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はてなキーワード: ルイージとは

2023-05-07

少なくともソシャゲの男女の衣装格差文句言ってる人達

マリオ映画あんな重そうなドレスで無茶なアクションをするピーチ姫を見てポリコレだなんて絶対に言えないと思うんだけどなあ

(一方マリオルイージは動きやすいつなぎ姿だし)

マリオ映画の公開前「ポリコレだ」と叩いていたオタク実在するのか?

スーパーマリオブラザーズ映画について、公開前はルイージさらわれてピーチ姫が戦うからポリコレだと叩いていたくせに公開後はポリコレじゃないからヒットしたと手の平返して主張してる、と言われてるけれど

そもそもそんな人はいた?

少なくとも私は全く見た記憶がないんだよなー

マリオ映画って、公開前はソニック比較する意見やよくあるハリウッドアニメ映画としてスルーする程度で

ポリコレだ」という叩きは全然見た記憶がない

アメリカで公開されて大ヒットという話が入ってきた後は確かにポリコレゴリ押しじゃないか流行った」という意見は増えたけど

公開前はほぼ無風だったと思う

これって水星魔女も同様で、オタク放送前は主人公の肌の色が濃いかポリコレだと叩いていたくせに放送後は手の平返して称賛してる、というツイートもよく流れてくるけれど

私は放送前にそういう叩き方をしてるオタクを見た記憶って全然ないんだよな

(もっとはっきり褐色の肌のガンダム主人公ならターンAが既にそうなので

ガンオタが今さらそれでポリコレ云々言うとは思えないし)

ちなみに「眉毛が太くて可愛くない」という意見は見た記憶があるので

自分意図的否定的意見を見ないようにしてたって訳ではないと思う

ポリコレ歴史修正は有名だけど、最近は反反ポリコレ歴史修正が目立つ

2023-05-05

マリオ映画違和感何だかなあ

何故か現実世界から始まるとか(別にマリオ映画リアル現代アメリカなんか求めてないんだが…)

マリオは何をやってもダメ父親からも見放されている、と言う設定とか(そもそもマリオに両親の設定なんてあったっけ?)

マリオがブラコン過ぎるとか

ピーチ強すぎとか(どう見てもポリコレ配慮だしもはや別人、まあ個人的には従来通りのピーチは魅力ないからこれでいいけど)

別にドンキー映画じゃないのにドンキー出張り過ぎじゃね、ルイージより目立ってたぞとか

青い星何なんだよとか(調べたけどマイナーキャラな上に元々そういう性格なわけでもないんだよね?

あれは何なんだ?子供向けの無難キャラ無難台詞しかさないなんて嫌だという製作者の自己主張か?)

ファンムービーと言う割に違和感が強くて、これ原作もっとうるさいオタク粘着してるようなコンテンツだったら炎上だろと思った

元々マリオに大して思い入れがあるわけじゃないから何か違うなーで済んだし多分大多数の観客がそうだから皆気にしてないんだろうけど

(ってか吹替版だったか子連ればっかだった、コナンに興味がない子供GW映画選択肢がこれしかないってのもあるよな)

思い入れがある人ほど解釈違い激し過ぎて受け入れられないんじゃないだろうか

それともこういう性格という設定のマリオゲームってあるの?

マリオ映画ストーリーとか批評家の話とか)

感想ネタバレなし)

映像気持ちいい

映像が良かった。このシーン、このアイテム映像解釈がこうなるのか!という驚きの連続BGM効果音のさりげないアレンジも良い。

映像テンポがよく気持ち良い。特にアクションシーン。

楽しい場面も多くて映画館で何度も笑いが漏れてた。間が絶妙なかんじ。

ピーチ姫アクションがカッコ良い。ギャルっぽい話し方に最初違和感を覚えたけど格好良いから100点満点です。

クッパが良いキャラしてる。ファンが増えそう。


ストーリーがないという議論(ややネタバレあり)

映画批評家評価が低いらしい。これはポリコレは全く無関係で、映画セオリー無視した脚本からだと思う。

映画脚本術は3幕構成とかセーブザキャットとかいろいろあるけど基本的主人公挫折するパートが必ずあるはず。

この映画普通映画にするとこんな感じになると思う(太字が改変部分)

例1)

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はピーチ姫は裏切っていた。「ごめんなさい王国を救うにはこれしかなかったの」罠にハマり捕まるマリオ

6. ルイージと力を合わせて牢を脱出クッパを倒す

例2

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はルイージが裏切っていた「いつまでも兄貴ヅラするな。僕はお前が嫌いだったんだ」ルイージに叩きのめされ失意のマリオ

6. 再び立ち上がりルイージと対決。溶岩に落ちかけたルイージの手を掴む。「お前がどう思おうと、僕にとっては弟だ」

7. 兄弟で力を合わせクッパを倒す


上の5に相当する挫折パートがないんですよね。批評家違和感を覚えるのはその辺かも。

ただ、これはファン向け映画なのでマリオキャラの仲間割れとか過度なドラマファンは求めていないと思う。だからこれで良いんだ。

いちおう、ドンキーマリオ主人公「バディとの友情としてみるとだいぶセオリー通りな感じなのですが・・・ドンキーマリオ登場人物でないからうーん???友情出演と思って見ていたのに中盤であれ?こいつシナリオ的にメインキャラだなって

マリオルイージ必死になって助けようとするのは大事な弟だからだし普通人間が化け物相手に戦おうとするんだから失敗続きの努力必要なのも必然であってそこから「お前ら簡単に諦めるな」という作り手のメッセージがあると解釈するってマジでわからん感覚やわ。受け取ってるんじゃなくて(勝手に)見出してるだけやん。

2023-05-04

マリオ映画で、なんで「アメリカ映画評論家は薄っぺらだ」と言い出したのに観客は満足したか

これ。

アカデミー賞評価の際にも色々話題になった。

ようするに「スーパーマリオ映画には、別にマイノリティが出てこないし、人種差別LGBT差別問題も出てこない」

ということ。

まりアメリカ映画評論家が突きやす社会問題投影されていないということだ。

イタリア移民白人兄弟が、勇気を出して頑張る話」

という話だ。

テーマは「家族愛」と「勇気」だった。

社会問題は一切含まれていない。

から薄っぺらだ」と言っているんだろう。

娯楽作品に何でもかんでも社会問題を入れるのは、それが作品作用することはあるが「絶対的ルール」ではない。

差別に苦しんでいる人間以外にも、娯楽作品で楽しみたいひとはいっぱいいる。

マリオルイージの住むスーパーマリオ世界は、いわゆる「バカでのろまで、失敗続きの優しい二人が、勇気を出して困難に立ち向かう」

という映画だった。

わかりやす被差別アイコンは出て来ないが、十分普遍的テーマだったと思う。

ゲイでもトランスジェンダーでも、有色人種でもないが、上手く行ってない、社会から軽んじられている二人の物語だった。

多くの観客は、それで十分。

評論家のように属性を気にしなかった。

なぜなら、その二人は、かつて自分分身として、ゲームの中で悪戦苦闘をともにしてきた、古くからの友人だからだ。

とりたてて、別の社会的な属性付与する必要はなかった。

マリオマリオルイージルイージだった。

それ以上は余計なものだった。

観客にとっては「自分分身」であり、そこには特定属性意味を成さないのだから

「ザ・スーパーマリオブラザーズムービー」の特典ガチャ要素について

この<『ザ・スーパーマリオブラザーズムービーハテナブック>は、紹介内容が異なる4種類を用意しており、おひとり様につき、4種類の中から1冊をランダムプレゼントいたします。また、それぞれの冊子にはキャラクターデザインされたステッカーも封入されており、マリオルイージピーチ姫クッパの4種類があります

こんなの、任天堂ガチファンは全種類揃えるまで通い詰めるだろうに

かつてガチャを痛烈に批判していた任天堂

看板タイトル劇場映画でこんなことをするとは

ランダム配布特典で何度も劇場に足を運ばせる

昨今のリピーター狙い撃ち商法任天堂まで手を染める

時代の移り変わりを感じる一幕である

2023-05-02

マリオ映画増田観てきたよ滝手観出す間を甲斐絵の織間(回文

おはようございます

映画スーパーマリオ観てきたわよ!

ほんと珍しく封切り当日に映画なんて観たことなかったわよ。

ってぐらい観に行こう!って映画館に飛び込み前転で行って

オープニングの前の任天堂スーパーマリオのシーエムで泣いてしまいそうなほどそんな思い入れは無いんだけど

私のスーパーマリオデビュー戦はスーパーマリオ35で

もうあれはひっちゃかめっちゃかの1-1のステージクッパが何匹もバトル勝ち残っている終盤には出てくるというカオスさがスーパーマリオなのね!って思って

Switchで色々遊べるスーパーマリオがあったのでそれで遊んでみたぐらいの私のスーパーマリオ歴なんだけどね。

なんかでもゲームの画面がそのまま動いてこれもうゲームにしても面白いのかもね!って思うぐらいなワールド

これなんかどっかで見たことあるキノコ王国!って思ったら

あれだわ、

スーパーマリオランのキノコ王国!ってあれがもっと密度ギュッキノコ王国を集めた感じの景色だったのよね。

あとマリオ普通に家族がいたのがちょっと発見で、

身内はルイージしか知らなかったのに

マリオたちの父母も出てきてて結構情報多めだわ。

ピーチ姫別にカマトトぶっているお姫様じゃなくて、

自ら文字通り私自ら出る!って勢いで戦いに行くあれファイヤーピーチになるとき服の色が変わるのが最初意味が分からなかったけど、

ああ!そう言うことねってマリオファイヤーマリオになるのと同じ理屈なんだわ!ってプログラムをあとで読んで腑に落ちまくりまくりまくりすてぃーだったわ。

私が好きだったのはファイヤーフラワーのお花畑が綺麗だったし、

ドンキーコングと戦うときステージはてなブロック叩いてアイテムゲットしたんだけど、

マリオそれになるんかーい!って意表を突かれたわ。

あと、

ノコノコが意外と強いってことよ。

おまえそんなワザ秘めていたんかーい!って

踏んづけて蹴飛ばされるだけじゃなかったんだわ。

そう思うと緑の亀のノコノコ見方がまた変わるわよ。

あんた強いのね!って言って言えそうなレヴェル。

総じて良かったけど、

オープニングの前のシーエムのマリオ映像が一番泣けたわ!

私もSwitchで遊べるマリオをやろうと思って遊びたい気持ちはあるんだけど、

今はスプラトゥーン3のヨビ祭中だし、

もうさ、

昨日は勝てず調子悪くこんな時は寝るに限るわね!って調子だった。

気分転換にそうねマリオでも遊んでみるわ!

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパンね。

ずっと続くどこまでもってあの歌のようにチョコパンかーって

渋々と思いながら食べるのは良くないわね。

たまには美味しいのなにか気分転換違うもの食べたいわ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラー

お茶を入れるガラスの容器と私がルービーを飲むガラスのコップがそれを使うと足りなくなるので、

2つガラスカップを買って増えたか

洗い終えているストックが増えて運用やすくなったわ。

また私の好きなガラスのコップのことについては書くわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-05-01

マリオ映画感想

ザ・スーパーマリオブラザーズムービーを見てきたので感想を残しとく。

[視聴環境]

IMAXレーザー3D 字幕

[事前情報]

世界興収がスゴイらしい。評論家から評価は悪いらしい。吹き替えマリオ宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。

[どんな話か(うっすらネタバレ)]

現代ニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界マリオワールド)に飛ばされ、キノピオピーチドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話

[総評]

普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出ししまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。

かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)

[おすすめ度]

劇場で何度も見たくなるタイプ映画ではないけど、人生マリオゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。

[誰向け?]

万人向け。マリオゲームをやったことある人なら、小さい子連れファミリーからデートムービー友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。

[グロ度]

なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)

 

[感想ネタバレアリ)]

<良い点>

キャラクターのモーションやSEBGM原作を忠実に再現していて楽しい

原作を忠実に再現した世界

 

<悪い点>

ベタベタなあらすじとご都合主義的展開

大枠のストーリー王道ハリウッドで全く面白みがない。

それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。

どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出しましょう!」というのが明け透けに見えている。

たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。

原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。

キャラクター性格、あれでいいの?

ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりキャラではあるけども。

原作でもあん性格だったっけ?

 

<まとめると>

どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。

からマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。

が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。

やはり良くも悪くもファンムービー的。細かいことを気にしてはダメ

クオリティファンムービーだった。

2でヨッシーがどんな活躍をするのか楽しみ。ワリオとかも出てくるのかな?

最近欧米主流のポリコレうんざりしている人達が(全員がそうではないにしても、大半が)

忌み嫌う「ポリコレ」というのは、

元々の作品にないのに後から無理矢理改変や追加をして、さらにそれがあまりにも不自然違和感あるものを指しているに決まってるじゃん

マリオ映画ポリコレじゃなくて良かったっていうのは、あくま原作ゲームの設定を維持してくれていて良かったという意味だよ

マリオ黒人にしたり、ルイージ日本とも韓国とも中国ともしれないアジア系にしたり、クッパゲイにしたりしないでくれていて良かったっていう意味だよ

それに対して「マリオは元々イタリア系の配管工でマイノリティなんだが?」といわれても、すっとぼけんなとしか

最近は反反ポリコレの方がおかしいと思う

(リトルマーメイド実写版話題で)「赤毛マイノリティじゃない!アイルランド系マイノリティじゃない!」「現代アメリカでは有色人種の方が多数派なんだから現代アメリカ人種構成に合わせるべき!」

(スーパーマリオ映画話題で)「ブルックリン在住のイタリア系の配管工だからポリコレでヨシ!」「マリオは元々ポリコレ!変える必要なし!」

いやいやいやいや、イタリア系マイノリティならアイルランド系マイノリティだし

ブルネットマリオポリコレならば赤毛アリエルポリコレしょうが

リトルマーメイドに使った理屈で言うなら、イタリア系の配管工がマイノリティなのが発表当時はポリコレ的に正しかったとしても、

30年後もそれを引き摺っているのは反ポリコレになるじゃん。

現代アメリカ人種構成に合わせてマリオ黒人にしなきゃ駄目でしょうがマリオ黒人しろとかマリオルイージ兄弟じゃなくてゲイカップルに改変しろとかって騒がなきゃ駄目でしょうが

大ヒットした映画にすり寄りたいがために無理矢理『マリオ映画ポリコレ』という事にしたがるってあまりにも卑怯

マリオルイージの肌の色はピーチ姫と同じで普通に見たら単なる白人しかないのに、イタリア系からマイノリティ要件クリアヨシ!にするなら、リトルマーメイド赤毛アニメ版のままでOKだろ?

いや私自身もどちらかというと反ポリコレは嫌いなんだが、

最近の反反ポリコレ理屈矛盾し過ぎていて、反ポリコレの方に共感したくなるくらいだよ。

2023-04-29

[]ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

総評

130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。

130点の理由

見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。

主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画ありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。

あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。

でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。

こういう映画ってたまにあって、それは自分言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。

じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。

勇気を出して挑戦する、というテーマ

主人公マリオニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民大家族暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。

会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。

おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。

映画になって肉付けされたこマリオ像ってのは、結構好感度ありました。

主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。

それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。

これらは映画を含む既存ストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマ類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます内面問題弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品王道ですから

歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。

そういう歴史あるテーマ歴代傑作の洗練に対して、この映画エピソードづくりや演出最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸ファミリー映画」ですらある。

でも正しくそこがこの映画の中心なのです。

たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家一般ユーザーの間で、この映画評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。

ビデオゲーム

あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディア物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定ちゃん払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実問題駆逐されるなんてことはなかったわけです。

でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。

それは成功体験です。

問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!

そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲーム本質はこれで、これでしかないんです。

何か挑戦すべき課題突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲーム世界調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。

努力すればなんとかなる」。

そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要価値観が込められていることがわかるでしょうか?

スーパーマリオ歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲーム歴史です。そして、ビデオゲーム歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージ歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。

諦めないという、その尊さ

前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存物語メディアの、少なくとも映画文脈で言えばそのシナリオ演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。

まり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオ任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。

マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオ映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。

それをマリオは「スマート物事解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。

それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲーム主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。

そう考えてみると、この映画白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオピーチ姫への同行許可を得るために、練習コースに挑戦した部分だったと思い出されます

マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。

そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。

でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワー覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃん理解できるのです。

ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者理解感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画ドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲーム文脈を抱きかかえることができた。

映画ゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。

+30点はあるよ、ちゃん実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観ゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。

クッパ大王リサイタルはとても可愛かったしね!

2023-04-28

ルイージがミソっカスのくせに調子乗りで、昔のワイを見ているようで辛かったマリオ映画

会社帰りにレイトショーマリオ映画見てくるわ。

Twitterクッパ×ルイージかいう訳の分からないカップリングで楽しんでる人がいたが、どんな内容なんだ

[][] ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

良かったところ

そうでもなかったところ

2023-04-25

Nintendo 不一致にありがちなこと

前作ではマリオが助けに来てくれたのに、

今作はルイージしか来ない。

2023-04-10

anond:20230410090021

マリオドンキーコングが到着し結婚式に参列していたでかいボム兵を炸裂させる

キラーマリオを追いかマリオが誘い込んだ土管に入り異空間で大爆発する

土管に何もかもが吸い込まれマリオたちもクッパ城ブルックリンに飛び出す

ピーチ姫スターを弾き飛ばしマリオが取ろうとするがクッパが火を吹く

クッパの火をルイージマンホールの蓋で抑えマリオルイージスターを取り無敵状態軍団クッパを倒す

クッパは青キノコを口に入れられ小さくなりビンに入れられる

マリオが起床してルイージといつも通り身支度をして外に出るとキノコ王国

クッパキノコ王国の城のカゴでピアノを弾いてうるさいと突かれる

マリオ映画

マリオ ブルックリンの配管工

ルイージ ブルックリンの配管工

ピーチ つよい 人間

キノピオ 野郎キノコ

クッパ 暴君 ピーチすき

カメック 道化魔術師

フランキーコング 森の王でドンキーの父

ドンキーコング フランキーの息子 煽る

ペンギンの城がクッパ軍団に襲われクッパの火炎でハテナブロックがむき出しになり中身のスタークッパに奪われる

王を含めペンギンたちはカゴの牢屋に入れられ溶岩の上に吊るされる

ブルックリンの配管工マリオブラザーズがテレビCMを流し始めたら豪邸から漏れ修理の依頼が来た

豪邸で飼われてる犬の骨を踏んで折ってしまい犬に嫌われ豪邸の洗面所で大喧嘩して洗面所の配管が壊れる

家族の夕食の会話で凹むマリオテレビを見るとブルックリンの配管が壊れて大洪水

マリオ活躍しようとルイージを連れて下水道に入るが元栓のバルブが壊れてしまい衝撃で更に地下に落ちる

何年も使われていないような地下道土管ルイージが吸い込まれマリオもそれを追うと異空間に飛ばされる

途中でルイージは赤黒い雲に飲み込まれマリオキノコ王国に辿り着く

キノピオ出会い兄弟を探していると言うと姫に会うよう勧められる

愉快な町並みを通り城に行くと門番に止められるがキノピオ料理を振る舞いマリオがその隙に忍び込む

衛兵に見つかり大捕物になるも姫に会いやっとき人間であるマリオは一緒にクッパ軍団を迎え討つことになる

城にあるステージキノコを食べ機械仕掛けパックンフラワーなどを相手に特訓してマリオがやっと強くなり旅立つ

ピーチ姫は人間で2歳の時に土管から迷い込みキノコ王国で育ててもらい姫になった

プクプクの橋 川向うにヨッシーの群れなど旅をする

クッパ軍団演説するクッパの狙いがピーチ姫と結婚することだとわかる

ルイージクッパ捕虜になりペンギン達と牢屋に吊るされる

ピーチ姫とマリオクランキーコングに謁見して兵隊を借りようとするが一笑に付され息子のドンキーコングとマリオの対決になる

ドンキーコングの鉄骨ステージマリオが青キノコで小さくなったりファイアフラワーを取りそこねたり苦戦する

上に殴り飛ばされたマリオが復帰しハテナブロックを叩きネコマリオになりドンキーコングに勝つ

ドンキーコングとクランキーコングカート軍団を引き連れてレインボーロードに入るがクッパ軍団が襲いかかる

ピーチ姫が弾いたキラー浮島破壊してレインボーロードが壊れマリオドンキーコングが海に落ちクジラに飲み込まれ

ピーチ姫たちは一度キノコ王国に戻る

ドンキーコングたちはクッパ軍団に捕まりペンギンたちやルイージと同じ溶岩上の牢屋に吊るされ青チコが死は救いと言う

ピーチ姫はキノコ王国の民を避難させキノピオクッパ軍団を迎え討とうとするがクッパキノピオ拷問され結婚することにする

クジラの腹の中でドンキーコングのカートが見つかりタル大砲に乗ってマリオドンキーコングはピーチ姫たちのところに向かう

ピーチ姫がバージンロードを歩くと捕まっていた仲間が溶岩に落とされ生贄にされようとしている

ピーチ姫はキノピオに渡されたブーケからアイスフラワーを出し氷で牢屋の鎖を凍らせクッパを氷漬けにする

2022-10-01

"弟の人生ルイージ" に一致する情報は見つかりませんでした。

2022-08-27

ブルアカアニメ化してもリコリコにはなれない

キャラが多すぎる。

それが?って思うかもしれないけどこれがいちばん大事なんだよな……。

キャラが多いってのはそれだけ変化を描く余裕がないってことだよ。

特別アニメみたら分かるけどグループ同士の義務的な会話する時間しかないんだよ。

掘り下げられないから全員がペラペラな紙人形になる。

パーパーマリオはそれでも成功した?

それはマリオルイージ物語からだろうが。

でもブルアカでシロコとホシノの物語にした他のキャラ信者が暴れまわるからよ……。

まり無理ってこと

2022-08-02

最近ルイージみたいな顔の男が風船を何枚も割って中から取り出した氷にナイフを突き立ててからリンジで色水を注入して最後に割る動画ばかり目にする。

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