ポンプが温まり、 車両から取り外されて運転できるようになるまで30分以上待たなければならないこと
4.水素燃料の価格が過去4年間で大幅に上昇しており、そのため、ミライには3年以上使用できる15,000ドルの水素燃料カードが付属するというトヨタの約束は完全に虚偽である、という事実