はてなキーワード: 恩恵とは
その今年のル・マンでBOPの恩恵を受けたポルシェやプジョーが勝つチャンスがあったかと言えばほぼノーチャンスだったわけで
BOPがあれども結局良い仕事をしたチームが最終的に勝つ可能性が高いのはスポーツらしいところでもある
まあ流石に今年のル・マン直前になっての調整はどうかと思うけど
https://twitter.com/honne_ped/status/1690016644825849856?s=46&t=-8QmoVUqOCEN3PStH-mA6w
「発達障害(特にASD)はかわいそうだと思うし、うまく生活できるとええなとは思うが
自分は基本診たくないし、100%自分のこどもにはなってほしくないんじゃ
ほんとに医者なのか!?とか怒られても、嫌なものは嫌なんじゃからどうしようもない」
一般小児科医は神経についての専門ではないから、専門的に診れないのだろうということはわかる。しかし何より重要なのは、精神科医の私からしても、「100%自分のこどもにはなってほしくないんじゃ」については同意するということだ。
この言い方も良くないとは思うが、私はASDもADHDもあり、学校では常に問題児だった。発達も遅かったし、家族からは馬鹿だと罵られた。友達もあまりいなかったし、いつも周囲から悪者扱いされて、いじめも何度も受けた。そのせいで鬱になり、私自身が患者として精神科も受診して投薬も受けた。
他方、私は「運良く」頭がよく生まれた。自分自身の死に物狂いの努力を否定するわけではないけれど、そもそもの地頭はそれなりに産んでもらえたので、医学部に受かることができた。しかし、医者としてやっていくには座学のお勉強だけでは駄目で、現場で求められる手技や要領の良さ、マネジメント能力などが欠如していたので、内科医にはならなかった。私でもなれる診療科は限られ、正直言えば精神科の他にはいわゆる臨床系はなかったので、精神科に進んだ。
精神科医として、発達障害、特にASDはとても思い障害だと思う。治すことはできないし、周囲から理解されないので阻害されやすく、二次障害も起こりやすい。そしてストレスから精神病的な反応も出やすくて、そうなると抗精神病薬(いわゆる「メジャー」トランキライザー)も必要になるが、統合失調症などの本物の精神病に比べると効果も出にくい。まじでそこに知的障害も重なると社会適応は絶望的で、本人もつらいし、その家族もとてもつらい。支援者は可能な限りつけるが、支援者と言っても仕事でやっているだけなので、お金が出ない範囲のことをしてくれるわけでなく、最後は家族の無償奉仕で何とかするしかない。
私は優生思想ではない。学者には発達障害が多いことも知っているし、世の中の発展のためにはこうした多様性は必要だと思う。一方で、そうした恩恵に預かれる発達障害者は一部に過ぎず、多くは不適応を起こしてしまう。私もその一人のつもりだが、重篤な当事者から見れば、医者になれているんだから違うだろうと言われるかもしれないが、私の学生時代は悲惨だったし二度と経験したくない。それをこれから経験しないといけない発達障害の子供たちのことはとても不憫に思う。それが自分の子供なら尚更だ。
まとまりがなくて恐縮だが、「発達障害には子供にはなってほしくない」が差別発言だと言われるのは、あまり理解ができない。「子供に癌になってほしくない」「子供に病気になったほしくない」。これが差別なのだろうか。「発達障害は個性だ」という建前的な発想がどこかにあるのだろうか。私にはわからないが、差別発言だというなら、当事者の現実を助けてほしい。当事者が求めているのは綺麗事ではなくて、社会から受け入れられることなのだから。あなたがいじめてきた人、あるいはたった今いじめている人の中に、きっと当事者はいます。
https://twitter.com/honne_ped/status/1690030276360224768?s=46&t=-8QmoVUqOCEN3PStH-mA6w
基本的に社会とは辛く苦しく、常に何かしらの障害が立ち塞がる性質のものだと思っている。いわゆる富裕層から貧困層まで、種類は様々だが抱えている問題は尽きることがない。最低限の衣食住の問題、それが満たされたら、自己実現、承認欲求、世間体など。
特に私たちのいるこの日本は、この年齢になったらこうあるべき像が強過ぎて、否が応でもそれに引き寄せられる。鉄の意志を持っていてもこれに抗うことは相当難しい。
正直自分の頭で試行錯誤したり、道を見つけようとすればするほど苦しくなるので、頭を使わず流されるのが一番気楽ではないかとふと思ったりもする。
しかし、そういう縛りがまた社会的規範を構成している要素なのかと思うと、世界の中では平和でマシな国で生まれ生活出来ている恩恵とのトレードオフなのかもしれない。
粒度や違いはあれど、一人一人が何かしらと戦っていると思うと、自分だけが不幸で恵まれてないなんて思う事はネガティブ過ぎるのだろう。
タイトル通りなんだが、これ何とかなんないの?
私は30代前半なのだが仕事の関係上過去の給与明細や売り上げなどを扱うことがある。
そこで気が付いたのだが20年前と今じゃ、物価は1割上がっているのは間違いないし税金に至っては2割程度上がっているように思える。
さらに生活必需品とされる携帯電話や電気、ガス等の光熱費も上昇傾向だし、そりゃ子供の出産はおろか結婚なんて出来ないよw
ってのは今まで100回以上インターネット等で見てきているし、実際その通りだ。
しかし、50代のバブル景気や年功序列制度の恩恵を享受してきた老害どもは口をそろえて
「今の時代は良いよ、便利になったし色々な情報が手に入る。俺が若いころは~~~」以下自分語り
みたいなことを平気で言う、あり得ない。
俺はお前ら老害の苦労を知らんがお前ら老害は俺らの苦労を知らんだろう。
手取りは20万にも満たず、家賃5万円、光熱費1万円、食費3万円、携帯代1万円、交際費2万円、保険料1万円、交通費1万円、車両維持費2万円。
服飾費や消耗品購入、趣味に少しお金をかけると4万円なんてすぐに吹っ飛んでしまう。
こんなんじゃ生活保護の方がマシまで考える奴が多いのも頷ける。
また、支出の内訳を見て、
「通信費高杉wまさか三大キャリア?wY!モバイルなら~~~」
「そんなに生活に不自由するなら交際費削れよwそこまでして維持する関係なの?w」
という意見もあるだろう。
しかし俺は生きるために仕事をしているだけで、仕事をするために生きているのではない。
多少の楽や楽しみが無いと生きていけない。
「あれもイヤ、これもイヤ、でも楽はしたい!って赤子の意見か?w」
買ったのは新明解国語辞典(8版)
別に辞書が趣味ではないが言葉を扱う機会が増えてきたので索引先を明解にするために買った
辞書的な意味ではこれはなんというのだろう、ということを日々考えていたので今更ではあるが
これとは別に、10年位前に当時の会社の上司や先輩から紙の辞書を勧められていたのを思い出す
ただし彼らは別に辞書そのものを愛用していたり実際に所有・使用しているわけではない
たんにネットで検索している自分への当てつけに言ったに過ぎない
いわく「紙の辞書だと雑学が深まる」「ネットで検索しても紙のような発見はできない」のだそうだ
当時は鼻で笑っていたがそれも一理あるとは感じていた
だけど勧めている人が別に辞書に興味を持っていない時点でその言葉には大した重みはないと感じる
辞書や書籍は単なる知識の塊でしかないので使っている人にのみその恩恵がある
白手袋して液晶にかけてある発泡ビニールを取らず梱包の八方スチールに載せたままスタンド装着した。
そのまま机に載せてケーブル刺してPCと繋いでウッキウキでスイッチON。
うおお画面広い!!!文字のサイズだけスケーリングしたり設定した。感動した。
よっしゃ!100Hzの恩恵に預かるで!!!某クソFPS起動した。
気づいた。
画面の中央に緑色の線がある。2㎜。思わず触ってしまった。取れない。即終了。
ドット抜け確認HPでチェック。白い画面に移る、緑色の線。やっぱ触る。取れない。
傷。ドット抜けじゃない、傷。
は~い返品しま~す返品で~す返品~
買うときはクソだけど返品とかやると神だよ神
にしても何も傷が入るような操作してねーのにほんま
どうしろってんだよ
はあ~同じの買うか1万足して別の買うか迷っちまうな
全部俺の感想だよ。
タイトルみたいな話は無限回されているので、今更その社会的背景がどうたらとか書きません。少子高齢化のくせに子どもを産む風潮ができず、外国人を入れるか入れないかとかいう目先のことにだけ集中して、とにかく先のことを考えなさすぎた政府および国民の怠惰さのせいで滅びます。本記事では、この「怠惰さ」って所を少し深く見ていきたいです。
で、この怠惰ってのが具体的になんなのかというと、これ「人が人を尊重しないこと」に起因してくると思います。
言い換えると、「人が人をバカにし続けている」ってことです。こちらの方が実態を表しているかもしれません。
本当にこの国の人間は、家族や友達といった繋がりのある人間はともかく(とはいってもそれすらバカにしてるやつはしこたまおりますが)、他者に対するリスペクトってのが圧倒的に足りないです。もちろんそういうのが備わっている人もいるにはいるのですが、少なすぎて薄れています。筆者はこういうの「備わっているのが当たり前」だと思っているんですが、皆さん全然ダメです。 じゃあどういう場面でこのイカれた国民共が「他者をバカにしている」「他者をリスペクトしていない」のかなというのを見ていきたいです。
①ブルーカラーへの軽視
ブルーカラーの人手不足が半端ないです。 なぜかって、そういった人たちをバカにしまくってきたからです。 世の中の親御さんがこう言ってるシーン、あるあるでは?道路工事をしている人を見て、子どもに「勉強しないとああなるよ」って。職業差別・軽視も甚だしすぎてもうどうしようもないんですよね。彼らが作ってくれる道路を歩いて、運転して暮らしているのに、それを作ってくれる人を軽視するのはどういう理屈なんでしょうね? 確かに彼らが一律に高学歴であるとか、そんなことは無いかもしれません。 確かに彼らが不良っぽいとか、そう見えるかもしれません。 でもそれとこれとは全然関係がないですよね。相手は仕事を「してくれている」自分は「恩恵を受ける」立場なんだから、相手のステータスがどうであろうと感謝の意は示すべきだし、そうでなくても軽視する方向に行くべきではないですよね。 なんだろう、小学生でもわかってるやつはわかってると思うんですが、改めてこういうこと書くのって「1+1=2」っていうのと変わらないですよね。
これは、その言葉の範囲の中にいる人と人が、職場内ー職場内の人間関係と、職場内ー職場外の人間関係という点で異なると思うんですけど、どちらも「人をバカにしている」ことに変わりありません。 相手が「若い・能力が低い・弱そう・なんだか気に食わない」からといって、自分のストレスをガンガンぶつける反社会的な人間が多すぎます。一見普通の人に見えても、いざ自分が相手の不手際によってちょっとでも損害を被ってしまった場合、鬼の首を取ったかのように変貌する人が大多数います。まあこれは「お客様は神様」とかいう言葉を曲解して自分の都合のいいようにしか考えてないバカが広まり切ってしまったという背景もあるんですが、この言葉を言った人はほんとこの国に大きな禍根を残したなと思います。 んで、こういう反社会的な人間が増えると、当然相手も人間ですから、「アホくさ」っつって別の場所で幸せを探すようになるんです。ここの部分を甘く見ていつまでたっても対策もせず「客」を増長させ続けてしまったところにこの国の罪業があるんですが、その結果、必要な人員が確保できず、色々な面で衰退していく一方になってるのですよね。そうしてケツに火が付いた状態で慌てても、無いものは無いし、一度染みついた印象というのは、インターネットの情報の波に刻まれ続けて消すのは非常に困難になりますよね。 店員だろうがなんだろうが、相手は同じ国の人間だし、親兄弟もいるかもしれんし、友達もいるかもしれん。その時たまたま役割が違うだけの普通の人間で、タイミングによってはその役割が真逆になるかもしれない。そんな当たり前のことも理解しないでただギャーギャー騒いでいる「カス」タマ―が本当に多いよね。カスハラなんて言葉が流行るわけですよ。自分が、あるいは自分の身内がカスからハラスメント受けたとしたら、どう思うんでしょうね?相手の痛みを知らない人間が多すぎる。日本人って世界でも有数な「意地の悪い民族」らしいですよ。
①、②を踏まえて少子高齢化
①と②と少子高齢化ってすごく関係がありますよね。高齢化はぶっちゃけどうでもいいんです。子どもがバンバン生まれれば薄まります。問題は子どもがバンバンところかバンも生まれてない。何でかって言ったら、「子ども」および「子どもを産む人(つまり親)」に対するディスり具合もすごいんですよねこの国は。 育休取ろうとして、快く取らせてくれる職場ってこの国にはそうないです。表面上は良い感じかもしれませんが、内心クソだるいと思っている人もいます。代替の人員が必要ですからね。すぐ見つかるなら良い。けど人手不足で見つからないだろうから、残っている人に負担がかかるわけで、救済措置もロクにない所が大多数ですよね。だから子育てするヤツにヘイトが向けられていきます。まあこれは救済措置がとれないぐらい余裕のない職場もどうかと思いますが。
あと、子どもの声がうるさいと言って公園に怒鳴り込む老人とかもニュースになりますよね。自分が子供のころの事を棚に上げて、自分だけが実害を被ったらキレだすあたり、意地が悪いですよね。家に悪戯されたとか窓割られたとかじゃない限り、声ぐらい受け入れてしかるべきではないでしょうか。
あーあと、出産子育てを「誰か他の人がやってくれる」って感覚の人間も多すぎな。まあこれは自由恋愛における弱者の増産と、低給料高税金のせいで子どもを産み育てる自信がない人が増えたってのがデカいし半分くらい政府のせいなんだけど、政府がおかしなことしてるなら是正することができるのがこの国の仕組みなのに、面倒だからといって何も行動しない人が多すぎますね。面倒だからって選挙に行かない若者の割合とか、見たことありますか。んで、そういうのが積み重なった結果、「自分には子育て出産とか関係ない」「他の人がやってくれるだろう」っつってぼんやり毎日を過ごす人が増えまくっている。増えまくっているから、今こうなっている。とことん他力本願な人が増えていて、黙っていてもどうもならんのですよねこれは。
というわけで、人が人をバカにしまくって、尊重しない結果、インフラも経済も仕事環境も全部ボロボロになってオワるのでした。ちゃんちゃん。上位数%の有能は海外に逃げて助かるかもしれませんね。でもそれ以外は、沈みゆく国でブラックと貧困と弱った国を強奪しようとする外国人に苦しみながら死んでいきます。天寿を全うできるなら良いかもしれませんが、脆弱になったインフラによるしょーもない事故とか、医者が足りなくて病院にかかれなくて死んでいくとか、自殺とか増えてくでしょうね。 この国の行く末が本当に楽しみだ。
これの何が気持ち悪いって、「研修」先がフランスだって事なんだよなあ。
マリー・アントワネットやジャンヌ・ダルクの国。お洒落でハイソで進んでいるイメージの、芸術と美食に溢れたヨーロッパの先進国。
実態がどうあろうと、フランスに対するそういうイメージは未だ変わらない。
で、そういう豪華な「研修」旅行に子供を同行させ、大使館の職員に面倒をみさせてたって事は、
選挙で当選した議員ならではの特権を、その娘は親の恩恵で味わえてるって事なんだよね。
飛行機は多分ファーストクラスか最低でもビジネスクラスだろうし、ホテルも五つ星クラスだろう。
これってまさにマリー・アントワネットと同じようなお姫様扱いだし、こういう境遇で育った子供は大きくなってからもそれを享受出来るのが当たり前だと思うだろうし
こういう行為によって世襲議員の誕生はますます助長されるだろう。
庶民の女としては「パンを寄越せ!」とデモをしてやりたい気持ちでいっぱいだよ。
ぶっちゃけもし仮に、行った先がインドとか中国とかだったなら、
子連れ旅行に公費を投入してようが大使館にベビーシッターさせていようが多分ここまでの不快感はなかったと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c631a86920831c2cbca040c350feb6715946ee56
「東京こそ最高、東京に住んでいない人間は野蛮で非文化的でクズで負け組」みたいな意識を爆発させてるはてブにはふるさと納税の制度を親の敵のごとく憎んでいる人が多いけど、私はふるさと納税は大賛成です。
だって東京って地方を養分にして豊かになってるわけでしょ?若者や優秀な人間を吸い取るだけ吸い取って、立派な国立の文化施設を独り占めにして。そんなめちゃくちゃなことをやってる東京に対抗するためには、ふるさと納税制度位強引でめちゃくちゃなことやらないと金引っ張ってこれないわけですよ。
普段散々地方のリソースを貪って喰い荒らしてるくせに、たかが一部の所得税と住民税を地方に取られたくらいで大騒ぎって地方バカにするのもいい加減にしてほしい。実際に地方はふるさと納税に相当助けられてるよ。地方交付税交付金でなんとかなるやろって言ってるアホもいるけど、なんとかならないから東京から強引に金を奪う制度が出来たってことすら理解出来ないんだろうか。
歪で身勝手な東京一極集中のカウンターとしてふるさと納税制度は存在してるのに、東京の罪を見て見ぬ振りした挙げ句その恩恵にどっぷり浸かりながらふるさと納税制度を批判してる人、自分の醜悪さに気付いたほうがいいと思うよ。まあ東京最高地方民全員死ねのはてなでこんなこと言っても全く共感されないだろうけど。
この手の話題見るたびに思うけど配信ならモデに頼んで片っ端からブロックSNSなら自分でミュートすればいいじゃん徹底的にコミュニティから追い出せばいいのに結局やらないってことは投げ銭とか何かしら母親ヅラ女の恩恵に預かってるってことじゃないの?
しばらく共同親権界隈の出来事を見守っていて、いやはやこれはすごいことになってるわと思った。たぶんこういう世界に関わり合いのない人達からすると、目も眩むようなような世界が広がっている。
共同親権絡みの話題って、ネットで目にするものだけ追ってると、「別居親(特に父親側)みんなが共同親権求めてる」みたいな印象持っちゃうけど、そもそも別居親みんなが共同親権くれくれ派ではないのよね。
現時点で別居親の境遇にあって、子どもとの面会交流の機会が充分に持てないなかで、「子との面会交流の機会を持ちたい」って希望をかなえるために頑張ってる人達がいる。そゆ人達は、別居に到った理由(たとえば自分のモラ傾向とか)を反省しつつ、同じ境遇の別居親アカウントと情報交換したり慰め合ったり愚痴を言い合ったりしつつ、一生懸命に元妻や元子どもに誠意をアピールし、時には「全面屈服」みたいな自虐的表現も交えつつ、うまくいった人は徐々に面会交流の回数や時間を増やしたりもしてる。中には「元家族から『よりを戻そう』という申し出を受ける」という幸福な段階に至れた人もいる。つまり「子どもに会う機会が欲しい」という自分の目的がわかってて、そのためにやれることを地道にやってるクラスタ。このあたりは、AAとかの依存症自助団体に似た雰囲気もある。自分を見つめ直し、自己の問題を受け入れましょう、そこからがスタートです、的な(実際、そういう当事者団体もある)。こういう人達はおおむね自己葛藤を繰り返しつつ目的のために誠実に実績を積み上げてる。目的と手段が合致してるといってもいい。彼らの多くは共同親権の制度化についても賛同はしてるけど、そこに望みを託してるわけじゃないし、「共同親権界隈の運動」のことは醒めた目で見てる。
そのネットの「共同親権推進派」のほうは、「そもそもそういうことができない別居親たち」の吹きだまりになってる。別居親当事者がこの界隈を指してしばしば使う言葉に「他責思考」ってのがあるんだけど、ほんとその通りで、とにかく全般的な論調がめちゃめちゃ他責的。今の自分が別居親という境遇にあるのは、妻が悪いからだ、あるいは義実家が悪いからだ、人権派弁護士が悪いからだ、家裁が悪いからだ…と、とにかく理不尽で不条理な「敵」の悪意や攻撃の被害者として自分をとらえてる。
んで、自分をそのような境遇に陥れた元配偶者やそれを支援する人達を、連れ去り事案だ、実子誘拐だ、片親疎外だ、児童虐待だ、洗脳だ、国際的なスタンダードに則してないと罵倒し、同じような考えの別居親当事者とつるんで怪気炎を上げる。自分の家族とは無関係な、共同親権に対して慎重な弁護士たちの懲戒請求をする。面会交流支援の施設での写真をネットに晒してその仕組みの不当性を訴える。いつできるかもわからず、自分がその恩恵を受けられるかもわからん法律の成立のために、ネット上で支離滅裂な「運動」するよりも、今すぐに取り組めて実効性もある「もっと子どもと会うためにやれること」はいっぱいあるはずなのに、それはやらない。
さらに怖いのが、その「俺は一切悪くない」の人達の中に、「ちょっと手を上げられた程度で」「一度『出て行け』と言ったくらいで」とか普通にTwitterに書いちゃうやつが一定数いること。自分自身がDVをやったり追い出しをかけたり(どっちも法定離婚事由の「悪意の遺棄」にあたる)した有責配偶者であることを認めてるのに、でも「俺は悪くない」という認知。ツイートで「虚偽DV」みたいな言葉を振りかざす人達も、そのことは咎めない。そんな雰囲気だから、今回のハッシーの件も、共同親権界隈にはハッシーの行動を擁護する声も多い。自分自身が「出ていけ」と言い放った妻子に対して、言われたとおりに出て行った後で「連れ去りだ」と激怒する支離滅裂なメンタリティが、問題視されずに「そうだそうだ」と受け入れられている。クワ持って殺人未遂事件を起こしたやつは悪くない、悪いのは実子誘拐をしたヨメや片親親権という悪法だ、ということになってしまう。
こういうタイプの人は、仮に一念発起して家裁の面会交流調停を弁護士に依頼しても、途中で辞任されるケースが多いらしい。なんせ弁護士のアドバイスをまともに聞かない。事前に「不利になるからNG」と念を押されていても、堂々と「妻が暴力を振るわれてもしかたない理由があった」「家族なんだからそれぐらいは当たり前」みたいなことを平気で言っちゃうんだから、調停がうまく行くわけがない。離婚案件に詳しい堀井亜生弁護士によると、モラハラ夫の依頼者は「弁護士を変える、必要な証拠を提出しない、遅刻する、裁判官の意見に納得ができないと怒る」みたいなことが多いそうな。さもありなん。
そういう連中の語りを読み続けて薄々わかってきたのは、彼らにとって共同親権というのは、結局「子どもとの面会交流の機会を得るための手段」じゃないってこと。「かつて、自分自身の振る舞いのせいで失ったもの(家族というリソースと、それを一時は所有・支配していた自分の権能とメンツ)を、自分の側は一切の譲歩も努力も歩み寄りも謝罪もせずに、法的な強制力によって、コスト0で取り戻すための手段」なの。「俺は悪くない」の変形で、報復。
もちろん共同親権推進派にも、運動論的な目線で「そんなこと言ってたら、世間的に共同親権推進派は頭おかしいやつばっかりだと思われる」「批判すべきは批判すべきだ」という良識派はいるんだけど、主流派からは叩かれたり黙殺されたりしている。ネットの共同親権界隈のメインストリームは「憎悪と他責の共同体」みたいなところがあって、その仲間意識を乱すような、自己批判や自浄を促すような言説を一切受け入れない当事者も多い。本当にきつい界隈だなと思う。