はてなキーワード: 操り人形とは
基本骨子はソウルの丸パクリなため大きく違和感を感じるところはないが、時折謎の硬直が挟まったりする
鐘を鼻の形にしたり、ボスキャラを👺や🐘といった鼻が特徴的な動物にするなどでなんとかアピールしようとしているが、それによって逆にそうでないボスの無個性さが浮き彫りになっている。
やるなら徹底的に全てを鼻由来にするぐらいことはすべきだったのではないだろうか?
なにより主人公の装備品に鼻の要素が薄すぎるためソウルシリーズの「深淵へと近づくことで少しずつそれと一体化していく」という空気が受け継がれていないのもパロディとして片手落ちだ。
クリアする順番にある程度の自由度があるがそれでもまだまだ縛りがキツいように感じた。
ソウルシリーズでも「物凄い重要な要素なのに気づきにくいからスルーしてしまう」という部分はあるが、それらをスルーしてもメインストーリーはそれなりの苦労を強いられることになりながらもクリア可能である。その絶妙な匙加減が再現できていないように見えた。
ソウルシリーズのような壮大で悍ましい何かを感じることはなかった。かといって、鼻が重視される世界という馬鹿馬鹿しさに対しての面白おかしさも感じなかった。
ストーリー面については0点というほかない。
頑張ったかどうかという指標としては評価対象にもなりうるが、ゲームとしての出来の良し悪しという点においては評価の対象にはならない。
有料ゲームであれば値段に対してそれ相応のボリュームが保証されているべきだろうが、フリーゲームはそうではない。
沢山ステージ作って凄いね。頑張ったんだね。そういう評価の仕方しか出来ない。
ソウルとライクいう強力な土台があるのでゲームとして遊ぶことは出来るが、ボタンを押して攻撃を当てたり回避していて楽しいかというとそうでもない。
通常の攻防においては明らかにスキだらけな攻撃が来るのを待ち続けてから反撃するだけで、ソウルシリーズのような絶妙な読みあいが起こることもなく単調な作業の繰り返しになりがち。
各ステージの敵やギミックの配置が生み出すわからん殺しの要素も大雑把で、単に敵が曲がり角に待ち受けていたり逃げ続けるといつまでも追ってきてトレインになるだけで攻略における彩りが感じられない。
ボス戦においてもそれは変わっておらず敵の攻撃の中に反撃をしやすい物とそうでない物が明確に分けられていてバランスが悪い。
なにより、間をズラす方法としてボスに何もさせず棒立ちさせるという手段を選んでいるのが最悪の一言。
短くまとめると、世界観、動き、ビジュアル、それら全てにおいて魂が入っておらず、作者の自己顕示欲を満たすだけのできの悪い操り人形だらけなのが問題点である。
スケールを大きくしてとりあえず完成形にたどり着いたことは作り手としては立派だが、まずは小さく完成させることを目指すべきだっただろう。
いっそ最初のボス戦まででいいから、「ダークソウルシリーズの外伝と勘違いしかねないほどに思わず熱中して遊べてしまったゲーム」を目指すべきだったのではないだろうか?
30点のゲームを10時間遊ぶのと60点のゲームを5時間遊ぶことの間にある満足度の差はあまりにも大きい。
ゲームには「クリエイターが頑張りを褒めてもらうための手段」としての側面は確かにある。
しかし、多くの人が求めているのは「プレイヤーが楽しい時間を過ごすための手段」なのだ。
多くのゲームはこの2つの要素を内包していて、時には前者の側面が強く光ることもあるにはあるが、その場合はまず、後者の要素が満たされていると多くの人に認められているものだ。
与えるより先にまず与えよ。
数多ある意見の1つに過ぎないかも知れませんが、この度の悲しいお知らせについて、とても重要なお願いがあります。ぜひご一読頂けると助かります。
今回のことについて、またそれについても様々なことをSNS上でみな好き放題言っています。我々はこういう風に対面で顔を合わせなくてもコミュニケーションができる時代になって、その最も身近なものであるSNSと、どういう風に付き合っていけばいいのかほとんどの人は困惑しています。顔を合わせなくていいということから、どんなことでも発信でき、また(SNSのない)日常生活では言われないようなことを言われたりするようになってから、SNS上で見えている相手はバーチャルな人間だと考えるようにし、自分(人間)vs相手(機械)のように接しています。しかも自分は普段の自分と違う人間のように、普段なら喉まで出かかって止めるような文言さえも、あっさりと指をなぞらせて全世界へと発信するのです。しかしその割に相手(機械)の言うことには感情を揺さぶられ、たびたび日常生活ではあるまじき過度な言葉で相手を責め立てることもあります。さらに、膨大な情報量。誰しもが発信できることから、必然的に日常生活ではわざわざ聞くことのない人の意見まで(要か不要かに限らず)目にせざるを得なくなりました。
と、ここまで書きましたが今回のことが、何が一因であったのかということについては、色々な人がこれもまた勝手な意見をいくらでも言ってくれています。しかし自分も正直それを精査していく、という気分にはなれません。一人の尊い命を失った悲しみもさることながら、何よりもうこの情報化社会の情報量に疲れてしまっていて、さらにはSNSの使い方についてあれこれ言われてしまうことは、何か自分の一番柔らかい部分に触られているようで気味が悪いような気もするからです。
ですから、この誹謗中傷がどうだとかについてこれ以上触れることはしません。今回自分がわざわざメッセージを送ろうと考えたのは、自分なりの考えを伝えお願いしたいことがあるからです。
人間は、というか自分のような人間は、どこからが台本なのか、ということを小さい頃から気にして見てしまいます。テラスハウスはもちろん、ラジオやお笑いや、とかくエンタメ全般的に。大人になればなるほど、その線引きの部分が段々と分かってきました。コンテンツを制作する上では、台本はなくせないということも。そうすることで、面白さが担保できる。その場で生まれるかわからない爆笑を待つよりも、安定的に面白い方が大事だというのが根源にある。
テラスハウスもずっと楽しみに見ていました。2020東京から過去の作品も遡ってほとんど見ました。このテラスハウスでも同様に、どこまでが台本なのか、と考えましたが、それについてネット上では正確な情報は開示されていませんでした。それでも、まぁいいかと楽しんでいました、所詮エンターテインメントなのだから。
しかし、その楽しい時間は実にあっけなく終わってしまいました。
台本があって、それに従って演技をする出演者の方々。すべてはただの操り人形であり、それを見る視聴者たちは騙されてあげて、楽しむ。騙されていながらも没入して、そこで同じように感情を揺さぶられて楽しむ。どんなエンタメもこうして楽しんでいるのに、現実で人が一人死んでしまうということは、そんな平和な世界で行われるエンタメの中には決して存在してはいけない概念です。
少し戻って、自分が引っかかるのは、そもそもこれが台本であったのかどうか、ということです。彼女が番組の指示通りに、また示唆されて作為的にあの「コスチューム事件」を起こしたのであれば、これが自殺につながったと言っても過言ではないのですから、テレビ局は殺人とも言えるでしょう。そうでなかったとしても、悪意のある編集があったという新野氏の証言があります。そうした番組を取り巻く諸々が、視聴者には何一つとして知らされていないのです。
これ以上は長くなってしまうので、簡潔にいたします。お願いというのは2つあります。1つは彼女がなぜ自殺しなければいけなかったのか、番組制作という面からそれを解明すること。テレビ局で働いている人々の大半はきっと善良な人達なのだろうけど、舵取りはいつも腐り切っているように感じます。この事件が闇に葬られてしまう前になんとか事実をすべて開示して欲しい。2つ目には、彼女の自殺以降おそらくひどく誹謗中傷を受けているであろう出演者の「彼」やその他の人々の精神的ケアです。頭の悪い人たちは「彼」があんなことをしなければ彼女が自殺することもなかったというでしょう。実際、死んだ人が責められることはほとんどありません。今後苦しい思いをするのはいつも、今、そしてこれから生きていく人たちなのです。
この2つを、出演者でありながら、一個人としては制作には関係のない貴方にお願いしたい。きっとこれを読まれても、お願いするところが間違っているのではないかと思われるかも知れません。しかし僕は、貴方の「一生をかけて考えたい」という言葉を信じたいのです。その覚悟があるならば、すべて自分のうちに閉じこもって考えるのではなくて、少しでも何か行動をして欲しい。山里亮太が、あの番組のマスコットのような立ち位置で、あの時間だけは番組の傀儡だったかも知れない。しかし世のSNS上の人々のように、貴方の本当のところは人間である、ということをどうか信じさせてください。そうしてこれからも、後ろめたい気持ちなしに、エンタメで傀儡となる貴方を楽しませて欲しいのです。
案の定山里を擁護する意見もあって、あいつも被害者だ、台本があるんだ!山里攻撃してるやつは花ちゃんを攻撃してるやつと同じことをしていることに気づけ!
みたいなことで揉めている、案の定過ぎるよね
スタッフの台本だと、操り人形だというポジションなのかどうかは分からないって事が言いたい
例えば、MCが明石家さんまとか、松本人志だったとしてそのロジック言える?って話よ
大物芸能人だったら、それこと芸能人>スタッフみたいな力関係になるじゃん
山里ってそのへん姑息でわかりづらくて、永遠の若手非モテ芸人ムーブするじゃん
大物感は極力見せないようにして、テレビ上ではヘコヘコする
蒼井優と結婚しても嫉妬芸こねくり回してるんだからすごいよね徹底してキャラ作ってるのが
大物感のある芸能人だったら、スタッフに意見出来ただろ!とか、スタッフが逆らえずにこうなった!むしろ原因はお前だ!とかいう話になると思うけど
山里はその辺うまいよな、キャラ的に山里<スタッフの力関係を視聴者に植え付けている
だからこんな山里も被害者だ!台本があったんだ!って話になるわけでしょ?
山里クラスって冷静に考えて、スタッフのほうが山里に気を遣うと思うけどね
実際はどうだったのかって話が重要だよ
鳴神裁はしばく
今までもそれっぽく知らせてるけどボイスのタレントへの収入は購入した額からプラットフォーム手数料を引いた金額の半額だから、YouTubeへ投げ銭するのはYouTubeへ何割か持ってかれての半分だからBOOTHの方が安くて多めに送れるよ。今までもBOOTHやYouTubeの投げ銭以外のプラットフォームを試してるけどあんま上手く行ってないし、ずっとこのままじゃダメだとも思ってるからまたなんか変化あるかもしれないからついてきてくれな
あとなんかソニーとかに操られてるとかタレントをちゃんと扱わねえとか言ってる奴居るけど
ソニーとは仲良くやってるよ、でもうまくいかないこともあるけどそこらへんはライバーと相談した上でちゃんとやるよ。それは自社でもそんなもんだよ。いつも通り仲良くやってるよ。だからソニーの操り人形になるとか無いよ。ていうかざけんなよぶっとばすぞ鳴神。お前そんなことになったら今までの客が消えるのわかっててなんでそんな無茶するんだよアホか鳴神アホだろ鳴神。
(ここは妄想)
辞めるやつに関しては言及できないけど、基本的にコメントするまでも無いよ。
辞める奴は辞める。
今までもなるべく辞める人は説得してるけど、辞めるって固く決意した人を止められないし、止めるのもやっぱ違うでしょ。
あと笹木が復活出来たのは本当に奇跡だから安っぽく復活を願わないでね。あの当時だから出来たことかもしれないけど、あの当時でもいろんな大人が頑張ってたからね。
(ここまで妄想)
あと鳴神お前マジ覚悟しろよ鳴神、去年も同じような濡れ衣かけてうちにイチャモン付けやがって、熨斗付けて返してやるから覚悟しろよ。あとちゃんとソースは確認しろよ。お前のソース毎回フワフワしてんぞ。
うちは大学生のサークルみたいなノリだけど必死こいてやってるだけであまり不利益被る茶化し方してたらお前手加減しなくなるぞ
あ、これは弊社の今後の方針なだけでお客様方に強制するものではありませんので、むしろ鳴神君大好きでも弊社はちょっと態度が冷たくなるだけでそこら辺は強制しないといいますか。
あと普通にこういう噂に流されてる人は多分ニワカだと思うし、ニワカどころかコロナで色々行動が塞がれてる弊社の状況が読めないぐらい参ってしまってる人間だと思うので、落ち着いて、しょうもない配信見て笑って帰ってくださいね。
言うほど裏側ってのも面白く無いし、大体の噂って半分の大したことない部分が真実で、大した事のあるところって妄想と誇張が入った嘘なんで…マジで落ち着いてね…心配させてごめんね…
あとちゃんと見てる人はわかると思うけど、なんだかんだ色々濁すのは配慮してくれるライバーとかで、運営は必要があったら色々見せますんで…
わかんなかったら運営に聞くのもいいよ…ただあんまりナメた話聞いたらこういう感じでズバズバやるからね…
(ここまで妄想)
世の中では憤怒と怨恨が飛び交っているが、
いや、知ってた
昔からそうだよ
豊かにさせすぎてもいけない
賢すぎてはいけない
だから家父長臭プンプンの爺さんたちは
面倒くさいしオマエラの主張なぞ
ハナクソほどのもんだと内心は思ってるけど
みなさんの方向いてますよって建前的に
慣れないパフォーマンスした結果、
傀儡化された国民は自分が傀儡にされたことにすら気付いていないが、
いつもなんとなくコントロール配下に置かれうっすらと不幸なので、
(なぜいつも自分がなんとなく不幸なのか
傀儡は自ら考えることはしない、
自分が操り人形だと気付いてしまったら惨めで現実を直視できなくなるから)
爺さんたちは楽ちん
うまい具合に淘汰されればいい
なんて合理的なんだ
日本企業にも染み付いてる
逃げられちゃ困るが豊かにもさせないギリギリを見計って報酬をコントロールしながら、
人質ができたとたんニヤニヤ笑いながら、
縄でギッチギチに縛り上げて自由を奪う
むなしい
良い悪いじゃなくて、悪と断じてこき下ろしてもその行為が野蛮だと避難されることなく、皆で安心してボコボコにして暴力生をローリスクで満たせてスッキリ出来そうかしか見てない層は結構厚いよね。
イジメが起こるのは人間の本能だと言うけど、まさにその本能を満たすのに利用できるかしか考えてない人達。
オナニー覚えてたての中学生がコンニャクやシップにチンコを押し当ててみるのと同じように、本能を抑圧から開放するチャンスが転がってないかとリビドーの操り人形担っているような人種。
これはなにもネットに限った話ではないがネットだと様々なクラスターの間で起きた話題性の高い情報がチェンバーやバブルを超えて飛び交うから特によく目にすることになる。
Q.なぜ言葉の暴力を振るうのか?→A.スッキリするから このことそのものは私も批判する気はない。暴力は気持ちいい。これは本能のレベルだ。そうじゃないなら相撲が国技になるほど流行ったりはしない。
ずっと心にぽっかり穴が空いている気がする
こんなこと書くのも逃げなのかもしれない
疲れるようなことしてないのに毎日疲れてる
もっと疲れてる人辛い人がいるのは知ってる
こういうこと書くと悲劇のヒロインぶるなとよく言われた
ろくに努力もせずただのうのうと生きてるのに、と
がんばりたくないでも存在を認めてほしい
歳が大きくなるにつれて比例するように大きくなりコントロールできない承認欲求
操り人形にならなければすぐ興味を失くす母
生かしてもらえるだけありがたいと思え、お前の考えは甘えだ
だから自立できたらさっさといくよ
もうずっと毎日退屈でつまらなくて自分の存在証明もなくてこんな生活があと何十年と続く
少し前まで自サツしたいタヒにたいと思っていた
でもそうではなく生きていたくない
この感覚おそらくバカらしくてわからないだろうけど早く寿命が来てほしい
安楽死ができたらいいのに
いやぁ、とりあえず世界の終末は回避されたけど、昔の名作がディズニーの資本によってプロパガンダ作品に変容していく世界線になるとは
30年前の僕たち私たちは予想できなかったんじゃないでしょうかね?
とりあえず旧作の見どころをなぞって、とりあえずポリコレコードとフェミニスト神話を放り込んで出来た作品って感じでした。
以下ネタバレ入るけど、
救世主の母親として「母親だからって簡単に殺せると思いました?無理でした!」って突きつけたカタルシスに溢れる1作と2作は無視して、サラの息子はお茶飲んでのんびりしてたら
その殺人マシーンは数年後人間の温かさを学んで優男になりました!赤ちゃんのオムツもすぐに変えられるよ!ってなんだこれ。
神話を崩壊させるのはいいけど、残ったのはタダのロボット映画じゃん。そんなんインド映画で十分じゃないの。じゃぁ代替になるような登場人物だしてくれんだよな?
って思ったところに出てくるのはヒスパニックの普通の女。まぁ女が成長してカッコよく戦うのも悪くないけど、こいつはサラの血縁関係でも、性格が魅力的で野心に溢れるわけでもない普通の女。
ジョンは「終末論を信じるイカれた親に育てられて、ハッキングもしちゃうちょい悪少年」っていう魅力があったのに、こいつは何にもない。
女だからって理由で選ばれて、能力があるわけでもないのに戦うほぼ姫プレイ女。戦いの途中でなぜか神が舞い降りて、「その目はリーダーの目……!」みたいに言われるんだけど、こっちとしては完全に意味不明。
まぁ全てが「ポリコレだから」で説明できちゃうし、それ以外じゃ説明できない。
そもそも、というかここが一番言いたいんだけど、「ジェームズキャメロンは現代をちゃんと見ていない。見ていないので未来が描けない」
というのを言いたい。そりゃポリコレに当てはめれば「若い人はみんなリーダーになって世界を救いたがっていて、その中で女が這い上がってリーダーになる」ってのは素晴らしい脚本に思えるかもしれないけど、
ちゃんと周りを見てみろと言いたい。アメリカンドリームなんてとうの昔に終了していて、女に限らず、男も女も若い奴はみんなリーダーになりたくない。
自分の小さい世界の中で生きるのに精いっぱいで、車なんてぜいたく品で、身の回りを守るのに精いっぱい。それをキャメロンみたいな資本階級が「ポリコレ」を突きつけて、その世界を崩そうとしてくる。
そんな「正しい世界」には自分たちは入ってなくて、そこにあるのは老人たちのお金と富だけ。昔と違って、今じゃ「世界」は救うには値しないし、リーダーになってもその世界の操り人形。なる価値ない。
結局、そんな知識階級は五寸釘ほなみみたいな「可愛くて綺麗で自分たちを守ってくれるような女」を適当に選んで、それを素晴らしいものと信じて疑わない。自分たちは守られるに値すると信じて疑わないんだよな。
まぁ、流石キャメロンだけあって、コンセプトの作り方とか映画の妙、ターミネーターの良さは出てたと思うし、男をボコって快感!とかは無くて、まぁそれなりに男女平等的な扱い(ただし男は依然として特攻隊員要素として消費)なんだけど。
一番言いたいのは、
今の時代、若い奴はリーダーになりたいとか思ってない人が多いし、老害がはびこるこの世界なんて滅べと思ってるよ。全然感情移入できません。老人用の介護映画が増えて気持ちわりいなって話です。
作品テーマは「親と子の問題」らしいが作中で出てくるのは母親ばかり。MMMMMORPGの設定上母と子の関係が注目されるのはしょうがないにしても、作中では不思議なほど父親の存在に触れられない。
そもそも大好家の父親は同居しているのか?単身赴任?離婚?死別?それさえ不明。真人も真々子も父親について全く語らないので判断のしようがない。
「謎の力でゲーム世界に肉体ごと転移した」という設定とPCの中に吸い込まれる描写からなにか科学的な方法でゲーム世界に転移したらしいが、それがどういう原理なのかは追究しない。ギャグっぽく死んだり蘇生を繰り返してるけど肉体は平気なのかとか気にしない。
けどさ、いわゆる「ゲーム世界に閉じ込められた系」ならまず脱出することを考えない?理解の及ばないゲームっぽい世界に閉じ込めらたわりには登場人物たち順応しすぎだし、不安を感じるどころかむしろ楽しんでるんだよなぁ。現実の生活や家族のことは不安にならんのか?
これまで登場した二人の母親はログアウトという形でゲーム世界から脱出したけど、その際娘たちは置いてけぼり。本人の意志で残ったんだけど、本当に娘のことを考えるならこんな世界に置いていくなよ…。
これまで登場したワイズママ(ホスト狂いで金遣いが荒く子供に産まなければよかったと言ってしまう虐待親)やメディママ(娘に常に一番になることを強要し自由を奪う教育ママ)に比べると大好真々子は慈愛に満ち、家事を完璧にこなし、「母は強し」を物理的な強さで体現する理想の母親のように描かれている。
周囲のキャラクターも真々子が大好きで、真々子を否定したのは上のママ二人だけ。それも最後は説き伏せられていた。
過干渉は虐待の一種であり「保護者が我が子を一人の主体的な人間として認めず、その子供の意思や思考、自我の発達や自主性などを否定して、操り人形のごとく親の意のままにコントロールしようとすること」である。
メディママを毒親と罵っていたが、真々子も十分毒親なんじゃ?学園編は形は違うが過干渉な親同士の戦い+振り回される子供できつかったぞ。
一応も真人も真々子との関係に違和感を覚え苦手意識は持っているようだが積極的に解消する様子もない。アダルトチルドレン化しないか心配になる。
作品テーマである「親と子の問題」を考えるなら、まず自立できない息子と子離れできない母をなんとかしなきゃいかんのでは?もしかしてラスボスは真々子という展開か?
テンプレを通り越しすでに古典的とすら感じる残念ツンデレドラまたヒロインのワイズや、親のせいで心に闇を抱えながら友達になろうの一言で涙しちゃうメディや、元気で明るく作中唯一毒っけを感じさせないポータの方がかわいかった。