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はてなキーワード: 社会的とは

2024-06-20

anond:20240620174907

結論🐜きなんだよな

  

フツーに考えてちょうだいよ🥺

賃金階層はこうではなく→こうだし→

 

高卒日本マジョリティですよ

 

日本の最終学歴学歴の人数と正規雇用割合

表章項目 0_総数 11_(卒業者)小学校 12_(卒業者)中学校 ⭐️13_(卒業者)高校・旧中⭐️ 14_(卒業者)短大高専 15_(卒業者)大学 16_(卒業者)大学
就業者 57,673,630 40,540 3,890,760 ⭐️ 22,752,520⭐️10,185,420 15,384,510 1,820,950

 

それぞれの学歴カテゴリーにおける就業者数の単純な割合

  小学校卒業者(11_小学校): 約 0.070%

  中学校卒業者(12_中学校): 約 6.745%

⭐️高校・旧中卒業者(13_高校・旧中): 約 39.448%⭐️

  短大高専卒業者(14_短大高専): 約 17.665%

  大学卒業者(15_大学): 約 26.667%

  大学卒業者(16_大学院): 約 3.156%

https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032266827

 

 

正社員の最終学歴をみると、⭐️「高校・旧中学」の労働者割合が42.2%と最も多く、⭐️

次いで「大学大学院」が31.8%、「高専短大」が13.4%、「専修学校専門課程)」が7.6%、「中学・旧小学」が2.4%となっている。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/keitai/03/kekka5.html

高卒正規労働者だけでなく、主婦パート自営業者高卒が多い

 

あと、フツーに大企業学歴不問で募集掛けてます

大企業ほど、現業IT営業などの中途採用で、学歴不問(規定があってもせいぜい高卒)で直雇用で入れる部門がある

IBMエグゼクティブ チェアである Ginni Rometty は、2016 年に「ニュー カラー仕事」という用語を作り出しました

 

IBM はまた、多くの職位から教育要件を取り除くことで、新しいカラー ジョブの波を推進しました。ロメティとチームが最初学位よりもスキルを優先したときIBM職務の 95% で 4 年制の学位必要でした。会社手紙によると、2021 年の時点で、必要とするのは半数未満です。

 

米国国勢調査局によると、25 歳以上の人の 40% 未満が学士号を持っていません。これは、就労資格のある人の過半数 (62%) が、1 つの学位要件だけでジョブプールから除外されることを意味します。

 

企業は、大学学位必要としない役割仕事規律、および責任があることをようやく理解しています」と Herrera 氏は言います。「彼らは、才能ある人を惹きつけたり採用したりすることに関して、自分たちの思い通りになっていないことに気付きました。」

 

「彼らは、履歴書学位しかないエントリーレベル個人採用するのではなく、実績のある仕事ボランティア、およびスキル経験を持つ候補者ターゲットにしています。」

 

2016年にニューカラー雇用モデル採用して以来、Rometty氏はフォーチュンに、IBM学士号を取得していない従業員は、学士号を取得している従業員や高度な博士号を取得している従業員と同じくらい成功していると語った. スキルを持った学位を持たない人材採用しても、企業ビジネスに悪影響を与えることはありません。雇用にかかる時間節約し、多様な労働力を育成するための資産となる可能性があります

 

New Collar Jobs: Why Companies Are Prioritizing Skills Over School

https://www.theforage.com/blog/basics/new-collar-jobs

 

 

オーバークオリフィケーション(overqualification)という概念とブルシット・ジョブという概念

日本オーバークオリフィケーションの割合31%、OECD加盟国の中でオーバークオリフィケーションの割合もっとも高い国

 

現代社会において多くの仕事無意味であり、社会にとって価値を生み出していないという人類学であるデヴィッド・グレーバー氏の主張も有

ブルシット・ジョブの特徴と分類

グレーバー氏は、以下の特徴を持つ仕事が「ブルシット・ジョブであるとしています

 

 

 

○ 具体的な例
  1. 取り巻き: 上司経営者などの権威を誇示するために存在する仕事
  2. 脅し屋: 雇用主の利益のために、他人脅迫したり欺いたりする仕事
  3. 尻拭い: 本来発生すべきではない問題を処理・修正する仕事
  4. 書類穴埋め: 実際には何も成果を生み出していないことを示すために作成される書類作成などの仕事
  5. タスクマスター: 必要のない仕事を次々と作り出し、部下に割り当てる仕事

 

オンライン学部(特にCSMBAは早急に)は増えた方がいいし、税の公平さ考えたら、国公立オンライン限定でもいいので完全無償化するべきだろって思うが、
下記をみてこちらを案内しました。だいたいのことはネットで学べるんですわ、求めてるのが学位による職の補償(新卒チケット)でないならね

現代って産業の高度化がかなり進んでるから正直、高卒程度の知識じゃ全く足りないんだよね(anond:20240501105551)

 

★ 関連増田ITの利点はネット環境コンピュータがあれば容易に学べること

https://anond.hatelabo.jp/20240415093918#

 

★ Data Engineer vs Data Scientist: Similarities and Differences

https://www.stratascratch.com/blog/data-engineer-vs-data-scientist-similarities-and-differences/

anond:20240620092610

まあなんか経済的成功人生成功である、みたいなのはある意味わかる気もするけどそれだけじゃダメだよなっていうのもわかる。

私は性別に関わらず人の幸せっていうのは

衣食住にそこまで困らず命を脅かされる危険がなく、誰かに必要とされていて、つらくない仕事を持っているっていうこの三つが満たされれば

それなりに幸せを感じられるものだっていうことを常々思うので

そこから考えると女性でも男性でも無理なく安定して仕事ができる社会っていうのがわりかし社会幸福に結びつくんだろなと。

まりあまり生産性を落とすのも社会全体が貧しくなっちゃうとそれはそれで困るけど

女性もできるように仕事のやり方を変えていくことは男性をも助けるんじゃあないかっては思う。まあそれは余談だけど。

話を戻すけど、弱者男性が被っている「経済だけじゃなくて社会的な差別的扱い」ってなんだろうか。

容姿のことであるならばそれは性別に限ったことでもないし、「オタサー王子」というもの存在すると思う。料理教室とか。

男性でも女性でもモテる人もモテない人もいる。

女性下方婚しない問題もあれ、大体の人は同じ収入帯の中で結婚するっていう統計を見ました。

まり同じような収入クラスタの中で男女が(体力差なのかフェミニズム案件なのか理由はそれぞれだと思うけど)上下に分かれてるからそうなるわけで

そのクラスタを飛び越えたシンデレラ婚みたいなものはほんの一部だそうです。

まあ学校同窓とか職場とか、あるいは遊び場も同じような収入の人が集まるわけで、おおかたそういうところで知り合うんだから当然そうなるのはなんかわかる。

医者さんだけはなんかちょっと違うぽいけど。

(あっ…つまり男性看護師が増えればあるいは…っていうような話だったりする…?)

って考えれば考えるほど、じゃあ弱者男性とは何を不当に差別されている人のことを指すのか?っていうのがますますわかんなくなっちゃうんだよな…

まあそういうことを研究する学問がないこと自体差別であるっていうことも言えるんじゃないかとは思うけど。

ないよね?あるけど知られてないだけ?知られてないことも差別であるとも言えるね?

詳しい人その辺わかりますか。

anond:20240620093106

そうだな…んーと

経済的にとかあるいは異性との関係において問題があってメンタルがアレしてるとかそういう問題のない人は性別関わらず弱者ではないよね…?ってところまで考えて

そうか経済的でなくても異性との関係において問題があってメンタルがアレしてる人が弱者男性…?って思ったけど

フェミニズムにおいてはつまりそれは夫婦間とか恋人間なんかの力の勾配?とかそういうもの批判するわけだけど

相手がいない場合はそこにはフェミニズムも手出しはできない(つまり異性がそこに絡まない場合フェミニズム案件存在できない)ので

それと同等のもの弱者男性問題であるとして扱うのはちょっと厳しくないかなって思うんだけどどう思う?

あーまあでも社会的な男女の関係においてはフェミニズムによって女性のほうが権力が強くなっている場合とかもあるってことかな…

なんかわかる気もするけど、それも経済的な話とジェンダーの話がごっちゃになってる感じがしてよくわかんなくなっちゃうな…

なんかその辺をわかりやすく整理して説明してくれる学者さんはおらんのか。

anond:20240620084414

経済的困難とかが主なことだと思うんだけど

経済だけじゃなくて社会的差別的扱いとかも含まれ多岐にわたる

それをうまく表現する言葉がなく、共通する表層が「モテない」なもんで、そこに話が集中しちゃうんだけど

それ、熱があると訴える患者に「頭に氷当てとけ」って言ってるようなもんで、熱の原因がなんであるか、どう対処するべきか(自然治癒に任せるのが一番だというならそれも可)を考えるべき

弱者男性というのはどういう理由でどういう不当な差別をされているんだろうか?って考えるとそこから途端にわかんなくなるんだよな…

(中略)

これに明確な答えを出してくれる人はいないだろうか。

本来はそこを考えるのが学者仕事なんだけどね

件の人は専門外だからいいとしても、社会正義平等人権普段から訴えている人は考える責務があると思うよ

フェミニズムは男女の能力に差がないということを強調するってことは、能力によって差がつけられることは当然のことであるって言ってるってことなんだろうか。

能力に差があるとして、「能力の差が生活の豊かさに直結したら良くない、女性ベーシックインカムを!」なら主張としてはそれでいいと思うんだけど、

フェミニストって(白人男性と同じことをすることが成功定義なんで、政治家経営者になれなきゃ「失敗」なんだよね

かといって明らかな無能政治家経営者しろと言うのもまずいので、そうすると「女性も同じ能力がある」、と言わなきゃいけないのだろう

そもそも女性幸せとは、成功とは、があいまいなまま「白人男性に私は成る!」で突き進んでるのが問題なのではないか

2024-06-19

anond:20240619213109

部落差別というより

部落差別側が超利権化しており

一昔前なら市役所に優先的に就労したり、同時に恫喝とか脅迫とかをするお仕事をし

それについて通報する一般人がいれば反差別の名の元、社会的に抹消されるぐらいのことになっている

 

から名前をいってはいけないあの人

殺される

anond:20240619210357

推定無罪刑事裁判原則であり、一般人日常的な言動まで全てを規制するものではありません。 しかしながら、推定無罪精神尊重し、軽々に他人有罪視することは避けるべきです。

以下、推定無罪一般人言動について、詳しく説明します。

1. 推定無罪とは何か?

推定無罪とは、**「何人も有罪と宣告されるまでは無罪推定される」**という刑事裁判における基本原則です。これは、憲法第37条1項で保障されており、国際人権法においても普遍的原則として確立されています

具体的には、以下のことを意味します。

被疑者被告人は、裁判有罪判決が確定するまでは、 **「無罪の人」として扱われなければならない。

検察官は、被告人犯罪を 「合理的な疑いを超える程度 **」に証明しなければ、有罪判決を言い渡すことはできない。

被告人は、 自らの無罪証明する義務はない 」。

2. 推定無罪一般人言動

推定無罪刑事裁判原則であって、一般人日常的な言動まで全てを規制するものではありません。しかしながら、推定無罪精神尊重し、軽々に他人有罪視することは避けるべきです。

具体的には、以下のような点に注意する必要があります

捜査段階の情報に基づいて、 安易被疑者犯人扱いするような発言は控えるべきです 」。

SNSなどで、 根拠のない誹謗中傷を行うことは違法行為となります 」。

仮に、誰かが犯罪を犯したと確信した場合でも、 その人物有罪判決を言い渡されるまでは、 **「あくま被告人であることを忘れてはいけません。

3. 推定無罪重要

推定無罪は、個人自由人権を守るために不可欠な原則です。もし、推定無罪がなければ、当局捏造した証拠に基づいて無実の人を有罪にすることが容易になってしまます。また、社会的偏見風評によって、無実の人が生きた心地がしない状況に追い込まれ可能性もあります

4. まとめ

推定無罪は、刑事裁判における重要原則であると同時に、私たち一人一人が持つべ倫理観でもあります推定無罪精神理解し、尊重することで、より公正で民主的社会を実現することができるでしょう。

自殺おすすめ方法検索するとこころ健康とかって出てくるの検索妨害やろこれ

どうせそんなの調べてる奴社会的に大した価値生み出せないんだからさっさと自殺させて他の健康な人にマンパワー使った方がいい

anond:20240619195741

属性に基づく差別じゃなく社会的排除された結果としてのラベリングから

元々同じ属性の人たちと比べて結束することは難しい

それを指摘した記事にまで弱者男性が噛み付いてたのは本当に絶望しかなかったよ

anond:20240619162515

ジェンダー論=ジェンダー社会的性別)に関する議論

フェミニズム女性解放や家父長制の打倒を目指す主義主張

フェミニズム無関係ジェンダー論はあり得る。たとえば、弱者男性女性と比べていかに抑圧されているか、みたいな議論フェミニズムではないけどジェンダー議論

いっぽう、フェミニズムは「女性」というジェンダーによって定義された集団権利向上を目指しているので、ジェンダー論に触れないわけにはいかない。

ガンダムに触れないアニメ論はあり得るけどアニメに触れないガンダム論は無理ですよねみたいな話。

anond:20240619161055

言ってはならない理屈としては、「そのような発言をすると脅迫殺害予告になって社会的処罰されるので言ってはならない」ということだと思う。

これは本当にそのとおりで、自分がどう思うかは自由だけど、言ってしまった時点でアウトだ、というのは度々言っている

一方で、感情的になった時に出てくる言葉制御しづらい所があるのも否めないので、なので情操教育の一環として、何故そういったことを言ってはいけないのか、そういったことを思っていると、どういう影響があるのか、誰が悲しむのか、といったことを言っていたつもりが、言い合いになっているうちに怒鳴りつけてしまい...カエルの子カエルだったという...

自分も親や教師ににこっぴどく怒られた記憶があって、そのおかげでそのような言葉簡単に言ってはならないということが身についたので、多少しかり方がきつくなるのもやむを得ないと思う。

これは自分もそう思っていた時があったんだけど、上述したとおり問題点があるのがわかってきたので、そう思わせない方向にもっていくのが重要なんだと改めて気が付きました

anond:20240619160359

言ってはならない理屈としては、「そのような発言をすると脅迫殺害予告になって社会的処罰されるので言ってはならない」ということだと思う。

自分も親や教師ににこっぴどく怒られた記憶があって、そのおかげでそのような言葉簡単に言ってはならないということが身についたので、多少しかり方がきつくなるのもやむを得ないと思う。

anond:20240618222241

ADHDしか診断されてないのにカウンセリングを受けてる理由が分からない。

ADHD治療ガイドライン心理社会的治療の項目を読んでもカウンセリング有効という記述はない。

過去トラウマを掘り下げてる意味も分からない。

そこを掘り下げて社会適応が良くなるとは思えない。

anond:20240619105051

弱者男性に女をあてがえは馬鹿らしく思えるかもしれないけど、実は社会的な変化で失った物だから

から新築が買えた、昔なら新車が買えた、昔なら嫁が貰えた

家も車も買えない嫁も貰えないは勿論、家買える金があっても嫁がいないから仕方ないとかそれぐらいの象徴から

anond:20240619102056

社会的圧力によって自主的に引っ込めさせられるようにさせられただろ

anond:20240618214722

からそう言ってるじゃん

あくま制度にくっついてる利権問題であって「社会的に認められる」かどうかは本来役所が指図することではない

逆に言えば同性婚や別姓婚が法的に認められたところで、「なぜわざわざそんな結婚なんかするのか」などとうるさい親戚がいきなり黙るわけでもない

それはそいつ価値観問題であって、法的なあれこれとは無関係から

やっぱり大学予算なんてどんどん削っていいんじゃね?

「男には原罪があるんだからポストなつけなくて当たり前」(本人は常勤職で首になる心配なし)

「薬で男の性欲をコントロールするべき」

こんな差別主義の奴らがのうのうと居座ってるようなとこに税金使わんでいいよ焼き払ってくれ

オープンレター関係者は当然コイツから距離をとって」くれるんだよな?

あ、アイツラも草津差別しながら全然距離取られてないよな、口だけかよ

そうかと言えば仲間ではないと判断したら処分公的もの社会的ものも含めて)はめちゃくちゃ苛烈になる

自浄能力のなさとダブルスタンダード

アカデミアの特徴なのか?潰れちまえ

というかこんな状態が続けば検察OBかによる第三者委員会の設置とかが普通になるぞ恥ずかしくないのか

河野太郎ディストピアを生みたいんだなあ

なんか結婚詐欺を盾にしてるけど、そもそも出会いの仕方に基本的に正しいルールなんか存在しない。それなのに未婚か既婚かを公的ID付与して運用しよう、なんてこんなのプライバシー漏洩したとき責任取れんやろ。いずれ社会的ジェンダーも紐付ける気か??

anond:20240619090941

せやろか?

例えば倫理的問題であれば現代奴隷制が受け入れられるか?と聞いたら大半の人は”いいえ”って答えると思うけど、海外過酷労働はおろか技能実習生問題すら大半の人はスルーしてるわけで、つまり自分が直接手を下すわけじゃないなら大半の人は甘受すると思うよ。

自動運転事故時の問題責任所在を法的にどう処理するかの問題であって社会的に受け入れられるかどうか、という問題ではないと思うよ。

少なくとも責任所在不明になるから自動運転に反対する、なんていう一般人はいないんじゃないか

自動運転なんて無理に決まってるだろ

技術的にできるってことと社会的に受け入れられるっていうのは全く別物で

例えばクローン人間なんて技術的には到達可能だけど社会的に受け入れられない

自動運転構造は同じで事故が起きたとき責任問題はいつまで経っても解決しないので絶対社会的に受け入れられない

現状だと運転手がいざというときブレーキを踏める、つまりブレーキ踏まなかったお前が悪いという構図になっていて

これの延長線上でしか社会的に受け入れない

運転席が後ろ向きに反転しておしゃべりしてたら目的地、というのは絶対にない

技術的に実現が難しいことにトライするのは研究開発だと思うけれど

社会的に実現が難しいことにトライするのはただの自慰行為

別れた夫はなんであんなどうでもいいことを子供たちに怒鳴って怒ってたんだろな…って考えてた。

私がどうでもよくない?って言うとめちゃくちゃ怒ってたけど自分もそれやってるよね…とか。

なんか本人は筋が通ってるつもりなんだけど、側から見るとなんか言ってることおかしいのほんとに気づいてなかったのかな、客観的にも社会的にも頭のいい人なはずなのに…とか。

自分は躾のために嫌われ役をやるって勝手悲劇ヒーローやってたけど、子供たちに嫌われたことはこたえてた。

躾は怒鳴らなくても怒らなくてもできるよね…って言っても、子供動物と同じだからっていう持論は曲げなかったなー。

あと叱り方がすごく意地悪だった。あれはほんとにやだったな。

子供たちが何か失敗したりやらかしたりすると、考えられる中で1番意地悪な解釈して怒って、子供たちが無駄に傷ついてることも非難すると躾だからって言い張ってた。

それは嫌われるよ…って私はいつも思ってた。

最後は私もだいぶその意地悪な思考にやられてて、それも含めていろんなストレスちょっとおかしくなってた時は夫はもっと酷いこと思ってるに違いないって妄想が止まらなくなってた。

でも多分、本人はそんな酷いこと言ったんだって自覚はまったくないんだと思う。今でも。

自分は言い方が悪いことはあるけど、根本的に間違ったことは何ひとつ言っていないっていつも言ってた。まあその言い方の悪さにも限度はあるよね…

やっと落ち着いて今思うのは、あれは親御さんからそういう育てられ方をしたからなのかなとか。

自分も親御さんのこと嫌いなくせに、躾はあれが正しいって信じてたとかなんだろうか。

彼は結婚するとき、私がそういう意地悪を言わないところが人柄として好ましいって言ってたのに、自分子育てする番になってそれ忘れちゃったんだなあ…

あるいは彼は子供たちを私みたいな人間にはしたくなかったのか。

あれっその時点でもう私こそがすでに愛されてはなかったのか…?まあそれは考え過ぎか。

今は子供たちも私の実家で落ち着いて生活してる。

もう意地悪を言ったり怒鳴る家族はいいから、だいぶ穏やかになって姉妹喧嘩することも減った。

でも夫もほんとは誰よりも家族幸せを願ってたはずなのに、彼にはそれが最後までわからなかったのはとても気の毒に思う。

2024-06-18

心療内科精神科に行くデメリット教えて

10年くらい常にうっすら憂鬱で、感情の起伏がなくなっている

俺の気質によるものなのか、何らかの精神疾患なのかを知りたいか心療内科精神科に行ってみようかと思うんだが

よく住宅ローンが組めなくなる とか 生命保険に影響が(既に加入済み) とか聞くんだが本当かい

あるいは、もしそれ以外に社会的デメリットがあれば教えてくれないか

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

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