はてなキーワード: 人身事故とは
最近、人の死について考える機会が増えた。
心がざわめきたって、居ても立っても居られないので
吐き出すことにする。
ある日、都内へと向かっていた。
急に電車が駅間で、停車した。
すぐに発車するだろうと思っていたが、ちっとも動き出す気配がない。そのうちに、前を走る電車で人身事故が発生したと車内放送が入った。
どこかへ電話をかける人らで慌ただしくなり始めた。
他の路線にも影響が出ていて、遅延が発生しているようだった。
「あぁ、今日はついてない日だなぁ。」と思った。
月末で仕事が終わってない上に、予約していた予定もキャンセルするハメになってしまい、無駄足を踏んだと思った。
一番近くの駅へと到着した。
違う路線で帰宅しようか。と、駅の隅で突っ立って考えあぐねているところ、中年のサラリーマンの話が耳に入ってきた。
「そう、人身事故?ぁあ、最悪の日だよ-----タクシーも捕まらないわでーーーーー」
Twitter検索していると、''○○駅 飛び込み''の文字が目に入った。事故の一部始終の写真も上がっていたりした。心のどこかで、ああやっぱりかと思った。
私は、今日は一日ついていないなと思っていた。
さっきのサラリーマンは最悪の日だとも言っていた。
飛び込んだ人は、今日が人生のうちでもっとも最悪の日で、生きていく希望すら見出せず、自らの命に終止符を打つより他ならなかったのだろうか。
一人孤独に、苦しみ続けていたのだろうか。
覚悟を決めて飛び込んだのだろうか。
自らの死を選ぶことを美化するわけではないが、
私はあえて、その人が''どこか新世界へと旅立った''と思いたい。そうでも考えないと、きっと報われないようなきがして、あの人だけでなく自分自身すらも。
マジメにコツコツやれば人生なんとかなるという時代はもうない。
親から血筋、才能、勝利を受け継いだものだけがおいしい思いができる。
現代の若者は学校や職場に失望して転売で小銭を稼ぐくらいしかやることがないわけだ。
転売することで、負け組が「特権でおいしい思いしてる勝ち組」を疑似体験してるだけ。
もし仮に転売を百年続けたところで絶対に逆転なんかできっこない。
「おいしい話はどこにもない」とはじめからネタバレ食らって生きるのがデジタルネイティブだ。
異世界転生するか、転売するか、それぐらいしか人生逆転できる希望がない。
そして転売はびこる現代社会をリアルタイムで生きてなお「転売絶許」くらいの感想しか抱けないのが転売叩きだ。
閉塞感まみれの日本の現状を目の当たりにしてなおコピペのお説教をすることしかできない。
言ってしまえば目に見えるものしか見えない世界に生きているわけだ。
なに食って育てばここまで人の心をなくすことができるのか?
人身事故で足止めを食らって「迷惑だから一人で死ね」とか言うやつと同質のメンタリティだ。
自分のための電車が止まった、という目に入る事実だけが大事なんだ。
そんな心無い生き物が、愛好家などと名乗る滑稽さ。
貧しい感性で愛とか、好きとか、語る資格があると思い込んでる。
愛好家なんて言ったところで、所詮は勝ち組に与えられる価値観に乗っかるだけ。
レディメイドの、幸福になれるグッズを手に入れて幸福になるだけ。
グッズを手に入れて幸福になるか、グッズを手に入れられず幸福になれないか、の二者択一。
本来得られるはずの幸福が、転売屋のせいで不当に奪われているとでもいったところか。
おまえたちに奪われるものなんかなにもない。
人身事故で遅延した時は割としてると思う
単純な話で、日本は枢軸国側で、ナチス政権ドイツと同盟国だったのだから、ドイツのホロコースト(ショアー)をコメディのネタにする資格が無いと、国際社会から見做されているだけの話だと思う。例えば、刑事事件や人身事故の加害者の親族が、その事件や事故を笑い話のネタにしていたら、被害者の親族も怒るでしょ?
それに対して英国は、ドイツと戦っていた連合国側だから、たとえモンティ・パイソンでコメディのネタに使っても、暗黙の了解で「批判的な立場からネタにしている」と解釈されるのだと思う。
とはいえ、モンティ・パイソンだって、全く批判されていないと云う訳ではない。ただ、英国は長年に渡る実績を積み上げて「ジョークの為なら命も惜しくない、頭がおかしなライミーたちの国」と云うイメージを構築しているし、英国王室から貧乏な庶民まで万遍なくネタにするからね。
それに比べれば、日本の自称・毒舌お笑い芸人は忖度だらけだから「笑い」に掛ける覚悟が英国と日本では月とスッポンだと思う。ギョウカイの偉い人を「流石ですねえ!」とか持ち上げて、接待ゴルフみたいな真似してる奴らばかりじゃん。
まあ、私は野村萬斎・椎名林檎・MIKIKOの演出を観られなくなったと知った時点で、東京五輪は観ないと決めたので、この機会にモンティ・パイソンのDVD-BOXを観て過ごそうと思う。
銀行や郵便局に用事があって外出したとき、近所の踏み切りでずっとカメラ持って立ってる男性が一人いて、
平日の昼間から、こんな首都圏周辺のちょっと田舎のよく人身事故を起こす何気ない電車を撮って何が面白いんだろう、と思ったりするんだけど、
というか、本当に通行人とか気にせず立ってて邪魔というか不気味というか、
正直なところ、ちょっと知○障害がある方なのかなあ、とも思える振る舞いだったのだけど
なんか旅行先とか珍しい電車とか風景を撮るなら分かるんだけどね
といっても、撮影のために田んぼの用水路の堰き止めてる板を外したりとか、そういうトラブルがあったのを思い出すんだけど
普段の通勤のときとかもカメラ持って駅で構えている人とかいるけど、
そもそも、基本的に自分は電車が嫌いだし、人身事故があったら閉じ込められるし、
電車と電車の間の連結スペースがそのためにも用意されていると知って、ちょっとショックを受けたり、
つまり、緊急時に嘔吐したり排泄したりするためのスペースという意図もあって、
連結部の扉が連結してても基本的に両方閉まるようになってるような話を聞いたのだけど、
最近は連結部の扉が連結するとないような車両もあった気がするし、どうすんだよと思ったり、
もう通勤電車は痴漢のためにバリアフリーされているようなものにしか思えないのだけど、
トレイントレイン走っていく、トレイントレインどこまでもだし、
チューチュートレインだったり、チューチューロケットだったりするし、
○ご飯
朝:なし。昼:とんこつラーメン。あんドーナツ。夜:人参と玉ねぎとシメジとキャベツとたまごの中華スープ。納豆。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はしんどかった。
朝一いきなり人身事故で遅刻からの、残業でもうヘトヘトのクタクタ。
○グラブル
ガチャピンは20連で、アポロン(2凸目)。スクラッチは銀天。
闇ドラポンのスキルレベル上げが終わって、これでドラポンコンプリート。凸素材よりスキル餌の方が大変だったよ。
次はやっぱりアスポンだよなあ、プシュケー堀りが嫌すぎて逃げ続けてるんだけど、重い腰を上げるかあ。
天秤3凸が完成した、んだけど終末は4凸だし上限叩けるような編成持ってないし、特にまだ使う機会は無さそうだなあ。カイム入手したら土で使うかしら。どっちかと言うと、闇ランバージャックでヘルマニブスを握るためにアヌビス始めたのに、そっちはまだ2凸なんだよなあ。栄誉使えば終わるんだけど、栄誉は新マグナ2やエレメント補充で割と使うので節約。
私が使う行き先の電車は少しして動き出したけど、丁度乗り換えで降りたホームの反対側で、線路からの引き上げ作業が行われていた
私達に気付いた救助の人が、こちらに向けて青いテントのような幕を展開して目隠しをした
私も気になってつい見てしまっていた
たまたま私の進行方向と、救助の人たちがブルーシートやその他の青い目隠しで取り囲んでゆっくり進む方向が同じだった
駅を出てペデストリアンデッキの上から丁度見えるところに救急車が止まっていて、そこに運び込まれるのを見ていた
担架に紺色のシートのようなものが張ってあって、その下から脚が突き出ていた
片足にニューバランスのグレーのスニーカーを履き、もう片足は紺色の長い靴下だけだった
隣の女性二人組が「まだ若そうなのにねぇ」と喋っているのが耳に入った
脚は、スニーカーを履いた方は普通に担架に仰向けになった時の向きになっていたが、もう片方はなんだか不自然な形に向いていた
Twitterには、女性がバラバラになったとか、飛び込んだのは女子中学生だったとか、そんな本当かどうか分からないことが書かれていた
ワイがああなってた予定も余裕であったしなぁ
ワイもニューバランス履くしな、てか今正に履いてるし
グレーのニューバランスを履いた脚から目が離せなくなり、救急車の中に仕舞われるまでずっと見続けていた
救急車に運び込まれる際、救助の人のうちの一人が、拡声器で「下がってください!モラルですよ!」と救急車に近付いてくる野次馬に向けて叫んでいた、あの叫んでいた人はどんな気分だっただろうか
私の目の前でスマホのカメラで動画を撮ろうとしていた人、普通に若い太めの女性で、リクルートスーツ姿だった
こういう人も採用されたりするのか
私はというと、自分で撮影こそしないものの、Twitterに何かしらの動画や画像がないか探し回っていた
同じ穴の狢どころか、自分で手を汚さない分、より悪質かもしれないと思った
結局飛び込んだのか落ちたのか、男性なのか女性なのかすらも分からなかった
丁度今月ニューバランスのスニーカーを新調したところだけど、グレーも検討していたんだよな
今後買うことはないかもしれない
職場の外で仕事の用事をしなければならない日だったから、ただごとでない雰囲気の駅の中で、何とか電車が動くことを祈って用事に間に合わせないといけないという使命感も相俟って、妙に高揚してしまい、気分が悪かった
私の仕事が人を助ける仕事だから余計に、変な使命感に駆られる状態になってしまった
これまで幾度と無く自殺を考え、実際に二度未遂して蘇生させられている身としては他人事ではなかった
電車への飛び込みも選択肢の中にあった、もっと楽な方法を知ったからやらなかっただけだ
もしやったら、自分もこんな風に大勢の野次馬の餌食になりながら運ばれるんだなぁと思った
寝る前に吐き出したかったのでここに書いた
東上線がよく人身事故で止まるから、どうしても時間に間に合わない時は途中からタクシー乗るんだって。
タクシー代は当然自費。
カレンダー関係なしにろくに休暇も取れず働いて、なけなしの手取りから出勤のためのタクシー代払って。
それでも他の働き口はないし、介護の仕事は自分にあってるし、自分が頑張らないと困る人がいるからやめられないんだってさ。
ただ、やりがいという見えない鎖で長時間人を縛り付けるのはどうなの?
20年くらい前に「働いたら負けだと思ってる」ってニートがいたよね。
あいつが言ってる事が本当だったじゃなくて、貧乏なら貧乏でもっと全部投げ出しちゃっていいよ。
サボっていいし、適当でいい。
筋なんか通さないでガンガン権利主張していいし、使命感なんか絶対持たないでいい。
Suicaが駅の入場券になるサービス、今までなかった理由は? JR東に聞く
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2101/21/news092.html
>人身事故などのトラブルの際は、改札を通った後に乗車を諦め、短時間のうちに改札から出ようとする人が多くなる。この場合、従来は駅員が返金や入場の取り消しを行っていたが、今後はICカードをタッチして外に出ようとする人が増えることで、誤って入場料を引き落とす可能性もある
あーこれはですね。
駅員死ぬやつです。
ええ。
あの人達の大半は「人身事故で止まったor振替輸送で来たからカードの記録を消すために並んでいる人」なんですが、これにもし「間違って引かれたお金を戻してほしい人」が参戦したら100%収集がつかなくなります。
「カードに間違って引かれたお金を戻す」は「カードの記録を消す」を1回やる時間の10倍以上時間がかかります(かなり慣れている人でも)。
イメージとしては今まではお昼時の混んでるコンビニのレジレベルだった所に、レジの台数は変わらないまま伝票も書かずに小包贈りたい人が大量参戦すると思ってください。
何かを始めようとすれば「ダメな奴は何をやってもダメ」と出鼻をくじかれ、じゃあ迷惑かけたくないんで何もしませんと言えば「逃げるな」「努力しろ」「甘えてる」、でしたら頑張ってやります、でも失敗しましたとなると「初めからやるな」「お前は引っ込んでろ」「努力が足りない」「そもそも努力してない」、仮になんとかやり遂げても「当たり前」「みんな出来てる」「そんなことで褒めてもらえると思うな」「下手くそ」
結局社会は無能に消えてほしいと思っている。同じく無能も社会から消えたいと思っている。双方の意見は合致してるはずなのに、無能は消えることも出来ず毎日社会の足を引っ張り続け、社会は毎日無能に迷惑を被る。ここで言う社会が受けている迷惑は仕事場でのミスや脛齧りの引きこもりだけではなく、電車の人身事故や投身自〇の巻き込み事故など〇殺が引き起こす二次被害も含む。
自分は無能で社会に要らないと確信し、社会から消えようとも今現在の日本では自主的に死ぬ時まで社会に迷惑をかけなくてはいけない。おまけに自〇未遂で病院送りになると治療費は全額自己負担となるらしい。
そこで私が提案したいのが⑴安楽死の合法化⑵希望制の人権剥奪⑶1と2で発生した死体の有効活用だ。
まず⑴の安楽死合法化。これは何度もネット上で議論になったり、これをマニフェストとして掲げる政党も現れるくらい広まった提案だ。まあ最近だとTwitterの自称反出生主義者が自分の気に入らない他ユーザーを叩くための免罪符にして暴れ回るので話が拗れて訳が分からなくなっているのだが、こういうネットチンピラを一掃するにも安楽死は是非実装されるべきだと思う。(かと言って合法化された所でコイツらが大人しく安楽死するとはあまり思えないが)話が逸れました。無能の話を続けます。家庭から、学校から、職場から、社会から爪弾きにされた無能を救ってくれる制度はありません。そして自主的に死ぬと死体蹴りされます。これじゃあどっちも損です。じゃあ自由に合法的に死ねる制度を作りましょう。これでwinwinです。でもそんなことしたら日本から人が居なくなる?これは完全に主観ですが人口は減っても大して損害はないと思います。あるSF小説であった話で、死後の世界を映すモニターが開発され、そこに映された天国の様子や死別した愛する人を観て多くの人々が自ら命を絶っていく。でも一部の人は拭いきれない死への恐怖から生き続け、ひたすら死体の処理をし続ける、という内容でした。この話をどう捉えるかは人それぞれでしょうが私はこう捉えました。「死にたい奴らは勝手に死んで生きたいor死ねない奴らは勝手に生きろ」と。私はこの物語の世界は凄く理想的だと思います。ただこの話だと死ぬ方法が苦痛を伴うものしか描写されてなかったのが少し残念ですね。かなり昔の作品なのだからでしょうか…。現実安楽死が合法化すればいわゆる自認のある弱者は淘汰され、人生お気楽有能ラッキーマンや根性論信者が生き残る「理想の社会」が生まれますね!そこでもカーストは生まれるだろうけど私みたいな底辺には知ったこっちゃありません。だって死んでるし。それに私らが受けた迫害なんかよりずっとマシだろうし。
⑵の希望制の人権剥奪は私の勘違いから思いついたことです。死刑=殺人の合法化=人権剥奪だとつい最近まで思い込んでました。馬鹿なので。でも不思議な話ですよね、法の下で人の生死を決められるのに自由な自〇は許されない。そもそも死刑確定しても何年間も国民の税金で生かして死刑にするときもあれこれ手順を踏まなきゃいけない。馬鹿らしいですよね?生きる価値がないと公式に認められた人間を血税でしばらく生かすなんて矛盾してますよね?それこそ某番組の雑ドッキリみたいに死刑確定したら即執行すればいいんですよ。罪人に死を覚悟する時間を与えるだけ無駄です。また通り魔がよく口にする動機で「死刑になりたかったからやった」、これは単なる建前かもしれませんがもし1%でも諸事情により自〇出来なかったから犯罪するしかなかったと考えてたら、是非人権を剥奪してあげてほしいと思うんですよね。
⑶は上の話の続きになりますけど、⑴のように自主的に命を絶つときにただ埋葬するのではなく、臓器移植など生きたいけど生き残れる可能性が低い方々のために役に立たせる方法を希望できるようになると良いと思うんですよね。また⑵のように死刑囚は人権を剥奪し今まで倫理の問題で出来なかった実験の被験者になってもらったり、死後も標本か何かにしてこれからの科学の発展に活用した方が遥かに明るい未来が待ってると思うんですけどねえ。
あるスポーツ選手はこう言いました。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
あるアーティストはこう言いました。
「不遇を社会のせいにして、いつか大きな何かに無償の愛で救ってもらえると夢見てる負け犬どもが多過ぎる。いい加減目を覚ませよ。まだ間に合うから」
でもそれって成功したからこう言えるんですよね?努力が結ばれたからこう言えるんですよね?才能があったからこう言えるんですよね?周りの環境が恵まれてたからこう言えるんですよね?
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という有名な格言がありますが、これ裏を返せば1%のひらめきを生み出す才能が無ければそこでおしまいなんです。どんなに努力しても結局天賦の才能には勝てないんです。これ、ごく普通の人でも99%の努力しても1%の才能には到底及ばないのに、生まれ持っての無能となると99%努力してもやっとスタートラインかその手前なんです。それを「努力と呼べない」「社会のせいにしてる」なんて言われたらもう死ぬしかないですよね。じゃあ120%の努力をしろよとも思いますがそうして燃え尽きた無能を私は何人も見てきました。
ここで散々無能と呼んできた人の種類を詳細に伝えます。無能とは「発達障害」「精神障害」「知的障害」「サイコパス」そして「やる気のない人間」です。ちなみにわたしは知的とサイコパス以外全部当てはまります。このように書き連ねると今までの文章からして私のことを植松信者だと思われそうですが断じて違います。
優生学という考えがあります。簡潔に説明すれば劣った人間を減らし、優れた人間だけ生かして生み出そうというものです。世の中にはこの簡潔な説明文を見ただけで発狂し噛みついてくる人がいますが、それは植松事件や旧優生保護法、そしてナチスのT4作戦を想起させるからだと思います。これらは優生学に基づいた犯罪・政策であったから非難されていますが「『同意を得てない』人間に『有無を言わさず』優生思想に基づく方法で理不尽に命を奪ったり手術をした」という面にもっと注目してほしいんですよね。優生学自体を頭ごなしに否定するのははっきり言って思考停止してます。少し前某ミュージシャンの「お化け遺伝子」発言による炎上騒動がありましたが、これに反する意見としてナチスの政策と同じだ!と主張する人が多く見られましたが、ちょっとズレてるな〜と思いました。ミュージシャンの主張は「優れた才能を持つ人達(=お化け遺伝子保持者)を国がプロジェクトとして集め、その天才同士での結婚相手を決めるという、なんだか某アイドルが入信した統〇教会を思い出させる失笑モノの意見(もっと言えば結婚=子作りという旧時代の考え丸出しの発想がさらに大衆の失笑と非難を浴びた)でしたが、要するに彼の主張は「積極的優生政策」であり、一方ナチスが行ったので有名なのは前述のT4作戦やホロコーストなど「既に産まれてしまっている劣った人間を抹消する」方なので、お化け遺伝子をナチスと同じだ!と批判するのはあまり噛み合ってません。(一応ナチスも党の基準での「優れた人種」の女性とナチス親衛隊の男性を結婚させた事例があるので間違いではありませんが、例のミュージシャンのリプ欄でT4作戦のことを挙げ反論している方が多く見られたので敢えてこう述べさせていただきました)
それから記憶に新しいやまゆり園事件。これに関しては事件そのものより植松のダブスタっぷり、思考の浅はかさを指摘していきたい。「ケーキの切れない非行少年たち」という一昨年くらいにヒットした本がある。この本の内容をかなり要約すると「いわゆる非行少年と呼ばれるような少年院にいる子供達は軽度知的障害を抱えてるケースが多く、これを解決するにはある訓練が必要だ」となる。つまり知的障害があるから物事の良し悪しが分からないため罪を犯すのだ。そして植松は学生時代未成年飲酒や喫煙、さらに暴行事件や薬物乱用など起こした罪の数々を見れば典型的な「非行少年」である。ここで植松の思想及び主張を思い出してみる。「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」ケーキの切れない(略)と植松の前科、そしてこの主義主張、こうしてみると「軽度知的障害者が重度の障害者を攻撃している」という事が分かる。植松は正式に軽度知的障害と診断された訳ではないが、過去に軽犯罪を繰り返しその後件の事件を引き起こしたとなれば、立派なダブルスタンダードである。むしろ犯罪者は軽度知的障害者に多いとなると介護が必要なくらいの重度障害者と比べてどちらが社会に不必要かは言うまでもない。
最後に旧優生保護法について。私の正直な意見を言うと、この制度多少の改良を経て復活させてほしい。遺伝性の障害を持つ人が子供を持とうというのははっきり言って傲慢だ。だからと言って強制的に不妊手術を全員受けろとまでは言わないけど、発達障害精神障害知的障害を持ってて自分の面倒すらまともにみれないのに、同じ障害を持つかもしれない子供を育てられるのか?無理だろ。子供が生まれれば自分は変われる?幸せになれる?人生がバラ色になる?寝言は寝て言え。子供はお前らを幸せに導くラッキーアイテムじゃあないんだよ。これは健常者にも言えることだが、子供を作る動機として挙げられるもので、子供のためを思ったものがほとんどと言っていいほど存在しないのだ。「なんとなく欲しいと思った」「子育てがしてみたい」「夫婦間の中が悪いから仲裁役として」「とにかく楽しそうだから」「将来介護してもらうため」こんな感じである。(私はなんとなくで産み落とされました)せめて建前でも「子供にも幸せな人生を送ってもらいたいから」とか言えないのか。結局親というものは最初から自分第一なのだ。確証も無いのに何故か五体満足でオツムもまともな子供が生まれると信じて止まないのだ。そして実際出生前検査でダウン症など先天性の障害が見つかれば中絶を決断する親もいて、産まれても泣き声がうるさい言うことを聞かないなど予測可能なことで子供に危害を加え最悪殺害する親なんてのも後を立たない。さらにもっと視野を広げれば、人生なんて苦難の連続と散々言い伝えられているのに、それを経験しているはずなのに、ウエディングハイの延長で人ひとりの人生を強制スタートさせてしまう身勝手さと計画性の無さ、非常に軽蔑させられる。また優生保護法で強制不妊手術を受けさせられた方のインタビュー記事がネットにあったので読んでみましたときのことです。その方は精神障害を抱えており、自分に子供がいたなら人生は間違いなく幸せだったと仰ってました。いやー反吐が出る。子供は幸せを運ぶ天使か何かと思ってないか?こういう考えしか出来ないから自分の人生不幸だと思い込んで優生保護法に八つ当たりしてないか?まあいいや、少なくともこの方の子供となる不幸な人間は存在せずに済んだので良かったとしよう。
私は発達障害と精神障害を抱えているので絶対に子供は欲しくないし、もしこの先異性と体を重ねることになるとしても避妊失敗が怖くてとても出来ません。もし優生保護法がまだ現役で強制的に不妊手術します!費用は国が負担します!なんて言われたらきっと狂喜乱舞するでしょう。
まあ要するに何でも希望制にすれば良いんですよ。死ぬにも手術するにも人権捨てるのも。夫婦別姓も同性婚もしたい人だけやればいい。どうしてそんな簡単なことが出来てないんだ。多様性って何だ。あっ、でも子作りだけは免許制にしてほしいな。子育てって車の運転以上に知識・技量・適性が問われるはずなのに。おかしいよね、世界。