2024-07-17

[] 2024-07-17

朝食: ナツメグと甘口醤油をかけた卵かけご飯

 

インターネット中毒を解消するにはどうするかと色々考えてノートにも対策法をまとめていたのだが、なぜか反動Facebook登録してしまった

自分自由毀損された時、反動で取り戻そうとするのを「心理的リアクタンス」と言うらしい、チコちゃんが言っていた

それはそうと、やることを増やすから疲れるのだとすると、論文を書く気もブログを書く気もないのに数学をやるのは、意味のないことに思えてきた

数学とは社会に成果を残してこそやる意味があるのではないか、部屋で孤独「真実」発見したとして、それがなんだというのか

この考えがベースにあると、何かを学ぶときには、実際にそれを日常実践して効果存在する事柄か、または学んだことを応用して社会に成果を残すしか学ぶ価値存在しないように思うのである

別の考え方もある。つまり純粋に楽しめればそれはやる意味があるということである

ただ、登山家さえ、成果を社会に提出することで満足感を得ている。誰にも共有せずにエベレストに登っても、苦しいだけだろう

では漫画はどうか。私が子供の頃は、漫画の内容を誰かと共有しなくとも楽しめていた。いや、子供の頃はSNSなんてなかったから、楽しいと思うもの自分だけで楽しんでいた気がする

社会から反応がなければ虚しい」という状態は、もしかしたら異常なのではないか、あるいは社会意識するのは大人になった証拠

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