いやぁ、とりあえず世界の終末は回避されたけど、昔の名作がディズニーの資本によってプロパガンダ作品に変容していく世界線になるとは
30年前の僕たち私たちは予想できなかったんじゃないでしょうかね?
とりあえず旧作の見どころをなぞって、とりあえずポリコレコードとフェミニスト神話を放り込んで出来た作品って感じでした。
以下ネタバレ入るけど、
救世主の母親として「母親だからって簡単に殺せると思いました?無理でした!」って突きつけたカタルシスに溢れる1作と2作は無視して、サラの息子はお茶飲んでのんびりしてたら
その殺人マシーンは数年後人間の温かさを学んで優男になりました!赤ちゃんのオムツもすぐに変えられるよ!ってなんだこれ。
神話を崩壊させるのはいいけど、残ったのはタダのロボット映画じゃん。そんなんインド映画で十分じゃないの。じゃぁ代替になるような登場人物だしてくれんだよな?
って思ったところに出てくるのはヒスパニックの普通の女。まぁ女が成長してカッコよく戦うのも悪くないけど、こいつはサラの血縁関係でも、性格が魅力的で野心に溢れるわけでもない普通の女。
ジョンは「終末論を信じるイカれた親に育てられて、ハッキングもしちゃうちょい悪少年」っていう魅力があったのに、こいつは何にもない。
女だからって理由で選ばれて、能力があるわけでもないのに戦うほぼ姫プレイ女。戦いの途中でなぜか神が舞い降りて、「その目はリーダーの目……!」みたいに言われるんだけど、こっちとしては完全に意味不明。
まぁ全てが「ポリコレだから」で説明できちゃうし、それ以外じゃ説明できない。
そもそも、というかここが一番言いたいんだけど、「ジェームズキャメロンは現代をちゃんと見ていない。見ていないので未来が描けない」
というのを言いたい。そりゃポリコレに当てはめれば「若い人はみんなリーダーになって世界を救いたがっていて、その中で女が這い上がってリーダーになる」ってのは素晴らしい脚本に思えるかもしれないけど、
ちゃんと周りを見てみろと言いたい。アメリカンドリームなんてとうの昔に終了していて、女に限らず、男も女も若い奴はみんなリーダーになりたくない。
自分の小さい世界の中で生きるのに精いっぱいで、車なんてぜいたく品で、身の回りを守るのに精いっぱい。それをキャメロンみたいな資本階級が「ポリコレ」を突きつけて、その世界を崩そうとしてくる。
そんな「正しい世界」には自分たちは入ってなくて、そこにあるのは老人たちのお金と富だけ。昔と違って、今じゃ「世界」は救うには値しないし、リーダーになってもその世界の操り人形。なる価値ない。
結局、そんな知識階級は五寸釘ほなみみたいな「可愛くて綺麗で自分たちを守ってくれるような女」を適当に選んで、それを素晴らしいものと信じて疑わない。自分たちは守られるに値すると信じて疑わないんだよな。
まぁ、流石キャメロンだけあって、コンセプトの作り方とか映画の妙、ターミネーターの良さは出てたと思うし、男をボコって快感!とかは無くて、まぁそれなりに男女平等的な扱い(ただし男は依然として特攻隊員要素として消費)なんだけど。
一番言いたいのは、
今の時代、若い奴はリーダーになりたいとか思ってない人が多いし、老害がはびこるこの世界なんて滅べと思ってるよ。全然感情移入できません。老人用の介護映画が増えて気持ちわりいなって話です。
だから、ヒーロー(ヒロイン)が南米系なんだよ。