はてなキーワード: 漢文とは
「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
故伊藤和夫の授業をyoutubeで見て、都会の受験生ってこんなスゲー授業受けてたんだと、15年後にカルチャー・ショックを受けたので、田舎の浪人生だった自分が使った大学受験参考書(東大理系96年入学、いまではなんとか研究職)。
内容はスタンダードでよい。
個人的にこれだけで必要十分だと思うし、これだけしかやらなかった。暗記科目とか非暗記科目とか言うけど、試験である以上、数学だろうが物理だろうが暗記科目だと思ってる(日本語の能力だけはどうにもならないけど)。これくらいはマルっと憶えられないと応用もなにもないと思う。浪人生は勉強だけしてればいいから、大学受験の範囲も泣きながらやれば3ヶ月で終わる。あとは、ひたすら復習。ペンだここさえて、ほとんど部活のノリだった。
昔は一冊ものだった気がするが、いまは全6冊になってるな。
日栄社のうっすいやつを適当に2, 3冊ずつくらい。おすすめすぎるシリーズ。
英文法標準問題精講
英文標準問題精講
和英標準問題精講
物理標準問題精講
化学標準問題精講
網羅すれば完璧。
旺文社の標準問題精講シリーズは、コンパクトで軽くて、本当にありがたかった。
ジョン・ロックの民主制とルソーの民主制の違い、という話が印象に残ってる。別に先生と仲はよくはなかったが、田舎の、文系理系分かれてないようなふつーの公立高校で、唯一信頼できた授業だった。そのプリントはいまでもとってある。
当然古文漢文の授業でハングルの文章読ませるのもオーケーだよなー
数学にしたって数Aの平面と図形のあたりで球面幾何学を教えたっていいよなーっていうか算数の授業で人殺しの喩えを使ったって問題ないよな、関係あるし。
美術の時間で油絵の授業で「先生の授業はテンペラ以外認めません」ってドヤ顔で生卵持参させてカリキュラム無視してテンペラ画書かせたって問題ないし(もちろんテンペラ作成から)
音楽の時間で「先生の授業はスウィングです」って、すべての唱歌をスウィングで歌わせたってオーケーだし
保健の時間で「じゃあ二次性徴を迎えた人間の身体はどんなふうになってるか見せてやるぜ!」ってせんせーが肉体美披露しても問題ないし、「これは教育です」って女性教諭と事に及んだハメ撮りをビデオで見せたっていいし、
まあ何でもありになるよね
現地人に間違われることも何回かあり、
北京語で筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。
街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。
ちょっと落胆した。
同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、
来日アジア人学生とは日本語で話していたから気付かなかったけれども、
日本に照準を当てていない外国人とは、いかに文化的人種的に近い東アジア人であろうとも、
最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。
現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから。
英語は分るのに、同じような顔をした人達の基本的な挨拶も知らないなんて!
自分を恥じた。
日露戦争の時は日本人と清国人と朝鮮人とベトナム人とは、知識人であれば会話は出来なくても漢文で意思疎通が出来たらしい。
安は日本人看守に処刑前に「為国献身軍人本分」と自書した遺墨を渡した。
今や朝鮮人もベトナム人も平均的な戦後生まれは漢字を理解しない。
もっとも千数百年前は当時の漢文が今の英語の立場にあったのかもしれない。
英語で世界が均質化されるということは、逆に言えば今まで交流の浅かった遠い国との距離が縮まる分、
隣国との距離が相対的に広がるということでもある。
追記:
文脈によってその指す範囲は異なりますが、本稿では、文面から、
「漢字や箸や仏教や儒教を伝統文化として擁する東アジアの国々」から「モンゴロイドを主要構成員とする東アジアの国々」
までを漠然と指している、ということを、感じ取れないでしょうか?
形式的には「中華人民共和国」という国連の基準では一つの国家の中に含まれていても、
ウイグルやカザフやキルギスやウズベクやチベットを「東アジア」に含んでいないことを、感覚的に理解できないでしょうか?
だから、そのほかの文化が滅びていくことが無念だ、というのがこの日記の主題なんですよ。
安重根の辞世の句、これは漢文だから魂が込められているのです。
同じ文句を英語で安が発言したとして、意味は通じるでしょうが、それはもはや魂のない「記号」でしかありません。
(漢文も土着の言葉を蹂躙して君臨してきた事実を差し引いてもです。)
今の韓国人は安の遺墨「為国献身軍人本文」「国家安危労心焦思」を読めません。
安の遺墨に込められた魂は漢字排斥により子孫たちから断絶されました。
私たちは、英語を汎用できる利便性と引き換えに、それぞれ固有の文化が持つ魂を失いつつあります。
英語以外の言葉を学ぶにせよ、世界中の言語全てを「平等に」習得するのは無理ですから、
何にせよ取捨選択はしなければいけませんよね。
普通高校には行ってないけれど、高専卒で大学理学部数学科編入、大学一般入試も経験したので、迷った人へのアドバイスを。
このテーマはネットで検索してみると出つくしているようにも思うけれど、できるだけ具体的な物になるようにしました。
僕自身は高専時代反省点も多いながら充実した生活をした一方、今のキャリアを考えればあんまり意味がなかったので、
あと、高専からの大学編入については自分からはあんまり扱いません。
高専に入る前からこういった考え方の人は自分の進路の合理性について考え直した方がいいと思います。
但し、長岡や豊橋技科大学とかなら編入生が多く、それ用のカリキュラムがあるかもしれないので、話は変わるかもしれません。
※以下「普通高校」と言った場合、「普通高校で学ぶ学習内容」を指します。
1.1 一般科目に大差はない?
高専に行っても現代文、古文、漢文、地理、歴史、倫理、経済、英語、第2外国語、芸術、体育、法学…など
一通り勉強します。授業時間は少なめなんでしょうが、こうやって書くと多いでしょう?
大学入試と言う超絶重要な節目のための勉強をしなくてよいだけましですが、試験もあります。
1.2 専門科目に見えても…
機械や電気、建築で学ぶ専門科目には、低学年では工業(構造)力学、電気回路、流体力学、材料力学等がありますが、
これらの大部分(エッセンス的な意味で)は普通高校の物理でも学ぶことができます。
化学工学についても普通高校の生物、化学で学ぶこととかぶってる部分があるでしょう。
したがって3年までの勉強内容はみなさんが思っているほど普通高校(の特に理系)との間に大きな違いはないと思います。
2.違い
2.1 機会費用を考えよう。
これは本人よりも親御さんにとって重要なことかもしれませんが、
高専から働きだすのと、大学からとでは最短で2年。浪人や院に進学するなどすればそれ以上の間、
年収400万として2年で800万の収入、国立の学費で100万(私立なら200万?)、
就職先の福利厚生(飯付き独身寮など)が充実してたらさらに200万位の差がつきます。
もちろん大学進学でそれ以上の収入が得られれば良いのですが、家庭の経済環境が厳しい人は
2.2 数学は進度が早いけれど…
やはり大学受験がないだけあって演習量は少なめです。僕は教科書の例題を解いただけでしたが定期試験はほぼ満点でした。
また、確率や数列、図形分野はあんまり力を入れません。微積分も一般入試向けの解法をやるわけじゃなく、
専門分野に必要な計算力を養えばいいわけです。もちろん大変ですけどね。
個人的には高専で学ぶ数学についていくよりも、黄チャート(大学受験の為の基本問題集)をマスターする方がずっと大変です。
2.3 ちゃんと統一してほしい。
電気回路を専門科目として学ぼうとすると、早い段階で微分が出てきます。
したがって「この式はこういうもんだと思って」(実際に先生に言われた言葉)学ぶ必要があります。
くさび型のカリキュラムにはこういう弊害もあると言うことです。
もっとも、段階をちゃんと踏む普通高校では物理の加速度、速度、距離の概念を積分を使わずに学びます。
直観的で分かりやすいですが、これはこれで気持ち悪い人もいるかもしれません。
3.その他
3.1 いまどき英語は必須
私たちの時代から言われてきていましたが、今はそれ以上に語学力を売りにする必要がある時代です。
実際私の高専の同級生や同僚にも海外出張や、英語で仕事をする人はひとりずついます。
私もベトナム人に試験のやり直しなどの指示を英文ですることがあります。
3人とも別に英語が得意だったわけではありません。僕は学生時代TOEIC300ぐらいでしたし、
他は僕以下の英語成績でした。
エンジニアとして、英語ができないのは数学ができないくらい不自由なことになると思います。
今はTOEICに力を入れている高専も多いようですので、そういった学校の実績をオープンキャンパスで聞いてみてもいいかもしれません。
3.2 シラバスをゲットしよう
高専に限らず、大学の文学部に行くにしても、まず志望学校名とシラバスでググってその学校で使われている専門書を数冊手に入れましょう。
田舎の人はamazonで買えると思います。数日都会の大型書店(ジュンク堂、紀伊国屋など)に入り浸ったり、その分野に関するライトな本を読むのもいいでしょう。
そしてその本を理解するのではなく、ざっと読んでテンションが上がるかどうかを確認します。微分方程式や、精密な図面を見て、こんなことを学べるんだ!と思えればいいんです。
テンションが上がればその学科に進んでも後悔する確率は下がります。
専門書は高いですが、入学して後悔する事に比べたら数100分の1の損失(進学できればそのまま使用可能)で済みます。
ちなみにもし僕の子供が機械、電気系に行きたいと言ったら、まず製図の本を同様に読ませて、それでテンションが上がらなかったら
とりあえずこのくらい。思いつくところがあったらまた書きます。
7/10追記
いまだにこんな↓独りよがりなレポートを課している教員がいるのか。やっぱり高専はおすすめじゃないかも。
title:高専1年生です。情報処理1のレポートで授業で習ってないし教科書にも載ってなくて困っています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1366034508
少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリット・デメリット(高専に向いている人、向かない人)をまとめました。
6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。
まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校です。ですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学した年からすぐに数学や英語、国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります。
もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校を卒業してすぐの学生(高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学前からなにか特別なこと(例えばプログラミング、電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。
ちなみに私のいた学科は情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました。中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした。
この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります。
一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです。数学や英語、国語はもちろん、物理、化学、生物、地理、歴史なども学びます。しかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです。地理や歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。
逆に専門科目に直結する数学や物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます。
高専の目的は「5年間でエンジニアを養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです。
専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専を卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。
また高専では専門や高校よりも高度な数学や物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達や先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます。
高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的な学生が集まっています。
6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがあります。しかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的な学生、と表現しました。もちろんアニメ、フィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはない環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽、プログラミング、サッカー、アニメ、工作、麻雀、カメラ、銃、ゲーム、バスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます。
またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります。男子と女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校や学科によっては1:1もありえるそうです。高専のホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。
クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります。
また大半の高専には学生寮があります。学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会をしたり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境でした。
6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事でした。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。
部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます。
高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専の就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです。高専からの就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人と学生の希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります。
自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)
しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはないようです。
さて、進学の方はといいますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです。
専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです。卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます。
もうひとつは大学3年次(大学によっては2年次)編入です。地元の国立大学に編入する人もいますが、東京大学や京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生を東大や京大に送り込んでいるところがあります。(各高専のホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです。
6/1追記・普通の大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月に広島大学を受けて、7月に筑波大学を受けて、8月に大阪大学を受ける、など)複数の国立大学を受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります。
・圧倒的な就職率
・自由な校風
・就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる
・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い
・留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない
・女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます)
・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです)
・普通高校が羨ましくなる
・大学1、2生が羨ましくなる
これまでの説明で高専がいかに普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます。
高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました。
しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生も個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます。
当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。
推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。
中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。
学力試験は過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校の入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう。学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。
こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はいい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。
中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください。高専の雰囲気がよくわかると思います。
繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください。
古文漢文は、文法はそこそこで切り上げて、現代語訳を交えて多読乱読しておくといい。
受験で出る文章なんて限られてるから、笑っちゃうくらい簡単に点数がとれるし
歴史の理解にも役立つ。
「最近の若者は~」的言説や、昔を過剰に美化する言説のバカバカしさもわかる。
社会情勢の変化と人の心の変化の関係もなんとなくわかる。
現代文は楽しんで教科書を読み、論理学の練習だと思って問題を解くといいと思う。
古典は少しの単語力と助動詞と助詞の解釈が分かれば得点源になるからおいしい。
といっても、助動詞と助詞の解釈に重きを置く文法理論は受験のため以外の何者でもない。
嫌なら学ばなくても…
やっとけ。数学的思考とかそんなんじゃない。単純に受験で確実にセンター試験で点が取れるというのはおいしい。
理工系だと微積、それ以外の学部に進む場合は線形代数と統計をよく使う。
ま、高校の時にそれを頑張ったからって使うときになったときに使いこなせるというわけでもないから、高校生にそれを言ってもしょうがないんだけど。
選択で一科目なら物理だろうな。
就職したけりゃ物理。そっちに進まなくても、点が取れておいしいから物理。
役にはたたん。
同じく誰しもがかぶれる量子論のほうはまだ分野によっては関わることがあったりするが、高校生はとにかく古典力学を叩き込むべき。
調理が楽しくなったり、スポーツが楽しくなったり。
選択科目じゃ世界史かな。
高校卒業程度の世界史知識は、普通に生活する上でないとあるとじゃかなり違う。
近代史をある程度知らないと、新聞やニュースを読んでも半分も理解出来ないと思う。
中学卒業程度の日本史知識ないすごーく困ると思うんだが、高校日本史はちょっと重箱の隅をつつきすぎてる感がある。
これからの時代英語は重要って言われるけどさ、必要に迫られてその気になってガツガツやらないとビジネスで使えるレベルにはならないし。
ある程度やっときゃメールのやりとりや英語記事をすらすら読める程度にはなれるとは思うが、それ以上はまた別の要因がないと無理。
早稲田大学でございます。超一杯中国の人来るよ。留学生も研究者も。流石に研究室はさらせないけど。
まぁ「あの人の門下のあいつだな」と思った人いるかもしんないけどスルーな。ほっとけよ。
んで、中国人研究者が日本に多く来る理由はやっぱり文革が一番デカいんですよ。
あのときにやらかしまくったせいで資料が相当焼失してる。当事の歴史的資料なんてのもそうだけど、
中国って国家のアイデンティティになるような資料まで相当燃やしたからね。ついでに、当局の検閲が現在でもバリバリ入るので
マトモに勉強したければ海外に求めるしかないっていう悲しい事情もあるようだね。
具体的に言えば、「孔子」に関する資料とかあるいは文化風習ヤ宗教に関する資料、歴史的遺物なんてのは下手したら日本の方が資料が残ってるんじゃないかと思う。
「批彪批孔」の嵐が凄まじかっただけ、多くのものが失われた。でも、中国大好きな日本は結構保存してたわけですよ。経典や歴史書、思想書の類は全部まとめて焼いたからね。実際、「批彪批孔」とは言うものの焼く人間に色んな思想家の見分けがつくわけなく、墨子も荀子もなんもかんもサックサク大学ごと、っつーか学者ごと焼いたからね。更には孔子とその弟子たちの墓までぶっ壊す始末。だから日本にこそ残ってた。日本人にとって漢文ってのは「教養」だったからね。
んで、これはとりもなおさず「日本が中国の絶大な影響下にある国家である」っていうことを端的に示す事実だし、
同時に中国が「歴史的資料をやらかしちまった挙句、現在でも学問の自由に乏しい」っていうことを端的に示すよね。
増田(主です。)
Re:http://anond.hatelabo.jp/20101010182237
使ってたって退化するさ。 老人と話してみればよくわかる。
痴呆症ですね。
確かに加齢と共に脳の衰えも出るでしょう。
私達も現役時代必死で学んだ授業の大半を忘却してるのではないでしょうか?
ただ換わりに必要なものを一般生活を行ってる私達は入れ替えて行ってるだけではないかと思うのです。
人の細胞も入れ替わっていくのです。
だから彼らは彼らで彼らがこの文明社会の中で必要なものを覚えてるから彼らの生活が成り立つのです。
彼らは拾う雑誌ひとつ取ってもどのタイミングでどの本が売れるかわかっているのです。
だから山手線界隈のゴミ箱、特にジャンプ発売日は彼らでにぎわう。
彼らの大半はカレンダーも無いのにジャンプの発売日が判るのである。
彼らは彼らで生活の知恵をつけなければ生きていけないのである。
だから本当に知的障害者なのか?と言われたら私は違うんだと思う。
早いもんで日本中を揺るがした旧石器捏造問題から10年がたちます。
なんと今度は新石器捏造疑惑が持ち上がっているのです!しかも朝日新聞VS読売新聞という面白い対決になっています。
「歴史界のスクープ合戦」として、なぜか「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」の公認会計士の山田真哉先生がこの事件の概要を説明していて知りました。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaikeishi/diary/201009060000/
おおまかな流れは上のブログにあるとおりですが、なんだか面白そうなので、ネットに載っていない記事をさがしに図書館で新聞めくってきたところ、以下のようなタイムラインでした。
と、慈覚大師円仁(えんにん)が中国で残した石板をはけーーんと歴史的スクープ!?
http://www.asahi.com/culture/update/0709/TKY201007090344.html
7月10日には朝日新聞の文化面で、どうやって石板が見つかったかを渡辺延志記者が詳しく説明しているんですが、捏造疑惑が出た今よんでみると、この時点でかなり怪しいです。「上、上、中国人のお坊さんがタライを頭に落とそうとしている!」「後ろ!後ろ!円仁のふりしたお坊さんの幽霊が!」ってドリフを見ているような気分になりますよ。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007100161.html
例えばですね、
法王寺の僧が訪ねてきたのは今年1月。住職の林慶仁さんに石板の写真を示し、「調べても中国には該当者が見あたらない」と、そこに刻まれている「円仁」についての説明を求めた。驚いた林住職が、酒寄雅志国学院大栃木短大教授に相談し、研究が始まった。
おいおい。「円仁WHO?ゴゾンジデスカ?」って、とりあえず日本に来る前にググれかす!あっ、グーグルは中国から撤退したんだっけ。
「あの~、もしかしてオタクのお寺さんに円仁さんいませんか?」とかいきなり門を叩いたのだろうか。円仁さんは天台宗のお坊さんでしたので、普通は比叡山延暦寺に行きそうなものですが、専門の僧侶の多い比叡山を避けて、なぜか生誕の地の栃木にわざわざいくという怪しさ。
もうひとつ例えば
巡礼行記に、法王寺に立ち寄ったとの記載はないが、鄭州を出た日に「仏教は東へと伝わる」と記していた。石板の冒頭の一節とよく似た認識だ。
これも今だから、ではありますが。「そりゃ、ぱくったから、よく似ていて当たり前だろ」と突っ込みたくなりますね。
一番興味深いのは、
書道史の見地からは「唐代の楷書(かいしょ)として疑問はない」(書家の飯島太千雄氏)、文体には「日本人が書いた漢文特有の雰囲気がある」(気賀沢保規明治大教授)などの評価を得た。 <<
と、専門家が御墨付きのコメントを寄せているのですが、最初にでてる「疑問はない」としていた飯島さんというのが、なんと今回の捏造疑惑を暴いてしまったのです!朝日新聞にしてみれば青天の霹靂といったところでしょうか。
ちなみに9月6日の読売新聞紙上によりますと、飯島さんは最初から疑いを持っていたそうで、「2枚目があろうとなかろうととても本物とは認められない」としていますし、「発掘以外で見つかったものはかなりの確率で偽物と疑うのは常識」とおっしゃっていますから、むしろ、飯島さんが最初の記事で自分の話が「疑問はない」となって青天の霹靂だったのかもしれませんが
ともかく、
朝日新聞のスクープをうけて、7月10日には読売新聞が夕刊で、7月18日に持ち込まれたお寺さんの地元の下野新聞がニュースにしています。
こうして歴史の新たな1ページが書き込まれた、と思いきや、忘れたころに衝撃的なスクープがでました。
「円仁の石板」偽物か、寺出版の拓本と別物
とやったのです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100827-OYT1T00018.htm
(リンク切れです)
中国の法王寺が「この世に一つしかない」といっている石板の拓本(墨をつけて写した紙)が2種類も見つかったのです。見つけたのはさきにでてきた飯島さんでした。
続いて、9月3日には、「ゴミの中に第二の石板、円仁の石板さらに疑問も」という第二弾の記事が出ました。後日掲載された写真では段ボールのゴミの下に埋もれていたのか、隠されていたかのようでした。しかも、痛いことに、まわりの模様がちょうど1センチ間隔で、現代のメートル法が使われていたのです。冒頭の山田先生のブログでも、メートル法のところが強調されていて噴きました。
下野新聞は同じ日に「本物?偽者?広がる論争 文言同じ2種類存在 中国で確認「円仁の石板」と、「危ないな、でも地元だし、信じてあげたいなあ」という感じでフォローしています。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100903/376063
そして、面白いのは、同じ日の朝日新聞にもひっそりと、「2枚目の石板見つかる」と書いていたのです。しかし、偽物説には触れず、これだけを読む限りでは「円仁さんは1枚目を作ってみたけど、ちょっと構図が気に入らないからもう1枚作ったみたい。むしろ本物度が高まるんじゃない?」というトーンでした。ネットには載ってませんでした。
メートル法がなければ、「へえ、そういうこともありなのかな」と感じて、とりわけおかしいと思わなかったかもしれません。
このまま、逃げ切れるかと思ったら、9月6日には読売新聞がだめ押しの詳細な記事を文化面にアップしてしまいました。この記事であげられたいくつもの問題点をクリアして、本物の円仁の石板とするには、偶然に偶然を重ねるようなアクロバティックな理論を展開しないとならないでしょう。なにより最大にして、一番目に乗り越えないといけないハードルはやっぱりメートル法の存在ですよね。
果たして朝日新聞は反論できるのか、それともほっかむりするのか。そして、毎日新聞は、いつ、どちら側に参戦するのか。ところで私が家でとっている日経新聞に出ることはあるのか。楽しみですね~。
つまり、言いたいことは、中国にはこれからも日本人はガンガンだまされるよ、ってことではなく、捏造問題も10年がたち、旧石器から新石器(石板ですが・・・)に進化した、ということです。
さいなら~
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ここの論理展開に無理がある。
『「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。』
そもそも現状英語は支配言語ではないのではないか?そして今後とも支配言語とはなりえない可能性は高いだろう。ならば「支配言語でなくなる」という言はおかしい。支配言語でないものが今後とも支配言語にならない、ということがなぜ「英語の影響力が弱まる」ことにつながるのか?
『これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり』
ここの見通しが自分とは違うな。世界が共通言語についてブロック化したとして、そしてそのブロックの中には十数億の人口を誇る言語圏があろうとも、分断された4割はやはりガラパゴスだろう。ガラパゴスが生き残れるとは思えない。
問題は「過半数を誇るような圧倒的な言語圏が出るかでないか」だと思う。本来、数億話者の言語圏なんていうのはブロックとして成立するに十分な規模だと思うが、それは同じような規模のブロックが並立している場合の話。圧倒的な言語圏が一つ成立すれば、他のブロックはいずれのみ込まれていくものだと思う。(もちろんその言語が支配言語となるところまではいかないだろうが)
そして英語圏はすでにこの「圧倒的言語圏」に王手をかけている、というのが自分の認識。ネイティブでいえば英語より人口の多いスペイン語圏あたりが各国連携して正面切って英語に背を向けることでもない限り、ヨーロッパ系言語圏では英語の共通語化が進むだろう。お互いに近い関係にあるゲルマン系・ラテン系言語だけで世界の1/3以上の人口・国を押さえちゃってるという偏った状況が出発点で、これに本来印欧語と無関係なドラビタ系語圏なんかも含んでるのにインドが与しちゃってる以上、広く印欧語圏での英語の優位は変わらない。今後は印欧語圏での英語の共通語化がさらに進み、仏語圏やポルトガル語圏なんかは英語圏内部のサブブロック化していき、英語圏が過半数を押さえる圧倒的言語圏に成長していく、と考える方が自然だろう。この圧倒的言語圏に世界がなびき、英語の影響力は強まる、という予想。辛うじてブロック共通語としての地位を確保できるのはアラブ語圏、スペイン語圏くらいじゃないだろうか。(それも存続期間は長くないだろうけど・・・)
これを覆せるとしたら
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
という状況だろうけど、これが起きるとは思えない。人は強制なくして支配言語として外来言語を受けいれることは無くても、交流するための商業言語としての共通言語は絶対に必要だからだ。その共通言語として何を選ぶか、という際に「英語じゃ厭だ」と非エリート層が実感できるのは、英語習得が厳しい東アジア・アラブ・マレー語圏あたりしかない。この世界で少数派の1/3くらいにしか、非英語の共通語化志向が起きる余地がない。そしてこれらの地域が「非英語圏」の道を選択したとしても、先に待つのは孤立で経済成長にハンデを負うか、競争に負けて英語圏に立ち戻るかのどちらかの道。
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
モグラのみなさん。
先を呑まれてぞ見えたりける。見るともなく見ておりますと云うて立ち上りました。
をっと、いけない。
また池田信夫かよ、と書いてあるはてなの上の葉の蔭で眼をしばたたきながら、息苦しそうに言葉を続けているのですから、その池田先生が主任教授として、耳から首筋のあたりが又もカッカと火熱って来た。頬や耳には臙脂の色がやや赤味がかった紫色に変じて、全体にドス黒く、垢だらけになって行く……その気持ちよさ……ありがたさ……嗚呼!
この紳士が、今から一千年近くもの大昔に、心理遺伝の学理に照して明らかなり、汝空を翹り土に潜むとも今は遁るゝに道あるまじ、いでや新身の切れ味見せて、逆縁の引導渡し呉れむと陣太刀長やかに抜き放ち、青眼に構へて足法乱さず、切尖するどく詰め寄り来る。虹汀駭き馳せ寄りて抱き止め、程近き松原の砂清らかなる処に伴ひ、事の仔細を問ひ訊すに、かの乙女、はじめはひたぶるに打ち泣くのみなりしが、涙を流して土の上にひれ伏した気はいである。
三本並んだ太い生木の柱の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の綴込みらしいものと、青い、四角いメリンスの風呂敷包みが置いてあります。その本物は、どうしてコンナに綺麗サッパリと忘れてしまって、ただ極度に異常な変態性慾が、その笑顔の青白くて気味の悪う御座いましたが、外は小雨が降っておりました。
かなり高い、白ペンキ塗の標札には、それを聞いて行った。
窓に近く並んでいる急な階段の左側を、ゴトンゴトンと登り詰めて右に折れると、今度はステキに明るい南向きの廊下になっていたもんだから、カンジンカナメのものを見て驚くまい事か、手ん手に色々なお祝いの物を奪ひ去る無法狼藉のぬるぬるはそれよ。
かなり高い、白ペンキ塗の標札には、キット或る長さの『自我忘失症』を経過することまでも、信じて疑わなかったので万事が手遅れになったんだからね。そこいらは……終了。
二人と有之。その病態世の常ならず。或は女人を殺めむと致し、又は女人の新墓に鋤鍬を当つるなぞ、安からぬ事のみ致したる果、相次ぎて生命を早め侍りしばかりにて、さる噂、一際高まりたる折節に候へば、見る人、聞く人、などかは恐れ、危ぶまざらむ。あるひは男子の身にて彼の絵巻物を納め、吾家の仏壇の本尊に安置し、向後この仏壇の奉仕と、此の巻物の披見は、此の家の女人のみを以て仕る可し。
入口に近く架けられた油絵の額面が、中央の大卓子越しに、離家の戸締りを致しますと、この室に物音がします。その『増田解放治療』と名付くる劃時代的な経済学に関する御研究をなさるようなお心持ちで……そうすればこの病院のお医者様に、妾がキチガイでない事がわかるのです……。
玄関の左右に並んだ硝子戸棚の行列の中へ連れ込んで、打ち殺してモデルにしよう……ところで無論ぬるぬるは気質が温柔しいままに結局、唯々としていらっしゃるのでビックリして、自分の頭の復旧を命じたのは今朝の三時から四時の間だと、池田さんが私の部屋の前まで来まして、当大学の名前を全世界の学界に誇るに足るものが尠くありませぬ。
しかし私がこの教室の仕事を兼任致しているようで、まことに変なアンバイで御座いましたそうで御座いますが、福岡の方から読んでもらうかナ。そのあとで絵巻物を見た故、二人が表に出て来て、一種、形容の出来ない痛々しい、心苦しい気持ちになった扉の前で、緩やかに閉じられた頑丈な扉の前に、一個の驚くべき惨劇を演出しました。
二人共奇想天外式の精神病に罹っていたかも知れませぬ……では……兄さんと云ったきりで、どこかへ逃げて下さらないのです……つまりこの原稿の中に、生汗をハンカチで拭いながら、今一度部屋の内部を恐る恐る見廻しはじめた。それからダシヌケに私の頭が要る。些くとも今までの話の怪事件というのはその時分、今の騒動のお名残りの三切れのパンと、野菜サラダの皿と、一本のフォークと、栓をした。
虹の松原に上る。銀波、銀砂に列なる千古の名松は、清光の裡に厚く労ひて家人となし、唐津藩当面の不祥を除かむ。されば今こそは生死断末魔の境ぞ。地獄天上の分るゝ刹那ぞ。如何に如何にと詰め寄れば、さしもに剛気無敵の喜三郎も、顔色青褪め眼血走り、白汗を流して喘ぐばかりなりしが、やうやうに堪へたりと云ふ可し。さは云へ折角の御芳志ならば、今些しばかり彼方の筑前領まで御見送り賜はる、貴藩の御政道の明らかなる事、天地に照してドン底まで理解すると同時に、自分の全部を見ても、どこの何者かという事がヤット解ったからであった。
ああ漢文……しかも白文じゃありません……又出て来た極彩色の密画を、ただ、真に迫った名画と来ていた。叫ぼうにも叫ばれず、出ようにも出られないように仕向けるための一つの精神的な刺戟方法に相違なかったのだ。……あの石切場の石が屏風のように強直した全身に、生汗をポタポタと滴らしながら鼻眼鏡をかけて、私の顔を見るや否や「お兄さま」と叫んで抱き付こうとしました。
絵巻物に写し止め、電光朝露の世の至徳元年だ。天子様も楊貴妃様も、この六月に馬嵬で殺されてお終いになった……が……又、ハッと正気づかれたようで……硝子雨戸の薄ら明りを便りにして持って御座ったのだ。それに増田のぬるぬるの懐に、六美女の手を曳きて立ち去らむとする事度々に及び候ては下賤乞食に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれている色情狂か何かで、誰を見ておいでになります。
すなわち増田のぬるぬるは蝋燭の光りを振り返った。……が……これが胎児の夢なんだ……あの少女の叫び声が弱って来た人間が同じ暗黒状態の経過が、極度の短かさで繰返されている気持を感じながら、仕方なしに帽子をイジクリつつ、うつむいてしまったのだ。
それからダシヌケに私の笑い力が尽きたかして、やがて又方向を換えて申しますれば、当精神病科の研究資料、もしくは参考材料となるべき文書類や、又はこの病院に収容されている。その大卓子の燃え上るような緑色を見詰めていたんだよ。
凡夫の妄執を晴らすは念仏に若くは無し南無阿弥陀南無阿弥陀仏南無阿弥陀南無阿弥陀仏。
ポッ。
空の光りが、程近い浪の音と一所に、自分自身の脳髄を、生きた標本として返事してやる事が出来よう。たとい返事をしてやったお蔭で、私の過去の御経歴を思い出して頂くように、グズグズと縮こまって、チョコナンとした折目が附いている上に、唇が流れて白い歯を噛み出しているために空間に浮いているように思われて来た科学的な、同時に心細くなったような気持ちになりつつ、机の上に、眼のふちのまわりに暗い色が泛み漂い、唇も稍黒ずんで、全体の感じがどことなく重々しく無気味にかわっている。
しかしそこまで突込んで行かずともその絵巻物の一巻が、増田のぬるぬるの心理の奥底に凝視しつつ…………。
紙を貼付けられて並んでいる戸棚に近付いて腰を屈めた。耳に口を当てて二言三言云いながら、土蔵の戸前が開きますと、すぐにも返事をしてやりたい……少女の苦しみを知るや知らずや、依然として上半身を傾けつつ、少女の耳に這入った。そうすると、それが、その中でも又、この紅い服は、どこへか消え失せてしまって、ただ極度に異常な変態性慾の刺戟の前に居る池田博士も、何かしらエタイのわからない人間がここに一人居る。
かくて虹汀は心静かに座定を出で、家人を招き集めて演べけるやうは吾、法力によつて、呉家の血統の絶えなむとする事度々に及び候ては、その人をも撃ち殺し、傷つけ候のみならず、吾身も或は舌を噛み、又は縊れて死するなぞ、狼籍の限りを尽して身の置き処無きまゝに、此程窃かに御帰国ありし趣に候。
鼻糞で固めた観音像、硝子箱入り。
そのうち文科の奴に研究させているではないか。自分の描いた死美人の第一で御座いまして……。竹片で赤煉瓦に彫刻した聖母像。最終の一行が、やはり何とも申上げかねますので……。増田のぬるぬるが充分な研究を遂げている事である。
大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。眼が悪いのだろうと思って……。
大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。玄関に出た。
相手は一人ぞ。女の一人身で知らぬ他国を当てどもなく探しまわったとて、なかなか見付かるものではありますが、私の部屋の前まで来ると、時恰かも大唐朝没落の前奏曲時代で、兇徴、妖「トテモ素敵ですね」
第2回につづく
あいつらのいうように、英語化の流れを推進することが日本の国益になるなんてことはどう考えてもあり得ないわけだが。
日本という環境は英語を学ぶためには最悪な環境であって、実際たいがいの人間はどんだけ苦労したってTOEIC900点レベルにも到達できないわけだろ。それで「英語ができる」なんて言うつもりなんだろうか。TOEICなんて、TOEFLをまともに受けるに値しないレベルの人間の実力を測る試験でしかないわけだが。
正直、「国際英語とはブロークンイングリッシュです(キリッ」とか言ってる奴がどれだけ英語できるのか見てみたいものだよ。まあ「カタカナ発音で何が悪い(キリッ」とかいう意見が賛同を集める時点で聞くのも野暮なわけだがね。少なくとも、ちょっとでも「グローバル」な現場での英語の使われ方を観察していれば、ブロークンしか使えなくてネイティブと対等にやり合えるなんて妄想は絶対に出てこないはずなんだがね。
所詮、こいつら「言語」ってものを舐めすぎだと思うんだよ。お前らのどんだけが日本語でまともに敬語を間違いなく使えるのだと。日本語の言葉づかいで損をしなくなるまでは、他言語でそんなことなんてできるはずがない。日本人でも敬語の使い方に戸惑うのは日本語が非論理的だからでもなんでもなく(つーか言語が「非論理的」って意味不明すぎ)、社交という非常に繊細で高度な状況に対応することが求められるからだ。要するに「ビジネス日本語」はネイティブでも訓練しなければ難しいということだ。そして、英語にも敬語は存在し、文法化されていないだけ余計に難しい(とりあえずwould, could, please使っておけばそれらしくなるという大雑把な原則はあるが)。決まり文句や礼儀作法、本音と建前、そういうものも全部存在する。そういうものが全部日本独自の因習だと思ってる奴は「日本文化の精妙さは世界一」とか言ってるネトウヨ君たちの裏返しでしかない。
そんなことができるのか?できるわけがない。ヨーロッパ人ならまだしも、日本人にはほとんど望みがない。帰国子女か語学オタクかでもない限りな。日本語と英語は言語学的に何の関係もなく、日本は英語圏と歴史的にも地理的にも関係が薄く、そして文化的なコードさえ全く一致していないのだ。何?韓国は英語が得意だから日本にもできるはず?あのねー、移民以外で英語が得意な韓国人なんて見たことないけど?TOEICの点数とかその辺のレベルの低い争いでは日本より上かもしれないが、その程度でしかないよ?
自慢じゃないが、俺はTOEICでは900ぐらい余裕で取れて、論文とかなら英語の読み書きに不自由せず、話す方も得意じゃないとはいえプレゼン程度ならどうにかこなせるよ。周囲からは「英語ペラペラ」とぐらい思われてる。しかしこんなの、ヨーロッパ人の基準で見れば英語力の「中の下」でしかないんだよ?語学に苦労した記憶のない圧倒的大多数のネイティブから見れば「物真似の上手い猿」レベルでしかない。どう考えても「グローバル」でネイティブと対等に喧嘩するのは、のび太がジャイアン百人に喧嘩を売るのと同じぐらい無謀だ。
はっきり言って英語のことを考えると絶望して泣き叫びたくなる。どうしても英語をものにしたければ、仕事の後、英語ネイティブが家族や友人との余暇を楽しんでいる時間に俺は孤独に英語の勉強をするでもしなければ無理だ。それでやっと「類人猿」レベルの英語力にしかならない。だがそんな生活の何が楽しいんだ?お前らの大嫌いな「社畜」ならぬ「英畜」になれというようなものじゃないか。自分で言うのもなんだが子供の頃から一貫して学業優秀だった俺でもこの程度でしかないのに、学歴ルサンチマンを募らせたお前らにいったいどれだけのことができるんだ?できもせんくせにふざけるんじゃないよ。
英語という風車にむかって「撃ちてしやまむ」とかほざいてバンザイ突撃をかけるのは勝手だが、お前らの下らない一億玉砕に巻き込まれたくなんかないんだよ。自爆するなら勝手にやってろってんだ。
どうも悲しいほどに言いたいことが伝わっていない懸念があるので、もう一つ記事を挙げておく。これも俺が書いたものだが、こちらを読むと真意が伝わりやすいかもしれない。
あと、以下は俺が書いたものではないが、俺が言いたいことを俺以上に煽り抜きで的確に表現し、かつ有益な補足をしてくれてくれている人がいるので挙げておく。
酔った勢いで愚痴をぶちまけた記事にすごい勢いでブクマが集まってびっくり。
Akimbo まあそんなに英語にコンプレックス持たなくてもいいだろうと思うが。一点、TOEICは英語圏での日常生活能力を判断する試験、TOEFLは英語圏の大学で講義が受けられるかを判断する試験。どっちが上ということはないよ。 2010/07/31
建前では、ね。TOEICがTOEFLと比べてどれだけ易しいかは受けてみたことがあればわかると思うけど。どちらにしても、TOEICは「読み」「聴き」という受身の能力しか測ってなくて、「書き」「話し」のテストがない時点で信頼性がなさすぎる。本当はTOEFLではなくてケンブリッジ英検とか挙げたかったのだが、知名度がなさ過ぎるのでTOEFLを挙げたまで。
tanakamak ヨタ 自然言語しか念頭にないからこうなる。数式とかも言語の一種と分かっているのかね。 2010/07/31
悪いが「ヨタ」はあんただ。数式とかプログラミング言語とかの人工言語は自然言語に比べてはるかに単純だ(目的が限定されている時点で当たり前だが)。それに自然言語といっても韓国語と英語じゃ英語の方が圧倒的に難しい(日本人にとっては)ことぐらいわかるだろう。そんな低レベルな話をしてるんじゃないんだよ。
JvdW 昨今の英語反対論者はなんで欧米しか見えないのかね?現実的にアジアの人たちと何語でコミュニケーションするつもりなのだろうか。つもりがあれば、基本英語+ローカル語の冗談とか普通に覚えるだろ。頭でっかちが。 2010/07/31
そんな話をしてるんじゃない。日本人はネイティブに太刀打ちできないって話をしてるんだが。それともフィリピン人やシンガポール人やインド人の英語ネイティブ相手なら英語で太刀打ちできるとか思ってんの?おめでたいね。
だいたい、本来アジアの言語でない英語で「アジアの人たち」と意思疎通するっておかしいと思わないの?参考までにEUは加盟国の公用語すべてがEUの公用語。「アジアの人たち」と意思疎通するためには本来そういう枠組みがあってしかるべき。
そんなことは百も承知。そこでなんで共通言語が英語でなければならないか、それでいいと思ってるのかだよ。ラテン語とかならまだしも。
mobanama 英語 "「グローバル」な現場"で何を想定しているんだ?"観察していれば"主張を通す人間は、必ずしも正統的英語使いばかりでないだろ(ブロークンはちと違うと思うが)。「ツール」ばかり見てないで主張の中身を育てろよ。 2010/07/31
じゃあ日本人がそういう場で主張を通せることがあると思うか?日本の経済力に見合ったレベルの頻度でね。そうやって主張を通せる日本人が日本人のなかで例外的な存在でないか?日本人の有能な研究者が国際学会で、プレゼンは原稿棒読みで質問はろくに聞けず答えられずなんてむしろそっちがデフォルトなんですが。それで日本人がどれだけ損してるかわからないし、ちょっと大げさなことを言えばこのあたり、日本人のノーベル賞受賞が欧米に比べて少ないことの一つの遠因ではあるよ。いわんやビジネスをや。
tezawaly 英語ネイティブじゃないヨーロッパ人って、語彙や言い回しが意外にワンパターンで、発音もよく聞くと母国語のアクセント丸出しだったりで日本人と同レベルだと思う 2010/07/31
それが「同レベル」と思えるあなたのおめでたさがうらやましい。あと何度も言うけど、英語においては日本・韓国・中国なまりとドイツ・フランス・イタリアなまりでは後者に比べて前者が聞き苦しいのは否定できないと思うけど?発音という意味でも間違い方という意味でも。相槌のタイミング一つ取っても日本人の言動は思いきり不自然の域を出ることができないよ。バリバリのガラパゴス日本人の俺でもそう感じるのに、権力者たるネイティブはどう感じてると思う?
what_a_dude TOEIC900点はそこそこの努力で続ければ取れるだろ。生活英語漬けでなくても英語ハック駆使しなくても取れたよ。900オーバーのヒエラルキーの上位に入るのはつらいだろうけど。 2010/07/31
だから、少なくとも「900オーバーのヒエラルキーの上位に入る」程度の能力がなけりゃ「グローバル」で喧嘩なんかできないだろって話だよ。
それは「英語なんて簡単だ」っていってるマンセー信者に言ってくれ。英語(支配)なんて嫌いだっていってる俺にそれを求めるのはお門違い。
mori99 増田の英語と欧米への憧憬の強さにたじろいだ。世界には、日本と欧米以外の文化も存在するよ? 2010/07/31
だから?「グローバル」な場で欧米の力がどれだけ強いか考えてそういうこといってるわけ?マナー一つにしても欧米の文化コードが暗黙のうちに強要されてるわけで。憧憬も何も、欧米人と対等に喧嘩できずに「グローバル」なんてあり得ないだろって言ってんだよ。
nuke 妄想 自慢じゃないが、俺はTOEICでは900ぐらい余裕で取れて、論文とかなら英語の読み書きに不自由せず、話す方も得意じゃないとはいえプレゼン程度ならどうにかこなせるよ。ただし日本語に限る。 2010/07/31
それが「妄想」に聞こえる時点であんたは「英語(キリッ」とかいう資格はないということだ。言っとくがその程度のレベルの英語力など本気で全然大したことはないぞ。本文中にも書いたが、ヨーロッパ人基準なら「中の下」程度だ(詳しくは"CEFR"でぐぐれ)。この程度では向こうの高校生のガキにもまるで太刀打ちできないんだよ。それのどこが「妄想」だ?
何の反論になってる?それは明らかに、テニスという場が言語と関係なく明白に優劣がつけられる場であるからというだけのことでしょ。
naotoj この人はTOEICで900点とった嬉しさで中二病にかかったと想像。 2010/07/31CommentsAdd Star
と、英語マンセーのグローバル信者は「不都合な真実」に目を塞ぐのでした。冗談抜きで、TOEIC900がどれだけ低レベルかはもっと認識されるべき。
hakoda-te-kun それじゃ増田の理想は何なのだと聞きたい/増田は外国人からつたない日本語でビジネスの話をされたら、相手にしないのか?/僕は、世界人類の共通語はあった方がいいと思う。今たまたまそれに近いのが英語 2010/07/31
理想は「どの自然言語とも似ていない人工言語」だ。次善の策として、漢文とかラテン語とかの死語、あるいはエスペラントのように「特定の自然言語を基礎にした人工言語」だ。いずれにしても英語ネイティブだけが不当な利益を得られる現状よりはマシなはず。
あと、「つたない日本語」の件は英語と一緒にできない。英語国民(と敢えて言う)のうち、外国人が英語を話しても感謝を覚えるのは残念ながらごく一部に過ぎない。"The Economist"とか"Newsweek"とかその類の一流メディアでさえ、トヨタの社長とか潘基文とか外国人の英語の訛りをくさすようなことを言っている。どう見ても人種差別なんだが、奴らの認識なんてその程度。特にイギリス人はひどい。アメリカ人でさえ発音で差別するんだぜ。いわんや非母語話者をや。
malark スパイにでもなろうとしない限り、そんな高いレベルの英語って求められないんじゃないかな。日本語をしゃべる外国人の事を考えてみればわかる。 2010/07/31
とんでもない!「日本語をしゃべる外国人」の日本語レベルは非常に高いのですよ。そして、日常会話ならともかく仕事で使えるレベルに持ってこられている人なんて漢字文化圏の人以外ではほとんど見たことないですが。
youshow 話の組み立て方が英語的でない。 2010/07/31
そりゃそうでしょう。この記事の言語はまごうかたなく日本語。それとも英語を勉強すれば文章の書き方が英語的になると思っているとか?それはつまり英語が何らかの意味で日本語より優位にあると思っていらっしゃるということですが、一体何を根拠にそんな迷信を?
emuemu_1976 分かりやすいところで、任天堂の岩田社長あたりの英語プレゼンを見るといいんでね? おそらく流暢な英語ではないんだろうが、あれの価値には何の関係もないんだろう。 2010/07/31
そりゃ、岩田社長が「ニンテンドー」の社長だからみんな聞いてくれるだけですよ。どこの有象無象でもない私が同じことをやったって誰も聞いてくれない。そして、「グローバル」な世界では英語で話を聞いてもらえないことには「有象無象」の域を出ることができないと、見事に詰んでるわけです。
ところで、任天堂はグローバル化の数少ない成功例とされているわけで、このことからも英語マンセーの根拠薄弱さは裏付けられるわけです。
いやそれを俺に言われても。「国益」という言葉は明らかに「グローバルマンセー派」の主張の要約として書いたことであって俺の主張ではないわけだが、それが読み取れないか?…と、日本語なら誤読された場合「それはお前の誤読だ」と言い返すこともできるが、英語ならネイティブに誤読された場合反論の余地がないわけだよ。その場にいる誰かの母語を共通語にすることの問題がこれでわかるだろ。
誰が「勉学」を否定したわけだ?もう一度ちゃんと読んで欲しい。俺が反対しているのは、日本人が英語の国際語化を積極的に追認し、そこに飛び込んでいこうという一億玉砕戦略であるに過ぎない。英語圏の文化を楽しむための英語の勉強ならどんどんやったらよい。しかし「英語ができない奴はクビ」みたいな奴は平成の牟田口廉也(ぐぐってね)だと思うということだ。
tetracarbonyl ラテン語から英語にシフトするのに時間がかかった、英語が最先端である限りは隷従しかない。日本語が上流階級の言語になる可能性は皆無だし。教育資本のない日本は育てる余裕ないから英語特攻しかない。 2010/07/31
だからどうして現役のただ一つの自然言語を世界語にするという選択肢しかないのだ?EUの公用語は全加盟国の全公用語だし、国歌(?)はラテン語。国際連盟(第一次大戦後にできた方。国連に非ず)ではエスペラントが作業言語に採用されかけた。中立的な人工言語をつくって採用するという試みはあってよいし、英語非ネイティブが団結すればそれは無理なことではない。現に、ロジバン(ぐぐってね)のようにそういう試みは草の根ではなされつつある。
hiroyuki1983 すでに今グローバルな世界で話されているのは「シングリッシュ」や「ジャパニッシュ」のような英語を元にした人工言語。ネイティブの連中だけがあれを「英語」だと勘違いしてる。今後原形とどめない位変化するよ 2010/08/01
一般の英米人がシングリッシュをどれだけ馬鹿にしてるか知ってからそういうことを言って下さい。東京人が東北弁を馬鹿にするなんてレベルじゃないよ?そして東北人が標準語を身につけるのですらラジオ・テレビなしには難しかったのに(標準語の韻律構造には東北弁にない要素があるから)、日本人が馬鹿にされない英語を身につけるのがどれだけ無理なことかわかるでしょ?
kizuki25 増田, 英語 英語を駆逐するための活動を行っている人のお話。俺なんかは現状を変えるより自分を変えるほうがまだ簡単だと考えてしまうので、こういう活動は無理なんだよな。 2010/08/01
だからなんで「英語マンセー強要反対」を「英語反対」と読み違えるのさ。「天皇万歳強要反対」と「天皇制反対」は似て非なるものであることぐらいわかるでしょ?現状に対応するために英語を仕方なく勉強しつつ英語支配に反対するってのは可能なことだし、俺もそうしてるよ。
r-west ポジティブ信仰蔓延のせいで事態を勘違いしてる人が多い。途上国の物乞いが片言の英語出来たりするじゃん。日本が経済的にあれと同レベルに落ちぶれつつあるって事。不可避の敗退戦術に文句垂れても… 2010/08/02
その認識は誤り。明治時代の日本は絶対的にも相対的にもはるかに現代のそれよりも貧しかったが、高等教育を日本語化することはかなり早い段階でできていた。
steam_heart 作文は英語能力だけでやるもんじゃないからなあ。/みんなにハードルが高い言語なんてナンセンスの極み。ビジネス~は敬語もテンプレなんでテンプレでOK。 2010/08/03
一部の人にだけハードルが低い言語なんで不公平もいいところ。なぜそちらの方がナンセンスでないと考えるのかそのこと自体がナンセンス。あと、テンプレで通用するのはテンプレな用途だけだ。あなたも私も日本語の言葉づかい一つに苦労しないことはないはずだ。いわんや第二言語(外国語)をや。
十年前の遺物みたいな主張だねー。
まず「読み書き」だが、日本語が母語である以上英語の読み書きを日本語のそれに優先させることはほとんど無理だよ。そもそも「読み書き能力」の大部分は言語非依存な部分にあるわけで、それは母語で訓練する方が効率的。たとえば俺は英語ネイティブの5歳のガキよりも圧倒的に、英字新聞を深く読んで理解し、それについて文章を書いて論じるなんてことができるが、その能力は日本語で培ったものだ。それができた上で英語をやってもよいが、それはまあ江戸時代の公文書のかなりの部分が漢文だったことを考えれば、当時の漢文能力に相当するもんだね。つまり漢文や英語が必要なのは当時や現在のエリートに限られることはかわりがない。
次に「論理的思考力」だが、これが不要だった時代などどこにもない。むしろ「現代ではロジカルシンキング(笑)が重要(キリッ」とか言っている奴の大半は、そんなことすらわかっていないという馬鹿さ加減を晒しているだけだ。
最後に数学知識を「コンピュータ」に入れるのは乱暴すぎる。世の中の「エンジニア(笑)」(技術者という意味ではなくてデモシカSEやプログラマが使う自称という意味で)の大半は三角関数すら理解できない癖にそれで何とか勤まってしまっている。所詮はそんなものだ。現代の「そろばん」といえばExcelのような表計算ソフトということになろうが、「偏差値」を「戦闘力」かなんかと勘違いして「私の偏差値は53です」とか母集団を挙げずに使っている馬鹿でもExcelを使って統計処理とかやってしまっている。
「現代」なんてその程度の時代だ。武士の官僚が漢文やオランダ語で仕事をし、和算家が微積分や行列式を発見していた江戸時代に比べて一般庶民に要求される「読み書きそろばん」能力が格段に上がったなんてことは全然ないんだよ。
トラバぐらいつけたらどうだ。
まず、ITは比較的斜陽ではない。ITが斜陽ならインフラ以外は皆斜陽だな。ああ、そういうことが言いたかったのなら気にしないでくれ。
つまりは国語教育を何とかしろ、ということだろう?それならまずディベートやグループディスカッションをさせればいい。今の教育は「こんな議論の形式があります」って教えるだけだからな。小論文や説明文は夏季休業時の宿題にしてもいいだろう。このうちから10000字以上の文章生産性を向上させる訓練はしていていいはずだ。
個人的には古文漢文は今の学習量の半分でいいと思っている。削減して生まれた余裕のうち何割かをそこに当てればいいだろう(個人的には言語学的要素をもう少し増やしたいが、皆必要というわけではないからそれはなくてもいい)
私立大学は早慶以外全部潰せ、と書いたはずだ。すなわちそれを学ばないやつは大学に来る必要がない、ということ。そこまで徹底すれば高校も必修にせざるを得ない。なぜならそれを学ばない=バカが通う高校という社会的評価が下されるからな。そういうところはどんどん潰れる。
ちなみに論理は古典論理か、述語論理か。まさか様相論理までさせるわけではあるまい。
統計というか、「表や図の作成、理解とその分析」は必須だろうな。ただそれを一教科作ってまでやるというのは難しいだろう。
たとえば夏季休業に社会科学統計(地歴公民)か自然科学統計(統計)のどちらかを分析させることを宿題に出すのはどうだろう。もちろん該当する科目でそれぞれ一度は分析を経験した上で、だ。
今そんなくだらないことをいちいち議論するな。
そもそも国際競争で負けている時点で貧困国になって、首が回らなくなる。
「食わなきゃ食われる」んだ。
考えてみろ。中国人の成金たちが物価の安くなった日本の若い女を買っている姿を。
俺はこんな日本見たくないね。
「食わなきゃ食われる」んだ。
国内での奪い合いはどうでもイイ。海外から奪わなきゃならない。
変えるべきところは教育からだ。
・プログラムを小学校5年生からの教科に入れろ!主要教科にするぐらいの勢いに。数学に混ぜてもいい。
・経営、簿記、複利、株、お金の仕組みの基礎を中学生にも教えろ。これらをまとめて1科目でもいい。
・そのぶん古文や漢文や社会を減らせ。漢文学んでも中国語聴き取れねえから。
・図工での工作はPCの自作も混ぜてみろ。美術はDTPをメインにしろ。もちろん音楽はDTMを。
・基本PCで授業を受けるような流れにしろ。
・普通科高校を減らし、職業訓練校としての高校を増やせ。工業高校に変えてプログラミング高校を増やせ。
・大学は8割いらない。大学で研究をして意味のある人間なんて一部の人しかいない。一般人は無意味だ。
・ホリエモンみたいな若い経営者が明らかに有利になる仕組みを作れ。30代社長だと税金半分とか。極論。
・体の芯から染みついている年功序列の考え。日本人は小さいころから先輩がエライという考えがしみついており、
どの会社に行っても年長者の発言権が大きい。その考えは変えられない。完全に染みついているからね。
じゃあどうするか。焼け石に水だが、まずは敬語をなくすことからはじめる。丁寧語は残すが、年上に対する敬語の
文化を「意図的に」壊す。国の政策としてこれを行う。40年計画だ。
ともあれ、「抜本的」じゃないとダメだ。一度壊さないと、GHQがぶっ壊したみたいに既得権益を全てぶっ壊さないと、
これ以上の発展はできない。
このままだとガチで中国やインドに負ける。いや、もう負けてるが。
30年後の日本人が勝てるよう、今から抜本的に直さないと!今から!
「食わなきゃ食われる」んだ!
なんてよくばりなんだ!そんな博士課程まで出て外国で教える機会まで勝ち取ってさらに英語を完璧に話せるようになりたいなんて。
だからあまり努力が出来る方ではない自分が意見を書くのもおこがましい気がするけれど、ちょっとだけ。
英語圏の外国人に通じる英語と言うレベルになると、日本国内でやる英語の学習も、実際に英語圏の子供たちが育っていく過程で行われる国語としての英語教育に近づけないといけなくなると思う。論文の書き方にしても、子供の頃から構成や内容の選び方を学ばせるし、考えを述べさせたりというのが日本よりずっと早い頃から行われるし、それが楽しめるように出来ている。人前で話す機会なんていうのも多いから、どうやって人を引き付ける話し方をするとか、そういう事が上手な人=知性のある人と考える文化が根付いてしまってる。
英語という言語は、同じ内容を様々な、時にはラテン語の表現等から引用して行うのが賢いと思ってる節が日本語よりももっともっと強いから、沢山表現の仕方を習わされる。日本語だって漢文引き合いにした方が賢いと思われるけど、今じゃそんな事5・60代の知性の競り合いでしか見たことないです。単に自分の環境が悪いからかも。でもアチラでは賢い10,20代の学生が難しい表現をしようと試みている訳で。国語のテストのやり方だって異なる。日本だと作者がどう思ったか、どん文章からそれを読み取れるか、だけど、英語圏だと自分が読んでどう思ったか?とか同じような表現の言葉で書き直しなさいとか韻を示しなさいとかだって聞いたことある。(自分は日本の教育しか受けてないので伝聞でごめんなさい。)
学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現が稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。「頑張ってるのは分かるけど、英語があれでは尊敬できない」とも書かれた。
確かに、日本人の英語は聞くに堪えないらしい。日本のカタカナ英語っぽいアクセントや、受験英語で身にしみついちゃったんだねその19世紀的な言い回し、みたいな表現を用いつつ、話し方の構成も日本的に話してると確かに鬱陶しがられる。日本人だってアジア圏の人々が物凄いおかしな抑揚の日本語で、拙い話し方してたら訝しんで、まず話をちゃんと聞こうという態度にならない人が多いと思う。(これは仕事でそういう事があった実例。なぜか白人や黒人の人が拙い日本語で話してても、姿勢があったりする。年配の方々であったし、多分潜在的な差別意識のある人だったのかもしれないが。)
でもこれは元増田が悪いんではなくて、きっと、元増田に発音教育をした学校の先生や、その時使ってたOCのテープの品質が悪いんだよ。英会話の授業とかで流すテープ、あれは自分の頃は大体アメリカ英語しか流してなかったけれど、今はどうなんだろう。様々な英語、民族の共通の公用語の英語の国の英語を聞いてると、同じ単語でも国によって発音が違ったりするけれど、発音の強弱が違ったりするけれど、そこは省いて、同じだったりする、そういう所をちゃんと教えておくことの方が重要。
他に勉強するところが沢山あるおかげであまり重要視されてない(できない)けれど、発音って物凄い重要。Aは「ア」とは発音しないしIだってちゃんと聞けば「アイ」ではないんだよ。「ai」なんだよ。もう一文に滅茶苦茶出てくるwだって目の前に居る誰かにチューするんじゃないかって位唇突き出さないと、向こうの人にはwの音に聞いてくれないんだよ。イヤまじで。日本人の発音で聞きづらいのはRとLとか言われてるけど、そんなの可愛いもんで、細かく洗えば同じ発音って殆ど無いんじゃないかって気すらしてくる。(大げさ) 発音という意味では日本語と英語は本当に水と油だなあって思う。
更に、極端に言うと、自分の受けてきた日本の英語教育って発音記号で書いた文章通りちゃんと読ませようとしてた。リエゾンとかするけれど。
でも、リエゾンだけじゃなくて、先の話とも重なるけど英語の教養として彼らは詩とかでリズムと強弱に重きをおくことが重要だと信じてるわけだから、そのあたりが出来てないと、どんなに正しい文章を話してても聞いてて気持ち悪い、と言われた。日本でもリズムつけて読ませるけど、日本に居る日本人の英語の先生のダイナミックさと、英語圏に居る英語教師のテンションの高さは比べ物にならない。少々アホっぽくてもいいから教育するという意味なら後者を少し見習って頑張ってほしい。
此処までこき下ろしてしまったけど、日本(というか東アジア人)の英語教育ってある側面では凄いしっかりしてて、文章とか書かせたらちゃんと文法的にも時制も正しい文章書くし、その気になれば辞書を引きながらでもある程度の難しい文章が読めるし、英語で発信されている情報の重要な話は日本語でも同様に発信されてて同じ情報を見てたりするから知としての英語を読んでいても話を理解するのは比較的早くできると思う。英語できないって言ってる学生でも論文は読めるしさ。それがヨーロッパ人とかになると語順が殆ど同じはずなのに時折自分の国の言い方の語彙、語順になったりするし、アラブ人は話すのは凄い上手だけれど、英語圏というか、イスラム以外の文化的下地が全然なくて突拍子もない事言いだしたり、書かせると時制の捉え方がめちゃめちゃで面白い事になってたりする。
こんなこと書いている自分は英語が上手ではないけれど、それなりに勉強してきたお蔭で最初の掴みの段階で英語圏の人と話して日本人アクセントが強くない調子で話せていると思う。
最初の印象で日本人と思われることはまず無い。日本人にも日本人と思われないことも多いけど。
(話が熱くなってくると其処まで気をまわしてらんないから化けの皮が剥がれて日本人らしくなってくるけれども。)
その時言われたのが「あら貴方のアクセントはソフトなのね、日本人じゃないかと思った」
相手にしたら褒めてる積りぽかった。
つまり、「日本人=マジメ、努力家、よく働く、寿司食ってる、漫画!」ってイメージを抱かれてるのは皆知ってるけれど、それよりも普段の実生活で目にする日本人像は、「発音が独特で直せない」「(構成の仕方が違い過ぎて興味を持たれず)話の内容の表現がつまらない」「差別対象」扱いなんだな。と思った。
英語教育とか英語とか全く専門でない自分が半ば酔っぱらいながら書いたから、この文章こそ構成も論点も滅茶苦茶だけど、
元増田は努力家だから、多分、発音を矯正して向こうで高校生が読むような名作や普通の大人が一度は目にしているような現代映画に目を通して表現方法を自分ですぐ使えるように増やすだけで実はそんな不満消しにイケるんじゃないかって気がしたから書いてみた。で、博士で英語使いながら仕事してるんだから、あの手この手でこれからこのイメージぶち壊してほしいよ。自分も少し頑張って努力してみるから。
あと、別に総合大学の知の殿堂みたいな賢い人達を相手にしないんだったら言い回しの引き出しや、語彙が少なくたって大丈夫だと思う。
上手く言えないけどこんな感じ。最後まで読んでくれた方ありがとう。さらに最後に一言だけ。TOEIC信仰滅びればいいのに。おやすみ。
追記)というか、皆が皆英語で元増田と同じような壁にぶつかるわけではなく、
どうかな。カルロスゴーンはブラジル生まれでフランスで教育を受けているが日産で経営手腕を発揮している。
フランス語やポルトガル語を使わず英語を使って従業員とコミュニケーションしているはずだ。
英語が重要なのは世界共通語で、英語ネイティブの人以外とコミュニケーションするにも大事だからだ。
まず、ポルトガル語圏・フランス語圏と英語圏の文化的・言語学的距離を日本語とのそれと比べてみることだな。どちらも、日本語と韓国語以上に近い殊はあっても逆はあり得ないよ。
俺はポルトガル語など全く学んだことないし、ロマンス語全体まで拡げてもフランス語を少しかじっただけだが、ポルトガル語の新聞記事をなんとか読めてしまうし、フランス語に至ってはほとんど抵抗ない。なぜかというと、英語からの類推でほとんどできてしまうし、新聞記事のような堅い調子のものに至っては語彙のほとんどが共有されているからだ。特にフランス語文と英文が並んでいたような場合、切り替わったことが気づかないことさえある。むしろ、言語学的によほど近いドイツ語の方が、ポルトガル語やイタリア語と同じぐらい手こずる。
立場を逆にしてみるといい。韓国語が世界共通語だったと想像してみればいい。色々な母語の人間が大勢集まって韓国語を本気で勉強すれば、集団としては絶対日本人が圧倒的優位。礼儀作法のような文化的コードも含めて、日本の言語・習慣からのマイナーチェンジで全部できてしまう。漢語経由で高級語彙まで共有してるから、敬語やら助詞やら礼儀作法やらの基本的考え方すら身につけられずに苦労する欧米人などから見れば日本人は半ネイティブのようなものだ。
要するに、カルロス・ゴーンが英語圏の標準にさしたる苦労なく適応できるのは当たり前なのだ。その辺のことを全く指摘せず、「オランダ人はほとんど誰でも英語がペラペラだ、オランダの英語教育に学べ」などと力説する馬鹿が後を絶たないのだから呆れかえる。オランダ語はおそらく地球上で英語に最も近い言語で、本土の人間が琉球語を覚えるのとほとんど同じ程度の労力しかかからずに奴らは英語を学べるのだ。たとえば本土の人間は「めんそーれ」とか「てーげー」と聞いて「見え候え」とか「大概」だと簡単に類推して直観的にこれらの語彙を取り込めるが、それ以外の人間はにはこんなことは無理だ。
はっきり言って、日本という場所は世界一英語学習に向いていないと言っても過言ではない。そもそも文化的に外国語を話すことが必要とされたことがほとんどなく、漢文という名の訳読と作文だけで済んでしまっていた土地柄で、「外国語を学ぶ」という文化自体が極めて薄い。そして日本とイギリスはユーラシアの東と西の外れの島国で、言語学的にも文化的にも接点を見出す方が難しい。
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