はてなキーワード: 公教育とは
全部わかって乗っているなら止めないし、実際個人的には、高岡のようなパチくさいオッサンが多少世の中にいるのはむしろ面白いと思ってはいるのだけれど、運動音痴科学好きのライフハッカーが、ナイーヴにコロコロ転がされているのだったら、他人事ながらちょっと心配だ。
せめてニセ科学に対するのと同じ程度の警戒心は持った方が良いんじゃないか。
あるいは、それくらいの寛容さとテキトーさを、ニセ科学にも適応してやってくれないか。インチキくさいものが多少あった方が世の中面白いし、高岡にコロっとやられている人をこうして眺めるように、ニセ科学にまき上げられている人たちも「アホやなぁ」と「寛大」に眺めてやったらどうだろうか。
ゆる体操とか全然知らないのだけど、ニセ科学批判クラスタにアピールするなら、
に焦点を合わせて訴えるといいと思う。
ニセ科学を「「アホやなぁ」と「寛大」に眺め」て済ますわけにはいかない理由はそこ。ホメオパシーがあれだけ叩かれたのもそこだよね。
モノは無害で国によっては医者がプラセボ代わりに処方するくらいのものだけど、ホメオパシージャパンみたいなカルトまがいの組織が組織拡大と組織防衛のために上のような傾向を強めていくのが問題。
ホメオパシージャパンのヤバさは、やっぱり由井寅子のパーソナリティに依存するところが大きいと思うので、高岡英夫のパーソナリティに注目して、今後ヤバい傾向を強めていく危険性に警戒しよう、っていうのはアリだと思う。
でも、事が起こる一歩手前の状態でどこまで言えるかってのは難しい問題で、ニセ科学とかカルト宗教とかをウォッチしてる人で、こいつはクサい、と思ってても、まだヤバいところまで行っていないか、あるいはまだ尻尾を出さない、という理由で保留にしてるネタって色々あるみたい。まあ、そういう時に増田って便利だよね、ってことで。
電子掲示板「2ちゃんねる」にまつわる組織的犯罪の禁圧に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、インターネット上の「2ちゃんねる」と呼ばれる電子掲示板において、その管理人および指定暴力団
組員が、社会を自らの実力によって支配することを目的とし、公教育が形成しようとしている健全な風潮を害する言論を
流したり、知慮浅薄で精神的に未熟な中高生に自殺衝動を惹き起こさせるような卑劣な差別文言ないし差別を煽る文章
を流したり、我が国の法律の適用を逃れるため、アメリカ合衆国にサーバーを設置するなど、極めて計画的かつ用意周
到な組織的犯罪がこの十一年間、間断なく行われており、同掲示板にまつわる組織的犯罪が日本社会に与える悪影響
が看過できない程度に達していると認められるため、管理人および関係者の検挙および電子掲示板のサーバーの没収
によって、かかる犯罪を根絶し、併せてインターネット上の言論の浄化を促進し、もって公共の福祉の増進に資すること
を目的とする。
第二条 何人も、平成二十三年十一月一日以降、電子掲示板2ちゃんねるに書き込みを行ってはならない。
第三条 電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近および指定暴力団組員等の関係者は、組織的な犯罪の処罰及
び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)第三条一項三号(殺人)、五号(強要)、七号(信
用毀損及び業務妨害)、八号(威力業務妨害)、九号(詐欺)、十号(恐喝)を行った疑いがあるため、捜査機関は、右
容疑で電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近およびこれらと交際のある指定暴力団組員を捜査するものとする。
第四条 略
(罰則)
第五条 略
電子掲示板「2ちゃんねる」にまつわる組織的犯罪の禁圧に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、インターネット上の「2ちゃんねる」と呼ばれる電子掲示板において、その管理人および指定暴力団
組員が、社会を自らの実力によって支配することを目的とし、公教育が形成しようとしている健全な風潮を害する言論を
流したり、知慮浅薄で精神的に未熟な中高生に自殺衝動を惹き起こさせるような卑劣な差別文言ないし差別を煽る文章
を流したり、我が国の法律の適用を逃れるため、アメリカ合衆国にサーバーを設置するなど、極めて計画的かつ用意周
到な組織的犯罪がこの十一年間、間断なく行われており、同掲示板にまつわる組織的犯罪が日本社会に与える悪影響
が看過できない程度に達していると認められるため、管理人および関係者の検挙および電子掲示板のサーバーの没収
によって、かかる犯罪を根絶し、併せてインターネット上の言論の浄化を促進し、もって公共の福祉の増進に資すること
を目的とする。
第二条 何人も、平成二十三年十一月一日以降、電子掲示板2ちゃんねるに書き込みを行ってはならない。
第三条 電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近および指定暴力団組員等の関係者は、組織的な犯罪の処罰及
び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)第三条一項三号(殺人)、五号(強要)、七号(信
用毀損及び業務妨害)、八号(威力業務妨害)、九号(詐欺)、十号(恐喝)を行った疑いがあるため、捜査機関は、右
容疑で電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近およびこれらと交際のある指定暴力団組員を捜査するものとする。
第四条 略
(罰則)
第五条 略
電子掲示板「2ちゃんねる」にまつわる組織的犯罪の禁圧に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、インターネット上の「2ちゃんねる」と呼ばれる電子掲示板において、その管理人および指定暴力団
組員が、社会を自らの実力によって支配することを目的とし、公教育が形成しようとしている健全な風潮を害する言論を
流したり、知慮浅薄で精神的に未熟な中高生に自殺衝動を惹き起こさせるような卑劣な差別文言ないし差別を煽る文章
を流したり、我が国の法律の適用を逃れるため、アメリカ合衆国にサーバーを設置するなど、極めて計画的かつ用意周
到な組織的犯罪がこの十一年間、間断なく行われており、同掲示板にまつわる組織的犯罪が日本社会に与える悪影響
が看過できない程度に達していると認められるため、管理人および関係者の検挙および電子掲示板のサーバーの没収
によって、かかる犯罪を根絶し、併せてインターネット上の言論の浄化を促進し、もって公共の福祉の増進に資すること
を目的とする。
第二条 何人も、平成二十三年十一月一日以降、電子掲示板2ちゃんねるに書き込みを行ってはならない。
第三条 電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近および指定暴力団組員等の関係者は、組織的な犯罪の処罰及
び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)第三条一項三号(殺人)、五号(強要)、七号(信
用毀損及び業務妨害)、八号(威力業務妨害)、九号(詐欺)、十号(恐喝)を行った疑いがあるため、捜査機関は、右
容疑で電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近およびこれらと交際のある指定暴力団組員を捜査するものとする。
第四条 略
(罰則)
第五条 略
電子掲示板「2ちゃんねる」にまつわる組織的犯罪の禁圧に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、インターネット上の「2ちゃんねる」と呼ばれる電子掲示板において、その管理人および指定暴力団
組員が、社会を自らの実力によって支配することを目的とし、公教育が形成しようとしている健全な風潮を害する言論を
流したり、知慮浅薄で精神的に未熟な中高生に自殺衝動を惹き起こさせるような卑劣な差別文言ないし差別を煽る文章
を流したり、我が国の法律の適用を逃れるため、アメリカ合衆国にサーバーを設置するなど、極めて計画的かつ用意周
到な組織的犯罪がこの十一年間、間断なく行われており、同掲示板にまつわる組織的犯罪が日本社会に与える悪影響
が看過できない程度に達していると認められるため、管理人および関係者の検挙および電子掲示板のサーバーの没収
によって、かかる犯罪を根絶し、併せてインターネット上の言論の浄化を促進し、もって公共の福祉の増進に資すること
を目的とする。
第二条 何人も、平成二十三年十一月一日以降、電子掲示板2ちゃんねるに書き込みを行ってはならない。
第三条 電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近および指定暴力団組員等の関係者は、組織的な犯罪の処罰及
び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)第三条一項三号(殺人)、五号(強要)、七号(信
用毀損及び業務妨害)、八号(威力業務妨害)、九号(詐欺)、十号(恐喝)を行った疑いがあるため、捜査機関は、右
容疑で電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近およびこれらと交際のある指定暴力団組員を捜査するものとする。
第四条 略
(罰則)
第五条 略
電子掲示板「2ちゃんねる」にまつわる組織的犯罪の禁圧に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、インターネット上の「2ちゃんねる」と呼ばれる電子掲示板において、その管理人および指定暴力団組員が、社会を自らの実力によって支配することを目的とし、公教育が形成しようとしている健全な風潮を害する言論を流したり、知慮浅薄で精神的に未熟な中高生に自殺衝動を惹き起こさせるような卑劣な差別文言ないし差別を煽る文章を流したり、我が国の法律の適用を逃れるため、アメリカ合衆国にサーバーを設置するなど、極めて計画的かつ用意周到な組織的犯罪がこの十一年間、間断なく行われており、同掲示板にまつわる組織的犯罪が日本社会に与える悪影響が看過できない程度に達していると認められるため、管理人および関係者の検挙および電子掲示板のサーバーの没収によって、かかる犯罪を根絶し、併せてインターネット上の言論の浄化を促進し、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする。
第二条 何人も、平成二十三年十一月一日以降、電子掲示板2ちゃんねるに書き込みを行ってはならない。
第三条 電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近および指定暴力団組員等の関係者は、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)第三条一項三号(殺人)、五号(強要)、七号(信用毀損及び業務妨害)、八号(威力業務妨害)、九号(詐欺)、十号(恐喝)を行った疑いがあるため、捜査機関は、右容疑で電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近およびこれらと交際のある指定暴力団組員を捜査するものとする。
第四条 政府は、前条の捜査の結果、被疑者が刑事訴追され、電子掲示板のサーバー等の没収等を命じる確定裁判があったときは、国際共助条約に基づき、アメリカ合衆国に対して、裁判の執行又は没収若しくは追徴のためのサーバー等の財産の保全の共助の要請をするものとする。
(罰則)
第五条 第二条の規定に反した者は、一年以下の懲役または五十万円以下の罰金に処する。
理 由
インターネット上の「2ちゃんねる」と呼ばれる電子掲示板が、一般市民の管理者が任意に創設し、そこに一般人が匿名で意見を書き込んでいるという体裁を取りながら、実際には有限会社等を仮装した実質的な暴力団であって、政府が指定暴力団としている暴力団の組員と交際のある者が、指定暴力団が有する巨大な資金力や技術力を結集する形で、社会を自らの実力によって支配することを目的とし、2ちゃんねる管理人とその側近および指定暴力団の組員が、政府の行う公教育が形成しようとしている健全な風潮を害する目的で不健全な言論を流したり、知慮浅薄で精神的に未熟な中高生に自殺衝動を惹き起こさせる目的で、卑劣な差別文言ないし差別を煽る文章を流したり、我が国の法律の適用を逃れるため、アメリカ合衆国に電子掲示板のサーバーを設置するなど、極めて計画的かつ用意周到な組織的犯罪が電子掲示板2ちゃんねるの管理人とその側近および指定暴力団組員その他の者によってこの十一年間、間断なく行われ、同掲示板の影響によって政府の公教育が形成しようとしている健全な風潮に相当の悪影響が生じたり、児童生徒の自殺の原因となっていると推測されるなど、同掲示板にまつわる組織的犯罪が日本社会に与える悪影響が看過できない程度に達しているため、日本政府としては、アメリカ合衆国との共助によって同掲示板管理人とその側近および組織的犯罪の役割分担に重要な貢献をしていると思われる指定暴力団組員等を検挙し、同国に設置されている同掲示板のサーバーを没収することによって、かかる犯罪を根絶し、併せてインターネット上の汚染された言論を公教育が要求する水準にまで浄化、回復する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
全国的に中高生の自殺が相次いでいる。場合によっては小学校高学年の児童も自殺しており、ゆゆしき問題である。
ここ数十年で中高生の自殺が増えた理由について、1997年の経済破たんによる社会人の自殺者数増加が影響しているなどの見解があるが、
中高生は経済問題ではなく、学校生活に起因する諸問題により自殺を決意すると考えられるため、他に理由があると考えるべきである。
そこで理由の一つとして考えられるのは、インターネットの出現により、巧妙に一般人に成りすました暴力団員その他の反社会的勢力が、
その独自の資金力や行動力により、インターネットという無法地帯に勢力を拡大するという異常な現象が1999年頃から発生しており、
卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、
精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
この問題について、政府や警察は、概ね2006年頃から、学校等においてインターネットに関する指導を行ったり、保護者への指導推奨、
フィルタリングの設定といった対策を講じたりしているが、反社会的勢力が根城にしていると思われる「2ちゃんねる」という巨大掲示板は1999年頃から秒刻みで次々にスレッドが立てられ、ほぼ休みなく続いているなど、その勢力は強大であり、そこからアングラ掲示板や、
児童生徒が直接書き込む誹謗中傷に満ちた学校掲示板、各種の風俗サイトが派生しており、中高生がそれらを閲覧することに関し、
学校での指導やフィルタリングが何ら功を奏していないと推測される。すなわち、増加している中高生の自殺は、
インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮が
かなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、
人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これに対し、インターネットの掲示板等を規制すると表現の自由が奪われるという見解があるが、そもそも社会言論は公教育で設定している
公序良俗を損集することが前提とされているし、「2ちゃんねる」に書き込まれるような卑劣な門限は公共の福祉に反するものとして
表現の自由を享受するに値しない。また、これらの卑劣な文言が中高生の精神に及ぼしている悪影響も考えると、なおさら規制の必要は高く、
国会および文部科学省は、より早い時期に規制法案を作成すべきであった。係る不作為は文部科学省や国会としては致命的な不作為であり、
全国的に中高生の自殺が相次いでいる。場合によっては小学校高学年の児童も自殺しており、ゆゆしき問題である。
ここ数十年で中高生の自殺が増えた理由について、1997年の経済破たんによる社会人の自殺者数増加が影響しているなどの見解があるが、
中高生は経済問題ではなく、学校生活に起因する諸問題により自殺を決意すると考えられるため、他に理由があると考えるべきである。
そこで理由の一つとして考えられるのは、インターネットの出現により、巧妙に一般人に成りすました暴力団員その他の反社会的勢力が、
その独自の資金力や行動力により、インターネットという無法地帯に勢力を拡大するという異常な現象が1999年頃から発生しており、
卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、
精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
この問題について、政府や警察は、概ね2006年頃から、学校等においてインターネットに関する指導を行ったり、保護者への指導推奨、
フィルタリングの設定といった対策を講じたりしているが、反社会的勢力が根城にしていると思われる「2ちゃんねる」という巨大掲示板は1999年頃から秒刻みで次々にスレッドが立てられ、ほぼ休みなく続いているなど、その勢力は強大であり、そこからアングラ掲示板や、
児童生徒が直接書き込む誹謗中傷に満ちた学校掲示板、各種の風俗サイトが派生しており、中高生がそれらを閲覧することに関し、
学校での指導やフィルタリングが何ら功を奏していないと推測される。すなわち、増加している中高生の自殺は、
インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮が
かなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、
人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これに対し、インターネットの掲示板等を規制すると表現の自由が奪われるという見解があるが、そもそも社会言論は公教育で設定している
公序良俗を損集することが前提とされているし、「2ちゃんねる」に書き込まれるような卑劣な門限は公共の福祉に反するものとして
表現の自由を享受するに値しない。また、これらの卑劣な文言が中高生の精神に及ぼしている悪影響も考えると、なおさら規制の必要は高く、
国会および文部科学省は、より早い時期に規制法案を作成すべきであった。係る不作為は文部科学省や国会としては致命的な不作為であり、
5年前、携帯ゲームSNSサイトが既存ゲーム市場を激変させると誰が予想していたでしょうか?
そして5年後、同様の破壊的イノベーションが、教育の分野でも起こると予想(願望)しています。
1対マス(教師×生徒)型の教育から、マス対1(多種多様な教材×生徒)型の教育プラットフォームが主流になるでしょう。
http://www.codecademy.com たとえばこんな感じのサイト
有名大学や有名塾講師の講義内容を無料で映像配信するプラットフォーム
lang-8や、四択問題クイズサイトのような、ユーザーが教師であり、生徒でもあるようなSNS型プラットフォーム
多種多様な教育コンテンツを企業が提供するSNS型プラットフォーム。
お得意のデータマイニングで、学習者にとって最適な教材を提供。ただ、ゲームと違って、言語の壁を乗り越えるのが大変そう。
ここまで書いて、稚拙な文章と分析しかできなくて情けなくなったので、言いたいことをまとめると、
デジタルデバイスとネット接続環境があれば、誰でも無料で教育を受けられるプラットフォームが誕生
↓
従来の学校教育に馴染めなかった人も、多種多様な教材で楽しく勉強できるような設計。(細かい目標達成を感じられたり、ゲーム的要素だったり)
従来の学校教育の進度が遅い/早いためにフィットしなかった人にも最適な学習環境が得られる。
教育の生産性が向上し、18歳で大学教授並のパフォーマンスとか出せちゃう、教育界の石川遼クン的人材がたくさん出てくる。
良質なスクリーニングで、センター試験とか大学の二次試験も廃止でコスト低下
↓
新技術の台頭により、職を失ってしまった人も、新技術を学べ、再チャレンジ可能な社会へ
↓
既存の公教育は、ディベートや、コミュニケーション、発想、創造力、を鍛える教育へ
↓
みたいな妄想をしてた。
過当競争で毎年自殺者3万人出てるなんて戦争やってんじゃねーんだぞこらー!(全然関係ない)
以上、孤独と不安で頭がおかしくなったニートの戯れ言でした。誰かかまってください。
本の紹介忘れてた
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する: クレイトン・クリステンセン, マイケル・ホーン, カーティス・ジョンソン, 櫻井 祐子: 本
私は、誰の教師に就くか、選ぶ権利はなかった。
私にとっては、ハングルを学ぶ意思はない。意思はないが、拒否はできない。これはハラスメントの一種だ。
何も朝鮮半島との史的交流を学ばせるな、と言っているのではない。
たとえば簡単な話、日本史の授業で、なぜハングルを学ばせるのか、足る理由があるというなら、呈示してほしい。
断っておくが、これは嫌韓やレイシズムに起因するものではない。
たとえば隠れキリシタンを始めとした日本におけるキリスト教受容の歴史を学んで、じゃあ『どちりなきりしたん』や『こんてむつすむんぢ』を読んでみましょうとゲラ刷りのプリントを渡されたって、当時の私からすれば、等しく嫌だっただろう。
江戸時代の科学史として、和算やエレキテル、万年時計などなどを深く説明されたって、机に突っ伏していたはずだ。
だから、そういうことをどうしても教師が教えたいなら、カリキュラムを変えてほしい。公教育レベルで、教師自らが先んじて行動して、変えてほしい。学生に、選択権を与えてほしい。それが生徒にとり得心のゆく行動ならば、生徒も主体的に動くだろう。
その実現した成果の上で、ハングルだ、隠れキリシタンだ、世界水準の数学者だ、と教えたいだけ教えればいい。
現状の教育システムなら、どちらになびこうが犠牲になるのは生徒だ。「ちょっと偏ってたほうが面白いだろ」などと馬鹿げたことを言うな。新聞購読するのとは話が違うんだぞ。
横浜の県立高校 女性教諭が日本史授業でハングル指導 「朝鮮人虐殺現場」見学企画も+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110825/edc11082502070000-n1.htm
大阪で、君が代斉唱時に起立しなかった教員をクビにする条例がもうすぐできるらしい。
例によってはてブでは公教育への介入だ、思想統制だ、という話になってるらしいが。
問題は、公立学校の教職員が式典に出席した上で君が代斉唱を拒否していて、
その後の校長・教育長の指導や業務命令にも従わない、ということだ。
それを思想・表現の自由としているのなら、彼ら個人の思想の表現のためにやっている、と考えられる。
これは「公務員が勤務時間中に、自らの政治的主張のために業務をサボタージュして示威行為している」、
「判断能力が未熟な児童・生徒に、教員の立場を利用して自らの政治的主張を宣伝している」ということになる。
つまり問題は日の丸・君が代だけではなく、「公務員が思想を理由に業務をサボタージュするのは認められるか」、
「教員が児童・生徒に自身の政治的主張を宣伝するのは認められるか」ということだろう。
これらを認めてしまえば、極論すれば「教員が教えたくないこと・教えるべきでないと思うことは(指導要領に載っていても)教えなくて良い」
「教員が教えたいこと・教えるべきだと思うことは(指導要領に載っていなくても)教えて良い」ということになりかねない。
公民の教科書を放り出して毛沢東語録を教えても教員の自由、歴史の教科書を放り出して歴代天皇の諡号を暗唱させるのも教員の自由、
生物の教科書よりも旧約聖書の創世記を読ませたい、国語の教科書の代わりに団鬼六を読ませよう、という教員が出てきたらどうするのか。
児童・生徒がどんな内容の教育を受けるかは、その時に出会った先生次第で構わない、と思う人がどれだけいるんだろうか。
教科書の内容も式典の式次第も、文化祭や体育祭などの学校行事も、社会が期待する一定の水準に達するために教育委員会が指導してるんであって、
その内容は法律に則っていたり文部省の指導要領に則っていなければいけないのは当たり前のことだ。
アホな家庭やアホでなくても放任しきりな家庭にゲームがあると子供は際限なく勉強もせずゲームをするし、友達が家に上がりこんで何時間もゲームってのはあるんだよね。
特にゲーム以上の娯楽を見いだせない、はてなのみなさんが差別目線を隠そうともしない「低偏差値」な層に多い。
で、ゲーム自体が有害ではなくとも、そういう親の教育なり友人関係において不全である状況ってのを放置するのはよくないことだと思う。
パチンコ中毒も似たようなもんで、時間だけ浪費する分ゲームのほうがまだマシだとは思うけど、突き詰めれば違いはそこしかないと思う。
ボトムアップ的な目線で公教育なり高等教育の重要性を主張する人ってはてな内外でそれなりに見るけど、彼らの主張って自制心ある家庭とかが前提なんだわ。
つまり彼らは端から本当に底上げすべき家庭は無視している。
で、そういう家庭を底上げしてはじめてボトムアップと言えるんだけども、彼らはそれを放棄しているからやってることは不安商売のそれと同じ。
そういう形骸化した家庭を無視して、それなりに機能している家庭にばかり「底上げは大事ですよー」なんて声かけたって聞こえるわけねーだろばーか。
というわけで、僕個人としてはバカの底上げのために娯楽は規制すべきだという立場を取ります。
エリートで、みんなが嫌がる勉強さえ好きになれたり好奇心を持って取り組めるはてなーのみなさんに置かれましては、たかがゲームパチンコ規制されたぐらいで娯楽には事欠かないでしょうから、そういう悪平等を甘受いただきたいですね。
いや、「そこまで糞な環境の家庭はもう無視して構わんよ。自業自得。甘え」という立場のみなさんにまで強制はしません。
ただ、先に挙げた家庭モデルってのは、お受験のない学校ではごく当たり前のケースだってことは理解してください。まあ数にして全世帯の半数以上でしょうか。
横増田
じゃあいいじゃん、って思う。きちんと年齢制限をかけましょう、という話だよね。それのどこがここまで大きな問題になるのかよくわからない。
日本ではR18指定は事実上の発禁に近い扱いになる。厳密に言うと、狭い日本でのリアル書店の都合とかコンビニとかの都合があって、商業的にほぼ死ねる、という意味なんだけど実態としてはそういうことになる。
かろうじて「抜き用」ことに特化したR18エロ作品は専門店やネットといった細々とした流通がないこともないのだけど、逆に言うと「抜き用」でない作品は完全に流通手段が断たれる。現実にはエロも含めてR18流通はあまりに現実的じゃないので同人化でアングラ流通、というのが流れだよね。
加えて、そもそもR18にするほどのものなのかという問題もある。何故なら、R18にする法益は青少年の健全育成ということにはなっているのだけれど、健全という言葉そのものが元々恣意的な言葉だもの。
今回の適用範囲は色々定められてるけど、そもそも論で言えば現在の漫画流通ではあの範囲に入るものは既に全て自主的にR18になっている。じゃあ規制してもいいじゃんと思うかもしれないけど、これ逆だよね。
よくネタに上がる雑誌にチャンピオンREDいちごがある。俺は話を聞いて一度チラ見しただけだから外してるかもしれないけど、俺がざっと見た限り今回の適用範囲を拡大解釈せずに考えれば該当しないと思った。でも、大前提として、議論の真っ最中に問題になったチャンピオンREDいちごは「該当する」というか「該当させる」んだよね?てことは少なくとも俺から見れば「既に」条文読んだ通りでない基準で運用されていることになる。
この条例に反対するなら、「なぜ青少年を主な対象とした雑誌にエロいことを描く必要があるのか」ということに対して合理的な説明ができないと説得力が弱いんだけど、そこを説明してる人はいない。
いや、自由がデフォルトであって、自由でない状態の方に合理的な説明がいるはずなんだが、それすら分からん人向けに説明した方がいいの?
うーんとね、性表現や暴力表現は表現技法としては古来より定番のものであって、これを規制するとはっきり言ってあらゆる表現が大幅に狭まるよ。最も原始的な衝動の一つだからね。「これ施行されたら古典の名作は片っ端から漫画化禁止だよな」なんて冗談みたいに言われてるけど、そりゃ当然だ。
本来なら性表現に限らずどんな表現技法にもこれが使えないことで狭まる表現というものはある。ウンコの詳細な描写があってこそ素晴らしいという作品が存在し得ないと誰が言えるのか。言える奴は馬鹿だよ。これは冗談やネタではなく大真面目な話。それが芸術における表現の自由ってもの。
性表現なんて全くなくても素晴らしい作品は書ける!!って言い張る人はそりゃいるだろう。うん、そりゃ性表現なしで書ける素晴らしい作品は世の中に存在するだろう。そして一方で素晴らしい作品が確実に減るということだけは断言できるね。それが半分なのか1/10なのかは知らない。
そもそも表現を規制することが問題だ、っていうのもあるんだろうけど、一昔前にバトルロワイアルの映画がR-15になって世を騒がせたけど、その後表現規制に繋がった?バトルロワイアルが見られなかったから成長に重大な問題が生じた人がいる?
まあ一般向け邦画でやんちゃはしにくくなったってのはあるだろうねぇ。逆に比較的小規模な映画はやんちゃして政治家の介入を招いたら勲章みたいなとこもあるけど、それなりの予算でやる映画じゃ火中の栗だわ。どちらにせよ「規制を恐れずに使える表現は減った」とは言える
バトロワが見られなかったら~というのはどういう意図か分からんけど、原作はなかなか良い作品だったし映画もまあまあの出来だったし、むしろ青少年に見せてこそ考えさせられる作品なので、見たいけど見られないというのは自分の頭で考える機会を一つ失うことになるね。とても残念なことだと思う
春画が本格的に禁止されたのは明治時代からだよ。江戸時代はむしろ春画はご法度ではなかった。
その後の表現規制?今でも春画は猥褻物陳列罪の規制対象で美術館にも置けませんが?
日本人に何か重大な問題?江戸時代に発展した浮世絵という今や世界的にも名高く知られた芸術技法が完膚なきまでに滅び去りましたが?
春画なんてアホな表現規制のせいで芸術が一分野丸ごと滅び去った典型としてしょっちゅう例に挙げられる代物じゃないか。
結局はなぜ規制するべきなのか/してはならないのか、という双方の意見の根拠が曖昧なままだからここまで混乱するんだと思う。ただ、子どもの育成に定説がないように、どうすればいいのかなんて永遠にわからないんだと思う(ましてや「健全な育成」なんてね)
厳密に適用するなら、むしろ未成年は書店自体に入れないようにして全域デフォルト18禁。読んでいい本は親の判断して買う、とでもするか?子供にどんな本を与えるかは親の裁量権であることは現行制度でも大前提なので、突き詰めるとこういうことになるな。うん、まあ、日本の文化は死滅するな。
個人的には逆。今や情報が何でも手に入るご時世、18禁という考え方自体が既にもう古いと思う。その気になれば超過激な同人がネットで手に入るんだから、あらゆるコンテンツが世の中に存在する前提で、それとどう付き合うか親と子供がちゃんと話し合っていくべきだろう。そもそも論としては別にエロが氾濫したところで犯罪が増えるわけでもないのは既に分かってるんだから、これって親の道徳方針に合うかどうかだけの問題だよ。
親が話し合わないならどうするか?そりゃ何でもOKでいいでしょ。そんなの余所様が決めることかよ。政府はママのママじゃねえ。
ちょっと極論に聞こえるかもしれないけど長期的にはそうなっていかざるを得ないしそうなるのが健全だと思う。
ただそういう理想論はともかく、狂信的な道徳観念を持ってる人たちは、それを余所様の子供を含む日本人全体に押し付けたいと思ってるからね。
彼らの健全の定義が毎日日蓮宗の仏壇に拝むことだったり毎週日曜に礼拝に行くことにまで進んじゃっても驚かないよ。そこまで露骨なことを口にするかどうかはともかくとして、真面目な話として「(実犯罪と無関係な)道徳的健全性」の定義は「特定の宗教的価値観への合致」であることは多い。
現に今の日本でも彼らは公教育での宗教教育なんて言葉を本気で平気で口にするし、現に今まさにこの議論の中で健全の定義の中に平気で同性愛の排除を入れてるじゃないか。冗談抜きで規制がそういう方向に行った国も少なくない。それってイスラム教国とかじゃねえのかwwwって話じゃないよ?韓国とかそういう「普通の」国だよ?
この法案は、あまりにも筋が悪いので、過去、すべて廃案になっている。
この法案は、令状無しに捜査し、証拠を確保し、しかも、裁判無しに有罪判決を下せ、上告の権利は一切無いという、国家権力を私する人権擁護委員による人権侵害を合法化しようという内容である。
現状の裁判手続きにおいて十分に処理できる問題なのに、差別ではなく区別であった事がバレてしまうと裁判に勝てないからという理由で、部落・在日が、民主党や自民党の一部の選挙区の代議士を担ぎ上げ、自分達を特権階級にせよという法案なのである。
このような筋の悪い法案を審議する事をムダと言わずに、何をムダと言うのであろうか。官僚のやる事はムダだが、議員のやる事はムダではないとでも嘯くつもりであろうか。
官僚にしても、文部省が朝鮮学校に対する高校授業料無償化において、学習内容は不問とするという方針を打ち出したというニュースもある。学習内容を問わないのであれば、公教育制度自体が不要となるという事に気がつかなかったのであろうか。
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資産を求めない場合、女性に相応の資産がある→そんな男を好きになるのは裏がある
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女性に相応の資産がないのに、男に資産を求めないのは、ともに滅べと言ってるようなもの→その女はメンヘラなので関わらないほうがよい
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よって男の資産を当てにしない女は信用できるものではない。
そういう経験があったんならそう思ってもしょうがないんじゃないかな。
俺も幼稚園の頃に先っぽが痒くていじってたらおっきくなって、服屋さんで「まんまんみてみてちんちんおっき」発言して頭叩かれたことがある。もちろん当時は何が悪いのかもわかるわけがない。ふりかえって「なーんだ、そういうことだったのかー」とひざポンするわけだ。
公教育でも受精のしくみなら高学年の理科の授業で習うし、勃起そのものも中学校保健で習うから、知らないっていうのはなくなるだろうけど、その子供が、その時に一連の知識を持っているかというと正直疑問だね。
背徳感がその子にあれば、「家で一人でやれ」で済むとは思うが、それすらない場合は、ちょっと困るね。最終的には体育会チックに「おじさんたちもそうやってきたんだ」と凄みを聞かせるのも方策としてはありか。
やがて来る就職活動国際化時代を生き残るための知恵 http://kaigai-shushoku.blogspot.com/2010/06/blog-post_16.html
企業依存症、日本依存症の人が増えています。企業への依存とは、ある特定の企業でしか通用しないスキルばかりを修得してしまったがために、他の会社で通用しなくなってしまうことです。企業へ依存してしまうと、会社が傾き待遇が悪化しても、つまらない仕事ばかりさせられても、人間関係がもつれても、家族がいるのに転勤を強要されても、会社に行くのが心の底から嫌になっても、「不満を抱えて働き続ける」「路頭に迷う」「やりたくない他の仕事をする」「自殺」の四択を迫られてしまいます。
日本依存でも同様のことが言えます。自分自身が気をつけていても、他の人があほな政治家に投票をしてしまい、おかしな政策を打ち出されることもありえます。例えば、スロバキアのように、子供を手当てを行った結果、貧困層が手当て目当てで子供をたくさん作り、財政が逼迫したから、子供を手当てを打ち切った結果、貧困層が路頭に迷い、犯罪が増加し、富裕層が夜一人で出歩けないようなことになってしまうかもしれません(※1)
また、日本が未曾有の不況に襲われることもありえるし、公教育の質が低下して技術者が育たず、お隣の国に車でも電化製品でも負けてしまい、日本そのものの国際競争力が低下してしまい、大勢の従業員を抱えた車やエレクトロニクス産業が低迷し、関連企業や関連産業の雇用が悪化して、自分がクビをきられるかもしれないし、クビを免れても従業員が減ったしわ寄せが自分に来ることもありえます。
自分がどんなに気をつけていても、こればかりはどうしようもありません。そんな時、日本から脱出できなければ自分はもちろん、自分の家族や子供も、自分と同じ苦しみを背負うことになります。そうならないように、どんな時代でも、どんな場所でも働けるような、普遍性の高いスキルを身に付け、いつでもどこでも働けるように備えておくのが重要です。
スキルは、"soft skill(ソフトスキル)"と"hard skill(ハードスキル)"に分けることが出来ます。この二つの言葉は、まだ日本では耳慣れない人も多いかと思いますが、欧米のビジネスの場では比較的一般的な観念です。(※2)
ソフトスキルとは、人当たりのよさ、コミュニケーション能力、リーダーシップ、振る舞いなど、他社との関わり方を決定するスキルで、EQ(心の知能指数)と深く関わっています。
EQテスト http://www.unnmei.com/eq.html
ハードスキルとは、 特定業界に関する知識、数学や経済学などの学問、会計などの実践的な技能、言語、コンピュータスキルなど、IQと深く関わっているものです。教育機関で教わることも、独学で学ぶことも比較的簡単にできるのが、ハードスキルです。
日本の新卒採用では「コミュニケーション能力」などのソフトスキルが非常に重要視されますが、日本人が世界で働ける普遍的なスキルを持ちたいと思ったなら、ソフトスキルよりもハードスキルを重点的に磨くべきです。
ソフトスキルはハードスキルと比べて、文化に大きく依存します。例えば、はっきりした物言いはアメリカではソフトスキルが高いとみなされますが、日本ではむしろソフトスキルが低いとみなされる傾向があるでしょう。
ただし、ソフトスキルが飛びぬけて高い人なら、話は別です。今まで接したことがない未知の文化を持つ人に対しても、表情や仕草などから、その人の感情を読み取り、瞬時に適応することが出来る人もいます。
しかし、そんな飛びぬけたソフトスキルを習得するのは非常に困難です。表情から心理状態を読み取る方法や、心理学などを勉強し、さらに実践を重ねれば、どの国の誰に対しても、うまく接することが出来るようになるかもしれませんが、膨大な時間を費やすことになるでしょう。
また、欧米では一般的には「専門的な技能を持った即戦力」が求められている人材です。外国人なら、特にそうです。外国人を雇って、現地人より教育にコストがかかってしまうのでは、わざわざ外国人を雇う理由がありません。
以下の条件を満たすハードスキルがより普遍的であり、習得すべてきでしょう。
2. 長期的な需要が見込める
3. 供給が不足している
4. 流用可能
(例、英語、プログラミング、教育学、料理、Windows、Microsoft Office、Supply Chain managementなど経営学、etc)
国や文化に依存せず、一度習得してしまえば多少の応用するだけで、多くの国で使える技術や知識が「世界中で需要がある」スキルです。どの国の経済も好調なときや不調なときがあります。今は経済的に強い国も不調だったことがあります。日本もそうです。わざわざ景気が最悪な国で働く必要はありません。日本の景気が最悪であれば、少しでも景気が良い国で働くことが賢い選択ではないでしょうか?
それを実現するためには、世界的に需要があるスキルを身につけることです。例えば、英語はすでに国際語ですので、英語を使えれば世界中どこで働いても、研修を効率的に受けられます。そのため、企業からすればその分コストを低く抑えられるのです。
2、長期的な需要が見込める
何か一つスキルを習得したとしても、そのスキルそのものの価値が下がってしまっては下も子もありません。例えば、ある会社の営業がある製品の特徴について必死に覚えても、その製品が発売されなくなり、類似製品や後継製品なども全て生産終了したら、その製品の知識は全て無価値になり、そのスキルに対する需要は激減します。そうならないように、自分が退職するまでは需要が見込めるようなスキルを習得することが重要です。(※3)
3、供給が不足している
世界的に需要があるスキルでも、すでにそれを習得したライバルがたくさんいて、供給過多になっている状態では就職できるかどうかわかりません。しかし、供給が不足しているスキルを習得していればライバルが少ないので、比較的簡単に仕事が見つかります。
しかし、「どこで」供給が不足しているか見つけるのは困難です。例えば、日本には日本語修得者がたくさんいるため、日本語修得者の供給は足りていますが、スロバキアでは日本語修得者の供給が足りていないか、かろうじて足りている程度です。また、プログラミングやパソコン全般に関する技能に関しても、 IT産業では有り余っていても、例えば服飾産業のA社では「一人か二人いてくれたら非常に助かる」と、供給が不足している可能性もあります。ただし、企業自身も自分に何が必要かを理解できない場合があるので、常にアンテナを広く張っている必要があります。
4、流用可能
2、「長期的な需要が見込める」で記しましたが、需要があったスキルもその価値が失われる可能性があります。しかし、修得したスキルの大半を他のスキルに流用できれば大きな問題にはなりません。例えば、C言語がなくなったとします。そして、新たにD言語というのが生まれて、英語ではなくドイツ語をベースとしたプログラミング言語になったとしても、C言語から得た、「プログラミングの考え方(アルゴリズムなど)」は失われないので、始めてC言語を勉強したときよりは早くD言語を修得できるでしょう。
また、需要が合ったスキルの価値が失われなくても、スキルを流用し、新たなスキルを修得することも出来ます。例えば、英語を勉強し、文法を理解したことによって、文章を構造的に捉える能力を修得すれば、新たな言語を習得しやすくなります。
2chの住人や年配の方など、海外に長期滞在したことがない人の一部が「日本より暮らしやすい国はない」と信じているようですけど、それは間違いです。
まず、大都会に行けば基本的に何でも手に入るし、交通は便利だから、不便は感じません。日本食だって、日本で食べるより美味しい日本食を食べられる場所もあります。
また。日本より天候が穏やかな国もたくさんあります。スロバキアなどは、日本レベルの台風や地震がきたら、恐らく都市が壊滅するレベルです。それだけ、気候が穏やかなのです。また、夏も日本の夏と違い、空気が乾燥しているので、すがすがしい暑さです。クーラーはいりません。蚊も日本ほど多くはありません。蝉もうるさくありません。
治安だって、きちんと安全対策を講じていればまず問題はありません。昨日は11時過ぎに、一人で2km散歩しながら帰りました。全然余裕です。
水ももちろん飲めます。むしろ、スロバキアの水は、確実に東京の水よりは美味しいです。 一部の日本人は体質によって受け付けないそうですが、それでもたまに下痢する程度でしょう。
投資のことわざに、「全ての卵を一つのかごに盛るな」というものがあります。これは、全ての玉蛾を一つのかごに持っていたら、そのかごを落とした時点で全ての卵が台無しになってしまうから、卵を複数のかごに分散させたほうがリスクを回避できるということです。
日本依存、企業依存は、「このかごは脆そうだし、心配だなぁ」と文句を言いながら、自分の人生をひとつのかごに乗せているようなものです。普遍的なスキルを修得して海外移住をすることは、「リスクを伴った挑戦」ではなく「リスク回避のための戦略」なのです。自分と、将来の家族や子供たちのために、少し考えてみる価値はあるのではないでしょうか?
すみません。引用です。というより、ほぼ転載です。URLを忘れていました。
http://kaigai-shushoku.blogspot.com/2010/06/blog-post_16.html
「おもしろいと思ったら転載元のほうもはてぶしてください」
【橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院大教授、内田樹さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm
「学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。
確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリのごまかしである。学力がテストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。
日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験に合格したり一流企業に就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。
「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習の時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。
すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義、能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプの子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。
こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。
西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。
ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツでマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。
日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会の流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育が
という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会の流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。
現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。
ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。
そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義の仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。
色々なタイプの子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。
しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプの子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20100126144611
だけどあなたがキモオタだからモテない、モデルになれないってのは差別じゃないの
言葉がどうこういうのなら、
その言葉が存在して使われるのは当然分別に必要だから使われてるだけ
そもそも逸脱って何から逸脱してんだよwちゃんとした日本語使えよ…
後何度も消して書き直すな、うぜぇ