はてなキーワード: 局所とは
局所的に性的に消費することではなく、社会全体として常に商品あつかいされることが問題とされる。
一番よくされる例えは、オッパイが大きな女性に対して「あなたが男からジロジロみられるのは当たり前でしかたない」とか「あなたは痴漢まがいのことをされるのはしかたない」とかレッテルが張られること。これは生まれつきの人種で差別するのと同じだから問題ということになっている。
そして急進的なフェミニズムは、これらの原因は社会が性的な消費を容認しているからだとする。つまり、AVを売ったり少年誌にエロ方面の漫画をのせることで、暗に「女性はジロジロみてもいい」「エロい女性はエロく扱っていい」というメッセージを子供のころから刷り込んでいるからだ、という理屈を主張している。
つまり増田のいうような、AVは性的消費だよね? 他になにがあるの? という話は単なる背景ということだ。
>その結果、全体の生産性が今より落ちる可能性はあるかもしれないが
今の日本の社会・組織が抱えている問題は「過適応」。環境に適応して連続的に効率を上げていく営みは人間の本能だと自分は思うのだけど、適応が行きすぎるとそれ以上適応しなくて良くなるので、しばらくすると「筋力」を失う。『逆説的ではあるが、「適応は適応能力を締め出す」(「失敗の本質」より)』。そうすると「今いるこの局所最適点」から動けなくなってしまう。外的要因によって環境は時とともに常に変わっていくから、いまいる最適点がどんどん悪化していっても、他の場所にあるより良い最適点へ行くための山を越える力を失ってしまえば、もう身動きが取れなくなる(=茹でガエル)。
適応力を失わないようにするには、非適応状態を意図的に注入しなければならない。(つまり筋トレ)
今叫ばれている「ダイバーシティ」「インクルーシブ」はマジョリティに対しての「非適応の注入」という捉え方もできるでしょ?どんな種類の社会の「ズレ」も、これまでの社会で最適化されて生産性に貢献してきた人達にとって生産性は下げるものになるだろう(これは最適点の定義と同値だ)。だから、「生産性下がるのが問題でしょ?」というけど下がるのは当たり前。短絡的すぎてなんの反論にもならない。大事なのは、ダイバーシティが伴う「痛み」を超えて、その山の向こうにある生産性の高い別の状態へ社会が向かえるか、そのビジョンが描けるかということだろうと思う。
https://togetter.com/li/1288806
まず言っておくのは、家庭での家事・育児の分担の話は、各家庭の環境次第なので、共感を得るような文章を武器に一般化しようとするのは好きではない。
また、どのようはモチベーションかわからないが、特定個人を叱責したログを公開するのは基本的にやってはいけないことだと思う。
その上で「育児の責任は両親に均等にある」ということには大いに同意する。そのため「『手伝う』は間違い」という意見はある種正論のように感じる。ただし、冒頭に書いたように各家庭の環境によっては同意しかねる。
リンク先の主張は「育児の責任は両親に均等にある」ということと思う。それは本当にその通りなのだが、家庭における「責任」は育児だけではないことを忘れてはいけない。
「家庭生活を成立させるすべての活動における責任が、両親に均等にある」のである。それには、育児・家事・収入・周囲との関係性の構築・その他が挙げられる。
では、それらのすべての項目について、両親で均等に配分するべきなのだろうか。これは誰が決めることでもなく、各家庭で相談して決めればよいので「そうだ、均等にする」という家庭もあるかもしれない。
だが実際にすべてを均等にできることはないだろう。責任は均等にあるとしても、得意不得意や状況を加味してお互いにこなすタスクを分担しないと効率が悪く、回らないだろう。
そのため実際にやるタスクには偏りができてしまうわけだが、お互いに「責任を委譲」していることを忘れないようにしたい。相手への尊敬は忘れずに。
他のバランスを考慮せずに育児のみにフォーカスし局所的にタスクを均等化してしまい、かえって片方の負担が増えてしまう、というようなことが起きないよう祈るばかりである。
今ちょっと流行ってる1時間で人生おわるゲームにもう丸2ヶ月以上ハマっている
ログイン報酬とかデイリーとか一切ないどころか1時間で寿命でPS以外何も引き継がれないけどその潔さが好きで毎日数時間やってる
このゲームのアプリ版が日本で妙に人気になっていて日本鯖だけで8鯖ある(うち4鯖はビギナー鯖)
各鯖の定員は200人で夕方から夜はほぼ満杯 夜中でも150人くらいずつとか余裕でいる
明け方から早朝にかけて人が減ってそこで文明が途絶えがちなので発展してない村に生まれたい人は午前中がいいかもね
日本鯖はそんなだけど他の国の鯖はそうでもなくて例えばシンガポール鯖なんかは常に人が少ないし(20人とか)なんなら中身は日本鯖の混雑に嫌気がさした日本人だったりする
とにかく日本人・日本語話者が多い 他の言語圏の人がやりにくいんじゃないかってくらい
まあこのゲームはもともとPCなので英語圏ではまってる人の多くはPCでやってんのかな?とは思うんだけど
クッキークリッカーもなんだか急に日本であほみたいに流行ったのをふと思い出したので
そういう感じでなんか急に局所的に流行ったゲームが他にもあったら知りたい
ヤギのゲームとかパンのゲームとか壺おじさんとかぼんやりと思い出すけどどこで主に流行ってたのかよくわかんない
彼らの
ただ、彼らの気持ちについて一定程度汲み取るべき部分はあるのかなとは思う。
要するに彼らのいいたいことは
「オタクが苛烈に差別されていた1990年代に女性オタクはオタクであることを隠して事実上男性オタク差別に加担していた」
と言いたいんでしょ?
「女性オタクは社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」
って文脈で語る人がちょくちょくいる。
でもこの"言い回し"は社会的な批判を受ける役回りを男性オタクに肩代わりしてもらって自分は影に隠れて利益を享受してたようにみえるんだよね。
「いじめを見て見ぬ振りをした人は共犯者です。」っていう言葉がある。
その前提を踏まえた上で例の"言い回し"をする人について考えると
「オタク差別の共犯者でありながら、現在の自分のポジションを男性オタクより更に弱者に置こうとする卑怯な人」
当時学生だった人が友達グループの中で「クラスの中の気持ちわるいと言われてる男性オタク」の話になってやむを得ず、特定の人の悪口・陰口に付き合わざるをえなかった人はいるはず。
もちろん俺個人としては、そもそもあの時代でも女性かつオタクと名乗っていた人はいたと思うし、そもそも実際に差別行為の主体となっていたのはオタクではないんだから身内で争うのも馬鹿馬鹿しい。
それに、一部の人が隠れていたからと言って全ての女性オタク全体に適用するのは範囲を広げすぎだと思う。
社会全体としては女性は隠れて男性はオタクと名乗っていた傾向にあったとしても、局所的には逆パターンもありえた。
つまり、女性オタクがオタクと周りから蔑まれていた状況で男性オタクが鳴りを潜めていたパターンは極普通に存在するだろう。
という主張はしないし、ちょっと理屈でいってもありえないかなとは思う。
ただ
「女性オタクは社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」
という"言い回し"をする人(女性というわけではなく)に関して若干もやもやした感情を抱くことは俺もあるかなとは思う。
全部読みました。
妻は40歳ころ、血性乳汁分泌があって、乳腺外科を受診し、エコーで異常なしと言われました。
半年後やはり血性乳汁分泌があって、もう一度受診したところ、乳がんで、ステージIIICでした。
ステージIIICは根治が望めない状態で、端的に言うと、再発しません。要するに、局所増大するか、異所性転移するかどちらかの予後になります。
私には勿体のない良い妻で、病前と変わらず、明るく、過ごしています。
まだ小学生の子供おり、私が支えなければなりませんが、私のほうが、時々不安に襲われます。
たしかに、ピンクリボン活動など予後の良い人たちを見ていると、妻の不運を嘆かずにはいられません。どのような健診も、100%の予防ではなく、防げる病とそうでない状態があります。
防げるものはすべて防ぎたいというのがこのような活動ですから、活動としては正しいのですが。
妻が乳がんになったと、親しい人にうっかりいってしまうと、「乳がんは予後が良いからね」などと言われてしまい、ますます傷つくため、だれにも相談することはできないです。
相談してもどうしようもないけれど。
まとまらずすいません。
蛇足です。乳がんは時間がたってからの再発が多いので、ステージが低くても、5年でなく10年は治療を継続したほうが良いと思います。おそらく主治医からはすでに言われていると思いますが。
ここ数カ月のポケモンはほんと神がかっていると思う。
毎月のコミュデイが定着。絶妙なタイミングで入れ替わり立ち代わりトレーナーを飽きさせない伝説レイド。フィールドリサーチ・リワードは新規に優しい過去伝説再版機能を持ち、もちろん古参もそれなりにうれしい。形骸化しかけていたフレンド機能に幻リサーチタスクや地域限定ポケモンタマゴ流通機能をプラスして再度フレンドブースト。そしていま界隈では話題のメルタン仕込み。
上手い。本当に魅力的なアプリになった。
来月のコミュデイはなんとダンバル!デオキシスも実装するらしいしシンオウもそろそろ…と楽しみにしている今日この頃。
しかしなお今後期待していきたい点を列挙する。
・もっとトレーナー間で協力・連携を促す仕組みがないかな。今もレイドやジムでは協力プレイできるんだが、局所的すぎる。物足りないというほどじゃないけど、せっかくこんなポテンシャルを感じるゲームがもうちょっと踏み込んでいかないのはもったいない。具体的に言うと、イングレスで言うアーティファクト的な試みが欲しい…。しかしポケモンGOでどうやるんだ…。
・原作的なロケット団プラズマ団的な敵組織が欲しい。3チーム(インスティンクト・ミスティック・バーラー)共通の敵。世界中のジムが○○団に占拠された!とか、イベントやってほしい。世界中で殲滅作戦とかしてみたい。画面に○○団の戦力ゲージだしたりしてさ。現行のグローバルチャレンジも、良い試みではあるんだけど渋すぎるし臨場感に欠ける。
ふだん一緒にやってるポケゴ勢がチームバラバラで、それ故レイドなど一緒にしていてもチームボーナス格差が生じるのでなんとなくモヤっとしたりする(フレンドボーナスがついたので若干は救済されたが。)のでそういうのが全くない環境欲しい。
・ウィロー博士・スパーク・ブランシェ・キャンデラをもっとちゃんと使ってほしい。ウィロー博士はまだいい。最近幻リサーチで出てくるようになったから。メルタン動画でもオーキドとのやり取りよかったし。問題はリーダーたち。それぞれポケモンの孵化と直感・進化と知性・強化と情熱を研究テーマとして博士の助手?をしつつ全国のトレーナーを束ねているという設定だった気がするけどこいつら今ただの個体値判定ツールじゃねえか。なんかもっとさあ!あるでしょやること!!
・要するにもう少しストーリー性がほしい。使命感に燃えつつやりたい。敵を倒すとかなにか目的のために行動するとか。そういう意味ではイングレスの方が圧倒的に強い。こんなだから幻ポケモンリサーチタスクは割と好きだしメルタンに関するウィロー博士とオーキド博士の動画は燃えた。しかし幻リサーチタスクって結局ゴリゴリの個人プレーなんだけどね。もうちょっとみんなで一つの使命に燃えたい。ジムやレイドみたいな局所的な話ではなく。
・PvPは要るでしょ。年内実装の噂とかあったけど続報がない。しかしやるにしても今のジムバトル形式じゃクソつまらんのでPvP専用バトルルールとか要るんじゃないかなって思ってる。マルチバトルとかしたい。あと初期のジムバトルであったようにAR連携でバトルしたい。
・シンオウイッシュカロスはよ。
・あと地域限定というか、原作に基づいたポケモンの巣とかレイドとかあったらすげえいいなあって思うんだけど難しいのかな…たとえばだけど淡路島では年中ルギアレイドやってるとか、赤城山はピッピの巣とか。んで特別な技もちとか。旅行の記念になるようなのがいいな。位置即位ゲーなのに遠方旅行したときの記念品がジムバッジだけでさみしい。しかしまあ常時伝説レイド発生地区なんかにしたら現地で暮らす人たちには迷惑か…。
気のせいかもしれないが、最近著名人ががんで亡くなるニュースが多い。
私は30代で乳がんにかかってしまい、現在は休職してがん治療を行っているのでそのせいもあるとは思う。
がん治療中の身としては、正直逝去のニュース自体シャットアウトしたい気持ちが強いが、テレビやスマホで見たくなくても目に入ってしまう。
ニュースへのコメントなどでいろいろと考えさせられてしまうことが多くなったので、すっきりしておくためにここで書いておきたい。
きっかけとなったのは、さくらももこさんが乳がんで亡くなられたニュースだ。
詳細は不明であるが、彼女は一旦病院での治療を行い、最終的には代替医療でがんを治療しようと試みていたようである。
そのニュースに対し「お悔やみ申し上げるが、怪しい根拠のないインチキ療法を行うからこんな目にあう。
病院でちゃんと治療をすることが必要だ」といったコメントが散見された。
私もがんが発覚する前、小林麻央さんのニュースを見てそのような感想を抱いた記憶があり、
がんを患ったことがない人、がん患者が周りにいない人にとっては一般的な感想になるのかもしれない。
ただ、がんを患う身となってから勉強・体験をするにつれて、若干考え方が変わるようになった。
がんの種類にもよるが、まだがんの腫瘍が局所にしかみられないステージ0~3のケースにおいては、
がんを根治することを目的に病院は手術や抗がん剤、放射線といった科学的根拠に基づいた標準治療を行ってくれる。
ただし、がんは標準治療が終わっても、必ずしも治ったと言い切ることができない。
寛解状態を維持できる方もいる一方、一旦治療が終わって寛解状態となっても、他の臓器に転移して病状が進む方もいる。
患者としては、ステージ0~3の場合は抗がん剤治療などの辛い治療を耐える気力もあるかもしれない。
私は現在乳がんの根治を目的として抗がん剤治療を行っているが、正直結構辛い(副作用が軽い人もいるが)。
最近はいい吐き気止めがあるので吐いたりこそはしないが、抗がん剤をうって1週間は寝たきりで起き上がれないし、
白血球の数が大分減り細菌・ウイルス感染をおこしやすいため体調が回復しても行動はある程度制限される。
抗がん剤治療が終われば生えてくるし、カツラがあるから大丈夫と人には言ってはいるが、やはりショックだったことは否めない。
薬によっては手足がしびれてペンや包丁を持ったりすることができなくなる。
肝臓や腎臓の数値も悪くなるなど、高齢の人や持病がある人は身体的に耐えられないこともある。
私が使っている抗がん剤の副作用は上記のようなものが中心だが、他にもいろいろなものがある。
また、手術で体の形はかわる。健康な体とはやはりどう見ても違うし、リンパ節を切除することもあるから後遺症も残る可能性がある。
「治る可能性がある」と医者に言われているから、憂鬱ではあるものの病院に行き、
我慢して標準治療を受けているような状態だが、がんが発覚してもこの治療を受けたくないといって拒む人の気持ちは理解できる。
副作用自体が仕事や価値観として耐えられないこともあるだろうし、
頑張って標準治療を受けても、まれとはいえない確率で再発・転移して一気にステージ4の病状へ進むことがあるからだ。
ステージ4は、がんの腫瘍が局所のみならず、他の臓器や部位に遠隔転移をしているような状況を指す。
このような病状では、基本的にがんを根治することを目的とせず、抗がん剤治療を中心とした、延命とQOL向上を目的とした治療方針をとる。
現代医学の限界として、ステージ4のがんの根治は難しいようだ。
樹木希林さんのケースのように転移を起こしても10年程度生きられるといったこともあるが、早期に亡くなってしまうケースも多いようだ。
自分ががんを患うようになって、ステージ4に進行した場合は代替医療をやってみる選択肢を否定できないな、と思うようになった。
病院で治療をしたとしても数年以内にはおそらく死ぬとわかったときに、
患者として副作用てんこもりの抗がん剤治療をやる気力が残っているのだろうか。
ステージ4の場合は原発巣の治療とは異なる薬剤を使うようだが、どうしても前に受けた治療の苦い記憶が思い起こされてしまう。
治らないとわかっている延命治療にお金を使うくらいなら、インチキかもしれないが奇跡的に治ったという人もいるという代替医療をやってみてもいいんじゃないか。
こんな風に代替医療を選択する人がいたって、おかしくないと思うようになった。
もちろん法外なお金をとったり、標準治療は間違っているなどと言ったりしている代替医療に関しては、
それを提供するクリニックや団体自体は問題だと思うが、患者の判断が問題といった物言いはできない。
代替医療を選択したいと思う気持ちをフラットに聞いてくれたり、下心なく相談に乗ってくれたりする人はなかなかいないと思う。
がんは日本人の2人に1人がかかる病気なので、病院の外来待合室はいつも患者とその家族で大盛況だ。
医者や看護師は忙しく、話を聞いてくれる余裕はなさそうで、「治療を受けるのはあくまで自己判断です」とオブラートにつつんでいわれるのが関の山だろう。
代替医療に科学的根拠はない、それ自体は間違ってはいないが、代替医療を選んだことを責めるのは心苦しいと思うようになった。
だって科学的根拠のある治療とやらでは、ステージ4のがんを治療したいと思う心はなぐさめられないのだから。
がんが発覚してから、ステージ4まで進行したら、と考えない日はない。
自分がこんなにも生きていたいと思っているとは、今まで思いもよらなかった。
もしステージ4に進行してしまったら、気楽な代替医療にすがってしまうかもしれない。
そんな時、「あなたの選択肢はおかしい、科学的根拠のある治療に切り替えるべき」なんて訳知り顔で言われてしまったら、本当に腹立たしいだろうな。
関西で大きく被害を受けた台風21号、300万戸も停電し大きな影響が出ている北海道地震など、大きな災害が立て続けに起きている
少し体調を崩し、東京から実家に帰っているのだが、祖父母とテレビを見ていて、
「うちもこういうときのために、水とか食料を備蓄しておいたほうがいいね」と言ったら
祖父(84)が、全くこう言うことをする必要がないと主張し始めた。
主張をまとめると
・地震がほとんど起きない地域(富山)なので気にする必要がない
・起きても近くの自衛隊がきてくれて、すぐ食料をくれるから大丈夫
・「自分だけは絶対に大丈夫」という考えを持たないと日常を生きていけない
・自分たちより危険な人がたくさんいるのに、自分が災害に備える意味がわからない
と言う感じ。さらに「反論している増田の考えはおかしい」「もっといろんな人の話を聞くべきだ」、などと諭し始めてくる。
普通なら、災害の惨状を見て「怖いねぇ」「備えておかないと」と思うところを、完全に他人事だと捉え、自分に災害が降りかかるものだと思っていない。
今までに地震の被害を受けたことがなく、プライドが高い人はこのような考えに至るのかなぁと思い、途中から聞き流していた。
隣の石川県や新潟県はやられたが、富山の岩盤は硬いのでめったに地震は起きない、と言う。
そもそも、防災とは災害が起きたときのために備えるものであるのに、その前提を受け入れない。
近くに駐屯地があるので、食料や水をくれるので大丈夫だと言う。
近くの自衛隊が数十万人分の食料を備蓄しているわけはないので、輸送するのに数日はかかるだろう。
なので数日分くらいの水食料を備蓄しておいたらどうだ、と言っても、川の水を飲むとか、古い缶詰を食べればいいと言う。
これが一番タチが悪い。
何か災害や事故があるかもしれないと、日頃から怯えていては毎日を生きていけない。なので、なにがあっても「自分だけは絶対に大丈夫」という考えを持たないといけないらしい。
普通の災害ではなく、隕石が衝突したり地軸がずれて地球がダメになることの方がよほど不安で、そういう天変地異まで気にしていたら馬鹿らしいので、何も気にしない、何があっても大丈夫思考を持っているらしい。とても極端。
俺からすると、震度6,7程度の地震は生きているうちに起きる確率はそこそこあり、そういった状況程度は備えておいた方がいい、という意見。
また「自分だけは大丈夫」という思想は、普段からの危機管理に大きく影響を及ぼすのでやめていただきたいのだが、話を聞いてくれない。
例えば山沿いに住んでいて、土砂災害リスクが高い人、地震が起きやすい土地に住んでいる人など、そうした災害リスクが高い人は全て防災・対策をしているのか、と言われればしていないだろう。なのに自分が防災対策をする必要がない、という主張。
これはまあ分かる。
だが、公共機関も備蓄してはそれを整備せず、毎回ダメにしている、との謎の主張を始めて困った。
備蓄は手間がかかるのは仕方のないことだが、万が一のことを考えたら必要な手間だと俺は思う。
北海道地震で、どこどこの家が潰れた、山が崩れたなど、局所的な情報を全国放送で言うな、という主張。
全ての局所的な災害情報を放送できるわけでもないし、家族の安否も放送では分からない。とすると、北海道に関係ない人もある人にとっても価値のある情報ではない、とのこと。
俺的には、北海道に家族や友達がいる人にとって、どの程度心配すべき被害の大きさなのかを知らせるために、分かりやすい被害の状況を伝えることに意義があると思う。
だが自分に関係のない災害に興味がない人にとっては、放送するな!!と思ってしまうのだろう。