はてなキーワード: サザエさんとは
サザエさんのエンディングで家の中に行列で入っていく絵が思い浮かべる、
きっとあの家は空間のゆがみが生じているはず。
完全な平面の時だけ。
歪んだ空間のなかでは
180度以上になったりそれ以下になったりすると言う
一度吸い込まれると、
光すら再び出てくることが出来ないほどの
意外とメンテナンスフリーでいいと思うの。
だって取り替えるだけで済むでしょ?
例コップ的な掃除機で
こまめに布団もケアして吸い込んでいた方がいいわよ。
干せば一番早いんだけど!
まあやっと台風は行ったみたいで
洗濯物が捗りそうよ!
おかげで街はそのせいで
木々の枝や葉っぱで散らかっていたわ。
上昇しちゃうのかしら?
今度血液検査行ってみようかしら?
そう思うほど食べ過ぎちゃうのよね。
すっかり寒くなってきて厚い布団よろしく、
ホッツ梅ウォーラーで埋め合わせ。
これでカロリーを梅パワーで消費するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この前のアメトークでアニソンが出たときにもやっぱり「アニオタ=キモオタじゃない!」みたいな話が出てきたらしい。
そうした話は当人たちにとって大切なのだろうから存分に議論してもらいたいが、これに平行して話題に上がるのが「アニメ人口」の話だ。
このニュースなんかはその典型だがアニメを見ている人が全体の3割強いることを理由にアニメを見ることは一般的だとか、市民権を得た?(誰が得たんだろうね)とか言っている。
視聴者数が多いアニメランキングの上位8作品は『サザエさん』、『妖怪ウォッチ』と言った子供向け、家族向け作品であり、9位10位も『ジョジョ』、『暗殺教室』とジャンプ作品が続く。
11位の『坂本ですが?』や15位の『カバネリ』ぐらいからようやく少年向け漫画が原作ではない深夜アニメがランクインするが、上位の作品のターゲット層を見ると「アニメを見ている」からと言って「深夜アニメを見ている」人とは限らない(※1)だろう。
また視聴している人の中で週6本以上見るコア層、つまりこの調査上の「オタク」が占めるパーセンテージは約15%(※2)である。
つまり全体から見るオタク人口の割合は0.32×0.15=0.48、約5%程度となる。
こうした解離を無視してアニメ見てる人は多いから市民権を得た!なんて言うことは、子供向け家族向けアニメを見ている人が殆どで、オタク向けアニメは世間に受け入れられてない!と言うツッコミを乗り越えられない。
結局考えなければならないのは何人見ているのか、ではなく誰が見ているのかと言った質的な物に目を向けざるを得ない。
飽きたので続きはやる気が出たら書く。
※1ちなみに上位30タイトルで見る子供向け、家族向けアニメと深夜アニメの視聴者数の割合はだいたい2:1。放送分数だと逆に深夜アニメの方が子供向け家族向けアニメより上回る。(アニメ産業レポート2016より)
※2ロジャースの普及理論に乗っ取ればイノベーター、アーリーアダプターの割合は約16%。コア層と言うのはイノベーターもしくはアーリーアダプターであり、この割合は増えも減りもしないからこの人口の話をするのは無駄!とも考えられる。しかしコア層の割合が一番高いのが20-29歳であるにもかかわらず、子供向け家族向けアニメの方が視聴者数が多いというズレを考えた場合、普及理論では片付けられない問題があるのではないだろうか。
1999年のSF映画、『マトリックス』とその続編についても批評家の意見は一致していない。『マトリックス』は人類を救う救世主となる白人のコンピューターハッカー、ネオ(キアヌ・リーブス)が主役の映画である[16]。マシュー・ヒューイは彼の著書、The White Savior Filmの中で、「コンピューターシミュレーテッドリアリティの外側の多文化的な景観に入り込んだ白人の主人公が彼の恩寵を通じて、今にも起りそうな災害から非白人の人々を救い始めなければならない。」と記している[17]。ハーナンとヴェラは著書、Screen Saviors: Hoiiywood Fiction of Whitenesssで『マトリックス』を人種が異なる援助者のチームを持つ白人の救世主という近頃の白人の救世主の物語の「最新作」として分類している。彼らは、「その映画の潜在的な白人の人種差別主義の批判は、黒人のキャラクターのモーフィアスやオラクル、モーフィアスの仲間のタンクやドーザーなどの白人の救世主であるネオに仕える弟子たちなどの神話のプロットによって否定される[18]。」 アディリフ・ナマはこれに対して、著書、Black Space: Imagining Race in Science Fiction Filmでモーフィアスとオラクルの重要な任務について「概して、その探求は白人の救世主によってもたらされた任務よりも、黒人の男性や女性によってもたらされた任務のように見える。その黒人のキャラクターは簡単に読み解くと、ブラック・パワー運動や公民権運動の象徴的で文化的な試金石や、それらの残余である[19]。」
みんな大好きスペース増田だが、召喚の条件がいまいち分からない。
なんとなくホッテントリから来ているんじゃないかという印象があるが、一般化できるものだろうか。
そこでとりあえず、2017/07/20 9:30現在に増田下部(スマホ版は上部)に表示されている「人気エントリ」8件および「注目エントリ」8件の計16件について、スペース増田の出現の有無を調べて下表にまとめた。
(最初はリンク貼ってたんだけど、リンク多すぎでスパム扱いされたのか投稿できなかった。そういう仕様だっけ?)
元増田(anond:~) | ブクマ数 | 総トラバ数 | スペース増田 |
---|---|---|---|
私は警察に行くべきか?(20170719194655) | 73 | 12 | あり |
2回以上アニメ化された作品(20170719153257) | 340 | 11 | あり(微妙・削除済み) |
twitterの使い方がわからない(20170719151636) | 144 | 11 | なし |
最近思ってること(20170719125912) | 128 | 5 | あり(削除済み) |
墓参りに行ったら火の付いたタバコが供えられていた(20170719103638) | 215 | 7 | あり(削除済み) |
あいちトリエンナーレで某ジャーナリストが芸術監督をするらしいけど(20170719064948) | 142 | 7 | なし |
孤独耐性とひきこもりの才能(20170719021542) | 84 | 4 | あり(削除済み) |
メリットの衝撃(20170718200500) | 385 | 3 | なし |
元増田(anond:~) | ブクマ数 | 総トラバ数 | スペース増田 |
---|---|---|---|
はてな元CTO伊藤直也さん(20170720064104) | 5 | 1 | なし |
悩んでる(20170719235353) | 28 | 3 | なし |
すげー不思議なんだけど(20170719231510) | 17 | 2 | なし |
ボウリングが好きなんだけど(20170719230133) | 17 | 0 | - |
火曜日にサザエさんやってたよな(20170719204920) | 17 | 1 | なし |
ラーメンは 麺の入ったスープなのか ..(20170719160250) | 22 | 1 | なし |
メアリ(20170719113703) | 9 | 0 | - |
便座の裏にチンチンの先っちょくっつける人って気持ち悪くないの?(20160712134216) | 3 | 1 | なし |
こんな ことをしていて 楽しいですか
外は いい天気 ですよ
各章が独立していた内容なので、どこから読んでくれてもかまいません。
要するに、今回の件の批判者の主張は「少年誌にふさわしくない」と「このような構造の表現は好ましくない」の2点に大別できます。そしてこれへの真っ当な反応としては表現媒体や販売場所の適不適に関する議論か、どこまでの表現なら現状の媒体で可能かといった議論しかありえません。
性被害を肯定的に描いているのは、たしかに問題表現です。しかし、それを少年漫画に載せるのが不適格なのかと言うと、簡単な話ではありません。
例えば正義のために暴力をふるうアンパンマンも、私刑を肯定的に描いたという意味では問題表現だと言えます。また、サザエさんでは家事育児が女性の仕事とされていますから、これも女性差別を肯定していると解釈することができます。こうなると、あらゆる漫画に問題表現を見出すことが可能であって、どこで線引きをすればいいかは難しいです。
そもそも少年ジャンプに載せたらダメなのか、巻頭カラーで載せたからダメなのか、それとももっと読者層の年齢が高めの漫画雑誌に載せることもダメなのか。ジャンプ編集部に判断を迫るのではなく、批判者たちも責任を持ってその提案をすることが望ましいです。
それに、出版社に対して自主規制を求める活動というのは、仮に権力者ではなく私人がやっていることだとしても、一歩まちがえると危険を伴います。
例えば「LGBTは不快だから表に出てくるな」「反戦漫画を子供に読ませるな」という"批判"をしている人たちだっているでしょう。かつて性描写や暴力表現を潰そうとしていたPTAも今回の騒動とおなじ手法で、やたら大声で騒ぎ立てて世論をかきたてたり、出版社に要望を出してその世論を忖度させるという手口だったんじゃないですか。昔のことはよく知りませんけどね。そして、これが公権力と結託すると恐ろしいことになります。
自主規制の是非については、あくまでもケース・バイ・ケースですが、「世論に押されて自主規制に追いこまれるのも表現規制の一形態だ」という理解は持っておくべきだと思います。
つぎに二点目の「このような構造の表現は好ましくない」という批判ですが、これは非常に厄介です。かりに『ゆらぎ荘の幽奈さん』を年齢層が高めの雑誌に移籍させたとしても、この批判を免れることはできません。
このブログ主さんは触れていませんが、「このような構造の表現は好ましくない」というのは単に論評をしただけではなく、「好ましくないからゾーニングしろ」「好ましくないから内容を変えろ」という含意があることも多いです。
オタクは規制されそうになったり、ゾーニングを求められたりして、いつもピリピリしているんです。だから、作品名を名指しされてそんな批判を浴びせられると、オタク側が過敏に反応してしまうのは仕方ない気がします。
また、批判者は作品内容を論評するにとどまりません。「こんな好ましくない表現のある漫画を作ったり消費している奴らはクズだ」という侮辱をされることもあります。
オタクはこの侮辱に対して、どのように応答すればいいのでしょうか? 頭を下げて、「この漫画は性被害を肯定的に描いた作品です。こんなものを楽しんでいる私たちは罪悪な人間です」という懺悔をおこなえばよいのでしょうか? さすがにこの対応を求められるのは屈辱的だし、ハラスメントではないかと言いたくなります。
もちろん批判に応答する義務はないですから、黙殺しておくのが一番だと思いますけど、それはそれで「オタクは社会的責任を果たしていない」という攻撃材料を作ってしまいそうです。
(ところで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の件とは異なりますが、成人指定がかかっているエロマンガに対しても、「このような構造の表現は好ましくない」という批判をすることが可能です。しかし、その批判を名指しでやることは、嫌がらせ以上の意味があるのでしょうか。製作者側も好ましくないと思ったから成人指定にしているわけですし、仮にその批判を向けられたせいで炎上案件になってしまったら困ります。)
また規制を進めようとしているのはフェミニストではありません。第一日本国内のフェミニストはそこまでの政治権力を持ち得ていません。日本において議会の多数派はほとんどの場合右派(というか極右)が占めており、規制も彼らの手によるものです。
もしフェミニストが規制を進める権力がないのだとすれば、オタク側はフェミニストからの批判に耳を傾ける必要がなくなります。権力のない者からいくら批判を受けたとしても、こちらは黙殺か冷笑をしておけばいいんです。
ただし実際には、自民党が表現規制をおこなおうとするとき、リベラルやフェミニスト等の左派勢力がそれに加担・黙認する恐れがあります。こうなってしまうと、民進党、社民党、共産党がいくら反対をしたくとも、その足場が揺らいでしまいます。
オタクは普段、左派勢力からの批判をちょっとはまじめに聞き入れておかないと、いざというとき彼らに助けてもらえなくなるのです。
リベラルやフェミニストは、オタクが自分たちの批判を聞き入れようとしなかったり、自民党や山田太郎を支持している姿を見ると、激怒するでしょう。そうなると次は報復感情が芽生え、批判を押し通すために権力を頼ろうとするのが当然のなりゆきです。
その意味でリベラルやフェミニストは、自民党や右派勢力ほどではないですが、オタクにとって油断ならない存在です。
もっとも、オタクが彼らの批判を聞いたところで、批判は次から次へと出てくるし、あげくのはてに土壇場で裏切られる可能性があります。
自民党が表現規制をやるとすれば、その大義名分は、「性暴力を肯定している漫画はけしからん!」「こういう漫画が流通しているのは女性差別だ」というものになるでしょう。左派政党はともかくとして、その支持者たちがこの問題で自民党に加担するのは、けっこう容易に想定できる事態だと思います。
例えば自民党が、「少年誌から不健全な性表現(=女性蔑視を促すもの)を追放する」という法案を出したとすると、それは今回の騒動でジャンプ編集部に自主規制を求める人たちの目的と合致するものです。このとき、リベラルやフェミニストが「自主規制には賛成だが法規制には反対だ」という峻別をする人ばかりだとは限りません。
あーね、あとは、「リベラルがオタクの支持を集めそこねたのは、リベラルがクソすぎる責任もあるのに、その反省はないのか」とか、「"表現の自由戦士"みたいなオタク像ばかりを見ていて、このブログ主の現状認識もおかしいんじゃね?」とか、いろいろ言いたいことはあるけれど、そこは私もろくに把握できていないので語るのはやめておきます。
このブログ主は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』が批判されているのはエロだからではないと言っていますが、それは違います。
絵としてエロいものだからこそ、我々の感情をゆさぶり、批判のやり玉に上がっているのです。その証拠に、私刑の暴力を肯定している『ジョジョの奇妙な冒険』等は、エロくないから批判のやり玉にあがりません。
今回のような批判が起こっているのは、この漫画の絵がエロく見えるからに他なりません。
もし視覚的には欲情を誘わない絵柄とか、エロくは見えない描写方法を採用していれば、女性蔑視・性被害うんぬんという指摘があったとしても、それが大勢の人たちを巻きこむ炎上案件にならなかった可能性が高いです。
今回の件で、はてなやTwitterのリベラルは「エロは問題ない」と繰り返していました。
しかし、私はそう思いません。
リベラルが褒め称えるような"エロ"ならば、それをどんどん子供に見せてよいですか? それを公衆に向けて掲示することは、ポリコレに沿っていると言えますか?
そんなはずがありません。どれだけ適切に描こうとも、やはりエロはゾーニングの対象にするべきです。
ところで、欧米の基準に従えば、二次元と三次元を区別せず、「児童の水着姿をエロティックに描くことは児童ポルノだ」という論を立てられると思います。
今日の日本のリベラルやフェミニストはまだこの基準を採用していないようですが、萌えキャラは童顔ばかりだし、それが水着姿になっている漫画はアウトだという意見が主流になる日が来るかもしれないですね。
女性が性被害を受けることをを肯定的にかいたというのは、じつは問題の本質ではありません。
例えば『ゆらぎ荘の幽奈さん』で、胸を強くさわられた女子が痛がっていたり、そのことで心が傷ついたシーンが描かれていれば、何も問題はなかったということでしょうか。
そういえば、この前に炎上していたクジラックスの漫画について、リベラルやフェミニストがどう思っているのかを知りたいです。
あの漫画はポルノとしては珍しく、レイプを正当化できない悪として描ききっていました。つまり、「レイプは被害者を傷つける暴力だ」「レイプをやる奴は卑劣な犯罪者だ」という認識を貫徹していたのです。
作中での性暴力の取り扱いが肯定的か否定的かということだけに注目していると、レイプ=悪という認識を徹底させたこの漫画が一周まわって健全だということになってしまいます。
これは私見になりますが、萌えという欲情を誘う絵柄で描いた漫画である以上、性被害は抜きどころです。
ストーリー上でいくら否定的なものとして描いていたとしても、それは性的消費の対象となります。
女キャラが性被害を受けているとき、その肉体が露出していると、男性読者はそれを見ながら欲情してオナニーするのです。
胸や性器の露出がなくても、その瞬間の女キャラの顔の表情を見るだけで、男性読者はきっとオナニーすることができるはずです。女キャラが恥じらいの表情ではなく、嫌がっている表情を浮かべているとしても、それはそれで抜けます。
これではどうやっても、「女キャラが性被害を受けている場面を男性読者が娯楽的に消費する」という構図を脱することができません。
この構図をなくしたい場合、萌え系の絵柄の漫画では、性暴力・性被害を作中で取り扱うことをやめるのが一番です。
また、該当箇所の絵を省略して、そういうことは文字で伝えるという方法もあるかもしれません。(しかし男性読者は、作中では省略された性被害の場面を勝手に妄想するし、あるいは性被害をうけた女性という属性に興奮し、それをオカズにしてオナニーすることができるでしょう。)
フェミニストが彼らの言うところのエロを批判するのは、主に女性の軽視、蔑視、搾取、モノ化といったことを肯定し助長すると認識しているからです。フェミニストがエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロが女性を独立した人物としてみなさないものであるからです。その前提をクリアするのであれば、むしろ女性の独立の証として肯定するフェミニストも大勢います。
この指摘は、いちいちもっともな話だと思うんですが、「そんな批判をされても知らんがな」という反発をしたくなります。
フェミニストが女性の独立の証として肯定するエロとは、どれだけ素晴らしいものでしょうか? "女性の軽視、蔑視、搾取、モノ化"を解消したとしても、今度は女性が男性に向かってそれをやり返すだけです。
例えば女性が自分の好みで男性を自由に選ぶということ、それは女性の権利です。しかし、その権利を行使するときの女性は、きわめて動物的な性欲を発揮しています。金、地位、容姿、安定感、人格、優しさ、そこには微塵もポリコレなどというものは存在しません。
パートナーに人格や優しさを求めるのは人間的な営みだと言われそうですが、じつは全然そうではありません。女性が恋愛において男性に求める人格や優しさとは、それはそれですごく動物的なものです。まるで獣のメスのようにオスを選別しているのです。女性が恋愛やセックスで感じる幸福も、すべてはこの獣性に支えられています。
いずれにせよ女の性欲も、男と変わらず獣のそれと同然なのであって、どこまでいっても身勝手で汚らわしいものなんです。性欲は、社会正義を求める意志とは根本的に矛盾しています。
こうなると結局、エロの正しいあり方というのは分からなくなります。表現物において女性キャラクターの主体性を重視すればポリコレに適するかといえば、すでに述べたとおり、決してそうではありません。
一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。
人権や平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視や暴力性と切り離せないものです。
お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供は不謹慎なもの、下劣なものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供の感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います。
少年誌といえども、子供はその本を自発的に選んで買っているわけです。これを「少年誌にふさわしくない」と批判して自主規制に追いこむのは、子供の権利を奪っているのではないかという疑念があります。
これはゾーニングにおける根本的な問題ですが、「子供の目に入らないように大人が配慮する」と、「子供が自発的に見ようとしているものを大人が妨害する」を混同してはダメじゃないかと私は考えています。この配慮と妨害は重なる部分がありますが、前者が積極的におこなうべきものであるのに対して、後者は抑制的におこなうべきものでしょう。
今回は巻頭カラーだから目立っていて、その点は大人が配慮をせずに子供に見せつけたと言えるかもしれません。しかし、子供はこの雑誌が以前からこういう作風の漫画を連載したものだと知ったうえで購入しているのですよね? それがあくまでも子供の主体性の発揮だということは、議論の際にもっと考慮に入れるべきだと思うのです。
(なお、確か少年ジャンプの読者層は高校生~成人が大半、残りは中学生だったりするので、小学生の10歳以下となると、ほとんど読んでいないはずです。それを一律に"子供"扱いすることには違和感があります。)
まあ、何々と同じなんでしょ?って言ってる方はぶっちゃけジャンルの話をしてるんであって
日本文学は全部日本書紀のパクリでしょ?みたいなことを言われようがそこは否定しようがない事実だから無言で頷く他よりない
(海は全ての生命の母でしょ?と言われてカチンとくる必要も反論する必要もないように一言そうだねというだけで良いのと同じ)
(創作物は作られる前段階で他の創作物と全く被ってないのかチェックされる以上は何らかの過去作品の影響を必然的に受けるものであると認識するべき)
作品にとって最も重要なのはビジネス的側面から言えば売上(利益率)であり何がルーツかはどうでもいい(勿論特許侵害に値しない範囲での活動に限る)
そして消費者サイドからしたら「どれが一番買いたいのか」でありこれまた何がルーツかどうかは極めてどうでもいい
仮にもしうる星と同じなんでしょ?(いつまでそんなもんみてんだバーカ)と言う意味で言ってきたとしても
それと深夜美少女アニメを見たいと思っているユーザーの気持ちとは何ら関連性がない
ジャンルとしてルーツがそうであったところで購買者の購買欲の有無とそれとは何ら関係性がない
同じジャンルならどの歌手・曲も大好きなんてやつがまずいないのと同じようにジャンルが同じだからといって購買欲が上がるかどうかは人それぞれ
同じものだから飽きる・同じものだから続けられる、そこは個人レベルの問題でありうる星がルーツかどうかは関係ない
なのでこの発言に同意したところで購買欲を否定できるものではないし、購入動機が消失するわけでもない
単にジャンルのことに対して問うているに過ぎない質問に正しい返答をすればよろしい
家族でテレビを観ていたら「日本で初めてペットボトルで売り出したモノは?」という問題が出た。
自分(40代のおっさん)は知識として知っていたから、黙っていた。
長女(中学二年)が「醤油!」と自信満々に答えたので、理由を聞いてみたら面白かった。
中学生すげーな。