2020-10-22

怒るべきときに怒れない

腹の大きくなってきた妻にすれ違いざまに接触し詫びることもない人たちに怒れない。妻が妊婦であることを知りながら、デザートラム酒を忍ばせた飲食店に怒れない。職権を拡大解釈して後輩をいびる老人に怒れない。行列に割り込んでくる中高年男性に怒れない。マスクもせずにすれ違いざまに痰を吐いてくる男性に怒れない。

俺は穏やかで柔和な人だと評価され、自身もそのように在りたいと願い、日々を慎ましく生きている。しかし、どれだけ争いごとを遠ざけていても回避できないものもある。

そのような時に怒髪天をつき、言い分を声高に主張することができたら、どれだけ心地の良いことだろうと思う。パブリック場所で怒鳴る人を観察すると、どうも理由などよりも感情が先立っているように感じる。「○○が☓☓なので腹が立つ」というのではなく先ず「は?ムカつく」からクラウチングスタートというか。粗野だと感じる一方で、彼らの直情的な行動を羨ましく思うところもある。

まず、声帯を温めずともあの音量の怒声が出る、というのもかなり羨ましい。また得てして公共の場で怒声を上げる人は流暢で、私が日々愛用している「あー」だの「うー」だとかのフィラーが入る余地がない。怒り方がさまになっている。

俺は反射的に怒りを発露させることはないし、たとえ怒りを覚えたにしても即座にリミッターをかけてしまう。そういう思考の癖がある。自らが直接的に被害をこうむった事でさえ、反射的には怒ることができない。ただ、後々事実を洗い出しては「ああ、あれは大分辛かった」と胃を痛めて反芻するばかりである身体的なストレス反応を伴って、ようやく自分が憤っていることに気づくが時既にお寿司、怒りを伝えるべきストレッサーはもう目の前にいない。「ああ、また言えなかった」と虚無感だけがつのり、風呂場に独り言を蓄積させるばかり。

俺が現在進行形で心底恐れているのは、いざという時に妻、ひいてや子のために怒れないこと、脅威に立ち向かえないことである。また、俺のこの怒れない性分を子供学習継承してしまうことも恐れている。優しい子に育ってほしいと思うが外圧に対する選択肢が、いのちをだいじに一択の俺のような者にはなって欲しくない。多少の野蛮さは積極性と裏表だとも思うし、たまたまにはガンガンいこうぜと柔軟にやって欲しい。とりあえず、嫌なものを即座に嫌だとちゃんと言える強さを身に着けてほしい。

はあー、ほんまどうしよ。怒る練習しないといけないよな。とりあえず冒頭に列記した件は、ここ2週間の出来事です。増田で呪っても1mm足りともこの怒りは届かないんだろうけど、お前らほんとクソだかんなー。まじでつい増田書いちゃうくらいムカついたんだからなもう。ぶつかり男たちは謝れマジで

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