2020-05-29

山里亮太

数多ある意見の1つに過ぎないかも知れませんが、この度の悲しいお知らせについて、とても重要なお願いがあります。ぜひご一読頂けると助かります

今回のことについて、またそれについても様々なことをSNS上でみな好き放題言っています。我々はこういう風に対面で顔を合わせなくてもコミュニケーションができる時代になって、その最も身近なものであるSNSと、どういう風に付き合っていけばいいのかほとんどの人は困惑しています。顔を合わせなくていいということから、どんなことでも発信でき、また(SNSのない)日常生活では言われないようなことを言われたりするようになってからSNS上で見えている相手バーチャル人間だと考えるようにし、自分(人間)vs相手(機械)のように接していますしか自分普段自分と違う人間のように、普段なら喉まで出かかって止めるような文言さえも、あっさりと指をなぞらせて全世界へと発信するのです。しかしその割に相手(機械)の言うことには感情を揺さぶられ、たびたび日常生活ではあるまじき過度な言葉相手を責め立てることもありますさらに、膨大な情報量。誰しもが発信できることから必然的日常生活ではわざわざ聞くことのない人の意見まで(要か不要かに限らず)目にせざるを得なくなりました。

と、ここまで書きましたが今回のことが、何が一因であったのかということについては、色々な人がこれもまた勝手意見いくらでも言ってくれていますしか自分も正直それを精査していく、という気分にはなれません。一人の尊い命を失った悲しみもさることながら、何よりもうこの情報化社会情報量に疲れてしまっていて、さらにはSNSの使い方についてあれこれ言われてしまうことは、何か自分の一番柔らかい部分に触られているようで気味が悪いような気もするからです。

ですから、この誹謗中傷がどうだとかについてこれ以上触れることはしません。今回自分がわざわざメッセージを送ろうと考えたのは、自分なりの考えを伝えお願いしたいことがあるからです。

人間は、というか自分のような人間は、どこから台本なのか、ということを小さい頃から気にして見てしまますテラスハウスはもちろん、ラジオお笑いや、とかくエンタメ全般的に。大人になればなるほど、その線引きの部分が段々と分かってきました。コンテンツ制作する上では、台本はなくせないということも。そうすることで、面白さが担保できる。その場で生まれるかわからない爆笑を待つよりも、安定的面白い方が大事だというのが根源にある。

テラスハウスもずっと楽しみに見ていました。2020東京から過去作品も遡ってほとんど見ました。このテラスハウスでも同様に、どこまでが台本なのか、と考えましたが、それについてネット上では正確な情報は開示されていませんでした。それでも、まぁいいかと楽しんでいました、所詮エンターテインメントなのだから

しかし、その楽しい時間は実にあっけなく終わってしまいました。

台本があって、それに従って演技をする出演者の方々。すべてはただの操り人形であり、それを見る視聴者たちは騙されてあげて、楽しむ。騙されていながらも没入して、そこで同じように感情を揺さぶられて楽しむ。どんなエンタメもこうして楽しんでいるのに、現実で人が一人死んでしまうということは、そんな平和世界で行われるエンタメの中には決して存在してはいけない概念です。

少し戻って、自分が引っかかるのは、そもそもこれが台本であったのかどうか、ということです。彼女番組の指示通りに、また示唆されて作為的にあの「コスチューム事件」を起こしたのであれば、これが自殺につながったと言っても過言ではないのですからテレビ局殺人とも言えるでしょう。そうでなかったとしても、悪意のある編集があったという新野氏の証言があります。そうした番組を取り巻く諸々が、視聴者には何一つとして知らされていないのです。

これ以上は長くなってしまうので、簡潔にいたします。お願いというのは2つあります。1つは彼女がなぜ自殺しなければいけなかったのか、番組制作という面からそれを解明すること。テレビ局で働いている人々の大半はきっと善良な人達なのだろうけど、舵取りはいつも腐り切っているように感じます。この事件が闇に葬られてしまう前になんとか事実をすべて開示して欲しい。2つ目には、彼女自殺以降おそらくひどく誹謗中傷を受けているであろう出演者の「彼」やその他の人々の精神ケアです。頭の悪い人たちは「彼」があんなことをしなければ彼女自殺することもなかったというでしょう。実際、死んだ人が責められることはほとんどありません。今後苦しい思いをするのはいつも、今、そしてこれから生きていく人たちなのです。

この2つを、出演者でありながら、一個人としては制作には関係のない貴方にお願いしたい。きっとこれを読まれても、お願いするところが間違っているのではないかと思われるかも知れません。しかし僕は、貴方の「一生をかけて考えたい」という言葉を信じたいのです。その覚悟があるならば、すべて自分のうちに閉じこもって考えるのではなくて、少しでも何か行動をして欲しい。山里亮太が、あの番組マスコットのような立ち位置で、あの時間だけは番組傀儡だったかも知れない。しかし世のSNS上の人々のように、貴方の本当のところは人間である、ということをどうか信じさせてください。そうしてこれからも、後ろめたい気持ちなしに、エンタメ傀儡となる貴方を楽しませて欲しいのです。

  • こんなのブクマがいっぱいついてネットでバズらないと本人に届かないだろうし 燃やして叩きのめしてやれという意図だよね

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