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2017-08-12

30歳から手帳人生設計

私はもうアラフォーですが人生設計ぼんやりしています。けれど手帳を書きあれこれと考えるのは好きです。手帳を持ち、日々の出来事や予定を管理するようになったのは30になる少し前からです。読み返したりすると、この日に何をしていたか、誰といたか、何を感じたかいくら使ったかを把握出来るので楽しいです。それを活かして、今度はこうやってみようかと考えて1人でニヤニヤしている週末の時間が好きです。ふと、中学生くらいか手帳を書く習慣があったなら、もっとしかっただろうなぁと思うことがありますアラフォーだと予定もある程度固定してきますし、時間も確保しづらく、出会いも減り、遊ぶ相手も減っていきますタイムマシンがあったなら過去自分手帳を渡して、使い方をレクチャーしてあげたいなぁと空想したりします。しかし、実際に昔の自分手帳を持っていても使えなかっただろうと思いました。実家にいた頃はプライバシーは無かったんだと、実家を出て大人になって初めて知りました。高校の頃、一時期日記を書いてみた事があるのですが、ある日の夕食時に母親が当然のことのように、日記しか書いていないことを話題として出してきました。今考えるととても怖いことですが、当時は日記というもの自分の考えを知られる恥ずかしいものだと思いました。それ以来書くのをやめました。実家にいた頃は自分の考えや意見を言えば拒否され、両親の意向だけを飲み込むしかありませんでした。自分の考えというものを構築できないまま、両親の操り人形としてまず18年を浪費しました。進学して故郷を離れ、親の干渉から逃れられたものの、自分の考えを自分設計出来ない。今度は周りに流されるまま行動するしかなくなりました。今は客観的に当時の状況を見れますが、当時は自分フラストレーションの原因が何なのか分からないまま、どうしていいかからないまま30が目前に迫りました。合計29年の浪費となりました。今振り返るとメモなど一切とらずによく働けていたなと思います。その分生活は荒んで、仕事ブラックでしたが。ちょうど仕事の都合で更に故郷から遠くへ引っ越しました。その頃には両親の老いが進んだこともあり、気軽に会いにこられることもない環境が出来ました。新しい職場心機一転頑張って仕事を覚えようと思いノートを買いました。仕事ノートから見られても恥ずかしくないと自分に言い聞かせたことを覚えています。教わったことをノートに書いて整理すると驚くほどスッキリします。こんな風に自分の考えや悩みも書いて整理すれば解決出来るのではないかとあれこれ試してみるようになりました。その頃はまだ手帳ではなくノートを使って時々書く程度でしたが手帳に移行するのは結構早かったです。当時は何を買っていいかからず、ほぼ日手帳を買いました。ホームページを見ると、とても楽しそうに手帳について語られていて、恥ずかしいことではないのだと思いました。通勤時間が長かったので、手帳本を読んだり読書に充てました。沢山の言葉自分の中に注ぎ込まれ、30を過ぎた頃からやっと自分意見を持てるようになり、言葉表現できるようになってきました。そしてそれを手帳に書き、後から読み返す。書き始めの頃はグチャグチャだったノートの取り方も段々と綺麗になっていきました。通勤時間読書アルジャーノンに花束をを読みましたが、それと同じように感じて面白いなぁと思いました。と同時に自分人生いかに惨めかも把握出来て悲しくなったりもしました。今はほぼ日手帳をやめて、複数手帳ノートファイルで項目ごとに管理をしていますアイアンマン自分自分アップデートしていくように、自分手帳システムアップデートしていきます。落ち込んだ時はアイアンマンを見て元気を取り戻します。今はお盆休みなので、手帳を見てじっくり考える時間が確保できます連休中のやらなきゃいけないことやちょっと先の事を考えたりしています。私はもうアラフォーですが人生設計ぼんやりしていますしか手帳を見て今後の事を考えて1人で過ごす週末が好きです。

2016-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20161007172957

私も同様に暴言を吐く夫と離婚してバツイチです。私の場合は2年離婚調停などを経て、最終的に弁護士先生に頼んだ上で解決金を支払ってようやく別れることができました。

なので、戦っても結局お金を払わないと離婚してくれないこともあったかもしれませんし、戦っている間は気の抜けない生活をする必要がありました…(住所を隠して引っ越しましたが、いつ訪ねてくるかびくびくしていました)なので離婚できたことを祝福して今の生活を満喫しましょう!!本当に無事でよかった。

2016-02-22

23区外周部で子ども二人ともさほど苦労せず保育園に入れた者です。

記事を書こうと思ったきっか

保活待機児童にはそこそこ興味があり、ここ数日で来年度の保育園に入れるか否かの記事が多く、自分の事例も誰かの参考になればと思い書いてみます

本来ならブログや細かい情報を出すと有効性が高くなると思うのですが、ブログを持って無く具体的に園の名前がバレることなどは避けた方が良いと判断増田に書かせていただきます

私が記事を書こうと思ったきっかけは以下の記事です。

http://anond.hatelabo.jp/20160218153103

http://anond.hatelabo.jp/20160219081617

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160219/k10010415541000.html

http://otokitashun.com/blog/daily/10445/

http://www.tayutae.com/howto-enter-nursery/

結果が良かった人、悪かった人、その客観的分析のどれを読んでも正解があるわけではないのですが、現在保育園事情に歪みが発生していることはよく分かります

その歪みの中でたまたま有利な方に転がった人の話です。

自分家族について

23区外周部に住んでいる4人家族(夫婦+3歳+0歳)

ダブルインカムだが、私の年収は平均より高め、妻の年収は低めで結果として普通ダブルインカムより少し低い水準。

一子目は4月まれと言うこともあり、11ヶ月で0歳児クラスに入れました。

まれた月がなにより幸運でそれが一番大きいと思います

逆に二子3月まれで1歳児クラス一発勝負結構ぴりぴりしました。

結果として二人とも自宅付近の同じ園に入ることができました。

自分の区について

世田谷ほど熾烈な競争はないが、人気園はなかなか入れない。

一方で認可でも不人気園は結構入れる。というくらいの競争度がある区です。

出産

ちょうど、一子目が生まれた直後に部屋が手狭だったので引っ越しましたが、

保育園競争率はかなり気にして区を選びました。

家賃などを見ると隣の区の方が安いのですが、保育園競争率も高く結果として今の区にしました。

実際にやったこと

一子目の時は、多分に漏れ保活しました。いくつかの園の見学をさせてもらったり、散歩がてら様子を見たりしていました。

また、一回だけ市役所にも話を聞きにいきました。

役所詣という記事もありましたが、そういう理由で無く単に保育園指数の仕組みがわかりにくいので確認しに行きました。

資料フローチャートなどから自分得点は何点なのか?

・同点の場合どういう判断になるのか?(答えは納税額の安い順とのこと)

・両親が育児を補助できるという判断はどう行われるか?(両親は都内在住と埼玉在住だが仕事をしていたり療養中でありできない可能性は考慮されるのか否か)

などを聞きながら、書類不備にならないような方法を考えるインプットにさせてもらった。

二子目は事前に区役所から聞いていたので、書類出すだけ。(二人目の加算点もあるのでなんとかなると思っていた)

結果

結局は家から最も近い保育園が登園が楽と言うこともありそこを第一志望として、かろうじて通園できる範囲で2-3希望まで書いて出しました。

結果は第一志望に合格

入ってみると、得点年収状態鑑みると真ん中くらいでした。(シングルの方も居ましたし、専業主婦に近い自営手伝いの方も居ます)

思ったこと

私の例で言うと完全に立地が自分に有利に働き、保育園に入れたと言うことだと思っています

通っている保育園概要ですが、遠くからわざわざ通わせようとは思わないと思います

・駅から遠い(私の家からは1分)

・延長保育が短い

・区境(一般的には同じ区が優先。ということは、同心円状に希望者がいるとしたら競争率は半分)

23区でも保活とはほぼ無縁の生活も立地によってできるという情報になればと思っています

2015-09-29

タワマンの思ひ出

3年住んだ湾岸タワマンから引っ越しました

正直、今でもあの暮らしが懐かしいし、羨ましいです。

タワマンはいいです。

エントランスデザイナー家具で整えられておしゃれだし、

リビングからレインボーブリッジが見えるし、

晴れてれば室内干しでも衣類すぐ乾くし(冬でも暑いくらいだけど)、

空気の入れ換えするとエアコン要らないくら涼しいし、

もう、タワマン超好き。

一方で、実際に住んでみないと分からないビミョーな点もありましたので

ちょっと書いてみます

管理費滞納者が多く、回収費用弁護士費用)の負担コンスタントにある。

●何百世帯という規模なので実にいろんな人がいる。住人同士で訴訟合戦

落下事故が意外とある。部屋が揺れる。生々しい振動爆音ビジュアルは今も忘れない。

消防救急隊員が部屋に到着するまで時間がかかる。

プールジムを利用しないと、固定資産税的におもしろくない。

プールジム利用者が減少し、維持の可否で住人対立。

修繕積立金が毎年1000円ずつ値上がり。

●高速や産業道路が多いためか、ベランダの汚れが著しい。

花火大会マンション周囲や駅までの道が人で埋め尽くされ、外出&宅配不可。

どのタワマンもこうというわけではないと思います

賃貸なら「合わない」と思えば引っ越せばいいし、

購入なら1年くらいお試し賃貸してから検討すればリスクが減らせそうです。

ちなみに私が住み替えた理由・・・

●寺や神社など歴史的な街並みがないのはやっぱり寂しい

●意外と上下左右からの音がうるさい

五輪特需高値で売却できた

・・・です。

現在下町の安っぽい戸建で楽しく暮らしますが、

もしお金持ちになったら別宅用にタワマン借りたいと今も思います

どんな住まいにもそれぞれ良い所、悪い所あるよね。

2015-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20150923003859

ディズニー好きだけどこれはないわー

本格的にディズニー好きな人マイルドヤンキーとは真逆だと思う

一人ディズニー平気です!毎週のように通ってます!そのために浦安引っ越しました!本場のアメリカだって一人で行けちゃいます!…ってタイプなら、そっちに嵌り過ぎてリアル男なんてどうでもいいってなるから寧ろ結婚は遠のくと思う

これってディズニーに限らず、単にライトヲタの特徴じゃないか?野球でもワインでも何にでも言えそう

ディズニー好きにはライトしかいないと思ってるなら、ディズニーバカにしてるよねこ記事

2015-09-18

R.I.P. M

彼女とは昨年宮古島出会いました。何かの打ち上げで知人に連れて行ってもらったスナックで、別テーブルで飲んでいたところ、彼女から私たちの席に移りたいと希望して、言わば逆指名のような形で席に着いたのが彼女でした。

細身でハスキーボイスの整った顔立ちにコテコテ関西弁。場を盛り上げるのも上手でリアクションも大きく、笑い転げた時に、「あ、パンツ見えた?」などと言ってくる開けっぴろげな女性でした。その後席を立った彼女トイレに行く際、「これ、私のLINEID」と言って私の胸ポケットに小さな紙を差し入れてきました。

店が終わった後、みんなでもう一軒飲みに行き、閉店まで飲んだ後、私が彼女を寮まで送って行きました。歩きながら彼女は私の事を、「一目見た時からタイプやった。なんの得もないのに自分から席を移るって言ったらボーイからなんで?って聞かれて困った。」などと話してくれました。

私は指輪が苦手で、普段から結婚指輪をしていませんでしたので、なかなか所帯持ちだとは言い出せなかったのですが、寮まで送り届けた時にその事を告げると、「なんや結婚してたんか。残念やわ。」と彼女は泣き出しそうな顔になりました。

正直言って少し下心があったので、もう少し飲んで話さないかと彼女を家に誘いました。少し考えながらも彼女は了承し、着替えてくるから待っててと言って寮へ戻っていきました。

階段の下で彼女の着替を待つ間、妻が留学していて不在である事をいい事に浮気をしている自分に罪悪感を感じていましたが、私の頭の中はこんなチャンスは人生にもう無いかも知れない、と思ういやらしい心の方が理性よりも比重を占めていました。

しばらくして着替え終わった彼女は白地に花柄サマードレス姿で現れました。階段から降りてくる彼女の姿を見て、息を飲むほど美しかった事を今でも覚えています

夜明けまで一緒に過ごした後、彼女を寮まで送り届けました。お互い口に出したりはしませんでしたが、この関係は一夜限りという認識だったと思います

彼女は今の店のママさんと折り合いが悪く、もっと条件のよいお店で働くため、店を無断で辞めて今日飛行機石垣島へ行く予定だと教えてくれました。

私は彼女存在が妻にバレると面倒な事になると思い、彼女LINE電話番号も削除しました。

その後、仕事石垣島へ行く事になり、そういえば彼女は元気でやってるかなと思い出しました。次に働くと言っていたスナック酔った勢いで一人で入ってみたところ、接客中の彼女は私にすぐに気づき、照れとも喜びともつかぬ笑顔で迎えてくれました。

電話番号を消してしまった事を告げ、もう一度番号を聞いた後、店が終わったら後で行くからと、別のバーで待つようにと彼女は言いました。バーで落ち合った後、その後彼女の家に泊まりに行きました。その後また石垣島に行った際も、ずっと彼女の家に泊まりました。

いけない事だとは分かっていましたが、それでも彼女の事が好きでした。しか卑怯な私は、いつも最後には浮気という罪悪感にかられ、別れ際にハグキスをして欲しそうな彼女の表情に気付きつつも、いつも逃げるように石垣島から帰っていたように思います

そして、私が妻の留学先へ訪ねて行く事になったので、その期間は連絡しないで欲しいというニュアンスを遠回しに彼女に伝えたところ、彼女は短い文章で、「他に好きな人ができたから、連絡してこなくていい。奥さんと仲良くやって。」と伝えてきました。

確信はありませんが、私はこれが彼女の優しさで、嘘をついてこの関係を終わらせようとしてくれているのだと思いました。「ありがとう。元気で。」と返信し、私は彼女LINEを削除しました。

でも電話番号は残しておきました。登録名前彼女が可愛がっていた犬の名前しました。

妻を訪ねては行ったものの、離れて過ごす時間が長かったせいか、再会した直後から違和感を感じ、結局口論の末に離婚する事にお互い同意しました。予定を切り上げ、私は帰国しました。

帰国後、離婚する事を彼女SMSで送信しましたが、返事はありませんでした。私は離婚を機に宮古島を離れ、誰も知り合いのいない場所で一からやり直そうと思い、福岡引っ越しました

引っ越して一月ほど経った頃、急に彼女LINEに復活し、また頻繁にやり取りをするようになりました。その頃、彼女喜界島に住んでいるとの事でした。

福岡はなかなかいいところだから、今度遊びにおいで。」と誘い、「気に入ったら引っ越してくればいいよ。」と伝えると彼女は色々と福岡の事を調べ始めたようで、あの店に行きたい、あれが食べたいなどと私よりも福岡に詳しくなっていました。

「犬もいるし、まだ仕事先の店を変わったばっかりだからお金を貯めてから遊びに行く。」と彼女は言いました。

私も彼女が訪ねてくるのを楽しみにしていました。

福岡に来る日程が大まかに決まってきた頃、私は仕事大阪に行った際にバーに居合わせ女性Sさん意気投合し、頻繁にやり取りをするようになりました。

Sさんとも大阪に行く度に会い、家に泊まるようにもなりました。Sさんとは何でも話す仲だったので、彼女の事も話していましたし、今度福岡に遊びに来る事も伝えていました。

しかし、次第にSさん独占欲のようなものが芽生えたのか、彼女を家に泊めないで欲しい、彼女自分の事を伝えて欲しいと言われ、私はSさんを選び、彼女に「新しいパートナーができたから家に泊めてあげられなくなった。ゲストハウス紹介するから遊びに来るのは歓迎するよ。」と伝えると、彼女は「わかった、もう会わなくていい。」と返してきて、その後LINEからいなくなりました。

なぜ彼女でなくSさんを選んだのか。僕の犯した最大の過ちでした。喜界島よりも大阪の方が便がよく、頻繁にSさんと会って飲み歩いていたのが楽しかったんだと思います。でも会う度に何か違うと薄々感じていた自分もいました。心のどこかではやっぱり彼女の事が引っかかっていました。

その後Sさん福岡引っ越して来ましたが、私の心は既に離れつつあり、二週間の同棲を経て、Sさんは他にアパートを借り、その後Sさんとは別れました。

Sさんは住環境まで変えてついてきたのに、別れを切り出してきた私を激しく憎み、修羅場となりましたが、今はお互いに納得して近所に住んでいるけど疎遠な知り合い程度の関係に落ち着いています

私はSさんの事が解決し、仕事がひと段落したら彼女を訪ねて喜界島へ行こうとずっと計画していました。

寝袋とテントを抱え、ツーリングをしながら喜界島を目指す。それだけで詳細な計画は立てず、私は旅に出ました。

唯一の準備として、事前に喜界島スナックリストにし、一軒づつ電話をかけて彼女が働いていないか聞いていきました。

私は彼女名前を聞いておらず、LINE名前しか知りませんでしたので、彼女出身と犬を連れているという特徴で聞いていくと、あるお店で以前働いていた事が分かりました。

店を辞めた時期もLINEのやり取りから推測すると合致したので、一歩前進したと思いましたが、結局電話だけでは現在働いているお店は見つけられませんでした。

しかし、以前石垣島で再会できたように、現地に行けば彼女に会えるような気がしていました。

実はこの過程で、一つ気になる掲示板書き込みを見つけました。「あるスナックで県外から来ていた女の子が殴り殺されたらしい。新聞にもニュースにもなってない。みんなで隠蔽してる。」

私の脳裏に一瞬嫌な考えがよぎりました。酔っ払った彼女は少々トゲのある言動をする事があり、よく「どついたろかと思った」と言うような事があったからです。

そんな不安はいざ旅に出るとすっかり忘れていました。途中、高千穂神社に立ち寄った際引いたおみくじには、「待ち人来る。驚く事あり。」とありました。私は偶然道で再会するなど、驚くほど簡単に彼女を探し出せるのものだとばかり思っていました。

鹿児島からフェリーに乗り、まだ辺りが真っ暗な早朝に喜界島に着きました。この暗闇の中ではとてもキャンプ場は探し出せそうになかったので、コインランドリーで夜が明けるのを待ちました。彼女明け方に必ず犬の散歩に行っていたので、ひょっとしたら歩いてないかなと足音がする度に目を凝らしていましたが、そのどれも彼女ではありませんでした。

辺りが明るくなった頃、キャンプ場に荷物を置いて島をバイクで一周しました。「あ、このビーチは彼女写真で送ってきたところかも知れない。あっちの場所にもきっと遊びに来た事があるんだろうな。」などと想像しながら島を散策し、お昼にある喫茶店に入りました。

旅行者地元民のよくある普通の会話を一通り終え、私はこの島に来た本当の理由を話しました。「大阪出身で、犬を連れてて…」。お店の人から返ってきた言葉が、払拭しきれなかった不安を再び思い起こさせました。

「そう言えば、少し前にあった事件で亡くなった女性大阪だったかなぁ。」

レベルしか情報が出回ってないらしく、誰も真相を知らないとのことでした。気になるなら警察へ行って聞いてみればとのアドバイスを受けて、派出所に出向き、人を探している旨を伝えると応接室に通されました。

彼女情報と言えば、出身と犬の事しか知らなかったので、親族でもないに他人という事で逆に尋問のような形式でまず自分自身の事を聞かれました。少々イライラしたものの、警察官三人を目の前にして素直に答える以外ありませんでした。

一通りの尋問が終わった後、こちらが質問しても個人情報問題で何も答えられないの一点張り。私も諦めて帰ろうとしたところで、先ほど同席していなかった責任者警察官代表してもう一度話を聞きますと高圧的な態度で出てきました。

面倒臭いし、態度も腹が立つので普段の私なら結構ですと立ち去りそうなものですが、なぜか素直に応接室に戻りました。この警察官の鋭い眼力が私をそうさせたのかも知れませんが、不思議と親しみの持てる眼でもありました。

先ほどと同じ内容の質問をされ、結局最後は「言えない事がありますから。」の一点張りでした。「じゃあ、逆に何が言える事何ですか?」と質問したら、彼女名前とかが分かるのであれば状況は違うとの事でした。

私は彼女名前を聞いた事はなかったのですが、一度スマホの設定で分からない事があると渡され、操作をしている間に開いたブラウザショッピングサイトの画面に名前が表示されていたのを記憶していました。

正しいかどうか分かりませんが、と前置きしてその名前を言ってみると、その警察官眼光が更に強くなったように感じ、「⚪︎⚪︎さんが喜界島で働いていたという事実はあります。」と即答しました。

私はとっさに反応する事ができず、間をおいて「何でその名前を知ってるんですか?働いている人の名前はみんな知ってるものなんですか?」などと質問攻めにしてしまいましたが、既に私はその返答に期待はしておらず、ただ血の気が引いていく自分を冷静に観察していました。

その警察官の瞬きもしない力強い眼が全てを物語っていたからです。あの眼の奥の優しさは、職務上教えてあげられないのだけれど、わざわざ探しに来た私に何か伝えてあげたい、そんな思いがあったのかも知れません。

私は先ほどの喫茶店に戻り、事の顛末を報告しました。

信じたくはない。人違いの可能性を探るにはどうしたらいいかと考えていると、彼女がよく名前を出していた友人の事を思い出しました。

彼はヘルパーをやっていると彼女が言っていたので、喫茶店の人の勧めで社会福祉協議会へ出向き、彼女が唯一送ってくれた写真に一緒に写っていた彼の顔を見せて聞いてみました。すると、すんなりと彼に会う事ができました。

わざわざ仕事の合間を縫って会いに来てくれた彼に写真を見せ、彼女名前を言うと、彼は直ぐに「場所を変えて話しましょう。」と切り返してきました。人違いであって欲しいと、一縷の望みを繋いでいましたが、もうこの時点で私も全てを悟りました。

彼は海岸へ行きましょうと言い車を走らせましたが、私が自己紹介を終えると同時に急に泣き崩れて、「貴方の事、いつも話してた!」と言い、車を止めました。

彼は知っている事を全て話してくれました。彼女泥酔して勤務先の店で客と口論になり、暴力を受けたそうです。その後奄美大島へ逃げましたが、居場所がバレたため、鹿児島へ再度逃げ、宿泊先のホテルで亡くなっていたそうです。しかし、事件真相は分からないそうでした。

彼女福岡に行く事を本当に楽しみにしていたようで、私の負担にならないように、急に押しかけたりするのでなく、ちゃんと準備したい、いつかは福岡に呼んで欲しい、と毎晩のように彼に語っていたそうです。

飼っていた犬を看取るまでは自分死ねない、と彼女は言っていたのに、その愛犬を残し、彼女は亡くなってしまいました。

私にもっと甲斐性があれば、彼女を直ぐに福岡に呼ぶ事ができ、今回のような事態を招かなかったかも知れません。

予定通り彼女福岡に遊びに来ていたら、彼女は亡くなる事はなかったかも知れません。

私の不甲斐なさと優柔不断彼女を殺してしまいました。

棒のように細かった彼女を殴り、全身打撲、鼻骨と肋骨骨折、顔に傷までつけた男を私は許しません。最低の人間だと思います

しかし、私は彼女を殴った男に復讐をしようとは思いません。憎しみからは憎しみしか生れない事を私は学びました。

しかし、私はこれからべらぼうに金を稼ぎます。そして、力を持ち、弱い立場の人々を救えるような人間になります。そう決めました。

以前、東京ポッド許可局でとあるリスナーが絶賛していた「こども論」の収録されている回を購入して聴いてみました。

私には子供がいませんでしたので、むしろ結婚に関する「結婚作品、二人で作る舞台だ」という考え方に感銘を受けました。

もしこの回を離婚前に聴いていたら、結論を急がず、二人の関係を修復しようと努力たかも知れませんが、今その作品をもう一度一緒に作ってみたいと思ったのは、彼女でした。

彼女慢性的血圧が高く、いつも薬を服用していました。出会った頃は寝られないらしく、睡眠薬を飲んでもいました。「もう酒を飲む仕事は辞めたい。次は携帯ショップ店員とかがいい。」と言っていました。

一緒に住んだら彼女の体を気遣い血圧を抑える食事を作ってあげよう。徐々に酒もタバコ制限していき、将来的に子供を作りたい。不器用でも、地べたを這いずり回ってでも、二人で一つの作品を作っていきたい。そんな風に思っていました。

とても宿泊する気持ちにはなれず、結局早朝に島に着き、その日の夜のフェリー鹿児島に帰ってくる事にしました。おみくじ通り、驚くほど早く全てが繋がって、彼女にたどり着くことができました。

待ち人は来ませんでしたけれども。

いつも口癖のように「私はブサイクやけど、お姉ちゃんと妹は美人」と言っていた彼女は、僕が人生出会った中で、最も美しい女性でした。いつか彼女実家を探し、お墓参りをしてあげようと思っています

2015-07-26

ベランダから花火風景はアップしてはいけない

購読している某ブログにて、「今日花火大会があって、ベランダから見れるかな~と思ったら御覧の通り、手前のマンションのせいで見れませんでしたー」という記事ベランダから写真とともにアップされてた。

正直、大丈夫か?と他人事ながら心配になった。

その人、以前から「○○市に引っ越しました」「駅から○分くらいのところです」とかなり特定につながることをブログで言ってて、

人ごとながら、「おいおい、そんな個人情報出して大丈夫か?」と内心思っていた。

で、とどめと言わんばかりに冒頭で言った写真である

試しに、以前言っていた駅名をGoogle Map検索して、周辺の地図をみて、マンションの写っている角度やら周囲の建物からこっちの方向に・・・とかやったら、住んでるマンション特定できてしまった。

何階かまでは特定できなかったが、写っているマンションアングルからおおよそ何階から何階までとか推測はできてしまう。

自分みたいな素人ですら、ここまでできたのだ。

プロとかにかかれば、もっと迫ることができるだろう。

ネットって怖い。

2015-04-15

彼女が可愛くて俺が最低な理由がわかった件

長くなってしまったので、まずは結論から書きますね。

  1. スクールカースト認識してない人が存在するという事実に驚きました。
  2. なぜ俺が最低な奴だったのかという事がわかりました。
  3. なぜ俺がこの女に惹かれたのかがわかりました。
  4. 俺は子供時代どうすれば地獄回避できたのかがわかりました。

 

きっかけは『冷たい熱帯魚』という映画をこの女と一緒に見たことです。

その映画では子供がグレてるので「自分の子供があんなのになったら俺、無理だわ」って言ったことで子供の話になりました。

俺の最悪だった少年時代記憶から、大きなトラブルを起こさずに子供時代を乗り切ることなんて奇跡みたいなものだという認識で話してます

俺「子供世界は常に戦いだから対応する自信ないわー」
女「え?なにと戦ってるの?」
俺「なにとって、攻撃してくる奴と」
女「攻撃してくる奴なんているの?」
俺「いるよ。俺の子時代はどの時点でも常に敵がいたよ」
女「変なのー」
俺「変ってw おまえには敵がいなかったのかよ?」
女「いないよー。みんな仲良しだったよ」
俺「うそ?一度も?」
女「うん。たぶん私の妹も敵なんていなかったよ」

そんな馬鹿なと思いましたが、

育った地域の違い(俺は関西彼女関東

男女差が影響してるのかも?

とか

でも少なくとも妹には、彼女には敵が居ただろう

などと、この時点では考えていました。

女「どうして敵になるの?」

どうしてだろう?

スクールカーストを上るために戦う必要があるからかも?

と考えて説明しようとしました。

俺「だって子供世界は大人以上に階級社会じゃん。スクールカーストじゃん」
女「え〜、そんなことないよー」
俺「ないことないって。ラノベとかのテーマになってるぐらい共通認識じゃん?あるあるー、って感じの」
女「ほとんどないから小説になってるんでしょ?」
俺「いやいや、そもそも俺の子時代はずっとスクールカースト意識してたよ」
女「えー、それってあんたがおかしいんじゃないの?」
俺「そんな事ないって。誰が強いか、偉いか、みたいなことは誰だって認識してるでしょ」
女「そんなことないよー」
俺「女の子はそうなのか? いや、でも女だってブランド物とかスペックの良い彼氏が欲しいのはカーストを登りたいからでしょ?」
女「わたしはブランド物なんて欲しくないもん」

こんな感じで、まったく話がかみ合いません。

敵までいかなくても、殺伐とした空気になったことぐらいはあるだろうと思って、話を戻しました。

俺「じゃあ子供時代友達同士で修羅場というか、何か悔しかったり嫌だったことは無いの?」
女「う〜ん」
俺「ない?」
女「あ!そう言えば友達と3人ぐらいで公園に行った時に池にボートがあって、初めてだったから乗りたいって言ったんだけど
あんたが漕いだらひっくり返りそうだからだって言われて乗れなかったのが嫌だった」
俺「あ〜、それは理不尽だねー」
女「理不尽?何が?」
俺「いや、だっておまえが漕いだらひっくり返るって決めつけられたら理不尽じゃん」
女「え〜、そうなのかなー。わたしドン臭いからひっくり返りそうだよ」
俺「え?じゃあ何が嫌だったの?」
女「だから、せっかくボートがあったのに乗れなかったから」

なんという平和子供時代!!

一生懸命思い出した嫌な思い出がこれとは!

しかし、そんな事があるだろうか?

この話だって、例えばこの子カーストが低いせいで、せっかくボートで遊びたいって提案したのに、

理不尽理由を付けられて無下に却下された、ということなら、

この件以外にも常にそういう扱いだっただろうと想像できて、

読むだけで嫌な気分になる人もいるレベルじゃないだろうか?

  

この時点で「もしかしてこの女はカースト認識できてない?」と思い至りました。

俺「会話の細かいニュアンスで、こいつはこいつより上とか下、みたいな事を感じることはない?」
女「え〜、そんなこと一度も考えたことないよ。なんでわざわざそんな事を考えるの?」
俺「いや、考えなくてもわかるじゃん。動物にはそういう能力がみんなあると思うよ」
女「そうかなー。よくわかんないや」

こいつ変だ!と思いました。

でも同時に、ひょっとして変なのは俺の方なのか?

とも思いました。

それを彼女に言ったら「絶対あなたの方が変よ」と言うので、

増田で聞いてみようと思った次第です。俺と彼女どっちが変でしょうか?どっちも変でしょうか?

 

この時点でふと、もしかして俺の少年時代殺伐としてたのは、環境のせいじゃなくて俺のせいなのかも、

と考えるようになりました。ここからは俺の話です。

 

俺は傷害で少年院に入った事がありますいじめっこの首をナイフで刺しました。親兄弟には多大な迷惑をかけました。

でもそれは俺が悪いんじゃなくて、あの状況では仕方が無かったと思っていました。

俺は常にスクールカーストの最底辺に居ました。クラスで下から2〜3番目が俺の定位置でした。

頭も顔も悪くて、恐怖心が強く性格も弱い、運動もできない、というタイプです。

当然級友からは軽い扱いを受けます

それなのに常にカースト上位の人間と同じ扱いを受けないと、ものすごい怒りを感じるタイプでした。

例えば小学校掃除時間に、奇麗なホウキを取り合いになる場面で常に上位の人間と競り合っていました。

恐怖を押し殺しながら。

 

常にそんな感じなので、当然いじめられます

例えば、みんなの前でオナニーしろ強要されるなど。

でも絶対に従いません。カツアゲされても絶対お金を渡しません。

ものすごい怒りと恐怖で気が狂いそうな状態が俺の日常でした。

でも学校を休むのは負け犬だと思い、そんな状態でも皆勤賞です。

ある時、給食の中にうんこおしっこを入れてみんなに食べさせたのがバレて地元に居られなくなり、

引っ越しました

 

転校しても状況は変わりませんでした。

最初は頑張ったのですが、すぐにカーストの最底辺ポジショニングされ、また怒りと恐怖で気が狂う。

この頃から頻繁にカッターナイフや小型ワイフを携帯するようになりました。

でもいじめられても相手を刺す勇気が出ません。親にこれ以上迷惑をかけるのが嫌だったし、捕まるのも怖かったのです。

自殺するか相手を殺すか、そんな事をずっと考えるのが日常でした。もちろん学校皆勤賞です。

ナイフを持ってない時にカツアゲされたら、相手の目をつぶせば良いと思っていました。

その場合人差し指では失明させられないから親指を突っ込もうと考え、相手の頭を掴んで親指を目に突っ込む練習をしていました。

でも実行できません。

実行できない自分を情けなく思い、毎日自分気違いで人を殺したくてしょうがない」のだと自己暗示をかけていました。

 

ある日、高校可愛い女の子が転校して来ました。俺の隣の席になり、いろいろ教えたりしている内に好きになっていました。

でも俺の顔は自律神経がおかしくなったのかニキビだらけで、元々不細工な顔が更に醜悪になっていました。

それに成績も最低で運動神経も鈍いし、ずっといじめられている人間です。

絶対自分が好かれることは無いのだから関わってはいけないと、できるだけそっけなく対応していました。

でも授業中などについチラチラ見てしまうんです。

それをカースト最高位の不良に見つかりました。

そいつグループとは絶対に関わってはいけないと思い、距離を取っていたせいか、

それまではほとんど交流が無かったのですが、これをきっかけにいじめられるようになりました。

 

その頃の俺は日課みたいに毎日時間目の休み時間トイレに行っていました。

時間からひどい下痢に襲われ、4時間目まで我慢するのですが、耐えきれずに油汗を流しながらフラフラトイレに行くのです。

学校うんこをしてはいけない、という鉄の掟をなぜか高校生にもなって継続していたので、

お昼ご飯を食べれば不思議と腹痛が治まるのもあって、なんとか耐えようとした結果、そういうルーチンになっていました。

そこを狙われました。

 

男子トイレになぜか、その子が居ました。

フェラさせて」と言いながらしゃがみこみます

カースト最高位の不良はゲラゲラ笑ってます

まりの事に固まってしまい「え?え?」とか言ってる内にズボンのチャックに手をかけられました。

ここで耐えきれず下痢便を解放

ぶち切れた俺は無言でいきなりそいつの首を刺しました。

ちゃんと殺すつもりで頸動脈を狙ったのですが、断続的に出てくるうんこが気になって狙いが外れ、そいつは死にませんでした。

女子は泣き叫ぶし、そいつは血まみれで呻いているし、うんこ臭いし、

こんなカオス現場もそう無いよなー、などと考えながら大に入り鍵をしめて続きをした冷静な自分おかしかったです。

あそこまで行くと人間って開き直ってしまい、恐怖も何もなく、むしろ謎の達成感がありました。

「おい開けろ!!」とか怒鳴りながらドアに体当たりしてくる先生

「開けてやるからジャージ持って来い」とか偉そうに命令してました。

もちろんそれまではそんなキャラじゃなかったです。

 

ちょっと本題からズレ過ぎたので、俺の黒歴史はこのへんにしときます

 

俺の中では「俺だけがこうなんじゃなくて、みんなこういう苦しみをかかえながら、

なんとか生きている。この世こそが地獄なんだ」という認識でした。

たまたま俺は運が悪くて向こう側に行ってしまったけど、みんなギリギリラインを生きているんだと思っていました。

でもそうじゃない可能性に思い至りました。

 

俺の問題は、

だと思います

そのせいで無駄な反抗をしてしまい、本来はそこまで悪質じゃない人を煽っていたのです。

 

これを回避するのは簡単です。相手を煽らないようにすれば良いだけなんです。

 

それを可能にする為には、理不尽な扱いを表面上受け入れても、そこから逃げても、それは負けじゃないんだ、という事を理解すれば良かったのです。

戦略的撤退ということを学べば良いんです。

自分ゴミから何をされても良いんだ」などと自暴自棄になることさえ避けられれば、

あとは全部「そういうもの」だと理解するだけで楽になれます

 

人間は弱いものから、悪い気持ちを抑えられないものなんです。

から一時的にその場をなんとかできればそれで良いし、

攻撃対象になったからと言って、自分けが弱いわけでは無いし、ゴミだなんて事はあり得ないんです。

みんな弱いからしょうがないんだと理解して、頭を使って、なんとかその場からだけでも逃げられればそれで良いんです。

カッコ悪くても良いんです。そもそもいじめてる人の方がもっとカッコ悪いんです。

たとえ相手の方が力が強かったり、勉強ができたり、ルックスが良かったり、金持ちだったりしても劣等感不要です。

しろ自分より弱い部分がある人なのかもしれないのです。

なぜなら、恵まれているのに、いじめという低俗なことをしてしまうんですから

からいじめられてる人はダサくも無いしカッコ悪くもないんです。お互いに弱い部分がある、という、それだけの事なんです。

  

さて、成人してから迷惑をかけた彼女謝罪しようと思い、色々調べたところ、その子実家のある関東に戻っていました。

彼女にはショックだったようで、あれから高校に通えなくなっていました。

その事を謝ると、彼女不思議そうに

「その話は私じゃなくて妹にして。あの子はショックで高校に行けなくなったんだからちゃんと謝ってね」

と言いました。そこに彼女は居ませんでした。

 

俺はこの女を一生守ると誓います

 

身バレが怖いので少し脚色したつもりですが、少しじゃなくなってしまったのは謝ります

 

追記

たくさんブックマークがついてて驚きました。コメントありがとうございますコメントを読んで書き漏らしがあった事に気がついたので修正しました。

そのせいで長い文章が更に長くなってしまいました。すみません

 

  

それと、俺は変に反抗的だったので、一番ひどい扱いを受けていましたが、俺以外では最底辺よりも、中間層から上ぐらいの人間の方が、ひどいいじめを受けていたように思います。ひどいと言っても、みんなの前でオナニーとかでは無くて、殴られたりとか集団無視されたり、レベルですが。

 

2013-10-29

協議離婚しました。

http://anond.hatelabo.jp/20130603123513

上記の別居のち裁判になるのが面倒だったので、元夫からの要求をすべて飲んで離婚しました。

元夫からの要求は


なんつうわがまま・・・面会はしないというのは予想外でした。事前に面会の可否を聞かれて「可」と返事をしていたので

①会う=払う(面会料)

②会えない=でも払う(責任感)

③払えない=でも会いたい(執着)

という3パターンを想定していたので

④会わない=払わない(ポイ捨て

は新しい離婚の条件だなと。

ちなみに養育費子供権利で私の権利なので請求することができるのは承知してます

また、元夫は年収700万ほどあるので払えないわけではないです。

元夫側の弁護士も内容を変えるように説得したらしいですが、本人の決意が固く・・・メールがありました。

その後はあっさりと離婚届けを提出して終了。


その後よく人に聞かれる質問をここに。

ロミオメールこない?

来ないです。娘の誕生日に僕はもう戸籍上パパではないですが、愛していると伝えてくださいとメールがありました。

若干悲劇主人公風に酔ってはいるようです。

ストーカー化してない?

ないですが、弁護士さんには、すべての連絡手段を絶つと危険なので、携帯の番号は変えない方がいいですよとアドバイスをもらいました。

更に別の場所引っ越しました

田舎のご両親はなんと?

別居するときモラハラの本を渡したらやり直せとは言われなくなりました。

噂好きな親戚の女性陣などでも「女が一度こう決めたらやり直せないのよね、次いこ次」と前向き。

父はきっと一度ぐらい元夫を殴りたかたかと思いますが、孫可愛さに無言。

・元義理のご両親・ご家族はなんと?

誰一人連絡がないのでどう思われているのかわかりません。孫に会いたいという要求もないです。初孫でしたが。

・もし元旦那さんにあなたの事を聞かれたらどうしたら?

人見知りなのでまず聞いてこないと思います。が、聞いてきた時は知らないふりを。それから自衛するので私に教えてください。

母子家庭って金銭的にどう?

フルタイム正社員だと通常の手当てすら所得制限にひっかかっているので、まったくメリットはないです。

あるとしたら保育園に多少入りやすいとかでしょうか。それでも満員で入れませんでしたが。


以上です。

2013-08-10

田舎コンプレックス

Facebookで久々に投稿したら、嫌味なコメントしてくる奴がいた。

○○に引っ越しましたって投稿したら、「そこ田舎やん、前住んでた○○県のすぐ隣りやん」ってコメント

本人は嫌味で言ってるつもりがないから余計たちがわるい。

何かと住んでる場所とか出身地の話になると「そこ田舎やん、周りなんもないやん」とかいってくる奴がいる。

しかしそうゆうこと言う奴は今は都市部に住んでるが元は田舎出身者か県内ではまぁまぁ栄えているが都市部に住んでる人から見れば「田舎」に住んでる奴のどちらか。

結局、田舎コンプレックスを抱えているんだろう。

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