はてなキーワード: 声帯とは
急に、まるで人類が新型コロナウイルスに勝利したかのように、世の中が急に活気づいているんじゃないかと思うくらい、昨日、当店は激混みしていた。
出勤したら、珍しくオーナーがまだ事務所にいて、Aさんがびくびくしていた。オーナーに何か怒られるのかと思ったらしい。だが、オーナーは単になんか急に仕事がしたい気分になったから来てみただけだそうだ。
女子高生アルバイトさんが、運転免許を取るための合宿に行くので一週間休みだという。いや一週間で合宿は終わらなくないか? 再来週のことは来週言えばいいと思ってるだけなのだろうか。よくわからない。
カフェマシンの洗浄と掃除は、当店では毎日行われているはずなのに、何故かマシンのギミックの隙間に、ヘドロ状になったコーヒーのカスが、どろどろとへばりついていた。ヘドロは位置的に、そのままコーヒーに混入することはないのだが、なんかクソきったないので、こっそり無料のお箸を一本開けて、割箸と爪楊枝を使ってヘドロを掻き出した。もしもお箸まで有料化されたら、こんな融通も利かなくなるんだな。それはちょっと不便だ、なんて想像した。プラスチックのスプーンも、たまに一本くすねて、カフェマシンの豆をストックするケースを洗浄するまえに、豆を掻き出す為に使っている。スプーンは有料化ほぼ確実の流れっぽいので、来年からは困っちゃうな。
21時半頃にやっと暇になった。Aさんと雑談をした。最近、Aさんはやたら私に赤ちゃんの生態とか赤ちゃんのいる暮らしについて聞きたがる。そんなん聴いて楽しいのか? と不思議に思うが、Aさんは何故か楽しそうなので、話してやる。
赤ちゃんは、産まれたばかりの頃は昼夜逆転気味なので、親は夜中に赤ちゃんの泣き声に起こされるし、なんなら連日睡眠時間が一時間半くらいになる。と、私が説明したら、Aさんが、
と、前のめった理解というか誤解をしてしまう。いや、なんか赤ちゃんの泣き声がするとつい目が覚めるってだけで、寝ないで生きれる超人になるわけではないからね! と私は慌てて付け加えたんだが、そこはAさん何故だか聴いてない。聴いて!
そこまで話したところで、またぞろぞろとお客様が来店したので、雑談は終了。今度赤ちゃんのことを聞かれたら、赤ちゃんの声帯は頭の中にあるので、赤ちゃんの声は口ではないどこかから聞こえてくる、という話をしてやろう。
肺で飛沫(液体)が発生して、それが気管や声帯を通過するの?
推しが死んだ。
ここまで来ると名前を伏せる意味すら感じないが、推しの声を当てていた人が、救えないほど悪いことをして事務所を辞めた。
報道が出て、嘘でしょ?と思うと同時にどうせ些細なことで燃えてんじゃないの、と半分くらい疑いながら記事の内容を読んだけれど、否定してくれと泣いてしまうほど酷かった。擁護なんて出来たもんじゃない。本当に人間として最低だし、決して許されることじゃないし、被害者のためにも早いとこ逮捕されて欲しい。マジであれは救えないだろ。
(どうやら事実確認がどうこうで揉めているようですが、私の中では黒なんだろうな、と感じているのでこのエントリを書いています)
だから最初に言っておくけど、この文章は某俳優を擁護するものではないです。あの記事読んだ上で「戻っておいで!待ってるよ!(ぴえん)」とかやってる奴は多分人の心を持ってないので生まれ直してきてください。
件の俳優が声を当てている某パリピキャラを、この数年間ずっと推していた。今回は話題が話題なのでキャラクター自体について深く語りはしないけど、少なくともあの絶妙なパリピボイスはあの俳優にしか出来ないんじゃないかと思っている。彼が声を当てていたからこそ好きだったのだろうと思う。
アイドル時代に盛り上げ隊長の肩書きを持っていた彼が演じるパリピボイスは最高だった。本当に。
2年ほど前には、声優たちが出演するライブにも足を運んだ。あの日のことは今でも忘れることはない。あの時、元アイドルを感じさせるダンスとファンサ(パリピキャラなので最強に似合っていた)で最高のパフォーマンスをしてくれたのは紛れもなくあの男だったはずだ。報道の後、円盤を観ながら泣いた。もう純粋な気持ちでこのパフォーマンスを見ることが出来ないことが悔しかった。
彼がやったことは絶対に許せることじゃないし、そんな男に大好きな推しの声を当てさせるのも絶対にダメだと思ってるし、だからキャスト変更しますって言われても異論はない。異論はないんだけどやっぱり推しの声はあの男にしか出来ないと思ってしまう。
それに、あいつの声帯を持った推しとこの数年間を駆け抜けてきたのだ。今更声が変わりますってそんなの、受け入れろって方が難しい。キャス変が決まったら過去ストも全部差し換えるんだろうな。私が大好きだった推しは、あの声の推しはもうどこにもいなくなっちゃうんだろうな。そんなの嫌だ。でももう、あいつに、あんな奴に推しの声をやらせたくない。もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。
推しのことが好きだ。あの声で話す推しのことが好きだ。あの声が好きだ。だからこそ、彼のことが許せないのだ。声も含めて推しなのに、もうあの声はきっと聴けなくなってしまう。
あいつが推しを殺した。2次元キャラにとって、声は心臓のようなものに。核なのに。
まだどうなるか分かっていないけど、いずれキャス変されて声が差し替えられて、推しは生き続けるんだろうな。だけど私が何年も好きだった推しは死ぬ。人々の記憶の中のものになってしまうかもしれないし、私がその声をまた聞けるのは、手元にある数枚の円盤でだけになってしまうかもしれない。悔しいなあ。やりきれない。
やりきれないけど、仕方がない。どこかで折り合いをつけて、自分の中でカタをつけないといけないんだろう。向き合っていくしかないんだろう。一晩経った今、やるせない気持ちで今までのストーリーを見返しながらまた泣いている。
小澤廉くん。あなたが演じる三好一成の声が大好きでした。だからこそあなたのことは絶対に許さないし、マジで、マジで帰ってくんなって思ってます。ごめんなさい。
いつか、あなたが殺した彼のことを、誰かが新しい声で蘇らせてくれる日を夢見ています。
追記。
友達がいなさすぎる
あまりにも人望がなさすぎる
いやそもそも人間と話が合わなさ過ぎる 学生時代は何故か他人と仲良くしなきゃと謎の強迫観念に駆られて同性を誘いまくってなんとか友達のテイを保ってたが、誘うのやめて向こうからの誘いを何回か断ったら誰からも誘われなくなってしまった
男女の友人関係はちんちんとまんまんが存在する限り無理だと思っているので本当に友達がいないんだよねマジで
SNSもある程度まで見て他人の嫌なとこが気になって絡む気なくなるし
趣味がゲームと草吸って音楽と漫画とかなので100%内向的で誰ともすれ違わない
根本的に人間に興味はあるがこちらからかまってやるのがめんどくさく、尚且つ自分がめんどくさいときには話しかけて欲しくないといった最悪な性質で
なんとか体目当ての異性は釣れるが社会性としてはそこで閉じるよねっていう。
最近読んだアドラー心理学の本には、人間が真に幸福を感じることができるのは社会的なコミュニティの中で存在が認知されているとき とあったが
いや無理なんよな~wそれが出来てたら誰も苦労しねンだわ
今はなんとかネトゲのインスタント人間関係でお茶を濁しているが
それもまんのもので声帯がマシという性的コミュニケーションに胡坐をかいてるにすぎず
オタク同士のゲーム上でしか成り立たない刹那的会話なので相手の本質も顔も一切見えず、たまに非常に空しくなってしまう
みたいな友達欲しいよ私も
みんなどこでみつけてんの?そこまでの関係を構築するまでの間に崩壊するんだが
友達欲しいけどめんどくて欲しくない
壁を作ってる、とか他人を自分がどこまで受け入れるか~とかあったがまったくもってその通りだと思う
兄弟もおらず片田舎で両親は放任主義で干渉してくることもなく、すべてが自分の中で完結していたので、他人と仲良くなる過程で必要な”自分に踏み込まれてもいい”、”心を許す”みたいな感覚が未だによくつかめないんだよな。兄弟いる人はその辺うまいよね。
壁がある意識がないんだけど(いやちょっとあるけど)壁があるらしいです(これは何人にも言われた)
人に対してああしろこうしろは思わないけど、思わないが故に言われるとストレスで関係性を断とうとしてしまう。これってどうすればいいのか皆目見当もつかない。増田達が優しくてちょっとだけ救われたよ。みんながんばろうね。
手っ取り早いのは慣れることかな。
何度も何度も他人に意見を主張する場を経験する。話し方講座とかかな?あとは英会話とか?言語は違うが意見を主張できるのでは?コロナで運営どうなってるのか分からんが。
そもそも喋ること(声を出すこと)に慣れていない可能性もあると思う。声、定期的にしっかり出さないと声帯機能衰える。だから最初はヒトカラとかでも良いかも。声出すことから始める的な。
それから時間かかるけど効果あると思うのは、観察、分析すること。
どういう場面で緊張するのか、なんで緊張するのか?を分析して、最終的に「その緊張は不要なものでは?」とか「緊張しても仕方ないのでは?」という状態までいければ最高。(開き直りとも言えるかもしれない)
例えば、相手は誰でも緊張するのか、特定の人なのか。意見の内容はどんなものか。どんな場面でよくなるか?仕事中、友人との会話、等等。
とにかく意識して観察してみることだろうか。
多分だけど、「自分の意見は間違ってるんじゃないか」とか「否定されるんじゃないか」とか、そういう否定的な意識があるんじゃないのかな?
支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。
人が誰かからの支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由に収束することになる。要は、自分で自分を支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理から生まれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。
自分を支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己を支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり、自分の行動原理の根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである。
無論心臓の鼓動とかの不随意運動を支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄を理解し、その認識の背後に回り、メタな視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的な行為の範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である。
例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。
そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり、肯定すること、否定すること、無視することの三つである。
「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定の立場を安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。
ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定の立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分は悪人の存在を糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分は正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいから自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理の候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分は正義を愛するから」ウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから」事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいから自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。
と、こんな具合に色々自分の行動の理由を仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考のリソースが自己反省に割かれることによって、脳の処理能力が総合的に減退するのである。判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。
そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である。自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理をコントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理をコントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分をコントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである。
というわけで、人はナチュラルに自分を支配することを諦める。人は、自分を支配せずに、自分を把握せずに、自分を理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。
それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為だからである。よって、人は自分をコントロールすることを諦める。
人は自分を支配することができない。だからこそ、誰かが自分を支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日も地球は回る。幸いなるかな、水は流れる。
支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。
人が誰かからの支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由に収束することになる。要は、自分で自分を支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理から生まれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。
自分を支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己を支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり、自分の行動原理の根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである。
無論心臓の鼓動とかの不随意運動を支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄を理解し、その認識の背後に回り、メタな視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的な行為の範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である。
例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。
そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり、肯定すること、否定すること、無視することの三つである。
「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定の立場を安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。
ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定の立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分は悪人の存在を糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分は正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいから自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理の候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分は正義を愛するから」ウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから」事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいから自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。
と、こんな具合に色々自分の行動の理由を仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考のリソースが自己反省に割かれることによって、脳の処理能力が総合的に減退するのである。判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。
そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である。自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理をコントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理をコントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分をコントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである。
というわけで、人はナチュラルに自分を支配することを諦める。人は、自分を支配せずに、自分を把握せずに、自分を理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。
それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為だからである。よって、人は自分をコントロールすることを諦める。
人は自分を支配することができない。だからこそ、誰かが自分を支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日も地球は回る。幸いなるかな、水は流れる。
例えば1週間お休みとかがあると喉のポジションみたいなのが戻ってる。上にいっちゃう
がなるんじななくて、声を押すんじゃなくて体全部に響かせてる。だから本人的に声が枯れててもこちらとしてはわからない(星逢時の望海氏の話)
はるのはチェンジがないからどんなジャンルの歌も歌いこなせるじゃない(そんなことない)
海外ミュージカル:地声で張ってるように聴かせなきゃいけない歌も多かったり
少し裏声をミックスしてたとしても地声で歌ってるように聴こえる(のがはるのはすごい)
潰した時はがなる方でいってた。地声に聞こえるようなミックスを強化することが大事なんだなと(はるの)
海外ミュージカルとかで男役でも突発的に高い音がきたりする曲が多い。再演ものとか上のドとかまで全然でてくるときに、地声でがなってしまうと聞いてる方も苦しいしみたいな、ってなったときに男役だけど少しミックスでいけるようになりたいなと
気持ちいい 音の当たり方がすごい正確 絶対ずり上がったりとかしない(姿月さん)
男役の声:喉だけで出さない。よくお腹からとか言うけどお腹だけじゃなくて声帯も筋肉。低いからといってがなるのではなく、喉も筋肉だと思っていろんな使い方をしてるとだんだん音域って広がっていくのではないか
息、あがる。死にそうな時こそ苦しいけどハァハァしない。してしまうと取り戻せなくなる、お腹とか。敢えて浅くする。背中に息を入れるとかも言う
男役としての高音の魅力。もっと高いとこまで出るけど男役としてはここまでしか使いませんよ。楽に出せるようになる(吉田先生)
普段から口ずさんで馴染ませて、今から歌いますよ、という感じにならないように。自然に歌がポロっと出てくるというのができるように。役を演じる前に男役を、娘役を演じてる。自分の歌っているメロディは音楽の一部である(おささん)
腹の大きくなってきた妻にすれ違いざまに接触し詫びることもない人たちに怒れない。妻が妊婦であることを知りながら、デザートにラム酒を忍ばせた飲食店に怒れない。職権を拡大解釈して後輩をいびる老人に怒れない。行列に割り込んでくる中高年男性に怒れない。マスクもせずにすれ違いざまに痰を吐いてくる男性に怒れない。
俺は穏やかで柔和な人だと評価され、自身もそのように在りたいと願い、日々を慎ましく生きている。しかし、どれだけ争いごとを遠ざけていても回避できないものもある。
そのような時に怒髪天をつき、言い分を声高に主張することができたら、どれだけ心地の良いことだろうと思う。パブリックな場所で怒鳴る人を観察すると、どうも理由などよりも感情が先立っているように感じる。「○○が☓☓なので腹が立つ」というのではなく先ず「は?ムカつく」からのクラウチングスタートというか。粗野だと感じる一方で、彼らの直情的な行動を羨ましく思うところもある。
まず、声帯を温めずともあの音量の怒声が出る、というのもかなり羨ましい。また得てして公共の場で怒声を上げる人は流暢で、私が日々愛用している「あー」だの「うー」だとかのフィラーが入る余地がない。怒り方がさまになっている。
俺は反射的に怒りを発露させることはないし、たとえ怒りを覚えたにしても即座にリミッターをかけてしまう。そういう思考の癖がある。自らが直接的に被害をこうむった事でさえ、反射的には怒ることができない。ただ、後々事実を洗い出しては「ああ、あれは大分辛かった」と胃を痛めて反芻するばかりである。身体的なストレス反応を伴って、ようやく自分が憤っていることに気づくが時既にお寿司、怒りを伝えるべきストレッサーはもう目の前にいない。「ああ、また言えなかった」と虚無感だけがつのり、風呂場に独り言を蓄積させるばかり。
俺が現在進行形で心底恐れているのは、いざという時に妻、ひいてや子のために怒れないこと、脅威に立ち向かえないことである。また、俺のこの怒れない性分を子供が学習し継承してしまうことも恐れている。優しい子に育ってほしいと思うが外圧に対する選択肢が、いのちをだいじに一択の俺のような者にはなって欲しくない。多少の野蛮さは積極性と裏表だとも思うし、たまたまにはガンガンいこうぜと柔軟にやって欲しい。とりあえず、嫌なものを即座に嫌だとちゃんと言える強さを身に着けてほしい。
はあー、ほんまどうしよ。怒る練習しないといけないよな。とりあえず冒頭に列記した件は、ここ2週間の出来事です。増田で呪っても1mm足りともこの怒りは届かないんだろうけど、お前らほんとクソだかんなー。まじでつい増田書いちゃうくらいムカついたんだからなもう。ぶつかり男たちは謝れマジで。
という言説を見たけど、ものすごく癖の強い歌い方ってだけで下手だと思った事はなかった。
私は多分世代では無いけど親がCDを持っていたし、小さい頃は輪舞曲やまちぶせが好きでカラオケでいっぱい歌ったし、魔女の宅急便の歌も学校で歌わされた卒業写真も繰り返したくさん聞いた。
正直「ひっでえ歌声だな。誰だよ歌ってるの」っていう第一印象。
私だってそんな耳の良い方でも歌の上手い方でもないけど。それがユーミンだったのが本当にただただ悲しくなってしまった。
彼女だったと知ってから曲を聞き返したら確かに歌い方に面影を感じたのが余計に辛かった。
ファンでは無かったからもうずうっと彼女の新しい歌を聞いていなかったけど、この感じはいつからなんだろう。
あの外国の楽器ような柔らかくて凛とした可愛らしい歌声はなくなってしまっていた。
声帯は筋肉だから、人生を重ねていけばいつかは衰えてしまうのは仕方ない。
仕方はないけれど悲しいものは悲しい。
むかしむかし、その名を聞いただけで無垢な少年のむくむく棒がむくむくしてしまう卑猥で淫靡ないやらしいむらむらネームの村に、心のやさしいチンポが60センチのドスケベ浦島太郎(どすけべうらしまたろう)という立てばエロ本座ればディルド歩く姿はエロ動画なセクシー若者がいました。ドスケベ浦島太郎は、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ海、その名も感度3000倍媚薬海で釣ったスケベ魚をセックスパンデモニウム京都やセックスエルドラド奈良にエロ売りに行く事でエロ生計をエロ立てていました。さらにむかしむかしのドスケベ平安時代、このスケベ魚を干したオナホと偽ってスケベ蛇オナホを売っていた変態女のえっちな死体がドスケベ羅生門で淫乱老婆にエロ髪をスケベ抜かれていたのは有名な話で、勿論このお話を読んでいる皆さんは当然ご存知のはずですね。
ドスケベ浦島太郎がえちえち海辺をセクシーに通りかかると、えっちな子どもたちが、“こんなものを視姦(み)れば誰だって陰茎の先を亀の頭だと形容してしまうのは当たり前なほど”いやらしくて卑猥でそれでいてリビドーをくすぐられる程セクシーで大きなドエロカメを捕まえていました。
そばによって視姦(み)てみると、えっちな子どもたちとバイオ性玩具がみんなでドエロカメをえちえちにいじめています。ドスケベ浦島太郎のドスケベ浦島太郎も哀れ勃起してしまうほど、それはそれは惨たらしくもいやらしいものでした。
「おやおや、かわいそうに、逃がしておやりよ」
ドスケベ浦島太郎の哀れみ勃起チンポ60センチを視姦(み)たえっちな子ども達は何も知らないはずのお尻の穴がむずむずと、まるで生まれる前から使い方を知っているかのようにエロムズるのを前立腺で感じていました。そして前立腺と精巣でこの60センチ太郎には勝てないと理解していました。
「いやだよ。お、おらたちが、やっと捕まえたんだもの。どうしようと、ンホォ♡おらたちの勝手だろ」
強がりながらも無意識アクメしてだらしない体液を流してしまったえっちな子ども達ですが、これでは全然素直なアクメではありません。ドスケベ浦島太郎は哀れみ勃起からの悲しみ勃起です。
見るとドエロカメは涙とヨダレと性的な体液をハラハラトロトロびぢゃびぢゃとこぼしデスアクメ寸前のニアデスオーガズムに耐えながら、ドスケベ浦島太郎のドスケベな60センチを視姦(み)つめています。
ドスケベ浦島太郎はそこら辺で杖をついて歩くお婆さんが重たそうに背負っていそうな風呂敷に包まれたアレくらいの大きさのお金玉を取り出すと、えっちな子どもたちにいやらしく差し出して言いました。
「それでは、このお金玉の中身をあげるから、おじさんにドエロカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよお゛っ♡」
まるでその言葉を待っていたかのようにえっちな子ども達とバイオ性玩具はこれから始まる60センチとの甘美で淫靡でアンビシャスなえちえちインシデントを想像しただけで一人残らず素直にデスアクメしました。
こうしてドスケベ浦島太郎は、えっちな子どもたちの死後もなお情けない自慰アクメを続けるえっちな発情死骸からドエロカメを受け取ると、
と、ドエロカメをそっと、感度3000倍媚薬海の中へ逃がしてやりました。ドスケベ浦島太郎は無事に帰っていくドエロカメを視姦(み)つめながら喜びと安心の1㍑射精をキメました。
さて、それから二、三日たったある淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く朝方の事、いつものようにドスケベ浦島太郎が媚薬海に出かけていやらしく黒光りしてバッキバキにフル勃起している60センチペニスとスケベ魚を釣り上げられる程度の粘り気とほんのちょっぴり匂いに発情作用を持つ精液をエロ駆使してスケベ魚を釣っていると、
「おや? 誰が呼んでいるのだろう?」
「わたしですよおほぉ♡お゛お゛お゛♡ちんぽちんぽちんぽお゛お゛お゛」
すると海の上に、ひょっこりとドエロカメが頭を出してドスケベ浦島太郎の60センチ太郎にむしゃぶりつきセルフイラマチオをしました。不思議とドエロカメの口は蒟蒻のようにエロ柔らかくドスケベ浦島太郎はこれが噂のフェラチオウミガメかと妙に納得アクメ2㍑射精しました。 そしてドエロカメは脳味噌直撃IQくるくるぱー喉まんこアクメを毎秒4545194回キメた後に落ち着いてから言いました。
「このあいだはセクシーに助けていただいて、ありがとうございました」
「はい、おかげでエロ命が助かりました。ところでドスケベ浦島さんは、竜宮(ドラゴンキャッスルセックスキャッスル)へ行った事がありますか?」
「竜宮(DCSC)? さあ? 竜宮(DCSC)って、どこにあるんだい?」
「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗る前にわたしの無様あなぽことザーメンゴミ袋をバイオ性玩具になるまでずこばこってくださいひぃっ♡ぴぃっぴっぴっぴっぴぃひぃい♡♡♡」
時間にしてみれば三日、しかし濃度で言えば七百時間後、脳の快楽中枢以外の機能が全てダメダメのパーになってIQがチョメチョメのプーになったバイオ性玩具カメはドスケベ浦島太郎を背中に乗せて、媚薬海の中をずんずんとスケベもぐっていきました。
海の中にはまっ青なアクメ光線がいやらしく差し込み、淫乱猥褻コンブがユラユラと卑猥にゆれ、赤やピンクのペニスサンゴのセクシー林がどこまでもエロ続いています。
ドスケベ浦島太郎がウットリアクメ3㍑射精していると、やがて淫欲と色欲と情欲と肉欲と性欲を掻き集めて煮凝りにしたようなセクシー丹塗りのいやらしい立派なスケベご殿(てん)へ着きました。
「お゛お゛っ♡お゛ほ゛っ゛♡」
ドエロバイオ性玩具カメにアヘオホ案内されるままエロ進んでいくと、この竜宮のスケベ主人のセクシーで美しいセクシー美ッ痴なドスケベ乙姫さまが、色とりどりのスケベ魚たちと一緒に一匹残らずドスケベ浦島太郎の60センチ太郎をガン視姦(み)して全身全霊全力全開自慰(5Z(ズィー))をしながらドスケベ浦島太郎をえろえろに出迎えてくれました。
「ようこそ、ドスケベ浦島さん。わたしは、この竜宮(DCSC)の主人のドスケベ乙姫です。このあいだはクソマゾドエロ変態バカオナホカメをセクシーに助けてくださって、ありがとうございます。お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
ドスケベ浦島太郎は、竜宮の多目的エロ広間ヘオナ案内されました。
ドスケベ浦島太郎が用意されたえっちな事にも使えるいやらしい椅子に座ると、スケベ魚たちが次から次へと素晴らしい媚薬入りごちそうをクソ卑猥でクソ猥褻なクソ痴態をクソ晒しながらアクメ運んできます。
ふんわりとエロ気持ちのよいえろえろ音楽がじゅぶじゅぶ流れて、卑猥タイや淫乱ヒラメや妖艶クラゲたちの、それは見事なえちえち踊りがむちむち続きます。
そしてドスケベ浦島太郎のドスケベ60センチ太郎に近づくとみんな60センチ太郎されるのを無意識に想像してしまい一匹残らずデスアクメしました。デスアクメしなかったのはドスケベ乙姫さまと虚無IQバイオ性玩具カメと全身オナホタコとイルカだけでした。
そして、
「もう一日、いてください♡もう一日、いてください♡」
と、ドスケベ乙姫さまに言われるまま竜宮(ドラゴンキャッスルセックスキャッスル)で毎日毎日30時間の矛盾したセックスと言うにはあまりにも交尾なド変態でド助平でド淫乱なド性活をド過ごすうちに、三年のセクシー月日がエロたってしまいました。ドスケベ乙姫さまの美しかったヴァギナとアナルはだらしなく変色拡張し、なさけない体液を壊れた蛇口のようにはしたなく垂れ流すいやらしい全身ザーメンポンコツゴミ袋になっていました。
(穴家族や棒友だちは、どうしているだろう?)
「乙姫さま、今までありがとうございます。ですが、もうそろそろ家へ帰らせていただきます」
「ぉ゛ぉ゛……」
ドスケベ乙姫さまはドスケベ浦島太郎の60センチ太郎にしがみついて離しません。
するとドスケベ乙姫さまは、60センチ太郎に歯ごとへし折られてぐちゃぐちゃのリアルイラマチオオナホになった顎と声帯がえっちな事以外に使えないので、残っている僅かな・・・生き物に喩えると発情ミジンコくらいの理性でドスケベ浦島太郎の脳内に直接エロ話しかけながら、さびしそうに言いました。
(・・・そうですか。それはオナごりおしいです。では、おみやげにドスケベ玉手箱(どすけべたまてばこ)を差し上げましょう)
「ドスケベ玉手箱?」
(はい。この中には、ドスケベ浦島さんが竜宮(DCSC)で過ごされた『エロ時(タイム)』が入っております。
これを開けずに持っている限り、ドスケベ浦島さんは年を取りません。
ですが一度開けてしまうと、今までの『エロ時』が戻ってしまいますので、決して開けてはなりませんよ)
ドスケベ乙姫さまと別れたドスケベ浦島太郎は、また変態ドエロバイオティッシュカメにエロ送られてセクシー地上へエロ帰りました。
セクシー地上にもどったドスケベ浦島太郎は、まわりをセクシーに視姦(み)回してびっくりアクメ5㍑射精。
「おや? わずか三年で、ずいぶんと様子が変わったな」
確かにここはドスケベ浦島太郎がチンポ釣りをしていた破廉恥でいかがわしい淫らな場所ですが、何だかエロ様子がエロ違います。
ドスケベ浦島太郎のラブ家(ハウス)はどこにもエロ視姦(み)あたりませんし、出会う助平人もエロ知らない助平人ばかりです。
「わたしのラブ家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。ドスケベ浦島のラブ家をエロ知りませんか?」
ドスケベ浦島太郎が一人のえちえち老人に尋ねてみると、えちえち老人はセクシー過ぎてIQがぴゅーになるくらいのセクシーさで少しスケベ首をエロかしげて鼓膜と三半規管と蝸牛が仲良く瞬間アクメ出産するような卑猥な声で言いました。
「ドスケベ浦島? ・・・ああ、確かドスケベ浦島という助平人なら七百年ほど前に媚薬海へエロ出たきりで、エロ帰らないそうですよ。ちなみにここはセックスアルマゲドンTOKYOですよ」
「えっ!?」
えちえち老人の話しを聞いて、ドスケベ浦島太郎はびっくりアクメ10㍑射精。
竜宮(ドラゴンキャッスルセックスキャッスル)の三年は、このスケベ世の七百年にあたるのでしょうか?
「穴家族も棒友だちも、みんなアクメ死んでしまったのか・・・」
がっくりと卑猥な肩をエロ落としたドスケベ浦島太郎は、ふと、えっちに持っていたドスケベ玉手箱を視姦(み)つめました。
「そう言えば、ドスケベ乙姫さまは言っていたな。
・・・もしかしてこれを開けると、自分がエロ暮らしていたエロ時に戻るのでは」
そう思ったドスケベ浦島太郎は、開けてはいけないと言われていたドスケベ玉手箱をセクシーと言うより最早淫乱にエロ開けてしまいました。
モクスケベモクスケベモクスケベ・・・。
すると中から、まっ白のけむりと超スーパー究極アルティメット最強ストロンゲスト最終ファイナル強制催淫発情ガス極KIWAMI無限インフィニティオメガZが出てきました。
「おおっ、これは」
けむりの中に、竜宮(ドラゴンがキャッスルとセックスしてできたキャッスル)やスーパー美ッ痴なドスケベ乙姫さまの卑猥な姿がうつりました。
そして楽しかった竜宮(DCSC)での卑猥な三年が、次から次へとえちえちにエロうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
ドスケベ浦島太郎は、喜びアクメました。
でもドスケベ玉手箱から出てきたけむりは次第にエロ薄れていき、その場に残ったのは髪の毛もひげもまっ白の、ヨポヨポの淫乱おじいさんになったドスケベ浦島太郎と、その身体から生えている・・・かつて60センチ太郎とお金玉だったいやらしい突起がぷつぷつと並ぶ全長180センチほどの触手状の肉塊と、あたり一面に散らばる合計およそ1㌧ほどの白濁した性的な体液と、一人残らず発情してセックスでも交尾でも生殖でもない脳を快楽の電気信号で埋め尽くす為だけの運動(生物学)を繰り返して同時多発デスアクメしたセックスアルマゲドンTOKYOのえちえちな人達の死後もオナニーとセックスを繰り返すえっちな発情死骸だけでした。
うれしいと思う自分がすごく嫌だ。
呪詛に近いので読んでも楽しくないです。ただどっかで吐き出したかっただけだから許してほしい。金ロを楽しめるオタクは読まない方がいい。
あと純黒とか本編とかのネタバレしれっとあるかもしれないからそこも注意かもしれない。
チョコエッグを食べながら「あ~緋色の弾丸楽しみだけど正直公開してほしくない、滅茶苦茶見たいけど公開してほしくない。公開したとしても金ロで流さないでほしい。」とかちょうどお昼ぐらいに考えてた。
ツイッタートレンドみたら載っててビビった。開いたら来年延期になっててパンヨッシャした。うれしすぎて今すっごい目キラキラしてる。ただ来年まで処刑が伸ばされたともいえるのでなんとも言えない気持ちもある。
こんなこと思う自分が悪いのはわかってるんだけど、映画でチュウ吉にオタクが一瞬でもつくのが怖い。むしろ一瞬だけつくのが怖い。辛い。
本編での扱いとかより、公式関係の悪ノリやオタクのおもちゃにされるのがすごく怖い。チュウ吉顔も声帯も良いしさ。
あかあむ尊い!とか叫んでる腐女子が寄りつくことも、映画見てから京極さんカッコイイ!とか言ってる夢女子も羽田には近づいてほしくないんだ私は。
赤安キャッキャ、(園子いるのに)京極夢女子!とかやってるTwitterがキツすぎて辛かった。原作やテレビアニメで出てもそんな話題にしないくせに映画になったとたん一気に増えるオタクくんが私は嫌いだ。
純黒すごい好きだった。キュラソーが好きだった。だからあかあむあかあむ叫ぶオタクが流れてくるツイッターが辛すぎて金ロのときはトレンドとかタグとか見ないようにしてた。
キュラソーと少年探偵団との関係とか最後の観覧車とか本当に辛かった。でも好きだった。だから赤安ばっか注目されて「キュラソー?あー赤安の映画にいたよね!」みたいな扱いが辛い。
これ打ってて思い出して泣いてるんやが情けないぜ助けてくれ純黒のこと考えると涙出てくる。マジで好き。
自分は腐夢どっちも嗜んできた人間だからそういう楽しみ方に対して理解はあるつもりだ。しかしそういう目で見ることを理解できないジャンルだってある。
誰だってそういうジャンルはあると思う。私のそれがコナンだっただけ。
腐夢みたいな楽しみ方する人が一概に悪いとは思わない。でも、多数派がそっちのように見えるインターネットがやっぱ辛い。
ちっちゃいころから読んでる漫画だからこそ、腐夢視点で見てるオタクや公式がそっちよりな言動するのが辛いんだろうなと思う。
先日ツイステに対するお気持ちがいっぱい出たとき、こういう感情持ってる人もやっぱいるんだなって少し安心した。
幸い本垢相互に金ロはしゃぎオタクがいないから、公開前後地上波前後あたりは検索を控えるようにしようと思ってる。