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はてなキーワード: 総合学習とは

2010-04-01

全く最近の若者は……

http://anond.hatelabo.jp/20100401093824

「全く最近の若者は……」「わしらが若い頃は……」というのは年寄り常套句ですね。

その昔は新人類と言う言葉がありまして、情熱・覇気がない、良いのはテストの点だけ、応用力ゼロで無個性ロボット等々言われていました。

それは、詰め込み教育受験戦争過熱共通一次試験などで、画一的教育や外で遊ばなくなったため。

なぜそうなったかといえば、それまでの中卒高卒当たり前という社会ではなく、全体の教育水準を向上させなければ、これから先、先進国としてやっていけないから。

しかし、そういった問題が出たので、詰め込み教育はやめ、授業時間を削減して総合学習とか、多彩・個性的な授業を可能にし云々。



つまり、教育が成功したことなんてないんですwww

2009-12-21

現役東大生が語る「数学さえやっていれば東大へ受かる」理由

教育目的社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校歴史理科国語を教える意味はまったくないだろうね。

まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学教養課程でやりゃーいい。

国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728

理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。

んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータ数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。

とにかく義務教育学習課程で無駄を徹底的に排除。

高校入学後は、これに加えて経済理科生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授自分研究室大学院生編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。

大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。

今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代エリート教育みたいに。たとえば東大数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。

小学校教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカ大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場労働者として頑張ってね!」でいい。

関係ないけど、修士課程も廃止。日本修士課程世界の中でもかなり独特で無意味制度博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。

反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科社会科国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学教養課程で、エリート対象に教えればいい。

こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。



まあ凡人には理解できないかもね。

2009-08-05

ゆとりって罵倒語みたいになってますけれども、え、じゃああなたはいくつ?

これだからゆとりは」って言い回しを見かけますけれども、「これだからゆとり(世代/教育をされてきた人間)は(頭悪い/しょうもない)」くらいの意だと思うんですけど、この言い回しをしてる方はおいくつでいらっしゃるのよ?

wikipediaによると、ゆとり第一世代っていうのは1987年度生まれらしいんですけど、彼ら彼女らが今いくつかというと、22歳、まあ飛び級留年もしてなければ大学4年生な年齢なわけです。とうに成人済みだぜ? 立派に大人だぜ?

ゆとり」を相手へのネガティブ言葉として使う以上、その人は「ゆとり」じゃないわけでしょう?少なくとも22歳な彼らより年上なわけでしょう?その歳でそんな頭悪い罵倒とか、ひく。

さらに付け加えると、総合学習とか公立校週休二日制とかもゆとり教育の一環なわけですけれど、これを体験していない世代ってどこからかなっていうと完全週休二日制2002年度からなんでまあ1984年度生まれまでにしておくと、彼らは今年で25歳ですね。

これだからゆとりは」を言っちゃえる人っていくつよ。少なくとも20代後半より上の人間が口にしてることになるんだけど、恥ずかしくないのかなあ。

ちなみに自分1983年生まれなのでこの定義だとゆとりに入らないけど、月に二回は土曜日休みっていうのを経験してるし、年下の子と話してて、そりゃ個人で「あちゃー」な子はいるけどその世代まとめて頭悪いとかちっとも思わない。比較対象の私の頭が悪いって可能性はもちろんあるけどね。


ノリで発される流行言葉のひとつってことは分かるけど、やっぱり「これだからゆとりは」を言う人の方が恥ずかしい人間に思えるなあ。

2009-04-29

総合学習とは?

たとえば、この中で「キジムナー」という言葉を聞いて意味が分かる人間がどのくらいいるだろうか、和太鼓が敲ける人間がどのくらいいるだろうかって考えると、総合学習って重要なんだなぁ・・・と思った。

学校って「おべんきょ」だけを教わる場所じゃないんですよね。

で、集団行動とか秩序とかを教わるのは勿論だけど、そういった伝統芸能や民間伝承に触れるきっかけ・興味を持つきっかけを作るのも必要だろうなと。

特に、今の親世代はいろいろ無知だろうし。

2009-02-18

あなたの発想はすごく面白い

元増田です。あなたの「私塾」という発想はとても面白い。

そのアイデアは、こちらのアイデアの「『教諭』でなく『教科特別講師』という身分」を活用する現場イメージと、発想の根を共有し、従ってリンクさせることが可能なのではないかと思う。



現在初等中等教育現場で、現場がもっとも悩んでいることに一つに「総合学習」枠が活用しづらいという問題がある。少し調べれば分かるが、これはまさに現在公教育内に「私塾」を作るという発想に近いんだ。でも現場にこの枠を活用できる余裕がない。



そこで、「総合学習」枠で『教科特別講師』がそれぞれ小さな私塾を作るというのは、現在教育制度の延長線上で実現可能な、そして効果のあるあなたの発想の具現化ではないかと思うがどうだろう? 反応乞う。

http://anond.hatelabo.jp/20090218213932

2009-02-15

そいつは教育じゃない。勉強だ。

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

http://anond.hatelabo.jp/20090215141559



これを読んで、何だかなあ…と思ったけど、同時に多くの人が誤解していそうな部分だとも思ったので。

ツッコミどころだらけだけど、片っ端からやってると多分訳が分からなくなるので、

今回は「学習過程の無駄」について話をしぼるよ!



学校は「知識を教えている」(だけという)わけじゃない。

さて、元のエントリにはこんな「良くありそうな誤解」が出てくる。

総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。

こういうクレームあるよね~。

「算数の公式なんてつかわねえよ!」とか「理科の知識なんて役に立たない!」とかも実はこれと同じだ。

だけど、例えば理科で石の勉強とかするのも、実は石の種類の名前覚えるのが重要なんじゃないんだ。

いや、「理科の知識」の習得も重要だよ?でも、そこにはもう一つ、隠された使命がある。



学習指導要領を元に見てみよう。

小学校学習指導要領平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第4節:理科文部科学省

http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/005.htm


…文字多い?読みたくない?

全くだね。そこで、まずは「目標」の部分だけ見てくれるかな。例えば、岩石についてやる6年生ならこんな感じだ。

(1) 生物の体のつくりと働き及び生物環境とを関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,生命を尊重する態度を育てるとともに,生物の体の働き及び生物環境とのかかわりについての見方や考え方を養う。

(2) 水溶液,物の燃焼,電磁石の変化や働きをその要因と関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究したりものづくりをしたりする活動を通して,物の性質や働きについての見方や考え方を養う。

(3) 土地のつくりと変化の様子を自然災害などと関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,土地のつくりと変化のきまりについての見方や考え方を養う。

さあ、キーワードは何だろう?

そうだね、「見いだした問題を多面的に追究する活動」「見方や考え方を養う」辺りがキーになりそうだ。

実は小学校理科で求められていることは主に3つある。

自然の事物・現象について感じる」「問題解決能力を獲得する」「科学的な見方や考え方ができる」

知識はその一部でしかない。むしろ岩石を観察して、そのデータを元に系統別に分類したり、

その過程で生じた疑問に対し、調査したり理論的に考えられる事が重要だ。



一輪車だって同じだ。

体力というのは大雑把に「筋力」「持久力」「調整力」に分けられる。

このうち「調整力」という言葉は耳慣れないと思うけど、これは「出力調整の能力」つまり「体を上手に使う能力」だ。

調整力はさらに平衡性(バランス感覚)、柔軟性(体の柔らかさ)、敏捷性(運動速度変更の正確さ、すばやさ)、巧緻性(動作の巧みさ)

に分けられる。

もう分かったよね。一輪車や竹馬は、なにも子ども大道芸人に仕立てるために練習していたんじゃない。

じつは平衡性強化訓練だったわけだ。



もっと言うと「総合的な学習時間」でやっているからには、

体育とは別の、もっと複数の教科横断的な目的があってやっているはずだけど、そこまでは分からないや。

研究授業とかの一環だった可能性なんかがあるかな。

あ、意外と知られてないけど、学校って研究機関的な側面もあったりするんだぜ?



教える+育てる=教育

勉強として知識を詰め込むだけが目的なら、学校での教育はとんでもなく無駄だらけだ。

だけど「勉強」は学校に課せられたミッションの一部でしかない。

「集団での共同生活の基本」だとか「心身や情緒の育成」だとか、まあそういうことも考えてるのよ。と。



だから、「数字を覚える歴史」じゃなくて、もっと教え方考えなきゃな。

まあ、教養としてのそういう知識も、それはそれで重要だけどな…。頭いてえな。

http://app.blog.livedoor.jp/dqnplus/tb.cgi/1217037

高校生総合学習発表を、いい大人が見下したように馬鹿にするのってどうなの?

内容が稚拙だろうと間違っていようと、学生のうちは自分意見をまとめて発表することが重要なんじゃないの?

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

教育目的社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校歴史理科国語を教える意味はまったくないだろうね。

まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学教養課程でやりゃーいい。

国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728

理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。

んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)と英語をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータ数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。

とにかく義務教育学習課程で無駄を徹底的に排除。

高校入学後は、これに加えて経済理科生物学中心)を英語教え込む。現代の経済学科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授自分研究室大学院生編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。

大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。


今の日本高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代エリート教育みたいに。たとえば東大数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。

小学校教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカ大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場労働者として頑張ってね!」でいい。

関係ないけど、修士課程も廃止。日本修士課程世界の中でもかなり独特で無意味制度博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。


反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科社会科国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学教養課程で、エリート対象に教えればいい。



こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。

http://nyushi.yomiuri.co.jp/nyushi/center/09/1/exam/522/12.htm

って本当に、大事なことなの?

もっとコアになる部分をしっかりやらないと、資源のない日本では本当に足元から崩壊してっちゃうだろうね。

2008-10-06

避妊がらみの話になると

増田は、二言目にはピル飲めピル飲めって言うが、そのうち実際に経口避妊薬を使っている(検討した)増田とか、

パートナーと一緒に調べたり病院に行ったりした増田はどのぐらいいるんだろう。

自分もよく知りもしないものを人に勧めたりはしてないよね…?

それと感染症検査。どうでもいいが、「ブライダルチェック」とかいう名称で呼ばれてたりするのが、まぁ世間的な

建前上わからなくもないけどキモイな。結婚関係なく相手がいる時点で即検査ぐらいの意識でいようぜ!っていう。

あと、男性だとまず検査を何科に受けにいったらいいかとかすら知らない人が多い。

頼むよ、女子が理科室に集まってビデオ見てる時間男子にはサッカーとかさせてないで、そういう基本的なことを

教えといてくれよ。って、いまどきは男女共同で総合学習みたいにやってんのかな。

追記

なんとなく思ってはいたけど増田OC経験者(継続中も含め)多いね。

っていうか、身近でも、昔飲んでたとか、今飲んでるという人はけっこういっぱいいるのに、普及率が1%って

なんでなんだろう…。今使ってないけど経験ありも含めたら、2??3割はいる気がするんだけどな。

2007-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20070909114426

だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。

教える時間削減して余った時間が「ゆとり」ではないの?詰め込みで勉強ばかりしててはだめだからという理由で削減されたような気がするんだけど。

あなたが教える立場だと思って考えてくださいね。


教える内容が10で今まで10時間で教えてました、と。

時間は10のままで教える内容を8に減らしました、と。

いやでも2時間余りますね? これなら「ゆとり」が生まれます。


では教える内容を8にしました、と。

教える時間も8しかありません、と。

で、何時間余りますか? 


え、家に帰って2の時間が余るでしょ、って?

増田さんのおうちではそうかもしれない。でも日本全国のほかの家庭ではどうでしょう?


そもそも学校で「ゆとり」の時間が必要だとされ「総合学習」に期待されたのは、従来家庭で行われていた教育部分を地域や家庭に任せておける状況でなくなったこと……具体的には、「同年代多人数との交流による社会性の獲得」「好奇心を持って学んだり考えたりする態度」「責任を持って子供の様子を見守る大人の存在」なんかが地域にも家庭にもほとんど期待できなくなってきたということがあげられます。それに加えて、遅刻しない、たち歩かない、人の話を聞く、こぼさずご飯を食べる、などの「しつけ」に類する『学ぶ基本』もまた、家庭から学校に期待されるようになってきました。


つまりより正確に言えば

「教える内容を8にしましたが、あらたに教える内容が2求められるようになりました。

 全体の時間も8に減らしましたが、新しい2の内容をやるために2の時間が奪われます。

 さて何時間余るでしょう?」

が正解ですね。


ゆとり教育プログラム」と「週休二日制」を同時に行うことが致命的な失敗だったと、と書いた意味が分かってもらえましたか。


ところで、

もちろん教員が週休二日にしたかったってのもあるだろうけど。

そういうプロパガンダぽい意見はあちこちで見ますけど

(1)そもそも教員が希望したりはしていない。

(2)週休二日実施前と後を比べて「楽になった」教員よりも「余裕がなくなった」と感じている教員は多い。(統計など参照されたし)

(3)むしろ授業時間の削減の流れの中、総合学習や教科改変、学力低下論、そして保護者への対応に振り回され勘弁して欲しいというのが現場の声


そしてもっとも大きなポイントとして

(4)「週休二日にしたい」というのが「教員の要請」で決まったのなら、上記のような声が全然政策に反映されない理由が全く分からない。


という点が上げられます。そもそも組織率2割、ストも打てない組合意見で国が方針を左右するなんてあり得ないでしょ。


というわけで、私はその意見には賛成しません。

2007-09-08

一応一言言っておくけど

一応教育関係者ぽい書き込みみたいなんで一言言っておくか。


ゆとり教育」と「週休二日制」が本来全然別の流れから導入されたことくらいは知ってるよね? だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。10の時間で10教えるのと8の時間で8教えるんじゃ、同じっしょ。


もちろん、確かに当初から「ゆとり」教育は、住宅ローンの「ゆとり償還」と同じ問題が指摘されてはいた。ものすごくざっくり説明すれば、つまり従来小学校で10、中学校で10、高校で10教えて大学受験で30要求していたのを、小学校8、中学校8、高校14やるつーのがゆとり教育の計画。もともと無理のある計画だよな。そこは同意する。


それでも、10の時間があるなら、小学校中学校では2のゆとりが生まれる。そのゆとりを使って「学ぶ力」を作り出すから高校で14は決して不可能ではないはず……だからおk?って導入しようとしたら週休二日が入り込みおまけに総合学習が入り込んで、実際にはゆとりどころか過密な教育になったというのが流れです。今の小中生は決して暇ではないよ。まあ詰め込み受験世代ほどではないにせよ、でも今の(自然も地域共同体も失った)社会で再び詰め込み受験世代教育環境に戻すと、それこそいじめ自殺は半端ないことになる。


まあ、そういう中で、それでも小、中は(本来「ゆとりで8」のところ)を『がんばって』8を実現してるけど、高校はそうはいかない。10の時間で14という計画が無茶なところへ持って時間まで8に削減だから、いくら「学ぶ力」を持った生徒ががんばっても10か11がせいぜい。つまりそこまで過密なスケジュールをこなしてきて、なおかつ生徒の力は確実に1割減の27。それでも大学入試は変わらず30要求するという現実の前で多くの現実的な生徒は試験科目の少ない私立、推薦入試に流れ、ますます「数学のできない大学生」やら「生物を知らない医学部生」が増えるという仕組み。


いろんな意味で「幼児から大人まで」の教育プランが統制とれてないよね。文科省が批判されるとすれば、そこの統制を取らなくてはいけなかったという点。(まあ無理だったからこうなったわけだけどね)その辺のリーダーシップの弱さがこの政策を完全にだめにしてしまったという。

ただね、「ゆとり」教育の方向性は決して間違ってないよ。政治状況につぶされた政策だというだけで、必要な方向だし政策であったことは事実。問題は、文科省が十分なリーダーシップをとれなかったせいで、関わった人々が好き勝手な方向に政策を(ミスリードするのを許してしまったこと。


もしこういうこと全部ひっくるめた「世代」の名称として…つまり「ゆとり世代」が受けた受難の時間やその結果を「ゆとり」と称するなら別にとめないけど、いやしくも教育関係者であるなら、それと「ゆとり教育政策」そのものとを混同すべきではないと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070908073145

2007-05-14

未履修、複数教師が認める 県内公立高「裏時間割で授業」

 県内の公立高校の生徒や卒業生が必修科目の未履修を指摘している問題で、現役の教師からも履修漏れを認める発言が相次いでいる。市内の県立高では、過去数年にわたって恋愛社会学など必修科目を他の科目に振り替え、受験対策用の「裏カリキュラム」で授業を行っていたことを、複数の教師が証言。県北部の県立高の教師は、恋愛社会学だけでなく、総合学習の授業を英語に振り替えていることを明らかにした。

習ってねぇ。

もうすぐ15年なんですが、時効ですか。そうですか。

2007-03-25

個人的には

http://anond.hatelabo.jp/20070325162500

国語数学理科社会以外の、いわゆる「総合学習」を重視したものだと思っている。

で、総合学習ってのは「現場にお任せ」って意味なので、たしかに現場は頭抱えながら必死で努力したんだろうなぁ。

ただ、自分はゆとり世代ギリギリの生まれなので、ゆとり世代ど真ん中の人に聞いてみるとまた違ってくるかもしれない。

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