はてなキーワード: 些末なとは
LGBTQの人々を祝う意図が込められた記念日だが、この日に有名企業アカウントが続々と「炎上」した。
花王などのアカウントが軽はずみに「カミングアウト」という言葉を使って情報を投稿したため、批判が相次いだわけだ。
軽々しく「カミングアウト」という言葉を使うことについて、不快に思うLGBTQの人たちはいるだろうから、それは避けたほうがいいのは間違いない。
「炎上」した火をさらに燃やすような攻撃的な表現のツイートも散見され、
心がざらつく感覚が残った。
例えば、著名フェミニスト・治部れんげ氏の夫、一橋大学准教授の竹内幹氏は――
人が苦しんで死んだりしてるイシューでもあるのに。むかしなら「新聞読んでないでしょ」というレベルの無知→担当者。
と投稿した。
この攻撃的なツイートは花王や花王の関係者(竹内准教授のいう「孫請け」なども含め)を
必要以上に傷つけることにはならなかっただろうか?
大学の教員だけにカミングアウトデーについての知識が豊富なのだろうけれども、
何か意見を述べるのならば、教員らしくもう少し、諭すような、おだやかな言い方にした方が啓蒙効果があるように感じ、残念に思った。
などといった表現からは、「知識レベルの低い」人への差別意識がにじんでいるように感じる人が多かったようだ。
その中の一人、松戸市議会議員の、みのわ信矢氏は、竹内准教授の花王に対するツイートを見て、
「竹内氏のツイートもまた『差別的』なのではないのか?」と、次のようなツイートで疑問を呈した。
かつて身をおいていた広告代理店は、上場企業から見たら曾孫受け程度の超零細企業でした。
そういう会社で働くと、やっぱり知的水準が低いとみなされるのか、、、
このツイ主さんはいわば、差別と戦った方々とその歴史を軽んじている、と憤っておられるのですよね?
すると、竹内准教授は、みのわ松戸市議のこのツイートに対して、
>知的水準が低いとみなされる
すみませんが、そうとは書いていないはずです。
再度お読みください。
差別的”と感じられることを考え、「知識レベル」という言葉を使い「知的」とも言いませんでした。
孫請けのくだりは、花王が直接コンタクトをとれていないからかという意味合いです。ご査収ください。
と逆批判して、みのわ松戸市議を「謝罪」へと追い込んだのだった。
自分が思うに、「知的水準が低い」よりは、竹内准教授が実際に書いた「知識レベルが低い」のほうが、表現としては少しマシかもしれない。でも「五十歩百歩」だろう。
一方、「知識レベルの低いところが孫請けとかでしょうか」=「花王が直接コンタクトをとれていないからかという意味合い」 と捉えるのは
無理筋だろう。
かなり苦しい弁解のように思う。
竹内准教授と、みのわ松戸市議のこのやり取りを見ていた別のある人が、
「差別を指摘する側が実は差別にどっぷり浸かってること、よくある」とツイートしていた。
一理あるな、と私は感じた。
「カミングアウト」という言葉を、カジュアルに使ってツイートしていたことがあった。
自分の妻もカジュアルに使っている「カミングアウト」という言葉を花王担当者もカジュアルに使ったわけである。
その使用法に対して
人が苦しんで死んだりしてるイシューでもあるのに。
むかしなら「新聞読んでないでしょ」というレベルの無知→担当者”
とまで言う必要がはたしてあっただろうか?
ヒトには、自分自信を「正しい」と思い込むことによって、自分自身を癒やしているようなところがある。
ゆえに、賢い人も、「知識レベルが低い」人も、普通の人も、自分の内なる差別意識を見つめることはとっても難しい。
#治部れんげ氏
#治部れんげ氏の夫
#評判
都市圏在住の婚約者が自分と会った翌日にコロナ陽性と判定された。
そりゃあ、布マスクしかしないし、非同居の友人ともよく会うし、詳細は伏せるけど大声で歌ったりする集まりにも行ってたし、いろんな施設の入り口に設置されてるような手指消毒スプレーも無視してるし、まあ、同情の余地ナシ。帰宅時の手洗いうがいは欠かしてないけど、それを上回る高リスク行動の多さ。フォローのしようがない。
自分は以前から、せめて不織布マスクを使用するように言ってた。2年ほど使ってる布マスク(市販品)をいつまで使うつもりなのか、仮に商品が「○○回繰り返し洗濯して使用できます!」と謳ってたとしても、2年ほど3〜4枚を使い回してるのだから、1日に2枚使うときもあるのだから、その回数を超えているだろうとは思わないのかということも言った。医療用のN95マスクを使えとは言わないが、せめて不織布マスクを着用してくれと。
だけど聞き入れてくれなかった。
せっかく一人暮らしなのだから、今どうしてもしないといけないこと以外はやめてくれということも伝えてた。
ずっとじゃない。感染者数が落ち着いてる時であれば、あるいはワクチン接種から2週間経った頃であれば、そこまで気にしなくてもいいと思ってたし。自分もそんなに気にしてなかったし。ただ、第n派の真っ只中に、どちらかにどうしても動かせない大事な予定があったり、どうしても出張しないといけないこともあったりしたから、せめてその前1週間は重々気をつけた行動をとるようには言ってたけども。さすがにいい年の大人なのだからそのへんの分別はつけてくれと。
だけど聞き入れてくれなかった。
結局、婚約者の陽性判定の数日後、自分も発熱し、陽性と判定された。
自分は医療従事者でもエッセンシャルワーカーでもないけども、近からず遠からずの業界にいる。その上、部署の主任のような立場にいて、他部署との連携も自分に任されているものだから、自分が出勤できないとなると誇張抜きで部署が止まってしまう可能性がある。
また、別部署ではあるが、自分の同居家族も責任者として勤務しているため、職場全体が止まってしまうことも考えられる。
自分の同居家族に、「重症化リスクが高い」とされる人物がいる。
お互いにワクチンを3回接種しているとはいえ、自分経由で感染させたい人はあまりいないだろう。自分もそうである。
③その他の理由
婚約者が陽性と判定されたのは、婚姻届提出予定日の前日だった。
ふたりで「この日に提出しよう」と決め、それに合わせて諸々の手続きのために有給を申請し、姓と住所が変わることに伴う必要な手続きを調べ、無事に終わったら記念写真を撮り、ちょっとよいディナーに行ったり、お互いの両親に挨拶に行ったりしようと言っていた。
でも、婚約者が陽性と判定されたため、全てがパーになった。
予約していた諸々の予定をひとつひとつキャンセルした。たくさん謝った。直前で申し訳ないです。お手数おかけします。療養明けに改めて伺いますので何卒……。
陽性と判定されたのは婚約者だ。自分が、この先の人生を一緒に過ごすと決めた人だ。だけど、敢えてキツい言葉を使うのだが、婚約者のせいでキャンセルせざるを得なくなったことに関して、どうして同居もしていない自分が謝らなければならんのか。(婚約者だからだろう、という意見は求めてないです)(配偶者ではないんだがなぁという気持ち)
各所はみな優しい口調で対応してくれたのがせめてもの救い。内心どう思われてるかはともかくとして。
④自分の都合
婚約者にも伝えていたのだが、これを機に転職するつもりだった。
婚姻届の提出とほぼ同じタイミングで有給消化に入り、転職活動に集中しようと思っていた。直後に面接予定の会社も数社あった。
それに、普段は仕事ばかりでなかなか行きづらかった病院なんかも行きたかったし、溜まった家事を片付けたりもしたかった。二人暮らしに足りないものを一緒に買いに行きたかった。
でも全部白紙になった。
幸か不幸か、もともと有給消化の予定だったため、それが前倒しになったようなものだった。
同居家族は、自分の濃厚接触者として出社できなかった。その後はお察しの通りである。
職場は、ギリギリのところでなんとかなっているように見えた。少なくとも自分に連絡は来なかった。……まあ、繰り返しになるがもともと有給消化ののち退職予定だったため、自分の抱えていたことは引き継ぎを終えていたし、退職する人間に連絡したところで、というところはあっただろうが。
婚姻届の提出は、まだ発熱も咳もなかったので自分ひとりで行った。
自分が婚約者の濃厚接触者であることは言われるまでもなくわかっていたが、不要不急ではなく要の予定のため仕方ないだろう。
蛇足ではあるが、待ち時間は他人と距離を置いていたし、N95マスクを着用し、自分用の消毒用エタノールスプレーも活用していた。
転職先は、なんとか決まった。
だけど、自宅療養中に面接が決まっていた企業と、もし面接していたら、もっと良い条件だったのでは?と思ってしまう。
結局、婚約者の考えが浅かったせいで、自分に大迷惑がかかることとなった。
・美容室の予約を取り直す羽目になった
・チケットを取っていた野球の試合に行かなくなった(なおリセールに出していた。売れていた)
自分の心が狭いのかもしれないけど、責めないで優しくしてと言われても難しい。
過去に何冊か技術書を出版したことのある著者です。いま随所で話題になっているWeb3書籍の騒動を見て思うことを書いてみたいと思います。
「編集者はチェックしてなかったのか」というような指摘が見受けられますが、正直、誤字脱字以外の技術的な内容について指摘してくれたのは1人だけでした。まして「外部の有識者」によるチェックなど、コスト面からしてもありえない雰囲気でした。まあ、私がお付き合いしていた出版社が弱小だったせいもあるかも知れませんが。インプレスはこの業界では大手でしょうし、人脈も豊富だから「外部の有識者」によるチェックも可能化も知れません(でも、それなら初めからその有識者に頼めばいい気もしますが)。
今回騒動となった書籍の著者は、調べてみた限りでは、初めての出版のようです。今までに、本1冊分の原稿を破綻なくまとめ上げた経験がおありなのかは不明ですが(そもそも、ご本人がすべて書いているかどうかも不明ですが)、自分の持っている(Web3とやらの)「ストーリー」に当てはめるために、かなり無理をしているように見えます。「自分の伝えたいことはコレなんだ、それ以外のところの(技術的な)誤りなの些細なことなのに、なんでそんなところばかり指摘するんだ」と思っている人もいます(この著者がそうかは不明ですが)。自分も他人の原稿を読む機会やチェックする機会がありますが、「本質を見てくれよ、そこは些細なことだ」と怒る人もいます。でも、本筋と関係の浅い部分こそ気を使わないといけないと思って自分は書いています。
幸いなことに、自分が著者の技術書で技術的な誤りを指摘されたことは(おそらく)ありません。些末なことであっても間違いの無いように調べるのは骨の折れる作業です。アシスタントがいたり、編集部でチェックしてくれたりすれば著者としてはラクなのですが、大して売れもしない技術書にそんなコストはかけられません。すべて自分でやっています。すると、執筆に際限なく時間がかかってしまいます。そこまで時間の取れない著者は、ファクトチェックをおろそかにするか、それも面倒になるとパクリに走る著者もいたりするでしょう(本書の著者のことを言っているわけではありません、念のため)。
なんか、書き散らしてしまいました。誤字脱字があるかも知れません。誤字脱字は著者であってもよくやってしまいます。書籍の場合は、何度も校正して減らすように努力してますが、ここではそこまでやってませんので「誤字があるけど、おまえ本当に著者なのか?」という指摘は……甘んじて受けます。
快挙!日本代表ZETA、世界大会で日本勢初のベスト3(平岩康佑)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/hiraiwakosuke/20220423-00292734
bigburn 最初から何のことかさっぱりわからない記事で(Valorantが何かぐらい説明しようぜ)日本でeスポーツが根付かない理由が少しわかった気がする
感動をパッションで伝える場合、説明的な文章は興を削ぐってわからない?
「日本時間23日早朝、VALORANTの世界大会「2022 VALORANT Champions Tour Stage 1 - Masters Reykjavik」は大会10日目をむかえ…」
一行目を読めばわかるが、物語の続報として書かれてる。一から伝える記事じゃない。
ZETAの偉業を、eスポーツが好きな平岩康佑の視点で、現場の出来事を詳細に語る。
そういう小説的な文章に「VALORANTとは5v5のFPSで…」とか、「FPSとは一人称視点のシューティングで…」とか、
文中のこういう記載からして、平岩に一から説明する意図はない。
ヘイブンの意味がわからない読者相手でも、何かスゴいことが起きてる、と想像させることは可能だ。
これはVALORANTに限らず普遍性あるテーマだから、細部を語って全体を伝えれば良い。
全体像が掴めない素人相手に、細部の描写で全体をイメージさせるのもライターの力量だ。
読者の方だってお前みたいなノータリンばかりじゃないんだから、想像で補って読むくらいできるわけ。
VALORANTを既に知っている者、知らなくても情熱を読み取って共感してくれる者、
そういう人たちをターゲットにしてるわけだ。
理解させるのが大事だからと、単語の説明から一々するならWikipediaでやればいい。
話題がロックバンドであれVTuberであれ、当事者が情熱に任せて書き殴った配慮ゼロの文章は、
叙情的な文章に説明が足りてないとかなんとか、添削することしか頭にない奴は、
で、多根清史(id:bigburn)の更に駄目な所は次の一節。
平岩の記事にVALORANTの説明がないことと、eスポーツの普及にどう相関性があるんだ?
VALORANTは、さいたまスーパーアリーナを埋めるくらいに人気があり、
APEXなどのFPS中心にeスポーツは日本で根付いてるんだが?
eスポーツをとりまく日本の現況を分析せずに、感情に身を任せて「これだからダメ」と結ぶ。
Twitterのプロフに「フリーライター」とあったが、お前廃業したら?
誰かが○○したら良いと言うなら、たぶん従ってしまう。
そして、上記の「誰か」に「占い」という言葉を当てはめてみよう。
すなわち、自分の行動選択に価値を見出だしていないから、占いに従って行動してみてもいいかなと思ってしまう。
どうでもいい選択ばかりだから、占いの提示する「ラッキー」な行動に心動かされる、というわけだ。
ちなみに、占いで「ラッキー」とされる行動をしたところで、得られる「ラッキー」なんて微細、もしくは皆無でしょ、
そんなんで、よく占いなんて信じられるなと思う人も居るかもしれない。
しかし、これについても、次のように考えてみよう。
すなわち、占いに従わなかったことで得られる利益も無いわけだから、占いに従うことはノーリスクだ、と。
リスクが無いのであれば、「ラッキー」な要素がほぼ皆無だとしたって従ってみても良くなる。
無料で引けるくじが手元にあれば、ハズレを引く確率が高いとしたって、リスクは無いのだから、引きに行きたくなるでしょう。
占いに従って行動したくなる気持ちとは、まさにそういうことなのだ。
手軽なノーリスクさと、「ラッキー」のもたらす期待感が原因なのだ。
また、個人的には、占いに従って行動するその様子は「ポイ活」に似ているとも思う。
「ポイ活」では、カードを出すなど、日常の些末な行動をわずかに変容させることで、ごく微妙な「ポイント」が得られる。
そして、占いでは、その「ポイント」が「ラッキー」と呼称されていると考えれば、
占いに従って行動するのも、まさに、運勢に対する「ポイ活」なのだ。
つまり、ポイントカードの代わりに、ラッキーアイテムを持ち歩いているという感じであるわけだ。
すなわち、占いというアドバイスに従って生活すれば、自分の人生にあるリスク(アンラッキー)を回避できるかもしれない。
その点では、占いはポイントカードどころか、保険にさえ似ている。
保険というのは、保険加入者の得られる期待値が非加入者のそれを上回ることはない。
そうだとしても、保険で人生の不安をハンドリングできているという安心感には変えることができないので、みんな加入する。
占いに従うことで安心を得る。そして、その「保険金」は自分の行動の自由度だけだ。
大抵の生徒会というのは形骸化しており、本作の主人公・刈人も興味を持っていなかった。中堅公立校の推薦なんかたかがしれてるし、一般で早慶入るんで。
でもまぁ入ることになるんですわな。都合上。
オートロック付きの生徒会室にはマイルドヤンキーから半グレまで色とりどりの不良がいて、禁煙なのでみんなアイコスを吸ってたわな。一本勧められるも、いや本体持ってないし、アイコスのフレーバーって合う合わない激しくないですか?とかわす刈人。そこに担当教員が訪ねてくる。
目の色が変わる生徒会役員共(比喩ではなく本当に変化しており、平均肉体改造比率80%の生徒会においては些末な機能の1つだった)。座っていたイスで武装し、刈人に鍵を開けるようにうながす。
なだれ込む教員たち、それをちぎっては投げるマイヤン共。壮絶なちぎ投げ合戦の末、戦果として捕虜一名を確保した。
条約を無視して(不良なので)拷問にかけるマイヤン共。話を聞くと、この学校はカルト教団と癒着しており、生徒会はそれに気づいて対抗している唯一の組織だという。
教員の自爆により崩壊した生徒会室に呆然と立ち尽くす刈人。一方でマイヤン達はこなれた様子で再建築作業を始めていた。建築士としての資格を持たないまま。
これでしょ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5dfffe2f88c3ccdfc721ec02fdcf6129ac448fd9
『なぜ介護や保育は低賃金なのか?“必要不可欠”なのに冷遇される理由』
日本のエッセンシャルワーカーの待遇が悪い理由としては、“介護業界や保育業界、飲食業などは女性の就業率が高いから”ということが挙げられます。男女間賃金格差はどこの国でも存在しますが、日本は男女間の格差が特に大きく、それがエッセンシャルワーカーの待遇に反映されているのです。
また、女性が主に担っている仕事の賃金が低い要因として、『女性は主な稼ぎ手ではない』『男性に扶養されている』といった古い価値観が今なお根強いことにあります。つまり、“男性稼ぎ主モデル”のもとに低賃金構造が作られているのです」
現代を取り巻く「ポピュラー・ミソジニー」とは何か? その考え方が教えてくれること
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95817
この記事案外よくできてる。ただし、フェミズム教義のまとめとして、あるいは、問題点の象徴として。
一般人に意味不明なのは、オレオレ定義で話をするせいで問題だから問題だという循環参照が不毛で現実問題の解決に毛ほども役に立たないから。
さらには、ミソジニー話を批判するのはミソジニーだからといったカルト状態(教義を批判するのは悪魔の手先だから)に陥っている。
「あんた、もう社会人なんだから、何かいいことがあっても浮かれた態度を見せるんじゃないよ。世の中苦労している人のほうが多いんだから」
今の人には古い村のおきてとか、足の引っ張り合いに見えるかもしれないけど、これが本当の気遣い。
ここで、諸悪の根源は新自由主義なわけだけど、かつてその象徴は大体ホリエモンだった。
彼の押し出しの強さ、稼いでるんだから文句いうな、金持ちはもっと尊敬されるべきだ、勝ち組が勝てばよい負け組は知らん。
彼は早すぎた感じで、盛大にぶっ叩かれて、今では同情を集める側になった。
金持ちが人目をはばからずに人生を満喫できるささやかな幸せと引き換えに、万人が万人と闘争するエンドレスマウンティング地獄の等価交換。
シェリル・サンドバーグについては、はっきりと新自由主義の尖兵と言えるし、インターネットによって一般庶民であるはずのキラキラ女子もその列に並んでしまっている。
人は見えない格差に傷つくことはないが、見える格差には非常にダメージを受ける(兄弟間でのおやつの量など)。
ネット上のヘイトスピーチなくそう。まあその通り。良いことだろう。
だが、幸せ私生活をネットに上げることもまた、群衆に向かって中指立てるレベルの暴挙だと理解しているだろうか。
飾り付けられたSNSは他に対する攻撃となる(えむふじんがあらわれた!)。
エコーチェンバーがどうとか些末なことで、ネットの問題は私生活が全世界に公開されやすいということに尽きている。
勝者を率直にほめたたえる文化が強いアメリカでなぜ「インセルの犯罪」が多いのか。
positive, party, partnerのぱっぱらぱー3P文化が中指立てているからだ。