はてなキーワード: 姥捨山とは
今40代以上の人は、この先死ぬとき誰かに看取られて死ぬんだろうなという見通しが立ってる人と、そうでない人に分かれる。
家族もなく60代〜70代のひとりぼっちの生活には、なにひとつ張り合いはないし心残りもないだろう。そんな状態の人間は誰かに看取られるより静かに死にたい。
今の人の死は、富裕層に合わせた死に方しかないのがいけない。「孤独死しないで!」というのは孤独死しない人達の言葉だ。どん詰まりの人間は孤独死上等なのだ。むしろ死んだ事すら忘れてほしいわけだ。だから自殺だとかになってしまう。それが悲しいのは孤独死しない人達の感情だ。
で、つまるところ孤独死の問題は体の問題だ。死んじゃった体がその辺に転がってると具合が悪いわけだ。今の時代に姥捨山では大炎上してしまうし、八方塞がりだ。
認知症の祖母が両親と同居している。祖母は1年ほど前に認知症の診断を受けた。その後症状はどんどん悪化して典型的な認知症の行動、思考をとっていると思う。けれど身体的不自由はあまりなく、特養入居に必要な?要介護3の認定は受けられないでいる。祖母の貯金は大してあるわけでもなく、両親・私の金銭的余裕もない。だから民間の老人ホームに入居させられるだけの余裕もない。祖母も老人ホームといえば姥捨山だ、という昔ながらの考えが捨てられず入居には難色を示している。
祖母は自分が認知症だということはわかっているらしいが、自分のとっている行動の何が問題なのか、その行動が同居している両親・離れて住みながらよく実家に帰ってくる私にどれだけストレスを与えているのかということは認識できないらしい。私たち接する側が認知症だということを受け止めて、優しく接することが出来れば何も問題はない。でも日に日にストレスは溜まっていき、祖母に対する口調も激しくなっていく。家庭内でも疲労の空気が濃くなって、雰囲気が悪くなっていく。祖母は翌日には問題を起こしたことも、それで注意されて怒られたことも覚えておらず、それに対してまたストレスが蓄積される。
金銭に余裕がある家庭、認知症になる前に老人ホームへの入居を本人が希望・容認している家庭が羨ましい。このような家庭内の不和を生み出しているのは祖母・両親・私が互いに家族に対して向き合ってこなかった結果なのかと思ってしまう。それぞれが自分の意見を言い合って、押し付けて、それで終わり。皆なんとかしなきゃと思っているのだろうけど行動をとるのが面倒くさい。私自身も自分は孫だから祖母に対する最終的決定に口出しする権利はない、という理由をつけてこの問題から逃げている。本当は強引にでも入居手続きを進めるべきなのだろう。でもできない。
いっそ祖母が亡くなってくれれば、両親は祖母についてのストレスが無くなるし、私も気兼ねなく実家に帰省できる。見たところ祖母だって自分の状態、自分の子供と嫁の対応に混乱していてるが伺える。別に自殺してほしいわけじゃない。ただ脳や体、社会に適応するのに限界を迎えるほど長生きするのは本人にも周りにも酷だと思う。そうなる前に病気やら事故やらで亡くなってくれたほうがいいと思ってしまう。
あることはある。
老人から子供まで命を平等に見捨てないと言うと聞こえはいいが、経済が伸びず資金難なままそれをした結果老人から子供まで平等に補助が手薄になっているのが現状だ。
もちろん高級老人ホームなど、財のある老人へは介護商売も成り立つ。
その手段なくしては、日本人は予定通り順調に減少の一途を辿るだろう。
人がいなくなった場所に移民はくるし、移民を受け入れてでも経済を回していく他ない。
倫理的に前者を受け入れられないのであれば、諦めて移民を受け入れる姿勢に入ろう。
時代に順応していこう。その準備をしよう。
ゆくゆくは移民たちの子孫も血が混じり、新生日本人となっていくだろう。
価値観を広く持とう。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1810/03/news098.html
役所の経理です。みんなが役場の会計に不安を抱いてるみたいなんで、少し説明してみる。
役場って、「誰に」「いくら」支払うか事前決定してからじゃないと動けない仕組み。(負担行為をおこすと言う)
今回だと山本さほ先生に〇万円支払います、内容はこれこれってイベント前にすでに決定されている。
契約形態で若干違うけど、役場で定められてる講師謝金の金額(大学教授相当は1時間あたり〇万円とか)か、山本先生の出した見積書の金額のどちらかで固まってる。
んでイベント終了後に、事前決定した額が、山本先生に振り込まれる。
でも画材が先生負担なら、その旨を事前に示して画材代金込みの金額で契約してるはず。
〇キャンセルし忘れた会場代金は?
あえて言うなら、担当の自腹。
がんばれM山氏。
基本的に役場の経理の仕組みはガチガチで、担当の一存で簡単にあれこれできたりしない。ガチガチすぎて困ることの方が多い。
あとM山氏は役場職員からしても、なかなか見ないクラス。普通なら、優秀で面倒見の良い人材とペアにするか、外部対応のない姥捨山的なポストに閉じ込めとく。野放しにして外部対応させてるとか、すごいチャレンジャー。
ごめん、お金だすのバンバリー市なんだね。そうなると、バンバリー市との契約ルールに則ってお金を使うことになるから、かなり好き勝手できるわ。
役場の金じゃないし。
戦後インフラを整えてきたのはいまのジジイとババアだからなあ…。高度成長期は地方から金の卵と呼ばれ上京し日本の経済成長を土台で担った。道路や電気水道などのインフラが整ったのもこの頃。その当たり前の便利をいま享受している。バブル期は24時間戦えますかと働いた。男女雇用均等法が施行されたのもこの頃。
ジジイババアになって弱者になったらポイ捨てかぁ〜。弱者を排除していけば数十年後には姥捨山ができてるでしょうね。あなたはそこに行きたいのね。
子育て世代や若年層の不満を高齢者にぶつけるのは理論のすり替えですよ。どちらの福祉も両立する方法を模索することすら放棄してるのですか。
どうなったらいい?よくしたいってさ、俺たち国民は、今後の日本がどうなりたい
どうあればいいのかもっと具体的に明確なビジョンがあればいいんじゃねえか?
子供を増やして今後に可能性を繋げるのか、子供なんてどうでもいい、今の老人たちを手厚くするのか?
逆に姥捨山でも作るか?首都圏に人口が偏るのがいいのか、地方が衰退するのがいいのか
移民を受け入れるのか、世界的なシェアを得られる何かを開発していくのか
米国、米軍との関係、逆に中国に国防を任せるのはどうか、中国に飲まれるのか
軍事大国になるのか、、ロシアと組むとかは???なんだっていいや!
この日本という国は明確な目標がない気がするんだ。中国みたいに「人民の夢、国の夢」みたいなものもない。
その目標のために、有無を言わさずやってみせろと。
どう考えてる?どうあってほしい?
老人介護などのケアサービスは洗濯や掃除といった労働とくらべて自動化が難しく、人間が労働せざるを得ないという問題がある。
しかし、各家庭に労働者(家族含む)が赴いてケアサービスを施すのはたいへんコストが高く効率も悪い。
そこで、老人ホームなどの集約型ケアサービスがあるわけだが、これをもう少し大規模にして都市化したらどうか。
公営の都市では衣食住とケアサービス、医療サービスを集約的に提供し、規模の経済による効率化によってコストを圧縮する。
その都市への居住権を割合安価に設定し、国は年金支給に相当する金銭を回収する。
都市サービスでの労働者は若者でも良いし、体力のある市民の老人でも良い。
何もかもをコントロールする政策では上手くいかない可能性もあり、企業の参入を妨げたり入札制にするのもデメリットがあるので、
ただ単に公共集合住宅を大量に用意して、老人の入居とケアサービスの運営を優遇するだけでも上に挙げた状態に近づくかもしれない。
老人の居住選択の自由を奪うという批判はありそうだが、安価にサービスが受けられるという効用を求めて自由意志でやってくるという建前にしておく。
困窮する老人も出てくるなか、個人あるいは単世帯として生活するのはしんどいので、同世代のコミュニティを半人工的に形成して効率よく生活してもらうのも良いのではないだろうか。
民進党が党を挙げて擁立した、いわば野党の代表が就任早々に言ったセリフがこれだ。
事業仕分けで散々叩かれ、二重国籍問題で叩かれ、またも燃料投下。もはや炎上ブロガー以上の炎上スキルである。
続けてこう発言した。
「今の政権では社会保障の充実が置き去りにされている」(中略)
「人生の先輩方がどうやったら元気で、長く、自分らしく生きることができるのか、大きなかじ取りをさせていただきたい」
http://www.sankei.com/politics/news/160919/plt1609190021-n1.html
我が国の一般会計予算96兆円(H27)のうち、33%(31兆円)は「社会保障費」である。そのうち、いわゆる老人に使うカネである年金医療介護保険給付費 (年金,医療,介護)は23兆円なのだ。※1
つまりざっくり言うと、国家予算の23%は老人に費やしているのだ。この国の未来よりも、選挙で一番投票層の厚いこの世代の事を考えれば怖いもの無しというわけでしょうか。彼女はこれ以上社会保障費を充実して、何を削るというのだろうか?
社会保障費に対して、我が国の"未来への投資"はどうだろうか?
「文教及び科学振興 」(5兆円)と「公共事業」 (6兆円)の割合は合わせて11兆円程度であり、わずか11%にすぎない。
たしかに年配者は聡明で何でも知っており、できれば長生きして貰いたい人だっている。けどそれとこれとは別で、老いれば誰しもが、もはや独りで自立できる状態では無くなってくるのだ。
きっと原因は進みすぎた医療にあるとおもう。
いや医療技術は技術としては本当に素晴らしい。大昔の平均寿命を考えれば、もはや神の領域だ。しかし医療の恩恵を受けるのは身体のみであり、脳は延命治療は施せない。本来であれば脳が死ぬ前に身体が死ぬはずだったとしても、現在は身体が医療により脳の寿命より延命される。
つまり脳が死んでもなお身体は生き続ける。これが認知症の状態だ(少なくとも私はそう認識している)。
江戸時代の平均が30~40歳で、平均寿命が50歳を超えたのは戦後すぐの1947年。医療によりわずか70年で平均寿命はさらに35年も伸びたのだ。
現在、要介護認定者は2014年に600万人を超え、65歳以上の約2割を占める。(全体の人口の5パーセント)
この中のどれだけの人たちが認知症なのかはわからないが、医療により身体と脳の寿命のバランスが崩れてきているのではないかという気がする。
自立していたであろう大人が年を追うごとに、赤ん坊に帰化するかのごとく、頭も身体も、自分の足では立つことが難しくなる。
経済上も若者が納めた税金で年金を享受し、介護では肉体的に若者に支えてもらっているのが現状だ。それ自体は仕方がないし、支え合うのは当然だ。
しかし、老人ホームへ赴くたびに若者がこんな処で消耗していていいのか?と思う。
貴重な国の財産であり、これからの未来を担うはずの若者が老人ホームで、もうすぐ死ぬであろう者のお世話をしている。きっと好きでやっているんだろうな。
そう考えるとおこがましいが、勝手にどこかで彼らに対し"勿体無い"という気持ちになる。
高齢者に対し、身体的にも経済的にも投資することに対する見返りはほとんどない。いわば"沼"なのだ。反発係数ゼロの壁だ。そこへ投資するカネはとたんに"死に金"になる。
我が国はこれ以上本当に高齢者に、莫大な時間と、若者の手と、カネを費やす必要はあるのだろうか?
ただでさえ各国に追い抜かれ、後進国となりつつある我が国は若い層を大事にしなければならない。
子供を産ませ、教育サービスや経済的支援を充実し、社会資本整備による国際競争力の向上、モノづくりに対する支援などで景気を好転せねばならない。でなければ、もう手遅れかもしれないが、秒読みでもっともっと情勢は悪くなるだろう。
いずれは自分も、散々上記に挙げたような高齢者になるし、その時に誰にも助けてもらえなかったらと心配もするが、高齢者問題はこのままではあまりにも大きな重りとなって、この国を沈めてしまうだろう。
高齢者は尊いし知恵もある人生の先輩だ。いつまでも元気で自分らしく生きて欲しいと願う気持ちも当然ある。
かつて高齢者は大事にしなさいとはよく言われたものだが、それは高齢者が数少ない貴重な存在だったからだ。貴重なものは確かに大事にすべきだが、高齢者はもはや増えすぎだ。
正直アンバランスである。数が多いものを大事にする必要があるかというとそんな事はないように私はおもう。
もう子供の名前はわからないし、駄々をこねたように暴れたり、暴れお漏らしだってする。でもそんなことすら1時間もすれば忘れる。
そんな姿を見て、昔の姿と対比して、生きるってなんだろう?と思う。動いてれば生きてるということなんだろうか?解放できるのであれば、解放させてあげたいがそんなこともできない。
そんな祖母は上に挙げた社会保障費から補助金で施設に置くことができているし、幸運にも祖母自身にも貯金があった。そういう身内を支援する仕組みや貯金があって不幸中の幸いというやつだ。
よく無理心中の話も聞くが、これらが無かったらと思うとゾッとする。しかし世の中には当事者の貯金もなく、要介護認定を得られなくて苦しんでる人だって、おそらく相当沢山いるのだろうな。
どうやって高齢化問題を解決すればいいのだろう。現代版姥捨山が必要なのではないか?
安楽死という手段が合法化し、本人にも身内にも安楽死という手段が選択肢に入るようにする。
これくらいしか思いつかない。というかこうでもしなくてはいけない段階にきているのではないかと思う。でも人間の尊厳とかでそんなことを実現するのだって無理なんだろうな。根深い、根深いよ
※1 内訳には医療も含まれており一概に老人に使う金とは言えないが、医療費のかなりのウェイトを老人が占めるので多少大げさだがこの表現とした。
子ども産ませてください。
一馬力の年収一千万弱家庭です。おかげさまで多少余裕のある生活ができています。
ニッポンの偉い人へ。
もう1人子どもが欲しいです。
1人でも2人でも欲しいです。
子ども産ませてください。
でも、教育費のことを考えたら、尻込みしてしまいます。全部公立で大学まで、親が学校以外の教育費を一切かけずに行く人は一握りです。
公立の学校だってそれなりのお金を払いながら通って、それにプラスして習い事や塾代をかけてやっと、公立の大学に入って。
できれば親と同じくらいの生活ができるだけ稼げるような大人にさせるのにはどんなに安く見積もってもやっぱりとてもお金がかかります。
そのことを考えたらまず3人目を悩みます。
私も働こう、と思っても、これから働き始める人なんて保育園は門前払です。育休中の人すら、入れずに待っている状態ですから。
産みたいのに、産めません。
私の周りのママたちも同じ理由で3人目を悩んでいる人がたくさんいます。みんな、産みたいのに産めません。
けれど、愛でるだけでなく、私たち親は1人で食える大人に育てていかないといけないんです。
言い方を変えれば、1人で食っていけて、税金も納める働き手を私は産みたいんです。
有能な働き者は役に立つ。有能な怠け者はうまくやる。無能な怠け者は役に立たないが放っておけばいい。しかし、無能な働き者は役に立たない癖にしゃしゃり出てきて他の人の足を引っ張るので、一番タチが悪い、ということらしい。
いま「無能な働き者」でググってみたところ22万件ヒットしたのだが、最初の数十件を見てみると、ほとんどすべて、「無能な働き者に対してどう対応すればいいのか」という趣旨のようだ。つまり、他人が「無能な働き者」である場合について書かれている。
自分が「無能な働き者」である場合は、どうしたらいいのだろうか。
なんでそんなことが気になるかというと、私自身がまさに「無能な働き者」だからだ。
ろくに仕事ができない。成果物の質はよくないし、時間がもかかる。判断したことはたいてい正しくない。みんなで議論しているところに悲観的な意見(のような何か)を出して話を袋小路に追い込む。やる気はないし、向上心もない。
他にも、ネットで「無能な働き者」の特徴とされていることがだいたいあてはまる。自分ではわからないが、きっとこの文章からも無能さが読み取って頂けることと思う。
さすがに自覚して、せめて「無能な怠け者」を目指そうと思ったのだが、自分よりも他の人の方が仕事を抱えているので、割り当てられた作業を放り出しても迷惑がかかる。
無能なので、他のプロジェクトに呼ばれることもなく、大きく昇進することもなく(会社が年功序列なのでちょっとだけ昇進して残業代は出なくなったが)、同じところに居続けた結果、「他の有能な人たちが管理職になった後、現場に昔からいる人」ポジションになり、新しい案件があると呼ばれて意見を求められたりするようになった。
しかし、結局のところ無能なので、何かしら役に立つような提案ができるわけでもなく、「いいんじゃないでしょうか」とか「ここがちょっと気になりますね」とか言ってお茶を濁し、それで後から冷静に振り返ると相手の足を引っ張っていただけで、何も言わない方がマシだったのでは、ということがよくある。
こういう場合、どうしたらいいんでしょうか。
「無能な働き者」でググって出てくるページを見ると、周りにいる人たちとしては、死んでほしいとか、辞めてほしいとか、他の部署に飛ばされてほしいとかなんですが。
自分が「無能な働き者」の場合、死ぬか辞めるか異動希望を出すくらしかないんでしょうか。
個人的な妄想としては、国が国立の姥捨山みたいなのを作って、「無能な働き者」認定された人間を収容するとかしてほしい。そしたらそこで死ぬまで静かにしているんだけど。税金をそんなことに使われるのは腹立つと言われそうだけど、普段の生活の中で他人の足を引っ張ることがなくなるので、それで許してもらえないかと思ったりする。
追記: はてブやトラックバックでコメントをくださった方、ありがとうございました。
せっかくコメントして頂いた内容に対して、何か書くべきかとも思ったのですが、自分の中で咀嚼するのに時間がかかりそうです。申し訳ありません。
いずれにしても、あちこち間違っている・認識が偏っていることは認識できました。繰り返しになりますが、いろいろな観点からコメントを頂きありがとうございました。
そのような老人を姨捨山すれば良いのでは?
そもそも、援助が必要なのは「金がない」ではなく、物理的に援助が必要なことです。
老人が動けなくなっても介護して生きてもらおう、としてたのは別に近代になってからだけではなく、
それこそ縄文時代にも余裕があればやっていたことでは?
姥捨山にすれば良いとかそういう話をした記録はありません。
物理的な援助もその文の後半に書いてありますよ。抜き出したい所だけ抜き出して批判するとか、マスコミじゃないんだからやめてください。
違います。尊敬の念がなくとも、社会が健全であるためには必要だよね、と上の文で書いているわけですが、よく読んでください。
ですから、皆が皆、貴方のように老人を、親を尊敬しない世界を考えてみればいいじゃないですか?想像できません?
皆に尊敬するなとは言っていませんので、そんな世界を考える必要はありません。私の主張を勝手に捻じ曲げないで頂きたい。
私は、尊敬したい人はすれば良い、だがしたくない人に強制をするなという話です。
別にそれで姥捨山だ、社会保険の老人カットという時空跳躍的な展開されてもこちらとしては困るわけですよ。
生活保護制度には色々と不備があると思うんだけど、皆が働くより働かないことのほうが楽だって意識を覚えているのは変な話なんじゃないかな。
俺は働かないより働いたほうが良かったなと思っている。働いて給与は上がっているし、人との繋がりも増えている。割と順調なんだよね。でも、世の中にはそういうことじゃないことのほうが多い。俺も幸先不安だし、会社がいつ潰れるかはわからない。下手をうったら生活保護のお世話になるかもね。どちらかといえば働かないよりは、働くことのほうがまだ楽しいことだなと思えている俺は恵まれている。あるいは頭がお花畑なのかもね。
河本の生活保護云々で、不正受給の話がされているんだけれども、それと一緒に「生活保護受給者云々」って叩いている人もちらほら見かける。「不正受給しやすいシステムが問題であって、本当に必要な人間に廻るんだったらそれでいい」とは言っている。俺も不正受給しやすいシステムは穴だと思うわけ。でも、それでもその「不正受給をどうやって減らすか」って議論がズレて「如何に生活保護受給者を不利な立ち位置に陥らせるか」って議論に移行している人がいるってことは、認めてもいいんじゃないかな。なんか選挙権剥奪しようぜ、という人もいるくらいだし。
そういう人達を見ていて思ったことなんだけど。
生活保護者に対して、「働けるなら働いたほうがいい」っていう話が出ているんだけど、あれって「働いても生活が維持できるくらいのお金を捻出できない無能は保護されるべき」ってことだよなって思う。無能って言い方をすると怒るかもしれないけど。環境だろうが、自己責任だろうが、無能は無能だよ。
日本の場合は、生活保護を受給できる資格のある人が、受給しない割合って、他の国よりも遙かに高いんだよね。海外の生活保護に類似する制度が、そもそももっと敷居が高すぎるんだろうけど。ネット上では「ナマポ」って言われていて、ナマポおいしいです!って話は出てたけどね。でも、多くの場合は「クズがいる」というだけでスルーしていたんじゃないのかな。ホームレスがいたとしても、一部の馬鹿な中高生か、妙に潔癖症じゃない限り、「いるんだ」くらいの気持ちしか沸かないのと一緒でね。
不正受給じゃないにしろ、日本の福祉制度の予算割合ってどんどん膨れ上がっている。理由の一つに、日本が高齢化社会に移行しているからというのがある。
統計によれば、大多数の生活保護受給者は、50歳から70歳に偏っている。改めて生活保護の統計を見ていて面白いのは、20歳から40歳の受給って、平成2年から平成11年ってどんどん減っていたんだよ。この時代は「働けばなんとかなる」っていう時代だったんだ。実は十数年前くらいって、働けばなんとかなる時代だったんだよね。既に労働市場からドロップアウトしている高齢者は、この間でもそれなりには増えていたんだけど。
それが平成12年から今日にかけて、異様な伸び率を示しているのは、もう単純に労働市場自体が若者を抱えきれなくなっているか、あるいはどんどん使い捨てにしていっていて、鬱病になってドロップアウトするケースとか多いんじゃないかな。そうなると社会復帰を諦めて「生活保護」になればいいやと思っている人もいる。当然、若者が抱えきれなくなっているんだから、家族で扶養出来ない人間も増える。扶養義務を厳しくしろっていう議論もなるほどね、って思うんだけど、それってますます働くってイニチアティブ、とくに家族がもうポンコツすぎて誰も働けない、っていう人の労働意欲を削るんじゃないのかな。そうなると生活保護を受けたほうがいいよね、って判断がどんどん増える。
本来、福祉に対して一番有効な手段ってのは、景気回復なんだよね。例えばバブルの時代であったり、あるいは高度成長期のころって、明らかに「働いたほうがいいじゃん!」っていうモチベーションになっていたと思う。だから、俺はむしろ景気回復手段みたいなのを考えたほうがいいよね。具体的にはわからないんだけど、そっちの議論のほうが必要だね。あとは高年齢者の貧困層を如何に取り込むかって話。もう年金制度と加えて、生活保護制度も、不正受給以前に高年齢者で圧迫するのは目に見えている。それは家族が扶養しろっていっても、もう誰も頼ることができないって状況がある。ホームレスをやっている人だって、割と老人が多いわけでさ。よく言われることなんだけど、若いひとよりも、老人のほうが貧困格差って是正されないんだよね。あと、老人が精神を病んでいたりした場合はどうするの、っていう感じ。社会からドロップアウトする人って、どうしても精神病を患っている人だったりするからねえ。
どちらかといえば、景気回復とか、労働環境とか、労働市場とかのほうが問題なんじゃないの?って感じなんだけどね。あるいは「もう高齢者なんて雇ってらんねえ!日本全体が姥捨山になってもいい!」っていう判断をするんだったら、それでもいいよ。国民の判断だし。あとは、「無能は死ね」って言って福祉をぶっちぎるか。でも、これも高齢化社会を考えると、姥捨山を作るってことだし。あるいは決起して「おらの米を盗むな」って言って、国会を爆破したり、税務署を破壊したりすればいいんじゃないかな。あるいは日本が破綻したときに、世界に対して「お願いだから養ってください」っていって、日本自体が、世界政府の生活保護のお世話になる方法を模索するとかね。逆に身分制を作って、表立って差別できるようにするとかね。昔の被差別階級は悲惨なところに追いこんで、そこに住まわせていたって話があるくらいだし。それを望んでいるというのもあるよね。ただ、身分制とかにすると、良心の呵責があるから、「こいつらは差別するやつらに値する」って言ってキャンペーンを打ちつづけるの。そうなると、労働市場云々の話とか、高齢化社会のことなんて考えなくなるだろうしね。