はてなキーワード: ハブとは
お金大好きだけど、最初にレアな石とか貝殻を交換材に使おうぜって話になった時に生きてたら、絶対共同体からハブられる寸前まで「は?ありえんわw腹を満たせたりそのための手段になるような価値あるモンを、なんでそんな何の役にも立たねーゴミと交換しなくちゃいけねーんだよ」って態度を崩さなかったと思う。
もし諦めて使うようになってからも、交換で手に入れるんじゃなく天然モノを拾い集めようと探し回ってたと思う。
その後すぐに物々交換で蓄積した方が楽だなと思うのかもしれない。
いくら他人の考えとの擦り合わせをしても何だかんだで自分を軸に人間を考えてる節があるから、よく貨幣なんてもんが流通するようになったよなって思う。
おれみたいなやつばかりじゃないんだな。まあそういう奴がいたとて、共同体から離れて孤独に生きてたり野垂れ死んだりしてたのかもしれない。
USB-Cのケーブル仕様のごちゃごちゃについてホッテントリに上がってて、「高速転送非対応のクソケーブルなんか不要だ」みたいなコメントもあったのを見てちょっと思ったことを書く。
フルスペックのケーブルなんて下手したらボロカスに貶されてたLightningケーブルより高いのもある訳で、そんなケーブルをキーボード接続に使うのは愚の骨頂じゃん。
スマホにしたって、物理ケーブルでデータの高速転送するのなんか殆どの人間には不要だよ。
ごく一部の好事家の為にみんなが高い買い物を強制されるのなんかクソでしょ。
そもそも何でもかんでも一つのケーブルに押し込めてんのが間違いの始まりではある。
最近のPCなんかhdmi端子すらUSB-Cに統合されて2〜3個USB-Cポートがあるだけ、みたいなの多くて端子が足らなくてドックを別で買わなきゃならんことも多い。
altモードで充電とディスプレイ信号が一本のケーブルでやりとりできる便利さはうれしいけど、「何でもかんでもUSB-C接続」ってのは正直無駄が多い気がしてる。
ディスプレイ側にUSB-C入力端子がなかったらドックや変換ケーブルなんかが必要だ。
ポートが足らなかったらハブやドックが必要だが、USB-Cポートを増やすだけのハブなんかどこも作ってないからクソ高いドックを買わされる。
PC側のポートについてもポートによるスペック違いとかあると面倒だからメーカー側も増やしたがらないのもまたタチが悪い。
いろんな周辺機器メーカーの欲望を限界まで盛り込んだ悪魔合体の結果が今のUSB-Cという規格なのでこれからも面倒は消えないんだろうなぁ。
お前がハブられてるだけだよ
計算機科学は、情報の理論的基盤から実用的な応用まで、広範な領域をカバーする学問です。以下に、計算機科学の主要な分野と、特にネットワークに関連するトピックを体系的にまとめます。
プログラミングパラダイム: 手続き型、オブジェクト指向、関数型、論理型など。
プロセス管理: CPUのスケジューリングとマルチタスキング。
機械学習アルゴリズム: 教師あり学習、教師なし学習、強化学習。
深層学習: ニューラルネットワークによる高度なパターン認識。
ネットワークは、情報の共有と通信を可能にする計算機科学の核心的な分野です。
OSI参照モデル: ネットワーク通信を7つのレイヤーに分割し、それぞれの機能を定義。
プレゼンテーション層: データ形式の変換。
アプリケーション層: ユーザーアプリケーションが使用するプロトコル。
TCP/IPモデル: 現実のインターネットで使用される4層モデル。
リング型: 各ノードが一方向または双方向に隣接ノードと接続。
IP(Internet Protocol): データのパケット化とアドレッシング。
TCP(Transmission Control Protocol): 信頼性のある通信を提供。
UDP(User Datagram Protocol): 信頼性よりも速度を重視した通信。
ルーター: 異なるネットワーク間のパケット転送とルーティング。
IDS/IPS(侵入検知/防止システム): ネットワーク攻撃の検出と防御。
VPN(仮想プライベートネットワーク): 安全なリモートアクセスを提供。
SDN(Software-Defined Networking): ネットワークの柔軟な管理と制御。
IoTプロトコル: MQTT、CoAPなどの軽量プロトコル。
SNMP(Simple Network Management Protocol): ネットワークデバイスの管理。
ネットワークトラフィック分析: パフォーマンスとセキュリティの最適化。
ネットワークオーケストレーション: 自動化された設定と管理。
AIによるトラフィック最適化: パフォーマンスの向上と障害予測。
マイクロセグメンテーション: ネットワーク内部の細かなアクセス制御。
『コンピュータネットワーク』 アンドリュー・S・タネンバウム著
『ネットワークはなぜつながるのか』 戸根勤著
Coursera: 「コンピュータネットワーク」、「ネットワークセキュリティ」コース
edX: 「Computer Networking」、「Cybersecurity Fundamentals」
IETF(Internet Engineering Task Force): ietf.org
IEEE Communications Society: comsoc.org
W3C(World Wide Web Consortium): w3.org
同期は私よりあとに部門に来たのだが、部長の下支えを別部門のときからしていたらしく、異動してからも重宝されている。
そして私は閑古鳥だ。
友情を仕事に持ち込まれたらもう勝てないのよ。いや同期は仕事は普通にできるし、めちゃめちゃイエスマンだから重宝される理由もわかる。
かくいう私は行動力でブイブイ引っ張るタイプだが、何をしてもフルシカト(成果は残してるし、評価もされているが、新しい面白そうな仕事は全部同期に振られる。振られすぎて溜めてるけど更にふられてる)
別に嫌われているわけでもない。ただ当然のようにスルーなのだ。
もう疲れたから転職するんですが、給料も友人も多かったので悔しい。
でもこのままだとキャリアアップもできないし、異動も席が空かないと動かせないから
さようなら、私がいなくなっても仲良くやるんだろうな。チクショー!
それは作者がホモソに異論を唱える為に作中に登場させる空気を読まず発言できるアスペASD持ちの男が、現実のホモソではいちばんミソジニーが強いから。
いわゆる体育会系のホモソのミソジニーなんて熱めの風呂のようなもの、アスペASD男のミソジニーは限界がなく尽きる事もない。サッカー部10人集めても1人で勝てる強度をもっている。
なぜホモソどっぷり野球部サッカー部の男よりも彼らのほうがミソジニーが強いかといえば、それは10~20歳までの健常者の女がまず真っ先にいじめて機会があればハブったり悪い噂流したり晒されたりが続く10年間が、アスペASDをもって生まれた男の過ごす10代だから。
そして大学はいって人文知を習ってアップデートしただけのいじめてた側の女が、自分たちのそういう性質を忘れて、空気を読まないアスペASD男のガワだけ借りてホモソ批判するときのお説教スピーカーとしてマンガの中で利用する。グロすぎる。
作者が男でも女でも、ここまで鈍感な人間の作るホモソ批判がまともでしっかりした解像度をもつことはありえない。
ちゃんと男のホモソを観察した上で批判する作者がいたとしたら、ぜったいアスペASDもちの男をホモソ批判役には選ばない。そんなグロい事は人間の心があれば出来ないからだ。ホモソ批判マンガというジャンルは現状、それに気づかない無神経な人間だけが作り楽しんでいる。
こういう批判もまともに10年代は出てこなかったけどいまはちょこちょこ批判されてるっぽいので、そこだけは多少マシになったなと思う。
話題の平凡婚活増田と奇しくも同じく、俺も不安障害持ち・三十代前半・結婚願望ありなんだけどさ。
「好きになった人が精神疾患だった」なら受け入れてくれる人はいるだろうけど、選び合いの婚活の場で精神疾患持ちが選ばれることはまずないでしょ。
もちろん、最初から精神疾患を開示する必要はないだろうけど、結婚=家族になる以上は絶対にどこかでカミングアウトは必要になるわけで。
元増田が、どんな理由で不安障害になったか分からないし、特に明確な原因がなく慢性的な障害だったりしたら申し訳ないんだけど、でももし原因がハッキリしているタイプなら婚活でデバフがかかるような状況になってでも、まずは婚活より治療にリソースを回すのが良いと俺は思うなぁ。
例えば、仕事が原因なら年収下がってでも他の会社に転職するとかさ。
少なくとも俺自身はそうするつもり。
俺は不安障害になった原因は、詳細はハブくが「今の生活環境」×「一人でいると無限にグルグル考えてしまう気質」なので、現在は一人暮らししているけど遠くない内に実家に帰る予定だ。
実家暮らしが婚活において大きなデバフなのは当然理解しているが、それでも精神疾患持ちよりはまだ希望があると思うから。
ちょうど転職活動をしているので、その辺りを理由に仕方なく実家に帰るんです的な言い訳を作りつつ、今は実家暮らしだけど一人暮らし経験もあるので家事とかはできますよー! って感じで婚活に臨むつもり。
実際この選択が正しいかは未来にならないと分からないけど、俺はそのくらい精神疾患持ちというのは婚活のファクターとして重く捉えている。
26歳まで彼女いなかったワイは友人に恥を偲んで紹介してくれを連呼した結果結婚できた。
紹介の良いところは双方にモチベーションがある状態、かつ双方紹介者の顔を潰さないようにするので割と真剣だったり。
あと、双方それなりに気を使ってくれる。連絡先聞きにいきな!と背中を押されたり…
紹介者双方、引き合わせる手前ゲーム感覚では?と思ったりしたがなんだかんだ結構サポートが手厚い。
ちなみに、んな紹介ってあるかぁ?ってなると思うけど小売業やってる嫁と一緒に居てわかった。
意外と1年だか2年だかに一回くらいのペースであったりする(嫁を紹介してもらったのも雑貨屋の店長さんだった)
後輩が別れたり、シンママになったり、誰かいい人紹介してください…とコンビニ店長の嫁に飛んでくる。
たかがセックスくらいで、と思うだろう。俺もそう思うんだけど、自己肯定感が恐ろしく下がっている。
妻のことが好きで、毎日一緒にいて仲良く話もするのに、指1本でも触れると拒絶される。キスもハグも嫌がられる。
付き合っている頃から「子供は2人ほしいね」なんて話していて、その2人目が終わったあとに急変した。はじめの話し合いでは家事をもっとやってほしいとのことだったので、生活態度を改めることで一時的にレスは解消したものの、「やっぱり無理」と突きつけられた。
妻が提示した解決案は「外で解消してきてもいい」とのことで、マッチングアプリで相手を探したりもした。でも、その時に気づいたのが俺は平和な家庭を求めていることだった。夫が不倫をする家庭に待つ未来はただの破滅で、そんな結末は一切望んでいない。
俺がセックスを我慢したら解決することもわかってるけど、どうしてもそれができない。妻と話すたびに好きだなあって思うから。そこからセックスに結び付かない思考がわからない。そして、俺にとってのセックスは、妻に俺という存在を認識してもらうためのツールになりつつある。だから、セックスに誘うことは俺の存在に対する踏み絵だ。拒絶されることを前提に誘うときもあったので、今思えば自傷行為に近いものでもある。
…なぜ今こんなにも気持ちが乱れているかというと、最近夫婦関係が好調で居心地がよかったので、「9月にセックスしない?」と久しぶりに誘ったらOKをもらえて、デートの約束もこぎつけられた。先週土曜日は本当に楽しく過ごしたんだけど、9月になった日曜日に妻が激怒した。「こんな汚い家なんて嫌だ。大嫌い。1人になりたい。あなたは家事をしない。頼りなさすぎる。許せない」と。はたから見たら積もり積もった感情が爆発したとしか考えられないと思う。俺からしたら、大手を振って9月のセックスを拒絶するための殺し文句にしか聞こえなかった。同時に、ここ数ヶ月の穏やかな日々が唐突に崩壊したショックが襲ってきた。仕事のストレスに苛まれている最中だったということもあり、この出来事は俺のメンタルを一気に突き落とした。自分っていう存在はいったいなんなんだろう、離婚をして1人で暮らすのはどうだろうか、でも子供といられなくなるのは嫌だ、仕事をやめて自由奔放に暮らすのはリスクがデカすぎる、実家に帰ろうが両親が生きがいにはならない。そうやって消去法を繰り返していくと、一番気楽なのは自殺することだと結論がでた。
近日中に、ダメもとで「セックスをしたい」と誘い、ふたたび踏み絵をしようと思う。これは生死の踏み絵だ。もしダメだったら、10月下旬に北海道から旅行にきたおじさんがダムから飛び降りるので、ニュースがでたら「セックスレスおじさんが死んだ」と笑ってほしい。
…そういえば、序文でセックスレスで自殺しますと書いたけれど、もともと自己肯定感はかなり低いほうだ。ふりかえれば、自力で成し遂げたものなど皆無に等しい。学生の頃は忘れ物が多かったり、理科の実験は見ているだけだったり、発達障害に近いものがあったり、軽くハブられる時期があったり、自分の顔が嫌いだったり、そもそも何かに縛られるのが苦手で学校は時々サボってたし、今も会社に時間を縛られてるだけでストレスを感じるし、なんか色々な生きにくさからアイデンティティが確立しておらず、セックスレスは自殺のただのきっかけにしか過ぎないのかもって思ってる。今までの人生経験で、生きるための土台よりも、自殺するための土台のほうがしっかり出来上がっちゃったんだろうなあ。
そして、学生の頃は両親が存在を最大限に認めてくれていたけど、今は妻に存在を認めてほしくて、でもその妻に拒絶をされて自分が迷子になっちゃってるんだと思う。
自殺をしたら、その時に改めて俺の存在に気づいてくれるかも、っていう妻に対する憎愛もあるんだよね。その時くらいは後悔してほしい。「清々した~!!これでようやくバレずに過ごしてきた不倫相手と一緒になれる」「新しいお父さんだ!やったー!」なんて会話繰り広げられたらあの世でも自殺できる自信あるからやめてね。
自己啓発本の定番フレーズである「相手にも赤ん坊だったことがあると思えば許せないか?」が長年全然刺さらなくてさ。
「赤ん坊だった所から何十年もかけて成長してコレかよ!成長してませんって顔ならともかく、「俺って成長したなあ」って面して結局書きのままな所こそが許せねえんだよ!死ね!」って感じでさ。
だからもういっそ相手は成長なんて一切してないし、成長したつもりになってる大人ぶった子供なんだって割り切る切ることにしたの。
でも小学生程度のものだって考えると「この程度のことも出来ねえやつは小学校でも廊下に立たされてるわ!クラスでハブられてるわ!小学生未満だろうが!」みたいな気持ちが吹き上がってくることがあってさ。
もう諦めて幼稚園だと思うことにしたの。
ずっと悪口言ってる奴→ あーそんな奴いたわー
ずっとなんか食ってるデブ→ あーいたいた
噂話大好きだけど嘘ばっかの奴→ いるねー
化粧のこと気にしすぎな女→ いるわー
ナルシストだけどイケメンって程じゃない男→ ありがちありがち
なんかもう全部「あるある~~」で終わるんだよな。
だって幼稚園児の中にそういうのがいるのはもう自然の理みたいなものだもの。
「大人なんだからさあ・・・」という概念を完全に諦めるだけでなんかもう全部許せるのな。
「三つ子の魂百まで」とも言うけどさ、結局ちゃんとしてる人間は幼稚園の年中ぐらいでもう本当にちゃんとしてる片鱗があるし、キチガイはその頃からキチガイ、性格ネジ曲がってる奴はその頃からネジ曲がってるじゃん?
成長による社会適応は実際あると思うんだけど、それって結局は「他者は自分とは違う」とか「他人も自分と同じように痛みを感じる」とか「世界観が人によって違う」とか「俺の見えている世界は俺中心の世界だけ」とかを知識として理解するに留まるだけでしょ?
そういうのを超えた所、結局人の痛みが分かるようになった所で「でも、俺は痛くないよね」と考えるサイコパスとか、「こんだけ痛めつけてやったと思うと胸がスッとするぜ!」ってゲス野郎とかは、3歳時の頃に見せたクズの片鱗を開花させる方向にしか進まんわけじゃん。
ゆーて人前でクズムーブしすぎるとアカンって感じるから、大部分はある程度隠すように努力するようになるけど、それでもふとした時に性根のカスっぷりが社会で滲み出たり、弱い相手の前でだけ見せつけることで鬱憤を晴らしてるカスがいたりするわけで。
そういうのに対しての苛立ちを抑える方法として俺と相性が良かったのが「ここは幼稚園の教室で、俺達はみんな幼稚園児なんだ。年齢の差なんて年少と年長ぐらいのものでしかないんだ」と割り切るようにしたこと。
いわゆる「他人に期待しない」って奴を自分流に解像度を高めた形として俺にはこれがシックリ来た。
俺が通っていた保育所がほどよく世紀末かつほどよく秩序があったから、実社会をそれの相似形とするのに都合が良かったのはありそう。
もっとずっと世紀末で社会が成立しない所に通っていたら「いやいや流石に社会は幼稚園じゃないよ」と感じてただろうし、もっとちゃんとしてたら「社会は幼稚園未満だ!デカイ赤ん坊が暴れまわるこの世の終わりだ!滅ぼそう!」とか考えていたかも。
俺が今働いてる職場とか、住んでいるマンションの治安が、ちょうどいい具合に「先生の目が光っていれば大人しく、自由な時間になればモラルなぞどこにもなくなる幼稚園の1クラス」というイメージに当てはまるだけな所もあるね。