はてなキーワード: 熟達とは
いろいろ むずかしいなーって
グリップ力が高いタイヤ速いよね・・・いや いらなくね?そのグリップ力
速いのはわかるけど シートも変えたし、メーターも変えたし やりゃできるけど
いるか?
普通そういうでしょ
乗用車に1万回転なんていらねーだろって
すると
いや
下ってるだろって
排気量だけで定義をしたいままでの方法が間違えていた可能性について、検討を開始
排気量だけで3ナンバーを定義できると考えていたが、実証データを積み上げた結果、
3ナンバーの定義を変えたほうがいい可能性を否定しきれないため
より新定義を暫定的にすると このタイムで峠を下れるものが3ナンバー
ドライバーによるブーストの誤差が 無視できない 領域に 現実問題として 存在し得たため
ランエボをぶち抜ける7000回転の86は3ナンバーか? > どうみても 3ナンバー
あのドライバーが乗った場合 この車は 熟達したドライバーが乗るランエボをぶち抜く ゆえに 3ナンバーをつけろ
1つはエンジンを1万回転に変えてくれというのもあるけど
とりあえず 逮捕して
なにかもんだいがあるかわからない。
議論をすべきところはたぶんそのまとめてくれてる「背景となる事柄」最近よくいわれてる文脈とかだと思います
みためが外国人な人をまず在留許可は?から聞き始めることの是非とかそういう事
胸が大きな女性がそこにいるということを示したりそこに胸の大きな女性がいたら
そこに至るまでには様々な状況があったはずなのでそれを問うのかとかそういう事
その人は地元の日本人で人種としてはDNA的からしてアングロサクソンだが国籍は日本で日本語熟達した和ごころあふれる日本人かもしれないし
巨乳の女がそこに描かれていたとして何を理由にそこに上がってきたか情報を得ようとしたり理解しようとしたりすると
話はちがうかもしれない
宇崎さんというのが「うざキ」でいじられることやその苗字の人が二次被害をうけたりすることや「宇佐美」さんもまきぞえを食うかもしれないとか
実在の乳でか女性が延焼したり下世話な漫画を描いた作者あやまれからの巨乳アイドルの親は謝罪すべきとかいわれたり叶姉妹の親は反省すべきとかいわれるのか
アメリカ人はみな日本にくるときリメンバーパールハーバーと言っているのかというとそうではないのはコンテキスト不足なのかどうか
戦争の責任は孫の代が払えといってくる慰安婦問題はコンテキスト的にただしいのか
それが男性的女性的という局面だけで言うならばこのような絵をみてと脈絡のない絵で対比されたりもするわけで
アンパンマンが男性だと男性社会や暴力を肯定していると読み取るべきなのかとか
情報の取得度合いと見解の種類で人がそれぞれの階層にあつまるべきで
義務教育のグレードがそれぞれあるような形で混同しないようにすべきではないか
その混同しない理由は理解度やそれぞれのランクを差別する目的ではなく順序だてて理解をすするめるために経路をつくる目的で
理解度の位置をつけ区別することが目的でスタートとゴールが同じ位置でうごかずまわりから情報をただ与え続けられることではなく
自分の足であるいて位置情報を更新し理解をえたうえで方向性をきめてもらうために
その提示してもらったような情報をえたり、理解したり、理解した範囲で判断したり、判断したうえで行動したりすること
をよりわける必要がる
ということと そうじゃなくいきなり不快だという脊髄反射は生体反応なのでそれを行動に反映しろということについて
どちらかが死ぬまでつづけるべき議論という名の戦争なのか それぞれはちがうところにあるだけの同一の人間の反応の
約ネバ、いたって普通の話だったので上の空で見ていたが最終話は良かった。
それから、気付かないのがどうかしてるのかもしれないがレイの歌…。なるほど。
孤児院養成逃走系はよくありすぎるストーリーだが、敵が意外だったわ。
普通だとあんな意外な敵ってのは終盤近くまで隠しとくもんだけど、冒頭で出て来ちゃうから余計びっくりした。
まあ、変わった要素プラスしないとホントただのよくある話になるもんな…。
今後どうなるんだろう…という引きの為にも、こういう変わった要素は必須だったな。
関係ないけど、高所恐怖症でもアスレジャー楽しんで熟達しといた方がいいなと思った。
バンジーはもとより、ジップなんとかとか。
でも、デカイ滑り台すら無理っすわー。
とあるニュースで鞭打ちを罰で受けた、という記事を読んでふと思い出した。
ただ、鞭でぶっ叩かれた感想をシェアしたくてこの文章を書いている。他意はない。
色々な事情で武器として作られた鞭を受ける機会が何度かあった。そういうプレイではなく、武器としての鞭を経験するのだ。
まず、鞭はとにかく痛い。というか痛いを超えて精神が折られる。それも、熟達した人ではなく今初めて鞭を持ちましたって人がものすごく軽めにやってもそれぐらいになる。
熟達した人の本気は流石にまずいらしく、10%ぐらいに威力を落としてくれたけどそれでもヤバかった。
1発目
俺はやれるぞ、ほかの奴とは違うと心に硬く誓うがあまりの痛みに精神が折られてどうでもよくなる。
2発目
来ることがわかってるので備え体にめちゃくちゃ緊張が走る。激痛で話せなくなる
3発目
体を硬直させようが、何をしようと無駄だということを悟る。
つまり、守るものが何もないということがわかり絶望する。こんなに守るものがないとは怖いものかと体で理解する。同時に何も考えられなくなってくる。
4発目
アコが閉じれなくなる。映画とかで「これを噛んでれば幾分か痛みがやわらぐ」とかいって木みたいなのを渡すシーンがあるけど、アゴが閉じれない。
5発目
謝りはじめる
皮膚が破れたかのような痛みと、骨に響く衝撃が一点に集中する。とにかく、体の中に痛みが浸透するのだ。
もしもセックルがスポーツというのなら、どのようになるべきか?
男女シングル、男女ペア、同性ペア、男女複合チーム戦で、定められた時間内での、プレイの美しさ、精力などを競う。
男女ペア、同性ペア、男女複合チームで行う。体位の種類とその美しさ、力強さ、創意工夫を審査員の採点によって競う。10名の審査員が主観により0.1ポイント刻み最大10ポイントまでの点を付けると同時に、審査員の興奮度を科学的に計測し最大10ポイントまでの相対値とする事、合計200点で競技の優劣を競う。
体位の遷移、複雑さによって競技者の魅力をアピールすると同時に、連続ピストン数、射出精量などが採点の対象となる。審査員は競技1か月前に公開され、その嗜好に応じた創意工夫を行うことが競技者に求められる。対面座位→駅弁→正常位などの代表的な基本技が知られている。
対戦ステージは、公園、室内、電車内、球場、両親の前など様々な条件で設定される。
男女複合チーム競技、定められた時間内で対戦チームの選手を手技、行為により終わらせた人数を競う。チーム代表選手の手技や行為の熟達度と、チームの耐久力の総合的な能力を競う。10分耐えたらNNというワンズの有名企画は本競技の亜流である。
男女ペア、同性ペア、男女複合チームで競われる。競技をどの程度持続させることが出来るかを競う。熟達者ともなれば1昼夜は可能であるため、チーム戦ともなると数日に及ぶこともある。標準的な限界時間をK点とよび、K点越えの場合はK点内の終了回数・平均時間で評価し足切りとなる場合もある。
自慰停止期間の申告に虚偽があった場合は反則となり失格処分を受ける。また自慰停止を行う場合は申告に従い貞操帯着用を義務付ける。
https://anond.hatelabo.jp/20180518235504 の続きです
長くなったので、途中から再開です
2018/5/18に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第1部,第2部に参加してきました。12日の主演公演第3部で体調不良を押してライブを行った千早の、その後の体調や回復が心配されていましたが、上記2公演では超完全復活とはいたらなくともしっかりとした歌声を披露し無事に公演を成功させました。今回はまともな口コミレポートを作成し、今後の展開を応援するためにも全体的な内容と感想をまとめたいと思います
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
●公演の概要
●MR公演に感じた魅力
私はあまりにも千早の体調が心配だったので神経尖らせながら聴いたのですが、二ヶ所くらいちょっとだけ気になるところがありました。でもそれだけです。
すごい敏感になったやつが、何かそういった兆しがないかと思いながら聴いてもそれだけです。
たぶん始めてきた人たちは、ぜんぜん気にならなかっただろうし、歌もバッチリ歌えてました。
一つ前にも書きましたが、彼女は今、自分が実現できる表現と言うものを熟知していて、それによって舞台を十分に表現したのです。
千早が鼻歌交じりの登場。そして口ずさむ曲は「ハロー*ランチタイム」。
私は感動のあまり崩れ落ちそうになりました。
先ほどリクエストがあったけど歌えなかった曲、それを彼女は歌いながら登場したのです。
先ほどのPがまた居たかは分からないですが、少なくとも連続して参加していたPは彼女が、また来てくれるかも知れないあのPのために歌ってくれたと分かったはずです。
彼女はハヤシライスを食べたらしいということで私の夕食は決定しました。
久しぶりに食べましたが結構おいしいですね。自分でつくるのは大変なのでなかなか手が出ないですが。
さて、歌リクエストタイムですが今回も「二人で決めたトリの曲はなんだったか」という話でプロデューサーとやり取りします。
それでも、ラストの伸ばしなんかはすごく伸びやかで、音域的に厳しいところがありながらも歌える部分はしっかり声が出ててたという感じなのかなという印象です。
2人目はこっち側の真ん中辺りのこんな格好の…という指定の仕方があだとなり、該当する人が2人になるという事件発生。
じゃんけんでも決着が付かなかったので、二人に聞いてみることになり「眠り姫」と「細氷」が選択されました。
あまりにもキレイな選択に皆頷きつつ、千早は細氷をアカペラで歌唱してくれました。
ここでもキーは落として歌っていましたが、最後のロングトーンをキレイに伸ばすためだったのかと思います。
会場は感動の拍手でした。
その後、千早はいつかこんな風に舞台裏で歌っていたことがあってプロデューサーがそれを黙って聴いてくれていたことがありましたね、と思い出話をしてくれました。
私はアニマスの4話を思い浮かべたのですが、もしかするとアイマス2にそんなシーンがあったりするのでしょうか。
何にせよ千早が自分達と歩んできたことに言及してくれるのは何だか感慨深いものでした。
その際ちょっと気になる話があって、実はさっきも裏で歌っていて女性のプロデューサーに声をかけてもらったという話を千早は続けました。
舞台裏で何かあったのかもしれませんが女性のプロデューサーというのが誰なのかちょっと気になりました(りっちゃんじゃないです今日は舞台に立ってるので)
自意識過剰な私はそのあたりでなんとなくざわざわしていたのですが、その後彼女はプロデューサーが舞台に立って歌ったらおかしいよねみたいな話もしていました。
変に動揺したせいでまた会話のデティールを思い出せないのですが、なんとなく先日の私の発言と重なる部分があっていろんな意味でちょっとどきどきしました。
今回は舞台上に合った謎の小包を開けてみるとそこに水着が発ったという展開でした。
投票ではほぼ半々という展開で、千早もなんだかんだ水着もありか?見たいな反応だったのでドキドキしたのですが、最後は千早がやっぱりディーバにしますね!と元気に選択。
プロデューサーがイタズラで用意した水着には騙されないぞ!といっている彼女はキュートでした。
最後の激励の一言でJの18番Pが指名され、「全力でいけ!」と応援したのですがなんと千早は「全力だけでは分からないから、ちゃんと指示するまで待ちます!」とPを追い込む!
うまい言葉が出てこず窮するPを会場が応援するというなんともほほえましい事態になりました。
最後は「歌唱力振り絞れ」と言う言葉に千早も「あの曲は全部出さないと歌えない」と納得し、彼女はラストの曲へと向かうのでした。
1部もそうでしたが2部の千早もなんとなくめんどくさい返答や千早的リアクションはありながらも、どこかかわいらしくやさしい千早が観られました。
これは結構他では見られない貴重なタイプの千早であり、その魅力は私を含む多くの人々の心をより強くつかんだでしょう。
「眠り姫」も高音部に調整を入れたりはせず、キッチリと歌いきりました。
私はまた地蔵になって聴いていました。
所謂、圧倒的歌唱力による空間を揺るがす表現とは違いましたが、丁寧で情緒あふれる表現力の行き届いた歌声は高い技術を感じさせるものでした。
それが彼女特有の「魂にくる」タイプの歌い方だったので、私は余計に感動し、より強固な地蔵となるのでした。
最後の挨拶。こちらは本当の機材トラブルが発生してしまい、千早がまだ言いたいことがある途中で、舞台が暗転してしまいました。
「プロデューサーどこにいますか?」と戸惑う千早の声があり、しばらくすると光が戻ったのですが、千早が最後の挨拶を言うそのタイミングで音響のスイッチングに不具合が発生したのか、断続的に眠り姫のイントロだけが連続して流れ、千早の声が聴けなくなってしまいました。
ただ、本当に最後の最後には千早の声も聞こえるようになり、「これからもプロデュースお願いします」という挨拶は受け取ることが出来ました。
私としてはお金と時間の許す限り(千早の公演に限らず)何度でも足を運びたいと思わせるイベントでした。
ただ、少しぐらいは課題にも触れないとレポートっぽくないのでいくつか気になった部分に言及します。
奥行きがあり前後でフォーメーションを変えるダンスは躍動感があって魅力のひとつといえますが、まだその幅はかなり狭いようです。
具体的には前列、後列の選択肢ぐらいしかなく、その列の間もさほど余裕があるわけではなく前列のアイドルのすぐ後ろに後列のアイドルがいるといった遠近感でした。
そう考えると5人でちょっと疎な円になるといったゲームでよくあるタイプのフォーメーションを組むのはかなり先の課題となりそうです。
ただ、キャラクター単体の立体感は十分表現されており、ソロやスタ→トスタ→などのデュエットではほぼ気にならず、トリオの場合も動きによっては若干狭さを感じるぐらいだったので、人数が多いときの課題といえそうです
その意味でも、DMMVRシアターでは、同時五人が限界だと思います(現在の公演も同時に躍るのは5人が上限)。
また、角度が強いと若干見えかたが平面的になる気もしました。
"角度が強い"というのは前のほうの列の右端から舞台の向かって左端を見たときといった感じです。
ユニットパートは音源も固定でゲーム流用なので表情も豊かなのですが、今回の千早のソロについてはあまり表情に変化が見られなかった用に思います。
歌った曲が歌った曲なので千早の歌の性質に合わせたのかどうかまでは分からないですが、リアルタイムで毎回変わる生の歌に対してモデルの表情を合わせるのは難しいのかもしれません。
特に今回の千早の公演では私自身、同じ歌に対する表現方法の幅を感じたので、実際に表情までリンクさせる(最低でも不自然な表情にならない)というところまでもっていくには壁がありそうです
幸か不幸か、これに気づいたのは前から5列目ぐらいで参加した第2部が初めてでしたので、真ん中より後ろのほうだともしかするとそこまで表情そのものをつぶさに観察することなく楽しめる可能性は有ります。
たぶん、気にしてみようとすれば会場も大きくないのでそれなりに認識できると思いますが。
ごくまれに動きがカクついて見えるときがありました。あれは明らかに描画遅延が起こっているのでソフトウェアかハードウェアかの技術的な壁たと思います(MRの性質上避けられない類のものではない)
2部ラストの音響切り替えトラブルはマシントラブルと言うよりヒューマンエラーだったような気がします。
特に暗転から復帰後のトラブルは対処法をミスって二次被害を出した風にも見えます。
これについてはそもそもMRライブの技術者がいるのかと言う話になりそうです。
たぶん人数も少なければ熟達した人が居るといえるほど分野全体の歴史が長くないのではないかと思うのでここはわれわれが支えてMRの業界を潤わせるしかないでしょう。
18日の1部、2部公演に参加し、12日に抱いた複雑な感情を千早に落ち着かせてもらえた気がします。
かわいらしい彼女に出会えて、すばらしい歌声を聴けて、本当にうれしくなり、感動し、安心しました。
トラバ来てると思ったら知らない人に勝手に返信されてたから寝る前に書いとくけど、行政機関の動向はさておいてもはてブとかでは「劣悪な家庭環境で育ったために若者が貧困の連鎖に~」とか「真面目一徹で頑張ってきた若者が社会に殺される~」みたいな増田とか経済記事しょっちゅうブクマされてるし大体うるわしいコメントが並んでる(それが悪いことだとは別に思わないけど)から、少なくとも“良識派”界隈ではキモいというだけで前途ある若者を黙殺することはないと思うよ。オタクとか田舎育ちで中卒みたいなその界隈の気に入らない属性がある場合は知らないけど
というか若者って基本的に金がなくて、容姿の善し悪しによらず社会に熟達した人間から見れば大概振る舞いがなってないように見えるからそんな気にせずに自分の立場で言うべき物言いをしたらいいと思うよ。別に事情知らないけど
とりわけ、うどんがいいらしんだけど、はっきりと言って飽きる。毎食うどんとかヤバい。いや、別に毎食まで食べなくてもいいんだけど。
あと、消化に優しい食事ということでググると、「和食をとりましょう♡」的なことをロハス的なノリで書いてある親切なサイトが沢山みつかるけど、和食がそれほど好きじゃないから、胃や腸を痛めているのであって、おまえは俺のことを何もわかってない、とキメ顔で言いたくなる気持ちがわかりますか。
俺が食いたいのは脂っこいものとか、辛いものとかなんだよ。それが好きな人間に、「和食とりましょう♡」じゃねーよ。
俺が求めているものは
1.まず、『野望の王国』風味のキリッとした顔で「うむ。お前の要望はわかった」と言ってくれる、健康食に詳しいシェフ
2.そして、その上で「まず、そういう人間におすすめする健康食はここらへんがビギナーゾーンだ。」と言って、洋食系のうまい健康食を5レシピぐらい教授してもらうこと
4.そのうち50ぐらいの方向性の違うレシピに習熟すること。そのうち和食が2割ぐらいは含まれててもよい。6割は洋食にしたい。
7.「オーガニック系の店とかって、実は自分は、あのノリは、ちょっとうんざりしていた…だけど、健康食を求めるとどうしてもなあ」というタイプの人々を、帰依させる
いまのところ、吉野家の「ベジ牛」はある意味で、おれの求めるものにマインドとしては近い。ただし、あれは健康志向だけど、消化吸収に優しいというのがメインコンセプトではないからなあ。あと、結局、ガチ健康クラスタには、さほど評判よくないらしいしな…。
つーか、健康がどーたらとか言い始める歳になる40代、50代のおっさんたちは、連中はけっこう金のかかる店に行っちゃうから、比較的安価な外食文化のなかで、健康志向を考えると、どうしても、ロハスOL系とかの勢力圏が一番強くなってしまい、そこに話が集中していったり、そもそも、50代のおっさんとかは、「和食でぜんぜんOKです」的な人が若い人よりは多いのだろうなあ…。
結局、相対的に貧乏な我々世代が、健康を考えるような年代にみんなどんどんと差し掛かってきたときに、ベジ牛的な商売がもっと盛んになっていくのかなあ
一部の欲求だけだと思っていたが、意外と多くの欲求が減ってきている。
つまり、認めたくはないが自分という人間の天井が見えてしまってきた…という事かもしれない。
認めたくはないが、客観的に考えると、何かに飛び抜けようとすると、それに習熟する時間と努力はどうしても必要となる。
歳食っている分、応用を利かせられたり、端折るところは端折れるので、若いころと同じことはしなくていいのは利点ではあるが、それでも、熟達には数年かかり、それを更に昇華させて勝てるレベルにまで持ってくるには+という所。
仮に後20年あるとすると、そのチャンスは5回ぐらいしかないわけで、その間他の事ができないと思うと、色々諦めざるをえないのだ。
今、ちょうどExcelを使っている所でこれを書いている。
何故書いているかというと、XMLのデータのインポートを待っているからだ。
若い時は、Excelで全てをこなそうとする日系企業、はたまたドメ会社を心の底からバカにしていたのだが、年月が経ち、結果としてExcel最強説を私めが、提唱させていただきたい。
昔Excelが嫌いだった理由は、1 ダサい 2 ダサい 3 ダサい 4 経理じゃないんだから 5 これだけ洗練された仕組みがあるのにExcel使ってるの? 6 ダサい 7 重い
昔の自分へ、反駁を試みたい。
Excelの素晴らしい所
・大抵の会社と人が使っている (若しくは互換性のある仕組みを使っている)
大学の研究室であれば、実験的なものを使うことでもよかろう。しかし社会はそうなっていないのだ。近所の八百屋も取り敢えず使い方は分からないまでも、Excelが入っているものなのだ。
これは大きい。
逆に言うと、これだけ日本で浸透しているからこそ、ダサいとも言えるのだが。
よくExcel方眼紙否定論者を見かける。こういう奴らは、Excel方眼紙の利点を理解していない。Wordでやってみろ。計算がスムースに出来ないではないか。結果Excelで良いのである。
Excel否定論者は、否定したいがあまり、過去のExcelのイメージしか持っていない。実際長いこと使っていると、Excelが表計算ではなく簡易的なデータベースとして大きく進化していたり、フォーマットの違うファイルを取り敢えず一回Excelに入れて吐き出しをさせるなど、文字列の扱いが遥かに得意になっていることに驚きを禁じ得ない。
・VBAや数式など
以前はマクロ信者をただの狂信者だと思っていた。今でも一部はそうである。なぜならマクロ信者や数式教徒は、可読性を一切考えないオナニーしかしないからである。
しかし中級程度まで熟達すると、多くのオフィスワーカーを不要にしてしまうすぐれものである。
そろそろ30M程度のXMLを直感的に操作するためにインポートも終わる。もちろんこれだけ言ってもExcelはダサい。ダサいがゆえに枯れている素晴らしい仕組みなのである。
#加筆
しかし、逆に汎用的なツールになってきた事で、かなり重くなりつつあり、複雑な事をしないものはGoogleスプレッドシートに最近移管した。色々難しいもんである。
内的な楽しみとは、己の成長。
それら決してゲーム上では表示されない、内的な向上感覚にこそ、ゲームの楽しみの根源はある。
だが内的な向上感覚というのは判りにくい。
そのため、得てしてゲームデザインは外的な「ステージ」「ボス」「対戦相手」「スコア」といった物にその感覚を仮託する。
「ステージ」のような決まりきった構造物や、「ボス」のような一定のAIならいいが、
「対戦相手(人間)」となると、全てのプレイヤーの内的向上を認め、褒め、フィードバックしてやることができない
こうなった時、こうしたゲームデザインが仇となる。
プレイヤーは「相手を打ち倒す」という外的な要因に楽しみを見出すようになっているため、
内的な向上と、それを図るゲームプレイについて意識が向きづらくなる。
こうした場面で、対戦型ゲームの側ができることは3つしかない。
内的向上を図れるシーンを紹介してやるか、内的向上がなくとも安易に「打ち倒す」快感を与えるモードを提供するか、何もせずプレーヤーに委ねるか。
http://gigazine.net/news/20140213-fixed-vs-growth-brain/
「固定された思考態度」は根本に「自分をよく見せたい」という欲求があるため、失敗する可能性がある挑戦を避けたがります。
障害にぶつかった時のあきらめも早く、努力は実を結ばないと考えがちです。
批判に対し、例えそれが有用なものであってもネガティブな意見であればフィードバックを無視してしまい、他人の成功に脅威を感じます。
そして自分の能力を出し切ることができず、早い段階で能力の伸びが頭打ちの状態へと移行してしまいます。
一方「成長する思考態度」はまず「学びたい」という欲求から始まるため、挑戦を喜んで受け止め、逆境にぶち当たっても粘り強く堪えます。
努力は熟達への通過点と考え、批判から学び、他人の成功からも学んだりインスピレーションを受けたりするという流れ。
根本にあるのが「学びたい」という考えのため、全てを雪だるま式に吸収し、高い成功レベルへと到達できるというわけです。
・・ここまで引用・・
成長したいと思う分野内においては色々見るし吸収するけど
それ以外(つまり全く興味がない分野)にはほんっとうに手を出さない
昔は色々やってみたような気もするけど
唯一出来る分野、向いてる分野があって
それだけは続けてるんだけど
それはもう始めてやったときから今までずっととにかく「好き」なことだった
自分の感覚にフィットするというか、これが向いてる、私の才能はこれだっていう感じがずっとある。
今でもそう
好きなので続く。
やり続けてると辛いこともあるけど、それすらも楽しいというか
他の興味の持てない分野はやり始めたときの違和感、どうしても楽しいと思えないもやっとした感覚、
疎外感、劣等感などが強すぎて続けるに至らない。
好きなら徹底してやれる
嫌い/興味がないことは出来ない
それって私の中では「いいこと」なんだよ
興味があるものにだけエネルギー注げることって素晴らしいと思うんだけど
視野が狭いって人から助言されてから「そういうことなの?」って疑問を感じだした
それでも現時点だと、好きなこと以外のことに労力割きたいとは全く思えなくて
これが良い物と見分けられる目を持つこと自体、その分野のマニアであったり余程の見識が無いと判断できないんだよね…。実際。
音楽を例にとると、未だ誰にも知られていない内から、その商品の価値を見抜き、可能性を感じ、
ファンになって3年後、5年後にビックになるアーティストだ!と目星をつけられるには音楽に熟達していないといけない。
次の時代の主流になる何か?を、卵の段階から見抜き、創造に参加できること自体、そこそこのスキルがいるというわけだ。
なので、皆、投資に失敗する。
大衆の意見は正しい、というが多くは間違っているから大衆は投資に失敗する。
何割かは当たっているところもあるかもしれないが、あくまでも何割かだ。