「中国語」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中国語とは

2018-02-22

https://anond.hatelabo.jp/20180222030002

中国語で「娘」をNiang(にゃん)と発音しますので、それが由来かもしれません。

ちなみに、中国語の「娘」の意味母親です。

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

anond:20180218204936

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。

文系でも同じですが。研究という営みの本質文系理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているか相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラル上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)

もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。

いや、レビューオリジナル研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナル研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナル研究成果だ。博士論文書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチオリジナル研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナル研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。

ひょっとして文系研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。

から、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者彼女学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田最初和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わずレビューしか書いてないなんて研究者はいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。

いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。

そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PD東大講師、あるいはテレビ出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビ問題言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者リテラシー問題でしょ。理系学位肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由開放的性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。

文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。

うんだから文系研究者が色んな外国語勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語ドイツ語研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。

これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語地位を高めていくべきだ派と、日本アカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本文系研究者多様性は、アメリカイギリスほどじゃないにせよフランスドイツロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史英文学からアフリカ人類学オセアニアの少数言語中央アジア歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人フランス人ドイツ人がそうできるように、自分たち言語でそれらの分野の最先端研究成果を手にすることができる。東アジア中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語博論を書いて自国教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。

もちろん、日本研究を専門としていない欧米人日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたもの翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。

こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文アメリカ人日本語翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀フランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別にからずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産動物種の研究だと英語論文和文論文引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。

いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田感覚はわかるんだよ。というかそれは文系研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端研究成果を自分たち言語で読めて、どんな地域研究だって自分たち言語遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマ研究ホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史研究する上で西洋史探究されてきた研究モデル概念意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国政治についてなんの情報もなしに、自国政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツール必要なんじゃないか? ジャーナリスト政治家欧州統合アフリカ経済アメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本EU研究者アフリカ研究者アメリカ政治研究者がみんな英語論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。

2018-02-15

anond:20180215233745

中国語の老という字には、尊敬すべき存在みたいな意味合いがあったな。老師とか。

2018-02-13

久しぶりに遊んだ友人がちょいちょい気になる事を言うのでイライラした話。

 

話の流れで宗教の話になって「うち親が結構そういう偏見持ってる家で~」から

新興宗教批判を始めておいおいおいおいまわりにその信者いたらどうするんだよと

焦って早々に話を切った。

 

細い道で前の人達写真を撮るのに立ち止まってしまって、それを待っていたら

後ろのカップルから結構口汚く文句言われたそうで(直接ではなく後ろから聞こえるように言われた)

「前がつっかえていたからだし自分達のせいじゃないし。だからブスなんだよ」

愚痴ってきて、一瞬耳を疑ってしまった。

とっさに「いや美人でも口汚いやつはいるし性格悪いのとブスなのとまじで関係いから」と言ったのだが

10年以上の付き合いだけどそうやって容姿に結び付けて文句言うような人だと

思っていなかったのでこれには本当に心の底からドン引いた。

 

立ち入り禁止のところに立ち入って記念撮影なぞしている人達を見て

「あれ絶対中国人だよ。これだから中国人は」と言うので

場所柄的にもわざわざ外国人がそんな大量に観光に訪れるような場所でもないし

そこに来るまで中国語も聞いてないし格好も今時の日本人ぽい服装だったので)

「いや、あれ多分日本人もいるよ」と言ったら「そうかな」と言いつつ、

観光に来ている中国人マナーが云々と語りだしたのでその度に

「それ日本人でもみるやつだねー」と相槌をうってたら

その後親が子を抱えて立ち入り禁止のところに立たせて記念撮影していたのを見てまた

「あぁいうのやるのは中国人しかいない。本当に何考えているんだろうね危ない」

と言うので「いや、今のはまんま日本人親子だよ。めっちゃ流暢な日本語で『ほらここ立って!』て言ってたよ」

と言ったら「え、そうなの。聞こえなかった」と知らんふりするしで

結局自分の信じたいものしか信じないんだなと残念に思った。

 

自分も含めて人は変わっていくものなんだなとは思うがとても悲しかった

2018-02-12

俺はもう中華圏に入るのを見越して中国語勉強始めてます

あっ英語勉強もしてたわ

平等平等

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず ってやつか?

続く言葉を知ってると印象変わるよな。ほんま福沢先生は偉大やで。

ところで平等平等って書くと中国語みたいだな。

2018-02-07

anond:20180207163222

百貨店の売り場に派遣されて働いているけど、おそらく中国都市部の皆さんの買い物の仕方は実にゴージャス!香炉20万、鉄瓶70万、切子グラス50万みたいな単価でもバシバシ買ってくれる。しかも「高いなら何でも買うわ!」みたいな下品(失礼)な買い方は意外なほど少なくて、そのアイテムについて下調べをし、通訳スタッフを介してしっかり説明を聞いてくれ、価値価格バランスに納得したらババンと買う、みたいなプロセスを経てくださるので、接客しがいがある。バブル期日本人フランスヴィトンカバンを買いまくったと聞いたことがあるけど、こんな感じだったのかな?デザイン意図とか説明を受けていたのかしらん。

とにかくもう家庭用品売り場は中国人観光客なしでは成り立たない。そしてそういったパワー中国人ファミリーの皆さんは驚くほど普通の格好をされている。モンクレかカナダグースのダウンに細めのパンツで歩き易そうなトレッキングシューズ男の子たち赤いダウン着用率が高いのが印象的だ。みんな足が長く、男性は背が高くて黒髪を清潔に整え、メガネをかけている。

ああ私も中国語が喋れたらなあ!ちなみに売り場のスタッフ中年女性多め)はおよそ英語中国語をしゃべることができて、その見た目に反した(失礼)スキルの高さにびっくりする。お給料で報われているといいな。

anond:20180204200046

うちの会社では中国人がよく使ってるイメージある

中国語で「幾つか」が「几个」なので

「几」が「n」になったんじゃないかと(民明書房感)

2018-02-05

[]パイパン

パイパンは、女性男性の陰部に陰毛が全く、あるいはほとんど生えていないこと、またはそのような女性男性のものを指す。

陰毛男性は陰茎の増大(男性器の成長のTannerの分類で第3段階)から約1年後、

女性乳房の成長がTannerの分類で第3または第4段階(初経の1年前から3年後の間)に達した頃から発生する。

この時期を迎えるまでは陰毛が生えていないが、パイパン範疇に含めることは少ない。

語源は「白桃」という説と麻雀牌の「白(白板)」という説とがあり、共に中国語読みである

白桃説はその色や形状から麻雀説は白は他の牌とは異なり、表面に全く模様が彫られていないことから

陰毛の生えていない状態をそう言い表すようになったと言われている。

もともとパイパンという語は、アダルトビデオ性風俗関係で使われることが多かった。

このため近年は、美容関係者ハイジニーナ呼称する場合もある。

なお、ハイジニーナ語源は、「清潔、衛生」などの意味があるhygieneである

これは陰毛の除去が、陰部を清潔に保つという効用があることから命名された。

なお一部海外アダルトサイトでは、立位での無毛の女性器を前から見たイメージから

キャメルトウ(camel toe、駱駝のつま先)と表現する場合もある。

パイパン - Wikipedia

陰毛男性???

2018-02-04

AV女優デビュー年表ってないのかなって

思ってググったら中国語Wikipediaになぜかあった。

AV女優列表 - 维基百科,自由的百科全书

日本語圏にも個人的にまとめたメーカー側の動きと世相も併記した味わい深いのがあった。

AV女優年表

2018-02-03

anond:20180203012201

世田谷に住もうとしなけりゃいいんじゃないの?

新宿とか豊島に住めば保育所入れるんだし、家賃もそっちのが絶対安いところあるぜ。

保育所入れると、子供日本語より中国語を先に覚えそうな勢いだが、このご時世、それもメリットかもしれないし。

2018-02-02

anond:20180202120533

> 四文字を「強弱強弱」に分類した言葉

いや、それもともと中国語だろ。

やっぱり外来だよ。

2018-01-30

anond:20180130015514

何となく発音がかっこいいのと観光客と喋れたらなんかいいなという理由中国語をやろうとしたんだけど

その中国語ですら直近で必要性に迫られてないからまったく勉強する気になれない。

モンゴル語は結局マスターできた?

2018-01-28

anond:20180128135824

(ファスナーを意味する)チャック…巾着に由来。

サボテン石鹸体(シャボンテイ)。「シャボン」はポルトガル語だが、それをサボテン呼び名に使ったのは日本人

コンロ…焜炉。

クエン酸…枸櫞酸。枸櫞はシトロン漢名なので正確には中国語か。

カラオケ…空のオーケストラ。これは半分だけだし微妙か。

2018-01-27

ここは全く国際化してない

英語投稿もない。

フランス語投稿もない。

中国語投稿もない。

ドイツ語スペイン語イタリア語もない。

しかし猫はたまに書き込んでるみたいだ。全く国際化してないが最先端場所かもしれない。

追記 ((((;゜Д゜))))((((;゜Д゜))))((((;゜Д゜))))((((;゜Д゜))))((((;゜Д゜))))((((;゜Д゜))))

2018-01-24

漢詩中国語ラップの違いはなんだよ

似たようなもんだろ

2018-01-21

北八先生はアウトか。

ちょっと前に盛り上がった、ダウンタウンブラックフェイス問題について、

自分は「『我々に差別意図はないんだからセーフ』って強弁しても、当のアフリカ系がみたらギョッとするんだから、こっちの「意図はない」を無理押ししないで『分かんなかったんでこれからはもうしません』で良いんじゃないのかなー」位に思ってたんだが、最近、ふと「中川礼司の中国語モノマネって本物と比べたらどれくらい似てるんだろ」と動画サイト検索したら、劇団ひとりの「北八先生」がでてきた。

はて。

これ、今やったらセーフ?

「なんでも差別差別言ってたらモノマネも出来なくなるじゃないか大阪のおばちゃんのモノマネ差別かよ!」

自分なりに考えてみよう。

差別って事について、あからさまに「あいつは我々より劣っているので劣った存在として扱おう」など、優劣を確信してやるケースはまれで、「相手がコミニティに対して疎外感を感じる」「自分コントロールできない属性によって、自分所属していないコミニティから明確に違う扱いを受けたと感じる」と言う所だと自分は思う。雑ですまんが。

そう思うと、大阪のおばちゃんのモノマネ大阪人がやっている限りセーフ。

大阪人大阪のおばちゃんと同じコミニティに属し、大阪のおばちゃんについては、おおよそ見ている日本人も「そうはいっても同じ日本人からいろいろな側面を持っている」という常識を共有した上で、その独特のコミニュケーションをディフォルメしたものを楽しんでいる。

北八先生はどうか。自分の考えではアウトだと思う。

ここでは「劣ったものとして差別してせせら笑っている」かどうかは問題ではない。

北八先生は「別の文化圏に居るよく分からないもの」との交流として戯曲化されていて、「我々のコミニティじゃない人は違うよね」という不可解さが笑いの仕掛けになっている。

なので、前提として「あの人は私たちの身内じゃないし、知らない。分かろうとしても無理」があって、それに戸惑わされる事を笑っているので、「疎外」を笑いに含んでいる。

どうだろうか。

立場をひっくり返して、たとえば中国TVで「やたらすぐ謝るし、ちょっとした約束をしようとるすとすぐに保留にして持ち帰る、東京老師(演じているのは北京出身お笑い芸人)」というキャラ大人気になって、上海を歩いていたら「東京老師!」と声をかけられたら微妙気持ちになると思う。

アフリカ系はOUTだけど、中国人は肌おなじ黄色だし差別無いよねー」じゃなく、ちょっと考えてみたかった。

もし、テレビ番組制作に関わっている人がいたら、そこら辺のモノマネを扱う前に、ちょっと考えておいた方が良いように思う。

anond:20180121194155

中国語って声の大きさも発音の違いに含まれるので(おとぉみたいな事なんだろう)

声がでかいって聞いたことある

2018-01-20

日本ではなぜか海外コンテンツ海賊版サイトだけ元気ないよね

少し前にバズった記事で「ドイツでなぜ日本アニメが下火になったか」ってのがあって「放送局倫理的自主規制がかけたかファンの間で海賊版が活発になった」と書かれていて、ブコメの多くがその一文に特に否定的に捉えていなかったというのが、昨今の漫画村等に対するブコメ正反対でびっくりしてたんだけど、まあ「外人さんが日本コンテンツ純粋に楽しんでくれているのなら許すwww」ってのは分からなくもないし、それはそれでいいのだけども、逆に「日本人さんが海外コンテンツ純粋に楽しむために日本語翻訳して海賊版としてアップしているサイト」ってのはあまりないよね。

 

たまにあるのが海外ゲーム翻訳パッチか。でも他の言語と比べて全然活発ではない。これ面白そうってなっても日本語だけ見つからないって多いしね。

 

映画ファンサブは一時期は活況で、何でもかんでもオールマイティに有志が翻訳していたけど、警察翻訳者逮捕し始めて完全に下火になった。

 

一方で過去にも全然ないのがコミック分野で、アメコミでもバンド・デシネでもマンファでも吹き出しが日本語翻訳された海賊版を一度も見たことがない。日本漫画英語スペイン語中国語韓国語アラビア語…とあらゆる言語翻訳されて吹き出しに収められた海賊版が見つかるのに。

 

ここから推測できるのは、

日本オタク海外に出ていくバイタリティがない下層がほとんど

日本オタク語学力技術がない

日本オタク語学技術を学べない社会的貧困層

日本オタク環境をよくしようという努力をしない

 

ということなどで、ああ、これは今後もあらゆる面で中国でも他の国にでも負け続けるわって思った。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん