はてなキーワード: 伊勢とは
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140325/imp14032511150000-n1.htm
http://iseshima.keizai.biz/headline/1992/
おそらく帰りも同じ経路をたどられるのであろう。
現在三重県内に住んでいる身としては気になっていることがある。
近鉄山田線・東松阪駅から電車で伊勢市方面に進んで数分のところに
街宣右翼の車が常に停車している場所がある。線路から見ると西側。
車体に『憲法改正』とでかでかと書かれていた。
たぶんあえて電車から見えるあの位置に駐車しているのだと思う。
こういう場合、宮内庁の職員が気を利かせて見せないようにするのだろうか。
それとも清濁併せて景色を見て頂くのだろうか。
今回の場合に限らず車などでの移動の際などに政治的意図や皇室を攻撃するような看板があったら、
前もって分かっていれば出来るだけルート変更するかもしれないが
「其処(そこ)は彼(か)と」の意とされるが,「いづこをはかりとも覚えざりければ/伊勢 21」のような言い方もあるので,「はか」は「計(はか)り」と同源で,目当て・当てど,の意か
知らない人も多いのかもしれないが、伊勢の神宮に参詣することが全国的に定着したのは江戸時代以降のことだ。
そもそもは、伊勢の神宮は、皇祖神である天照大神の寝所に相当するもので、皇族ならばいざしらず、一般庶民が訪問するなんてもってのほかなのだ。神宮は皇族の家であり、皇族でない者にとっては他所様だ。近ごろ赤福の経営者が「外国人観光客が伊勢神宮に来るのは不本意だ」という主旨の発言をしていたが、そもそも、日本人であっても一般庶民が神宮に参詣してはいけなかったのである。
ところが、江戸時代に神宮が一般庶民に開放されて、一般庶民の訪問が可能になった。その背景には、国家という「家」意識があったのだろうし、また、一般庶民にとって皇族や将軍家などが憧憬の的だったことがあるのだろう。
そもそも江戸時代よりも前には、一般庶民の多くには移動の自由がなかった。特別な理由がなければ他所の土地に入れてもらえない。そして例えば奈良時代には朝廷に納税するために村代表が奈良まで行っていたが、荷物のすべてが納税品なので、帰り賃なんて持っているわけがなく、奈良で野垂れ死ぬかホームレス化するかという使い捨てだった。ということは、お伊勢参りが流行した江戸時代なんていうのは、経済的に成熟していて、しかも個人の観念が発達もし、だから観光旅行も流行ったのである。いまならば「一生に一度は地球一周旅行をしたい」なんて言う人がいるが、江戸時代の移動手段や科学技術レベルからすれば「一生に一度はお伊勢参り」という話なのである。お伊勢参りだとかおかげ横丁だとかいうのは、江戸時代にはもう資本主義市場経済が成熟していたことの表れだ。
さて、いまも「総氏神」と言って神宮の神札を一家にひとつ祀るという考え方を、そもそもの神宮司庁(伊勢)や神社本庁(東京)が流布している。その「総氏神」という発想はつまりは、天皇を頂点とする国家という家制度の思想の表れだ。一種の国家神道だとも言えるのかもしれない。
本来は、天皇家は私のようなパンピー(笑)とは異なる家・血族なのであるからして、庶民は、血族・産土神(自分の所属)を祀るのはもっともでも、神宮の神札を祀ったり、ましてやお伊勢参りをするなんて、きわめて奇異なことなのである。そもそも、失礼だと思う。私は純然たる保守なので、そう思う。一般国民なのに神宮の神札を祀るというのは、国全体を家ととらえた「家制度」をみているからなのだ。
しかし残念ながら、「保守」を自称する多くの人たちは、さかのぼってもせいぜい本居宣長くらいで、つまりは江戸時代くらいにしかさかのぼっていない。江戸時代なんて、日本史ではつい最近のことなのに。前述した通り、江戸時代にはもう資本主義市場経済が成熟していた。丁稚という「会社員」(笑)もいたし、江戸や京都や大坂などという大都会では個人の観念が定着していて「観光旅行をしたい」と言っていたわけなのだ。「保守」と言う割には明治や江戸くらいにしかさかのぼらないなんて、なにを日本古来の文化だと言うのだろうか。私にはわからない。
以下の文章は最初から最後まで推測のみ、それも自分よりも前に気づいた人がいそうな話なので、そういう与太話が苦手な人はスルーしてください。
艦これのラスボスは羅針盤。恐らく殆どのプレイヤーの認識だろう。
3-2や4-3、4-4などのように、艦種による縛りがあるステージは勿論のこと、縛りがないという意味でごく普通のステージでも、羅針盤のせいで滅多にボスに行けないという事例は枚挙に暇がない。
反面、「えー、どのステージもあっさりボスまで行けたよ?」という人も少数ながら存在する。
この差について、「運」の一言で済ませられないプレイヤーもいて、彼らの検証レポートがネットに転がっている。
そこから見えてきた仮説が、「ボスと比較して強すぎる艦隊で挑戦した場合、羅針盤の確率が極端に下がるのではないか?」というもの。
具体的には、艦隊を構成する艦娘の平均レベルや艦種の組み合わせで見ている気がする。
かくいう自分の場合、自ら書いた過去エントリ(http://anond.hatelabo.jp/20131007162212)の通り、難関ステージの2-4をレベル45の赤城加賀、レベル30の扶桑姉妹伊勢姉妹と、平均レベル35のガチ編成で挑んだのだが、クリアするまで30回以上の挑戦を要した。
一方他の人の話を聞くに、運営が公式に推奨している平均レベル30くらいの艦隊だと、戦艦正規空母のみといったガチ編成でもあっさりボスに行けた人が多いようだ。
もしそれより高レベル編成で行くなら、空母や戦艦を重巡や軽空母、雷巡等に置き換える必要があるのでは?という感じ。
でも何故そんなことをしているのかと言えば、これはもうどのゲームでも問題になる廃人対策、廃プレイ対策だろう。
基本的に廃人は目的を達成するまで手段を選ばないし、プレイ時間も課金量も際限ない。というか膨大なプレイ時間で不可能を可能にしてしまう。
彼らの目的は、普通の人がまず入手し得ないレアアイテムだったり、レベルカンストだったりする。
そんな廃人が艦これで狙い撃ちする筆頭は、一部のレア艦娘だろう。
この艦娘は空母カテゴリどころか、艦娘全員を見渡しても屈指の激レア艦娘だ。
何がどう激レアかといえば、殆どのステージで低確率のボスドロップで、建造でも出たことない人多数。
ドロップするステージのうち最も簡単なステージは2-3という序盤のステージで、当然多くのプレイヤーが飛龍目的で何回も回す。
仮にこのような仕様になっているとすれば、実に巧妙だと思う。
適正な強さの艦隊で挑んだ場合、負け込む可能性が高くなるし、勝っても負けても艦娘が少なからぬ損害を被って入渠を余儀なくされるため、結果的にそれなりの長期間プレイせざるを得なくなる。
圧倒的に強い艦隊で押し潰す廃プレイ戦略で挑む場合、ボスのドロップ率が極端に低いだけだと、廃課金に超長時間プレイのコンボで乗り切られてしまいかねないので、そもそもボスに行くことすら極端に難しくすることで「全く割に合わない」感から継戦意欲を削ぐと(実際羅針盤運とドロップ率の低さを掛け合わせたら、ボスドロップからの入手確率は実質ゼロになるだろう)。
そこで「運ゲー」と言って投げ出す人がいても、将来害悪を為す可能性が高いプレイヤーがいなくなっただけだし、諦めず徒に廃課金するなら運営の小遣い稼ぎとして悪くない。
そして、実際このような計算を裏で行っていたとしても、運営は絶対に手の内を明かさないことも確定的に明らかだ。
何故なら、運営の提示した仕様の裏を掻いてでも、目的を達成しようとやり込むのが廃人だからだ。
このため、過去多くのネトゲ(特にMMO)が運営と廃人のいたちごっこになり、目も当てられない結果となった。
艦これだったら、殆どの駆逐艦が入手容易なことを利用し、ダメコンを積んだレベル1駆逐艦を艦隊に組み入れる戦術が考えられる。
それで彼女らの育成も兼用するなら別に構わないが、用済みになったら解体or改装して資材に、或いはダメコンすら積ませず轟沈上等で使い捨ての弾除けにするなど、ブラック企業ならぬブラック鎮守府・ブラック提督が必ず出てくるだろう。
そういうモラル的にあまり褒められないユーザの声がデカくなるとゲームのイメージは悪化するし、運営も新たな対処に追われるだろうし、何も良い事なしである。
艦これにおいて、難易度が跳ね上がる難関ステージとして有名な2-4。
クリア方法は色々あれど、自分的に最も楽だと思う方法を書いてみる。
一番楽にクリアできる方法を一言で言い表すなら「唯一の敵は羅針盤と言い切れる程度に、強い艦隊を育成すること」これに尽きます。
もう少し噛み砕いて言うなら「北東ルートにさえ入れば、ボス戦だろうが道中戦だろうが、やられる前に叩き潰す艦隊を育成する」こと。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」戦い方です。或いは「ロジカル脳筋プレイ」でもいいです。
まず、かなり長丁場のステージです。
ボスまで最低3戦(ボス戦は最短で4戦目)、ルートと運によっては5戦もこなすことになるため、駆逐や軽巡・雷巡といった耐久の低い艦種には非常に厳しいです。
しかもこのゲームには連戦補正といって、4戦目以降は弾薬の残量の関係から、ダメージにマイナス補正がかかる仕掛けがあります。
4戦目でフル火力の80%、これが5戦目になるとなんと40%、更に6戦目以降はたったの5~10%と、恐ろしいくらいに補正がかかるため、ボス戦で多くの敵艦を取り逃がして敗走する一因に。
また攻略ルートのうち、北西のルートでは最悪6戦目がボス戦になるため、それがこのルートでの攻略を絶望的にしています。
ただでさえ艦娘の損傷具合でダメージ補正がかかるのに、その上で連戦補正とはなかなかに深刻な要素です。
願わくば東のルートか、北東のルートで「気のせいだった。」を引きたい所。
また真のラスボスと言われる羅針盤の確率計算は明らかに偏っており、正直このステージでボスまで辿り着ける確率は、恐らく20%もありません。
なので運が悪いとクリアできるまで何度も何度も出撃するハメになります。
更にボスも道中も強敵揃いなので、機先を制して打ち負かすことで、被害を最小限に抑える必要があります。
これらを踏まえて、割と千載一遇のチャンスを絶対に逃さない準備をしない限り、クリアは覚束ないということです。
というタイトルをつけた時点でお察しですが、ここはもうwiki等にある通り、編成は戦艦4正規空母2の王道以外あり得ないでしょう。
もちろん全艦改造済で、特に戦艦の火力と装甲だけはMAXまで近代化改装。空母もできるだけ値を上げておきます。
これ前提です。大事なことなのでもう一回書きますが、大前提です。
何故ならボス戦は複数の敵戦艦に正面から激突する、文字通りガチの殴り合いになるので、相手の攻撃に耐え、かつ総合火力で勝るほうに軍配が上がるということ、道中の被弾で撤退に追い込まれていては話にならないからです。
ですから建造でもドロップでもいいのでなんとしても揃え、改造・改装まで進めて下さい。
多分、殆どの提督さんが扶桑姉妹、伊勢姉妹、金剛姉妹、赤城、加賀、蒼龍の混成になると思います。それでおkです。
なお、オール戦艦編成は正直微妙。というのも戦艦は先に倒せる弱い相手(具体的には耐久の低い軽巡駆逐)を優先的に狙うことが多いので、肝心の本丸(戦艦・空母・重巡)に攻撃を向けさせるためには、空母による開幕爆撃で雑魚を一掃する必要があるからです(でないと高い運用コストに見合った仕事を期待できないとも言える)。
ちなみに空母は戦艦とは別の意味で色々高くつくクセに結構脆く、特に高レベルになると劣勢になった日本海軍が安くて固い基地航空隊に切り替えた気持ちを痛感することになりますが、今の段階でそんなことは考えず、空母の運用に慣れて下さい。
それぞれ火力と耐久に難があるので、確実に足枷になります。戦艦や正規空母の育成用艦隊に組み込むならいいんですけどね。
これだと資材的にキツいのはよくわかりますが、クリアした提督は皆そうやって大きくなったんです。厳しい言い方で申し訳ありませんが。
とはいえ2-4を攻略するくらいの司令部レベルだと、空母のうちクエ報酬の赤城はともかく、もう1隻を建造で揃えるのは正直難しいと思うので(加賀も蒼龍も2面でのドロップ入手が現実的だと思う)、赤城と軽空母1隻で挑戦するのも可。その場合轟沈リスク回避のためにも、必ず軽空母を旗艦にして下さい。
また戦艦1隻を雷巡に変える場合はボス戦まで大破しない、開幕雷撃を確実に当てるといった運が要求される他、夜戦でカットインもしくは連撃を狙える装備(北上ならカットイン、大井なら連撃狙いかな)を施すなど決して簡単な選択ではないので、それでもコスパを取るかはよく考えて決断して下さい。
その上で戦艦に長射程以上の砲を例外なく1門以上装備し、火力120以上を確保して下さい。手段は問いません。
徹甲弾だろうが主砲ガン積みだろうが、とにかく先手必勝、戦艦以外はクリ一発で撃沈してお釣りが来る火力が一番大事なんです(戦艦相手でも二確が理想)。
実際にやってみると、道中戦ではいささかオーバーキルに見えるくらいの破壊力を発揮しますが、ボス戦を昼間の砲撃戦のみで決着させようとした場合、上述の連戦補正もあって結構ギリギリというのが実情。
空母は艦戦スロを確保し、それ以外は艦攻ガン積みor艦攻:艦爆=2:1にして下さい。
一発の破壊力重視で艦攻ガン積みが鉄板なのは勿論ですが、火力の安定性を加味して少し艦爆を入れてもおk(特にホロとかの強力な艦爆なら入れるといいでしょう)。
いずれにしても艦戦は必須。何故か?そう、これだけやっても、どうしても先手を取れない相手がいるからですね。
詳細は次のパラグラフで。
どうしても先手を取れない相手、それは敵空母が繰り出してくる艦載機です。
道中戦にて高確率で当たる、実に嫌~な相手ですね。
開幕爆撃で蹂躙されるわ、こっちの艦載機を撃ち落とされてカスダメになるわボーキサイト吹っ飛ぶわで、散々な目に遭った提督も多いはず。
でもこれ、実は強みであると同時に弱みでもあって、空母の射程は一番短く、開幕爆撃後の攻撃ターンは基本的に最後です。
つまり戦艦の砲火力主体なら、開幕爆撃さえ凌げれば勝ちなんです。
逆に、こちらが空母主体の艦隊を組む時の弱点でもあり、それを補うためにあえて砲撃不可なのに中射程の砲を積む戦法があるのはご存知の通り。
では具体的にどう凌ぐかというと、「艦戦と対空砲火で迎撃する」のが定番。
そのためには「空母の一番大きいスロに烈風等の強力な艦戦を積む」「一番対空値が高い戦艦に三式弾を積む(もちろん火力は120キープで、できれば対空電探も積む)」のが非常に有効です。
なんだ基本じゃんって?じゃあやってみろ。
最初から最後まで単縦陣です。最大火力で短期決戦型なのに、それ以外の何があるんでしょうか?
必ず疲労なし・ダメなしの状態で出撃し(少しでもダメが残っていると集中砲火を浴びますよ)、道中の夜戦は勿論パス、中破までなら構わず進撃します。
ボス戦は旗艦撃沈、もしくは随伴艦4隻以上撃沈で勝利できるはずなので、もし昼戦で達成できなければ迷わず夜戦を選択しましょう。
以上を準備の上で出撃すると、それこそ道中は物凄い勢いで敵が沈みます。
しかも装甲をきちんと強化していれば道中の損害はせいぜい小破、上手く行けばほぼ無傷で済んじゃったり(稀に運悪く大破しても、限界まで強化した結果なら諦めがつくというもの)。
まさに絵に描いたようなワンサイドゲームで、脳汁或いはもっと変な汁が出まくりかも。
ただ興奮し過ぎて、艦娘が大破しているのにミスオペで進撃とかしないように。
さもないと轟沈のトラウマが貴方を待っています(経験者は語る・・・)。
轟沈、特に2-4攻略時の空母轟沈は非常に痛いと思うので、出撃時には細心の注意を払いましょう。
史実におけるミッドウェーの空母喪失がどれだけ深刻だったか体験してみたいなら止めませんが。
公式のアナウンスに従い、決戦艦隊を構成する艦娘のレベルは、平均30くらいになるよう育てましょう。
十分強い艦隊で臨めと書いたそばから矛盾する内容かも知れませんが、どうもこのゲーム、廃人のパワープレイを見越してのことか、ボスに比べて強すぎる艦隊には羅針盤運が極端に悪くなるみたいです(体感)。
ですのでレベルを上げすぎた場合、敵艦の強さ等とは別の次元で海域突破が困難になります。
その時は戦艦を重巡や雷巡に、正規空母を軽空母に替えるなど、艦隊を編成する艦種を見直す(弱くする)と効果的なようです。
見方を変えれば、遠征で資材を補充=北東ルートに行くまで継戦能力をキープする簡単なお仕事っすよ。
確かに出撃回数が数十回になることは珍しくありませんが、運と根気さえあればサルでもクリアできるステージってことです。
それでは、健闘を祈ります!
『【艦これ】Pixivの艦これタグに見る各艦娘の人気とその集計(8.26版)』
http://www.halcana.jp/archives/1606
僕はpixivの艦これ二次絵でもR-18絵をメインに見るんですけど
↑の記事見て、なんとなく実感にズレがあったので独自に
2・天龍 1861/297/15.9%
8・雷…771/90/11.6
9・加賀…726/96/13.2%
14・暁…483/65/13.5%
15・霧島…422/56/13.2%
17・響…367/25/6.8%
18・比叡…340/28/8.3%
22・叢雲…251/33/13.1%
(感覚的に「羽黒」前後の人気位置が、ユーザーの「名前と顔が一致するキャラ」の限界だと思う)
※ゲーム中ではそこそこ目立つので知名度は割とありそうな艦娘の人気順位とR-18率
大和…153/26/16.9%
最上…134/18/13.4%
伊勢…95/7/7.3%
3・天龍 1861/297/15.9%
9・加賀…726/96/13.2%
12・暁…483/65/13.5%
15・霧島…422/56/13.2%
21・比叡…340/28/8.3%
22・響…367/25/6.8%
◇エロ絵率高い艦娘上位15傑
7・天龍 1861/297/15.9%
8・榛名…532/82/15.4%
9・暁…483/65/13.5%
14・雷…771/90/11.6
しかも高雄のエロ絵率はしばしば愛宕とセットになってるせいで引き上がってるんやな
愛宕高雄の重巡姉妹は性的な目で見られる運命なんやなw悲劇やなw
そんな感じの
おまけその1:ユーザーがエロ絵を見たい艦娘ソート(↑の、「艦これ100users入り」タグ付加結果)
高雄 70/14.0%
榛名 32/6.0%
龍田 52/5.1%
羽黒 14/5.0%
加賀 36/4.9%
天龍 91/4.8%
暁 19/3.9%
雷 24/3.1%
電 36/2.5%
叢雲 5/1.9%
まぁあのルックス、スタイル、中破グラフィックに思わせぶりなセリフなら
残念だが当然
「夜の砲雷撃戦」の主役らしい結果と言える
初夏の日差しの中、右手に相模湾の絶景を眺めつつ、国道134号線を鎌倉に向かって歩いていた。
きっかけは知人宅に泊まった後、流れで裏手の高台、伊勢山公園に登ったことだった。湘南高校の奥、江ノ島と光輝く海を見て、近くに寄ればあの海のすべてを手中に一瞬でも収められるかもしれない。ちらっと浮かんだ妄想に惹かれて、背後の旧軍の慰霊碑に後押しされるように、別れた後で足は藤沢本町を通り過ぎ、自然と江ノ島へ向かっていた。
国道467号線を歩き、歩き、歩き通した。携帯で位置を確認する迷いも、渋滞に捕まり別の道を探す煩わしさも必要ない。ただ道なりに歩けば着くのだから。時折、潮風が自転車とともに私を追いこしていく。汗ばんだシャツにしみが出ないよう、時折バッグを担ぎ直して歩みを進めた。
そして藤沢市街地を通り過ぎ、境川を渡り、江の電が市中を走る交差点までやってきていた。ここを右に渡れば江ノ島なんだ。初めて止めた歩みに飛び込んできたのは、市街地ではない、行楽地としての江ノ島だった。
偶数の法則が行楽地には存在する。偶数とは、右手と左手が手を繋ぎ飽和する関係だ。男も女も若いのも年老いたのも手を繋ぎ、関係性を演出するに相応しい数。
例えば、足を止めた線路の反対側に家族がいた。子どもを呼び止めて繋いだ母の左手は情愛に溢れていた。一方で母の右手は父の手と付かず離れずを繰り返す。まるで手と手が性愛してるのかと思うほどの仲睦まじさがそこにあって、気づいた私は立ちくらみを起こしたほどだった。
例えば、狭い歩道を譲り合う老夫婦がいた。顔は全く違うのに、雰囲気があまりにも似ているものだから、同じ時間を長く過ごしたのだろうと何も聞かなくても分かるような、成熟した関係。対面から歩いてきた私に、嫁が最初に気づくと、お父さんと自然に彼の手を握ってすれ違えるようスペースを開けてくれた。ありがとうございます。お礼を言うと頭を下げるタイミングまで一致していた。
そうして、人と人との関係を知ってきた。笑ってる口元じゃない、本人も意識していない手元に現れた形から。
人ごみの中でたくさんの、握られた手と手を見てきた。手の持ち主が辿ったこれまでを想像しながら。
この時期としては若干涼しめの湘南の風は暑過ぎる仲を適度に冷ますために吹いていたに違いない。
江の電が、人が乗り過ぎて窒息死に至りそうな走りを見せていたので、鎌倉までさらに徒歩で帰った。手持ち無沙汰の両手からどうやったら力が抜けるのかわからない。ギクシャクと腕を振りながら、太陽に手のひらを翳してみる。友達なら誰でもいい。今だけは手を握っていたかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130316-00000313-fnn-soci
鉄道会社にあれせえこれせえと「ボクの考えた合理的な路線運営」を
ほとんど何も文句つけなかったのはどうしてだと思う?
壁がなくなっても誰もうれしくないから
だ!
あの壁がなくなって
乗り換えが便利になるケースって次の2つしかない。
東西線への乗り換えにいたってはメトロ同士なのに改札出ないといけない状況に変化はないのだ。
そして、前者だと山手線・井の頭線を使って移動したほうが安くて速い。
後者にいたっては住吉で乗り換えできるのでふつう九段下まで来ない。
九段下で乗り換えるとしたら馬喰横山から三越前に行くときくらいだろうけど
そのときは歩きか、電車つかうにしても総武快速馬喰町から新日本橋に行くよね?
壁がなくなって実際に得しているのは
の3つなんだ。乗り換えは関係ねえ!
S+ 常紋トンネル
S 旧旧吹上トンネル 旧善波トンネル しとどの巌 新三郷のトンネル(名称不明)
A 畑トンネル 八柱霊園(第、7、13区画、芝生霊園) 幽霊ペンション 八王子城址
B 千駄ヶ谷トンネル 伊勢神トンネル 旧野木病院 新吹上トンネル 小美玉小川脳病院
行ってはならない。入ると呪われる殺される、自殺、謎の事故死、らしい、という、話がある、耳にする・・・等。
殆どは都市伝説の域を出ないデマ。恐山や東尋坊のように元々神聖化された空間ならいざ知らず。
例えばトンネルは笹子トンネル事故でも有名な、単なる老朽化による崩落事故とか暴走族・ヤクザの住処といったありきたりな事に尾びれを付けたものが殆ど。
そもそも“出る”というのも口コミ程度でソースがはっきりしない。そんなにすごい名所なら十中八九新聞に載るものだけど、当時のニュースソースを取り上げての話がないし
あくまで噂レベルの話だったりする。
次に多い病院やホテルなどの施設類に至っては、殺人や医療ミスによる二次被害で経営破たん後耕作放棄地の如く捨てられただけ、または明治大正期の洋物ブーム~戦後の高級団地ブームなど時代ごとの流行が年月を経て廃れて廃墟化したという今でもよくある倒産事情によるもの。
島や穴は万葉集にも載ってる大陸や半島から渡ってきた技術者や伝道師が移り住んだ土地であったり、ポットホールなど地理学術的に証明された自然や人工による産物が殆ど。
それに尾びれが付いたのが、かの有名な桃太郎だったりする。
駅については、飛び降り自殺や酔っ払うなどして誤って落ちて死んだ事故や事件に尾びれが付いただけ。実際事故や事件の記事が出ても心霊スポットになってるというのは噂程度にしかない。
慰霊の森や霊園は戦没者を埋葬してるのでむやみに騒ぎ立ててはいけない。樹海も同様。なぜならあそこには生身のおくりびとがいるから。
冷やかしで入って行方不明になったり死んだりするのはそこを守っている守人、つまり狂信的な団体・組織の人に殺されただけ。何も不思議はない。
心霊スポットっていうのは人間の思い込みが原因で作り出された虚構。幽霊がいない事はマスコミが心霊現象に懐疑的になってきた事も証明してる。何を隠そう心霊スポットの出所は全部マスコミなのだから。嘘を嘘で塗り固めると傍目に見ても通常は嘘と見抜けないように、誰かが付いた嘘に別の誰かが賛同したらあたかも事実であるように誤認する。
人間の悲しい性よ。
まず、勝手に動いたわけでもないし西軍につくつもりだったわけでもないよ。
当初は家康からの要請を受けて手勢率いて伏見城に向かったわけ。
でも伏見城に着いたら城将に「聞いてない」とか言われて、
この無礼に怒った義弘は「じゃあ西軍についてやる」「ぶっ殺してやる」って言い出して、
本当に西軍に走った。
「夜襲でぶっ殺すからやらせてくれ」とか攻撃的な作戦をいろいろと献策したんだけど
例の茶坊主や首脳陣が保守的な方針ばっかり好むから却下されてしまった。
茶坊主の腹心である島左近も積極襲撃策を提唱して却下されてる。
せっかく当時最高レベルの凄腕の戦争屋を手勢に置きながら、茶坊主は使いこなせなかったんだね。)
関ヶ原本戦では積極的に行動するでもなく傍観。
その頃までには茶坊主の戦下手と煮え切らなさを何度も目の当たりにして
もう西軍全体での勝利に見切りをつけていた。
茶坊主達本隊が決戦しないで逃げ出すもんだから殿軍を受け持ったりも。
気付いたら西軍が敗走、戦場に取り残される。
取り残されたんじゃなくて、西軍が負けるまで残ってた。
やる気がなくなってるんだからもっと前に勝手に撤退すりゃいい(そういう大名は一杯居た)んだが。
プライドの持ち方が狂ってるとかあたまおかしいという批判ならその通り。
サラッと書いてあるが
だが後ろは山道だったので、ジジイが「難路だるいわー」「それなら正面の徳川本陣ぶち割るわー」と言い出して、
本当に正面に向かって撤退した。
福島正則に見逃してもらい、
「あいつらなんかあぶねーからよけよう…」と交戦を避けた福島は命を拾い、
真面目に追いかけた徳川四天王の1人井伊直政は命を落とす事になった。
他にも譜代の家臣やら兵やらたくさん捨石にしている。
義弘は命をなんだと思ってるのか。
まあ消耗品だと思ってるよね。
連絡ミスされたぐらいで西軍について弓を引くという行動は完全にクレイジーだが、
おめおめと後方に逃げたりその場で自害したりせずに
マジキチな武威を見せ付けたことで
「西の端まであのマジキチ一家を成敗に行くのは危ないな」と家康に思わせた。
ただの脳筋ジジイが勝手にピンチになって周囲に迷惑をかけまくっただけ。
冷静でも勇敢でもない、ただの馬鹿だ。
島津オタという奴等は義弘の頭がおかしいことぐらいはわかってる。
人の命を鴻毛の如く考える畜生ぶりもよく知っている。
「超頭悪い」
「だからかっこいい」
もう少し研鑽を積め。
津波で浸水したサクラ狂い咲き 青森県八戸市三島下公園 2011/8/29
tp://www.47news.jp/photo/265458.php
岩手県宮古市で季節外れのサクラ開花. (読売新聞) 2011年10月05
tp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111005-OYT1T00105.htm
津波かぶった桜に季節外れの花(岩手県大船渡市、岩手日報) (2011.9.1)
tp://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201109/h1109014.html
いわきで桜咲く 秋なのに春到来?(福島民報) 2011年9月17日
tp://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/09/post_1948.html
tp://www.digibook.net/d/d004857b909caed4a246c524056e7445/
tp://suzakiokami.jugem.jp/?eid=4
桜返り咲き(狂い咲き) 千葉県ドイツ村で (2011/10)
tp://sakura.way-nifty.com/sakura/2011/10/post-3e98.html
tp://yakata.i-ra.jp/e400704.html
秋空の下、人知れず桜咲く 長野県伊那市・美和ダム管理支所 11年10月 8日
tp://www8.shinmai.co.jp/flower/2011/10/08_014118.php
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tp://hanako0119.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-a1ec.html
tp://www3.nhk.or.jp/news/html/20111001/k10015971701000.html
tp://sankei.jp.msn.com/life/news/111004/trd11100419200010-n1.htm
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tp://www.jalan.net/yad324016/blog/entry0001487983.html
tp://sakujo.webspace.ne.jp/bbs/
神戸市生田神社で染井吉野咲く、移植の影響か (2011/9)
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tp://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004535027.shtml
tp://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20111007000129
秋に桜が狂い咲きするわけは?徳島県鳴門市 (2011/10)
tp://www.bes.or.jp/naruto/blog/detail.html?id=2716&category%5B4%5D=4
tp://plaza.rakuten.co.jp/miemom/diary/201109110000/
tp://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/267169
サクラが返り咲き 鹿児島県南さつま市笠沙 (2011 09/20)
tp://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=35139
tp://futao2.blog135.fc2.com/blog-entry-309.html
津波原因?季節外れの桜咲く 岩手県山田・中央公民館近く (2011/10/20)
tp://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111020_7
秋晴れの下、季節外れの桜が開花 新潟市東区 2011/10/15
tp://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/28124.html
新潟県燕市・吉田ふれあい広場で一本のソメイヨシノが季節外れの開花 (2011.10.18)
tp://www.kenoh.com/2011/10/18kuruizaki.html
tp://www.fukaya-toyosato-j.ed.jp/index.php?key=jowwje6w1-45
季節外れのサクラ開花 千葉県成田ゆめ牧場 2011.10.12
tp://sankei.jp.msn.com/region/news/111012/chb11101222140006-n1.htm
日本橋サクラ 勘違い? 東京都中央区 2011年10月17日
tp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011101702000169.html
Future SEVENに桜が咲きました。 東京都港区南青山 2011年10月19日
調布市・味スタ通りは、もう春?-季節外れの桜開花 東京都 2011年10月19日
tp://chofu.keizai.biz/headline/815/
神奈川県秦野市 季節はずれの桜が開花 2011年10月27日
tp://www.townnews.co.jp/0610/2011/10/13/121243.html
tp://www.sannichi.co.jp/local/news/2011/10/12/7.html
tp://www.parupi.biz/blog/2011/10/post-712.html
季節外れのサクラ咲く 静岡市・葵区の駿府公園 2011.10.13
tp://sankei.jp.msn.com/region/news/111013/szk11101317540011-n1.htm
春と勘違い?長野県松本市で季節外れの桜咲く 11年10月20日
tp://www.shinmai.co.jp/news/20111020/KT111019GUI090005000.html
伊勢・二見興玉神社 台風の荒波 海水浴びた桜に花 2011/10/13
tp://www.isenp.co.jp/news/20111013/news06.htm
「冬眠」忘れた ソメイヨシノ 滋賀県大津市県立図書館 2011年10月13日
tp://www.acs.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20111012-OYT8T01204.htm
tp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111014-00000184-mailo-l25
あらっソメイヨシノ…賀茂川沿い 京都府京都市 2011年10月14日
tp://www.yomiuri.co.jp/otona/naturallife/08/kyoto/20111014-OYT8T00558.htm
奈良市山陵町山上八幡神社 季節外れのサクラ咲く 2011年10月14日
tp://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000001110140002
tp://yakuri.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/10/post_75b8.html
サクラ狂い咲き 徳島市眉山パークウェイ 台風でダメージ原因? 2011/10/13
tp://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/10/2011_131846965467.html
tp://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000001110190003
tp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201110150130.html
サクラさん、まだ秋だよ 宮崎市船塚 県総合文化公園 2011年10月18日
tp://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000001110180002
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「八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。
冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。
八月二日、ひつくのかみ。」
下つ巻 第三十帖
旧暦の日本の四季は大まかに分けて、1・2・3月=春、4・5・6月=夏、7・8・9月=秋、10・11・12月=冬となる
今年は10月27日が旧十月一日であり、今は冬に入っている
つまり神示で言う「冬に桜咲いたら」の言葉は既に日本全国で実現している
次に来る「八のつく日」の「辛酉」は旧十二月八日、新暦の1月1日、元旦になる
「よき日、よき年」とはそういう意味だ
年末年始の激務の手助けに今年も来てくれた母が、わざわざCD再生機まで買ってきてとあるCDを聞かせようとした。
斉藤ひとりという人の講演CD。母曰く、きっと心に残るものがあるらしい。
仕事で疲れていた体を起こして、「あのさ…こういうのさ、本当にいいから」と言って停止ボタンを押すと、数年ぶりに見る激怒。
確かにこのブランドの薬で体良くなったし、薬飲むのは構わないけど、こういう考え方を変えるみたいなのはさすがに抵抗あるし受け入れられないよ。と言ったら、どうして聞くだけでもしないのか、それすら受け入れられないのかと嘆く。
なんでこの件にだけいつもそんなこだわるの、おかしいでしょ。と言っても、聞けばきっと楽になるから聞いてもらいたいのだと嘆く。
いろいろひっくるめてはたから見るとまるで宗教にしか見えないでしょ、それが抵抗あるんだよと言っても、小馬鹿にしている、親の気持ちがわからないと嘆く。
たしかに私はいま宗教で飯を食っているが、これは当初から純粋に生活の為だ。
仕事として宗教にかかわれる程度には考え方が柔軟なつもりだけど、別に宗教が好きなわけではないし、宗教みたいなシステムに親和性が高いわけでもない。
思想教育や洗脳やマインドコントロールみたいなのは伊勢でもうんざりするほど受けたし、ほとほと嫌気が差している。
私に必要なのは正しさではないし、幸せになるための考え方でもない。
必要なのはただただ、生活の手段であり、ごく現実的な人生を継続するための方策であり、結局は金だ。
苦痛以外の何物でもないものを“修行”や“訓練”とムリヤリ変換して、苦痛を幸せに感じて生きてゆくようなマゾヒズムには怖気しか感じない。それは価値観の変化というレベルに収まるものではなく、むしろ発狂と表現する方がふさわしい。
でも周囲の人はそう思わないらしい。
周囲の人間と価値観が著しく異なるという事は、要するに結局、私だけ狂っているのと何もかわらない。
人にも誇れるようないい母なのに、どうしてこの件に関してだけはこだわるのかな。
仕事から帰って疲れて横になっている人が、お金持ちの講演CDを聞いて幸せな気分になれるとか、本気で思ってるのかな。
ひとしきり嘆いた後で無言になってしまった。気まずいがもうどうしようもない。
これから何日もの激務が待っているというのに、気が重い。
でも持ち前の柔軟さでやってゆくしかない。
中間走者として自分がいる。
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秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ、土下座するような形でそのまま動けなくなった。
両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人の常識的な感覚であろう。
かつて神戸で中学生が小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家の加地伸行・大阪大学名誉教授は、こう書いている。
・・・もし私が加害者の中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]
殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人の感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。
加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米流個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚や意識」だとする。
こんな所からも、日本人の家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。
日本と欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。
たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人の普通の感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。
欧米のキリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間の契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。
また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフは日本人では思いつかないな、と感じたことがある。
当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。
実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代の日本も同じであり、現代日本人の家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。
古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。
「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間を不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。
また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。
先祖祭祀というのは、先祖をキリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。
キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国か地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。
よくキリスト教や仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。
魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国や日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。
インド人にとって見れば、魂は他の人間か動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。
日本で火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味の火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間の精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間が死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。
これと同様の感覚を日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後、アジアや太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。
これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航機よど号をハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループのリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本の家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。
共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人の死生観が根づいている証左である。
輪廻転生を信ずるインド仏教が中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。
そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。
わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。
それでも日本にも仏教の輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞は阿弥陀仏の衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。
しかし、親鸞の弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀や先祖供養を行っている。
今日の日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀、先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱を仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。
仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。
日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国や朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]
仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。
そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。
今日、自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分も家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。
核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。
もう一つ、インド仏教が中国や日本の先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。
しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。
そこで中国や日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子は在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家の女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。
前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。
オウム真理教はインド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。
「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。
しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。
さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分の子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分の利益しか考えない利己主義者になってしまう。
西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。
わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。
しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。
こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。
それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。
先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命のリレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。
その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。
これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。
(文責:伊勢雅臣)
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誰特?
矢板インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E6%9D%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
福島トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
白石インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
花園インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%9C%92%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
小仏トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BB%8F%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
大和トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
沼津インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E6%B4%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
富士川サービスエリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B7%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2
岡崎インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
瀬田東ジャンクション http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E7%94%B0%E6%9D%B1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
米原ジャンクション http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
四日市インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%A5%E5%B8%82%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8_(%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C)
長峰トンネル http://www.w-nexco.co.jp/local_event/kansai/topic/h21/0204/
宝塚西トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E6%9D%B1%E3%83%BB%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E8%A5%BF%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
大坂トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93#.E6.A6.82.E8.A6.81
http://anond.hatelabo.jp/20090804113828
??? 要するに、無料区間から高速に入って、有料区間を通って、無料区間で出る場合のことですか?
環状(というか、迂回路が考えられるパターン)になってる部分のどちらか一つのルートだけが無料にならないようにすればいいんでは?と思います。例として、中国道(中国吹田以西)と東名の豊橋以東を無料、中間の中国吹田〜吹田 JCT〜[名神]〜名古屋(小牧 JCT だっけ?)〜[東名]〜豊橋を有料とするケースを考えます。この場合、草津 JCT〜[名神]〜[東名]〜豊田 JCT の間で、1. [新名神]〜四日市 JCT〜[東名神]〜名古屋 IC〜豊田 JCT、2. [新名神]〜四日市 JCT〜[伊勢湾岸]〜豊田 JCT、 の 2 つの迂回路が考えられます。この場合、1., 2. の両区間も有料のままにすればいいのかなと。
裏社会が悪用するってどういうことかわかってるのか?
いつも思うんだけどさ、この裏社会とやらはなんでほとんどネットに登場しないんだ?ってすごい不思議。狂ったように国籍法とやらの改定に反対している人のうち、裏社会とやらを目にしちゃった人、実際どのくらいいる?
いやね、どうも児童売春やってかもしれないっぽいところ、一度見たことあんのよ。5年位前。横浜の伊勢佐木モールと大岡川に挟まれた、どこか。30分3000円とかいうマッサージの客引き(童顔のアジア系)についてったら、やたら風俗っぽいところに案内された。待合室みたいなところで一瞬ドアが開いたら、奥の部屋に見た目10歳くらいにみえるビギニの外国人の子供がいた。フィリピン系かインド系かアラビア系か、よくわからないけどそんな感じの子供で、目つきが絶望的というかオカシイというか。
血の気が引いた。たぶん見えたのは1??2秒なんだけど、すごい長い時間に感じた。
微妙にパニックになって、逃げるのも怖くなったから流れでマッサージ受けた。あ、マッサージしたのは20歳以上の人だと思う。
マッサージ受けてたら、「ココ、ホンバンデキルヨ」とかいわれた。いやホンバンが何のことかわからんし、誰がその「ホンバン」とやらを行うのかもわからんけどね。マッサージだけ受けて逃げた。
確信ないしどう説明していいのかも思い浮かばないしとばっちりも怖かったので、誰にも言わないでいた。
しばらく(一ヶ月ぐらい)後に近くにいったときには客引きのねーちゃん見事にいなくなってたし、ガサ入れとかあったのかもしれないけど、結局ニュースとか何も聞かなかった。情報が表に出てこないんだよね。単に極端にレアなケースに遭遇したのか、結構あるけど表に出ないだけなのか。いや、表に出ないのはしょうがないよな。「私、知ってます」って、そうそう名乗り出れないもんな。
阪急梅田の駅を出てすぐに僕は母さんからからいいつけられた通り、すぐにタクシーをひろって田岡さんの家へと向かった。田岡さんは母方の遠縁に当る人だった。母さんと田岡さんは親しくしていることもあり、僕も時々会うことがあるのだが、母さんの何に当るかになんてまったく興味がなく、ただ遠縁の親戚としか知らなかった。
大阪に来て田岡さんと会ったのにはちょっとした理由があった。
僕はここへ来る一週間前、ネットの友達と約束をしていたのだ。その約束というのは、"今から10日以内に大阪で落ち合おう、ただし携帯やインターネットは使わずにね。"というちょっと変わったものだった。この友達とは以前からメールやチャットなどでよく馬鹿話をしていた。"いつか会いたいね。"なんて話を時々していたのだが、一週間前の夜は二人ともやけに盛り上がって、いわゆるその場のノリというやつで、そんな約束をしてしまったのだ。今考えれば、ちょっと馬鹿な約束をしてしまったと思いもしたが、携帯やインターネットが当たり前の生活を送ってきた僕にはそんな待ち合わせが新鮮に思えた。
そして会えたら一緒に高野山に行ったり、もし時間に余裕があるなら、伊勢から名古屋へ行こう、と決めていた。しかし、どちらも大阪に詳しくないしお互いどこに住んでいるのかもしらない。当然、到着時刻もわからない。待ち合わせに困った僕は、田岡さんの氏名と住所を友達に告げたのである。
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね?」と友達は念を押した。田岡さんが電話でつかまるかどうか、僕にもわからなかったので、もし電話で連絡が付かなかったら、郵便ポストにでもメッセージを入れておいてくれるように頼んでおいた。
お遊びリバイバル
梅田(うめだ)の停車場(ステーション)を下(お)りるや否(いな)や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥(くるま)を雇(やと)って岡田(おかだ)の家に馳(か)けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎(うと)い親類とばかり覚えていた。
大阪へ下りるとすぐ彼を訪(と)うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地(はんち)で落ち合おう、そうしていっしょに高野(こうや)登りをやろう、もし時日(じじつ)が許すなら、伊勢から名古屋へ廻(まわ)ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危(あや)しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好(い)いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。
誰か暇な人続き考えて下さいませんか?w
友達は甲州線(こうしゅうせん)で諏訪(すわ)まで行って、それから引返して木曾(きそ)を通った後(あと)、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息(ひといき)に京都まで来て、そこで四五日用足(ようたし)かたがた逗留(とうりゅう)してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
予定の時日を京都で費(ついや)した自分は、友達の消息(たより)を一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜(べんぎ)になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻(さっき)云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入(かんいり)の菓子を、御土産(おみやげ)だよと断(ことわ)って、鞄(かばん)の中へ入れてくれたのは、昔気質(むかしかたぎ)の律儀(りちぎ)からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控(ひか)えているからであった。
自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐(わか)れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭(ひげ)を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精(アルコール)に染められた彼(かれ)の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥(くるま)の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼(せま)っているだろうと思って、その地(じ)の透(す)いて見えるところを想像したりなどした。
岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居(すまい)は思ったよりもさっぱりした新しい普請(ふしん)であった。
「どうも上方流(かみがたりゅう)で余計な所に高塀(たかべい)なんか築き上(あげ)て、陰気(いんき)で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上(あが)って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。
青空文庫より拝借