「なかに」を含む日記 RSS

はてなキーワード: なかにとは

2024-05-05

家のなかは途方もなく静かだった。

先月、たまたま隣町にあるホームセンターに寄ることがあった。

広々とした店内を歩いていると端の一角が何やら騒がしく、向かってみるとそこはペットショップだった。私はそこで一匹の黒猫と目が合い、愛くるしいその大きな瞳に瞬く間に魅了されていた。しかし値段はかわいくない。それでも買えない額じゃない。次の給料が出たらあの黒猫を引き取ろう。そう決心すると一時の別れを惜しみながらも黒猫に声をかけ、そして何度も振り返りながら店を出た。

私はがむしゃらに働いた。働くことは好きではないし、これといって趣味はなかった。その癖、稼いだお金は使わなければと強迫観念に苛まれ、これまでブランド品やら心踊らない小旅行に繰り出し、写真を撮っては満足したふりをしていたのかもしれない。そろそろ全てが馬鹿らしく思い始めたれ矢先のことだったのだ。私が、あの子と出合ったのは。

心の底からこれほどまで本当に「欲しい!」と思えたのは初めてのことかもしれない。そうだ。私はあの子を引き取るために働いているのだ。そう思うと仕事にも熱が入り、労働はこれまでにないほど充実して感じられた。

毎日があっという間に過ぎていき、次の給料日まであと少し!となれば思いは日に日に集っていった。そうだ!家に迎えるにあたり、準備をしておこう。そう決めた私はネット必要ものを調べ、猫用トイレご飯とお水用の容器、ノミ避けの首輪、猫用の遊び道具、キャットタワー、爪研ぎ用のタワー等を購入し、家のなかに設置した。あとはあの黒猫ちゃんを迎えるだけだった。

待ちに待った給料日になると私は仕事帰り、すぐさま例のホームセンターへ向かった。前日は興奮してよく眠れず、店内に入ると早足で角のペットショップに向かい黒猫ちゃんを探した。

…いない。見間違えかと思った。しか記憶の限りではここのスペースにいたはずだ。しかし今は見知らぬ猫がいた。私は他も隈無く探した。それでも見つからず、とうとう店員に尋ねると「ああ、その子なら先日」私はそこで聞くのをやめて店員から離れ、すぐに店を出た。車に乗ると項垂れ、喘ぐように叫びハンドルを何度か殴った。それからゆっくり家まで帰り、なかに入ると真新しいキャットタワーが出迎えた。全く使われていない容器も、爪研ぎタワーも、燃えるごみしまいながら私は耳を澄ませた。

家のなかは途方もなく静かだった。

2024-05-03

排害主義こそ時代最先端

ネット右翼デモに飛び出しヘイトスピーチを繰り返し始めた数年前、それは一部のおかしい奴らが始めたことだと思われた。その背景が語られるときも、彼らは教養がなく、貧乏で、可哀想存在からヘイトスピーチに走るのだと語られるばかりだった。

しかし、排外主義の全面化こそ、今世界が直面している問題だというのは疑いようのないことだろう。各地でポピュリズムの嵐が吹き荒れ、移民排除の声が吹き上がっている。ネット右翼的な行動は「一部」ではまったくなかったのだ。それは世界的な運動胎動であった。

その象徴であるトランプ大統領誕生は、忘れてはいけないのがその直前をバラク・オバマというリベラル希望が8年間も統治した結果であるということだ。トランプ大統領を生んだ人々は、同時にオバマ大統領も生んでいたのだ。その現実直視しなければいけない。

この排外主義の嵐はナショナリストだけに留まらない。あらゆる主義主張なかにウイルスのように蝕んでいると言っていいだろう。リベラルリベラル以外を排除し、フェミニストフェミニスト以外を排除する。もっと言ってしまおう。アニメ好きはそうじゃないもの排除するし、読書家はそうじゃないもの排除する。政治信条だけではなく、ありとあらゆる趣味嗜好で排外主義が忍び込んでいるのだ。

そして、このような排外主義を加速させているのがツイッターを始めとする共感の数値化とエコーチェンバーにほかならない。さらにその下地には新自由主義の全面化がある。

資本主義多様性を殺し、人々を排外主義に走らせる。今、起こっているのは武力を伴わない内戦であり、第三次世界大戦はすでに起こっているのだ。そして、恐ろしいのはこの戦争に誰が勝利しようと、誰も幸せにならないことだ。

2024-05-02

「神は語った!」これはたしかにすばらしい文句だ。しかし、神はだれに語ったのか。

人間に語ったのだ。」ではなぜ、わたしにはなにも聞こえなかったのか。

「神はそのことばをあなたにつたえることをほかの人々にゆだねたのだ。」なるほど、神が語ったことをわたしに知らせにくるのは人間なのか。

わたしはむしろ直接に神のことばを聞きたかった。

そのために神にはよけい手間がかかりはしなかったろうし、わたしは誘惑からまもられたにちがいないのに。

「神はその使いの者の使命を明らかにすることによってあなたを誘惑からまもっているのだ。」どうやって明らかにするのか。

奇跡によってだ。」ではその奇跡はどこに見られるのか。

書物なかに。」ではその書物はだれがかいたのか。

人間だ。」では、だれがその奇跡を見たのか。

「それを証言している人間だ。」なんということだ! 

どこまでいっても人間証言

けっきょく、人間がほかの人間のつたえたことをわたしにつたえるのだ。

神とわたしとのあいだになんてたくさんの人間がいることだろう。

一方的に殴られ続けるチー牛

「チー牛は自分では優しいと思っているが実際は優しくない」「むしろ性格が悪い」「挨拶するだけでストーカーになる」「逆恨みで刺殺してくる犯罪予備軍

こういうチー牛への暴言はほぼ全ての女性共通した認識として持っていて、増田でもX(Twitter)でも頻りに放言されて多くの共感を得ているよな。

これら発言のうちどの程度が実際にチー牛に接してのものなのかは知らんけど、それでも実際遭遇した個体がそうだったからってチー牛全体を叩くのはやめよう、という風潮にはならないのが不思議でならない。

ブスに避けられた男が「ブスほど性的被害に敏感だよなw自意識過剰ですよw」みたいなことを言うと、それが実際の経験を基にしているかなかに関わらず、男女ともに批判されてめちゃくちゃ叩かれる。

女は暴言を吐かれると狂ったように騒ぎ出すのに、チー牛を標的に暴言を吐くのには全くためらいがない。自浄作用がないと感じる。チー牛は一方的に殴られ続けていろ、サンドバッグになれというのが女性一般的思想なんだろう。

2024-05-01

Ado国立競技場ライブ批判殺到。「顔出しNGでのライブ」にそもそも無理はないのか

Ado音楽プレゼンテーションに無理はないのか

 そもそもAdo音楽プレゼンテーションに無理はないのか、という問題です。

 まず、曲。大ヒットした「唱」をひとつとっても、一曲の中でいくつもの急展開があり、そこに多くの楽器効果音が使われ、細かなフレーズが入り組んでいる。ヘッドフォンで聴いたとしても、一度で全てを追いきれないほどの情報量がある楽曲です。

 これを大きな会場、しかも屋外で再現することを考えると、かなり厳しいと言わざるを得ません。

 そこで、やむを得ない音質の乏しさを補うために、ステージ演出Ado自身レア感が重要になってくるわけですが、ここで新たな問題が出てきます。顔や姿を出さず、シルエットだけのキャラクターに、どれだけ没入できるかという問題です。

 たとえば、テイラー・スウィフトビヨンセライブを観に行って、最高級の音質を楽しみたいという人は稀でしょう。(なかにはうるさ型のマニアいるかもしれませんが)やはり、彼女たちが発するオーラ体感したい、観客にそう感じさせるのがアーティストでありスターなのですね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c0adbf265d08ee3192799af71d93dd6db67c2ac7?page=2

彼氏でも顔出しNG、なのーん?

2024-04-29

anond:20240429013243

合意ありで大人恋愛需要あるしめちゃ売れてるのある。情勢的に、大手のほうがそういうの多く感じる。

ただどうしてもシチュエーション限定的になるし、漫画家自身ネタ被りを気にしてしまうという…。あと身勝手理由かもしれないけど性癖じゃないとモチベが下がる…。

それに、そのなかにフィクション存在するんだよね、生中出しじゃないと絵面的にも物足りないし。

かといって毎度このカップル子供をもうけられるほど金銭的にも社会的にも余裕がありますって描写はできない…。なやみどこです。

2024-04-25

anond:20240425165849

部分的な補足

自分のことを弱者男性だと思ったことは一度もない。

昨今SNS等で扱われているその対象無為拡張したいわけではない。

ただ、彼らの行動原理共感する部分がかなりあると言いたいだけ。

なかなかに図星でド正論パンチコメント言及がいくつか届いている。

ひっそりと改心に努めたい。

宝石の国最終話タイトル宝石の国」の意味全然からない

正解がないのが正解な気もするけど、それでも正解を探してしまう。

探すほどに正解が分からなくなる。

正解を見つけたい理由が「正解の分かる俺スゴイ!正解が分かってないくせに感動とか言ってる奴らザコすぎwww」でマウント取りたいだけな可能性に気づいたのでもう辞めることにした。

以下は副産物

流星になったフォス達が降り注ぐこの宇宙のものが「宝石の国」なんだよ!

なんでフォスが最期流星になる必要があったのか、それはこの宇宙と一体化するためだったのではないだろうか?

夜空をかける流れ星に願いを叶える力があるのは、流れ星もまた誰かの幸せを願っているからなのではないか

この宇宙に瞬くすべての星は、フォスのようにそんな思いを持っているから輝くのでは?

ならこの世界のものが祝福に満ちている!

宇宙は真っ暗闇なんかじゃない!

宝石のように煌めく祈りに満ちた宝石の国なんだ!

全ての魂は転生し、この宇宙を満たす、誰かもきっと昔は宝石で、未来宝石になる

流星になったフォスは、在りし日のフォスの元へ。

誰もが生まれ変わり自分出会う。

いま近くにいる誰かも宝石の生まれ変わりかも知れない。

バラバラになって二度と会えなくなったと思っているけど、気づかない内に再開は終わっている。

皆きっとここにいるからきっと寂しくない。

今はもうない宝石の国の夢を見た

ふと思い出した過去自分、もう戻れない時間

振り切るでもなくただ自然と手放して前へと進む。

懐かしい思い出は今も心のなかにある。

宝石の国はもうない。

それは幸せな夢のようにいつか誰からも忘れられるだろう。

遂に見つけた心の宝石に満ちた国

求めていた場所にようやく辿り着いたフォス。

自分を受け入れてくれる仲間たちと穏やかな最期を過ごす。

煌めく宝石のような日々は、新しい仲間たちの心の光。

ここが本当の宝石の国

見た目に綺羅びやかである必要はない。

素朴だけれども輝くような毎日

幸せに生きるフォスの姿を宝石の国の皆が祈っていた

今はもういない皆の祈りはフォスが救われること。

フォスが今ココにあるのは皆がフォスの幸福を願ったおかげ。

それが誰だったのか彼はもう思い出せない。

でも彼は確かに救われている。

今はもう兄機だけが覚えている皆が願ったように。

兄機はやり遂げた。

皆もやり遂げた。

物語最初から最後まで、宝石の国の誰もがフォスの幸福を願っていたのだろう。

いまえんむぎをたべてる. めちゃくちゃ, おなかにたまる. だめだ. まじでおなかいっぱいになって, たべきれないわ. のこそう. れいぞうこにいれておこう.

anond:20240425111104

うみや かわで つかまえた

ポケモンを たべたあとの

ほねを きれいに きれいにして

いねいに みずのなかに おくる

そうすると ポケモン

ふたたび にくたいをつけて

このせかいに もどってくるのだ

2024-04-22

おもしろい こと って なに か ないのですか? やること list を みると, ここ に たいざい している あいだ に やるべき ことども は 19 です. なかには とても かんたん な こと も ある し, hard な こと も あります.

anond:20240422004726

自分の言いたいことが伝わればいいという発想で言葉をとらえ、相手が期待しているキャッチボール理解しないと、

英語で話しかけていようが現地語で話しかけていようが、それは日本語で話しかけているも同然だ。

極論すると植民地主義的なマナーだ。


それがもっと謙虚に表れるのが挨拶の習慣だ。

日本では、お客様神様という文化から、お店の人が挨拶してきても黙ってればいいし、何か応答したいときも表情だけで伝えればいいことが多い。

「またのご利用お待ちしております。」に慣れていると、よその国のスーパーレジエンジョイユアディナーなんて言われてレシートを渡されるとなんて答えていいかからない。

アイウィルサンクスなんて言葉は思いつきようがない。

エレベーターに乗り込んだ時に、すでに見知らぬ人が中にいたときに、目が合えばお互いに「どうも」という習慣がある国だってたくさんある。

日本人はウチとソトの使い分けがあって、組織内部や取引先などの目上の人に対してはバカ丁寧なあいさつをし、目下にはガキ扱いなコミュニケーションをしがち。

まり内輪のマナールールには厳しい。

そのくせに、外では無礼でも乱暴でも気にしない。お店や公共サービスへの度を越したクレームとか、自動車同士のいざこざとか煽り運転とか、そういうのはソトでのコミュニケーションスキルの欠如なんだよ。

見知らぬ人とのコミュニケーションは苦手。だから海外にいっても、その国では見知らぬ人同士で普通はするだろう挨拶や習慣をガン無視しがちなんだよね。

相手からすると、挨拶もできないくせに、自分の聞きたいことだけ英語できいてくる、みたいな失礼な態度にみえしまう。

日本人は横柄で傲慢、なんか壁があるけどだけど外国人からしょうがないか、なんだよね。

特に日本組織文化の内輪のコミュニケーションに慣れ切った中年以降の日本人にそういう傾向が強いと感じる。

こういう傾向が自分たちのなかにあるって知ることは言葉を学ぶ上で、文法ボキャブラリー以上に重要なことだと思う。

このAI時代、見知らぬ土地翻訳に苦労することはかつてほどなくなった。その意味ではユニバーサル言語として英語勉強する必要すらない時代になってきた。

スーパースマホをかざせばアラビア語ベンガル語商品名がわかる、みたいなボキャブラリーを身に着けなくとも、言葉がわかるようになってきた時代

元増田

日本語脳内英語にする→英語翻訳アプリで現地語にする」って流れでどの国の言葉でもなんとかなる。

とかドヤ顔でいってるけど、いまやポケトークがあれば、たいていの言語対応していて、もはやオール日本語で通してOKだよ。

見知らぬ国で交通事故に巻き込まれ病院で何か聞かれたとしても、翻訳機とグーグルレンズで乗り切れるだろう。

でも、そこまで便利な時代になってなお、言葉を学ぶ意味があると思うのは、例えば

ごきげんよう」に対して、「あなたもね」と返す文脈がその国にあると知ることができるからだ。

しかし、日本人は内輪の空気には敏感で、仲間内自分がどうみられるかには気を遣うけど、ソトのひとからどうみられるかにまり関心がない。

神様みたいにふるまってしまう。

そのうちAiさら進化して、こういうときにはこういう返事をしなさい、と教えてくれるかもしれないけど、

うそうなったら人として終わりだと思う。

2024-04-20

anond:20240420174426

まよなかに ベルが なった

おじさんの チンポー

おわかれの ときが きたのを

みなに おしえたのさ

てんごくへ のぼる おじさん

チンポとも おわかれ

いまは もう うごかない その チンポー

2024-04-16

弱者男性の救われ方

これは申し訳ないんだけど、おそらく弱者男性が生きているあいだ、少なくともこの先数十年は、男性権利女性の権利に優先してケアされることはないと思う。

弱者男性は、女性と闘って社会から何かしらの福祉を獲得することよりも、いまの苦しみを別の方法回避することのほうが現実的だと思う。

具体的には以下の3点あたり。

これ以外にも、弱者男性からも色々な回避策を発案して、福祉として取り込んでいくのがいいと思う。(女性をあてがえとか、女性枠を取り除けとか、そういうのはなしでね)。

男女で限られた福祉リソースを奪うために争いあうのではなくて、弱者男性女性に頼らなくても、穏やかな生活を過ごせるようになればいいと思う。

2024-04-13

こういう文章を書く仕事を単に翻訳と呼んでいていいんだろうか?

つの指輪は、空の下なるエルフの王に、

 七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、

九つは、死すべき運命の人の子に、

 一つは、暗き御座の冥王のため、

影横たわるモルドールの国に。

 一つの指輪は、すべてを統べ、

 一つの指輪は、すべてを見つけ、

 一つの指輪は、すべてを捕えて、

  くらやみのなかにつなぎとめる。

影横たわるモルドールの国に。

果たして翻訳AIが、こんな文章を書けるようになる時が来るんだろうか?

そんなふうな物事の捉え方に気づくと、翻訳家というものを舐めていた自分を知る。

2024-04-12

anond:20240412171139

 アタシゃギャンブラーじゃねーけどよ、一平と砂漠のまんなかにあるエンタメ地区ホテルに泊まりてーんだわ。

 んで、ギャンブルだけはしねーの。

 だけどよ、隣の席から次々と出てくるメダルの山を見ながら、尻に力入れてスロットレバーにしがみついてるかっこいい一平見てると、

 ひそかにキモチ焼いちまうのよ。

 イライラしながら席立って、ポーカーやるんだけど、必死で顔から不安感消そうとして、勝利の喜びをイメージしようとするけど、無駄だってわかってんの。

 所詮てっこないんだよ。

 で、怒りと悲しみを胸に秘めて元の席に戻るワケ。

 時々、バカラテーブル越しにお互いの顔見合わせんのよ。そんな時、一瞬でお互いの手の内を伝え合って、どっちかが勝つように気をつけんの。

 いつかどっちかが一文無しになって、もう片方が街の外で埋葬することになるわ。で、旅立った友へ短い詩を書いて、

 最後の賭けの道具もなくなって生きる意味を見出せないから、自殺すんのよ。

政府少子化を推奨している

最近話題共同親権

Xで流れてきたので見てみたらなかなかにやばく、こんなリスクしかない制度下で結婚出産したがる人間ますます減るだろうな 特に女は

結婚出産忌避するのに正当な理由たり得るクソ制度だと思う

フランス婚外子を認めてある程度出生率を持ち直した事があるが、そういうのと完全逆

まあ政府としては子供を減らしたいんだと思うね

政府少子化対策を声高に唱えているが、こども家庭庁というゴミ組織を作って税金をお仲間に横流しするためのお題目で、子供を増やす気は一切ないだろ

こども家庭庁というなんの薬にも立ってない省に4兆5千億もの予算がついているが、これを出産費用無償化20台の夫婦のこども手当にでも使えば、程度は知らんが今より出生率はマシだっただろ

未婚子無しの自分個人利益としては政府が子無しを推奨するのは好都合だけど、社会としてはよくないと思うんだよな

エクレール それはシュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていること

エクレール

それはシュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていることだ。これをたべるには、上品ぶってフォークなどでつついていたら、なかにいっぱいつまっているクリームがあふれだして、しまつのおえないことになる。そばを、つるっとすくってたべるように、いなずまのような早さでたべなくてはならない。そのため、フランス語でも、この菓子名前を「エクレール(いなずま)」というのである

明は、口をできるだけおしあけて、その大きなエクレールを口のなかにおしこんだ。すると、かたいようでやわらかい、やわらかいようでかたい、その皮のなかから、かおりのよいクリームが、どっとながれこんできた。

うまかった、舌がしびれ、口じゅうがとろけそうなほど、そのエクレールはうまかった。明は、目をつぶった。

2024-04-11

オッサン・アバ

「昔はオッサンもおったしアバもおったし、夫婦も三すがいもおったし家族はたくさんだった」と語られるが、オッサン・アバというのは、親族呼称上の区分として、長男・長女をアニ・アネと呼ぶのに対し、次三男以下、次女以下の呼称であるジ・オである者が、結婚適齢期である二十歳過ぎても、未婚のまま生家に継続してとどまっているような状態を指す。オバは嫁として他家の正規な一員となる可能性が高かったが、オジは「二十四まで家に奉公して、シンゲ(自立)しろよ」といわれ、二十五歳から家業以外の仕事で得た収入はシンガイ個人自由になる私財)にして良いとされ、独立することが望まれた。明治になって転居の自由が認められてからは、松前イカの盛況で、北海道へ行ったオッサンも多かったといわれている。

しかし「オジゴンボウ(牛蒡の分かれ根は余計なもの)」とか「アバ見りゃ荷が重い」といった言い回しが残っているように、かつては独立できず生家にとどまっていた傍系親族も多かった。生家にとどまっている間は、以前は結婚が認められず、独身生活を強いられたわけであるが、明治の末年頃まではオッサン・アバのまま一生を終える者もみられたという。オッサン・アバのまま死ぬと、縁付かずに死んだということで、夭折した子供と同様、「先祖」にはなれず、「無縁さんになる」といった。

明治になれば少なくとも結婚自由保障されたわけであるが、明治末年の頃のオッサン・アバの暮らし聞書きで、ある程度は捉えられる。明治三十年生まれ宇川ハルさんによれぽ、オッサンなかには仮の住まいを作ってアバと一緒になって暮らす者もあったが、ただし「寝床は下にコンクリー固めてムロみたいの作ってのぉ、そこに馬の糞の乾燥したのをそこに入れておくとホカホカとしてくる。その上で寝ていた」という。それぞれ生家の仕事を手伝って、その日暮し生活を送っていたが、よくしたものでそのうちに潰れた家や立退く者の跡を継いだり、両養子やナカモチ(中継相続)に入って何とかなるものだったという。

https://doi.org/10.15024/00000566

2024-04-10

anond:20240410032432

その答えは自分にはわからないけれど、

ももしも自分が眠らなくてもいい身体になったとしたら、

たぶん気が狂ってしまうんじゃないかな?

それはかなりの確率の高さでそうなると感じる。

もちろん眠らないことで脳内に老廃物が溜まって……、

かいう話ではない。

そうではなくて、

ずーっと眠らずに意識があるままだったら、

意識リセットが訪れないことになる。

例えば嫌なことがあったとする。

そのことを私がいつまでもクヨクヨと思い悩む体質だとしても、

でも眠りが訪れることでそういったことがある程度リセットされるだろ?

寝てる間に心の中のしこりのようなものがどこにあるのかわからないけれど、しかるべき収納庫のなかに格納されて再び前を向いて生きていけるようになる。

でも、もしも眠りが訪れなかったら自分はずーっと生きていくことの負債を抱え込み続けることになるだろう。

おそらくそのことでやがて身体的には問題なくても精神的に大きな問題を抱えることとなるはずだ。

2024-04-08

ラニーノーズファンnoteを発端に流布する「推し活かくあるべき」論

しゅんき氏の、ラニーノーズRunny Noizeに対するファンとしての失敗に関するnotehttps://note.com/syunki0910/n/n0bbc0a2e4b96)が話題になり、

それにより「推し活は、推し理想と違った場合は呑み込んで応援するか離れるかしかない」という言説が出回っているが、私は少し違う意見だったためその旨を記す。

 

まずはじめに自分スタンスを明らかにしておく。

以下はしゅんき氏が記事内で挙げた、何らかの推し活をするうえでのファンパターンだ。

 

好きな人に対して、好きすぎて狂信的になり、全肯定人間になる人
②好きすぎて、愛を拗らせて文句ばかり言ってしまう人

 

この2パターンがいて、両者は分かり合うことができないということには共感をする。そして本記事は、②であることが多い立場から発言である

 

また、こちらの記事https://note.com/syunki0910/n/n9e7ab2259c1c)の嫌われた原因の項目で書かれている、「自分の振る舞いはおかしなことではない」という点も、一部は理解することができる。

私のスタンスは、

・人には他人を傷つけたりその自由意思を妨げない限り、発言自由担保されるべきである

プロアーティストが生み出した作品に厳しい意見がつくことは(誹謗中傷言葉選びによっては許容されないが)ある程度想定されることであり、その発信自体は叩かれるべきではない

 

というところだ。

前置きが長くなったが、以上のようにしゅんき氏に一部共感するところがある人間視点から問題分析したいと思う。

 

1.言動自由が認められるのは、ファンアーティストも同様である

 

しゅんき氏は、noteの中で、「人がどんな感情を持つのもどんな行動をするのも、基本的には自分勝手である勝手に人に感動したり怒ったりするのだ。誰でもそうだ。人間はそういうものなのだから別になんの問題もない。」と述べている。この一文はまったくその通りである。だから推しに不満を持っていても、不満を吐き出しながら応援する」という行為自体問題はなく、「推し活は~すべき」ということには当てはまらない。

特に規模が大きいアーティストになればなるほど、様々な葛藤を抱えながら応援しているファンはいる。私が今回記事を書こうと考えたのは、冒頭に述べた「推し活のファンの在り方二元論」に異議を唱えたかたからだ。あのような言説が広まると、多くの葛藤するファンが「自分推し応援する資格はない」と自分を責める原因になりかねない。「どんなスタンス応援しようと自由」なのである

 

ただし、それはアーティストも同様であるということだ。

今回、しゅんき氏は、以下のように述べている。

 

僕はあまり媚びずに正直に意見する。
向こうは仕事なので、客から意見は聞かなければならない。
聞いて受け入れなければならないが、
必ず反映させる必要はない。
場合によっては、「それは誤解で、こういう理由があって、こういう思いがあって僕たちはこのような行動に至りました」などと釈明しても良い。
ただし、
「客の意見は一切聞かない!!褒める時だけ喋れ!!」というのはあまり傲慢である

 

これは、「アーティストはかくあるべき」という押し付けであり、アーティスト個人に対する自由意思の妨げである

もちろん、客の声をよく聞き向上に努めるスタンスは、商業的に正しいとされる。これがたとえば、利益創出を目的とした企業それ自体相手であれば、もう少し理屈は通る。しかし本件の相手アーティストとはいえ個人である。私は洲崎氏という方を本記事で初めて知ったが、どういうスタンス活動するかは自由であり、それが利益に繋がるか繋がらないか、繋がらない場合どうなるかはファン判断することではなく、本人自身所属会社が考えることである

存じ上げないうえで例とはいえこのようなことを述べるのは申し訳ないが、たとえば「今はコントより音楽活動比重を置きたい」と思っており、作品の完成度が低くなった場合も、それはアーティスト自身自由である

しゅんき氏が「ファンとはこうあるべき(たとえば本人が提示していた①のような全肯定であるべき)」「作品への不満は言ってはならない」ということを強要されるのをおかしいと思うことと同様に、人の創作活動アーティスト活動強要することはできない。

しゅんき氏がそれを傲慢だと述べるのも自由だが、洲崎氏が傲慢と思われても構わないと思うこともまた自由なのである

 

2.自身理想への解像度を高め、相手は変えられないことを前提とした行動をする

 

しゅんき氏の初期のnoteの中には「自分はこういう人間である」という記述、そして自分がなぜ間違っているかからないという記述があった。

1でも述べたとおり、間違っているわけではないという点は共感する。ただし、その自分を周囲が受け入れるべきだと考えると、それは今回のような事態を生む。

 

見る限りしゅんき氏のなかには2つの欲求理想(細分化すれば3つ)の状態があると思う。

 

1つは、アーティストと良好な関係を築き、ライブに参加し続けること(これは2つに分けられる)

もう1つは、SNS上で忌憚なく自由発言をすること。

 

この2つは、現状の方法では両立することが困難である。そして氏は両立できないことについて、「相手が譲歩し両方の欲求を満たしてくれるよう振る舞うべき」だと考えている。

ここが今回の一番の問題であると考える。よく言われるように他人は変えられない。だから自分がやり方を変えるしかないのだ。

 

そのとき方法はいくつか考えられる。

 

SNS上の振る舞いを改め、嫌われないような言動を心がける

SNS上の振る舞いを優先し、良好な関係は諦める。現場では交流を求めず作品だけ楽しむ

③完全に降りる

 

そして、④は(今からはもう難しいかもしれないが)、「欲求が両立する方法を考え、折衷案的振る舞いを見つけること」だ。

 

これは会社にたとえるとわかりやすい。

自分にはやりたい仕事があり、就職することができた

しか職場仕事の進め方が合わなかった

 

こういった場合、人は④の方法を取ることが多いのではないだろうか。

・この職場自分仕事の進め方を浸透させた方がいいと考え、同僚には仕事の仕方を合わせてもらえるよう交渉する。後に実績で報いられると信じ、その場の人間関係軋轢覚悟する。

・合わない場所にいることはしたくないが1年ほどは我慢できそうなので、転職のために1年は必要な実績を積むことにする。そのために時に妥協し時に我を通すなど状況に応じて変える。

・人と良好に働くことを優先したいため、同僚の進め方に合わせる。関係を構築してから徐々に自身意見を述べるようにしていく。

 

以上の違いは、「進め方へのこだわり」「実績」「人間関係」様々な要素がある中で何を優先するかだ。自分価値観点検し、どこにどれだけ比重を置き、逆にどれが不足していると耐えられないか、どれくらいなら耐えられるかを見極め、自分にとって心地の良いバランスを探っていく。それが人間関係であり人の営みではないのだろうか。

 

ここで、すべてを満たそうとただ声高に叫んだところでそれが叶えられることはないだろう。しかしゅんき氏は、自分欲求すべてが同等に叶えられるべきであると考えている。

欲求複数持つことや叶えようとすることは問題ではない。問題は、他人環境は変えられないという点への無自覚さと、自分の中の優先順位不明瞭なことである

自分にとってもっと理想的な状態は何か。それが実現するためにはどのような振る舞いが適しているかを「相手が変わる」という選択肢を除き、「自身妥協点」や「自身が新たに身につける思考や振る舞い」を考慮したうえで計画し、実行に移す。

 

こうした行動が、氏には必要だったのではないだろうか。

 

とはいえ、まだ若い方が以上のようなことを考えて振る舞うことは難しい場合が多いだろうと思う。

そしてこうした振る舞いを自身が二十歳そこそこの時に身につけていたかというとはなはだ疑問であり、だからこそ私は、こうした記事を書いている。

擁護ではなく、この記事もまた、私のお気持ち表明だ。

 

推し活・ファンはかくあるべき

 

なんてものファンダムのなかの「べき」論は幻想だと思っている。ただそこは人の営みであり、アーティストも含め、心の通う、自分と違う人たちが多くいる場所だ。

迎合を覚えろという意味ではなく、ただ、自らの思い通りにならないことを理解したうえで、なるべく心地の良い落としどころを見つけていくこと(あるいはそれを試すこと)を、私は若い方に推奨したいのかもしれない。

現実より夢のほうがリアル

寝ていて見る夢のほうが、現実よりもリアルだといつも思う。

自分は夢の内容を、具体的には全く覚えていることができない。ぼんやりとしたイメージしか残っていないから、どうしても言語化はうまくできないのだが、それでも夢のほうが本当だと感じる。

もちろん、現実と夢の区別はついている。ついていて、そのうえで夢のほうが「おもしろい」という感じ……それはちょっと違うかもしれないが、なんというか、夢を見ているときのほうが「生きている実感」があるのだ。

起きたあとにぼんやりと残っている内容は、ちょっと冒険っぽいイメージのことが多い気がする。仲間と一緒に、知らない土地を旅するようなもの

ちょっとしたトラブルがあると本気で困り、うれしいことがあると本気で喜ぶ。次々といろんなことが起こる。退屈しないし、すべてのことが感情を揺さぶってくる。

たまにエロい夢もある。もちろん本気で興奮する。でも、別にいつも楽しい内容ではない。怖い思いをすることもある。

犯罪を犯して警察に追われるようなパターンも多くて、汗だくで目覚めたときに「夢でよかった」と胸を撫で下ろしたりするのだが、それでもやっぱり夢のなかのほうが「生きている実感」がある。

現実自分は、友人も特にいないし、家族もない。彼女はいるが、本当に好きだった人ではない。

仕事は、自営でのんびりやれており、嫌なことでもなく、食っていく分には稼ぎも不足ないが、これも本当にやりたかたことではない。

考えて見ると自分は、これまでの人生で、なんとなくやりたくないことの諸々を拒否してこれた代わりに、本当に欲しいもの、やりたいことも手に入れられず、中年になったようだ。

現実では得られなかったものを、夢の中で埋め合わせようということなのか。もしかしたら、そういうことが関係しているのかもしれない。

あるいは、夢の内容はファンタジーではないけれど、ファミコンばかりやっていた小学校とき記憶ドラクエとか、FFとか、パーティーを組んで冒険する、ああいイメージが、自分なかに残っているのかもしれない。

結局、ファミコンRPGが、人生最良の思い出だったのだろうか。

普段生活では、心から何かを楽しいと思うことはもうほとんどない。酒や飯で脳に強制的快楽を感じさせ、誤魔化すくらいしかやれることがない。現実では性欲もなくなってきた。風俗にも行ってみたがすぐに飽きた。

昔見たので記憶曖昧だが、たしか笑ゥせぇるすまん」のアニメで、自分の見たい夢を見られる枕みたいなのが出てきて、喪黒福造忠告無視してそれを使いすぎるというお約束で、その人は目が覚めなくなり、寒風吹き荒ぶビル屋上かどこかで永久幸せな夢を見続ける、みたいな話があった。

作品としてはもちろんバッドエンドなのだけれど、ずっと夢のなかにいられるならそっちのほうがよっぽど幸せじゃないかと、自分は思った。

2024-04-07

anond:20240407004206

読者層の変化だな。ラノベに限った話だが、あれは妄想を擬似体験できるツールとしてなかなかに良かったんだよ。

それが、今は、簡単気持ちよくなれるドラッグみたいなものが好まれるようになったわけだ。小難しい話はノイズなんよ。

2024-04-06

ヒトラーを完全悪っぽく仕立てたのちょっとマズかったのでは

ヒトラーがいいことをしたとかはどうでもいいんだけど、それより思うのは悪いことの評価の方なんだよね。

ヒトラー=完全悪みたいな基本的世界共通認識を一応共有してるんだけど最近イスラエルの動きを見たら今後もそれが続くのかなって疑問に思った

ヒトラー評価を変えそうなのは現実に行われそうな新たな悪に伴って」そうなる予感があるんだよね

例えばだけどトランプみたいのが大統領になって不法移民を集めて殺すとか言い出して、それを正しい行いだとする支持者が溢れたら絶対ヒトラーを再評価しようって動きも出てくると思うんだよね。非常識正当化のためにそれまでの常識否定するというのは一番効果的だと思うし。

ヒトラーはいいことをしたみたいな一連のムーヴもこの流れのなかにあるとおもうんだよね 

中国なんかも超大国になって軍備増強で誰も手出しできない状況を作りつつ少数民族を間引いていくような動きがもっと顕著になったら、中国国内では「存在してはいけない民族」みたいなカテゴリが当たり前になるのでは?

ホロコーストを経てるはずのイスラエルでさえも、パレスチナ人に対してはあんな動きをするくらいなんだから

少なくとも手法レベルではイスラエルこそヒトラーの基本スタンスを参考にしてるといわれても文句言えない感あるでしょ

人間は悪行をおこなうものだし、悪行の正当化にはありとあらゆる手法が利用されるし、その中でもすでにある悪を善であると思わせる手法っていうのはとても効果的だし、そのなかで最も効果的な現状の完全悪こそヒトラーだと思うんだよね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん