はてなキーワード: 悪法とは
あの悪法の背景として、オタク差別やオタク蔑視してる人間が表現の自由を奪ってきたんではないんですね
出版社や漫画家らの要望というテイで自民党や警察官僚が警察権力の拡大を推し進める政策の一環なんですよね
共謀罪、漫画村ブロッキング議論の時点でおかしい事に気づけよ(笑)
安倍見ててどうやったらそんな馬鹿な認識が持てるのかちっとも分からん
まさか本当に自民党にも規制反対派がいるからまだ分からないとでも願ってるんですか?
あとこのらぐおじのまだ事態を理解してないのんきなブコメに笑った
rag_en よく分からんのですけど、“小委員会の最後にも、「異議なし」と仰った先生は2-3名でした”って、何故それであの悪法化が通るんだろう…。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ikegai/20190224-00115925/
超党派で団結すべき案件をフェミガーしばき隊ガーと発狂した挙句出版社や漫画家すら望まないダシにされた気分はどうですか?
肉屋を支持する豚さんよ
政治の話。
もともと安倍さん支持派だったんだけど、何故か統計問題で官僚庇ったりとか見てると流石にどうかなと思ってるんです。
いや、任期延期した時点でどうなのよと思ったりもしてたので、違う党に票を入れたりしてたけど、一向に変わりそうにない。
それで、何がこんなに支持されているのか。なんで野党がこんなにも支持されないのか。
もちろん過去の政策とか色々あるのだろうけど、自分も思うところはいっぱいあんですが、そういうのをひっくるめて考えてたら
野党は批判するのを止めたら支持率上がるんじゃないだろうかと思うわけです。
なぜそうなるか。
世の中って政治に疎い人が多くて統計の問題でもあれってマジでやばいのにやばいって思ってない人が多いと思うんです。
そんな中、批判を強めるのはもちろん必要だし多いにやってもらいたいのだけど、興味ない人間から見たらどうでもいいと思っちゃうんです。
人が罵ってる姿って同意を引けないと思うんですよ。
もちろん、自分が理解できることで批判してたらその効果は大いにあると思うんですが、いかんせん理解できないこと
興味ないことで怒ってる人と怒られてる人がなんとなく怒ってる方にマイナスイメージを持つものだと思うんですよ。
それにここ数年、あんだけ批判して怒っても何にも結果がでてないじゃないですか。
テレビなどのマスコミも批判してるところ放送した方が視聴率とか世間の注目を集められると思ってるみたいですけど
みんな、多分もう飽きて、またやってるって思うぐらいです。批判すればするほど逆効果。興味なくすだけ。
そこで、押してだめなら引いてみろと。
つまり、もう批判するの止めて対案なり、自分たちの考えついた政策をバンバン言ったらどうなのかなと。
今の政府が何してもどうせ、数の差で通るなら、そんなもの無視して自分たちのより良い案を提示するんです。
マスコミも批判するんではなくて、こっちの法案良さげですよ~って放送するんです。というか、批判がなければそれを放送するしかないですよね。
そうすると、自分に利益ありそうなことが宣伝されてたら興味持つと思いませんか?
よくわからない法案止めるより、いい法案を提示するって方がわかりやすいと思いませんか?
この考え甘いですかね。それとも野党に期待しすぎですかね。
人工妊娠中絶はしばしば女性の権利の問題として語られるが、冷静に考えてみれば別に女性の権利でもなんでもないような。
胎児が人間ではないとする立場を取るならば、胎児は母体から栄養を供給されることによって成長するものであり、母体の身体の一部であるのだから、爪や髪、あるいはタトゥーといっしょで、より普遍的な「自分の身体の一部を好きにする権利」にすぎないように思う。私は髪を短くしておくのが好きだけど、長く伸ばすのが好きという人もいるし、それを配偶者や親が「いや、お前は髪を伸ばさねばならない」とか「髪を切れ!」と強制するのはおかしい。胎児もそれと同じで、ことさらに「女性の権利」と呼ぶようなものではないと思う。自分の身体に関する権利は男女がともに等しく持っているのだから。
逆に胎児が人間であるという立場を取るのなら、中絶は殺人であり、殺人をおかす「権利」はいっさい認めるべきではない。アメリカの中絶反対派のなかには、中絶には反対だがレイプでできた子は中絶してもよい、という立場を取る人がいるようだけれど、はっきり言ってわけがわからない。レイプされたという理由で罪もない一人の人間を殺してよい理由はどこにもないのだから(レイプ犯への復讐すら殺人罪に問われるのに)、仮に胎児が人間であるとするならば、レイプされてできた子供であっても人工妊娠中絶を認めるべきではない(もちろんその子供を育てる義理はないので、施設に預けるとかそういう選択肢が存分に保証される必要があるけれど)。中絶をしなければ母親が死ぬという場合に限っては緊急避難が認められる余地はあるだろうが、そうでなければレイプされてできた子供だろうが経済的に養えない子供だろうが、人工妊娠中絶を選んだ妊婦や産科医は殺人罪で訴追されるべきだ(情状酌量がされてはいけないとはもちろん言わない。裁判にかけられるべきだと言っている)。なぜなら、人を殺した者は殺人罪で訴追されるべきだからだ。
私はそもそも胎児は人間ではないと思うので中絶は自由だと思うけれど、それを「女性の権利」と言うのは上のような理由で違和感がある。また、ローマ・カトリックが中絶絶対認めないマンなのを理解不能と呼ぶ人を見かけるが、胎児は人であるという前提条件を採用するなら中絶絶対認めないマンにならざるを得ないので、理解できないという人の方がわからない(ただし、「私人が勝手に人を殺してもよい」という前提を持っているならば、「胎児は人間」と「中絶は自由」は矛盾なく両立するので、論理的に必ず中絶の禁止が導かれるわけではないことは注意したい。ヒャッハー!)。
かつてとある場所で、中絶の可否について議論したことがあった。私は「中絶は自由」派だったのだが、「胎児は人間なので中絶反対」と言っている反対派を、経済的に困窮した女性はどうなる、とフェミニストであろうと思われる賛成派が追及していて、お前の言ってることはおかしい、と横から突っ込んだ。「胎児は人間なので殺してはいけない」という主張に「経済的に困っている人もいる」と反論したら、それは「経済的に困っていれば人を殺してもよい」という主張と同じだ(「人を殴ってはいけない」という主張に「聞き分けのない子供はどうすればいいんだ」と反論したら「聞き分けのない相手ならば人を殴ってもよい」と言っていることになるよね? それと同じ)。「胎児は人間」と主張する人に対しては「胎児は人間ではない」と返すべきで、それに対して経済的困窮とかレイプ被害とかを持ち出す論者は、貧困層であることや性暴力被害に遭ったことを理由に罪も無い人を殺してよいと主張していることになる。80歳の老親が50歳の引きこもりの子供を殺したら殺人罪なのだし、長年の性暴力に耐えかねて人を殺した尊属殺法定刑違憲事件だって、「裁判を経て情状酌量が認められた結果執行猶予がついて釈放された」のであって「人を殺したのに裁判にかけられずに堂々と暮らした」わけではない。もしも仮に胎児が人であるならば、20歳の妊婦が胎児を中絶する行為も、同様に扱われるべきであるはずだ――もちろん実際には、胎児は人ではないので、中絶した妊婦も裁判にかけられる必要などないのだが(堕胎罪は有名無実化しているとはいえ悪法なのでさっさと廃止するべきだ)。
神学論争になっちゃうじゃないか、と言われればその通り。結局これは徹頭徹尾「人間の始期」をどこに置くかという神学論争に過ぎない。生物学的には受精卵から乳児に至るまでの過程は連続しているが、社会的にはどこかで線を引く必要がある(乳幼児から成人に至るまでの過程は連続しているが、社会的にはある瞬間から選挙で投票できるようになったりお酒が飲めるようになったりするのと同じだ。15年経てば20歳になるのだからこの5歳の幼児を成人として扱って酒を飲ませてもいいじゃないか、と主張する人は皆無なのに、1年経てばこの胎児は乳児になるのだから人として扱うべきだ、と主張する人が後を絶たないのは奇妙なことだと思う)。なので本質的に人工妊娠中絶をめぐる問題は女性の権利とはなんの関係もないのだ。これを「女性の権利」と呼ぶのはミスリードにすぎないと思う。
大失敗に終わった東京五輪から10年、日本の人口が3ヶ月の間に1割近く減った。
東京五輪の際、国内外のフェミニストたちによる精力的な活動により日本のオタク文化が世界的に批判された。初めはゾーニングの問題から始まったという。世界中から、そして国内から批判を浴びた業界人たち(すなわちアニメ、ゲーム、漫画、ラノベ、特撮、アイドル、声優等)はまず自分たちの正当性を主張した。ポルノではなく文化であり、芸術の一形式であると。しかし反論すればするほど批判の声は高まり、圧力に負ける形でゾーニングせざるを得なくなった。オタク文化は18歳以上のものとされたのである。
ゾーニングによってオタク文化は守られ、それ以上存続に関わるような決定的な批判を浴びることは避けられた、業界人たちはそう思った。しかし事件が起きた。20年代に頻発した女児殺害事件である。最初の事件はセンセーショナルに報道された。犯人がオタクだったからだ。犯人の家にはアニメキャラクターのポスターやタペストリーが飾ってあり、性器剥き出しのアダルトフィギュアが部屋中に溢れていた。フェミニストがこの事件に食いつかないわけがなかった。事件とともにオタク批判が盛り上がった。さらにオタクにとって不運だったのは似たような女児殺害事件が再び起こったということである。フェミニストはオタクという存在の危険性を主張しはじめた。この二番目の事件において犯人はオタクではなかったが、フェミニストたちの激しい主張により、いつの間にか世間の認識は「犯人はオタクである」となっていた。
悪意というものは一番弱いところに向かうものだ。東京五輪の失敗を受け、多大な負債を抱えた人たちが次々に女児を殺害していった。20年代の女児殺害事件は常軌を逸していたと言っていい。今一度確認しておくが、20年代の一連の女児殺害事件において犯人がオタクだったのは最初の事件だけである。しかし20年代の痛ましい事件はすべてオタクの責任ということになった。話がやや複雑になるが、中には「俺はオタクだ」と名乗った犯人もいたが、実際に捜査してみるとオタクではないというケースもあったようだ。精力的に活動する反オタク主義のフェミニストたち、彼ら彼女らに賛同する一般市民、自暴自棄になって事件を起こす犯人たち、国内のマスコミ、そのすべてが全責任をオタクに負わせようとした。
そしてオタク絶滅法(「オタクと判明した場合、即座に死刑に処する(その場での殺害も可)」)の登場である。世界的に死刑が廃止されていく中で信じがたいことだが、2030年代の日本は完全に狂っていた。東京五輪の失敗というトラウマからいまだ回復していなかった。日本全体が生贄を求めていた。何かに責任を負わせてすべてを清算したかった。ゾーニングによって世間の表舞台から消えていたオタク文化が再び掘り起こされていった。すべての業界関係者、業界を支えるファンたちが問答無用で連行され即日処刑、あるいは抵抗する場合はその場で殺されていった。多くの血が流れ、あっという間に日本からはオタクと名乗る者が消えた。フェミニストたちは最大の功労者として権力を握った。これで日本は復活できる……人々の熱狂は大変なものだったそうだ。
しかしこのゆがんだ悪法が人々を本当の意味で幸せにするわけがない。日本人が反オタク主義に慣れきったころ、一つの事件が起きた。ある会社で働く女性社員が上司に叱責された。同僚のインタビュー記事などによれば、叱責はどの会社でも日常的にあるような軽いものだったという。しかしその女性社員は叱責されることに慣れておらず、ものすごいショックを受けたらしい。鬱病になって会社をやめることになった。歴史的に大きな事件が起きるときには様々な要素が偶然絡み合うものだが、この場合もまさにそうだった。女性社員はフェミニストだったのである。
彼女はもちろんフェミニストの栄光を知っていた。誰もが絶望しきっていた東京五輪の失敗からフェミニスト主導のオタク絶滅政策によって日本が復活するという栄光の歴史を。無職になっていた彼女はある日会社を訪れ、自分を叱責した元上司に向かってこう言い放った。「この人、オタクです」
周囲にいた人たちは青ざめた。それが意味することを理解していたからだ。しかしまだ事の重大さを真に理解していたわけではなかった。彼はオタクではないのだから、そんな言いがかりだけでどうすることもできないだろう……。監視装置が「オタク」という言葉を感知すると自動的に通報され、すぐさま警察がやってきた。取り調べが行われ、元上司のスマホが調べられ、自宅に向かった捜査員はあらゆる端末のデータを調べた。数時間しても彼がオタクであるという明確な証拠が見つからなかった。警察はフェミニストの女にこの男が本当にオタクであるのかと確認する。そこで女はただこう言ったそうだ。
「私はフェミニストです」
その場で元上司は「オタクである」という理由で射殺された。フェミニストの女は死んだ元上司の顔に唾を吐きかけると帰っていった。
この一件はマスコミによってオタク絶滅政策の一環であると報道された。しかし職場の同僚たちは反論し、事件の真相はネット上で速やかに広がっていった。「オタクという明確な証拠がないにもかかわらず、フェミニストにオタク認定されただけで殺された」 フェミニストは理論上誰でも好き勝手に殺せる……
反オタク主義に固まっていた日本が少しずつ揺らぎ始める。それは反フェミニストという形で現れた反動である。フェミニストの大物が暗殺されると、オタクを名乗る集団による犯行声明が動画サイトに投稿された。地下に潜っていたオタクたちが立ち上がったのだ。オタク絶滅法の施行された30年代は高度な監視社会だった。だが監視社会はテロを防ぐことができず、フェミニストは次々に殺されていった。
やがて人々は東京五輪の失敗はオタクだけのせいではなかったと気付き始める。たしかに東京五輪を契機に世界的なオタク批判が巻き起こった。しかしオタク絶滅法は人道に反すると諸外国から批判を受けたことも事実であった。それでも当時の日本にはもう一度立ち上がるための生贄が必要だった……
私は日本州に生まれたことを嘆いてはいない。この島には悲しい歴史がある。私たちはそういった負の側面を背負っていかなければならない。オタク絶滅法以降、日本の少子化、人口減少はさらに進み、今や人口は3000万人程度だ。最近、愛国者たちによる独立運動が盛んで、毎日どこかで集会が行われているが、私たちはかつての日本国を美化するようなことがあってはいけないと思う。
最近は横暴な自転車に対する風当たりも強いし、生真面目な性格なのもあって、わたしはなるべく道交法や市の道路交通規則を守るように意識しています。
ただ、ちゃんとしたルールがまぁ一般にことごとく浸透してなかったり、守らない人が多数派になっているのが現状で、法律上正しい運転をしていると却って危ない目にあったりすることも多いです。
なので法律上正しい動きをしている「まともな自転車の動き」の中でも、特に知られていなさそうなことをざっくりとまとめてみました。
少しでも多くのドライバーさんが「そういう動きをする自転車がいる(本当はそれが多数派になるべきなのでしょうが…)」ということを気にかけてもらえたらと願っています。
※「信号を守る」とか「一時停止で止まる」とか見て当然、当たり前に分かるのようなものは省きます。
信号のない横断歩道についての停車条件は自動車と同じで、明らかに人がいない限りは減速しますし、横断しようとする人がいる場合は停止します。
わたしはふだん車道の左端を走っているので、自転車が変なところで急に止まったと思ってクラクション鳴らしながら右脇を追い抜いていく車が多いですが、
安心して渡ろうとした歩行者と接触する可能性がありますし、そもそも横断歩道前で停止している車両(自転車含む)を抜く際は一時停止する必要があります。
これはちょくちょくネットでも話題になっているのでご存知の方も多いと思います。
二段階右折するような自転車乗りは大体ちゃんと手信号を出すので、右折指示を出していたら「渡った先で止まるんだな」くらいで考えてもらえば大丈夫だと思います。
よく危険を感じるのは丁字路で「丁」の横線部から縦線部に曲がるときでしょうか。
十字路と違って待機時に退避する先がないので、後続車両との間隔と速度、手信号を理解していそうかを加味して、危険そうであれば丁字路に入る前くらいから十分に時間をかけて減速するようにしています。
また、道路の左端は信号待ちの間に自動車をすり抜けで追い抜こうとするバイクに突っ込んでくる場所でもあります。
(実際に何度か突っ込まれかけた)
横断歩道とよく一緒に設置されている自転車横断帯が交差点の付近にある場合は、そこを通るようにして交差点を直進します。
大概の自転車横断帯は少し交差点を曲がった部分に設置されているので、自動車から見れば「自転車が一瞬左に曲がったかと思ったら急に道路を横断しだした」ように見える動きになります。
わたし自身は左折する際は左折の手信号を出すようにして、なるべく直進なのか左折なのかを区別できるようにはしていますが、それでも自分が(横断帯に向かうため)左折しているところを後続の自動車が交差点内で追い越そうとしてきて、横断時に横から接触されたことが何度かあります。
そしていずれのドライバーの方も、「左折だと思っていて、急に直進するとは思わなかった」と仰っていました。
自転車は原則として最も左端のレーンを走る規定があり、レーンごとの進行表示(左折、直進など)の影響を受けません。
そのため、左折する場合、直進する場合、(二段階)右折のために直進する場合、すべて左端のレーンを走ります。
組み合わさると厄介なのが、歩道橋のある大型交差点に見られる「左折のみ信号なし交差点」や、赤信号の左折青矢印です。
自転車が走っている左端のレーンはおおむね自動車の左折レーンであることが多く、「直進したいが赤信号に従って停止する自転車」と「停止せずそのまま交差点を左折したい自動車」が同じレーンに同時に存在することになります。
わたしはなるべく路肩に寄って、後続の左折車が通れるスペースを空けるようにして停車しますが、そもそも自転車が停止することを予期していない自動車も多く、クラクションを鳴らされたり、怒ったように急加速していくのをよく見かけます。
車道を走っている自転車は基本的には車道の信号に従いますが、歩道に設置された信号に「歩行者自転車専用」の表示があるときだけ歩道のほうの信号に従います。
歩車分離信号だったり、歩道と車道の青→赤のタイムラグが大きいと、こちらも交差点で停止する自転車と、交差点を通過したい自動車の衝突するリスクがあります。
ただ、このルールはそれだけではなく「歩行者自転車専用」の表示が見にくいという致命的な欠陥があります。
多くの交差点の歩行者信号は交差点の奥まったところに配置されていて、見通しの悪い交差点は停止線近くまで来てはじめて「歩行者自転車専用」の表示が見えるようなケース、交差点の手前側角の街路樹で表示が死角になるケースなども頻繁にありますし、そもそも夜間はほぼ見えないことも多いです。
そのため普段走りなれている道ならともかく、知らない道では青信号であっても交差点手前で減速せざるを得ませんし、そのうえで停止することもあります。
代表的な「自転車の分かりにくい/ドライバーに勘違いされやすそうな動き」を紹介してみました。
ただ、だからといって「ドライバーは全員自転車に気を遣え」というつもりは毛頭ありません。
こういったイレギュラーな判断も正確に迅速に行えるような自動運転が普及してくれるのが一番の理想ではありますが、さすがにそれが実現するのはまだまだ先の話として、どちらかというと、正しい動きをする自転車乗りが増え、自然とドライバーがそれを目にして、「自転車はああいう動きをするのだな」と普通に判断できるようになるのが順序としては正しいのでしょう。
https://note.mu/shiokona/n/n43ff70db7b1b
これね。
全体的に無知すぎて突っ込む気すら起きないけど一点だけ書いとくわ。
ないに決まってんだろ。性器無修正の「オタクイラスト」がどんだけあるんだよ。誰も見ないような個人サイトですら性器には修正かかってるし、かけなきゃプロバイダが速攻でBANするだろ。本社がアメリカだからで好き放題やろうとしたfc2ですら有罪判決受けてんだぞ。しかもfc2は実写だから無修正はまずもって国内では違法なのははっきりしてるが、「オタクイラスト」で同じ基準を持ち出してすんなり通るわけがないだろうが。当然、商業流通してるものに「わいせつ物」なんかあり得ないし(あり得ないからこそチャタレイ事件は裁判にまでなってんだよ)、同人誌も同様。それを「正式にわいせつ物認定」だって?言葉悪いけどさ、馬鹿も休み休み言えよ。
んで、今回に限らずだけど特にこの手の話題で目立つのが、こいつのように救いようのないバカで無知なくせにいっちょ噛みしてくる奴ら。
こいつもさ、これだけの駄文を長々書いてアップロードボタン押す前にちょっとでも考えなかったのかな?「私って法律とかいろいろ言及したけど知識不足じゃないかしら?」って思わなかったのかな?思わないんだよね、バカだから。無知だけどバカじゃない奴らは無知の知があるから黙ってるもんね。幸色のワンルームの時もいたよね、オタク男向けの作品だと思い込んで子供のために!と批判しまくったら実際は女子中高生から支持されてたと知ってnoteに駄文書き散らかしてツイ垢消した奴。「わいせつ物」「ゾーニング」「合法・違法」「モラル」なんて知ったかぶって使うくせに言葉の意味も知らないとかいうレベル。それで議論のステージに上がろうとしてくるってマジで共感性羞恥に襲われそうなくらい恥ずかしい。
無能な働き者って言葉があるが、なんでこういう奴がこの手の話題には多いんだろうと考えたんだよ。こいつも自称オタクらしいが、オタクなら自分の好きな作品鑑賞したり二次創作したりで忙しいもんなのにな。
結局のところこういう奴らってオタク活動においても充実してなくて暇なんだと思う。創作もできない、できても人気は出ない、読み専ROM専だけど買い漁るほど金もない。どんな活動も充実させるには金かクリエイティビティが必要だが、そのどっちもない奴ら。ツイッターで興味のある界隈を眺めてても注目されないからつまらない、私もいろいろ考えてるの!私の意見も聞いて!私は私は!って思いだけがバーストして、今回のようにオタク界隈(敷居が低そうに見える)の論争に異常な情熱を燃やすことになる。ラノベ(敷居が低そうに見える)なんかよく知らないけどゾーニングとか差別とか語ればそれっぽく見えるでしょっていうね。もちろん本人は本気で問題提起してるつもりなんだろうけど、リサーチもなければごく一般的な法知識すらない。なぜならバカだから。バカが注目されるためには雑な炎上しかないわけで、いろんな人が長年ああだこうだと精緻に議論している土俵に知識不足のまま乗り込んできて「これはわいせつ物だと思いまーす!」とかやらかす。
あのな、お前のようなバカのせいで175条という稀代の悪法が拡張されたら末代まで祟るからな。
バカの言う「あれもこれもわいせつでーす」が是認されることなどあり得ないが、せめてお前がしてることは議論を邪魔するだけのゴミの撒き散らしなんだと分かれ。無知でバカの暇人だからって真面目な議論の最中に議論ごっこを仕掛けるな。議論っぽいことをしたいならきのこたけのこ論争でもしてろ。
しかしなんだね、walkawayなんてことも言われるようになってきたらしいが、リベラルが正義と寛容を掲げる以上は無能なバカでも包摂せねばならないわけで、こういう奴らの意見(笑)ですらいちいち取り上げていかねばならんなら歩みは遅々として進まないのも当然というかね。意見を述べたいならまず勉強しろよと思っちゃうのも切り捨てになるのかねえ。
ていうか、多分ネトサポなんだろうな。
あまりにも高プロ導入の分が悪いからと頭の悪いやつが騙されて高プロ賛成にならないかと
けどさ、もう新自由主義の自己責任社会で社会がぼろぼろになって、その歪みが明らかになってきている。だからもう騙されることはないんだがね。
正直野党は経済政策が信用ならんが、野党に入れて痛い目見させたほうがマシな気がするわ。どうせ与党がこのまま勝てば使い潰し社会になるのなら、政権がフラフラして悪法通せないほうがマシだ。
杉田水脈さんは保育園を電波な妄想で責めたり↓みたいな事を国会質問で言ったり
本来日本は、男女の役割分担をきちんとした上で、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。
女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名の基、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。
男性ばかりか当の女性までが、女性にしか子どもが産めないことをネガティブにとらえる社会になってしまいました。
その結果、ドメスティックバイオレンスが蔓延し、離婚が増加。少子化や子どもの貧困の原因となっています。
次世代の党は、この男女平等参画基本法という悪法を廃止し、それに係る役職、部署を全廃することが女性が輝く日本を取り戻す第一歩だと考えます。
「男女差別撤廃条約」の破棄、男女共同参画基本法の撤廃を行い、男女がお互いに尊重し合える社会を取り戻すことを日本国の皆さんにお誓いして、私の質問を終わります。
女の子は本来『俺の可愛い女』って言ってくれる男とずっと一緒にいたいものです。本能に逆らうとGAPが出てきてしまう。日本全体がそんな状態になっちゃってしまっている。そんな気がします。
こんな感じで日本古来の役割分担を主張しながら自分は子供をゼロ歳から保育園に入れて公務員や政治家してたし、一般の女と自分を分けてるのだろうか。
名誉男性って奴なのかな。