はてなキーワード: 学費とは
今の生活は親が本来稼がなくていいニートであるお前に必要な「お金」を「自由な時間」を売って稼いでるんだよ・・
お前からすれば働く程ではなくても親からすればお前の為に(ry
一人暮らしするまでなんとも思ってなかったけど、パソコンのネット代って意外と高いんだぜ・・
たった数千円じゃん!という人いるけど、給料安いとその数千円が地味に効くw
http://anond.hatelabo.jp/20130901220935
のポストを見て書く気になった。
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うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。
貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、
県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。
みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見本市。
同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。
通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、
親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。
酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、
不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。
授業なんて半分以上成立してなかった。
僕はそんな場所に馴染めず孤立し、図書館で本ばかり読んでいた。
ネットもなかったし。
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歳の離れた従兄を東京の大学にやって、有名な電機メーカーに内定した。
みんな名の通った大学に進学していった。
僕は好きだった文学を楽しむためとある国立大の文学部に入った。
親も満足気だった。
親たちはみんな低収入だったけど、おかげで国公立なら学費免除も寮住まい余裕だった。
物価は高いけど、実家から野菜の仕送り+バイトで人並みの生活は送れてた。
だいたい都市のバイト代は高くて、頑張ったら親父の月収を抜きそうだった。
バイトとサークルの掛け持ちをしながらだったけど、そんな苦労をしたと思ったことはない。
幼稚舎から有名私立に通ってて月何十万も仕送りされてるのに「親から自立した」と豪語するボンボン、
親が教師で勉強一筋で鍛えられたという秀才君、17歳で酒を飲んだと悪ぶってる自称不良。
地元にいた「本物の不良」みたいな人も一人いた。
どいつもこいつもが馬鹿に見えた。
漢字を知らない、ことわざを知らない、日本の観光名所を知らない、ヨーロッパの国の位置を知らない。
なんで昭和初期の文豪の一人も読まずにこいつらは大学に来てるんだ。
なんだ、高い金払って塾でお勉強してきた連中ってのはこの程度なのか。
僕の中でどんどん歪んだ自尊心が形成されていった。
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ちょうどその頃、日本経済はリーマンショックの後遺症を抱えていた。
そして言われた。「君が学んできた文学とやらは我が社で何の役に立ちますか」
青天の霹靂だった。
成績も優秀だったし、表彰もされた。
「君が受けてるところは総合職じゃなくて、工場のラインじゃないか?」
それすら受からなかった。
工学部なら大学院まで行くのが「普通」なんだけど、もう勉強するのは嫌らしい。
秀才君は大学院からアメリカに留学した。数百万円の留学費は親がポンと出したらしい。
自称不良は大学院に進学した。後から聞いた話ではこれまた有名なメーカーの研究部門に入ったそうだ。
本物の不良は保険の営業に決まった。体当たり営業出来るタフさが受けたらしい。
「秀」の字が並ぶ成績表を見ながら僕は頭を抱えた。
年が明け、僕は卒論を提出するか悩んでいた。
新卒でないと就活は厳しい。しかし留年すると学費免除は厳しい。
卒論は我ながら酷い出来だった。もっと資料を読んでいれば、もっと深く有意義な考察が出来たはずだった。
しかし就活に忙殺され、一時は精神科にも通っていた僕に、そんな時間も体力もなかった。
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大都市にある、名前だけはどこかで聞いたことのあるような企業の事務所だ。
そこで見たのはよく見知った光景だった。
管理といえば聞こえは良いが、要するにサポート、補助、下働きだ。
大卒も高卒も関係なく採用されているポジションで、実際同期の過半数は高卒。
職場で交わされるのは、地元の祭で親父たちが交わしていた、パチンコと競馬と風俗の話。
僕は一度壁を超えて、そしてここに帰ってきた。
僕は壁のこちら側で生まれ、あちら側に行き、そして帰ってきたんだ。
いったいあの四年間は何だったのだろう。
夢だったのか、幻だったのか。
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地元の連中の中には地元で教師になり、警察官になった人間だっていた。
彼らは僕より学歴が低いけど、僕よりよっぽど良い地位と収入を得ている。
着の身着のまま上京して劇団に入って、苦労しながら生活してる奴のちらしももらった。
もう僕には彼らも壁の向こうの住人のように見える。
僕は、僕の親たちは、壁が学歴の間にあると思っていた。
大都市には夢があると思っていた。
夢はあった。でも掴み方を知らなかった。
女子大生については風俗店でのアルバイトを提案したい。風俗店ならば短い時間でたくさんのお金を稼ぐことが出来る。それで時間に余裕が生まれ、学業にも専念しやすくなるというメリットがあるからだ。だからこそ時間を効率的に使えるアルバイトとして風俗は最適なのだ。これでメリットを受けるのは女性だけではない。男性もである。多くの男は若くてかわいい女の子とセックスをしたいという願望を持っている。そういう男性の性欲を満たすことが出来るのだ。
http://d.hatena.ne.jp/aikoku_sensei/20140407/1396853116
では男子大学生はどうやってお金を稼げというのか?短い時間でたくさんのお金を稼ぐことが出来るような方法が男子大学生にはあるのか?社会人になっても手取り20弱しかもらえず家賃と生活費でカツカツで学費を返済できずに困っている若者がたくさんいることを知っているのだろうか?おっさんの頭の中には「おっさんと若い女」しか存在しないのだろうか?自分がいよいよ老人・要介護になったときの日本経済を担うのが誰なのかということを全く考えていないのだろうか?おっさんの頭にあるのは「今日明日の若い女とのセックス」これだけしか無いのだろうか?おっさんになるまで何を考えて生きてきたのだろう?情けなくてどうにも泣きたくなる。若い男性が貧困に喘ぎ、若い女性が金満中年の食い物にされる現代。老人と中年が大勝利するだけの政治を推進することの何が愛国なのだろうか。愛国ではなくおっさんの自己愛だろう。まったくおっさんは利己的で臭くて汚くて醜くて、どうしようもない。
当然そうだが、ホワイトカラーの通常の仕事と結果と比べてほしい。
配属の運や、たまたま任せられた仕事、誰に気に入られたか、など、通常の仕事のアウトプットは非常にコントロールしにくい。
何かで判断しなくてはならないとき、「比較的」平等な条件下で行われた「受験競争」は十分に素質を一定程度見極める条件になる。
別にすべての東大生が優秀だとか、すべてのF欄が無能だとかそういう話ではない。
比較的受験競争の勝者のほうが、優秀な人間が多く、無能な人間が少ないというだけだ。
そしてそういう指標は少ないから「学歴」は能力を測る重要な一つの材料だということだ。
ただ、何度か上がったように、受験戦争に参加することが貧困により許されなかったレベルの高卒の人はかわいそうだと思う。
だからこそ、そういう人のためにより一層の高校の学費の低価格化、学生向け奨学金の充実は必須だとおもう。
君がほんとうに恨むべきは、東大のようなかなり平等な競争で国公立に入った東大卒ではなく、
親のお金で慶應や早稲田の付属高校、付属中学、付属小学校などでエスカレーターで上がった人のほうじゃないか?
あるいは、国公立ではなくお金のかかる私立大学に親に補助してもらって進学して、高卒や短大卒や専門学校卒を馬鹿にする人たちなんじゃないか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140421-00000029-fsi-bus_all
(「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」に賛同するのは常に男性の方が多いってのは敢えて書かない辺りがいかにも産経だがまあそれは置いといて)
Yahooのコメント欄を気紛れで読んでみたらこんなのを見つけた。
子育てと家事だけに集中できて、最高に幸せな時間だったのは事実。
しかし子供の手が離れたので学費稼ぎのためにイヤイヤながらパートに出始めましたよ。
そりゃあ、最初の頃は辛かったけど、だんだんと脳が活性化してきたのが自分でもわかるんですね。
専業主婦もさすがに10年続けるとたるんできて、ちょいとぼんやりしてきてですね、実のところ世捨て人のような、もういつ死んでもいいわ、私なんて用のない人間と思い始めていたのです。
今はそんなこと考えもしないですね。
子育ての期間だけ専業主婦で、いずれは正社員としての社会復帰もできるのが理想なんだけど、今の社会はどちらかしか選べないような風潮なのが何とも残念です。
「もういつ死んでもいいわ、私なんて用のない人間」と考えている状態が「最高に幸せ」な訳がなく、むしろ病的な状態ですらあるのに
その状態から脱した今でさえも「最高に幸せな時間だったのは事実」と言ってしまうその心理。
その後の書き方からして、この人は「その時間は実際は幸せではなく、むしろ病んでいた」という事を自覚出来ているんだろうと思う。
そう言わなければならない抑圧でも感じているのか(だとしたらそれは誰に対して?子供?夫?それとも漠然とした「世間」?)
或いは「専業主婦とは最高に幸せなものだ」と言う宗教じみた洗脳にはまっている状態が未だ解けていないのか。
この人が特異なのではなく、こういう人は珍しくない。
この人のような(元)専業主婦だけではなく、専業主婦ではない女や男でも同じような矛盾した認識を持つ人は多い。
身近な専業主婦(例えば母親だったり妻だったり友人だったり)がいかにも不幸そうだったり病んでいるのを目の当たりにした経験があるのに
「専業主婦」と聞くと漠然と「幸せなはず」と考える人達。はてなでもよく見かける。
修士から外部の院に進学して、共同研究先にも半年通ったが学部時代も含め全てブラックだった。
月に400時間ほど実験してるのに学費を半期で26万円ほど払わなきゃいけなかったり、
4、5日睡眠無しの時期があったり、そのくせポジティブな結果がほぼ出なかったり。
奨学金として、実質借金も500万ほどあった(学費免除になってなかった)。
自分が外部の院へ進学した理由は上記で述べたような労働時間や大学のネームバリューでなく、
助教が研究室内で独り言を言い続けていたことや、教授が女子学生だけを甘やかすから、というものだった。
自分が研究を主導的に進められるようになった後、基礎系の研究室は信じられないような
海外ポスドクの契約が切れて帰国後、しばらくぷらぷらとニートみたいな生活をして、
近所の猫にまたたびを与えて遊んだり、図書館に篭って読書をしたりしていた。
だがある日、知り合いに呼んでもらい、任期付准教授になることになり、ポスドクを雇う立場になってしまった。
ほとんど好きなことをやらせてもらえるので、自分の経験のある基礎系の研究をするのだが、
人を雇う時に、これまで自分がポスドクしていた時と同じ実験時間を求めて雇った。
しかしあるとき、異分野(医学部や歯学部)の教授や助教たちと飲む機会があって、
冗談ぽく「悲惨だねー」と言われたが、そのセリフは冗談などではなく本心であり、
その後、その医学部の助教のうちの1人と何回か飲みに行って聞いたのだが、
・そのほかの時間は臨床医として、アルバイトなどで高額に稼いでいる
(妻は奥様方とお茶会)
(※金額に関して本人は満足はしていないようで、アルバイトで1千万以上稼いでいるらしい)
・大学の助教になって給料が激減したから、助教職だけでは家族を養えない、という
けっこうカルチャーショックだった。医者にとってはこれが「普通」なんだなと。
そして僕は自分の研究室の環境を、誰にでも言うようなものでは無いものだと知った。
それから、うちもコアタイムを撤廃し、土日もなるべく休ませるようにした。
そうしないとなんとなく、あの医学部助教のメンバーに責められる気がしたからだ。
その後色々あって、誘ってくれた先生が栄転して、運営していた研究室は3年もたずに解散することとなった。
私は連れて行ってはもらえなかった。
仮にポスドクの待遇がブラックのままだったとしても、連れて行ってはもらえなかっただろう。
僕の力不足が原因だったと思う。
そしてまたポスドクに戻ることになったんだけど、
そこで思うのだが、こういうのは研究者としてはある種の仕方がない事なのだろうか。
もちろん、探せば基礎系の研究室でもホワイトもあるかもしれないが、それは限定的だ。
このポスドク問題を考えるとき、みんなは「一般論」として多くを語るが、もしかして
殺すなら早く殺してくれという気持ちでこの時を待っていた。
元カレが別の女と結婚するという話を聞いてから半年が経っている。
話を聞いてから2ヶ月くらいは仕事中も気づくと涙が出てきたり、食欲がなかったり、
一人になるといつもそのことについて考えてしまう状態だった。
諦めきれなくて元カレに会ってくれと要求したり、過去のメールを読み返したり、
過去の紙の手紙を実家から掘り返してきたり、失恋系の映画のDVDをひたすら見続けたり、
別れさせ屋を使おうかと思案したりしていた。
3ヶ月目くらいからはなんとか、普通の生活ができるようになってきた。
もう諦めよう、元カレは死んだと思って別の人生を歩もうと言い聞かせて今に至る。
結婚式の写真がFBにアップされてどんな女と結婚したのかが見れたら、
本当にさよならできると思った。
早く楽にさせてくれ、そんな気持ちでこの1ヶ月くらい待っていた。
失恋をしたのは初めてで、自分がこんな状態になるとはよもや思いもしなかった。
大学に入って数は減ったけれど、それでも年に1回ペースで告られたりしていた。
自分の身の回りにいて結構話す人で彼女がいない人には大抵告られていたと思う。
正直、自分が好きになった人を本気出して捕まえられないことがあるとは思っていなかった。
本気出せば振り向いてくれると思ってた。
今考えると勘違い甚だしくて恥ずかしいけれど、無邪気にそういうものだと思っていた。
それが誤りだと気づいた今回の失恋は、なくした物は大きいが得るものも大きかったとも言える。
人生は思うようにならないということ、
何もいらないからこの人のそばにいたいという気持ちが生まれること、
そして
一緒にいたい人といれないなら人生って味気ないということ、
こういうことに27歳にしてようやく気づいた。
気づいたのが遅すぎてこの先どうしたらいいのかと途方にくれている。
人生おわってない?
今まで頑張ってきたのは自分に自信をもてるようになって、元カレと比べて自分を卑下しないためにしていたようなものだった。
一緒にいると自分のダメなところばかり見えて苦しくて耐えられなくて大学生のとき別れた。
大学では研究で賞をもらったり、成績優秀者として表彰されて学費免除になったり、奨学金返還免除も勝ち取ったり、大手企業に就職したりして、
自分の努力の結果が人から褒められるような結果につながって、少しずつ自信を持ち始めていた矢先に今回の失恋があった。
何かをしたいわけではなく、楽しく過ごせればそれでいい。
そのために必要な人がもう手に入らない。
もうこれ以上やることないよ。
頑張ってお金稼いでも一人じゃなんも楽しくないよ。
女はお世辞にも大してきれいな人ではなく、元カレにも懐かしさは感じてもピンとくるものはなかった。
あんなに好きだったのになんでだろう。
全然羨ましくない。
幸せになってくれとも思えないし、
私と一緒にいないならむしろ不幸になってくれと思う。
この先何を目指して生きていけばいいんだ。
まだ行き先が見えない。
まず、前提として。この日記を書こうと思った理由は2つある。
ひとつは単純に自分の気持ちを吐きだしたかったから。2つ目は、「なぜ死にたいという思考までたどり着いたのか」を書くことで、自殺についてのケーススタディの役立つかもしれない、という思いがあったからだ。まぁこんな匿名の日記を誰が読むか、とか、好き好んでスタディするのか、みたいな思いは勿論あるが。
あと、書き手について。自分は大学4年生だ。大学は私立で、専門性も学費もかなり高い。入学時から東京の外れで一人暮らしをしながら通っている。就職活動中で、無い内定。
「死にたい」という気持ちは、複合的な理由から生まれるようだ。
【就職活動が上手くいかないこと】
正直なところ、自分の就職先は才能がものをいう世界のため、実力が無いと就職をするのが厳しい。勿論専門とは関係のないところに行っても良いのだが、どうにも夢を諦められない。しかし、才能が無い。ひとつの手段として、一般的な職に就き、専門のことは趣味に抑えることも考えた。しかし、そもそも職に就けないのだからどうしようもない。
自分は、大学生である今が一番幸せだと思っている。したいことができて、時間をゆっくりと使うことができる。しかし就職すると、自分の時間はぐっと減ってしまうだろう。さらにもし、仕事にきちんとした意味を見いだせなかったとしたら。それは長い苦しみの末死ぬのと同じではないのだろうか。だったら今、楽しいと思える段階で死ぬ方がよほど合理的ではないだろうか。
【やる気がでないこと】
自分は努力厨だ。努力すれば大体の物事は叶うし、努力出来ないのは自分がたるんでいるからだと考えていた。しかし今、その気持ちが首を絞めている。やる気が出ないから自分を責める、しかしやる気が出るまでやってみるも、うまくいかない。そしてまたやる気が無いからと自分を責める。責めてばかりなのでやる気も潰える。結果は出ない。そもそも褒められるようなことをしていないので、自己嫌悪のスパイラルに陥るのだ。
【その他諸々】
たとえば、臼蓋形成不全という病を患っていること。大掛かりな手術をしない場合、早くて10年年後、痛みで足が動かせなくなるらしい。あとは、数百万の奨学金という名の借金を背負っていること。中学のとき一度自殺を図った(方法はとても死ねるようなものではないお粗末なものだったが)ことによる人生の延長戦感。今まであまり必要とされてきたことがないこと。何をやっても感動しなくなったこと。ネット依存がひどいこと。今日は新学期の授業があったのに寝坊で出なかったこと。などなど。
自分の場合は全体を通して「理想と違う自分への嫌悪」が気持ちとして大きいが、やはりちいさなきっかけが積み重なってこうなってしまうのだろう。
○最終的な決め手
最終的な決め手は、自分でも笑ってしまうが「Twitterの退会」だった。
【依存による退会を決意】
自分のアカウントは、現実の知人とは一切繋がりを持たず、漫画やゲームの趣味でつながるものだった。アニメ化の話でリプライを飛ばしあったり、ちょっとした日々のことをツイートしたり。しかし、最近どうにも依存が過ぎた。リプライが来ないことにそわそわし、つねにタイムラインを監視しつづける日々。ひょっとしたらやる気がでないのは断続的にTwitterをやるせいでは無いのだろうかと思った自分は、思い切ってアカウントを消すことにした。アカウント連携を外し、理由は述べずに明日で退会する旨のツイートをする。これにはとても勇気がいった。(余談だが、同時に今まで積み上げてきたものをぶち壊す高揚感もあった)
【アカウント削除という擬似的な死】
Twitterを止めることは、つまり「ネット」社会的に死んだことに他ならない。「ソーシャル自殺」と言っても良いだろう。ネット世代の馬鹿な考えに思えるかもしれないが、直接的な繋がりのないソーシャルネットワークでは、消えたアカウントとは(新しくアカウントを作らない限り)永遠に会えなくなる。そしてこの擬似的な死を体験することが、死にたいという気持ちをはっきりと持つ決め手となった。漠然とした感情であった自殺を、バーチャル的にでも体験してしまい具体化することで、形を持ってしまったのだ。
自分も例に漏れず、孤独だ。孤独は嫌いじゃないし上手く付き合ってるつもりだが、「死にたい」という気持ちを加速させる力を持っている。
【何でも話せる友人がいない】
自分は昔から誰ともペアになれなかった。「AとBっていつも一緒にいるね」と思われたことは一度も無かった。そもそも、固定のグループにいることがなく、クラスのグループの3,4つを転々としていた。だからグループ全体での遊びに誘われることはほぼなかった。そういうわけで、周りに人がいるのに大して仲のいい人はおらず、ましてや「死にたい」などと言おうものなら中二病かと一笑に付されること請け合いだった。(そう思ってしまうくらい、プライドが高いということも理由のひとつだろうが…)
【親にも話せない】
バイトもしておらず、サークルも似たような有様だったので、自分は一人暮らしを始めてからずっと親にだけ相談をしてきた。しかし、「死にたい」という気持ちは親にも言えなかった。勿論生んでくれたから申し訳ない、という気持ちからでもあったが、それよりもっと大きな理由があった。まず、父はこのご時世珍しくはないが、心の病気を患っていた。母はそんな父の言動から「人生の希望」を失ってしまった。今の母は、ネットゲームを生き甲斐にしている。そんな彼らに「死にたい」とは言えまい。
というか先日、実際に「辛い」ということを電話で母に相談したのだが、「そんなこと言われても」「そうは言ってもやるしかないでしょ」「アンタは頑張ってるよ」と、返答した。
その間ずっと、受話器越しにキーボードを叩く音が聞こえていた。
そういうわけで、「死にたい」ということを話せる人間がいなかった。カウンセリングも対して役に立たなかったし、心療内科には毎週薬を渡されるだけで終わった。一番心が軽くなったのは横浜中華街の占い師だったなんて、いっそ笑えてすらくる。
ともかく、きっかけを与えられた「死にたい気持ち」は、孤独によってより膨らんでしまうということだ。
○で、自殺するの?
ここまで書いておいてなんだが、おそらくすぐに自殺することは無いだろう。勿論今も死にたいという気持ちはかわらない。未来に希望も持てないし、内定も無いし、やる気もでないし、自己嫌悪もひどい。しかし吐露したことによって気持ちの整理がついたし、少しすっきりもした。それについさっき思い出した、母に言われた一言が、自分の自殺をかろうじて止めてくれている。
「旦那が心の病気になったのは、自分の責任でもある。もしアンタもそういう病気になったら、私はもっと自己嫌悪が酷くなる」
だから自分は心の病気にもなれないし、自殺もできない。もう死ぬしか助かる道はないと分かっているけれど、両親の死や自我崩壊など、更に大きな決め手ができるまで、自分は「死にたい」という気持ちを心に持ちながら、生きていくしか無いようだ。
昨今では未成年とセックスしてどうたらこうたらというニュースが流れていますが、
この度僕は、昨日16歳を迎えた高校1年生と結婚することと相成りました。
ご両親も当然説得済みで、挨拶に行くときは僕も全国ネットに顔が載ってしまうのではとひやひやしていましたが、
無事認めて頂きました。
最初はキレられましたしロリコンと罵られましたし警察沙汰になりかけましたが、
誠実(セックスはしている)にお付き合いさせて頂いていること、今後彼女を幸せにするための予定について、また、貯金額をざっくり伝えたところ、
しぶしぶ認めて頂きました。
先月まではご両親もあまり僕にいい印象を抱いておりませんでしたし、まだ高校生なのに時期尚早なのではないかと思っていたようですが、
お金の力の為せる業か、今ではまぁ仲良くして頂いております。(彼女の学費も僕が負担すると伝えたことが大きいかもしれません)
このように公に言えることとなって大変喜ばしいです。
どうぞみなさんご自由に通報なさってください。
偉大なる先増田様
ひょっとしたら役に立つかも知れないが
それほどに今の俺にとって畑違いすぎて無価値だし、
でもいざ捨てるとなると「大学行ったのは無駄だった」と自分の中で本当の決着がついてしまうので
すごいストレスになっている。
でも実際無駄だったしこの期に及んで本棚が占領されっぱなしなのは許せないので捨てる。
学費出してくれた親に申し訳ないのは間違いないしこの体たらくも気づかれていると思うが
そのうえ勉強の証拠たるノート捨てたと知られたらもっとあああ書くの面倒臭くなってきた
無駄金。俺の血肉になってるならまだしもなっておらず、唯一形に残っているノートを捨てるのですからほんと無駄だったことになる。
この人生ゲームつらい