本国から離れて大坂に居住し、当主としての権限など皆無だった義弘は、
島津本家の方針に逆らって、たった1000人ぽっちで西軍に参戦。
しかし兵力が少なすぎてまったく重用されない。
関ヶ原本戦では積極的に行動するでもなく傍観。
気付いたら西軍が敗走、戦場に取り残される。
仕方がないので正面の伊勢街道めがけて一目散に逃走。
福島正則に見逃してもらい、自分より若い武将を捨て石にして、何とか命を拾う。
当然、家康は激怒して島津取り潰しを画策する。
島津の実質的当主である義久や、義弘の息子・忠恒が、なんとか尻拭いをして所領安堵。
これが鬼石曼子・島津義弘の関ヶ原での一部始終である。
ただの脳筋ジジイが勝手にピンチになって周囲に迷惑をかけまくっただけ。
冷静でも勇敢でもない、ただの馬鹿だ。
Permalink | 記事への反応(1) | 17:44
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