はてなキーワード: タイムラインとは
震災とかが起きるとfacebookでいわゆる良い話と現地の人向けの情報共有(トイレ使えます等)が発信されるがそれをシェアするのをやめて欲しい。だいたい同じような話だし場合によっては全く同じ投稿が違う人間からシェアされて一つのタイムライン上に流れてくる。
シェアしてる本人は良い事してるつもりかもしれないけどノイズ以外の何物でもなくてウンザリする。
多分さ、自分発信でも無い情報をシェアしてもそこにいいね!がつくと自分の通知に「ぴこーん」って出てくるから承認欲求を満たしてくれるんだよ。良く出来てるよ。
以下箇条書き
だいたい自分で発信する情報が無いようなつまらんヤツがやってる。
暇な時にまとめてシェアする。←俺のタイムラインに同じ人間の似たようなシェアが溢れる。
自分で拾ってきた記事じゃない。←他の人のFacebook上の投稿のシェア。自分で拾ってきた情報じゃない。
だいたいお前友達少ないから現地の友達なんていないジャマイカ。
自分は貧しい人間ですって世の中に広めるようなもんだからやめようぜ。
まあ、そんなやつはたいがいタイムラインに出ないようにしてるけどね。
https://twitter.com/takfla/status/707014093299798016
Twitterのタイムラインを眺めていたら、こんなツイートが流れてきた。
水素水を売っていた会社が一部業務停止命令の処分を受けたらしい。
で、このツイートにある画像なのだが、少し前にネットを賑わせたH6Oのやつである。
今回、業務停止命令を受けたのは記事にもあるが「ナチュラリープラス」で、H6Oのほうは「秘鉱泉」という全く別の会社である。どっちもマルチではあるのだが。
ナチュラリープラス: http://www.naturally-plus.com/ja/jp/
秘鉱泉: http://hikousen-info.com/hikousentop.html
Facebookの投稿にいいねが勝手に押されているのだが、これはどうしたものか。
ことの発端はタイムラインに
https://www.facebook.com/jicfan.ff/posts/1728535897364981
が「○○がいいねしました」とわいのニュースフィードに流れてきた。興味があったのでリンクにアクセス。
後日、なぜかいいねを押していないのに https://www.facebook.com/jicfan.ff/posts/1728535897364981 にいいねが押されている。
ちなみにアクセスはしたが、アクションはなにも起こしていない。
これはマルウェアか?
【追記】
TripAdvisor
ちな友人も投稿に対していいねが押してあったのでいいねを押したか聞いてみたところ、アクセスはしたがいいねは押していないそうだ。
なんだコレ。
まともな大人からすれば、マックスむらい氏に限らず、Youtuber全般が取るに足らない変人カテゴリ往き間違いなしなのだが、彼らのファンは端から見ると狂気じみて見えるほど彼らに夢中だ。
これは昨今話題のジャニヲタにも共通しているのだが、こうした熱狂的ファンの精神構造は、精神病理学的に典型的なものである。辛口で無慈悲な某シロクマ氏が登場するほどのこともない。ようするに、熱狂的ファンは「自分は(世界で一番)スゴい」という幼少期特有の全能感、あるいは思春期特有の誇大妄想をこじらせ、それを自己の外側にいて目立って活躍している(と本人たちが認定する)人物に投影することで、その非現実的な自己評価を抑圧しているのだ。
誤解してはならないのは、実のところ、熱狂的ファンたちは自らが取るに足らない(どちらかと言えば劣った)一般人に過ぎない、と理解はしている。他方、その「私はダメだ」という自己認識と、「私はスゴい」という誇大な自己像との間に極端な乖離が生じているため、この落差の現実的な落としどころとして、社会で活躍する他者(芸能人やスポーツ選手、カリスマ経営者、宗教指導者など)と自己を同一視することで、そうした他者を自己像の「鏡」として扱うわけだ。
例えば、女性アイドル好きな男性ならば、その女性の人気が一定の閾値を超えた段階で、女性ファンが増えることを経験的に知っているだろう。現実の世界でキラキラと大活躍している(ように見える)女性と自分を同一視することで、自分の惨めさを覆い隠すことができるためであり、男性ファンのような性的な関心がベースにあるわけでは全くない。先ほど述べたように彼らは基本的に自己評価が低く、一方で持てあました誇大的な自己像を支えてくれる唯一の救いが「鏡」としての他者である。
やや話は脱線するが、熱烈なアイドルファンの女性(たとえばジャニヲタ)には風俗嬢が多い。全国各地に赴かなければならない物理的必然性もあるが、何より応援するアイドルが活躍している限りにおいて現実の自分は(極論をいえば)どうでもいいからだ。現実にはタバコ臭い激安ラブホで汗臭い中年男性のペニスを口にくわえておきながら、本人が生活で最もリアルに感じられるものは、その同じ口で声援を送るアイドルの輝きなのである。ジャニヲタならば「ヲタ界隈で有名な(=湯水のように金を使って応援している)女性ファンが(風俗店のブログ写真から)風俗バレしてm9(^Д^)プギャー」という事件が年間何件も起きていることは否定しようもないだろう。
(誰って? まあ、秋○ス仙○の「の○か」とかな。。ファンの妬みは恐ろしい。あの子は元々は手コキ店だったが系列のイメクラ店に沈められた。昔はバレーボールに熱中するスポーツ少女で、20歳過ぎまで軽い天パーの黒髪を染めたことすらなかった真面目っ子だったらしいが、嵐にハマったのが運の尽きよ。うーん、おっさんを養分にする風俗嬢を養分にするアイドルを養分にする芸能事務所の社長を養分にする暴力団の偉い人。ああ、醜い食物連鎖だ。。そしてマックスむらいも養分だったのか)
さて、以上を鑑みて、今般の事件における山本一郎(実業家・ブロガー)のように、こうした「鏡」(この場合はマックスむらい)を攻撃すると、どうなるだろうか?クレイジーなキッズたちは、自らが攻撃されたように感じる。いや、自らが攻撃されたとき 以上 の怒りと苦しみを感じる。彼らの理想と現実のバランスシートが崩れた不安定な自己イメージは、「鏡」としての他者が社会的に活躍し続ける間のみ安定的に維持されるからだ。よって、マックスむらい氏が社会的に許されない行為をしていたとすれば、それは彼らの価値が暴落することに等しい。だからこそ、彼らは氏の汚点を否定、拒否、拒絶する。そして自己イメージの侵略者を攻撃する。
マックスむらい氏は、そのことを肌感覚で理解しているらしい。だからこそ、Youtubeに自らの潔白さだけを主張する動画をアップロードし、彼を信奉するキッズたちに潜在的なメッセージを送った。「俺を守るために大暴れしてくれ!」と。無論、これは追いつめられた人間の断末魔である。そんなことは社会的に何の肯定的な効果をもたらさない。だが、防衛大に受かる地頭はあるものの、ひたすら叩き上げでのし上がってきた男に何か分別らしいものを期待する方が間違いなのかもしれない。果たせるかな。キッズたちは大暴れし、山本氏はビール片手に彼らの口撃をことごとく撃墜し、その残骸が氏のTwitterのタイムラインを埋め尽くすたびに、マックスむらい氏の信頼も地に落ちるのである。
連日のように新しい英語学習アプリの話題がホッテントリ入りするけど、
そもそも語学教育の専門機関じゃない、有象無象のwebサービス屋さんが収益目当てに作るアプリを
なんでそんなに絶賛できるんだろうか。
これとか典型的な例だけど。↓
http://www.yamamototetsu.com/entry/eng-app
まあ、ゲームでもするつもりで何となく英語に親しめればいいかなー?という人でも、
いいかげんな監修によって変な英語を刷り込まれる可能性はある、と考えるべきだ。
(余談だが、しょっぱなから英文法を軽視するような学習方法はあまり効率的ではないと思う。
算数の問題なら、四則演算を知らずに感覚だけで2次方程式や関数を計算するのは時間の無駄だと
誰でもわかると思うのだが、なぜ語学に関しては文法学習が嫌われるのだろう?
中学高校で習った文法の基礎は、必ず最短距離での理解を可能にしてくれる。
身の回りを見ても、この中学高校英語を完全に忘れている人が多すぎる。)
ここから本題の、スマホそのものが英語学習最強ツールだという話。
個人的な体験談に過ぎないけど、手間やお金を掛けない勉強法ではある。
自分の場合、過去20年以上ずっと日常的に英語を使う環境にいてadvancedレベルの語学力だが、
それでも日々、使わないと記憶から消えていってしまう語彙力に悩まされていた。
英字新聞は読むのに時間がかかるし、字幕なしだと映画は辛いなあ、という感じだった。
それが、スマホを購入した4−5年前から劇的に向上した。はっきり自覚できる変化だ。
しかも所謂学習アプリとか、有料のサイトなどは一切使っていない。
ポイントは、「興味のある時事ニュース」を「海外の報道ソース」で、
通勤中でも昼休み中でも、スマホひとつでいつでも手軽にチェックできるようになったこと。
例えば5年ちょっと前、Wikileaksのアサンジが英国で裁判にかけられた時は
傍聴人のジャーナリストが法廷内からリアルタイム・ツイートすることが許可されるという
画期的なことが起きていたので、
海外ジャーナリストやニュースメディアを多くフォローしている自分のTwitterタイムラインには
英語のtsudaり(懐かしい表現)が怒涛のように流れてきた。面白かった。
「アラブの春」が始まる頃にはAljazeera Englishのライブストリーミング・アプリで
エジプトのモルグから反体制派の死体の山を中継したり、リビアで砲弾飛び交う中でのリポートがあったり
日本のメディアでは絶対流れない映像と音声のオンパレードだった。
昨年のパリ・テロ事件では、フランスのニュースの英語放送France 24をアプリ視聴していて
リアルタイムで酷い事件が進行しているのにキャスターたちが冷静で、日本での報道とはかなり違った。
他にBBCやCNN、活字系ニュースならThe Guardianなども頻繁に利用する。
ニュースのライブ・ストリーミングをスマホのイヤフォンで聴くというのは
ヒアリング能力アップに絶大な威力があるなあ...と実感した。
自宅で衛星放送のCNNをTV視聴するのよりよくて、ひとつひとつの言葉が脳に直接届く感じで、
慣れるとどんなに早口で喋られても聞き取れる。
それに各国の英語放送を聴くことで、様々な訛り(アクセント)も聞き分けられるようになる。
仮に知らない単語が出てきてもスペルが想像でき、すぐ意味を調べる習慣もつく。
テキスト系ニュースでは、知らない単語やフレーズを辞書で調べる手間がワンタップなので、
また、そもそも世間で話題の海外ニュースについて、現地ソースから深い理解が得られるというのは
自分の好奇心も満たすし、友人との会話のネタにもなるしでいいことずくめ。
そんなことをやっていたら自然とネイティブとの日常会話でも発話能力が上がり、
「言いたいことが表現できずにストレスが溜まる」ということが減ってきた。
自分は50代前半。中年過ぎても英語力のブラッシュアップは可能だと気づけて嬉しいのだ。
繰り返すけど、スマホを使うようになったここ4-5年で、
残る問題は「英語を書く」ことだが、こればっかりはネイティブに校正してもらうのが一番いい。
(Gingerという優秀な校正アプリがあるけれど、これは中級から上級者でないと
サジェストされた言い回しのどれが正解なのか判断できないのが問題。
実際、Gingerを褒めそやす英語初心者のブログ記事を見かけたことがあるが、
例に挙げられていた英文が滅茶苦茶で破綻しているのに本人が全然気づいていなかった)
「書く」ときには、どうしても自分が知っているフレーズの使い回しでなんとかしようとしがちだが、
同じことを繰り返すと間違ったままで向上しなくなる。
中学を卒業してから会ってもないし、そもそも在学中も接点がなかった同級生の名前が、Facebookの知り合いかもに出てきた。
プロフィールやタイムラインを見てみるとバンド活動をやっているらしく、そのバンドのFacebookページが紹介されてた。
ただ、バンドと言っても個人で活動しているようでライブの動画を見ても他のメンバーの姿はなく、内容もとても万人にはウケなさそうな前衛的なものだった。
一つ気になったのは、Facebookページのいいねの数が1000を超えていたこと。
個人のFacebookページでこれだけいいねされるのは珍しいなと思ったら、ほとんどが外国人で、日本人の名前はなかった。
さらに、Twitterもフォロワー数が1000人を超えているものの、前衛的な音楽に興味を持つとは考えづらい、接点のないようなアカウントしか見当たらない。
多くのアカウントのプロフィールにフォロー返し100%等と書かれていた。
自分のやっている音楽が誰にも理解されず、承認欲求を満たすためにこういう方法でいいねやフォロワーの数を増やしたのだと思うと、いたたまれないし切ない。
行番号を非表示にしようと思ったきっかけはTwitterのタイムラインからだ。
set nonumberの状態でVimを2週間使ってみたら、行番号表示は不要という結論に至った。
行番号を確認したい時はステータスラインに行番号を表示させているのでそこを見たらわかるので困らない。
でも、今まで行番号信者であり、ずっと行番号を表示して使ってきた。
初めは行番号が見えないことに慣れなかったが、今は慣れた。
非表示にして使ってから気づいたんだけど、行番号を指定してジャンプ(5Gとか)する時しか行番号を確認してなかった。
それ以外で行番号を確認する事もあったけど、この確認には何の意味もなかった。
プログラマーはコードを書いたり管理はするけど、行番号を管理する必要なんてないということに気づいてしまった。
ターミナルを最大化して使わない主義(起動時の標準のサイズ)なので、行番号の領域が開いた分ゆとりが生まれたし、無駄な情報を目に入れなくて済んだ。
業界の第一人者や第一線のプロを自負してるような連中が、ツイッターに最低限不適切表現オプション、
もしくは年齢認証のあるサイト(pixiv、ニジエやおまたピックなど)へのリンクじゃなく
直接エロイラストを、誰にでも閲覧できる状態で貼り付けておいて、文句言われたら
「それは表現規制だ、芸術作品にもヌードは有る」みたいな騒ぎ方するのはおかしいんじゃないか。
タイムラインは自分で作るものだから勘違いしがちなんだろうけど、基本的にフリー閲覧状態で
エロイラストを垂れ流したら、そりゃあ問題視されるに決まってるだろう。
風俗店の客引きが真っ昼間の商店街で声を張り上げてたら問題なのと一緒ですよ。
(むしろ性風俗は規制されないようにそこら辺きっちりしてるからアレだけども)
なんで本人直接言わないかと言われると、言ったんですけど
「お前みたいにぬるま湯リーマンと違って、プロの世界は厳しい、どんなことをやっても自分を売り込まなければいけない
閲覧にワンクッション入れればそれだけ広告効果が下がるから甘っちょろい事なんて言ってられないんだよ。」
という、ありがたい教えを頂いたからです。
って廃液を川に垂れ流したり不法投棄する企業と似たような気配しますが
そういう人たちが自分で一生懸命規制派を呼び込んで焼き畑してると思うんですがね……
どうなんでしょ?
騒いでるのはおっさんとおばさんばかりだ
たぶん若い人たちにとっては、誰?って感じなんだろうね
ボウイがどれほどパイオニアで、(例えばゴールデンボンバーなんてボウイなしにはありえなかっただろう)
今の音楽文化やある種の美意識に、巨大な影響を及ぼしていようと、
やっぱり人は忘れられていくんだなぁ
Twitterが140文字制限を撤廃するという話が広まっている。Twitterに1万字も投稿できるようになると、タイムラインの魅力は減じるのは免れないであろう。140文字に制限されているからこその創造性が失われる。一方で、Twitterに長文を投稿したいというユーザが現在不便を感じているのも間違いないだろう。
サービス提供者の理念の元、あえて何かをさせない/何かを強制することにより、サービスに特有の文化が生まれる、というのは当然あることだろう。問題はそのサービスが広まってしまい、人がいることこそが価値になったとき、元の理念とは相容れない利用法をしたくなる人が現れるということだ。
ユーザからすれば「人がたくさんいる」から使い始めるし、運営会社からすれば「人がたくさんいる」ことを強みにして、弱小のときとは異なる戦略がとれるようになる。そのとき、元の理念を強固に維持してユーザに不便を強いるか、あらゆるユーザの用途に合うようにして中心がぼやけたサービスにするか、難しい話だ。
この前pixivでイラストにコメントしてほしくないという人がいたが、それも似たような話であろう。「イラストによるコミュニケーションのサイト」という、ある種偏った理念を持っているpixivが「イラスト投稿サイト」としてのデファクトスタンダードになってしまったがための悲しみがある。
「ネタバレ」を英語では "spoiler" と表現する。つまり日本語よりも一歩踏み込んで「面白さを損なわさせるもの」という意味が含まれる。
わたしはネタバレはおろか、あらすじも読まない。未知の世界へ飛び込む体験こそが至高と考えてるから、基本的に事前の情報収集はしない主義。予告編は、好きだからたくさん観るけど。
ネタバレは避けたいね。しかし、インターネットの時代なのである。あらゆる角度から、情報が統制されないまま雪崩れ込んでくる。わたしも「フォースの覚醒」公開日以降は細心の注意を払ってフィードやタイムラインを読み進めていた(ほんと、苦悶の日々だった)。
ところで。エピソード3公開の頃に付き合っていた彼女と、エピソード7公開の頃…つまり現在、の妻が共にわたしに聞いてきたおなじ質問がある。「これまでのあらすじを教えて」と宣うのだ。腰が砕けたがまあ、そういう楽しみ方をする人もいるのかな。
…いちおういずれにおいてもわたしが「え?それをぜんぶ、しゃべっていいの?」と問い返すと、彼女らは「やっぱりやめて」と答えた。つまり彼女らも実は、あらすじを知ることは「スポイラー」であると考えていたのだ。彼女にDVDを貸したら、とても感動したと言って返してきた。問い返しておいて良かった。やはり、世界からネタバレは撲滅すべきである。
ただ一方でわたしは、(ネタバレに恐怖するあまりに)ネタバレに遭遇してしまった場合の対処法も心得た。わたしはシスとなったのだ…というか、これは幾千の映画を品評された貴兄であれば自然と学習することである。
それはひとつの悟りだ。ネタバレによって鑑賞の価値がスポイルされる程度の作品なんて、そもそもたいしたモンではないということを知ればよいのだ。
たとえばエピソード5のネタバレを知っているからと言って、ルークが2つの夕陽を眺めるシーンの価値が失われるだろうか。小惑星の間を駆け抜けてゆくファルコンの美しさをふたたび眺めたいとは思わなくなってしまうのだろうか。または、アナキンの行く末を知ってしまっているからエピソード1/2/3は無駄な作品なのだろうか(わたしこの3部作こそ素晴らしい作品だと思う派だ)。
自分がこういうのもナンだけどさ、「驚き」「衝撃」が作品の価値を決定するとお考えならば、あなたの品評眼もまだまだである。なにより、そう考えているうちは自分が好きになる作品に出会う機会を逃してしまうはずだ。それってもったいない話だよね。そして逆を言えば、驚きでしか物語を描くことしかできない作家も半人前でしかない。その点でも、ルーカスってほんと凄い才能だと思うんだ。
ちなみにわたし、そういう訳なのでエピソード7はあんまし評価してない。JJも凄いヤツだとは思ってるしこれはこれとして楽しんだけどね。なんだか、ファイナルファンタジー X-2 みたいになっちゃったなと。楽しめたけど、エピソード456123のように、またなんども観るだろうな。って気にはなってない。
わたし氏、25歳。
18歳になる前からネットの紹介制度?を使ってひそかに入会し、なんだかんだで大学のころにどっぷりと浸かって、21歳くらいまでは現役mixiユーザーだった。
・日記、旅行記を書く(当時は主流だったけど、その中でもディープな方だったかもしれない)
・趣味のコミュニティに参加(300とかそれ以上のコミュニティ。似たり寄ったり)
・ごくごくごくたまにオフ会も参加(しょうもねえオフ会やパーティーに参加し地雷を踏んで帰宅)
・mixiニュースにコメントする(これが一番多かった)&コメント欄でディスカッションする(たまに)
読み返すと若さゆえなところあった。
自分史でも作れるんじゃないかという文章を残していたように思うけど、思い切って退会した。
いま読めば恥ずかしいこと書いてても、当時はそれだけ考えることにも発信することにも情熱があったんだなぁと、利用しなくなって数年放置してきたけれども、なんか思い立った。
きっかけはなんだろう。
日記みたいな長い文章、今は頻繁に書かなくなった。なにか吐き出したいことがあれば、ここで書くし。短いことなら鍵付きツイッターでいい。
途中でフェイスブックを始めたから、写真アルバム的要素はそっちに移った。
オフ会は、もう参加する気が起きないんだけども。たまに新しい誰かと知り合いたいなぁと思うので、mixiじゃないなにかが生まれないかな?
過去の書いたものを完全に消去するのって、ちょっと寂しい気もするけど、なんかすっきりするね。多ければ多いほどすっきりするのかも。
いずれツイッターも削除したくなるのかな?これも18歳のころぐらいからずっと同じアカウントで続けてるので2~3万ツイートになってる。
掘り返す気がまったく起きないというかタイムラインっていう形がそれを起こさせないのが、消さない理由なのかも。
日記だとすぐ見返せちゃって、ウワァアアアアってなるしね。
そんなウワァァァァァアってなるような酸味の強い青春時代を削除しましたって感じがするけど、まぁ、25だし、四半世紀だし、区切りだよね。もうすぐ26になるから厳密にはタイミングまったくよくないんだけどね。
今は考えていることをゆるく発信しつつ
RTやふぁぼは有り難い
「あーまたRTしてもらえた…この人のものもRTしてあげなきゃ」
そんなに常時ログインしてチェックしているわけでないし
かといってその人のどんなツイートでもRTすればいいかというと
そういうわけでもない
不毛だ 分かっている
RTやふぁぼは有り難い
有り難いがゆえに困る
そういうのは「よし!これは明らかに義理だ!私は義理ではRTしない」
と決意してひたすらRTしないでいる
でもしないでいると心の奥底で
「RTしなくていいのかな…あの人は私はRTしたのに!って思ってんのかな…」
とか悩みだしてツイッターをしたくなくなる
不毛だ 分かっている
小学生でも知っている
でも私は義理でのRTも、宣伝RTで「○○さんすごい!」とも言いたくない
本当に良いと思ったらRTしてほしい それは本当にありがたい
みなさん
どうされていますか?