誰かが○○したら良いと言うなら、たぶん従ってしまう。
そして、上記の「誰か」に「占い」という言葉を当てはめてみよう。
すなわち、自分の行動選択に価値を見出だしていないから、占いに従って行動してみてもいいかなと思ってしまう。
どうでもいい選択ばかりだから、占いの提示する「ラッキー」な行動に心動かされる、というわけだ。
ちなみに、占いで「ラッキー」とされる行動をしたところで、得られる「ラッキー」なんて微細、もしくは皆無でしょ、
そんなんで、よく占いなんて信じられるなと思う人も居るかもしれない。
しかし、これについても、次のように考えてみよう。
すなわち、占いに従わなかったことで得られる利益も無いわけだから、占いに従うことはノーリスクだ、と。
リスクが無いのであれば、「ラッキー」な要素がほぼ皆無だとしたって従ってみても良くなる。
無料で引けるくじが手元にあれば、ハズレを引く確率が高いとしたって、リスクは無いのだから、引きに行きたくなるでしょう。
占いに従って行動したくなる気持ちとは、まさにそういうことなのだ。
手軽なノーリスクさと、「ラッキー」のもたらす期待感が原因なのだ。
また、個人的には、占いに従って行動するその様子は「ポイ活」に似ているとも思う。
「ポイ活」では、カードを出すなど、日常の些末な行動をわずかに変容させることで、ごく微妙な「ポイント」が得られる。
そして、占いでは、その「ポイント」が「ラッキー」と呼称されていると考えれば、
占いに従って行動するのも、まさに、運勢に対する「ポイ活」なのだ。
つまり、ポイントカードの代わりに、ラッキーアイテムを持ち歩いているという感じであるわけだ。
すなわち、占いというアドバイスに従って生活すれば、自分の人生にあるリスク(アンラッキー)を回避できるかもしれない。
その点では、占いはポイントカードどころか、保険にさえ似ている。
保険というのは、保険加入者の得られる期待値が非加入者のそれを上回ることはない。
そうだとしても、保険で人生の不安をハンドリングできているという安心感には変えることができないので、みんな加入する。
占いに従うことで安心を得る。そして、その「保険金」は自分の行動の自由度だけだ。
人は自由を求める反面、群れを作る犬と同じように 強いものや正しいものに服従したいとも本能的に思っているからな 服従欲を適度に満たすのが占いなんだよ