はてなキーワード: 留年とは
(元ネタ:http://www.bengo4.com/bbs/read/104409.html)
当時大学に通いながらアルバイトをしていた私は、家族の紹介で都内のある会社(A社)が主催する所謂自己啓発セミナーにボランティア・スタッフとして参加しました。
当初ボランティアの内容はセミナー当日に会場を設営するなど簡単なものでしたが、1年ほど続けた頃、A社の社員から営業活動を求められました。具体的には、A社が指定した人物を勧誘したり、説明会を企画して人を集めるといった内容でした。
加えて、セミナー申込のキャンセルを少なくすることも活動の一環でした。A社としては申込みはあくまで任意としていますが、実際は強引な勧誘も多々あり、後日キャンセルを申し出る人は多いのですが、そうした場合に再度説得することもボランティアの活動でした。
申込数やキャンセル率には目標があり、達成できないと叱責されることもしばしばありました。そもそも昼間は大学に通っていますので、ボランティアは夕方以降の参加となり、叱責が深夜に及ぶこともありました。
ボランティアを続ける中で、私自身もセミナーに参加するよう求められました。勧誘してくる者が身内ということもあり、断れずにいくつか参加しました。セミナーの基本的な内容は講話と「シェア」と呼ばれる参加者の内面の吐露、ロールプレイングのようなものなどで構成され、3〜4日間、2時間に1回30分程度の休憩をはさみながら朝8時〜夜8時まで行われます。上級のセミナーになると週に1度、夕方に2〜3時間程度を2ヶ月続けるというものもあります。
上級のセミナーを開始後しばらくしたある日、全く何もする気の起きない日が続くようになりました。後日、大学のカウンセラーのすすめで精神科を受診し、うつ病と診断されました。大学は留年、アルバイトは休職扱いとなり、1年間を療養に費やしました。
発症の時期や精神的ストレスの度合いを考えれば、A社での活動がうつ病の引き金となった可能性が極めて強いと思うのですが、責任を追求することは出来るのでしょうか?
ちなみに、セミナーに参加する際には「セミナー中、過度な精神的ストレスを感じる場合があり、自己の責任で参加する」旨の同意書に署名を求められます。
やる気にならないのはやらなくていいことだと思う。それで留年するとしたら、それは増田が学校に向いていなかったというだけのことだろう。身も蓋もないって?そりゃそうだ。
やれモチベーションだ自己啓発だ鬱だと世の中いろいろ言うが、それらは要するに「無理をする」という前提だ。そして、人間は「無理をする」ようには、余りできていない。
動物として見れば、恒温動物のくせに毛皮も常備しておらず、爪も牙もないのに体は大きいので餌を大量に必要とし、粘膜も露出しているから病害虫への耐性も決して高くはない。また、社会性のある生き物のくせに多頭飼いが難しく個別のスペースがないとストレスで病気になる。唯一の利点として言える大脳の大きさからくる記号操作能力を活用してこれらの条件を克服できる個体も稀には見られるが、大抵は自分たちの使う記号に振り回されてむしろストレスを増やす有様。
一つの生き物として見たとき、こんなに「飼いにくい」生き物はない。大抵の人は、増田のように「自分」という生き物すら飼いきれず持てあましてる。
「やる気出させる」というのは、どっかにボタンとかあるのではなく、上のような「人間の飼い方」を熟知した上で、「ニンゲン」というペットを上手に健康に飼ってやるということに他ならない。清潔な寝床と餌を用意し、病気に気遣い、個別スペースを用意しつつ社会性も発揮できるように他のニンゲンと交流させてやり、大脳で処理するのに適切なレベルの記号環境を整えてやり、そのための活動できる時間と場所を確保してやって初めて、「やる気をもってニンゲンが特定の記号課題に取り組む」という状況が作れるものだ。「ニンゲン」を飼うのは、それだけ難しいことだ。少なくとも、ストレス下で、他のこと(餌や住環境や健康や、また、「将来」という別の記号課題等)に気が散る中で、特定の、それもニンゲンにとってそれほど興味も湧かず困難な(レベル的に適切でない)記号課題を与えて、すらすらとそれに取り組むことを期待するなど、一ブリーダーとしては、脳天気すぎる。もっと色々とすべきことがあるだろう。
というわけで、元増田は、悪いことは言わないからとりあえず部屋の掃除から始めれ。
いらんもんは捨てるかすべて見えないところに片付けろ。課題に取り組めない理由が「面白くない」なのか「難しい」なのかもはっきりさせて、「面白くない」ならもっと課題を面白くできるように、「難しい」なら基礎の勉強をしろ。洗濯もしろ。料理もしろ。餌と住環境を整えろ。
それでも「やる気」とやらが出ないとしたら、それはさすがに病気かもしれん。医者に相談にイケ。まあ、そういうことはおそらくないと思うがな。
いずれにせよ、話はそれからだ。
留年したら「あの人課題やんなかったから留年したんだってぇ~ ひそひそ」
「阿呆だね~!あんなんチャチャッとやって出しちゃえばいいのにぃ~ ひそひそ」
とか陰で言われるかもしれないぞ!いいのか!?
何かするたびに「課題も提出出来なかったくせにねぇ~ ひそひそ」
元増田は自分の現状を吐露できる素直さがあるんだから、きっとモチベーションさえあがればパパッとできちゃう子。
課題が終わったら「頑張ったね!o(^▽^)oいいこいいこ」って誰かに言ってもらうとか、
「これでレベルアップ!俺マジ勇者!」って自分を褒めるとかしなよ。
課題さえ終わればこれからもスマートな顔して外を歩けるんだし!
とかこんな激励どう???w
あ、かえってプレッシャーになってたらすまぬ...
実は、留年してもいいやという気持ちがあるから「やる気が出ない」とかいいわけ(になってないが)できるんだよね。
君にとって、 留年 > 課題をやる なら課題ができる。諦めて留年したらいいんじゃねーの?
課題をやる気が出ない。
これができないと留年の可能性があるが、やろうと思ってPCに向かい、課題のデータを開いたとたんに緊張感というか、不安というか、嫌悪感というか、なんか苦しい気持ちがこみ上げてきて、とたんにネットサーフィンに逃げてしまう。自己啓発(笑)系の本を読んで、実行してみた時期もあった。しかし、今となってはそれらを実行するやる気も起きない。明日こそやるぞ!と思ってとりあえず寝てみても、次の日は結局何かするわけでもなくだらだらと過ごすだけだ。いったい何が原因だというのか?昔は原因を紙に書き出して考えたこともあったが、今は原因を考えるやる気すらない。
僕の友人には課題をなんでも期日までにこなすやつがいる。興味のある課題でもない課題でも早めにやらなきゃ気が済まないという。あと、課題が終わった後のご褒美を設定すると課題を終わらす気になるとか言い出す。まるで自己啓発本にでてくるような文言だ。
ご褒美を設定したところで今の課題が嫌なのには変わりないから、そのご褒美を先に堪能してしまいそうにならないのか?と僕は尋ねた。しかし彼はならないらしい。意味がわからない。これはもう性格の問題か。
今日の僕もしばらくしたらあきらめて眠りにつくだろう。
そして今日と同じように朝を迎え、とりあえずPCの電源を入れ、また課題から逃げるのだろう。
うあー。
出会ったばかりの頃は、ただ毎日が楽しくて、それだけでよかった。
くだらない事でいつまでも時間を潰して、今こうなっていることなんて夢想だにしなかった。
そんな青臭いガキだった僕らが、今は一個人から一つの家族を作る段階に入っている。
それを聞いて、素直に祝福する気持ちと、どこか歪んだ寂しい気持ちが入り乱れた。
後者については、子供がおもちゃを独占できなくて泣くような、理不尽で幼稚なものだと思う。
結婚して家庭を作り、子供を育てるというのは僕らからある程度の距離を置くことになる。
そのことで「ずっとあると思っていたこのメンバー、空間」に対する
相対的な優先順位が下がるということを、未だ結婚の予定もない僕が僻んでいる。
まだまだ自分自身が子供のうちは自分が結婚したり、子育てしたりっていうのは
具体性に欠ける話だと改めて実感した。
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
もう留年が確定して半期遅れての就職になることが決まっている。
就活、何すればいいんだろう。
やりたい仕事なんて思いつかない。
物語を作ったり、文章で人の心を動かしたりは好きだった。
ネットで少しはファンができるぐらいの成果がある。
でも、まともな職につかなくてはいけない。
このご時世、作家なんて職業がろくに食えるものじゃないことは知っている。
じゃあなにを?と思うけど、本当にそれ以外やりたいことが浮かばない。
教えるのがうまいと言われていて、
実際に担当した小学生を全員第二志望以上の私立中学に受からせ、
でも、心の底では子供は勉強なんてしなくていい、遊べと思っている。
中学入試や高校入試で無駄にハイレベルな学校を目指させるのは、
子供の心をすり減らすだけだ。
同級生が心をすり減らしてきたのを目の当たりにして、敵意が消えない。
一日でやめた。
同時に二つ以上のことを理解できなくて、なにをどう運んだかが分からなくなって、
最初に大阪弁で怒鳴り散らした先輩は最後には呆れて「自分、初めてか」と聞いた。
腕が震えて腕をボールペンで突き刺すのに忙しくてしゃべれなかった。
これぐらい平気だろうと思っていてなめていた。甘かった。
働いたことがあるのはそれぐらいだった。
話がそれた。
就活どうするかだ。
たぶん、頭でものを考えたり計画を立てて準備する仕事が向いている。
逆にその場その場で機転を利かせる仕事は絶対に避けるほかない。
でも、自分の性格からして極限まで甘えてギリギリになって就職先が見つからないと思う。
こういう文章を書くだけで何もしない甘えたガキの俺は、十年後に後悔して自殺するだろう。
もういっそブラック企業に身売りして根性叩きなおしてもらった方がいいんだ。
それ以外方法がなくなるまで甘えてしまうだろう。なんで生きているんだ。早く死ねよ。
とりあえずリクナビとかマイナビに身投げしてみよう。大学から帰ったら。
ああもう、小説だけ書ければいいんだ。それ以外は全部余分なんだ。
でも、そういうわけにはいかないんだ。
上位リーグの上位球団のオファーと1年を棒に振ってまで、下位リーグ中位の嫌われ球団に行こうとする選択を、人は愚かしいと思うだろうが、まぁそれは良い。バカな選手がいた方が面白い。
個人的には、菅野氏が読売じゃなければメジャーに行くと嘯いたなどという真偽不明の報道もあったからメジャーに挑戦して欲しいと思ってたので残念だが、まぁそれも良い(日本球界を経ずに渡米した場合にはその後日本球界に(事実上)入れないという醜い制度があるので、読売親族としての権力を使って制度を改正して欲しかった。)。
それよりも現行のドラフト制度には欠陥があるという事が明らかになった。囲い込みを試みる側に圧倒的に有利なのだ。
今回読売は、日ハム以外の球団の指名を排除する事に成功した。今年のドラフト対象を見れば、何もなければ菅野氏は3~4球団の競合が予想されるから、読売は有形無形の圧力によって交渉権獲得確率を倍増させる事に成功している。
日ハムは果敢にも菅野氏を「強行指名」したわけだが、案の定、契約に辿り着けなかった。
囲い込みをした球団は交渉権を得られなかった場合にも公正指名と同じく外れ1位を指名できるのに対し、囲い込みに挑んだ球団は1位と外れ1位いずれも選手獲得できなくなる。
このように、囲い込む側はノーリスクなのに対し、それを破る側にはリスクが大きい。
(なお一部の読売ファンは「1年も前から1位指名を確約する事で、巨人は菅野の故障等のリスクを負ったので公正だ」などと言うが、菅野氏が指名時点で期待外れなら指名しなければ良いだけであり、何らのリスクを負っていない。)
そこで改正案。
まず、囲い込みを破ろうとする側のリスク低減措置である。リスクはもっぱら1位指名選手が入団拒否することに由来するから、入団拒否をしにくい制度にすることが考えられる。
そこで、指名を受けながら入団拒否をした者は、以後3年間はドラフト指名を受けられないことにする。
考えてみて欲しいのだが、日ハムと読売なら日ハムでの1年を棒に振るのは勿体無いと思えるが、横浜に入団するくらいなら1年留年した方が合理的と考える者が居ても不思議では無い。こうした選択を防ぐのに、現行制度は不十分だ。
私は逆指名制度を提案する。ただし、逆指名をした球団はその年のドラフトに参加できないものとする。
下位指名を棄ててまで取る価値のある選手は極めて稀であり、この障害を乗り越えるカップリングなら観客の理解も得られるであろうし、囲い込む球団の戦力増強も抑制できるから、戦力均衡というドラフト制度の趣旨からも許容できる。
トラックバックの書き方これであってんのかな。
そうだね、なんだかんだいって俺も類友だよね。
やっとこっちの世界にきたかとか言われてるし、きっとウザがられてるんだろうなー。
そこそこできる方だったし、目もかけてもらってた。
でもふとしたきっかけで俺が勝手に、面倒みてやんなきゃみたいな気分になって付き合い始めて、
その頃から上みて疲れるより下みて優越感浸るようになったのかね。
仕切り屋だったから、卒論でもなんでも仕切ってそこそこ結果残して。
留年ギリのとか、講義中に遊んでたのとかでも、やればできるじゃん!みたいなね。
社会人になるときはさっさと内定とったり大手受かるのもいてさ。
それが今この有様だよ。
本当は、俺が仕事辞めた時、もっと精神的に引っ張って欲しかったんだよな。
それがこの有様だよ。
相手が辞めたくなったときは、安心して辞められる環境に整えるのが結婚当初からの目標なんだよ。
甘えてる。耳が痛いわ。その通りだよ。
相手だって、毎日疲れて帰ってきてるし、生活費浮いたら好きなもの買えるよな。
解ってるんだよ‥。
提出したのだが、これではダメだと突っ返された。
この時に危機感持って一所懸命取り組むべきだったと後悔している。
ずるずるとテーマ提出を引きずり、閃いた案を出すも、「中身がない」というので突っ返された。
幾度か出したが、下調べが殆ど無かったりや机上の空論のようなものでテーマとして成り立たないものばかりだった。
7月ごろに先輩からのアドバイスをいただいたのだが、それ通りに動かず、好機を逃した。
このような状況にいるので、精神的にキツい状態に陥っている。
もし今、卒業研究のテーマが決まっても間に合わないだろう。(時間的にも技術的にも)
そうしたほうが気持ちが楽になるだろう。
今の状況が辛いのは今年度卒業するということを考えているからだ。
今年度卒業することを執拗に考えるのは、これは親のためにそう考えているのだろう。
内定蹴って一留して目指してた院試に失敗していよいよ詰んだんだが、
どうしてこんな糞野郎になったのか半生を振り返ってみる。
中学3年生の時私はいわゆる保健室登校をしていた。今考えると理由はよくわからない。
ただ、趣味がゲーム、アニメのイラストを描くことで、2chに入り浸り、
体重は60kg超えのデブ、色黒、毛深い、眉毛も整えない女は迫害されて当然だろう。
実際男子からの扱いはひどく、女子にも話しかけられず、中学時代の今でも友達と呼べる友達は2人しかいない。
よく思い出してみると、毎日家まで迎えに来てくれたり保健室に様子を見に来てくれる子もいたので、
ただの卑屈な思いこみだったんだろう。後悔している。
中学校は進学校(?)だったので3年間勉強はしていた。成績が良かったので塾は嫌いではなかった。
その間ずっと、いつか好きなだけ漫画を読みゲームをし、イラストをたくさん描く時間ができるのだろうと思っていた。
結局、保健室登校による内申の低さが祟り、第一志望の高校には入れず第二志望の公立へ行った。
高校時代は、言い方は悪いが、周囲がバカに見えること以外は楽しかった。
がコンプレックスは引きずったままだった。変わることを意識し、中学時代は無所属だったが部活に入り、化粧もした。体重はそれでもデブだが少し落ちた。
高校でも勉強は続けた。1年生の時、美大へ進学したいから予備校へ行かせてくれと親に行ったが遠まわしに却下された。
進学塾の費用は出してくれたので、そちらに精を出すことにしたのだ。畢竟、イラストはあまり描かなくなった。
共学校だったが、3年間で男子と言葉を交わした記憶は殆ど無い。
大学は、金融関係に勤めている父の影響と、単純に金持ちになりたかったので、経済学部に行きたかった。
数学は好きだができなかったのであまり勉強しなかった。そのうえ厨2病をこじらせたのか現実の人間社会に興味がわかず、
政経ではなく倫理に興味津々でセンターも倫理選択で、地理はやらなかった。
結局、途中で妥協し経済学部志望を諦め、目指していた大学の中で一番楽に入れるところを受けなんとか現役で合格した。
サークルに入った。大学の人間はさすがに素晴らしい人が多く、素晴らしすぎてついていけなかった。
「いつか時間ができたらやろうと思っていたこと」を勉強と一緒にやってきた人たちばかりだった。
絵もかけなければ楽器もできないスポーツも出来ない自分との圧倒的な違いに絶望した。まあ仕方ない。
ふてくされたわたしは、投げやりに決めた進学先に成績がからまないのをいいことに彼氏をつくって遊んでいた。
私が周囲の人間と疎遠になったところで、「悪かった、俺が間違っていた」といい自分の人間関係はそのまま。
わたしがなにか新しいことをしようとするととたんにねちねちと難癖付けてくる。
教職をとれば「教師はもっと神聖な仕事だ」就活をするといえば「女は働くもんじゃない」
じゃあ公務員試験の勉強のために予備校へ行くといえば「簡単だって親父はいってたけどな」
(彼の父は法学部出身。わたしは大学の専門がまったく試験と関係ない。)
まあそこでやる気を失うわたしも悪いのだが、初めてできた彼氏で、しかも自分のことを「好きだ」といってくれるからにはなかなか切れない。
共依存関係でずるずると引っ張り続け、4年生になり、就活も勉強もほとんどできないままほぼ大学受験の貯金で受けた試験で内定をもらった。
しかし、わたしがしたいのはそんな仕事じゃなかった。海外に長期滞在するチャンスが欲しかった。
仕事をするからには、自分の仕事を通じて社会の課題を解決したかった。
「おにぎり食べたい」と書き残して死んでいく人を放っておくような国をかえたかった。
それでわたしは専門を変えて大学院を受けることに決めた。
親に頼み込んで、留年させてもらった。これからは頑張ると決めていた。
にもかかわらず、彼と別れられなかった。他にも男性との間でトラブルを起こした。
通院することになり、紆余曲折を経て結局完全に別れたのが今年の6月。
なにかやらねばならないと思っても、もはや、頑張るということを完全に忘れていた。
勉強の仕方も、忘れていた。到達すべきレベルも、やらなければいけないことも、わからなかった。
とりあえず英語の試験の勉強をした。貯金があったので、合格者平均くらいは、とれた。
けれども、その後机の前に座ってみても増えるのはらくがきばかり。
そもそも問題意識が低いから目的を達成するための手段としての勉強に身が入らないのだろうと思い、
問題意識の根底にある原体験の不足を補うためにボランティアに参加してみることにした。
東北支援と、NPO系のもの。いかないよりはいってよかったとおもう。そこそこに感動もした。
というのは、人は変わるということを目の当たりにしたから。しかし怠惰さは残った。
よくこういう文章でみる、「ここで俺は覚醒した。狂ったように勉強した。」みたいな一文が頭にちらつくが、なぜかそうならなかった。
そうしようと思って机に12時間むかってみても、そうならない。没我という状態はついぞあらわれなかった。
それでも最後の4週間、それまでの4年間に比べれば勉強したと思う。結果は駄目だった。
能力が、ないのだとおもう。
頭の回転はそんなに悪いとは思っていない。ディスカッションの進行や即興でのプレゼンはほめられる。
でも、決定的に打たれ弱くて、入念に、継続して何かにむけて努力することがどうしてかできなくなってしまった。
意志の力の決定的な不足。親に申し訳なくて、泣いた。
これからどうすればいいのか正直わからないでいる。やりたいことはあるが、そのために学士入学したところで、仕事にありつける可能性がさらに狭まるのは必至だ。
これなら頑張れると今は思っていても、こんな経過を振り返っては、親どころか自分すら説得できない。
いっそ仕事で満足するのを諦めれば良いのかもしれない。仕事以外に人生の楽しみを見出しそれに傾注するのも幸せかもしれない。
しかし、自分の中で仕事をステータスと捉える側面が未だあって、そのせいで現在すでに、働いている友人たちと連絡が取りづらい。
久々に増田書くけどトラバってコレでいいんだっけか。まあいいや。
俺は片田舎生まれで、中途半端に学校の成績が良かったゆえに勉強の習慣が付かず、偶然受かった進学校に進むも勉強グセが無いため即底辺。
3年までは一応留年せずにすむものの、力尽きて引きこもり→中退で、立派な中卒無職に。
以降、27歳まで実家住まいで親のすねをかじりながら、ニートとバイト・派遣を繰り返すという馬鹿丸出しの人生。
でも28の時に、家に近くてデスクワークだから、という理由で始めたバイトが割と適性があったらしく、すぐに正社員登用され、
数年後にはそこでの経験を生かして同業他社に転職、給料が5割増くらいになって(元が安すぎたせいもあるが)、ついでに地元を離れて一人暮らしも始めた。
だから、日々ライフハック的なことしつつ生きなくても、現状を変えたいなー、という意識を持って、ここぞというタイミングだけでも一歩踏み出せば変われるよ。
いやほんと、普通と言われるのはトラウマに近いものがあるわ……。以前仲良くなった女性に「いい加減自分を特別な人間だと思い込むのはやめてください。あなたは普通の人間です。」と切れられて音信普通になったことがあって。いまでもそいつに会ったらバールで叩きのめそうかと思うくらい憎い。
「仲良くなった」というのもこいつの思い込みだったんだろw
そこまで追いつめてしまったことに、何の反省もないのかねこの馬鹿は
ハイカーの皆さんに質問
「ふられた時は、どうした?」
手首切るわ薬物の過剰摂取するわ向精神薬中毒に陥るわで人望を完全に失った。画力も完全に崩壊。大学も留年と休学を繰り返しついに退学へ。
ふられてから1年くらいの記憶があまりない。精神状態が多少でもマシになるまで5年を要した(今のブログの一番最初のころの記事は、どん底にいた時期のもの)。現在でも相手には激しい憎悪を抱いている。
人望を失ったのと退学をふられたせいにするとはひでえw
違う場所でありむーは学費が払えなくて中退したと言ってたのにお得意の記憶の捏造か
ありむーは徹底的に自分のことしか考えていない自己愛性人格障害
ふっただけでリスカ※http://twitpic.com/4oedfoされてずっと恨まれたらたまったもんじゃねーなw
性格は普通かもしれないが、顔面崩壊しているために誰も友達が出来ないぼっち
(2)性悪ぼっち
入学当初は一緒に行動する相手がいたのかもしれないが、性格が悪いため夏前には孤立してしまったぼっち。
外見上特におかしい所は無いが、アスペルガーかと思われるくらい精神が狂っているぼっち
自分の将来の目標を達成するために、人付き合いに掛ける時間を惜しみ、周りの雑音を気にせず目標に向かい邁進するぼっち
外見・性格共に異常はないが、留年してしまったために一緒に行動する人間がいなくなってしまったぼっち
(6)編入生ぼっち
3年から大学に入ってきたが周りは既に人間関係が出来上がっており、入り込む隙はなく孤立してしまうぼっち
他の学生が全員異性であるため、一緒につるむのには抵抗があり孤立したぼっち
入学時点で周りの学生よりも遥かに年上のため、向こうからもこちらからも敬遠してしまい孤立したぼっち
(9)お断りぼっち
学外で超絶リア充生活を送っているが、大学には興味が無いため大学内では敢えてぼっちの道を選んだぼっち
人生を半分くらい投げたらロックンロールな気分は消えて、酩酊したいような気分で、でも別に学校行きたいなんて思うわけもなくて、ああ最後までなんかちょっと違う感じだったよなとか思いながら、最初から最後まで医学生ぽくないって言われたこと思い出しながら、なんとなく憂鬱な気分で、でも留年してくそ暇な時間を過ごしているときにおれは別に暇だとか退屈だとか感じていなくて確かいつもこんな感じだったよなって思う。わけわからない気分。勉強するつもりで買った本は全然頭に入らなくて、いやレトリックの本はなんとなくあたまのなかで形にはなったんだけど特に文章としてまとめられるような感じじゃなくて、なんにもわからなくなっちまった。憂鬱な気分を抑えるために外に出て歩いて、いつも思い出すのは運動好きな体育教師が心を病んで辞職したこと。結局運動は健康になるし憂鬱な気分を吹き飛ばすけれども、一時しのぎのものにすぎなくて、最低な今日。時々凄くはかどる日があるけど今日はぜんぜんそんな日じゃなくって、何がどうなのか僕はわからなくて人生の何にも向いていないような気がする。こうやってひきこもってへんてこな文章を書いて永遠に無視され続けるんだって、もちろん保坂和志が書いたように小説がそういう感情を負の側面に持っていくということは確実にあって、覗き込む心が覗き返してきてそのせいで頭が痛くなり心が暗くなり心配事があふれだす。自己啓発本読んで片付けようとした部屋は相変わらず汚いままで、明日になったら全部捨てようとかそんなことを思う。捨てよう捨てようと考えてずっと捨てられないのは僕の部屋がいろいろな余計なもので溢れているせいで、殆どのものは捨ててしまえるのになって思う。だけどおれはぜんぜんすててこなかった。そういう事なんだと思う。永遠に読むことのないであろうドイツ語のプリントやルーズリーフやビニール袋を捨てることが出来なくて、いい加減に捨ててしまわなければと思う。僕はものに囲まれすぎた。こいつらが思考をごちゃごちゃにする、なんてことはなくて、いや、ないのかどうかはわからないが、相互作用でどっちがどっちというわけではないのだろう。いずれにせよおれはとても物を片付けるのが苦手だから物は少ないほうがいい。有名なコピペの鉄道模型を捨てられて、殆ど全てを捨ててしまった夫のように、スーツケース一枚だけの荷物にしてしまえばいいのだ。父は僕にボランティアにいくのはどうだろうと思った。たしかにそれは納得出来ることだったが、ボランティアはボランティアを求めているのであって、おれの更生を求めているわけではない。できればシェアハウスでどうにかこうにか生きたい。思い出した、昔のこと。長距離走でおれは結構得意だったから前の方走っていて、後ろのヤンキーがぜーはーいいながらスピードをあげてきて、苦しそうな顔をしながら走って粘ってくるのがすっごいつらくなって、おれは走るのが辛くなった、別にペースをあげたからとかそういう話じゃなくて、なんだか泣きたくなってしまったのだ。それでおれはちょっとだけペースを落として、彼の声が聞こえないところまで下がったら、おれはこのまま頑張り抜こうとかいう気持ちが無くなってしまった。別に同情しようというのではない。ただそれがおれにとってはつらかったのだ。同じことが今も起こっている。年上の再受験生がひいこら言って、生活かかっていて、そんな中でおれはなんだか嫌になってしまって、そういう競争を強いるしくみが・・・。もちろんこれは軟弱なのかも知れない、真っ先に潰されるのかも知れない。そして長距離走のときみたいに、おれはどんどん転げ落ちていくのかも知れない。
昔から、「技術者として大成して、社会の為に尽くしたい」という願望があり、その為にずっと勉強してきた。
高校の時、担任から「東大・京大に行ける力はないが、旧帝なら十分戦える」と言われ、自分もそのつもりで某旧帝大を目指して大学受験をした。
欲を言うなら浪人したかったが家にそんな金は無く、落ちたら就職しろと言われ、「絶対に入る大学」という半分脅迫じみた偏見で、後期・地方駅弁国立大に合格を決め、進学。
元々地方のド田舎だったので大学に合格したことは皆に祝福されたが、当然満足は出来なかった。
この時、それでもまだ3年以上ある、そこでもっと勉強し直したい、そう思っていた。
また自分のように、同じ舞台で向上しあえる友がいればいいと思った。
高校時代、その大学のパンフやホームページ、先輩方のレポート等はとても参考になっていた。「良い大学像」という意味で。
「就活は大半の人が推薦で内定を決めているので、恐らくみなさんもそこで決めることになると思います。」
この時はまだ違和感をあまり感じなかったが、後々この言葉の意味に気付かされた。私のように「野心」を持つ人間が皆無だったことに。
皆どこかで後生収まれればいい、教授の言葉で安堵して、怠惰に生活している人しかいなかった。
周りは頭が切れる人も多かったけど、その殆どが落ち着ければいい、遊べればいい、という人たちばかりで、同じ土俵には上がって貰えなかった。
コミュ障でも無かったし、チームでの作業の時はリーダーなんかもさっさとこなしていたし、別段問題にはならなかったのだが、大学でそういった類の友が出来なかったのは残念だった。
それと同時に、チューターから、この大学から国Ⅰ・人気企業を目指した人が、悉く就職留年を繰り返す話を聞いた。
それを話すチューターの口調はどこか冷めて若干笑っていて、「愚かだよね」とでも言いたげな表情だったのが目に焼き付いている。
何が愚かなんだろう。自分をスキルアップさせる舞台に行きたい、雑用と保守しか無いような、そんな人生を送りたくないと願っているだけなのに。
教授陣がそんな目で私たちを見ていること。剰え臆病風に吹かれ、安全策でそういった空気が充満している大学に来てしまったことを酷く恥じた。
それでも諦め切れず、2年間半、必死に勉強して、この7月、インターン募集の時期になった。
キャリアセンターに来ている募集は殆ど雑用程度のもので、それなら自分でアウトプットする計画でも立てた方がマシだったので、自力で洗いざらい探した。
最低でも都市部のベンチャー中心に2社は行って、現場に参加したい…。
そう思い、自分の力を出すために、十分に企業研究して、アドバイスを受けた要点も抑えて5社にESを書いた。
結果出した会社は、面接すらされず、悉くESで落とされた。何が悪かったのか何度も再考し、分析したが、何も悪くなかった。
それ以上に、別の大学に通う人から、同じ会社を受けた人のESを見せてもらったが、正直私以上のものを書いているとは思えなかった。
ご縁が無かったのか?私が魅力的では無かったのか?結局理由が分からずじまいだった。
そして、私の行きたかった会社の最終面接まで残った友人の一言に絶句した。
「金が良かったから本気で受けたけど、後付けの理由で全然余裕で通ったよー」
正直、こんなのより魅力がない、と判断された自分が情けないやら、悔しいやらで、言葉にならなかった。
院を受けてロンダリングしようかとも思ったが、経済的にそんな余裕も無いし、正直早く現場に出たい。それに私は研究者肌ではないのは分かっている。
でも皆、自分を見向きもしないし、どれだけその企業に沿うようにアピールしても面と話をする機会すらくれない。インターンでこれなら…考えるだけで寒気がする。
正直甘えだとは思う。
でもどれだけ頑張っても、救いが一向に見えてこないという気持ちを、早めにどこかに投げないと気が滅入りそうで、ますだに書き殴った次第です。
来年の春はまだ来ていない。まだこれからだとは思う。それに企業側も震災の影響で人材絞りに絞ってるのは十分よくわかる。そう仰ってたし。
でも、それでも、私の胃はまだ、痛みが消えそうにありません。
長々と書いてすみませんでした。
団塊ジュニアは人数が多い。その世代の中でも後ろのほうだと、先輩も多い。そこあけやがってくださいといいたくなるほど多い。
中学の野球でいえば、2年でレギュラーなんて無理。なぜなら3年生で補欠があふれているから。練習する場所すらない。
やっと3年になったと思ったら、同年代でレギュラーの取り合い。半分以上は、試合にすら出られない。
高校の野球でも同じ状態で、2年でレギュラーなんて無理。やっぱり3年生で補欠があふれているから。玉拾いすらできない。
やっと3年になったと思ったら、同年代でレギュラーの取り合い。またしても半分以上は、試合にすら出られない。
さて、大学受験だ。と思ったら、先輩たちが浪人なさっていらっしゃる。どんだけ人間がいるんだ。
で、半分以上は、浪人しちゃう。このころの受験産業は最大の業績を達成したはずだ。
大学に入ったら、六大学でもなければ、野球は見向きもされない。レギュラーになれそうだけど、ありがたくない。
中学の野球部を見に行ったら、9人揃わないとかいっている。もうわけがわからないよ。
そうこうしているうちに就活だ。就活。5回生とか、6回生って何だよ。ダンゴ状態で、面接だ。景気も落ち気味で氷河期とか言われる始末。表面上の就職率を落としたくない大学は、就職できなかった学生を留年させて、分母を小さくしていた。正直に申告したおいらの大学は、5割を切る勢いで新聞の一面を飾った。何かに優勝したかの勢いだ。ほんとにわけがわからないよ。
ここで、就職のレギュラー入りができなかった同級生が大量に発生した。ある者は、海外へ消え、ある者は、ギャンブルに溺れ実家に消えた。非正規雇用と呼ばれるレギュラーじゃない雇われ方をするはしりにもなった。
当然、上位3割くらいは、レギュラーだっただろう。きっと優秀だ。
ずっとレギュラーになれなかった人たちは、レギュラーになる努力は知っているけど、レギュラーになったときの戦い方やチームワークを学べてないと思うんだ。それがこの世代の最大の弱点。
きっと、このまま世代の中での熾烈なイス取りゲームが死ぬまで続くはずだ。このイス取りゲームは、この世代には何の得にもならない。多分、上の世代から仕掛けられた内部抗争みたいな気がする。団塊ジュニア世代でチームワークが発揮できたら世の中が変わるかもね。
大学生のころ、リア充っぽい人が多めのサークル(あくまで多め。見るからにリア充な人ばかりだったら、怖くて近寄れない)に出入りしていた。
自分だけが入っていない裏メーリングリストを作られてコケにされたり、メンヘルっぽい人の面倒をていよく押し付けられたり、折角できた彼女を寝取られたり、さんざんな目にあった挙句、就職活動に失敗したあたりで抜けて、ひきこもり状態になった。結局、1年留年して就職した。超氷河期だったからきつかったけどな。
今にして思えばよくあんな所に我慢して何年も通っていたなと思う。
それから10年、今度は職場で「自分だけが入っていない裏メーリングリスト」的なもの(MLじゃないけど)の存在を見つけてしまった。
友人に高専生がいるけど
「高専を留年せずに卒業」できる人材なら、大卒と競争で負ける事は無いしすぐに評価されてホイホイ出世していったね
だいたい、企業なんて大卒と高専卒は初任給が2段階ぐらい違うだけで、そんな差は高専生はスッと追い抜いちゃう。もちろん、就職先が大卒とそれ以外を永続的に区別する所ならそうはいかんが。高専卒ってのは凄いよ。バイタリティも学習意欲もね。
逆に、そういう素養が中学時点で無いなら、高専なんて行くもんじゃないだろう。高専卒の内定率が圧倒的に高いのも頷ける。
一方で、高専卒後能力は高いのに評価されない人はかわいそうだ。誰も彼もが高専卒後、友人と同じような出世街道をひた走っているワケじゃないらしい。もちろん出世には運も相当絡んでくるだろう。企業とか入ってみないとわからないし。
少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリット・デメリット(高専に向いている人、向かない人)をまとめました。
6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。
まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校です。ですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学した年からすぐに数学や英語、国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります。
もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校を卒業してすぐの学生(高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学前からなにか特別なこと(例えばプログラミング、電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。
ちなみに私のいた学科は情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました。中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした。
この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります。
一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです。数学や英語、国語はもちろん、物理、化学、生物、地理、歴史なども学びます。しかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです。地理や歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。
逆に専門科目に直結する数学や物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます。
高専の目的は「5年間でエンジニアを養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです。
専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専を卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。
また高専では専門や高校よりも高度な数学や物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達や先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます。
高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的な学生が集まっています。
6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがあります。しかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的な学生、と表現しました。もちろんアニメ、フィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはない環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽、プログラミング、サッカー、アニメ、工作、麻雀、カメラ、銃、ゲーム、バスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます。
またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります。男子と女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校や学科によっては1:1もありえるそうです。高専のホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。
クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります。
また大半の高専には学生寮があります。学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会をしたり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境でした。
6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事でした。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。
部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます。
高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専の就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです。高専からの就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人と学生の希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります。
自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)
しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはないようです。
さて、進学の方はといいますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです。
専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです。卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます。
もうひとつは大学3年次(大学によっては2年次)編入です。地元の国立大学に編入する人もいますが、東京大学や京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生を東大や京大に送り込んでいるところがあります。(各高専のホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです。
6/1追記・普通の大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月に広島大学を受けて、7月に筑波大学を受けて、8月に大阪大学を受ける、など)複数の国立大学を受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります。
・圧倒的な就職率
・自由な校風
・就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる
・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い
・留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない
・女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます)
・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです)
・普通高校が羨ましくなる
・大学1、2生が羨ましくなる
これまでの説明で高専がいかに普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます。
高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました。
しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生も個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます。
当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。
推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。
中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。
学力試験は過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校の入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう。学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。
こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はいい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。
中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください。高専の雰囲気がよくわかると思います。
繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください。
「ちょっと、お願いしたいことがあるんだけど……」
電話の主はA子だった。大学時代の女友達で、同い年の社会人2年目。
彼女は舞台装置やイベントホールを運営するテレビ関連の小会社で働いている。
「何に使うの?」
「あー。転職すんの? つか、そんなクオリティー高いものを俺は作れないよ?」
「大丈夫。尺は短いし、切り貼りしてつなげるだけでいいから。家のパソコンが壊れちゃったの」
「なんだか気が乗らないなぁ……」と思いつつも、
とりあえず、彼女は作業のために家に来ることになった。。
A子は仕事が終わってから、××県アンテナショップに赴きリポートを撮ってきたそうだ。
デジカメの映像モードを使い、アンテナショップの様子と店員にインタビューをしている映像だけ。
本人が映っているものは皆無。A子が撮ったので、手ぶれがひどくお粗末と言わざるを得なかった。
「全部で10分ぐらいあるから、これを切ってつなげて計3分にまとめてほしいの」
と彼女は言う。どうやら、この使えない素材を編集して、自己PRムービーにしてほしいとのことのようだ。
「これ、音声入ってる部分あるけど、音はどうすんの?」
「……わかった。んで、構成は?」
「ちょっと待って、今考えるから」
村上春樹のごとく「やれやれ」とつぶやきたい状況ってのはこういうことをいうんだろう。
10分ぐらいの映像素材があっても、半分ぐらいは意味のない絵で雑談をしている話しかなかった。
結局、××県の米についてかなり時間を割いて聞いているので、それを軸に構成を建てるしかない。
それを彼女に伝えると
なんて、ぬかしやがる。「じゃあ、ちゃんとリポートしてこいよ」と心のなかで思いつつ、口には出せなかった。
「ちなみにさ、嫌な予感がするんだけど……。一応聞くね。これ締め切りいつよ?」
「えっとー、明日のお昼まで?」
「やっぱりね……。今夜中に作んなきゃいけないってことかよ」
「えへへ。ごめんごめん」
多分、××県のアンテナショップにインタビューに言ったのも思いつき、
ムービーの構成にしたって行き当たりばったりの思いつきで作る。
「本気で転職したいんだったら、もっと事前に準備しておけよ」と突っ込みを入れたくなるが、言わなかった。
「そいえばさ、なんで転職しようと思ったわけ? アナウンサーなら就活でさんざん受けたじゃん?」
機転がきいて面白いことを言えるわけでもない。
A子は、留年までして2年も就活をしたけれど、キー局はもちろん、地方局にもまったく引っかからかった。
それでも、「テレビの仕事がしたいから」と、今の会社でつまらなさそうに働いている。
「B子がさぁ……。医学部に受かったじゃん。夢って諦めなければ叶うんだなって……」
B子も共通の友人で僕らと同い年。
1度は大学を出て働いていたけれど、一念発起してもう一度医学部を受験して受かったのだ。
「医学部に入るのとアナウンサーになるのは違うと思うよ」という言葉を飲み込みつつ、
ただ僕は「そっか……」としか言えなかった。
もう、彼女のなかで『アナウンサー』という職業は憧れて憧れて仕方ない存在なんだろう。
「アナウンサーになってチヤホヤされる自分」というものに憧れている節がある気がする。
叱られることなく叱咤されることなく、生きてきたようだし。
いや、そんなこと微塵も思わないからこそ、あれだけ下手なインタビューでも
「映像作って」と俺のところに持ってこれるんだろう……。
いつになったら、彼女の鼻っ柱は折れるのだろうか。
挫折は早ければ早いほどいいと思うのだけれど。
そんなことを思いながらも、「きっとA子は聞く耳などもつまい」と何も言えなかった。
追加でいくつか映像素材を撮り、切り貼りし、アテレコも終えて、
「私はいい友達を持ったなぁ。これで通ったらあんたのおかげだよ、本当」
と言いながらA子は帰って行った。
あれから、2週間。