はてなキーワード: ラジエルとは
朝食: コーヒー
昼食: スパイシーモス, ポテト, はちみつレモン入りジンジャエール
文庫サイズの聖書がほしいと思ったが、文語訳しかなかったのでしかたなくそれを購入
私の設定したなんちゃって安息日の日には、デジタルは使いたくはなかったが、今まで読んでいたKindle版の無料聖書を土曜日に読んだほうがよさそうだ
なぜ聖書に惹かれるのか、それは私が「相対主義」というものに対する疑念を持っていることにも関係する
善悪の問題が「どの倫理観が好きであるか」という好みの問題だけに帰着されることに対する懸念である
多神教は「それにまつわるものとしてあの神がおり、あれにまつわるものとしてその神がおる」といった都合のいい価値観を代弁しているように見える
「何を信じるかは人それぞれ」といっていろいろなものを偶像崇拝するのが本当に人間社会にとって有益なのかと疑問なのだ
聖書ではノアの法という絶対的倫理基準を採用しているが、これ自体は狂信的なものではない
世界で最も読まれている本が聖書だというのだから、単に教養としても良いだろう
読んで何かしら行動として実践することが重要だと思っているので、「信じる者は救われる」といった態度は取りたくはない
ビックバンセオリーのシェルドンが言うには、有名な学者の数々がユダヤ教徒であるために、キリスト教よりも魅力がある、という側面もあるが、非ユダヤ人であるシェルドンや私はノアの法さえ守っていればよいはずだ
というのも、箴言にはSNS時代に通ずる考えがズバリ書かれており、その道徳性に驚愕したからだ
その感覚でトーラーを見るとちょっとズレているかもしれないが、ラジエルの本にも「真の知恵はトーラーにしか存在しない」と書かれていた気がするので、より興味を持ったのである
知識が生み出したのは残念ながらICBMである、それに対し、知恵が生み出したものはタルムードとトーラーであると言えるのではないだろうか
https://blog.tinect.jp/?p=68019 を読んだ. 意味不明だった. でもブコメでは絶賛の嵐だった.
アスペにとってこういう, 自分と社会のズレを感じさせる出来事は基本的に重要なので, いちいちメモをとるようにしている.
ちなみにおれが言う意味不明とは, 単純に支離滅裂な文章という意味と, おれは他人の思考の裏読みを必死にやるタイプなので, 筆者が何を意図してこんな文章を書いているのか意味不明, 的な理解が同時に混ざった意味になる.
だが、ある時、僕を含む様々な人に対して”正しい”知識でもって攻撃的な態度を示していたのをみて、ちょっとした違和感をおぼえるようになった。
その人の言っている事は、確かに科学的な意味において正しい。誤った事をしていたのは、その人の周囲の人だったのは、間違いなく事実ではある。
ただ…その正しさでもって他人を攻撃する様は暴力的であった。その人は僕を含む様々な人を萎縮させ、他人のプライドを様々な形で傷つけていた。
最初の頃はその人がなんであそこまで仕事に打ち込めるのかがサッパリわからなかった。けど、いま振り返るとあの人がなんであんなにも仕事に情熱的になれたのかの理由が少しだけ理解できる。
ミスした人を問い詰め罵詈雑言人格批判を口から吐くのであれば, でもそれは知識も知性も頭の良さも関係なく, ただのパワハラである.
でもこの文書は, パワハラはもちろんダメだ, おしまい, とはならない.
これが意味不明だ.
それともパワハラではないが攻撃的な態度を示しているのだろうか.
例えばこっそり会社のPCにDropboxを入れている別の同僚を見つけては, それを上司に報告するとか?
じゃあDropboxが入ってる同僚のPCをハックして情報流出させて会社から強制的に追い出すとか?
なるほど攻撃的だ.
知力で我を押し通そうとする人は、有能かもしれないが一緒に働けない
学生時代に、ある本に「知識でもって有能さをしめしたがりすぎる人は採用しない」といった趣の事が書かれていて驚いた事があった(たしかイーサン・M・ラジエルのマッキンゼー式 世界最強の仕事術だったと思う)
この文章は実にミスリードを誘う. おそらく筆者は同僚に関する記述が意味不明であることを自覚しつつ, それを頑張ってごまかそうとしているのではないか.
たぶん.
つまり, 仕事はむっちゃするが正しい知識でもって攻撃的な態度を示す人の話(攻撃が何なのかは不明)が, 知識をひけらかすだけの人の話にすり替わっている.
あとは漫画の話. 漫画は面白そうなので買おう. 葬送のフリーレン
要するにデタラメでも適当でもいいじゃない, と言っているようだ. 技術的負債に通じる話だろうか.
https://t-wada.hatenablog.jp/entry/ward-explains-debt-metaphor