2007-11-05

友達

阪急梅田の駅を出てすぐに僕は母さんからからいいつけられた通り、すぐにタクシーをひろって田岡さんの家へと向かった。田岡さんは母方の遠縁に当る人だった。母さんと田岡さんは親しくしていることもあり、僕も時々会うことがあるのだが、母さんの何に当るかになんてまったく興味がなく、ただ遠縁の親戚としか知らなかった。

 大阪に来て田岡さんと会ったのにはちょっとした理由があった。

僕はここへ来る一週間前、ネットの友達と約束をしていたのだ。その約束というのは、"今から10日以内に大阪で落ち合おう、ただし携帯インターネットは使わずにね。"というちょっと変わったものだった。この友達とは以前からメールチャットなどでよく馬鹿話をしていた。"いつか会いたいね。"なんて話を時々していたのだが、一週間前の夜は二人ともやけに盛り上がって、いわゆるその場のノリというやつで、そんな約束をしてしまったのだ。今考えれば、ちょっと馬鹿な約束をしてしまったと思いもしたが、携帯インターネットが当たり前の生活を送ってきた僕にはそんな待ち合わせが新鮮に思えた。

 そして会えたら一緒に高野山に行ったり、もし時間に余裕があるなら、伊勢から名古屋へ行こう、と決めていた。しかし、どちらも大阪に詳しくないしお互いどこに住んでいるのかもしらない。当然、到着時刻もわからない。待ち合わせに困った僕は、田岡さんの氏名と住所を友達に告げたのである。

「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね?」と友達は念を押した。田岡さんが電話でつかまるかどうか、僕にもわからなかったので、もし電話で連絡が付かなかったら、郵便ポストにでもメッセージを入れておいてくれるように頼んでおいた。


お遊びリバイバル

元ネタ夏目漱石-行人」の冒頭部分

梅田(うめだ)の停車場(ステーション)を下(お)りるや否(いな)や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥(くるま)を雇(やと)って岡田(おかだ)の家に馳(か)けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎(うと)い親類とばかり覚えていた。

 大阪へ下りるとすぐ彼を訪(と)うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地(はんち)で落ち合おう、そうしていっしょに高野(こうや)登りをやろう、もし時日(じじつ)が許すなら、伊勢から名古屋へ廻(まわ)ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。

「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危(あや)しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好(い)いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。

誰か暇な人続き考えて下さいませんか?w

友達は甲州線(こうしゅうせん)で諏訪(すわ)まで行って、それから引返して木曾(きそ)を通った後(あと)、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息(ひといき)に京都まで来て、そこで四五日用足(ようたし)かたがた逗留(とうりゅう)してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。

 予定の時日を京都で費(ついや)した自分は、友達の消息(たより)を一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜(べんぎ)になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻(さっき)云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入(かんいり)の菓子を、御土産(おみやげ)だよと断(ことわ)って、鞄(かばん)の中へ入れてくれたのは、昔気質(むかしかたぎ)の律儀(りちぎ)からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控(ひか)えているからであった。

 自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐(わか)れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭(ひげ)を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精アルコール)に染められた彼(かれ)の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥(くるま)の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼(せま)っているだろうと思って、その地(じ)の透(す)いて見えるところを想像したりなどした。

 岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居(すまい)は思ったよりもさっぱりした新しい普請(ふしん)であった。

「どうも上方流(かみがたりゅう)で余計な所に高塀(たかべい)なんか築き上(あげ)て、陰気(いんき)で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上(あが)って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田不思議そうな顔をして、いいえと答えた。

青空文庫より拝借

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