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はてなキーワード: 「奇跡」とは

2017-02-13

信頼というもの数字問題ではない。

どれだけ検査検査を重ねようが穢れていれば信頼には値しない。

信頼は科学の積み重ねによって得られるのではなく、もともとが非科学的なもの「奇跡」に近いことをまずは理解しよう。

2016-11-24

先生の一番になれなかった

塾の先生が大好きだった。

知識豊富で、視野が広くて、感受性が豊かで、面白くて、人としての魅力がたくさんあってその人の傍にいるだけで胸がいっぱいになった。

気にかけて貰えると嬉しくて、認めて貰えると涙が出てきてしまいそうになった。

先生のようになりたくて勉強を頑張った。勉強をしていくうちに学ぶことが楽しくなっていった。

それから様々なものに興味を持つようになり気が付いたら、今まで見向きもしなかったものを好きになっていた。

ものの考え方も、捉え方も良い方向に変わり、人との出会いや一時一時を大切にするようになった。

辛いことも、悲しいことも、先生がいたから耐えられた。

その時の私は先生が「カラスは白だ」と言えば何の疑問も抱かずに「カラスは白なんだ!!!」だと思ってしまうくらい単純だった。

高校卒業しても先生の傍にいたかった。

先生の隣で生きて行きたかった。

けれど、この時点で先生に対する気持ちを拗らせていて「尊敬」なのか「愛」なのか自分でもよくわからなかった。

結果、「先生のようになりたいんですがどうしたらいいですか」と言うことしか出来なかった。

これが私の先生に対する精一杯の「好き」だった。

先生は「俺のようになることは出来ないだろうな。お前は結婚をして幸せを感じることが出来る人間からな」と困ったように笑って言った。

泣きたくなった。

はっきり自分気持ち言葉にしなくては伝わらないことをわかっていたが、自分でも把握出来ない拗らせてしまった好意を口にするのは重たすぎて出来なった。

先生と一緒に働きたい」と言えば良かったのか、「好きだ」と伝えれば良かったのかわかりはしない。

頭が良かったら? 美人だったら? 先生と似たような人間だったら?

どんな人だったら先生に選んでもらえたんだろう。

私の中で先生が一番だったように、先生の中で私が一番になりたかった。

「運命」「奇跡」なんて選ばれた人にしか来ないものだと思っていたのに、まさかそれが自分にくるとは思ってもいなかった。

私にとって先生との出会い「奇跡」のものだった。

でも、先生からしたら私との出会い「運命」でも「奇跡」でもなかった。それだけだ。

2016-09-10

君の名は。」の東京至上主義死ぬ気持ち悪い(追記有)

君の名は。」を観た。映画としては面白かったが、監督東京至上主義的発想がにじみ出ていて気分の悪い作品だった。以下ネタバレこみでどこが気持ち悪かったか書く。


まず、三葉が飛騨に住んでいるのに東京の話ばかりするところが気持ち悪い。飛騨は一応岐阜の一部であり東海地方であるテレビ名古屋ニュースが入るはず。ならば、まず三葉が向かうべき都会は東京ではなく名古屋のはずである。もちろん、東京名古屋では都市の規模に明確な差があるけれど、「カッフェ」はたくさんあるし雇用も最低限はある。実家の様子を見に行くことを考えれば名古屋就職するという選択肢も考えられるはずで、そこがすっぽり抜け落ちているのが不思議だ。小説版では三葉が名古屋のことを「大きな田舎」と表現する場面があるらしいが、当たり前だが飛騨よりは名古屋のほうが何倍も都会だ。三葉たちが困っていたのは「カッフェ」がないこと、雇用がないこと、訳のわからない因習があることだ。それらから逃れるためだけならば東京ではなく、岐阜市なり名古屋市なり富山市なり近くの地方都市に引っ越せばいい話である。(岐阜富山雇用が少ないかもしれないけれど)三葉が「田舎」を脱出したいという気持ちはわかるが、その向かう先が「東京」である必然性は感じられなかった。

次に、三葉たち糸森村の若者たちが最終的に三人とも上京するというのが気持ち悪い。繰り返し書くが、三葉たちが「田舎から脱出するなら名古屋に引っ越すという手段もある。それなのに三人が三人とも東京に出てくるのはなぜなのか?また、百歩譲って名古屋飛騨と同じレベルの「大きな田舎」だとして、「田舎」に彼らが残らなかったのはなぜか?糸森が消滅したとして、その地元愛着があるなら欠点はあれど飛騨に残るという考え方も抱けたはずだ。特にテッシーは親父が土建屋でその跡を継ぐという選択肢も考えられたはずであり、岐阜就職することもできたはず。東京に行った三葉と地方に残ったテッシーという対比もできたのに三人とも上京してしまうというのが腑に落ちなかった。

そして、彗星が墜落したあとの三葉とテッシー夫婦以外の糸森町民の姿が描かれないのも気持ち悪い。町は半分くらい吹っ飛んだが避難完了したはずで、三葉の妹やおばあちゃん、親父さんは生き残ったはずである。それなのにせいぜい三葉の親父さんが週刊誌に載ったことがわかるくらいで妹やおばあちゃんの後日談はない。あたか彗星によって三葉たち以外の糸森町民は抹殺されてしまたかのようだった。また三葉たちは生き残ったが、糸森という文化彗星墜落によって消滅してしまった。これは瀧が過去を改変する前も後も実は変わっていないように思えた。田舎文化田舎に残った人たちを瀧は実は救えていないのではないか

(そもそもおばあちゃんや妹は生き残ったのかという疑問もある。ラスト付近で瀧が彗星被害について振り返ったとき、彼は「突然の避難訓練によって、奇跡的に『ほとんど』の町民が生き残った」といった。この言葉からわかるのはあの彗星墜落によって少なからず死者が出ていたということである。その死者の中にテッシーの親父や三葉パパや四葉が入っていた可能性も後日談が描かれなかったから十分ありうる。神社土建屋といった「田舎因習」の象徴である彼らを監督は観客にはわからない形で彗星で消し去ってしまっていたのかもしれない。)



自分意見を整理すると以下の二つ

①「君の名は。」の世界には「東京」と「ど田舎(=飛騨)」しか存在しないのが気持ち悪い。地方都市存在無視している。

若者たちは必ず「東京」へ行かなければならず、彼らが抜けだしてしまった「ど田舎」は描く必要がないという思想気持ち悪い。東京は必ずしも「地上の楽園」ではないし、若者たちが抜けだしても飛騨に残った人たちの生活は続いている。「田舎」は「東京」へ向かう若者たち踏み台ではない。

この二つは監督の「東京至上主義から出てきているのではないか東京以外に日本に都会はなく、あとは全て「田舎である。「都会(=東京)」は素晴らしく、「田舎(=東京以外)」はくそったれであり、若者は必ず上京しなければならない。自分は新海監督のファンではないので彼が今までどういう映画を撮ってきたかよくしらない。だけど、「君の名は。」を自分なりに解釈するとこういうメッセージがあるように思えて仕方ない。そしてこの発想は「東京以外」にすむ自分としては非常に気持ち悪い。セカイ系だなんたら言われてる人らしいがその手の批判もむべなるかな、と思ってしまうような映画だった。



・追記

一部ブコメに返信


「miruna 軽井沢田舎ボンボンにはTOKYOあんキラキラに見えるんだよきっと。ファーストフードの豊かさを無視してブルジョア高校生がクソ高いカフェお茶してトラットリアバイトするんだから。」

これは全くその通りだと思います自分がなんでこんな増田を書いたかというと恐らく新海監督は長野のご出身(それも関東圏にかなり近い)なので都会=東京なんですよ。彼の原体験にはど田舎長野)と都会(東京しかない。近くに札幌福岡名古屋のようなそこそこ都会な都市がない。だから地方都市をぶっ飛ばし若者がみな東京にすい寄せられていく話を書いたんだと思います。でもそれは福岡名古屋札幌のほうが東京より近いエリアでは微妙事情が違ってくるはずなんですよね。だから本当はご自身出身である長野東部舞台にされたほうがしっくりくると思います

「Phenomenon あんだけ飛騨を美しく描いてるのにその解釈②はないんじゃない」

この点については「星の降る夜に”『君の名は。』(ネタバレ) - 私設刑務所CHATEAU D'IF http://chateaudif.hatenadiary.com/entry/2016/09/09/232626」というエントリー自分以上にわかやす解説しています

新海誠本人の田舎への郷愁景色のみで、ヒロインの言う「都会に行きたい」、東京大好きが本音というところだろうか。彗星には世界が滅びる鬱映画メランコリア』的な破壊衝動も感じる。人が死ぬ必要さらさらないけれど、場としての田舎は滅び去れ! 災害描写3.11メタファーなのだが、滅びるのが予言通り、みたいな乱暴さもあり、ババアの教えや伝統芸能が、街が救われることプラス自分恋愛のために存在した、というのはすごいナルシシズムだ。 ”

ヒロインや友人ら主要登場人物はみんな東京へと去り、親以上の世代のその後は語られないあたり、まさに「親殺し」の物語であったとも言える。”

メランコリア」は未見なのでよくわかりませんが、自分は「君の名は。」を観て「アクシズが墜落してしまった逆襲のシャア」みたいな映画だなあ、と感じました。人は死ななかったわけですが、彗星の落下自体「奇跡」回避できなかったということは、実はかなり絶望的な映画なのではないか、と。彗星の落下は自然現象ですが、その落下を設定したのは監督自身です。彼には田舎人間若者以外)を全て抹殺したいという願望があったのでは?少なくとも私は田舎に対する愛着は感じられませんでしたね。

とにかく自分事実誤認四葉彗星の死者数)をたくさんしているということもわかったので、もう一度見返したいと思います。そしたらまた追記を書くかも

2016-03-03

「奇跡」って「キセキ」なのか「キセキ」なのかわかんない

俺は「キセキ」って言うけど、「キセキ」っていう人もいる。

でもそれだと軌跡みたいじゃない?

から奇跡は「キセキ」って言っちゃうかな。

2015-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20150826124840

30日スクワット28日目(21日目のメニュー)

今日は190回。19×10セット。

昨日言われたことを意識してやった。 脚へ効いてる感覚はあるけど、終わった後やっぱり膝が痛い。なんだかなぁ


30日プランク28日目(21日目のメニュー)

今日は2分30秒。フロント1分サイド45秒×2。

そんなにきつくない。サイドプランクのやりかたは間違っているのか、と思うくらい。

久しぶりに30日チャレンジを進めた! これからジムに行く日は基本的にやらないことにしよう。

映画を見た。是枝裕和「奇跡」。名作!

はいってもこれ以外何もしていない。

どん詰まり感がヤバいな。家族以外の人と話したい。

2014-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20140717143416

安楽死が許されるなら、トンデモなのを知りつつ「奇跡」に賭けるのも許されるような気がする。

直そうと思ってる人にトンデモを勧めるのはだめだけど。

2014-06-10

海街diary実写映画キャスト予想

監督是枝裕和原作吉田秋生2015年初夏全国公開。

http://umimachi.gaga.ne.jp/

姉妹

香田幸(長女) 真木よう子そして父になる」出演
香田佳乃(次女) 鈴木杏映画吉祥天女」叶小夜子役
香田千佳(三女)   
浅野すず(異母妹・四女) 内田伽羅「奇跡」出演

親族

浅野陽子(すずの義母) YOU是枝作品常連
三姉妹の生母) 森下愛子 
大船の大叔母三姉妹の祖母の妹) 樹木希林是枝作品常連
北川十和子(すずの叔母) 内田也哉子樹木希林の娘で内田伽羅の母
      
浅野(四姉妹の父親)        井浦新是枝作品常連

湘南オクトパス選手

多田裕也エース金子隼也天才テレビくんサッカー少年
尾崎風太同級生 
緒方将志関西弁前田旺志郎まえだまえだ弟)「奇跡」出演
坂下美帆ゴールキーパー 

姉たちの関係者

椎名和也(シカ先生阿部寛是枝作品常連
井上泰之オクトパス監督理学療法士オダギリジョー是枝作品常連
藤井朋章大学生?) 柳楽優弥「誰も知らない」主演
浜田三蔵アフロ店長 
坂下  佳乃上司・美帆の兄) 堺雅人銀行員といえば
尾崎光良風太の兄。酒屋の三代目) 寺島進是枝作品常連

町の人達とか

福田仙一(山猫亭マスターリリー・フランキーそして父になる」出演
二ノ宮幸子海猫食堂店主) 風吹ジュン是枝作品常連
       
肉のナカムラ店主 佐々木則夫なでしこ監督
肉のナカムラ娘 澤穂希伝説なでしこ選手 
観光客 ニコール・キッドマンオファー

2014-04-30

「奇跡」に対する嫌悪感

あの方が手をかざしたら苦しんでいた病気が治ったとか、

災害の中で、あの方を拝んだ自分たちだけは被害を免れたとか、

あの方がいらした間だけ雨がやんで陽が射したとか、

そういう物言いがすごく腹立たしい。

そういった特別イベント奇跡と扱う発想が、間違ってるとか恥ずべきだとか、

理屈の上でも倫理的にでもズバッと一蹴できるなら、スルーできなくもないんだけど。

なんでモヤモヤするんだろう、これはどういう心理なんだろうという自分に対する疑問がある。

腹が立つのは、自分たちさえ気分よけりゃそれでいいっていう選民思想無自覚なこと。

自分らだけが助かったり特別扱いされたってんなら、そうでなかった人がいるってこと。

全員を救えないレベルで、何有り難がられてんの?何偉そうに語ってんの?と

そういう奇跡を信じることで辛さを紛らすのに役立つのかもしれないけど、

裏を返せば、信じなかったから罰が当たった、不幸になったんだって

強迫してる自覚がないことが、凄まじくむかついてたまらない。

2014-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20140316235338

そんなこと簡単に出来る。

既知の科学事実から考えて自明だし何の意義もないから誰もやらない実験とかならまだしも、

実験データの発表が取り沙汰されてあちこちで追証実験されるようなテーマで、

シミュレーションで正確なデータが取れて実際に実験する必要なし、捏造論文上げて実験での証明は他人にオマカセなんてことが簡単にできるなんてものは聞いたこともないよ

君の分野って何?

 

なんやねん、その、「奇跡」を起こして新発見することが当たり前のお前の分野って?んなもんあるか、アホ。

アホはお前だろ、簡単な日本語理解できないのな

「『奇跡』を起こして新発見することが当たり前」なんて誰も言ってないんだけど

俺は何度も何度も「起こりそうもないこと」「実際には起こらない」と繰り返してるぞ。記憶障害なんじゃねえの?

2014-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20140316233622

馬鹿なの?

理論だけ出来てる現象に対して、実験やってないのに理論どおりにヤったら出来ましたーって論文出して

その後他の人がきちんと実験を組み立ててやったら出来ました、と。

そんなこと簡単に出来る。

実験たって、シミュレーションすれば実際にやらなくたってある意味「きちんとしたデータ」は作れるし、

それを外の人間が実際のデータかどうか調べるのは不可能。

から、そんな「奇跡」の話、面白くもなんともないわ。

アホ過ぎるだろ、お前。



なんやねん、その、「奇跡」を起こして新発見することが当たり前のお前の分野って?んなもんあるか、アホ。

ある研究者とある仮説を立てて実験しました。1度は成功したけれども、どうやってもその後うまくいきません。

その研究者は悪い研究者だったので、実験結果を捏造して公表してしまいました!

 

ところが別の研究者たちが再現実験をやってみたところ、それなりに再現されてしまいました。さてさてどういうことでしょうか。

 

実は実は、悪い研究者の仮説はかなり真実に近く、失敗続きだったのはそんなものが影響するとは見当もつけていなかった隠れた条件のためだったのです!

別の研究者たまたまその隠れた条件も満たしていたので捏造のはずのデータが再現されてしまったというオチ

 

 

実際にこんなことが起こるかはともかく、「奇跡」お話としては別段おかしものでもないと思って書いたのだけどなあ

2013-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20131220135245

そもそも、20代健康女性ですら、妊娠率は25%と言われている。さら男性精子との相性もある(精子が悪ければ、いくら母体健康でも子供は出来ない)。

ブラジルなどへの、地球の裏側への移民奨励されるくらい人が余っていた時代だって子供が産めなくて悩んでる女性は山ほどいた。

洋の東西を問わず、「子供神様からの授かりもの」みたいな言葉があるが、言っちゃえば妊娠というのは、最も身近な「奇跡」なのである

2013-09-07

青い花放浪息子の連載終了をうけ

完走していた。いつの間にか、終わってしまった。

放浪息子は途中から単行本で話を追うだけになっていたし、青い花は何巻か飛ばして最終話を読んだ。けれど漫画を読んだ瞬間に一巻からの思い出が、絵が、雰囲気がありありと思い出されてくる。

青い花最後のあの一言で、連載を追っていなかった自分でも目頭が熱くなった。あの言葉はまだ青い花だったころの「あーちゃんとふみちゃん」、ひいてはそれをみていた私たち感情を思いださせてくれた。

志村貴子さんの作品はいつもそうなのだ私たちが忘れていたもの、目をつむって見ないようにしているもの、忘れたふりをしているものを揺さぶってくる。

放浪息子はそんな、人間の深い部分に触れているから、いまだに最終巻を読み返せていない(普段は漫画を同じ日に二度読み返すのだが)。

放浪息子ラストについては衝撃的すぎて(表紙をみたときもすごく驚いた)何も書けない。まだ書ける状態にない。

いま放浪息子単行本の帯を見ていて気がついた。

「ぼくたちのきせき」

二重の意味になっていたのか(私はずっと「奇跡」だと思っていた)。

連載が終わってしまうのはとても寂しいけれど、両方ともすてきな最後だった。千葉さんのアレも健在でした。本当にありがとう

2013-06-19

映画奇跡のリンゴ」を観ずに批評する方々へ

映画奇跡のリンゴ」が好評のようです。私も見てきました。感動しました。

いっぽう、はてなニセ科学批判クラスタ界隈では、この映画を見ずに「奇跡のリンゴ」のモデルになった農法を批判するのが流行っているようです。追従礼賛ブクマもたくさんついています

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130609/1370789361

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130612/1371052702

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130618/1371549428

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130619/1371611793

これらは映画に対する評ではないのですが封切りに合わせたエントリーですから映画を観てきた身として、これらの評を読んで???となってしまうところを指摘しておくのも悪くないかと思います

まず、映画は何も農法を学ぶために観るものではありません。「奇跡のリンゴ」でいえば、阿部サダヲ菅野美穂山崎努音楽久石譲といった顔ぶれで観にいく人も多いでしょう。またもちろん、作品に100%のめり込めなくても観にいきますし、感動もできます。この映画はそういう映画です。「海上自衛隊全面協力!」という宣伝文句にあまり良い感情を持てない人間でも「灰原哀が出てるなら」で映画館に足を運ぶことはあるでしょう。

「感動している人間は思考力が落ちて大事なことを色々と見落とし、判断を誤るからです」とわざわざ赤字強調で書いている人もいますが、感動したからといってそうならない人間のほうが圧倒的多数です。アクション映画で感動した人がみな現実と混同するかといえばそんなことはありません。

「実話と銘打ってるから危険」――は? 映画大脱走」は実話に基づいており、観た人は《多少は》本当はどうであったか気にするかもしれませんが、本格的に調べようとはまずしないでしょう。「実話に基づく」は基本的には映画を楽しむ際の参考として機能するだけです。また、シネコンだと関連書籍置いて売る、ということもあまりいかと思います。もちろん本屋では積んでありますが、映画見て出たところに本があるのとでは影響はかなり違うでしょう。

さて、映画奇跡のリンゴ」についてはYahoo!映画の次のようなユーザーレビューが参考になるかと思います(固定URL表示できないので、投稿時間で示します):

http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id344360/

2013/06/15 01:25:41

無農薬リンゴができるまで」のドキュメンタリーだったら、ものすごく感動したと思う。

家族愛夫婦愛のパートのほうが目だってしまって、肝心の「奇跡のリンゴ」のエピソードが薄まっているように感じました。

2013/06/09 20:35:13

とは言え、僕自身鑑賞前は

農薬を使った農法の問題点

無農薬農法の問題点両方に

突っ込んだ内容を想像していましたがさにあらず。

2013/06/14 21:34:35

夢みたいな実話だけど、これを見て「よしっ自分農業を」

と簡単に思わせないところがよかった。農薬を使っている農家の方を

悪者に仕立て上げたら嫌だなとも思って見ていたのですが

農家の方々の微妙な気持ちもじんわりと描かれていたと。

この映画では、既存農薬を使った農法を批判する箇所はほとんど全くと言っていいほどありません。まわりの農民、池内博之笹野高史ベンガルらも実はいい人です。

冒頭のナレーションでは

安全リンゴを作るのと安全リンゴを作るのとは違うのです

とあって、菅野美穂農薬で苦しんでいる場面へと繋がりますしかし、このナレーション、言い換えると、農薬を使って作ったリンゴでも食べるのは安全、ということです(1980年代前半までだとこう言い切ってしまうのは言い過ぎではないか、という気もしますが)。

同様に、無農薬リンゴの利点について何か語られる、ということもありません――さいごの「おいしい」という以外には。

はっきりいって、この映画主人公がなぜそこまで無農薬に固執するのか、という点では弱いと思います。ここまできたからにはもう止められない、というような言葉が何度となく語られますが、それは本人たちの事情です。

これらの点は製作側が、木村農法に対する批判をある程度知った上でつくったからではないか、と私は推測しました。今後、もし木村農法を批判するのであれば、映画のこういう姿勢を知っておかないとズレたものになります――というか上の批判はその典型。

言葉をかけなかった木だけ実らなかったというくだりは本人の書籍にもあるそうですが、映画でこういう「奇跡」だけいくつか押し出して「科学的説明」はほとんど付けないというのもダブルミーニングで、双方に配慮してるからだと思います

映画全体でも、雄大な岩木山リンゴの花の可憐さ、などの風景原田美枝子伊武雅刀らも含む家族愛、隣人愛が一番印象に残りました。人によってかなり違いはあるでしょうが、「無農薬のすばらしさ!」がまず刻印される人はそんなにいないと思います。(もちろん、そういう人もいるでしょう。ただ、映画館でみた客層でいうと、最初からそう思っている人が自らの信念を確認するケースの方が遥かに多そうです。)

ということで、映画を見ずに批評したり、それに追従ブクマを付けたりする人がおそらく想像してないことを述べておきます

この映画見て、「無農薬」という言葉にそれほど影響されずに単純に、津軽りんごいいなぁ、食べたくなったなぁ、という私みたいな人はけっこう存在するのではないでしょうか。つまり、この映画が大ヒットすることで、木村氏だけでなく、(おこぼれとも言えますが)他のりんご農家にとってもプラスに働く可能性もそれなりにありそうです。―――もしそういうことになれば、それは既存の農法に対する批判を抑え、まわりの農家も良い人として描いたスタッフの心遣いのたまものでしょう。

最後は私からのお願いです。「農薬安全」という人は、中国等の農薬TPPについても必ず触れていただけないでしょうか?

良い映画でした。

増田にする必然性全然ないんだけど、ダイアリーの縮小再編成を考えているのでこちらに)

2013-06-13

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿

子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリン逆立ちしたピアス

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716

子供を作るのは鬼畜所業

両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります

子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。

作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。

この増田趣旨

子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。

この観点から子供を作るという事について述べます

これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要観点であると思われます

この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。

特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います

というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。

「子作り」とはどういうことか。「子作り」とは全て自分の都合。

「子作り」とはどういう事か。

よ く 考 え て く だ さ い。

生まれた子供はどういう目に遭いますか?

また、どんな目に遭う可能性がありますか?

想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。

また、親の想定外幸福も有り得ますが、

想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。

自分の子に限って…」とか「ウチは大丈夫」とか…。

本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。

全ての苦痛は生まれる事によって生じます

悲惨な状況を色々とイメージしてください。

生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。

子供悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。

どんな場合でもハッキリ言える事は、

親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。

親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。

この問題から逃げないでください。

子供が欲しい方へ。

何故子供が欲しいのか、よく考えてください。

考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。

子作りは2つの意味博打である

一つ目はまんま、「子作り=博打」。

即ち、親の目的は己の利益利益を得られるかどうかは運に依存する。

賭け物は子供

要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。

賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。

賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。

(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)

二つ目は、「人生博打」。

即ち、子供人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。

生まれた子供博打に強制参加させられ、

勝てば(運が良ければ)幸福人生を。

負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。

(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)

子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。

この博打の性質として、一つ目の博打二つ目博打も常に絶えず打ち続ける事になる。

その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である

まとめると、

己の利益を求めて親が子供を作る。

の子供は「博打人生」に強制参加。

せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。

子供への思いやりが無いからこそ子供を作る』

子供を作る事を決定するのは両親である

そして、実際に交尾をして作るわけだ。

では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。

交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。

可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。

その辺は理解出来るよな?

例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ日本人の男女が子供を作る場合その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップル子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えばこの世では、病気、障碍、事故犯罪災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。

子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」

と思って子供を作るわけだ。

子供を作るとは、そういう事である

子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険子供に「無理やり」背負わせるのだ。

子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである

『子作りは子供への死の強制である

まり子作りは殺人であるという点について。

別に法的な話をする気はない。

出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。

生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。

事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。

人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから子供死ぬ

出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。

人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。

だが、親はその時期に子供死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。

そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。

『つまり…』

人生子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。

この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。

それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。

わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、

そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。

子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。

しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。

ありがちな反論に対するあらかじめの反論

反論

何を不幸と感じるかなんて子供主観次第では無いのか。

どんなに悲惨な状況であっても

それを幸福に感じる子供も居るかも知れないだろう。

反論に対する反論

その通り。逆に言うならば、

どんなに恵まれた状況であっても

それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。

子供が不幸になる可能性」とは、

子供が置かれる環境に対しての言葉では無い。

子供主観が不幸を実感する可能性を指した言葉である

反論

子供を作らない事もエゴなのではないか

反論に対する反論

エゴですよ。

子供を作らない場合

自身のエゴによって子供が不幸になる事は無い。

子供を作る場合

自身のエゴによって子供が不幸になるという事態が起こり得る。

あなた子供自分エゴ犠牲になる事を容認するのか?

ここではそういう話をしているのだ。

反論

まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。

反論に対する反論

「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。

本人の主観依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである

強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である

絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。

まり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。

よくある出産のケース

世間体タイプ

自分の考え、例えば「子供が欲しいか、いらないか」などを

自分たちで真剣に考え、きちんと相談し合ったことが無く、

子供作らないの?」「孫の顔を見せろ」などという外圧

ただ流されるままに子供を作ってしまタイプ

感情的タイプ

避妊具の存在も知っており、使い方も知っている。

将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。

だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で

己の「ほとばしるもの」におまかせのタイプ

自分では情にあつく、人間味があると思い込んでるが

他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。

現実逃避タイプ

感情的タイプの親戚のような存在

子供でも産めば何か変わるかもしれない」という

何の根拠もない理論に任せて出産するタイプ

「今自分がすべきことは他にある」という現実からは逃げ

手っ取り早い一人前扱いにすがる。

たいそうな目標を持って海外留学に旅立ったはずなのだ

留学先で男を作り妊娠、当初の目的も半端のまま帰国し

シングルマザーになるような者もここに分類される。

ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで

己の人間としての中途半端さをごまかすわけである

これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。

無能連鎖タイプ

自分が駄目だったか子供に期待するタイプ

駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。

いくら期待をかけても、結果も親そっくり。

そんな基本的なこともわからず、無意味連鎖を繰り返す。

自己実現利用タイプ

子供自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ

おかし名前をつけてみたり、下品なブランド物を着せてみたり

自分趣味押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ

彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である

お国の為タイプ

上記のような理由だけではかっこ悪いか

社会貢献などを持ち出して、さも自分先見の明があったかのように装い

己の人生歴史を美しく書き換えようとするタイプ

子孫を残したことしか自慢するものがない冴えない男親や

子供を育てたことぐらいしか自慢するものがない主婦に多い。

科学者タイプ

「何億もの精子の中で自分が選ばれ生まれてきた」

生命神秘「奇跡」などと、現象の面白さばかり取り上げ

「そうして生まれてきたもの果たしてどれだけのものなのか」

という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、

ただ己の好奇心にのみ生きてるタイプ

・番外編・ オカルトタイプ

「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ

自身の信仰する宗教宇宙観を押し付けるのもこのタイプ

よくオカルト世界では「人生は魂の修行の場」と言います

なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?

前世の罪を償う為」という理屈もよく聞きます

善悪なんてものは元々人間ルールとして決めたものに過ぎず

人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに

魂を管理する神はずいぶんと粘着体質ですね(笑)

私が神ならもっと良い修行方法を考えますがね。

よくも産みやがって

強制的にこの世に産みだして、面倒見るのは可愛い子供の時だけ

大人になれば人生の大半を労働に費やすことを義務とされ

何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う

頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても

最期は大半の人間病気なんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う

こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己

自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない

生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

生まれる事幸せ、みんなで子供を守る見たいな倫理観。

でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

みんな辛いのか・・・矛盾

基本、生るの幸せしか言ってはいけない。

別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任

でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。

助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。

支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。

あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。

その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。

から、そんな理由で産むな。と言ったことがあります

傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います

そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

とも言われました。

この負の遺伝子はここで終わらせるべきだと思っています

でも産まれてきてしまったので、自分死ぬのは怖いです。

怖い思いして自分死ぬ為に産まれたのなら、

最初から産むな。って気持ちです。

寿命いっぱい、希望も無いのに、自分だけの為に働いて

自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います

そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。

産まなければ何も起きなかった

そもそも子供を産まなければ何も起きなかった

頼んでもいないし産む必要もない

根本の問題から目を背けるのはなぜだろうな

自分も将来同じ罪を犯すつもりでいるから?

親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?

この世界地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな

全て消化され記憶に残るのは成功例だけか

中絶される胎児が羨ましい

自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると

心底怨みがこみ上げてくる

親が産まなければこんなことしなくても良かったのに

自殺しなくても、どうあがいたって最後死ぬ

そのとき自殺よりもっと苦しむかもしれない

子供を産むことは人殺しと変わらない

どうして私の子がこんな目に

子供がひどい事故や事件、病気などになり

「どうして私の子がこんな目に」

という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。

 

”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。

何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。

運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。

 

子供を産む行為、それは子供がこの世界で”こんな目に”いや

”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像覚悟するべきだ。

「私の子に限って」なんてのはそれこそ身勝手な妄信。

でもこれらを全て受け入れて

それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。

 

ああ、だから麻痺して思考停止状態で産めるのか。

それが人間の、種の本能的な仕組みなんだな・・・残酷すぎる。

同情することない。

子供を産んだら生まれてくる子供が苦労する。親も苦労する。

から子供を産むべきでない」と主張すると子産み派は、

  ・そういう考えはネガティブ思考だ

  ・人間苦労して成長する

  ・人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともある

  ・頭でっかち

  ・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの

  ・うつ病じゃないの

と、偉そうなことを言うのである

しかし、実際に苦難・災難が子供自分自身に降りかかると

  「どうして私の子がこんな目に」

  「どうして私がこんな目に」

とこうである

本当に都合のいいおめでたい頭してるわ。子供産む奴って。

子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。

  「ポジティブ思考で苦しんでください」

  「人間苦労して成長する」

  「人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともあるでしょ」

と言ってやればいい。

子供自殺する、これもまた自然のうちだと。

親の都合と自然の欲求で子供を作るのだったら

いつ子供自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。

自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合

子供の意思で死ぬのを許容してほしい。

確率でも自殺はあるので、どうかお願いですから

親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。

子供自分死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。

不良品は廃棄されるものなのですから

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。

「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。

最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。

それで何の問題も無い。

生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。

生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。

ただ、言える事は、

生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。

人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、

人生を悲観して絶望しながら生きるヤツになるかも知れん。

子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。

何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。

子供の事なんか考えちゃあいない。

この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。

美化などしなくていい。

子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」

と思えるヤツだけが子供を作ればいい。

子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。

この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。

どちらにしろ自分のためだが、

自分のための行動に子供を巻き込むのか、巻き込まないのか。

その点が異なる。

子供を作る事が一番子供の事を考えてない

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?

自分子供を作った時or作るとしたら

どんな心理でか考えて見ればいい。

どう足掻いたって自分(親、今生きてる側の人間

の都合しか出てこない。

子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。

そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。

子供を作るなと書いてる訳でもない。

ただありのまま事実として

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

これがあるよね、ってだけだ。

不条理

子供を作ることを是とすると不条理が生じる

子供を作ることを非としておくと不条理が説明できる

それだけ

矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿勝手にすればいいだけ

不条理も込みでね

作ることを是とするために正しい見解を捻じ曲げてはいけない

2011-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20110419120044

常識的に考えてみて欲しい

一度レールを脱線した人間が同じ軌道に戻れないどころか、戻る資格さえ奪う現実がごくごく日常、そこらへんの石ころのようにあるのに対し、

彼らは自らそのレールを踏み外し、底辺への道を選択した癖に、平穏無事なレールに戻ろうとしているという事実

あいつらが歩んでるのは正に「奇跡」であり、凡人の生活とは無縁の世界


そこを踏まえた上で、もう一度ブコメを読んでみようか。嫉妬に狂い呪詛つぶやく、怨恨に満ち溢れた病理が垣間見れるだろう。

2011-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20110227033653

先生質問です。 魔法をまったく使わなくてもソウルジェムは穢れるのですか? しかし、魔法を使うとソウルジェムが穢れるのですから魔法を使わなければソウルジェムは汚れないと思います。

キュウべぇ先生も、魔法少女になって魔女と戦って欲しい という契約したが 魔法少女になってほしい とは 契約していません

 つまり、 魔法少女になることと、魔女と戦うことは別問題であり

  グリフシードがなければ、何もしなくても汚れてしまうならば、自動的に魔法少女になれば魔女と戦うことになるので 合理的なキュウべぇ先生が、そんな付随条項を付けるはずがないかです

つまり、魔法少女になることは、魔女と戦わないという選択をとればなんらデメリットはないはずです。 

つまり、「奇跡」を望んだ契約の代償として「魔法少女魔女」に化す ではなく  、「奇跡」を望んだ契約の代償として魔女と戦う その為の魔法少女 があくまでも正解かと思います。

 

また、今回のようなケースにならなくても、「穢れ」を他人のソウル押し付けなければ、破綻することは指摘されていました。たとえば、死亡だったかもしれません。

指摘されているにも関わらずその行為を続けたことは

単に 見返りを求めない考え ではなく 破滅したいという希望 と捉えるのが正解でしょう。

自己への破滅願望が、より進化して 自己を含むすべての世界の破滅願望に進化した というのが正しいかと思います。

 つまり、破滅願望という自己利益を叶えている。

それに、見返りを求めないのと、相手がくれるものを受け取らないのは別問題でしょう。

 

長くなりましたが、見返りを求めないと、自己犠牲はちがいます。ということが言いたかったのです。見返りを求めないというのは、自己を維持する活動をしつつ、要望に対して見返りを求めず行動する。であって。

自己の活動維持を無視して、行動した挙句、お前が望むからこんなになっちゃっただろチクショーというのは、見返りを求めないとは違います。

 

※肉体からジェムが100m以上離れると操作不能というデメリットが一見ありそうですが、ジェムの方が本体ですから、移動が自在なキュウべぇ先生に、回収してもらえばよいだけの話で。あの時も、ほむほむ先生が取りに行かなくても、キュウべぇ先生があとから回収したことでしょう。(戦力弱体は困りますから)。それに、ジェムが移動中に体が破壊されても、体は何度でも復活可能という定義ですから、問題にはならないでしょう。また、ジェム付近で体を再生して、古い体を回収する事も キュウべぇ先生がやったように可能です。よってデメリットはなりません。

 

※どうでもいいですが、魔法少女他はかなりの優先度で、グリフシードを使わない、汚れの回復方法は無いのかを、キュウベェ先生に聞かないといけないと思うのですが、なぜ聞かないのでしょうか?それ以外に方法はないって言われてましたっけ?

上述のように、契約条件に魔女と戦う事が明記されているということは、魔法少女になっても、魔女と戦わずに生きる方法があることを提示されていると思うのですが・・・

2010-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20101019194810

そもそも「好き」という感覚の発生自体が自発的なものに見えて全然そんなことなくて、社会流行とか他の人もそうだからとかに影響されて発生してるからな。恋愛とか存在しなかった遥か古代の時代の人たちは「好き」とか発生しなかったし。

初恋幼稚園のとき」が今じゃ当たり前になってるけど、そんなのここ15年くらいの話であって、それより前は10代後半とかで発生してた。だれかが「初恋幼稚園」と言いテレビでそれがいくつか映ったときにバーっと(このバーには時間的な幅がそれなりにあるけど)日本中の幼稚園児が自分もするもんなんだと思い込みやがてそれが当たり前になった。思い込むとそうなる。

ある宗教根付いている期間、その宗教で起こるとされている「奇跡」の目撃例がやたらあるみたいなもんだ。本人たちがあるに決まってると思えば見えないものでも見える。うちの親戚でなんかの新興宗教信者がいて、なんか念じると先祖の霊が降りてくるらしいんだけど、来た来たって言い張ってるから。本人にとってはそうなんだろう。

だから70年代前半くらいまでに結婚したおとんおかんたちの場合、それが以外に一番の相手だったりするんだよ。見合いで一番にたどり着けるわけがない、ってのは現代の社会状況とかによって「好き」の発生まで操られている我々の発想であってさ。ところ変われば感覚もまるで違う。

2010-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20100724162058

彼と一生添い遂げたいなら、ひとつ心に留めておいてね。

人は変わる。悪い意味じゃなくて、全く成長しない人生なんてつまらないでしょ? 新しい経験をして、新しい視点を得れば、人生はどんどん豊かになってゆく。自分が変わりたくなくても、周囲が変わってゆけば関係は変わらざるを得ない。

望むと望まざるとにかかわらず、人は同じ場所に立ち続けることはできないんだ。

だから、パートナーとずっと一緒にいる、っていうことは、パートナーとの関係がずっと変わらない、っていうことじゃない。全く逆なんだ。常に、パートナーと新しい関係を築いてゆくこと、お互いの歩調を合わせて、同じ方向に成長してゆくこと、相手が変わるのに合わせて自分も変わってゆくこと、なんだね。

別れてしまう人達がいつも、考えが浅くて付き合っちゃったっていうわけじゃない。それぞれの人生の旅の、あるひとときにたまたま道程が重なったってこともある。それはそれで、真剣な関係があり得るけれど、最終的な旅の目的地が違っていたら、やっぱり別れざるを得ないんだよ。でもその一時期に一緒に旅をしたことっていうのは、無駄ではないんだ。それが無ければその後の人生もありえないんだから。

若い頃に、何十年も後の自分人生の旅を想像するのは難しい。むしろ想像がついちゃう人生なんてつまらない。そんな時に、一生一緒に旅をしてゆける人と巡り会えるのは、ひとつ奇跡みたいなものだ。大事にね。

P.S. ブコメ「奇跡」ということばにひっかかってるのをいくつか見たけど、「奇跡」が気に入らなかったら「幸運な偶然」とでも読み替えてください。同じことです。

2009-01-24

テレビ放送は視聴者をアホに育てることで成り立つビジネスモデル

http://anond.hatelabo.jp/20090122230347

科学疑似科学の信憑性についてはここでは議論しないが、「放送が科学スルーして疑似科学を取り上げる」理由は、視聴者がアホになればなるほどテレビ局(ひいては広告会社)が儲かるからだ。

言うまでもなく、テレビ局の収入源はCM料であるため、テレビ局視聴率が上がり、広告効果が高くなることが収益に繋がる。それがなぜ前述の理由に繋がるかというと、端的に言って、

だからである。

また、放送で科学など確実性の高いものでなく、例えば「気」「奇跡」「感情」などと曖昧なものを前面に押し出すのは、それらがあたかも十分な確実性を持つものと錯覚させることで、これまた定量的な評価のしにくい商品CMを効果的にするためである。そしてそれを古館のような一見インテリ芸能人が薦めることで、より視聴者に信憑性を持たせるという効果を狙っている。

こういうのに騙されない賢い人は、テレビ局から見れば全く金にならない人種なので、放っておいてテレビ放送から離れて行っても構わない。逆に、こういう疑似科学などを見て影響される人はいい収入源なので大事にしたい。

なので、テレビ局疑似科学みたいな胡散臭いものをアピールし、視聴者をアホに育て上げることに余念がないのである。

2009-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20090118014905

信頼できる大人や専門家に話を聞いて貰った方がいいと思います。

自力で何とかしようとするのはとても危険だし

意見です。

ぼくが「専門家」じゃなくてごめんね。

「生き残ったことへの罪悪感」と、「生き残らせてくれたことに感謝してこなかったことへの罪悪感」。


この気持ちとつきあいながら生きていくのはつらいことだと思いますが、

ぼくが少し希望をいだくのは、そのことを彼女増田に打ち明けてくれた事実です。

言葉にして誰かに話すことが出来て、それを受け止めてもらえたというのは、

PTSDを抱える生存者たちにとって大切な出来事です。

逆に症状をこじらせるのが「甘えるな」とか「同じように苦しんでる人は他にもいる」、「がんばれ」などの類です。

ぼくが思うに、増田がすべき優先事項は次のふたつ。

緊急時に増田がとるべき行動をリスト化しておくこと

彼女自殺の実行をほのめかしたり、誰からも連絡が取れない状態が数時間から数日続いたときが「緊急時」です。

彼女保護者彼女が信頼している大人の緊急連絡先は把握しておくべき。

カウンセラーケースワーカーなどの専門家に相談する。可能なら彼女カウンセリングを受けるよう促す

内容が内容だけに、単純に物事はすすみません。「奇跡」が起こることはないだろうし、予想以上の長期戦になるかもしれません。

彼女がその気持ちとつきあって生き続けていくために、カウンセリングが助けになると思います。

ぼくがここに書けないことも、カウンセリングを通じて見つけ出していくかもしれません。

それと、増田自身も、彼女の話に衝撃を受けてプチPTSD状態になっているかもしれませんし、そのように自覚しておいた方がいいと思います。

つまり、増田にもカウンセリングを受けることを薦めます。彼女を守り続けたいのなら、自分を守る方法を身につけておくのは大切です。

2008-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20080714214413

「奇跡」とか言ってるキモい賞賛を見ると「これだから信者は」って言いたくなるのも分かる。ラブレターは一晩寝かせてから推敲しろって(笑)

でもApple製品好きな人たちがみんな盲目的にミソでもクソでも賞賛してるわけではないし、もちろん単にお洒落デザインが気に入ってるだけとも違うと思う。

○○ができる機能があればインターフェース等は練られてなくてもよいという人ばかりじゃない。単にMP3が聴けるという点では他のMP3プレイヤーiPodのも同じ。だからどっちでもいいだろとはいかないんだ。君もリモコンにボタンがいっぱい付いた複雑なインターフェースAV家電はほめられないだろ?月並みな言い方だけどカタログスペックだけじゃ分からないところが結構重要だと思う。

もちろんその点をふまえた上でもっさり動作とか変な箇所があるならそういう部分は批判して改善に向けていくべきと。売りの操作性がいまいちなんじゃ話にならないからね。

ともかく賞賛であれ批判であれ本当の「断層」が見えてないのが一番まずいと思う。

もし君が音楽を聴く人だったらiPodにたくさん(できれば千以上、たくさん入れるのがキモ)曲をぶち込んで実際に使ってみたらいいと思う。使っってくうちに他のMP3プレイヤーとの違いが分かれば本当の「断層」が見えてくるはず。

正直に言うと自分がそうなんだけど(笑)。(某MP3プレイヤーを使ってたんだけど友達のを見てたら良さげだったのでiPodを購入してみたらはまった(笑)。)

まあオレがiPhone持ってないんでiPodの話になっちゃって悪いんだが。

2008-03-05

プロフェッソナル 

昨日、DVDで「プロフェッショナル仕事の流儀」を観た。

京都の公立高校が、探求科を設置したことで京大合格者が増えたという話。

「奇跡」と呼ばれているそうだ。が、ちゃんちゃらおかしい。

市が莫大な金を注ぎ込んで超豪華な校舎、海外への修学旅行を整備し、

塾に猛アタックをかけ優秀層を洛南などの私学からぶんどる。

三年後に結果が出て、ブランド校のいっちょあがり。

なんのことはない、やってることは私立と同じだ。

よく出来る子を集めて、3年間、潤沢な資産勉強を遊ばせれば、嫌でも実績はあがる。

そこらへんのことに全く触れず、美談を繰り返す。

結局名前が変わっただけで、あの番組の本質は何ら変わっちゃいなかった。やれやれ。

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