はてなキーワード: 上前とは
ずっと探している記事がある。
-たぶん1980年代後半のどこかで読んだ。遅くとも90年代頭。
-たぶんファミマガとかファミコン必勝本とかの、ファミコン雑誌に載っていた記事
-ソースが溢れやすくて口が汚れるのを気にせずモスバーガーを食べる様がシズル感溢れる筆致で描かれていた
-一人称で書かれていた
当時まだモスバーガーは自分の住んでいた地域には無くて、憧れを募らせたのを覚えている。
その頃の想像の中のモスバーガーの輝きは未だに色あせてなくて、今でもモスバーガーを食べる度に思い出す。あの記事にもう一度会いたい。
ありがとうありがとう。当該ツイート教えてくれた人、色々コメントくれた人。
99%このファミマガの記事です。100%ではないのは、自分の記憶ではページ丸々文章とモスバーガーの絵か何かで占められてて、もっと文学的というかエッセイ的で、ツイートにあるようなゴチャゴチャした紙面じゃなかったんだけど、これはたぶん印象に残った部分だけで記憶が改編されたんだと思う。30年以上前だし。
ブコメに書いてあって「そうそう!!」ってなったのは「紙ナプキンをふんだんに使う」って書いてあったって点。
それが新しい未知のものである感じを助長していて、大いに憧れを煽られたんだよね。
あと驚いたのは、あの記事が印象に残っている人が結構たくさんいそうな点。自分だけじゃなかったのがわかって嬉しい。
30年以上前の趣味系一雑誌の隅っこの記事がここまでのインパクトを持てたのは、モスバーガーそのものの魅力と、ライターさんの素晴らしい文章の力だと思う。
久々に良いインターネットを体験しました。ありがとうございました。
記事全文読みたい。
記事へのコメントのコメントで、「もっとエッセイっぽい記事だった」と言っている人がいて、自分の記憶が正しいのかもとも思いはじめました。
引き続き、ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
最近見るツイステディズニー関連のお気持ちは煮凝りみたいで濃厚でとても大好き。
そんな私もツイステユーザー。ディズニーは有名なやつだけ観てます勢で、お気持ちの中にも「わかるわ〜」ってのもある。だけど私がひとつだけ、どんだけ考えてみてもわからないお気持ちがある。
それが、
「Dヴィランズのグッズをツイステ概念って言わないでください!」
ってやつ。
なんで?
いや、例えばね、Dヴィランズのグッズを見て「これはツイステのグッズ!」って言い張るオタクがいたら怒っていい。私だってライトだけどスカー好きからツイステ始めたから。それは腹立ちますよね。元のキャラクターの存在丸無視してそんなこと言われたら怒る。わかる。
けど、「これはヴィランズグッズだからツイステ概念」っていうのは別に……よくない?
いや、だって仕方なくない?だって元になっててイメージ・インスピレーションがDヴィランズから来てる以上概念を感じるのは仕方なくない?
だって、ツイステキャラってDヴィランズたちの概念を元にして作られたんじゃないんですか?
いやごめんなほんとに。
けどここだけどうしてもわからなくて。
例えば、私が知ってる「原作、モデルのいるキャラクターを元にして別作品にしている」という例は、現代版シャーロック・ホームズの『SHERLOCK』くらいなんだけど。(作中で元のキャラクターと同じ名前である、という点でツイステとは異なるんだが、あくまで原作はあるけど作品は別物、出てくるキャラも原作キャラをモデルにした別人であるという点では一緒なので)
「ヴィランズグッズをツイステ概念って言うのやめてくださいぴえん」は、この例で言うと「シャーロック・ホームズのグッズをSHERLOCK概念っていうのやめてくださいぴえん」になると思うんだけど。
無茶じゃないですか?
いや、シャーロック・ホームズガチの方々の中にはそう思われてる人もね、いるかもしれませんよ。
スポーツカー爆走させるハドソン夫人も実は元殺し屋のワトソン夫人(メアリー)も「お前は何人殺ったんだ?」みたいな怒った時の顔がちょっとハリネズミみたいなジョン・ワトソン(大好き😘)も、原作大好きオタにしてみたら気に入らないかもしれないけど。
仕方ねーじゃん。モデルだもん……。
あと、それに伴って「概念だと思っていいけど言わないでほしい」「思っても言わないのがマナー。ヴィランズ好きに失礼」っていうのも見たんだけど、それについてもよくわからなくて。
というのも、オタク界隈で出てくるマナーって正直、公式アナウンスとnmmnマナー以外は「自分が不快だからやらないでほしい」って気持ちを「マナー」っていう「従わないと悪になる」便利な言葉で綺麗に化粧してるだけだと思ってるんで。
ネットの海を漂うと、自分の見たくない意見は当然見ることになる。それを見ないためにSNS運営側はブロック、ミュート機能をつけてくれてるわけじゃないですか。
「言わないでください」
ってツイートしてるその指のタップでブロックなりミュートなりすればいいんです。なぜ自分で環境を変えようとせずに周りに変わってもらおうとするんだろう。
グッズについても一個ついでにお気持ちさせてもらうと、
「パークに痛バ持ってこないでください」
いや、ちょっとはわかるよ。痛バ使ってる人見た時のちょっとビックリする気持ちわかる。あるよね。
「パークに痛バ持ってこないでください、ここはイベント会場ではありません」という注意喚起を見たんだけど
「では日常的に痛バをご利用の方はいかがでしょうか」と言いたくなる。
ようは
「なぜ公式が禁止してない個人の趣味、生活についてただのファンが口出しするんですか?」という疑問です。
いや、たまに街中で見かけるじゃないですか。痛バ。
私はグッズ買うならほのかに匂う程度(公式じゃないアクセサリーとか)のものしか買わないので、痛バを持つ方々の気持ちはわかりかねますけど、痛バってイベント会場以外でも使ってる人たまにいるよね。
大学のとき、同じ講義に毎度ロリータ服着てオタクグッズつけてた女性いらっしゃったけど、彼女の場合はその格好が普段着みたいだったんですね。たまたま駅で見かけたときもおんなじ格好してたので。
「パークに痛バ持ってこないでください。夢の国の景観が損なわれます」ってのは差し詰め
まぁ、確かに景観は損なわれるかと思いますけど、別に神社仏閣側が禁止してない以上は私からは何もいえんですよ。
確かに神社仏閣に痛バ持ってきたりぬいぐるみ持ってきたりロリータ服着てきたりする人見かけるときありますけど、けどそれって個人の自由なんですよね。施設側がダメって言ってること(大声で騒ぐとか、写真とか)さえ守ってればこっちに文句言う権利はないわけです。
それはきっと夢の国パークでも同じことでしょう。夢の国が痛バだめだよって言ってないなら、もう一客人である人たちには何も言えないわけです。(ロリータ服がコスプレにあたるかについては、なかなか賛否がわかれるとは思いますけど、某フリフリのブランドから出た服着て文句言われても困るだろうなとは思います)
ただ、「痛バは固い素材もあるから小さな子に対して危険だから避けましょう!」の注意喚起はとても好きです。理由が明確で誰に対しての配慮かがわかるので。
長くなったし脱線もしたけど、私からすると、概念グッズも痛バどっちのお気持ちも「私が不快なのでやめてください」以上の理由が見えないのでお気持ち汲み取れないんですよ。まぁだからお気持ちなんだよな。汲み取らなくていいんだよな。私はバキュームカーか何かかな?(急に冷静になった)
痛バ云々の注意喚起については、マナーとかいう綺麗な言葉で自己防衛せずにハッキリ言ったらいいと思いますよ。
「私がお金払ってせっかくパーク楽しみにしてたのに痛バ見て気分悪くなるの嫌だから持ってくるな」って。現実世界はミュートブロックできないから、呼びかける行為はいいと思うよ。けどオブラートに包むとね、何言ってんだってなるから。
「痛バは固い素材だから小さいお子様には危険なので」とか、そういった理由がない限り、お為ごかし言ってるようにしか思えないからね。
ここまで書いたけど私は前述の通り「ディズニー作品は有名なやつしか見てないツイステユーザー」「グッズは匂わせる程度のものしか買わない」なうえ、追記すると、「夢の国には10年以上前に一回しか行ったことない人」なので、完全にアウェーなところからこれ書いてます。
ビ二ール袋オナ二ーは10年以上前に2chの一部スレッドで話題になった方法だ。雨の日に設置された傘用のビ二ール袋セットマシーンを見て、そういえばそんな方法もあったなと思い出した。
当時はオナホがまだ発展途上だったし大人のおもちゃも密林(死語)から買えるようなものじゃなかった。だから性に貪欲な有志達は、片栗粉や蒟蒻といった身の回りにあるものを加工して使った。加工しなければ使えないから、どれも創意工夫に溢れていた。あれを使うと気持ちいいとかどうやって加工するのかとか有益な情報は全て2chに集まっていた。なかにはそれほど気持ち良くないものや下準備に苦労するものもあった。でもそんな苦労を楽しんでいたように思う。Do It Yourself(激ウマ表現)のスピリッツがそこに確かにあった。
玉石混交な情報の中でもビ二ール袋オナ二ーは極めて優秀だ。筒状に加工したビニール袋に空気やぬるま湯を入れだけで準備が整う。傘用のビニール袋を使った方が手っ取り早い。衛生的にも入手性的にもホームセンターで買った方がよい。正直言葉では表現しづらいからググッて試してもらった方がわかりやすい。幸いビ二ール袋オナ二ーのスレッドはまだ5chに残っている。叡智と歴史が詰まっている。だが、もう2年更新がない。いつかは消えてしまうのだろう。文化が消える。少し寂しい。でもこれでよいのだろう。人間が人の生き死にを自由にしようなんておこがましいは思わんかね、って手塚先生が言ってた。サンキューBJ。
Black Lives Matter運動、違和感がありつつもうまく言語化できなかったんだけど、色々読んでいくうちに違和感の正体がわかった気がした。
たとえばロヒンギャへの支援を訴える運動は、ビルマ政府のロヒンギャ弾圧はひどいよね! ビルマに圧力をかけてロヒンギャ弾圧をやめさせよう! というものであり、世界中でひどい扱いを受けているイスラーム教徒として連帯しよう! みたいな運動ではない。
ウイグル人やチベット人の抑圧を訴える人たちも、中国政府の扱いはひどい、中国政府は弾圧をやめろ、と言っているのであって、全世界的に仏教徒やテュルク系民族は弾圧されてる! ということが言いたいのではない。
本来、Black Lives Matterもそういう運動、つまりアメリカの黒人はアメリカ政府やアメリカの警察に弾圧されている、アメリカ政府ひどいよね、世界のみんな、アメリカに圧力をかけてくれ! という話だったらよく理解できるんだよね。
でも、全世界的に黒人がひどい扱いを受けてる! それぞれの国でBlack Lives Matterを叫ぼう! 日本でもBlack Lives Matterのデモをしよう! って言われると、は? ってなる。
確かに日本にも黒人差別はあるし、オコエ瑠偉とか大坂なおみとかが差別された体験を語ってるから、日本にそんな問題はない! って言うつもりは毛頭ないけど、警察官が特定人種ばかり狙って射殺してくるとか、無抵抗の被疑者の首を押さえつけて窒息死させたとか、若い黒人男性が刑務所にブチ込まれまくってて黒人コミュニティが崩壊してるとか、そんなんはアメリカだけの問題だろ!
10年以上前にFree Tibetが盛り上がってて日本でもデモをやってたけど、あれは中国はチベット人への弾圧をやめろ! 日本からも中国に圧力をかけるのを手伝うぞ! という運動であって、日本のチベット人差別はけしからん! という訴えではなかった。
でもBlack Lives Matterは、少なくとも東京で行われたデモは、アメリカは黒人差別をやめろ! 日本からもアメリカの警察に圧力をかけるぞ! という運動ではなく、日本の黒人差別はけしからん! という運動になっている。
なんかおかしくね?
なんでアメリカ人って自分たちの問題=世界の問題だって思い込んじゃうの?
こういう、自分たちの問題=世界の問題、アメリカの差別事情=世界の差別事情だって思い込むアメリカ人の自己中心性っていうかアメリカ中心主義、見事にアメリカおよび英語圏の持ってる権力に由来するものだし、非英語圏出身のアジア人からすると「け、権力勾配~~~!!!」って感じがすごいするんだよね。
ローカル事情を自分たちの母語で叫んでるだけで全世界に訴えを聞いてもらえる身分の人たち、肌が白いか黒いかを問わず普通に特権階級だと思うんだけど、どうも連中にはその自覚がないらしい。
まずは自分たちの特権を自覚したらいかが? 日頃自分で言ってることなんだからできるでしょ? としか言えない。
それでもってそのローカル事情に基づいて出来上がったローカル基準をまるでグローバルスタンダードみたいな風に装って他国にも押し付けてくるし、押し付けることのできる権力を持ってるわけでしょ。アメリカ人が自国内でブラックフェイスをタブーにしてる分には知ったこっちゃないけど、全然文脈が違う日本にそれを持ち込んで、褐色キャラのコスをするレイヤーさんに文句つけてるのとかもうわけがわからんよ。
繰り返しになるけど、日本にも黒人差別はあるし、それは是正されるべきですよ。でもそれはアメリカにある差別とは違うものだし(日本の方がマシと言いたいんじゃなくて、歴史的背景も社会の人種間関係も違うんだから当然問題点も処方箋も違ってくるでしょという話)、アメリカ大使館に向けてならともかく日本社会に向けてBlack Lives MatterとかI Can't Breatheとか言われても日本の警察に捕まった外国人はちゃんと息しとるわお前らの国の警察とは違うんじゃという話になるわけで(日本の警察の人質司法や外国人差別を無視していいとは言ってない)。
というか日本では白人も「ガイジン」として差別されてて、黒人とのハーフだけじゃなく白人とのハーフだっていじめやからかいの対象になるんだから、日本の黒人は日本の白人と連帯して非日系のエスニック・グループとして日本人による差別と闘った方がいいんじゃねーのと思うんだけど、まあ彼らは“全世界的な白人至上主義”(これ指を頭の横でクイクイしながら言うフレーズね)と闘う方が重要らしいから、白人と「同じマイノリティ」として連帯する気はなさそう。あのね、知らなかったかもしれないけどこの日本では白人もマイノリティなんだわ。お前らの国のローカルな人種間関係を無邪気にヨソの国に適用するのやめてくんない? というか、グローバルな白人支配を問題にするなら、まずその英語帝国主義をやめてくれない? っていう話。
東京のローカルニュースでもそれに価値があるなら全国放送で流せばいいと思うし(たとえば、香港やパレスチナや西パプアの弾圧もローカルニュースだけど、国際的に注目されるべき人権問題だよね)、災害とかで都民が苦しんでいるなら「都民がんばれ!」みたいなムーブメントが起きてもいいと思うんだけど、都知事や都庁だけがめっちゃ腐敗してるという話なのに、「都庁けしからん」ではなく「日本の政治腐敗は深刻で」みたいな話にされたり、東京だけが被災した災害で「がんばろう日本」ってスローガンが掲げられたら他地方の人はカチンと来るよね、という話。
記憶がない頃から絵を描くことが好きで、ずっと絵を描いてきた。
アルバムの写真の私はいつも磁石の描いて消せるお絵かきボードに描いた絵を誇らしげにカメラに向けていた。
別に上手くもないし、美術の道に進んだ訳でもないし、同人誌を作るほどの才能もない。
でも小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、社会人になっても、その時々に好きな漫画の絵をかいていた。
昔ならこんなに絵をかいていないなんて事がなかった。
高校生になって、社会人になって、昔一緒に絵をかいていた友達たちがあまり絵をかかなくなっても、私は変わらずネットでみるファンアートをいくつになったって描き続ける人達のように死ぬまで好きなものをかくんだと思った。
社会人何年目かに、ある歌手グループを好きになって漫画よりもそのグループのMVだったり出演してる映画だったり、そっちをチェックする方が漫画を読むより今の自分の中では楽しくなった。
でも上手く書けない。似ない。納得がいかない。
漫画の絵を真似するよりも、人間を自分の絵に落とし込む事が難しい。
漫画に比べて周りのファンアートを描く母数もものすごい減った。
絵をかく頻度が下がった。
でも漫画にしろ、なんにしろ、絵がとてつもなく上手い人はそもそもの基礎がある。
美術の学校や予備校に通って、基礎を身につけているから何を描かせても上手い。
漫画家だってきっと人物のデッサンから始まって、それをイラストに落とし込んで描いている。
だから私は美大の予備校をやっている絵画教室の、大人向けのカルチャークラブに仕事終わりに通った。
転職に伴う引越しがあって、長く通えなかったけど1年ちょっと通った。
行けば「お金を払ってテーマを決められて、絵をかかなければいけない時間」があって、先生が指摘してくれた所を直せば自分一人でかくよりうんと見栄えがよくなる。
でも家で絵をかく時間が目に見えて減っていたから、絵をかかない自分を誤魔化すために通っていたような気もする。
もちろんなんの才能もない私は1年ちょっとデッサン教室に月2回とか通ったからと言って抜群に絵が上手くなる事も、基礎をガッチリ身につけることもなかった。
また新しい絵画教室に通ったり、自ら進んでもっとちゃんと知識や技術を身につける勉強をすれば楽しく好きなグループの似顔絵を頻繁にかけるようになるのだろうか。
引越しに伴って一人暮らしを始めた私は絵画教室に通う月謝が勿体無いと思い始めている。
このまま絵を描かない方の人間になるのだろうか。
また何かの漫画やアニメにはまれば絵を描く人間に私は戻るのだろうか。
なんだか絵を描く気力がないし、何もアイデアが浮かばない私というのは、持っていた何かをひとつ失くしてしまったようで寂しい。
ゲイその人からも「BLを見て目覚めた」などと好意的に受け止めているものが多々見受けられるほど、
BLは「現実のマイノリティから乖離していない、本人でも納得がいくくらい取材が成り立っている」ものなんじゃないかな
もちぎさんとか一緒の世代で一緒にBL買ってたんだろうなって思うとなんか同士としての心強さがある
好きなヘテロ男に傷つけられたらいくら好きでもイヤだというか好きな分だけ余計傷つくよね、という「よりそい」が前提にあるから
伊藤詩織さん「女子高生時代、クラスメイトは毎日精液かけられたりスカート切られてた」
differential 毎日かはわからないけど、全然珍しいことではなかったよ。あと私は高校生の時、毎日痴漢?のオッサンにつけまわされてたことあるよ、1ヶ月近く、車両変えても電車変えてもだめだったよ。
BaBo 毎日かどうかは知らないけど山手線では良くあったよ。
araikacang 20年以上前、埼京線率高い都内校。中高6年でクラスの人から直接聞いた被害は痴漢ほぼ毎日、精液2件、スカート切り1件、スカート内盗撮1件、「3万でどう?」系3件。自分が聞いてない案件も沢山あるはず。
mouseion 大阪でも環状線で同様の事件で記事出まくってるが?そんな時代を、全国的に社会問題にもなったのに知らないってネトウヨさん一体どこの国の出身なんだ?
伊藤詩織さんは神奈川県出身で1989年生なので、2004年度から2006年度まで高校生だったと考えられます。2005年5月9日 埼京線など多くの首都圏の鉄道路線に女性専用車両を一斉導入、とあるので、高校2年生から女性専用車両が利用できた可能性があります。
そこで質問なのですが、id:araikacang さんのような女性専用車両導入前の20年前ではなく、女性専用車両があっても、伊藤詩織さんや同級生、id:differential さんたちは、毎日のように被害に会ってしまうのでしょうか?それとも、山手線のような女性専用車両が導入されていない電車を利用していた場合に限定された話なのでしょうか?
それはもう十年以上前の話だ。
僕は朝五時には起きて、五時半くらいに家を出て、五時四十分くらいの電車に掛け乗り、そこから乗り継ぐこと約2時間という結構な通勤時間でとある職場に毎日出勤している生活だった。
そこへ行くには、電車のパターンが幾つかあって、一番早いのであれば一時間二十分で着く。
どうしてそれを選ばなかったかと言うと、ある路線を使うと非常に快適に通勤出来るからであった。
それは特急列車で、ゆったりした座席があり、しかも特急料金がないのである。
毎日ほぼ同じ時間の特急を利用していたのだけれど、朝は同じ人が乗り込むことが多いので、曜日に寄ってはやたらめったら会話をする人がいたりするわけだ。
それで、そういう乗客とかち合わないように、曜日によって時間を変えたり色々工夫して快適になり始めた半年くらいたった頃。
どういうわけだか知らんが、なぜかそんな風に時間をずらしても、いっつも同じ時間帯の列車に乗ってくるある一人の四十代後半くらいの男性がいた。
敢えて表現すると、頭がうっすらはげたメガネを掛けた背が低めの小太りのサラリーマン風のおっさんである。
別に、特にそれが目立つと言うよりはむしろ雑踏にいたら誰も気付かないようなおっさんである。
でも奇妙なことに、何故かいっつも一両か二両くらい、あるいは同じ車両に乗り込むプラットホームの待機ポジションにいるのである。
余りにいつもいるので、二ヶ月くらいそれが続いて、正直気味が悪くなってきた。
こっちは一定ではなく、ランダムに時間を変えているのに、である。
そのうえどうやったらそんなピッタリ時間を合わせられるのか、まるで理解できない。
ほんとに気味が悪くなって、敢えて三十分くらいずらしたら、その時はいなかった。
また路線を変えても現れない。
ストーカーされてるわけでもないんだなぁと思って、元の時間に戻したら、ふと気付いたらまたいるのである。
何なんだあれ? と思ったけれど、一旦無視することにした。
でもそのうちあまり気にならなくなり、慣れてしまって、そして通勤し始めて一年くらい経ったときのことである。
たまーに、だけどいないことは確かにあった。ほんの数回だとは思うけど、あるにはあった。
でも別にそれを不思議に思ったり、心配したり、あるいはその逆にホッとしたこともない。
但し、いないならいないで、「今日はおっさんいないんだな」くらいには思っていた。
で、ほんの少しくらいはあたりを見渡していないことを確認する癖がついていた。
だってねぇ、慣れたっつってもやはり気味が悪いことには違いないから。
だから、おっさんに対する意識はあったのだけど、この日は全く不意を疲れた。
電車に乗り込んでも、僕はいつものように辺りを見渡すことをしなかったのである。
全く度肝を抜かれるほどびっくりした。
なんとそのおっさん、僕が座ろうとしたボックスシートの窓際の席に既にいたのである。
本気で心臓が飛び出るかと思った。
一体いつそこに座ったんだ? と。
でもその前も横も後ろも、続々と座席は埋まっていて、座る席はそのおっさんの通路側しかなかったので、そこに腰を下ろすしかない。
今更次の電車を狙うこともバカバカしいし、僕はおっさんの席の隣りに座ったのである。
そして気味悪い独り言をずっと聞かされる羽目になったのだ。
別に、全然顔見知りでもないので、特に何も話すこともなく、向こうから話しかけてくることもなければ、視線も合わさなかったのだけど、電車が動き出して十分程経ち、
(? このぶつぶつ誰かが喋っているような喋ってないようなこの音は一体どこから聞こえてくるんだ?)と。
どうも窓の外からか、ガラスに何かぶつかってでもいるのかと思ったら、その窓の方を向いておっさんが独り言をずっとブツブツ言っているのだ。
余りに小さな声で、しかし、電車の音に紛れて聞こえないほどでもないくらいの、ギリギリの小さな声で一人つぶやくそのおっさん。
気になって眠れやしない、延々それが止まらない。
あんな気味悪い思いしたのはあの時一回だけなんだけど、とにかくずーーーーーっと、何か日本語のようなものをつぶやく。
でも全然判読できない。
しかし、どうも抑揚だけはあり、聞いてたらそれに慣れてきて、到着駅に着く二つか三つ前の駅で、ほんの僅かだけ聞き取れたのだ。
それは言葉はもう忘れてしまったけど、文字にして数十文字くらいの文章だった。どうも何かに書かれたストーリーのようなものだった。
そして、いつのものように、おっさんは僕よりはまだ先の駅で降りることは知っていたので、僕だけが降りたのであった。
ところが、だ、その日以来、おっさんと会うことは一度もなく現在に至る。
意味がわからない。ともかく、多少は気になりつつも、別に寂しいと思うわけでもなく、物足りなさもなく、そのまま残り三年くらいでそこの職場への通勤を終えた。
僕は文学者でも小説好きでも何でもないので、全然知らなかったのだけど、おっさん遭わなくなって一週間くらいかなぁ、経った時にその言葉をネットで調べたのである。
今はもう覚えていないが、確か、
・今月今夜のこの月を〜涙で曇らせてみせる
みたいな、セリフっぽいものだった。金色夜叉なんかその後も読みもしていないけど。
今でもその意味不明な記憶が頭から離れずこうやって時々思い出す。
あのおっさん、一体何だったんだろう?
とか自分のSNSとかで書くと、こいつマウントかよと思われてか面倒なので、ここに書く。
最近、多少なりともお金が稼げるようになり、高いものをあえて買うようになった。
21萬円超也
その理由は、マウント取りたいというのもちょっとあるが、高い買い物でも高級品と言われる様な「良いもの」を買った方が、長持ちするし、長く使えるので結果的には低コストになる。という考え方からだ。
特に自分の体に長く触れるものはなおさらで、肌感覚とか、音とか、疲労感とか、使い心地を考えると、多少高くてもとにかく良いものを。と考える様になった。
特に起きてる時間の大半は椅子に座る生活なので、良い椅子は腰を守り整体費用や医療費を抑え、日々のQOLも上がる。良いものを使っている事による満足感もずっと持続する。
同じ理由で、寝具やキーボードも最近、良いものを揃える様になった。
実はアーロンチェアに座るのは今回が初めてではない。10年以上前に人から譲ってもらったものに、これまでずっと座っていた。残念ながらその人の体には合わなかったそうだ。
当時は高いものに対するこだわりはあまりなく、疲れない良い感じの椅子に座れてラッキーだな。位に思っていた。
しかし、最近はこの椅子に座っていても、なんかしんどくて辛いなぁ。という状態が続き、昔のボロボロの安い事務椅子を引っ張り出して座っていた。
しかし、腐っても高級な椅子。むしろ自身の体質変化や老化等で、体に合わなくなってきたのかな?とも考え、買い替えの為、事務椅子が多くある店に行って色々座ってみた。
良いお値段の椅子に色々座ってみたが、どれも自分には馴染まなかった、デザインは凝っているのだが、座り心地や、リクライニング時のカクッっと動く感じが駄目だった。値段の割にはなぁ…という感じで、正直これならオフィスにある様な数万の事務椅子でいいやと思った位。(個人の感想です)
しかし、現行品のアーロンチェアに座ったらこれがもう一番だった。というか、今までの自分の座っていた奴が、明らかに駄目になっているのに改めて気付いた。
座り心地が明らかに違う。沈み込む感じが全くなく、もも裏の圧迫感もないし、きしみもぐらつきもない。
これまで使っていた椅子の座面のメッシュのクッションはヘタり、腰を掛けると深く沈み込んでいまい、座高をいくら調整しても、低く感じてしまう。座高を高くすると今度はヒザに近いモモの裏が圧迫されて30分もしないで痛くなっていた。腰の部分にある姿勢をサポートするパーツも壊れて何年も経つ。
購入から二十年近く経ったアーロンチェアはもはや1万円の事務椅子以下となっていたのだ。
しかし、10年以上に渡って、腰を守ってくれたと思えば安いものだと思うし、これからも守ってもらうつもり。
とはいえ、椅子の本当の良し悪しや、合う合わないは、長い時間座ってみないとわからないものなので、この文章を書きながら、もも裏の圧迫感や、腰の感覚を確認しているが、悪くない感じだ。
座ると座面の底にカツンと付く感触が無く絶妙なホールド感と浮く感じの中間にある感覚。接触面の圧迫感が分散される感じ。後方に力を入れた分だけ無段階でシームレスにリクライニングされる動き、特にきしみや音が全くないのが大変良い。どんだけ前の奴がヘタってたんだって話だが。
ちなみに店頭で購入しようと思ったが、コロナ禍の影響で、在宅ワーク関連の家具がバカ売れしたらしく、非常事態宣言中は店舗内に客が押し寄せ逆に密だったそうな。
アーロンチェアも現在在庫切れで、数か月も待たせるということだったので、仕方なくメーカーのサイトから直接購入した。店舗には悪いことをしたが、在庫がないなら仕方ない。
安倍さん界隈が私利私欲にまみれた頭おかしい連中ってのは分かりきってて、法で裁かれるべきなのは当然なんだけど
だからってアベ死ねだのヒトラーだの言ってたパヨ連中が正当化されるわけでも勝利がもたらされるわけでもないんだよ。
『5年以上前からアベの異常性を指摘してきた私達の勝利だ、これが民主主義だ。ようやく私達の時代が来る』
じゃないんだよ
マーケティングやオペレーション遂行という観点で君等は完全に敗者で一般人からしたら蚊帳の外なんだよ。そのやり方ならこれからもこの先もな。
だから君らの手柄なんて間違っても思っちゃいけないよ。だって君らの支持率上がってないでしょ?
安倍さん界隈がいずれこうなるような予感はしてたけど、それを支えてたのは批判対象を口汚く罵って一般人の態度を硬直させ続けてきた君等の責任もあるんだよ
安倍政権になって7年だっけ?権力の危険性を監視してる人たちの先見性で彼は極めて危険だというと察知するのが早かったから先に動いてたというのは認めるよ。
でもね、警察が仕事量の確保のために反社やパチンコ屋の完全な殲滅をしないのと似たような、アベさんを口汚く叩き続けてジリ貧の内部組織の結束を高めていくというある種の依存関係を保ってきたわけでしょ君たち。
それってもう完全に共犯じゃん。
だめだよ君ら。ほんとだめ。