はてなキーワード: 補填とは
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データの紛失と配付資料コピーの件は(マンガの主張の通りなら)相手(M山氏)がクソだね、で終わりだけど、肝心の会場キャンセル料のギャラからの天引き埋め合わせについてどうしても公務員として引っかかる部分があるので。
役所の支払いとして絶対にありえないんですよ。公務員やってたら冗談でも思いつかない発想なんです。
①すべてM山氏の冗談で最初からギャラは全額払うつもりだった。
②M山氏は区の職員だが、マンガ教室は区の事業ではなく、区職員M山氏個人の資金による個人事業だった。
③M山氏は区の職員ではく、ギャラの支払いも区役所からではなかった。((M山氏は役所から教室開催を委託された業者・団体の従業員で、「役所の事業でマンガ教室をやります」と言うのをさほ氏が「役所職員なのでそう言っている」と勘違いした。))
のいずれかしかあり得ない。個人的には③の可能性が高いと思います。
①はそんな冗談を言っても相手を不快にさせるだけで実行不能で意味がないし、②は役所職員がそんな資金豊富だとは思えないので。
役所(に限らず県庁や省庁でも基本は同じ)の何の創造みもない予算執行・契約業務の説明なので面白くもなんともありません。①~⑤は飛ばして⑥だけで結構です。いや全部読まなくてもいいんだけど。
役所の中ではこんな事やってんだな、こんな世界があるんだなってことで。
そのために確保しておくお金の枠を「予算」と言います。(マンガでもこの言葉が出てきますね)
役所がやりたい事業の計画を立てて、必要経費の見積もりをとって足し上げたものが「予算」額になります。
ちなみに「予算」は使途ごとに「費目」が決まっていて、費目ごとに金額を決めて予算を作らなければならず、今回の場合は「マンガを子どもに教える」事を役場から個人・団体に委託するので、「委託料」になります。
委託料として確保した予算は、委託する事以外には使えません。(たとえば会場借用料とかキャンセル料とかには使えません。「使用料」とか「補填・賠償金」になります。)
縛りガチガチですね。公金ですから好き勝手に使えたら困りますからね。
(費目間流用という例外処理もありますが、非常に面倒な手続きが必要だし、事前手続きが必須で「当日現場でいきなり」できることではないので省略します。)
事業を執行する部署(今回でいうと文化振興課かこども育成課か)が好き勝手に予算額を決めることはできず、まずは役所内で「(予算を決定する部署である)財政課による査定」を受けます。
財政課は常に「財政赤字を減らさねば。予算を削減せねば、部署に節約させねば。」と考えてますので、事業や経費の必要性を説明しても根拠資料不足だと差し戻しされたり、事業全部が不要だと却下されたりして、何度も査定室に足を運び、ようやく認められたものが「予算案」になります。
「案」です。
(財政課内でも査定担当VS上司のバトルがあるんですが省略します)
議会の予算決算委員会で委員から細かく審議されたあと、問題なければ本会議にかけられて可決されたら正式な「来年度予算」として成立します。(これは首長と議会が激しく対立してない限り、否決されることはまずありません。委員会で審査されるのも事業そのものの必要性で、積算まで見られることはありません。良くありませんね。でも議員さんが役所の全部署全事業の予算案を積算レベルまで細かく分析するのは現実的ではないでしょう。)
(事業に関わる予算要求~支払までの文書は公文書であり公開請求すれば見られるので、オンブズマンがチェックしてる部分もあります。)
さあ、新年度になりました。さっそく予算を使って事業を始めましょう。
これも事業担当職員で好き勝手にはできません。なんせ使うのは公金ですからね。
まずは「予算執行伺」の決済を取らなければなりません。「こんな感じの事業でこのくらいの金額を、この予算のこの費目から使いたいんですが、いいですか」という伺いを文書化して、契約書の案(印鑑が押して無いだけで実際の契約書と同じ)を添付して、担当→係長→課長と審査をうけて決済をもらいます。だいたい文書を回すだけですが、目新しい事業や大きな事業だとデスクの前に呼ばれて口頭説明も必要になります。(金額によっては部長とか首長レベルまで決済をもらわないといけないが、だいたいは課長決裁。)
まあ前年度に予算案を作る段階で課内でも財政課でも厳しくチェックされてるので、今更なんですが。
次は、事業のためお金を出す人・団体と契約します。今回でいうと、さほ氏や会場店ガリレオですね。
契約相手はどうやって選ぶ?なるべく費用を抑えるために原則は入札。
だけど細かい契約まで入札・開札作業してたら大変なので、限定された使途と一定以下の金額に限り、担当職員が契約相手を選ぶ随意契約をして良いことになっています。
その場合は相見積もりと言って、複数の相手から複数の見積書をもらって最も安い相手を選ばないといけません。
「この付近にはこの会場しかない」とか「この技能を持つのはこの人しかいない」と合理的な理由がある場合には一業者・一人だけ選んで見積もりを取っても良いことになっていますが、これは例外処理なので本当にその相手しかいないのか起案文書できちんと説明しておかないといけないし、上司からも細かくチェックされます。
次はまた決済です。今度は「支出負担行為」の文書を回さないといけません。
使う予算の費目(今回なら使用料と委託料)、使途、実行月日、円単位の金額、支払い相手先名、振込口座情報(役所の支払いは原則口座振込です。研修参加費を現地受付で払うとかでない限り、職員から現金払いする事はありません。)を記載した上で、イベント関係書類と見積書を添付して、また職員→係長→課長と決済を回します。今回は課長で終わりません。
課長から決裁印をもらったら、今度は役所の対外支払機能を一手に担う会計課からも決済をもらわないといけません。
首長から独立した「会計管理者」が役所の資金口座を握っていて、会計管理者の部下である会計課職員が役所のお金の出入りの全てを行っているんです。
会計管理者は「部長」並みの偉い人なので大きい金額の契約を見ていて、今回会計課に持ち込んだ「支出負担行為書」は、会計課担当→係長→会計課長で決済されたのでしょう。(会計課にいたことがないので細かい内部処理は不明)
そうやって初めて、相手と契約できます。「依頼」ではありません。「契約」です。
役所の契約行為は極一部に限定された例外(職員が出張で使うJRきっぷとか航空券とかの購入)を除いて、必ず文書契約です。口頭での契約は絶対にできません。(お金を出す証拠が残らないので不正支出になる。)
契約書はだいたいテンプレートが決まっていて、支払い相手、金額がきっちり明記されています。
これを2部用意して、2部ともさほ氏に渡して押印してもらい受け取って、役所では総務課に行って総務課員のチェックを受けたうえで公印(首長印)を押印し、1部をさほ氏に渡して1部は役所で保管して契約成立です。
そうして無事契約が成立して、ようやく「役所から依頼された」ことになります。
契約を結んではじめて役所はさほ氏に「教室で子どもにマンガを教える債務」を負わせることができます。
そして教室開催当日を迎えました。
ん?担当者が会場を2カ所抑えていて、キャンセル料が必要になった?一カ所は有料のところ(ガリレオ)で、もう一カ所は無料のところ(公民館とか)だったのかな。
キャンセル料は「費目・使用料」では払えないので、帰庁して急ぎキャンセル料の支払いのため「費目・補填賠償金」の支出手続きをしないといけません。
でも、一店だけ予約していたのが講師の都合で急に開催できなくなってキャンセル、なら支払う理由も成り立つんですが、担当者個人のミスで2会場予約していて、しかも当日までキャンセルしてなかったからキャンセル料が必要になった、なんて理由は上司や会計課に説明しづらいし、公金の支出としても市民からツッこまれそうです。(自分だったら、ダブルブッキングは無かったことにして自分の財布から出します。それが一番簡単なので)
ここでM山氏が言った「さほ氏へのギャラからキャンセル料を差し引いて払いますね」は可能でしょうか。
まず「決まった報酬(委託料)から急に発生した別費用を差し引く」というのは不適切な支出です。相手に委託する業務内容に対してこの金額で委託すると一度決めたのですから、業務内容が変わらないのに減額するなんて役所内の決済で絶対に認められません。
これまで支出するために役所内で行った支出負担行為書には支払相手・支払口座・支払金額が明記されています。契約書にも相手・金額が記載されています。
後から支出負担行為書を二重線で消して訂正印を押して見え消し修正する・・・無理です。訂正が効くのは誤字脱字くらいで、支払金額とか支払相手先とかの重要項目の修正はどの役所でも認められてません。契約書の訂正も必要です。
役所保管の契約書を担当者が首長印をコッソリ使って勝手に訂正したとしても(今はどこも公印の管理は厳重になってるので難しいけど)、会計課はそれによる支払を認めないし、さほ氏の持っている契約書には修正前の金額が記載されている(双方の合意に基づいてない)ので、奇跡的に会計課チェックをスルーして(ありえない)減額した金額でのギャラ払いが成功したとしても、後からさほ氏保管の契約書を提示されて不足分の支払請求をされたら、口座振込による支払金額記録が残ってますから、役所は追加払いしなければなりません。
追加払いするためにはまた一連の予算執行手続きがイチから必要になりますし、M山氏はいずれにせよこの段階で不正支出・公文書偽造により懲戒処分です。金額という重要項目の訂正・契約書の片方印だけによる訂正を見逃して支払ってしまった会計課の担当や上司も処分を受けるでしょう。(まあ会計課はどこも細かいのであり得ないけど)
教室が無事に終わりました。
相手が債務を履行したのを会計担当が確認してからでないと支払えません。(例外もあるけど省略)
帰庁後、担当者は会計課にお金を支出してもらうための書類「支出調書」を作ります。文書仕事ばかりでウンザリですか?公金だから仕方ないんです。
ここでもまた、予算の種類、費目、支払相手名、支払金額、支払口座、支払予定日、債務発生日(教室実行日)、支払内容、等を記載して、(システム化されてて支出負担行為と紐付けられてるので、ほぼ自動入力)
先に決済済みの予算執行伺・支出負担行為書・役所保管分の契約書原本・相手が委託内容を実行した証拠(マンガ教室の写真等)と検査調書を添付して、
課内で担当→係長→課長と決済をもらって、会計課に持ち込んで会計課内でもまた会計課担当→係長→会計課長と決済を経て、
はれて会計課が銀行に口座振替依頼データを送信して、さほ氏の口座にギャラが振り込まれることになります。
もちろん課内でも会計課でも、事前に決済を受けた支出負担行為書や契約書に記載された金額・相手名と、支出調書に記載された金額・相手名は照合されますので、「こっそり減額した金額で支払い」しようとしても「書類間不一致」でハネられます。
まあ、減額したとしてもガリレオさんへのキャンセル料の支払い手続きはされて無いので、予算が余るだけで意味ないんですけどね。
これで「事業」としては終わり、なんですが、担当の仕事はまだあります。
年度末の決算作業。決算書ができたら決算特別委員会の想定問答の作成。
翌年度に行われる部内監査((事業執行課の総括課が行う))、定期監査((外部から任命された弁護士や有識者の監査委員会の下部機関である監査事務局による、昨年度に誤った処理がなかったかの検査。支払関係は特に細かくチェックされる。こっそり書類書き換えとかしてもここでまずバレる。))、監査委員自らによる委員監査の監査資料作成や当日の対応。
もし予算に国庫補助金が入っていたら、補助金の実績報告書提出や受け入れ手続き、国の会計検査院による検査の受検((非常に細かく厳しい。ここで不適切な支出とされたら国庫補助金返還となり、返還金の予算確保のために予算流用手続や補正予算編成作業や議会対応が出てきて死ぬ))。来年度の補助金の事業計画や交付申請、等々・・・
と長々と説明してきましたが、帰宅してからずっと書いてて誰が読むんだこんなの。
役所の担当が持ってる事業は1つではありません。複数分野を担当していて分野ごとに複数の事業があります。
教室も1回で終わりではなく年間に何回かやるんでしょう。
教室開催ごとに講師をやってくれそうなマンガ家を探して、コンタクトを取って、ギャラ交渉して、日程調整して、契約して・・・
広さと場所が適した会場を探して、見積もりとって、後払い振込払いの了解もらって、予約(契約)して・・・
講師から教材データをもらって内容チェックして、コピー製本して必要部数を用意して、当日会場に教材持ち込んで様子を写真撮影して・・・
そして毎回ごとに講師と会場に②~④の予算執行・契約・支払手続きもせにゃいかんわけです。
ということで、役所がこの手のイベントをやる場合、教室・講師の手配などイベント開催をまるごと民間業者やNPO団体などに「業務委託」 Permalink | 記事への反応(0) | 21:42
昨今『クッパ姫』がブームになり、猫も杓子もクッパ姫を描く・作って楽しんでいます。
しかしその片隅でとある問題が浮き彫りになった事をご存知でしょうか?
あるイラストレーターが『クッパ姫』を有料のイラストとして公開し、一部がそれを問題視したことです。
この件は大きな騒ぎになる前にイラストレーターが有料イラストの宣伝を取りやめたためそこまで大きな騒ぎとはなっていないが、今なお有料のイラストサービス(pixivFANBOXやEnty、Fantia)上に有料のイラストとしてUPされているのが現状です。
(以下、こういったサイトで公開されているイラストを『有料イラスト』と呼ばせていただきます。)
ここで私が問いかけたいのは「版権キャラクターの二次創作を有料イラストとして公開するのは、果たして『同人活動』と呼べるのだろうか?」という事です。
元来、同人活動は3つの「建前」によって版権元からお目こぼしをもらっているのが現状です。
1つ目は『作成した作品はあくまでファンアートの一環であり、版権作品への応援、布教が目的である』という建前で作成を見逃していただいている事。
2つ目は『読者にお金を出してもらっているのは、同人誌として頒布する際の印刷代等を補填するためであり、設けのために販売している訳ではない』という建前で頒布を見逃していただいている事。
3つ目は『同人誌は有限であり、印刷したものが無くなればそれ以上の金銭のやり取りは発生しない』という建前で金銭のやり取りを見逃していただいている事。
もちろん、内心ではそう思っていない方もいるでしょうが、版権元相手に「金儲けのために無断でキャラクター借りてるよ」と堂々と言い切れる同人作家はまず存在しないと思います。
しかし、有料イラストで版権キャラクターの作品を公開すると、上記の前提は全て壊れてしまいます。
イラストを見るのは閉じられたサービスの中で料金を支払ったごく一部となるため、『版権作品への応援、布教が目的』という同人活動の大前提は崩れてしまいます。
次に有料イラストの閲覧権限を購入してもらう行為も、そこに作者の負担となる印刷代が存在しないため、『頒布のために読者にお金を出してもらう』という前提とは全く異なる理由でお金を受け取っている状態です。
最後にオンライン上で公開されているイラストは常に公開され続け、過去のイラストの閲覧権を得る際も追加料金を支払う必要があるため『物品が無くなればそれ以上の金銭のやり取りは発生しない』という事もありません。
つまりまとめると『ごく限られた環境内で』『印刷費等の経費も無く』『恒久的に金銭を受け取っている』というのが有料イラストの現状となっております。
これがオリジナルの作品であれば「私の作品を応援してください!」という目的があるため全く問題はありません。
しかし、ファン活動の一環であるとして見逃されている版権イラストは果たして「私の作品」と呼べるのでしょうか?
これはあくまで私の感覚ですが、版権イラストを限られた場所の中で有料で公開し続ける行為は『海賊版』とあまり変わらないのではないかと私は考えてしまいます。
版権キャラクターを無断で使用したクレーンゲームのグッズや、版権元に許可を取らず発売されるフィギュアやプラモデルとやってる事は同じではないでしょうか?
「ファン活動」として見逃されているイラストに対して「対価」を得るのは果たして正常な状態と呼べるのでしょうか?
もちろん、そういった場で金銭を出してくれる方はイラストレーターのファンであり、納得ずくで金銭を出しているのは間違いないでしょう。
イラストレーターが収入を得るのは難しく、こういったサービスが非常にありがたいことも重々承知しております。
お互い納得ずくで金銭のやり取りをしている中、こういった意見が出る事自体が不快に思われることも重々承知しております。
上記の元「版権物のイラストは全て無償で公開しろ!」と主張するつもりも毛頭ありません。
しかし、作品を作る『クリエイター』として『他人の作品を借りて収入を得ている』という行為を一度考え直してみるのはいかがでしょうか?
版権キャラクターも元をただせば、企業に認められたクリエイターたちが作成した大切な『作品』です。
もし、貴方の腕が認められ、自分の作品で勝負できるようになった時、赤の他人から有料コンテンツとして貴方の作品を使ったイラストが『販売』された場合、どう思うでしょうか?
貴方の作品を使った海賊版が現れた時、貴方は純粋に怒ることができるでしょうか?
もう一度『貴方の作品』と『企業が作った作品』と向き合ういい機会ではないでしょうか?
最後になりますが、貴方の作品が世に認められ、大きく羽ばたくことを私は願っております。
PS
乱文失礼いたしました。
元増田は「400万円も一括で払うんだぜ!ドヤ」って感じだけど、家賃15万で2年分+敷2で400万じゃん。家賃は払うのが当たり前なんだし、前払いをするから偉いわけじゃないのに前払いした程度で特別待遇してもらえるって感覚がおかしい。普通の借家人は、保証人もつけて2年間で普通にその額を払うよ。
同じ400万払うにしても、家賃は普通に払う上で、敷26とかならまだ交渉の余地がある。保証人は、将来の家賃滞納、強制退去費用、借主負担の修繕、夜逃げ時の処分費用など、借主にトンズラされることの保証のための人的な保証なのだから、それに代替するのは、家賃の前払いではなく、人的な保証の額に見合う物上保証となる敷金でしかない。ただし、こうやって敷金多めにしても、逆に「敷金たくさんあるんだからそこから補填すりゃいいだろ」的な感じで、家賃は滞納するわ、部屋はボロボロにするわ、これで引っ越し終わりなのってレベルの残置物だらけとかで、結局、大家が不足分をかぶらなきゃいけなくなったって話も聞いたことはある。結局、「金払うんだから特別待遇しろ」って自分から特権階級を主張する客ってのは、できれば相手にしたくないのが本音。
保証人が用意しないorしたがらないorできない、保証会社も使えない人ってのは、やっぱりちょっと特殊な人が多いんだよね。なんで保証が無理なのかって考えれば、過去の保証人保証会社が痛い目をみて、こいつには保証してやりたくないよね…ってなってるのが予想できるわけで。そういう人は、借りてんだから何してもいいだろ的な使い方で、反社会的利用、ゴミ出しや騒音、駐車マナー違反など、近隣トラブルの種になりがちなんだけど、そういう横暴な人でも「身内に迷惑をかけるのは避けたい」「身内に恥を晒されたくない」って意識は結構強力なんで、やっぱり保証人って有用だよね。
賃貸契約って、女から離婚することができない結婚みたいなもので、生活費を大量に前払いされたところで、そこだけ見て嫁ぐ女はいないよね。そういうのを差別だの罵倒だのって言われても…って感じがする。無敵の借地借家法を振りかざす借家人に殴られないようにするためには、あらかじめ予防して回避するしかないよね。
補填があるのなら、その分って税金安くできるということではないのかなあ。
普通に自分の自治体に払ってる人には何の利点があるのかって思いません?
こちらが悪いというような局面で、十分に申し訳なさそうにすることができない。いや傷ついてるの相手だよ?という話なのだが、あまりにも心が軟弱なためか、クレームを言われていること自体に心が参ってしまってメンタルポイントが枯渇し、なんとかシラフを保つことに残り少ないメンタルポイントを使わざるをえず、相手への対応や気遣いが硬直気味になってしまう。
ちなみに、その後に必要なケアや補償を申し出て実際に補填などするのは問題なくできる。
それで、「そんなに申し訳なく思ってない」みたいに見えてしまっている。ことに今日気がついた。自分に責任があるのに心が参ってしまうって我ながら勝手すぎてドン引き
残念ながら、この世の中には優秀な医者とそうでない医者がいる。
では、その違いは何なのだろう?
ちなみに出身大学ともあまり関係はないと思っている。東大や京大を出ようとアホな医師はアホであり、カネを積めば入れると言われている私立を出ても優秀な医師は優秀だ。
実は、医師が遭遇する多くの場面において両者にそう大きな違いはない。
診断・治療に対する各種ガイドライン等が(内容の是非はともかくとして)かなり整備されてきており、医療機器の進歩も相まって、大抵の場面においてどんな医者が診察・検査・治療を行っても結果に大きな違いが生じない状況がかなりできあがってきている。
ただ、残念ながらあくまで多くの場面においてであり、すべての場面で違いが出ないわけではない。
むしろ、多くの場面で違いが出ない分、違いが出る場面では如実に優秀さの違いが結果に表れる。
重症患者の管理や急変時の対応、難しい症例における診断能力、年末年始など繁忙期の救急外来の待ち時間などなど、決して頻繁に遭遇するわけではないが避けては通れない状況においては優秀さがその結果にコミットする。
当たり前と言えば当たり前の話だが、うまくいっている時は誰がやってもうまくいくが、うまくいっていないときは優秀なやつがやらないと最終的にうまくいかない。もちろん優秀なやつががんばってもうまくいかないことも多々あるが。
一見したところ合理的な制度に見える複数主治医制がイマイチ広まらないのもここに理由がある。
”あなたの主治医は女性が交代でやりますがいいですか?~東京医大女子減点問題が迫る「患者改革」”
という記事がはてブで大いに叩かれているが、内容の是非は置いておいて、ブクマのコメントを読むと多くのはてなユーザーは複数主治医制に賛成らしい。
だが、実際に自分が患者もしくはその家族になったときに、諸手を挙げて賛成してもらえるかは甚だ疑問だ。
もちろん、診断や治療がうまくいっている時はいい。別に誰が担当しようとほぼ変わりない。
問題はうまくいっていない時だ。
ひどくざっくりした例えで申し訳ないが、ほぼ同じ経験年数の優秀な医師A、普通の医師B、アホな医師Cという3人で患者の主治医をしていて、担当医は研修医で基本的に指示したことしかできない、指導医は外来で忙しくて基本的に入院患者は任せっきりという状況を考えてみる。
担当患者の一人が急変して集中治療室に入室して厳密な管理が必要になったため、当直帯や休日も3人の主治医のうち誰かが交代で病院に常駐して対応することになったとしよう。
優秀なA医師が綿密な治療計画を立てて、B医師・C医師とも積極的にミーティングをして治療方針を共有し、当初は治療がうまく進んでいるように思えたが、やはりこうした状況で急変はつきものであり、当直帯で急激な状態の悪化があった。
そのとき病院にいたのはA医師で、適切な検査と対応によって何とか状態は持ち直し、患者家族は「やっぱりA先生は優秀で頼りになるわ」と胸をなでおろした。
ただ、その後は状態が不安定になり、一進一退を繰り返す状況になった。
今度はC医師が病院に残っている時に急変が起きた。A医師は優秀なので、考えられる限りの状況とその対応法を電子カルテに申し送りとして記載して家に帰ったが、急変の状況はA医師も予想していなかったものだった。
C医師も考えられるだけの検査を行って原因と対応法を探るが一向にわからない。
そうこうしている間に患者の状態はどんどん悪化していき、患者家族にも「大丈夫か?」と不安が募っていく。
C医師は自分だけでは対応できないと考えて指導医に電話するが、指導医も「電話ではよくわからないからとりあえず病院に行くけど、私も集中治療は得意じゃないからちょっと対応できるかわからないけど・・・。A先生に相談してみたら?」と言うのみ。
担当医の研修医が不安そうに「C先生、どうしましょう?A先生呼びますか?」と言ってくる。
患者家族も「この前状態が悪くなったときはA先生がうまくやってくれた。このまま死んじゃったらどうするの!早くA先生を呼んで!」と怖い顔をして言い出す始末。
アホながらも責任感の強いC医師はなおもA医師に電話しようか迷っているが、その間に「このままでは患者さんが死んでしまいます。C先生が呼ばないなら私が呼びます!」といって夜勤の担当看護師がA医師に外線で電話をかけて状況を説明し、A医師がダッシュで来院。
レントゲンと各種データを確認して人工呼吸器の設定を変更し、何とか状態は改善したものの依然予断を許さない状況。
細かい投薬の調整や人工呼吸器の設定の調整が必要なため、A医師は結局その後1週間は泊まり込みで患者の対応に当たることになり、B医師とC医師もシフト表に従って病院に泊まってはいるものの、看護師は「A先生が泊まってるならA先生に相談しよう」と言うことで、シフト表を無視して何かあれば時間関係なくまずはA医師に電話をかけるように。
患者家族も「A先生が対応してくれるなら安心」と言うことで急変時の怖い顔はどこへやら。
その後患者さんはA医師の献身的な治療によって何とか状態を持ち直し、集中治療室を退室して一般病棟へと戻っていきましたとさ、めでたしめでたし。
だいぶデフォルメして書いたが、これと多かれ少なかれ似たようなことは日本全国津々浦々で起こっている。
同じ医療職で看護師ではチームによる交代勤務ができるのに、医師ではなぜできないんだと言われているが、看護師の業務については教育や指導によって個人の技量をある程度均一化できるが、残念ながら、ここで書いたような医師の「優秀さ」は教育や指導で何とかなるものではない。いかに優れた教育をしようと、到達できるレベルには限界がある。
一定の基準は保証されているものの個々人のレベルが大きく異なり、しかも置かれた状況によっては求められるレベルが限りなく高くなるということが、医師の業務と看護師の業務の根本的な違いであり、多くの人が思っているように医師の交代業務が浸透しない理由だと思う。
一定の基準が保証されているのであれば、それで満足すべきだと言うのが理屈ではあるが、人間はそんな単純なものではない。
選択肢がないのであれば納得するしかないが、眼前に別の優れた選択肢があるのであれば、理に適っていなかろうが、それを選びたくなるのが人情というものだろう。
上に書いたような状況で、理屈に従って「A医師を呼んで!」と言わない自信がある方は大手を振って複数主治医制に賛成と言ってもらっていい。
自信がない方は少し考えて欲しい。
A医師が身を粉にして奮闘した結果として得られるのは、自分の優秀さで患者さんを良くしたという大きな達成感と幾ばくかの時間外労働に対する報酬、そして周囲からの高評価のみである。
治療を受けた患者さんや家族の負担は変わらない。今の日本では誰に治療を受けようがかかる医療費は同じである。患者さんが呼び出し手当を払うわけでもない。
A医師のことだから他の担当患者や外来などにも迷惑をかけないようにしっかりやっていただろう。
色々なところで言われているが、現在の医療において「利便性」と「成果」と「医療者の労働環境を含めたコスト」の3者は残念ながらトレードオフの関係にある。
現状ではこのうち「コスト」、しかも「医療者の労働環境というコスト」に負担がのしかかっている状態で何とかバランスが取れている。まぁ、そよ風程度でもう崩れそうであるが。
極論すれば、この「医療者の労働環境というコスト」を最も多く払えるのが若い活きのいい男性医師と言うのが、東京医大の女子減点問題に端を発する一連の問題の原因の大部分を占めている。
この問題を受けて、この「医療者の労働環境というコスト」を減らせば良いという意見が声高に聞こえてくる。全く以てその通りである。このアンフェアな関係を早く何とかして欲しい。
ただ、そのコストの総量が減った場合にどこがそれを補填してくれるのだろう。
AIを含めたテクノロジーの進歩で状況は劇的に変わるかもしれないが、すべての医師を「優秀」というレベルまで持って行くには到底至っておらず、現状は実用面ではまだまだ未来の話としか言いようがない。
とにかく、リソースが限られている以上、夢のような解決法がないことだけは確かである。
医療関係者だけでなく、多くの人が当事者として今後の医療のあるべき形を考えて行って欲しいと思う。
「優秀な医者とそうでない医者の違い」とかいうタイトルのくせに結局この話か、と思われた方におかれてはタイトル詐欺で誠に申し訳ない。
だが、現在のシステムの崩壊によって結果的に患者さん側に「利便性」や「成果」のコストを押しつけるようなことはできればしたくないと多くの医療者が思っていると思う。
その医療者の端くれとして、微力な自分にできるのはこうして増田として自分の考えを書くことくらいなんだよ。
ここまで読んでくれてありがとう。