はてなキーワード: 愛国ポルノとは
お前は「社会問題は、愛国ポルノを見て、日本SUGEEEEとか言いながら、それでも自分に未来がないのは社会的弱者が狡賢しい利権を持っているからだと怒りを募らせるだけで過ごしたい人のせいだと怒りを募らせるだけで過ごしたい人」だな
まず自分がやれよ。俺はやってる
努力っていうのは短時間低労力で効率的に同じアウトプットするように仕組みを変えていく事だ
長時間労働とかブラック企業での仕事に耐え忍ぶのは努力じゃない
仕組みなんか変えたくないんだ
上司からの指示を、属性で区分けされた役割を、直接反論はせずに、嫌々ながらもこなしていくだけがいいんだ
ずっと愚痴だけを言い続けたい
世の中が悪いのは、中国や韓国や在日外国人や生活保護者や悪いって事にしておきたい
愛国ポルノを見て、日本SUGEEEEとか言いながら、それでも自分に未来がないのは社会的弱者が狡賢しい利権を持っているからだと怒りを募らせるだけで過ごしたい
自由なんか欲しくない
でも自分以外の狡賢い奴らのメリットにしかならない自由なんかいらない
こっちは努力なんかしたくないんだ
国や会社の言われたことを、黙ってこなして、裏で愚痴をひたすら言い続けたいだけなんだ
自由やら努力やらを望んで失敗したら、とたんに責任が振りかぶる
責任なんか取りたくない
言われたことだけをやっているだけでいい
どうせ未来は暗いんだし、余計な事は何も考えたくないんだ
なあ、そう思わないか?
最近の文化人はサブカル系であろうが自由や個性を追求しないし、因習とたたかうことはない。むしろ逆で、愛国ポルノを煽ったり、抑圧主義を美化したり、鉄道オタクですら呆れる観光列車を好き好んで乗るほどだ。
だから日本の文化を好む人は例え外国の流れが含まれていてもまだ「島国日本のガラパゴス情報空間」の洗脳に否定的で、それを敬遠する進歩的層と言える。が、そこでも結局、所謂畳精神などの日本的古典性と矛盾するような本家版や世界版で当たり前の価値観はすべてゴッソリと検閲され、日本的枠の中に押し込まれてしまうのはあんまりだ。
乗り物オタクだって、例えば車やバイクはたったの10年前まで暴走族の名残があったし、鉄道でもアングラ文化的な根強い考えがあって、右翼スキャンダルから分かるように反PC構造にオタクが翻弄されたりもする。しかし、だからこそ、オタクは自由を追及し、因習とも権力ともたたかってきたのである。
アメリカであればマドンナの「ホワイトハウス爆破したい」発言を冷笑する感覚と、日本であればサブカルの凋落に違和感を持たない感覚、権威主義感覚、封建主義に固執する感覚、愛国ポルノを煽る感覚、抑圧主義を美化する感覚、鉄道オタクですら呆れる観光列車を好き好んで乗る感覚、全部同じだ。
「鉄道好きを撲滅せよ」「私鉄は東京から出て行け」という鉄道社会構造そのものの否定のような暴論、「ポスト管理社会主義」という現代人権感覚そのものの否定のような暴論、「サブカルを根源ごと潰せ」というカウンターカルチャー完全否定、右翼を「普通」だと思い込み、それを批判する発想の方がおかしいと嘲笑うアレ・・・全部全部、同根であり、全世界からドン引きされる島国日本性なのだ。
その先を突破する必要がやはりある、と思う。権威思考でなければならない。整然としてなければならない。たとえ地方人でも車やバイクは自転車や歩行者より優先されなければならない。例え車やバイクが嫌いでも大人として認められるために免許証を取得せざるを得ない。この道以外の選択肢があるだと宣伝している政治だって、ゴールは一通りしかない。
平成末期の、21世紀に生かされていると思いきや、実際には中世のような途方もないくらい後進的な価値観がそこかしこに幅を利かせていて、家父長制的なイエの構造やサブカル排斥的思想が、会社を包み、社会を包み、学校を包み、日本国や日本人そのものをくるんでいてその長に今の政治がある。これ全部把握したうえで対抗勢力がなきゃまずいよ。
例えば文筆業の私が小説を書くとするなら、現代日本をベースにした作品であれば、車社会と軍事政権で身動きの取れなくなった鉄道オタクがロードバイクで車を蹴散らし、鉄道オタクそのものが気に食わない権威階級をビビらせるような、そういう表現を考えるだろうね。
オリンピックで流れていたケニアの国歌が、なんだか日本の民謡にも通じる独特な感じで、かっこよかった。
なんでも、伝統的なケニアの子守唄のメロディーがもとになっているらしい。
で、他にもかっこいいのあるんか?と思って探していたら、ネットでちらほら話題にされてるすごいのみつけてしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=VWy4USruuR4
すごい。かっこよすぎる。
なんだろ、スペースオペラ系のSF映画で、主人公が砂だれけの惑星に遭難してぐるぐる巻きにされて、
砦に引っ立てられて、そこにいよいよ惑星を支配するボスが手下ひきつれて登場してくるときの音楽だ。
で、「これでおしまいか」と思ったら、実はこのボスがいい人で、結局、一緒に戦うための軍隊だしてくれんの。
(我ながら、たとえがよく分からない)
wikipedhiaにもあんまり詳しいことは書いてないが、Tolia Nikiprowetzkyとかいうロシア生まれでフランスで活躍した作曲家が、伝統的な旋律を編曲したらしい。
日本語版では「作曲した」となっているが、英語版では「Music traditional (arrangement Tolia Nikiprowetzky)」ってなってるから、そういうことなんだろう。
まあ、植民地から独立した国に「国歌作曲してください!」ってたのまれて、あのメロディーはつくらないよね、普通。
なお、モーリタニアって国、マダコがたくさん取れて日本にも大量に輸出しているが、現地の人は気味悪がって食べないらしい。
「君が代」は、西洋的なメロディーではない曲で、実際、そうなんだとは思う。
でも、時々ネットでみかける「他の国は西洋音楽ばっかり! こんな独自な国歌を持ってる国は無い!日本サイコ-」っていう愛国ポルノは、
ちょっとちがうよね。
https://www.youtube.com/watch?v=YIyLUBdNAC8
https://www.youtube.com/watch?v=gE6beEdzhtI
もとが子守唄っての、よくわかるし。
https://www.youtube.com/watch?v=pI7V324e1zg
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
セクシャルマイノリティへの不当な扱いに対して「うまく言い返してやったった!」みたいな "胸がスカッとするお話" を熱心に紹介しているのをみると "愛国ポルノ" とか "フードポルノ" みたいなのと同じ匂いを感じる
⇒重い赤ん坊を抱き続け買い物袋を持ち続ける苦労を知っているのか?
俺は知らないが想像はできる。
鉄道会社がベビーカー専用車両なり、ベビーカー優先席を作ればいい
悪いのは誰だ?
忘れてはいないか?
人身事故がおきると死者へ舌打ちする日本というこの国の陰湿な部分を、
本当の悪は弱者か?
自殺者や子持ちの女を責めて何が解決する?
弱者が弱者を叩き、明日は我が身の自分から目をそらし生活保護者を叩いて優越感に浸れるのが日本人である。
強者である組織に媚へつらう私達日本人のネガティブな部分を今1度冷静に見つめ直してほしい
愛国ポルノみて自分の行動を省みることがなくなってしまったのか?
矛先を弱者に向けるのではなく
考えてまてほしい
東京五輪を境に日本人の汚らしい食事マナーは改善されるのでしょうか。
様々な国の人から言われてるように、日本人の食事マナーは先進国の中では最低の水準です。
酷いと言われてる振る舞いは多々あるのですが今回は特に下品な「音」に焦点を当てましょう。
言うまでもなく日本人は食事(特に麺類)の際に汚らしく音を立てます。
それを指摘すると決まって逆上して、これは日本文化だから、だとか、空気を一緒に吸えば風味が、だとか意味をなさない理屈を並べます。
重ねて、それは国際マナーに反していると指摘すると、レイシスト丸出しの排外主義的発言で相手を攻撃するのが日本人です。
全世界の人が下品だと感じているのなら、それは下品な行為なのです。
1964年の東京五輪の際に国際的なマナーが徹底されなければ、日本人は今でも、列に並ばない、ポイ捨てをする、所構わず痰を吐き捨てる、といった蛮行を続けていたでしょう。
前をほんの半端なボロで隠しただけの姿で歩き、猥談で盛り上がる男性を見てどう思いますか?
これはあなた方が誇る日本でほんの少し前まで一般的だった光景です。
愛国ポルノに侵された日本人には、西洋に汚された現代にはない理想的な日本に映るのでしょうか。
あえて、言います。
汚らしく音を立てて食事を摂る日本人の習慣は、野蛮です。
稚拙な理屈を並べて正当化するのは、さぞかし気持ちがいいのでしょうが、周りの気分を害するようなブンカは今すぐやめるべきです。
以上です。
いや別にそっちでもいいんだけど
最近は特定の趣向や主張に迎合した娯楽をそういうようだ、感動ポルノとか愛国ポルノとか
これって応用すればなんにでも言える
意識高そうなライフハックとかポエムは自己啓発ポルノとか言えるだろうし
生涯その人の仕事を左右しないであろう情報でも「ビジネス必見!」とか煽るのはビジネスポルノだ
美容や服飾をこれでもかとプッシュする雑誌の表紙なんてファッションポルノといって過言ではない
(ビジネスポルノとかファッションポルノってビジネスレズとかファッションホモみたいだな)
じゃあもう人々の欲望を刺激する宣伝、広告、情報は全部ポルノじゃないという勢いだ
一見こういうのの対極を目指したミニマリストも、それ自体がポルノ化したのが失敗だった
結局のところ「何者にもなれないお前を何かにしてやるよ」という誘惑をポルノと呼ぶんだろうか
たとえばエロい意味のポルノが、一部の男性にしか許されない「数ある女性の中から一人を、あるいは何人かをチョイスする」
という「男性の上位層に擬似的になれる」ことを提供する娯楽だと考えたら、そうかもしれない
こういうのとか、日本アゲのコンテンツを「愛国ポルノ」とか言い出すやつ
単に「いい感情を簡単に引き出す手段」みたいなのを「ポルノ」って安易に言い過ぎだと思う最近。
これが気味悪いと思う原因の一つに、「ポルノ」という単語に備わっている性的な忌避感を利用して
筆者が攻撃したい事象も同じくらい忌避感のあるものだよってミスリードさせる意図があるように思える
それ、言葉の使いたかた卑怯じゃん。攻撃したい事柄が有るなら文章の中身で示せよって思うわ
この風潮っていつから始まったんだ?
twitter流行ってバズワードが量産されやすくなってから?
いわゆる愛国ポルノと言われている書籍群というかコンテンツ群がある。ネトウヨ本とか嫌韓本ともいうあれと、日本は実はすごいところがある!っていうやつだ。
そういうのを売り買いするべきでない読むべきでないという主張をする人たちもいる。ここ何十年か主流だった日本的左な知識人ってやつ。
でもね、「日本すごい」本と「日本人はこんなにひどい」って本は私は同じものの表裏で、まったく変わらないものだと思う。
だって、残虐な大日本帝国の軍隊、っていうのはポルノだからだ。
軍隊があった時の日本はすごいひどい国だった、今は軍隊がない!うわあ、しあわせ、でも僕たちはひどい人の子孫だから永遠に謝って暮らしていこう。これポルノです。
わたしそっくりなアダルトビデオ知ってる。コンビニで万引きした女の子が店員につかまって警察に行く代わりにレイプされちゃうやつだ、これ。悪いことちょっとした人はいくらでもひどい目に合わせていいっていう筋書きはとてもきもちいい。
ここ70年ぐらいブームだったそういう勧善懲悪残虐ポルノですが、時代が過ぎるにつれ現実味がなくなって顧客が離れてきました。コンテンツの改良を怠ったからです。
昔なら食うに困って売り飛ばされた子供がおっさんに買われてめかけ、っていうのが筋として成り立ってたとして、そういうのばっかり繰り返すと飽きてくる。どんどんマニア向けに過激になっていって、コンビニ万引きレイプを経て駅ですれ違う時に肩がぶつかった時謝らなかった女がムカつくので追いかけてって誘拐監禁レイプ後バラバラ死体で土葬みたいなのばっかりになっちゃってついてこないわけ。
そこで新機軸です。今はバカで金がなくて汗臭くて気持ち悪いありのままのあなたの前にあなたをだいすきっていう相手が現れてらぶえっちしてくれる都合のいいポルノが流行しているわけですよ。すなわちそれが最近の愛国ポルノ。
それに「リアリティがない!男女が衝突したら絶対最後レイプになんないとAVじゃない!」みたいなこと言っても「現実見ろよご老体、どっちが売れてんの?」ってなるわけ。