はてなキーワード: 不利益とは
オープンレター問題は「人文学」という主語で語られがちだが、オープンレターの発起人の出身大学が非常に偏っていることが気になる。
現在残っている発起人のうち、「人文学者」と呼べそうな大学教員、研究者をピックアップして、その出身大学を記すと、以下のようになる。
清水晶子氏→東京大学/ウェールズ大学卒、ウェールズ大学大学院修了
※上記はresearchmapおよびWikipediaを参照して作成している。
小宮氏、三木氏、山口氏を除いて、全員が東京大学の学部か院を出ている。
このような偏りは、東京大学が最も偏差値の高い日本の大学であるからして、東京大学出身の研究者の母数が多い、という話では説明できない。
多いと言ったって、東大は1つ、その他に研究者を輩出してきた大学は20や30はある。40や50くらいあるかもしれない。これらの大学出身者がほとんど含まれないのは、多様性やグローバル化を率先して推進してきた人々のコミュニティの形態としては極めて不自然である。
オープンレター発起人の中には、グローバルな視野を強調する研究者もいるが、オープンレター発起人のメンバーからは、そのようなグローバルさは感じられないし、むしろ内輪の狭いコミュニティですべてがまわっている印象を受けざるをえない。
(ちなみに、オープンレターに名前の挙がっている呉座勇一氏も東京大学出身であり、この度の騒動の中心人物はみな東京大学関係者だったりする。)
東京大学出身の研究者がやや特別な地位にあることは、特に根拠を示す必要を感じないので示さないが、人文学系学界では周知のことと言える。
東京大学は、「植民地」と呼ばれる非常勤先や就職先を多数確保しており、東大出身者を、研究能力とは別の力学で、優先してそこに就職させてきた。
(京都大学も当然同様の要素があるが、やっぱり「強い」のは東大だ。ただ、この強弱は分野によって違うかもしれない。)
そして、そのような天下りともいえるポストをゲットしても、それを天下り、既得権益、つまり特権とは思わず、私は東大出身で優秀だからポストを獲得できたんだ、という思考回路に陥る大学教員がたくさんいるのである。彼らの中には、東大が最も優れた大学であり、東大以外の大学出身者は「東大に入れなかった人である」、と信じている者もまれではない。そして、自分たちは偉いと信じている。このことはまったく証明する必要を感じない、周知の事実である。
東京大学出身の研究者は多く、当然のことながら、非常に尊敬できる、素晴らしい人格を持った大学教員はもちろんたくさんいる。
しかし、このような素晴らしい人格をもった東大出身の大学教員は、上記のような現状を決して否定しないであろう。
このような現状は、女性差別的なアカデミズムの慣例と同じくらい、負の影響をアカデミズムにもたらしている、このことも周知の事実だろう。
しかし、このような、誰の目にも明らかな問題構造については、誰も批判しないし、できないのである。
オープンレターが掲げた志は理解できるが、東大集団にいわれてもシラける、というのがオープンレターを読んだ初見の感想だ。
理系の状況はわからないが、おそらく似たような構造があるのではないだろうか。
つまり、オープンレターで明らかになった大学教員の醜態は、人文学者の醜態というより、東大をめぐるアカデミズムの権威主義という、文理問わず共通の、醜い醜い構造があらわになったものなのではないだろうか。
人文学ではなく、東京大学をめぐる力学を、ほかならぬ東大出身者が自省して自浄してほしい。
他大学出身者は、それこそハラスメントや今後の不利益を考慮すると、それを成すのにあなたたちの100倍勇気が必要なのだから。
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/dl/shidou_kansa_10.pdf
「歯科 距離制限」とかで検索してみたけれど、訪問診療の場合しか出てこなかった
薬事法の距離制限については確かにおかしいと思ったし違憲判決は妥当だと思ったけどさ
それって薬局の仕事が医師の処方に従って薬を出す事や市販薬を売る事、食品や日用品など薬以外の製品を売る事という、全国何処でも等しく提供出来る業務だからだよね
まあ、値引きの有無とかで多少の違いこそあるけれど、肝心の薬の品質などに直結する訳ではない
つまり狭い範囲で薬局が濫立したとしても、薬局の経営側にとって経営難になるという不利益が生じるおそれはあるけれど顧客・患者にとっては特に不利益はない
でも歯医者の場合薬局とは違って、狭い範囲に濫立されても患者にとっては別に自由に選べる訳じゃないんだよね
だって患者からしたらより腕の良い歯医者、信頼のおける歯医者を求めているんだから
沢山あって嬉しい!好きなように選べて嬉しい!とは全くならない訳で…
より家の近くにある歯医者とちょっと遠い歯医者とで、ちょっと遠い歯医者の方が腕が良ければそっちに行くし
自由診療で値段が多少高かったとしても確実にまともな治療を受けられるならばそっちに行く
しかも問題は本当のところどっちが良いのかは分からないって事だよ、何処もWebサイトじゃ他と比較しての美辞麗句ばかり並べているし口コミだってあてにならない
歯医者の数だけ多くても患者にとっては迷うだけで何もメリットがない
何処の歯医者が良いのか確かめるために複数の歯医者に行っていたら、その分医療費も嵩んで健康保険料全体への負担も増える
結局狭い範囲に濫立しても問題がないものって、薬局やコンビニのように全国どこでも同じ内容のサービスや商品を提供出来て違いは立地と値段くらいしかないものか
黒人差別に立ち上がった黒人達は、黒人差別によって不利益を被る側だったから、それをどうにかしろと活動した。
その黒人達にとって、アジア人差別は便利なものだから、アジア人差別を止める気にはならなかった。
[共同所有自己申告税+フレキシキュリティー、解雇規制、アメリカ、デンマーク、ドイツ、イタリア、日本
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A0%E3%81%AE%E6%89%80%E5%BE%97%E7%A8%8E
イギリスの億万長者54人の資産合計は18兆9000億円であるのにもかかわらず、
うち32人は所得税をまったく納めていない。
英国の高齢化社会への対応には富への課税を、シンクタンクが指摘
Tax wealth to pay for ageing UK population, says thinktank
ttps://www.theguardian.com/business/2022/feb/10/tax-wealth-to-pay-for-ageing-uk-population-says-thinktank
信賞必罰
(解雇)
第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
43年間(22才から65才まで)解雇が出来ないと、正社員は最小限しか雇わない。
不利益変更法理によって給料を下げる事が難しく、解雇規制によって43年間(22才から65才まで)解雇が出来ないと、昇給は最小限になる。
第七百七十条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
2 裁判所は、前項第一号から第四号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。
日本企業の給料が低いのは、社員を解雇できないから。「雇用」より「人」を守れ。
「日本企業は解雇が難しく、なおかつ不利益変更と言って急激な給与の引き下げも難しいため、業績が悪化した時の事を考えて給与の引き上げには慎重にならざるを得ない。」
「雇用調整を解雇ではなく低賃金や転勤、長時間労働で行っているのが日本企業ということになる。」
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2F%3Fp%3D51515
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。
某氏は、最近はあまりないけれど、もともと時事ニュースなどにフェミ視点で極論をよく言う人だった。背景の裏を取ったりもせず瞬発力で発言していた。そしてその発言に反論されると正面から意見を闘わせず、マウントとったり本筋以外の言葉にひたすらつっかかったりする。冷笑系といったレッテル貼りもする。だから有意義な対話にはならず、反論する側は議論から離脱して、別の場所でつい強い言葉で批判したり、揶揄したりしてしまう。
某氏はその批判や揶揄を見逃さず、誹謗中傷やハラスメントを受けたとアピールする。前段を知らない人たちからは、女性がいきなり陰口を言われたように見えるので同情が集まる。考えてみてほしいのだが、ネットで見たり会話しただけの直接関係性のない女性にいきなり陰口を言う(それなりの肩書を持った)人なんてまずいない。
ネットのケンカは建前とその副次的効果を使い分けるのが重要で、本人以外の人たちが憤って炎上したり、対立する相手に不利益が起こることを十分わかった上で、本人は純粋に被害を訴えるだけの建前を保つ。この技の使い手は今回の人以外にも多い。一見すると崇高な理念のオープンレターに、サブリミナルのように14個もの呉座氏の名前が埋め込まれているのもこれだ。誹謗中傷をやめてほしいという本人宛の内容証明の宛先がわからないからといって職場に送るのも建前としては成立するが、本人に読ませるだけならDMでもいいので、職場宛に送ったときの副次的効果を当然ねらったはずだ。
これは一種のハメ技なのでどうすることもできない。熱くなってうかつなことを言えば、その落ち度を決して見逃さず秒殺されるので1対1ではまず勝ち目がない。ケンカ最強たる所以である。
テニスは全く知らんが国際大会に反ワクチンのトップランカーが参加できないんでしょ。
ワクチン打たないのはまぁ、百歩譲って構わんが(本当は公衆衛生の観点から打てよとは思う)それに伴う不利益を享受するのは嫌だと仰っているようで、我儘ボーイですね。
「彼は尊敬すべき真の戦士だ」などと他のプレイヤーも彼に対する一定の擁護、というより生ぬるい視線に込めた同情だな。を寄せているらしい。
戦士ならなんとしても自らの思いを遂げろとも思うわけだよ。
失笑に見送られ、失望しつつオーストラリアを去るのではまるで負け犬ではないか。
彼の国には日本の法制度に失望し、逃走をなした大馬鹿者がいる。
ジョコビッチさんは彼の元を訪れ「例のスーツケースを貸してくれ」と頭を下げなさい。
そうして、それに入ってオーストラリアに入国し、テニスルックで当たり前の顔をしてコートで待っていればいい。
「俺はここにいる。観客が見たいのは世界ランク150位のプレーか、俺のプレーか?」と問えば誰もが君のプレーだと言うだろう。
それはそれとして、すげー問題になるだろうし二度とオーストラリアの地は踏めまいが(さすがにあのスーツケースも返却はされまい)おずおずと去るのを戦士のプライドが許すのか?
みっともない敗北よりは大損を被っても戦い、排除される方が他者に敬われる戦士じゃないのか?
あがけよジョコビッチ!
吉田秋生の歴史知らないとホモホモしく感じるのも無理ないよなぁ。
吉田秋生はBANANAFIAH連載より前のウーマンリブ真っ最中の時代に、女が女というだけで不利益を被る事なんかをテーマに「吉祥天女」っていう漫画を描いてるんだよね。吉祥天女読んだことある奴なら皆わかるんだけBANANAFISHの「アッシュ」って吉祥天女の「小夜子」とほとんど同じなんだわ。
今のはてなでよくある「女は性的搾取される」っていう言説に対して90年代に吉田秋生が「男だって性的搾取されるよ」って描いてんのがBANANA FISHなんだよね。(主人公のアッシュは番外編で男のみならずゴルツィネの雇った女講師からも性的暴行を受けてる)
吉祥天女でも小夜子の心の支えになっていたのは住む世界が違う同性の女の子だったから、BANANA FISHのアッシュの心の支えになってたのは日本に住む英二っていうのはその時の流れを汲んでるんだよね。
だからそこだけ切り抜くとホモホモしく感じるのもわかる。俺はホモホモしく感じるよりも悪い意味で都合のいい展開とか後付設定が気持ち悪く感じたわ。野球監督から性的暴行受けてたはずのアッシュが家出した先でマフィアのホモボスに目つけられる設定とか、終盤のアッシュの北斗神拳とかあんなに強かったら序盤のバーの襲撃の時すぐ鎮圧出来きてスキップ死ななかったろ……。