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はてなキーワード: 新海誠とは

2023-01-05

直近の新海作品3作について(ネタバレ

まりにも話の流れが同じではないか

・AがBに出会

・厄災到来

・Bが生贄になれば厄災から人類は救われる

・Aが↑に気付き、Bを救うため奔走する

・Bが生贄となった謎の鍵は日本神話

・BはAのおかげで生存

この一連の流れを、いろんなパターンでやっている

これについての批判もっとなされているかと思ったのに、すずめ批判震災関係ばかりで拍子抜けした

新海誠作品秒速5センチメートルしか他に見ていないが、全然神話とかかすりもしていなかったはず…

2022-12-31

バンドってなんでこんなにアニメと相性がいいんだろ

基本、ウケるよね?アニメバンド物やると。

アニメバンドを描いたものって涼宮ハルヒとかが始祖になるのか?

よくわからんけど。

基本好意的に受け止められてときどきバズって稀に大ヒットする。

もう世の中のアニメ全部バンド出しとけばいいんじゃないか?

ガンダム水星魔女とかもロックバンド結成の話に路線変更しろよな。

宮崎駿ロックを描け、あと新海誠も。

細田守は…、まあ好きにしろ

2022-12-28

anond:20221228222637

オタク作品の中で一般人に受けてるもの今後求められていくものポリコレフェミ化して脱臭された、ただ絵柄が漫画風というだけのキレイオタク文化だよ

キモくて萌え性的ロリもの増田の思うほど世間に受けてない

宮崎駿とか新海誠とかですら非難轟轟なのに今後それ以下のクリエイターがなんかしたところでな

価値観アップデートされていない表現規制

山本直樹インタビューを読んで、いつの時代の話だと思ったのだが、はてブでは賞賛する人が多いようで意外だった。

僕らはこっちの棚でやってるからカーテンを開けなければいいだけ。けど、表現の自由戦士は「カーテンをぶち破れ!」っていうし、もう一方は「カーテンの向こうを潰せ!」って。

既にゲームアニメカーテンの中には納まらない経済規模になってるってことを山本直樹表現規制派も分かっていない。

かに昔はオタクカーテンの中にいた。

一般人オタク馬鹿にすることが多かったので、オタクカーテンの中で楽しんでいた。

音楽番組ランキングアニソンが出てくるとと失笑されるあの空気とか覚えている。

でも今はオタク馬鹿にされる存在でなくなった。

原神やウマ娘といった昔ならオタクゲームとみなされただろうコンテンツが数百億数千億を売り上げている。

abemaがW杯無料で中継できたのもウマ娘の金があったからと言われている。

東京オリンピック開会式でもアニメゲームが前面に出されていた。

映画ではオタク作風新海誠が100億越えの興行収入を連発している。

かつてカーテンの中にいたオタクメインカルチャーになってしまったのだ。

さらカーテンの中に帰れと言われても不可能な話なのである。。

山本直樹認識は2000年代初頭までのオタク馬鹿にされていた時代で止まっている。

そして表現規制派はオタク馬鹿にされていた2000年代初頭以前に押し戻そうとしているのだ。

それは不可能なのだ

ただ自分はアラフォ―のオタクなのだが、正直言うとJR大阪駅広告批判されるのはわかる。

艦これとかウマ娘とか女体化して愛でるのって、カーテンの中でやるものだよねという意識自分にも残っているので、ウマ娘広告がドーンとあったりすると「あ、大丈夫かな」と反射的に思ったりする。

しろ若い世代オタク的なものが広範に受け入れられている状況に戸惑う。

でも、そういう時代なんだよね。

オタクカーテンの中に帰れ」というのは「女は専業主婦で家にいろ」と同じように聞こえるんだよね。自分には。

いや、いまさらそれはムリでしょ、そこには戻れないでしょ。

2022-12-27

宮崎駿作品見てもなるほどー(虚勢)て感じだぜ

アニメとか何も知らんやつが、適当漕いてる文章なんで。お前はそう思っとけ、ッて言う感じの落書きです。真に受けないでね♡

もともと子供とか十代の頃に見たせいってのもあるのかもしらんけど、駿作品なんか変じゃない?

変て言うと不確かかな?エンタメとして作られて無いのがわかるって感じかな

エンタメとして売り出してて最低限その体裁は整えてはいるけど、エンタメにゲージは40%くらいで視聴者がぎり怒らないレベルにおさえてて

それ以外のこだわりポイントとかを作り込んでるって感じかな?まぁそういう作品があってもいいけど、面白いって言われると、面白くはなくはなくないか

流石にクソ映画とは比べ物にならんほどクオリティは高いんだけども

ナウシカとかラピュタあたりは完全にエンタメ優先で作られてて、面白いことこそが前提で、思想とか監督趣味はその後。っていう空気がまだよめるんだけど

もののけ姫とか千と千尋あたりから?は?どういうこと?これ見て考察しろってこと?考察しないと面白さがわからんってこと?

みたいなのが多くなってきてて、「エンタメ」としての力みたいなのは明らかに落ちてるんだよな。落ちてると言うか創作サイドとか駿先生もわかっててわざとやってるんだろうけど、視聴者に対する信頼感といえば聞こえはいいけど、投げっぱなしとか、甘えが見えて透けるっていうのかな。

いいすぎかもしれんけども。トトロはこどもの俺が見てもめちゃ面白かったし、面白かったし、多分おっさんの俺が今見ても面白いだろう。

でも、中学生の俺はもののけ姫千と千尋意味わからんくて、はぁ?って感じだったしな

宮崎駿作品視聴者に甘えてるのは確かだと思う。そのせいでエンタメとしての力は下がってると思う。

から国民新海誠とかの新しいアニメ映画を求めたんじゃないのかな。ジブリ巨匠になってしまって、敷居が高い専門家が見る作品になってしまった。

専門家以外は見ても意味わからんからな。普通の人は見なくなる。

駿先生アニメ力が神レベルに到達してしまってて、一般人の俺には、何を見せられてるんだ……。ってなることが増えたんかなぁ。

格ゲーとかも90年代後半は無理だろっていうコマンドとかコンボ前提の仕様になってて素人お断りになってたけど、ジブリアニメ素人お断り感が感じる。

ポニョ見てねーから知らんし、そんな視聴体験をしたせいでポニョはいいやっていう気持ちになってるのですのよね。

そんなお気持ち。みたいな気持ち

好きなジブリ作品ラピュタ猫の恩返し。好きなディズニー作品ファイアボールズートピアです。

2022-12-18

新海誠アレルギー細田守アレルギーになってしまった

新海誠アレルギーには秒速5センチメートルみただけでなった

細田守は好物だと思ってたけど独立後の作品でジワジワ体調崩して竜そばで完全にダメになってしまった

ミライもいま思い返せば致死量だった

anond:20221218122542

新海誠風の とか、宮崎駿の みたいな形容詞を選ぶコツがあるはず。

そのあたりをまとめたサイトがあると思うので、正しい呪文を探しまくれ。

2022-12-12

鬼滅が図書室にあるよりは新海誠さんのヒットかなあ

鬼滅が図書室にあるのはすごいとは思う。

ただ昔からワンピースNARUTOとかのジャンプ漫画は読んでいてもオタクとして迫害はされなかった。

個人的オタク迫害がもうなくなったと感じたのは新海誠さんのヒット。

新海誠さんはminoriっていうエロゲー会社のオープニングとかを作っていたこともあり

絵も美少女アニメっぽい絵だと思う。

それが国民映画監督になったあたりで時代は変わったんだなと感じた。

電波ソングブルマーそれからオーストラリアブルマー画像


前回、学校園との体操着の変遷についてまとめると書いたが、気が変わった。

方針

電波ソング歌詞DBからブルマ」という歌詞を含んだ歌を検索する。

ブルマの秘め事

「バトルアスリーテス 大運動会」という1997年から1998年にかけてのメディアミックス作品の曲。OVAヒロイン夏樹リオが歌う曲。SFスペースオペラスポ根ものらしい。

赤 青 黄色 白 緑 あずき コーヒー ゆず さくら

どの色も金色メダルを目指してる

コスモビュティーになるまで履き込め ブルマ値打ちも上がる

ミニスカの下に履いたらいきなり ブルマ値打ちは下がる

……。

お兄ちゃん放課後のひ・み・つ☆

いもうとブルマ」というあまりにもそのまんまなタイトルゲームOP2002年

主人公と幼馴染の姉妹の親同士が突然再婚し、幼馴染の姉妹自分の義妹になった。良好だった関係がふとした関係性的ものとなり……みたいな話。

体操服とブルマだけでなく、レオタード水着チアリーディング服などを収録」だそうな。

放課後の体育倉庫に 突然呼び出されて(みたら)

お兄ちゃんったら も・う・エッチ

 【ななる】『ふあぁん……お兄たん、ブルマの上から擦っちゃいやぁん』

はいアウト。

絶滅回避ブルマー☆絶対“妹”領域

いもうとブルマ2というあまりにもそのまんまなゲームの続編。中身も親の再婚により突然4人の義妹たちの兄になってしまうというもの2006年。ちなみに歌っているのは上の人と同じ萌娘。

全国各地で ブルマが消えてる もどかしい 痛ましい

くいこみブルマは 不滅なり われらの煩悩ある限り!

内容が妹とブルマーに関する欲情なので以下自主規制

関係ないけどブルマフェチにも裾だしと裾たくし込みフェチや、食い込みやハミパンフェチと区別があるみたいだ。

ガンダムパロディ多し。

MY MOTHER AS A DOG

「こすままにあ」というゲームより。2003年

ストーリーは、彼女との初体験挫折した主人公を、義母が教え導くものコスプレの一つとしてちょっと言及されるだけである

ブルマハイレグロリータ

ネコミミ尻尾着ぐるみ

Princess Party ~青春禁止令~

2009年のPrincess Party〜プリンセスパーティー〜というエロゲOP

古いゲームなので情報が少ないのではっきりしたことは言えないが。メインヒロイン青春禁止令を出しているそうだ。ただ、キャラの振る舞いとしてはツンデレ風だとか。

 スク水やぶいて穴から突撃

 ブルマは脱がして燃やせばいいよ

 絶対領域 分割統治

 接待麻雀 ふんどし 放置ハイ!)

暴挙

エプロン

2004年はるのあしおとというエロゲ

片想い相手が同僚と結婚することを告げられて、何も言えずに田舎に帰ってしまった主人公が、伯父の代理として教師をする物語で、OP映像があの新海誠である。そういわれてみれば主人公のうじうじ具合もそんな気がしてこないか

それと、「ほしのこえ」ではヒロインブルマー姿があったよな。

以下は妹的な立ち位置メインヒロインキャラソンのようだ。

 『続いてマット運動! ブルマに着替えてでんぐり返し

 えぇーっ?! 水着は? ねぇ、水着はどうすればいいの?

 『1・2・3・4・5・6・7・8』

エプロンだけは取らないで!

2001年に連載が始まったみづきたけひとによる「こはるびより」という漫画があるが、これを2007年OVAにしたものOP

人間と同等の容姿能力を持つメイドロボが実用化されている時代舞台に、オタクフィギュアマニアのご主人様にあくまメイドでなく愛玩人形として扱われているメイドロボが、その使命とのギャップに悩む話、らしい。

1000歩譲って着せかえOK

普段着 晴れ着に スク水 ブルマ? ♪なんじゃコリャ

これもブルマーそのものではなく、数多くのコスプレの一つとして出てくるに過ぎない。

ぶるまー2000

anond:20220613080116ブクマにて載っていたので掲載

「ぶるまー2000」というゲームの曲。2000年ゲームかな? ジャンルが「ケツゲー」。なんじゃそりゃ。エロゲジャンル、いや、エロゲだけに限らないんだけど、ジャンル説明説明になってないケースって多いよね。

ちょっとよってね 私のお店 あなたを待ってる ブルマっ娘

 紺に エンジに 緑に 水色 サイドラインのあるのもないのも

 よりどりみどりの ブルマっ娘

 ブルマ世界秋葉原 ぶるまーず☆

内容はここによれば、「地球全土のブルマー化を目論む「BB団(ビッグブルマー団)」と世界微妙ブルマバランス監視する国際ブルマ機構MIB(ブルマーの男たち)」の抗争の中、大陸間弾道ブルマーが発射される」らしい。

エロゲではときおり正気を疑う設定があるので面白い個人的には設定がぶっ飛んだソローキンとか読むのが好きなのでこういうのは嫌いじゃない。

なお、ゲーマーズパロディだそうな。

参考:バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳「ちゆニュース - 歌関連」

「みつめて☆新選組

行殺 新選組」の主題歌2000年ゲーム

Wikipediaによれば「ライターの大澤良貫は、書籍美少女ゲームマニアックス』に寄せたレビューの中で、新撰組を題材としたアダルトゲームというと冒涜のように見えるが、実際は歴史ファン幕末ファンをうならせるようなマニアックで愉快な作品に仕上がっていた」らしい。

一つ ブルマ絶滅したら切腹

と、何が何でも切腹が繰り返される曲である

参考:同上

結論

おまけ、オーストラリアブルマ画像

「scungies」「basketball」という単語検索をすると、以前の記事のようにバスケでブルマーをはいていた証言がたくさんヒットした。

以前と重複するのもあるが、貼る。記事を見ると豪州では90年代までブルマーは現役だったようだ。

ブルマーの流行ショーツ化、廃止の流れは日本だけの現象ではなかった傍証がまた一つ増えた。

https://www.facebook.com/coffslocalhistory/photos/back-to-school-orara-high-school-coffs-harbour-1980-junior-basketball-team/1075844562581107/

https://www.facebook.com/mvbasketball/photos/a.578919878830876/3029438987112274/?type=3&paipv=0&eav=AfZzVEZHYomM4X2lvhKy2-0kTB9TjozOZIV3dal64YIMi7C94AGnwdwuCfOhGo3DaHQ&_rdr

https://www.facebook.com/thecanberrapage/photos/a.157184407655728/7718097748230985/?paipv=0&eav=AfYSav0TfxbsNVDMjw34KsSPz-t4bQP_t7DsDyV7MpzigklbY15otILgDFLEY_DP7Ps&_rdr

https://www.facebook.com/bibsnskirts/photos/a.245704185447177/245704202113842/

(これはネットボールか)

あと、こちらの拒食症を扱った記事では、陸上でもブルマーをはいいたことが記録されている。

https://www.smh.com.au/lifestyle/health-and-wellness/sarah-berry-eating-became-my-enemy-because-it-was-the-only-thing-i-could-control-20170309-guu8vb.html

関係ないけど、体育の教科書なんかだと、普通体操着以外にレオタードを着ている女子生徒が映っている。普通体操着以外の体操服を注文させられる学校が昔はあったんだろうか?

こちらでは男子が短パンなのに対して女子ブルマなのは「不完全」に感じられるということが書いてある(ななめよみ)。

https://sirensport.com.au/op-ed/lycra-wars-when-one-size-does-not-fit-all/

ざっと書いてしまったが以上。

2022-12-06

新海誠苦手民だけど、すずめの戸締り良かった

新海誠のクセの強さがだいぶ減ってた

若干ジブリっぽくもあり、青臭いややキモい青春もないし

テーマが重いので終始シリアス度が高い

そんで作画力はやはり異常に良い

 

この感じなら本当に国民的なアニメポジションだと思う

前のジブリ枠のような

前作まではまだそんな感じしてなかった、新世代向けって感じしてた

 

新海誠最初の頃から苦手だったけど、ついに変わったようだ

苦手民も一度見てみて欲しい

https://anond.hatelabo.jp/20221115003726

日本クリエイターはこれまで被災地被災者の恐怖体験ゼロ地点に戻すことはしなかった。それは被災者の悲しみが風化することと、震災を風化させないことを同時に祈ったからだ。

当時のニュースのような直接的な恐怖体験をどのように暗喩として映し出すかに心を砕いてきた。だが新海誠はその祈りにも似た形を生ぬるいとして破壊した。風化が怖いなどと政治家のような天皇のような視点で。青臭い子ども恋愛もので2人を切り裂く障害物のように最高で最低の舞台として利用した。

被災地社会だ。天気の子のように「もともと狂った大人社会」などどうでもよかったのだ。

すずめの戸締まり 新海誠 映画

AIの発展で新海誠竜騎士07みたいな個人の才能が出てきやすくなると思う

いくら才能があっても、人手がないと作れない労働集約的なコンテンツだったりしたもの

RPGツクールみたいな感じで個人で作れるようになりそう。

正直ひぐらしのなく頃にも絵としては同人ゲームから許容されてたレベルだったし。

2022-11-29

新海誠作品による説明不足のジレンマについて

先週はじめてすずめの戸締りを見て、やはり新海誠作風ファンタジー要素を入れない方がうまくいくんじゃないかと感じた。

秒速5センチメートルからファン作品を追っているけど、新海誠作品真骨頂説明不足だけどそれを補完できる(または想像を膨らませることのできる)表現力だと思う。

それが最大限に出来ていたのが言の葉の庭だと思っていて、あの作品は雪野先生がどういう状況に立っていて、何故公園に来るようになったのかを描かず受け手想像させることによって

主人公から見た雪野先生の謎めいた美しさが際立って見えていると思う。

尚且つ終盤に主人公自ら雪野先生過去を、表面的かつ客観的に人づての情報だけで自分の中で処理して行動している。

ここでポイントなのは映像作品だけを見ると、そもそも何故雪野先生いじめターゲットになったのかが

全くわからないということ。

このいじめに至る経緯は小説版を読めばわかるのだが、それをせずとも

主人公の行動原理理解して感情移入が出来るのは国語テストで言う

「この場面での~の考えを答えなさい」が分かりやすく、説明がなくとも大多数の人間が正解を導けられるということ。

君の名は。以降の作品特にこの行動原理について説明なくとも分かるでしょ?が行き過ぎていて、置いてけぼりになる(若しくは疑問に思ったことが頭から離れずモヤモヤながら見しまう)

ということに繋がっていると感じる。

勿論映画は何も考えず直感的に楽しみ、その後に考察小説を読んでみるなどで作品輪郭を把握していく楽しみ方もあると思うので

個人意見として。

2022-11-28

anond:20221127100615

そんなこと言い出したら、新海誠の新作映画が封切りされても、BTSメンバー兵役に就いても、村田兆治が亡くなっても、ポケモンの新作が発売されても、大河ドラマ最終回を迎えても、別にお前の人生には関係ないのに喜んだり悲しんだりしてるじゃん

実際、(サッカーはもちろんのこと)これら全てに興味が湧かないので喜びも悲しみもしてないんだよな……。俺は「日本代表が勝ってもお前の人生には関係ないじゃん」なんてわざわざ言ったりはしないけど。

2022-11-27

「すずめの戸締まり」における、セカイ系問題解決方法驚愕した

ここでの「セカイ系問題」とは、二人の関係性を選択した場合社会が甚大な被害を被る場合に、関係性と社会のどちらを選択するのかといった意味造語である

その問題に対する「すずめの戸締まり」での解決方法は、ちょっと驚きだった。

前作「天気の子」の鮮やかな選択を知っているだけあって、今作での本問題に対する結論は、かなり驚愕であった。

以下ネタバレになるが、今作ではファンタジカルな第三者が現れて、その問題解決するという解決方法だった。

いや、第三者が現れて「セカイ系問題」を解決すること自体は、根本的に正しい。

多くの作品子供として存在する主人公が、その対立問題を一手に引き受ける必要などみじんもない。

そこを例えば、大人である私たちが導くなりカウンセリングするなりして、問題の糸を解いていくのは、本当に根本的に正しい。

しかし、それは解決者が実在する人間であった場合だ。

「すずめの戸締まり」では、その役割ファンタジカルな存在に投げてしまった。

ファンタジカルな存在解決するということは、社会が何も手助けしないというのと同義だ。

新海誠は、本作を多くの人に届く作品にしたい旨の発言インタビューでしているが、そうすると、こういう展開が社会の多くの人々が望む展開なのだろう。

すなわち、「セカイ系問題」みたいな個人的かつ社会への影響が大きな問題には、社会コミットしないけれども、

社会が甚大な被害を被るのも許容しない。ファンタジカルな第三者が現れて、その問題解決されることを期待する。

という、ふざけた解決方法社会の人々はきっと望んでいるのだ。

いや、これは作品を描いた作者が悪い訳ではない。

それを、社会に受け入れられる展開として描かせる社会の器量の狭さこそが悪いのだ。

逆説的に言えば、「すずめの戸締まり」のあの解決方法は、社会の本当の宿痾みたいなものを暗示している。

前半は、人々の寛容みたいなものをひたすら示すロードムービー的展開だっただけに、その隠された社会の人々の不寛容がかなり心に突き刺さり、驚愕の声が出てしまった。

日本代表が勝ってもお前の人生には関係ないじゃん」←この理屈めちゃくちゃだろ

そんなこと言い出したら、新海誠の新作映画が封切りされても、BTSメンバー兵役に就いても、村田兆治が亡くなっても、ポケモンの新作が発売されても、大河ドラマ最終回を迎えても、別にお前の人生には関係ないのに喜んだり悲しんだりしてるじゃん

2022-11-25

anond:20221125172504

新海誠本来好きなのは小さい話と言うよりはゆっくり気持ちが動いて行くのを丁寧に描写するのが好きなんではと思う。秒速とか言の葉とか。

ドタバタ冒険活劇とかは細田守に任せて、次はゆったりと展開させる話にしても良いんじゃ無いかな。原作ありで。

老人と海とか作らしたら海の綺麗な表現が素晴らしい名作を作ってくれそう。

新海誠の次の主人公女性研修医だったら

お前ら発狂ちゃうよな。わかるよその気持ち

女で自分より頭いいとか受け入れられないもんな。

男女平等はこの気持ちに向き合うことから始まるんだと思う。

すずめの戸締り

今日見てきました。会社都合で昨日今日休みになって、家族普通に平日なので一人でふらっと映画館へ。

平日の映画館ガラガラで巨大スクリーンほぼ独り占め(正確に言うと五人占め)でした。

映画の内容はあちこちに出てるのでここでは書かないけど個人的感想としては良かった。

ロードムービー形式で話は進み移動しながら人に会い経験を深め、話が展開されて行く。その旅への共感地震への恐怖の共感もっと言うと小さい頃のすずめへ共感出来る人はすっごくハマると思う。

毎日小さな旅連続。そして人との繋がりの中で生きる、そんな日々。それは行ってらっしゃいとお帰りなさいで紡がれる日常。良い映画でした。

---

にしても新海監督、これ以上壮大な映画は作れないのではと言うくらいネタを出し切った感がある。もうこれ以上の良い映画は撮れないと言うのではなく壮大さと言う点で。

例えば宮崎駿ラピュタが一つの到達点であったように、新海誠には恐らくこのすずめの戸締りが一つの到達点では。

今度の映画作りはきっと苦しいと思うので、脚本家付けるとかあり物の原作持ってくるとか上手く切り抜けて欲しい。

2022-11-24

映画君の名は

・多分3回目

映画館テレビ放送Netflix

ゆうても最初はそこまで乗り気でなくなんとなく見始めて

最後までみてしま

新海誠監督三部作として見るとすごくいい…

新海誠本で流れ教えてもらって見るとなおいい…

「見た?」「見てない」紙ペンゲー

相手が見てそうな流行ものを当てるゲームです

・準備するもの 紙の束と筆記用具

最初の一人が、何かを紙に書いて伏せて誰かに渡して「見た?」と聞く

②聞かれた人は紙に書かれたもの確認して「見た」、または「見てない」と答える

③「見た」と答えた場合は、紙を公開して直前に渡してきた人に返し、答えた人の両隣が「すごかった!すごかった!」と言う

④「見てない」と答えた場合、伏せたまま他の人に渡してまた「見た?」と聞きましょう

⑤「すごかった!すごかった!」が終わったあと、または書いた人以外の全員が「見てない」場合最後に伏せた状態で紙を渡されていた人が新しい紙に何か書いて、他の人にまた「見た?」と聞きましょう

これを続け、返された紙を2枚集めた人が勝ちです

※何を見たかについては任意流行ものを入れてください(例 W杯 新海誠映画など)

元ネタanond:20221124005921

「見た?」「見てない」ゲーム

最初の一人が誰かに向けて「見た?」と聞く

②聞かれた人は「見た」、または「見てない」と答える

③「見た」と答えた場合は、答えた人の両隣が「すごかった!すごかった!」と言う

④「見てない」と答えた場合、または「すごかった!すごかった!」が終わったあと、他の人にまた「見た?」と聞きましょう

これを飽きるまで続けます

※何を見たかについては任意流行ものを入れてください(例 W杯 新海誠映画など)

2022-11-23

君の名は。」「天気の子」への返歌としての「すずめの戸締まり

ネタバレあり】

過去の重さ』と『大人子ども』について

過去の重み

君の名は。」はタイムリープすることで、過去を「変える」物語である主人公の瀧は、過去の少しずつ忘れられはじめた悲劇追体験し、不思議な力によって惨劇回避する。その点において「すずめの戸締まり」では、誰も過去を変えることはできないということが明示される。常世過去現在も混在する世界であるし、主人公のすずめは物語の終盤で過去自分出会う。しかしそれは過去を改変することにつながるわけではないし、亡くなった母親常世で再会できるようなことがあるわけでもない。死者は死者である


「天気の子」における帆高の選択は、「すずめの戸締まり」のすずめとは真逆である世界なんかより君が大事だと叫び銃をぶっ放して走る帆高に対し、「すずめの戸締まり」ですずめは大震災愛する人を天秤にかけるという選択を迫られ、愛する人を選べなかった。それにはすずめの過去震災被害経験が重くのしかかっている。「天気の子」では帆高の過去意図的に透明化されているし、帆高と東京とのつながりはどうにも希薄である


翻って考えてみて、「君の名は。」の過去改変も、「天気の子」で世界よりも君を選ぶのも、エゴイスティック世界を改変する行為である。「すずめの戸締まり」では人知れず災害を防ぎ、薄氷の上にある世界を昨日と変わらず続ける選択を行う。「大事仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」と草太は言う。世界微妙な均衡の上に成り立っており、それはいつすべてが灰燼に帰してもおかしくない。



過去の2作品と今作の対比で際立つのは、過去の果てしない重みである過去は変えられない。過去ははてしなく重くのしかかってくる。人にとっても社会にとっても。忘却するわけではない。でもどこかで区切りをつけて前に進まなければいけない。そのための儀式が戸締まり。鎮める。そうしてまた行ってきます

大人子ども

大人論理子ども純粋さ」という対立軸日本アニメ漫画文化普遍的テーマである。「君の名は。」では三葉の父親を説得するという小さな対決イベントはあるが、メインテーマに絡んでくるわけではない。祖母組紐伝統を三葉に受け継ぎ、導く役割を担うが、どちらかと言うと舞台装置として機能している。


「天気の子」では鮮明に「大人論理子ども純粋さ」が対立軸として描かれるが、対立解決落とし前をつけるというより、主人公たちがぶっちぎったような形で終わる。また登場する大人は、誰も主人公たちに対して大人としての役割を果たさない。須賀は大人のズルさを持ちつつも精神的には未熟でもある。子どもたかり、ほぼ無給でこき使い、保身のために投げだす。リーゼント刑事も少し思うところはありそうだったが、帆高の未熟さに毒づき、押しのけられるだけである象徴なのは須賀の義母である相手と会話しているようで、自分の中ですべて完結している。自分価値観から一歩も外にでることはない。大人たちが大人として子どもに向き合わず、与えられた仕事役割をこなすだけ(と描写される)のがある意味現代的ではある。


一方「すずめの戸締まり」では、環との葛藤和解が大きなストーリーライン構成する。物語のオモテ面が災害を防ぐため各地をめぐる旅だとすれば、ウラ面は過干渉な叔母から実家への逃避行である。環も、神戸出会シングルマザーのルミも、完璧とは程遠い人物である。環はすずめを引き取ったことで失ったものを未だに悩み、無理をして母親像を演じ裏切られると怒りを爆発させる。ルミはヒッチハイクしてきた高校生ベビーシッターをさせて、更に深夜までスナックで手伝わせる。そんな大人だが、二人とも真摯にすずめに向き合う。草太の祖父は、自分の孫が要石にされた状況で、その事態引き起こし当人に対して「これで良かった。すべてを忘れて帰りなさい」と声をかける。

もともと新海誠キャラクターの背景や生活史をほとんど深く描かない表現者だった。ほしのこえ、雲の向こう、秒速。ほとんど若者しか登場せず、「どの作品主人公ヒロインは一緒」と言われることすらあった。心理描写を最低限に、抒情的に美しい風景に仮託して表現し、視聴者勝手自分と重ねられるようにする。それを極限まで純化ささせた作家性だった。それがこのような作品を作るまでになるとは夢想もしていなかった。過去作品を糧にしつつ、全く新しい作家性を手に入れ、見事に作品に落とし込んだ。「新海誠最高傑作」との宣伝文句伊達ではないと思う。集大成であるし、ここまで来た新海誠が次に何を作るのかが今から楽しみである


小ネタ

・すずめとは「鎮め(地鎮)」であり、「ミミズを食べるもの」でもある

・すずめの瞳にミミズが反射して赤いハイライトが差すのが「すずめにしか見えていない」ことと、揺れがおきるたびにミミズを探してしまうすずめの恐怖をうまく描写していた

・冒頭の朝ごはんがやけに気合入っててこんな朝ごはん普通つくれねーよと思ったら伏線だった

椅子が三本足なのは「三本足でも立って歩いていける」ということ

・昔の閉じ師の本の表紙が「Agarta」(スペル違うかも)と書かれていた(星を追う子ども異世界

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