はてなキーワード: きな子とは
好きな絵をトレースするとムラムラしてくるというブコメが一番人気だけど、俺は逆だな
模写するために絵を分解して詳細に見るということをやると、なんでエロいと感じたのかわかんなくなってくるんだよ
全体として見れば同じ絵のはずなのにだよ
しかもさらに悪い事に、模写すると元の絵もエロく感じなくなってしまう
だから、エロマンガは衝動で目を走らせて射精してそれで終わりにする、勢いと一期一会を大事にしたほうがいいと思う
コスパは悪くても仕方ないと思う
あーでもほんとに気に入ったやつなら、毎日とは言わずとも数週間おきに見たくなったりするから、長い目で見れば全然コスパ悪いなんてことはないよ
そういうやつあるだろ?
コスパいいやつもあれば悪いやつもある
ただ悪いやつのほうが多い
でもいいやつを求めて次のエロ本をまた買うんだ
ってわけじゃねーけど、それでも許せないのは表紙と冒頭の1話だけ絵がうまくてそれ以外が古い作品で全然抜けないやつな
アンソロ系で表紙だけうまいのよりかは多少マシだけどすげー詐欺にあった気になるんだよな
まあエロ漫画なんてそうそうストックたまらないし古いのが増えるのが仕方ないのもわかるんだけど
普通のマンガでそれやられてもそれはそれでいいんだけど、エロ漫画でやられると、あからさまにエロレベルでギャップあって萎えるどころの騒ぎじゃない
どうしても処分しなきゃいけないけど捨てたくなかったのをファイリングしてた
そういや二次絵の首を折ってアルバムの好きな子の顔写真に合わせるっつうアナログなアイコラして抜いてたりもしたな・・・
そんなもんなんだよ
一枚絵でエロいと感じるのが難しいのはそこだな
ああああああこんなこと書いてたら俺もエロい絵を模写したくなってきた
(追記)
七人の超将軍はザクのリアル等身のはどうむしゃマザク以外は全部買った。
機動武者大鋼のナントカ砲を発射するポーズ再現しようとして胸そらせようとして足のジョイント折っちゃって、木工用ボンドじゃくっつかなくて、親に聞きながらパーツを注文した。
でも右と左間違えて注文しちゃってすごく落胆した。
間違えたことは親には言えなかった。
ゴッドの変形機構の肩が胸の前にスライドするのがすっごくかっこよく見えてた。
基本的に変形するやつが好きだった。
なんかお得感あったし。
ウイングがゼロカスタムになって羽根っぽくなって鳥形態にならなくなったのが不満だった。
中学生になってちょっと背伸びして墨入れをおそるおそるやってみてめちゃくちゃ満足してた。
友達がPGゼロカスタムを買ってもらっててすごく羨ましかった。
箱もそのままだと場所をとるから、はさみで切って大事に保存しておいた。
そんで大学に入ってからは引きこもってアニメとかエロゲばっかやってた。
絵がかければなあと何度も思った。
ガンプラなんかじゃなくて、マンガを買ってもらって自分で絵を書くのが好きな子どもだったらもっとよかったのに。
何も考えずにただガンダム組み立てるのが好きだった頭の悪い子ども時代の自分をぶん殴りたい。
ほんと享楽的な子ども時代を送るなんてバカバカしすぎて自分に腹が立つ
何も残らない。
何の力にもなってない。
http://anond.hatelabo.jp/20151001230348
今まで数人に告白された。
全員、最初こちらは特別に好きではなかったが、断った人、OKを出した人の違いってなんだろうと考えた。
これから告白する人の参考になれば。ファイト。私は女ですが、男性側へも同じじゃないかなと。
ちなみにNGは皆、全く同じ行動してた。
<告白の言い方>
OK「付き合おう」(「付き合ってください」もあったが、「君が好きだ」という空気が言外から伝わる)
NG「あなたが好きだ。こういうところに惹かれてる。あなたとよければ付き合いたいんだけど、あなたはどうかな?」(言い方はもっとカジュアル)
→「論理的に考えてこういう理由で好きなんだけど、君の論理も聞かせてよ。対案が無いってことはOKってことだよね?」
相手の気持ちはガン無視。「告白」という自分の気持ちを伝えるプロセスを無理やり理由づけようとしてる。
好きな子の目をしっかりと見て、「付き合おう」って言って。全然印象違うから。
ものすごく勇気がいる分、こちらにもしっかり伝わるし、こちらも真剣に考える。
あと「付き合おう」ってなるってことは既にそういう雰囲気になってるだろうからそこもポイント高い。
OK 立って言える場所。
言われる側からすると、座って言われたら、すごく軽い告白に思える。
場所にもよるけど立った方が断然良い。屋内怖いなら景色の良い場所がある。公園でもいい。
立って言う方が真剣さ伝わる。座って普通のお話みたいにいわれるよりも、立って向かい合って言うだけで印象は何倍も違うよ。
OK 半笑い(照れ笑い?)とにかくずっと笑った顔
「うわ、なんか小粋なジョークとか加えつつ真面目な顔したら落ちるとか思われてるんだなー」と思ってあっさり断りました。落ち込まれてびっくりした。
<振られたとき>
OK なんでか聞きまくる。拗ねる。引き下がらない。
NG あっさり引き下がる。暗くならない。
※ここのOKはこれからOKになるかもしれない可能性が残るという意味で使ってます。
「OKはお前のことそんなに好きじゃないけどいけると思ったからそんな告白したんだろ」と言われそうですが、まさにそう。だからこちらも断った。そして今後も可能性はゼロ。
軽い告白してる人って「付き合いたい。でも自分は傷つきたくない」っていうのはすごく見える。
自分を優先させるくらいなら告白しない方がいいよ。好きだって思い込んでるだけで、相手のことそこまで好きじゃないんだよ。
真剣に伝えてくれた人は、やっぱり「付き合ってみようかな」と思ってその時好きじゃなくてもOK出した。
「付き合う」ことをゴールにせず、「気持ちをしっかり伝える」をゴールにしてほしいし、したい。
逆に言えば、全然なしの人でも真剣な告白をしてくれたら、そのときは断っても、心には留まる。で、なし崩し的に気になる存在になる。
「断られても諦めずに好きでいたい」と思う姿勢で来てくれるとこちらも真剣に考える。やっぱり人の気持ちって受け取る側もすごく負担かかるから。
告白ってイベントは人生でとっても大きいと思う。だからこそ大切に!
クリスマスまで3ヶ月弱。価値観って人それぞれだから、皆がんばれ。私も好きな人いるからこれを踏まえて告白するつもり。頑張る。
Times Higher Educationの世界大学ランキングが今年も出て、東大がアジアの大学トップから陥落した。他の大学も軒並みランキングを下げている。文部科学省は、今後10年間で世界大学ランキングトップ100に我が国の大学10校以上を目指すという目標を掲げて、スーパーグローバル大学創成支援プログラムなどを行ってきた。思惑と完全に逆の結果が出て、明日からいろいろと議論のあることだろう。
しかし、大学内部では、この結果にむしろ安堵している向きもじつは多いのではないかと推察する。
国が大学をいじろうとすると、ろくなことにならないという、大学内部の人々の見解が、外部からの評価によってはっきりと示されたからである。学位を持たない政治家、文部官僚、コンサルティング会社の従業員が作ったエクセルファイルとパワーポイントのスライドが生み出したものは、国外の大学評価者からゴミとみなされてしまったわけである。
ともあれ、今回のランキングでトップ10に入った大学と東大ではとうてい比較にならないということは、教育内容のみならず、キャンパス環境においてもそうであることも記憶しておいてよい。キャンパス環境は研究のパフォーマンスに影響を及ぼすからだ。東大のキャンパス、とくに本郷キャンパスとその周辺環境は劣悪である。
東大の出身者であり、ランキングでトップ10に入った大学のうち、4校を実際に訪れた人間の見解として読んでほしい。いわゆる出羽守である。
本郷キャンパスで学生時代を過ごしたことのある人ならば、独特の「居場所がない感じ」を覚えたことがあるのではないだろうか。たくさんの建物があるはずなのに、授業の合間に本を読んだり、軽く休んだり友達と喋ったりしようとするときに、行くところの選択肢が極端に少ない。キャンパス内に「隙間」的な場所がないのだ。
東大本郷は息苦しい。キャンパス敷地内の建ぺい率が高すぎるのだ。敷地の隙間を埋めるようにして、企業からお金をもらってはビルを建てつづけているうちに、場所がなくなってしまった。かつて東大出版会があった建物は近いうちに壊され、緑地になろうとしているが、これはキャンパス内の建ぺい率が高すぎるため、アリバイのようにして何もない場所を残しておく必要があるためだ。
スペースがあるところすべてに建物を立てるのが合理的だという発想は、大きな子供の考え方である。人間の深い欲求を見ていないからである。敷地にめいっぱい高層ビルを立てた環境の中で、知的能力を極限まで働かせて競うという状況に、人は耐えることができない。「隙間」が必要なのだ。検索すれば、本郷の高層ビルから学生が飛び降りて死んでいることがわかるだろう。
本郷キャンパス内に居場所がないならば、大学の外でゆっくりしようと思っても、なかなか難しい。昔ならいざしらず、本郷はもはや学生街ではなくなっているからだ。
本郷は老人と若いファミリー層の街である。文京区がそのようなまちづくりをしようとしているのである。文京区では25平方メートルより狭いワンルームマンションは新しく作ってはいけないように、条例で決まっている(http://www.j-cast.com/2008/08/05024411.html?p=all)。東大周辺で昔から不動産業を営んでいる人に直接聞いた話によると、規制が敷かれる以前につくられた狭小物件の家賃は、バブル時代の水準で高止まりしている。あまりお金のない東大生にとって、本郷周辺で手頃な部屋を見つけるのはとても難しい。このため、多くの東大生はベッドタウンから通勤してくるサラリーマンのようにして、朝、本郷キャンパスへやってくる。
こうした住宅事情は、本郷界隈のビジネスにも影響を及ぼしている。この10年の間に本郷通りで増えたものといえば、高層マンション、ラーメン屋、カレー屋、中華料理屋、小型スーパーである。飲食店は、主にサラリーマン層の需要を当て込み、食べたらすぐに出て行かなくてはならない高回転率型のビジネスが増えた。あまりお金をかけずにゆっくり本でも読もうとすれば、ドトール、スタバ、サンマルクカフェといった選択肢になろうか。この他にも本郷通ではまだ個人経営の喫茶店が健闘しているが、いかんせん価格帯が高く、老朽化が進んでいるため居心地に問題があるように思う。
北米や英国の大きな大学は、町と大学の境目がないことが多い。両者が融合して美しい町並みを作っている。これが東大本郷との最大の違いである(いわゆるオックスブリッジは、旧市街と伝統的なカレッジ周辺の家賃は高いが、その辺に住まずとも、とりあえず身を隠せるところがそこそこある)。文京区は東大周辺の学生を追い出し、高く売れそうな高層マンションの建設ばかり許している。そのような場所に住む人は、税金を払ってくれるからだ。友達の部屋にちょっと寄り、周辺でご飯を食べてコーヒーを飲みながら話をして、歩いて大学に行ける環境から生まれるものと、そうでない環境から生まれるものは、やはりちがう。
このような議論には、はてなーお得意の、さまざまな「もう一つの視点」からの批判があろうし、そうあってしかるべきだが、東大が本気で研究の生産性を、しかもお金をあまりかけずに上げたいのならば、まちづくりの段階から周辺の人々と協議して、もっと学生が定着しやすい空間を創りだしたほうがよいのではないだろうかと思わざるをえない。
今まで数人に告白された。
全員、最初こちらは特別に好きではなかったが、断った人、OKを出した人の違いってなんだろうと考えた。
これから告白する人の参考になれば。ファイト。私は女ですが、男性側へも同じじゃないかなと。
ちなみにNGは皆、全く同じ行動してた。
<告白の言い方>
NG「付き合おう」(「付き合ってください」もあったが、「君が好きだ」とは一言も言わない)
OK「あなたが好きだ。こういうところに惹かれてる。あなたとよければ付き合いたいんだけど、あなたはどうかな?」(言い方はもっとカジュアル)
→「君、俺のこと好きだよね?俺も好き。俺たち両思いだし付き合おう」
相手の気持ちはガン無視。「告白」という自分が辛いプロセスをすごく軽くしようとしてる。
好きな子の目をしっかりと見て、「あなたが好きです」って言って。全然印象違うから。
ものすごく勇気がいる分、こちらにもしっかり伝わるし、こちらも真剣に考える。
あとこっちがどう思ってるかをちゃんと確認してくれるのもポイント高い。
OK 座って言える場所。
言われる側からすると、立って言われたら、すごく軽い告白に思える。
場所にもよるけど座った方が断然良い。屋内怖いならオープンカフェがある。公園のベンチでもいい。
座って言う方が真剣さ伝わる。「ちょっと座って話したいことがあるけどいい?」、この一言で印象は何倍も違うよ。
OK たまに笑いつつも、告白の瞬間は真顔
「笑ってるなら軽く断ってもいいんだな〜」と思ってあっさり断りました。落ち込まれてびっくりした。
<振られたとき>
NG なんでか聞きまくる。拗ねる。引き下がらない。
OK あっさり引き下がる。暗くならない。
※ここのOKはこれからOKになるかもしれない可能性が残るという意味で使ってます。
「NGはお前のことそんなに好きじゃないけどいけると思ったからそんな告白したんだろ」と言われそうですが、まさにそう。だからこちらも断った。そして今後も可能性はゼロ。
軽い告白してる人って「付き合いたい。でも自分は傷つきたくない」っていうのはすごく見える。
自分を優先させるくらいなら告白しない方がいいよ。好きだって思い込んでるだけで、相手のことそこまで好きじゃないんだよ。
真剣に伝えてくれた人は、やっぱり「付き合ってみようかな」と思ってその時好きじゃなくてもOK出した。
「付き合う」ことをゴールにせず、「気持ちをしっかり伝える」をゴールにしてほしいし、したい。
逆に言えば、全然なしの人でも真剣な告白をしてくれたら、そのときは断っても、心には留まる。で、気になる存在になる。
「断られても相手と今後も関係を続けたい」と思う姿勢で来てくれるとこちらも気持ちが楽。やっぱり人の気持ちって受け取る側もすごく負担かかるから。
危ないよね。やめた方がいいよね。私もそう思います。
入場行進は肩車です。私は一番背が高かったので、一番大きな子を肩車していました。
相手の子は背は低かったけどとても重くて、ヒョロヒョロで体力のない自分にはそれすらも辛かった記憶があります。
私は背が高かったので、もちろん、ピラミッドの一番下でした。
タワーは大変そうだったけど、練習中も本番もピラミッドが失敗したことはありませんでした。
もう何年も前のことだからあまり覚えていないけど、せいぜい4段程度だったし。
でも、練習中、上の段の子がジャンプして降りてきたときに私の足に着地したことがありました。
痛くて痛くて号泣したら、隣のクラスの先生に怒られました。泣いたら練習が中断されるだろうとのことでした。
でも担任の先生は心配してくれて、歩けない私の肩を持って保健室まで連れて行ってくれました。
骨折はしていなかったけど大きく腫れてしまっていたので、次の日、足に包帯をして学校に行きました。
私の足にジャンプしてきた子は、あれくらいで泣くなんて大袈裟だと言って怒っていました。
心配してくれる子もいたし、馬鹿にしてくる子もいて、半々でした。
YahooやNHKの組体操のニュースにたくさんコメントがされていて、見ました。
いくつか見受けられたのが、「生徒にばかり危険な思いをさせるな。先生もやれ」ということです。
女の先生はピラミッドをしていたし、男の先生はタワーをしていました。
先生たちもやっていたから、私の小学校は良かったのでしょうか。
体育の時間だけ練習していた私たちより、先生たちはずっと大変だったと思います。
先生たちの方が大変だったんだから、私たちが怪我をするのは許されたんでしょうか。
違うと思います。
組体操をしなければいいだけのことです。
母親と会話した。
家族連れがたくさんいたいて、神に優しくされた子供達が大きな目で笑っていた。
もちろん優しくされなかった子もいた。そのあと歩いた丸の内では比較的美人な肌が白い女が幼い姉妹を連れていたが、どちらも顔に小さい目がくりぬかれており、通っていない鼻は上を向いていた。そして肌はひどいものと同じような茶色だった。父に似てしまったのかもしれない。
松本楼に話を戻す。
自分はあまり印象に残らないカツカレーを流し込みながら母親の弟の子供を考えていた。
確か3歳くらいになっていたはずだ。
自分は弟の嫁と子供の顔を知らない。色々と会う機会を逃していた。
とりあえず目の前にいる、母親はバカな中央線沿線の音大を出ている顔がとてもでかく、髪がひどい癖毛で、目が小さくて、肌がきれいでない。
「新聞なんかも読めないよ あいつ あと、幼稚園に行かすのにもあの家キリキリしていて大丈夫なの?」
母親はそう自身の実家で自分の母の前で高卒の弟をバカにしていた。
なぜなら、姉である母親も新聞が読めないほどバカで、意地になって朝日新聞を取り続けて、シワがない新聞が千代田区の小さな賃貸マンションの中に積まれているからだった。
オムカレーを喜んで食べている、目の大きい子供を見た時、弟の子供の顔は容易に想像できた。
あそこにいる子は鶴で、母の弟の子供、いや自分や母や祖母、父方の家系ほとんどが掃き溜めだ。
ブサイクでバカな自分の母親のブサイクでバカな弟が40歳を超えて結婚した。
弟の嫁の顔は知らないが、結婚した歳や、結婚相手、母親のiPhoneに残されたブレまくりの写真にほんのすこし写っていた後ろ姿で予想がついた。
母親に目の大きな子を指して「あの子は鶴 おまえの弟の子供の子は掃き溜めだ ひどい顔だ」と言った。
最低だ。
「あぁ」と言った。嘘をついたのだった。
母親は否定しなかった。「あの歳なのにほっぺが膨れていないのがなんとも言えないよね」と言った。
40まで売れ残ったブサイクで貧乏な男女が結びついて発生した可愛くない、うつくしくない顔の女の子はこれからどんな未来が待っているのかわからない。
とりあえず、母親や母親の弟の顔、知性、父の顔を考えたら、自分が京都のバカ大と日大商学部しか受からなかった酷く醜い容姿であるというのは遺伝子的に仕方ないことであると食後の紅茶の時には思ったし、悔しくなった。
先日フラれた
といっても好きともなんとも言ってないが、彼女は俺の気持ちを知っている
ひたすら謝ってもう会わないと伝えたが、彼女はそういうことを求めているんじゃなかった
普通に接して欲しいらしい
なので、普通に接することに決めた
まあ、そこまではいいんだが、この普通に接するってのはどういう意味なんだ
俺は初めは、「恋心を持っててもいいけど、表面上は普通にしててね」って意味だと思ったんだけど
女心はよく分からんもんで、誰か教えてほしい
・とにかく学習指導要領解説読め。「話す聞く」「書く」「読む」で、それぞれ何をどう指導しろと丁寧に書いてる。ぶっちゃけ、それをちゃんとやるだけで終わるくらい書いてある。多分、ぜんぶはできない。
・巷の参考書類とかは糞だから読まなくていい。エビデンスのない本で読んで良いのは、増田の言うようにほんとのビッグネームの本だけ。ちなみに指導書書いてる人間は、真面目に学習指導要領読んでないから、本当のところは役に立たない。
・国語には、増田の言うような「実用国語路線(きちんと内容を読み取り、考え、簡潔にまとめて表現する)」と「情操国語路線(感動をベースに感性を育てる)」の二つの流れがあるんだが、これは、「どちらか」ではなく「どちらも」だと考えるのが一番分かりやすい。でもって、現実的には、「話す聞く」「書く」「読む」の3領域それぞれ×2(実用&情操)の具体目標を1こずつ、低中高学年それぞれで設定して、1年目は仕込み、2年目で実現、て考えると、やるべきことは見えてくる。
・たとえば低学年ならこんな感じ
実用 | 情操 | |
話す聞く | 大きな声でしっかり話す | 人の話に注意する |
書く | 文法的に正しい文を書く | 気持ちを表す言葉を使う |
読む | 一定の速度で音読する | 一冊の本に感動する |
・国語は、体育と同じでトレーニングが大事だから、知識も大事だが、実際に眼と手と口を動かす作業を飽きるほど繰り返さないと身に付かない。かといって飽きたらやらないので、飽きないように手を変え品を変え目先を変えながら、実は同じ事を何度も繰り返しやらせるのが大事。たとえば、低学年の話す聞くの力の実用の目標を達成させるために、毎日の授業から色々な遊びっぽいことをさせる中で常に「大声でしっかり話す」ための基礎訓練をひたすら2年間やらせる。OK?
・これをやるためには、やらせる側が、目先にとらわれることなく「いま何をやらせているのか」を揺るぎなく把握していることが絶対必要。そこを分からないまま人真似でアレやコレやいろいろな「指導法」だけ取り入れても、効果のあるなしがさっぱり分からないのは当然。
・まあ、国語はぶっちゃけデタラメにやってもそれなりには効果が上がる。それは、体育の時間と称して運動場でただひたすら遊ばせていても、運動好きな子は適当に走り回って、結局体が鍛えられる。アレと同じ。だから、適当にやってる教師でもそれなりになんとかなってるみたいに「見える」…でも、それは「教育」ではない。ただの給料泥ボーだわな。いやしくもプロならば、出来ない子を出来るようにし、自分からはやらない教科嫌いな子を好きにさせて、はじめて胸を張ってお金を受け取れるってモンだろ。そのためには、シンプルかつ具体的な目標をもち、そして、教育の内容だけでなく、教育計画そのものを体系化しなくてはならん。
1年弱程前に好きな子ができた。7年ぶりくらい。
いろいろアプローチしたんだけど、玉砕というか、流されて終わっちゃった。
その後も何度かたまーに遊んだりもしたけれど、本当に好きになると手も足もでなくなる、典型的なタイプで……。
素直に、やっぱり好きだからとか、そういうモテやすいチャラい感じになれればいいのいね。そんな感じで接してた子と最近まで付き合ってたけどやっぱり忘れられなくて別れてしまった。やっぱり忘れられなかった。
そのグループも、社会人になってそんなに遊ぶわけじゃないから、もう会うのも少ないな。
その子の住む駅が、飲み屋も多くて友達もいるので、仲のいいやつと一緒にルームシェアでもするかーと思っていたけど、これやっちゃうともうウジウジし続けてつらいだけだなって思っちゃった。
どうすればいいのかなーーー。
パターンA
「○○って子が好きです(嘘)」
→「応援したるやん」
→(後日)「増田くんは○○が好きらしいで」
→そう言うと増田くんは右手に握っていたフォークを部長の喉仏に真っ直ぐ突き刺した。
パターンB
「みんな好きですよ(嘘)」
→「一番好きなのは?」
→「うーん難しいですねー」
→「○○と××ならどっち?」
→「パターンAに持っていくのやめようね」
→そう言うと増田くんは右手に握っていたフォークを部長の喉仏に真っ直ぐ突き刺した。
パターンC
「僕人間嫌いなんです」
→「でもそういうこと言うのは人間が好きなことの裏返しなのでは」
→「そうやって好意的解釈をしてパターンBに持っていくのやめようね」
今思うと好きな子にちょっかいかけるタイプのいじめだったと思う
昼休み靴もって逃げられたりとか
でもそんな機微わかるわけもないからずっと怖いと思っててスーパーで母と買い物してたときに見かけたときに母の後ろに隠れてしまった
そんな姿を見てかどうかは知らないけどそれ以降いじめられることはなくなった
20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています。
今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います。
個人的に今回のエンブレムの感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。
一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。
◼︎そもそもアートディレクターとは
まず、アーティストとアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきます。アートとデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。
さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画のプロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定をします。
そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?
さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)
さらにさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みます。アートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります。
という訳で、本来、アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件を商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。
◼︎トートバッグについて
エンブレムは「佐野研二郎」名義のもの。トートバッグは「MR.DESIGN」名義のもの。エンブレムはおそらく、会社のスタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。
先ほどの例えで言うと、本来はイラストレーターやカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。
これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応が必要な部分です。
(同じ業界の人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)
◼︎エンブレムについて
問題は、今回のエンブレムや、動物園のロゴなど、「形が似ているからパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。
美術の学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間の視点は基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角で表現したフォントはたくさんあります。
つまり、パクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります。
チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。
もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナーの仕事ではありますが、
「形が似てるものはパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後のデザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?
また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。
そうなったとき、何がパクリ/オリジナルの判断基準になるのか?
出来上がったデザインをどう守ればいいのか?
これが今回出てきた一番の問題です。
◼︎コンセプト
「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。
まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります。
しかし、五輪エンブレムや企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計が必要です。
ここがややこしいところです。
多くの人にとって、美術やデザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフルで自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術やデザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。
(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)
「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」
「数時間で適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」
これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。
デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法や設計を編み出してきました。
それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインそのものを小馬鹿にするのは止めてほしいです。
ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。
デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからはもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。
エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまいます。だからこそ、国内外で活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやすい提案だったのではないでしょうか。
たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザインの監督を決める」コンペだったのでしょう。
◼︎写真盗用について
今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。
あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料(カンプ)であって、本来表に出るものではありません。
だから転用していいという事にはなりませんし、クレジットを意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナルで撮影している代理店やデザイン事務所はほとんどないでしょう。
広告の雑誌で売れっ子アートディレクターを特集した記事などでは、カンプにモザイクがかかっているのをよく見かけます。予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います。
この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。
まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界は人手不足だと思います。
で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまいます。
それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものだからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります。
そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます。
今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。
と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。
◼︎まとめ
精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。
しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります。
片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーはデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います。
僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済がおかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース、東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。
「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います。
嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います。
いや、厳密には何事も起きてないのですが、
会ったときに挨拶しても、ちょっとこっち見て軽く一礼して、目をそらすんです。
別に「アナル見せて!」ってどストレートに聞いたわけではないですよ。
ただちょっと飯食いに行ったりして、仲良くなって、しばらく会わなかったらこれですよ。
聞くところによると、なんか色々と噂を立てられてるらしく、それが原因だと考えられるんですよ。
女は噂になると冷めるって本当なんですね。終わった。
おそらく彼女にアナルは無いであろうが、そんなことは関係なく好きだった。
しかし、もう終わったのだ。
今後は、至高のアナルを求めて、アナルハンターとして生きて行こうと思う。