はてなキーワード: バランスとは
はてなでウェブ上を巡回していると気づくが、ブクマ数毎に記事・ブコメの質が変わってくる。ただブクマが多ければ記事の質も比例してよいというわけではなく、数に応じて傾向がある。
人気ブクマには上がらず、その情報を探していた人にとっては有用な情報が記事になっている。またはブクマする癖のある人がふらっとブクマしただけ。
その情報を探していた人にとっては「非常に」有用な情報が記事になっている。特定の人ではなく、特定の分野(カテゴリ)に属する人が集まり、コメントも属性の近い人同士で有用な意見が集まる。
この辺りからホッテントリに表示されるようになり、特定の分野に関係の無い人、また同じ分野でも記事の意見に否定的な人が集まってくる。id指定のディベートも起こるようになるが、「あなたはこういう意見、私はこういう意見」という互いに頬をひっぱたき合って互いに納得する、調和が取れた状態で落ち着く。
ブクマが二分している状態または片方の勢力にドヤ顔でケチをつけ、「多数勢力になびかない俺かっこいい」的コメントを残す人(はてな村中級者に多い)が段々出てくる。
※ただ、既に31〜100ブクマで議論が交されたところにいきなり踏み込むと、その議論が起きるまでの経緯なしに目にすることになるので「何こいつら熱くなっちゃってんの」となってしまう心情は理解できる。
このような流れなので、せいぜい250ブクマまでが記事、ブコメ共に楽しめるバランスのいい状態。これ以上ブコメがつく記事については、そのブクマ数に達するまで短期(0〜2日)か中長期(3日〜)かで質が分かれる。
割と常識過ぎてその筋の中上級者には記事にする気すら起きないような内容(Excel で If の空白処理とか)だが、初心者には目からウロコとなるような記事はホッテントリに上がるや否や凄まじい勢いでブクマがつく。こうなると、「やり方が間違っている。正しくは○○だ」という親切心や「こんな適当な記事でブクマ数集めやがって」という嫉妬、「なんでこんなブクマついてるの」という、ブクマするお前が言うなっていう大衆忌避のブコメがダイソン状態で集まってくる。こういう記事は内容だけ軽く頭にとどめておき、ブコメの阿鼻叫喚ぶりをサラっと眺めてページを閉じるのが精神衛生上ちょうどよい。自分も熱くなってしまったら負け。
こちらは、記事の内容がよく推敲されておリ、脊髄反射的によさげな雰囲気だけでブクマされたものではなく、内容を丁寧に読んだはてな村民が丁寧にブクマした結果で時間を掛けてブクマ数が増えているため、内容が自分に合っているのであれば素直に便乗してブクマしておくべき記事である。ブコメも(ブコメ数)/ 100 ぐらいの数で記事に新たな視点を加えるような建設的・効果的な意見が上がっていることも多いので、はてな村民としては「ブクマが多いページをブクマして多数になびいたら負け」という気持ちからブクマをせずに閉じてしまいたくなる衝動にも駆られるがそこは我慢。新しい知識を得るための痛みだと思って恥を捨ててブクマした方がいい。
2011.3.11 の震災以降、情報に敏感な人が増えたのか、昔よりも記事のブクマ数が増えてきたように思う。ユーザ数が増えることは称賛すべきことだけど、(どんなサービスでもそうだが)多くなりすぎるとノイズが増えすぎてコンテンツの質を損なってしまうことが多々ある。
だけど読むべき記事、読まなくていい記事、コメントしなくていい記事など一人ひとりで基準を持って使っていれば、(時代の流れやユーザ数の遷移に伴って基準は修正しなければならないけれど)自分が得たい情報以外に無駄な感情や精神力を使わなくて済むので、はてな村の皆様もぜひはてなリテラシーを高めて過ごして頂きたく。
元増田です。
「ゲームが本当に面白くてハマっている人=金払いのいいヘビーユーザー」と「だまされてだらだらとハマっている人=厳密な意味でのカモ」を峻別することが可能なのか、ということです。
両者とも行動上はプロスペクト理論上において区別はできない(と思われる)のですが、運営側からすると区別が可能であり前者が多いという事実がある、
もしくは前者が多数であるとしておくことが会社の体裁としてよろしい、ということであれば「何が悪いのかわからない」といういしきでいることはそれほど不思議ではありません。
同じようなビジネスで、ソーシャルゲーと比べて相対的に高い評価を与えられていてバランスがとれてないビジネスがあったら教えて。
分配金の多い投資信託の販売方法などは、これに近いものではないでしょうか。
「先に得るであろうお金をより身近なお金に重きをおく」という錯覚を利用しているという意味においてですが。
また、社会的に高い評価を得ているかは疑問なのですが、被害者が多い=とりあえず成功はしている、ということを理由に一例としてあげておきます。
批判の対象をもう少し広げて「人の錯覚を利用して不当な利益をあげることができるビジネス」とすると、おそらくケタ違いのビジネスもあるのでしょうが、
一番の理由は、「ソーシャルゲーの何が悪いかわからない」という、(おそらく内側の人間の)発言があるからだと思うよ。
それがなければ、パチ屋なんかと同じで「下衆な商売してやがんな」という認識があるだけで、わざわざどうこう言ったりしない。
仮に、パチ屋が「パチ屋の何が悪いかわからない」と言い出したら、同じように否定する。
点数で評価するなら、この側面において評価すると-20点ぐらいであるにもかかわらず、世間的な評価が総体として-120点ぐらいであるとすると、なんだか気になりますよね。
世間的な評価はそこまで悪くないと思うよ。それははてな界隈とか、限定的な評価じゃないのかな。
できれば
同じようなビジネスで、ソーシャルゲーと比べて相対的に高い評価を与えられていてバランスがとれてないビジネスがあったら教えて。
光の当たり方と見てる人の立ち位置で同じものが違うように見えるのと同じで
お前の主観と状況によって、お前の正しさは嘘と本当の領域を行ったり来たりする
お前の主観があるかぎり、どこまでいっても自己肯定だし、自己否定だ
お前が欲しいのは、矛盾を解決する手段か
それとも楽でいれる姿勢なのか
お前の矛盾を解決した所で、楽になれるとは限らない
楽でいられる姿勢を確立した所で、矛盾は解決しないかも知れない
理想が高いんだ、人の手には余るほどに
それを許せるか、それとも諦められるか
どんな決着をつけるにしろ、お前はもうバランスを崩している
長文。愚痴。
じいちゃんばあちゃんに孫の顔を見せてやりたいという気持ちはあるんだが。結婚が一人でできるのなら、明日にでもするんだけどさあ!一人じゃ!できないからね! プラナリアになりたい!駄目だ! 増えるだけだ!!! 遺伝子の可能性が生まれないね!!! 今の世の中大学高校までに恋愛できる方法を見つけておかないと、途端に難易度上がるよね結婚て。大きい企業とかに入ったらまた違うんだろうけど、会社にいる人は数人で、しかもみんな結婚してるよママー。っていう場合、そもそもどうやって相手を見つけるのかっつー話ですよ。皆様、結婚相談所とかいってるバカにしないでくれたらありがたい。友達もみんなオタクとかだと、横の広がりの帯にそもそも男が含まれてないんだ。友達も多くはないしな。……友達作れって話か。でもあなた達、そういう行為を卑しいっていうじゃないですか。必死な人ってみにくいっていうじゃないですか。わたし不細工だしな。不細工があがいてるのってみっともねえって笑われるんですよ。笑えんだろ。そうできる方がマシだってことは知ってる。知ってるんだ。しかも30過ぎたら、女に価値なんかねーんだっていうんだって。それが総意見じゃなくても、そういう人達が多数になってくるんだって。(もっと下じゃねーと意味ねーよっていう人もいるだろうけど置いといてください)30すぎて独身だと死ねコールされてるみたいじゃない。そういうのは気にすんなって話なんだろうけど、さあ?言われてるのを知っちゃった以上、サラっと忘れられるわけねーって。全部忘れたい。無邪気に微笑んで可愛い子になりたい。そういう子知ってるけどまじかわいい。天然物の天然ってマジで可愛い。顔も可愛いし。
大人になって気づいたのだが、本当に女ってものはホルモンバランスで機嫌が崩れて腹だたしいのよ。自分の状況がどんなに上がってても問わずで、気分が下がるんだよ…。下がってる事実に気づいて「下がってんなー仕方ないなー頑張るかー」って思うしかないし。でも勝手に結婚したいなーって体が思うんですよ。めんどくせー。しぬほどめんどくせー。独身でいるとこれを50過ぎまで毎月繰り返さんといかんのかーきつーーいーーー。って、なるんですよ。生殖器貸出制にして欲しい。リア充はみんな幸せになってお金を稼いでください。私は私の食い扶持を稼ぎます。
男はよくわからなくて近寄れないが女は怖い。そもそも友人と家族以外がみんな怖い。みんなさあ、いじめたりさあ、いびったりさあうらぎったりさあ、よくやるよね、めんどくさそうなのに。でそういう性差ゆえと言われている醜い所が自分に見えると、ほんとうんざりする。なのに自分は嫌いになれないしなあ。第三の性があればいいのに人間に。もうざっくばらんに 性別:エトセトラでいいよもう。男にも女にもなりたくないが、そういうわけにもいかん。体はそうは言っていない。言うこと聞けや。仕事だ明日も仕事。休みなんかしばらくねえやい。しかし健康のために体重落とさないと。そして働いても金はたまんねえし。しかしお金貯めないとあと10年ぐらいで死ななきゃいかんわい。先が暗い。がんばれー。しかしさあ、そもそも結婚に恋愛って過程が要らんじゃん…、っていいたくなる。まともな恋愛って何よ。社会の基盤づくりを個人のスキル重視にし過ぎちゃだめでしょ。それより自分の腕を磨きたいってずっと思ってきたのに今更裏切られるわけ。何に裏切られてんだ。自分か。寒いし寂しいのか。馬鹿か。
はあ、ミカンの木になりたい。
自分の体で雄花雌花顔しべ雌しべが完結してればいいのに。ミカンもできるし。食べられるし。光合成するし。成長しきると植物って光合成しなくなるってほんと?
(あとミカンに関してはほんと良くしらないんで間違ってたらすみません)
http://anond.hatelabo.jp/20120131130845
そこ明確にしないと。
料理作れて当たり前の人は「当たり前だろ」で通りすぎてしまうけど、作れないのが当たり前で育つと、なんで作らなくちゃいけないのかが理解できない。
インスタントラーメンで済むなら、それでいいじゃん。
まずは、人間が健康で生きられる標準栄養摂取量を教える。一日1600キロカロリー摂取するとして、炭水化物が960キロカロリー、タンパク質が320キロカロリー、野菜が80キロカロリー、乳製品が80キロカロリー、油脂類80キロカロリー、調味料80キロカロリー、くらいの配分で食材を揃えて食べる必要がある。
サラダを300グラム。ご飯をお茶碗4杯、肉を400グラム、ヨーグルト一個。もう、献立が浮かんだね。そうだ。ステーキとサラダ。これを毎日作ってもらってみ。
サラダはパックを買ってくればいい。ご飯は炊飯器が炊いてくれる。肉を焼くのは、たぶん、10回もやれば覚えるだろう。ヨーグルトは出来合いでいい。
で、これを基本にして、奥さんが料理に慣れてきたら、サラダを酢の物に変えてもらってみるとか、肉を魚に変えてもらってみるとか、応用していってもらえばいい。
カレーとかラーメンとか、作り慣れてる人は簡単だけど、初心者には案外難しいんだよ。サラダはボウルに盛ればいい。ご飯はよそえばいい。肉は焼けばいい。そういう料理のほうが簡単だし、栄養バランスが取れてくるから、体調も良くなってくる。
若い人の指名が多い人も居たけど
私、おじさんに人気があった。
同伴だったりアフターだったりは
誘われれば頑張るし、
優しくするよ。
男性ってやっぱり優しくされたら嬉しいじゃない
でも、頑張ってる自分が怖くなるの。
うん。だってね頑張るって営業すると
1日3桁の売り上げくらい、簡単に出来ちゃうわけ。
おまけに店外ではおいしいものたべさせてもらって
プレゼントまで買ってもらえる。
なんかもう、罪悪感でいっぱい、って感じ。
奥さんとか子どもに注いで上げればいいのにって。
でも、男ってそういう風にどうしようもないバランスのところで
守れない種族なんだよね。
でもさーどうしてもダメだった。
お金を運ぶ人だけとはどうしても見れなかった。
商売人になりきれなかったんだね。
そう。作戦で「そんなに高いの入れてもらわなくてもいいです」って言う子は
いるけど私は本当にやめてほしいと思った。
そういうことが重なると自分がなくなっていく。
アフターで寝たとしても
寝たのにお金いりません、その代わりまたお店来てくださいって言う余計なサービスしちゃったり。
うーん、売り上げの増やすために働いているはずなのに
どんどん自分が減っていくんだ。
そうなの。あと同伴とかアフターで色々買ってもらったりお小遣いもらったりすると
嬉しさってまったく無いの。
タクシー無駄につかったり服買ったり友達呼んでパーッとしたり。
あとは、男友達と3Pしたりして
なんか、自分が壊れそうなのをさらに壊そうとしてた。
じゃあ、羽振りが良かったり散財するのは
何も標準の生活レベルで暮らせないわけでも見せ付けて賞賛されたいからでも
はなくて罪悪感を消すために罪悪感の元になるお金を捨てるように遣ってるんだ。
そうそう。なんか通帳に一緒混ぜちゃ行けないお金のような気がして
年の差カップルの難点は性欲の差だよ、まじで。
月に4日前後のやりたい日がある以外の日はあまり興味がない、というのが一般の説らしいのですがどこまで変化するのやら。
女性は年齢と比例して性欲が増幅していくらしい。年齢とともにホルモンバランスとかの変化があるのかもしれないけど、それだけじゃないと思う。
本音ペースで言っちゃえば、社会的なスキルとか人間的な魅力が上昇して性を武器にしなくても良くなった(あるいは、できなくなった?)ことに起因している。
女性は性欲をおおっぴらにすべきでない!みたいな社会風潮も関連はゼロではないと思いますが、やっぱり若いときは性は
最大の武器でありエサであり切り札なわけです。そしてその切り札の市場価値を高めようと思ったら
供給を減らす、つまり”出し惜しみ”戦略をとったほうが効用がより高まるわけです。
供給を減らすことで価値を高めることを意識して行っているのかどうかはわかりませんが、
『心は許しても身体は許さない』みたいなスタンスをとる(若い)女性が多いのは、
『希少価値の演出』という意味も含まれているのではないでしょうか。しかしながら、年齢が上がると武器の威力は相対的に低下してい
くので、だんだんと、若さと言うフィールドでの出し惜しみ戦略の出し惜しみに対する効果が実感できにくくなって意地を張るのが面倒になってくるんじゃないかと思います。
そうすると頭で性欲と言う本能を抑える必要が少なくなって本当の性欲が自分に戻ってくる、という心理的な面での性の開放もあるのか
と。抑圧していた情動が戻ってきたという感じ。だから40歳以上の女性の出会い系サイト経由の妊娠が増えているのかもね。高く売れうるときに高く売る。
これ、商売でも才能でも能力でも鉄則だよね。で、売れ残ったら他の部分での女性性で補えばいいのだから何の問題もない。これがココ・シャネルの名言の
忘れないうちに幹事についてまとめる。
あとでトゥギャッターにでもしよう
本当に来ていただいた皆様には感謝
で今回は一応無事になんとか終わった印象。
少し私が顔とIDと経歴とを間違えてて不愉快にさせてしまった可能性は否めない案件はあって
hwoffについて、57人参加で運営上の大きなトラブルがないのは奇跡に近くて
それに甘えてる幹事な私。
普通このくらいの規模ならば、連絡なしのドタキャンが発生することは否めないし
可能性としては織り込まなければならない。
その場合にキャンセル料はどする?全額請求するのか、参加者につけ回すのか。
今回はドタキャン発生が皆無なのは本当にすばらしい、金銭的な収支も計算どおり。
実際はこれに対処する術をもっていない
現状1人でやってるってのは良くなくて、不測の事態が起きた時に対処が遅くなる。
本来ならばすでに1人でまわすことが無理あって
hwoffの参加者が行儀がいいだけの話。
なんで一人幹事ばかりなのかっていうと、話しあうとか意思疎通のコストが高いと思い込んでるから。
対人関係をうまく構築できないといってもいい。
運良けりゃ回るけど、最悪なことが起きた場合 例えば私が当日42度の熱出てほんとに動けないとか
そんな時を想定すると1人で回すのは愚の骨頂。
マネジメントみたいな話になると思うんだけど、もう少し
自分でやったほうが早いとかいってないで、自分の分身をつくらなきゃまずいよね 的な。
結局1hくらいはLTやってた、このあたりのバランスは確認したい。
全部に興味ある人はいないだろうし、それを考えるとLTを挟むことの是非とか。
もともとの趣旨は顔見せて集まることの少ないエンジニアの交流促進なわけで
そーすると無くてもいい事項か。
会費については5000円が妥当か。しゃぶ庵で3.5h専有して とか考えると
高いとは考えないが財布の状況を考えると軽食程度にして4kとかに抑えることも視野に。
今お越し頂いてる層が上は50くらい 下が19くらいなことを考えると微妙
大半は社会人なのを考えると5kにして、未成年とB2~M2まではキャッシュバックみたいな事を考えるか。
→コストどーすっかね。
例えば立食で軽食で4h専有できて60人でみたいなスペースはあるんじゃないか
しゃぶ庵のご飯は僕は好きだし美味しいと思うけど、それをメインにしてる人もいないのは事実
そーなると軽食のがいいのかしら。
これからの規模について
もし1人体制を改めるならより大きくする方向はありか無しか。
それとも縮小させるか。
すでにある程度顔見知りになってしまってる人が多いので
このまま回数重ねて同じ人ばっかりになるとコミュニケーションの方向性が内向きになることはやむを得ない。
すでに常連みたいな人は30人を超えてる。
そーなると新しい人が入りやすい、コミュニケーション取りやすく促進をはかるならば規模は増大させるほうが望ましkうはある。
いまの規模の制約条件は、私個人が幹事である、私の知り合いに基本声かかる 宣伝の問題なんか。
規模大きくすると、特徴性が薄くなるのは仕方ない。
もし来場者の満足度を最大限高める方法って。。?つうか顔見知りばかりなら僕が主催しなくてもいいよね。
もし規模を拡大するならば、親和性の高そうなところに声をかけるのはありではある。
例えばtggdとかUNIXのAndroidのとことかmbedのところとか
規模拡大させればいいこともあるし当然トラブルが増える可能性は非常に増大するよ。
定期的に開催することの意義はホントにあって
次いつやるかわからないよりは、来年もあるよね ってのが集客しやすいよね。来やすいだろうし。
会場にお願いの連絡いれて12/21にATND立ててしばらくはtwitterで広告みたいな感じか。
なので
もし来年も動くならば、それも一人でやらないなら少なくとも12/15くらいには動き始めようね 的な。
ということで乱文ですがざっと今回の0128hwoffの思うところでした。
「君たちは何のために学問をするのか 何のためにこの松下村塾に来ているのか?
日本のため人々のためといいますが、具体的にはどういう人々ですか?
的を見ずに矢を放っても的には当たりません 目的のない学問はすべてが無駄になります
何のために学問をするのか、それは学問をしたくてもできない人のためにするのです!
人々のためとはそういうことです 諸君が松下村塾に来るのは 松下村塾にも来れない人々のために来ているのです
それがわかれば一分一秒もおろそかにはできないはずです みんな私の代わりに力のかぎり戦ってください」
吉田松陰の講義は平地にありながら最新の情報に溢れており、藩校である明倫館をしのいでいたとされる。
(松陰と京都で知り合った勤皇思想家梅田雲浜=安政の大獄第一の逮捕者もこの頃松下村塾を訪れ各藩の政治状況を伝えたりしている)
とはいえ罪人の開いた私塾であるから白い目で見られ、上士の子である高杉晋作や久坂義助などは親の目を盗んで通ってくることになる。
(その他の生徒は貧農の子伊藤俊助、足軽の子品川弥二郎、中間の子山県小助など。)
松陰は一方的に教えるのみではなく、様々なテーマを与えて生徒に調べさせ、
順番に教えあい、その時は松陰も生徒となって学ぶ。これは野山獄時代と同じ。
学問といっても磁極を論じたりしているのであるから、しょっちゅう凄まじい議論となり、
先生も生徒も一緒になって朝まで大激論を戦わせたりするのであった。
したがって、松下村塾には遅刻も早退もない。各自の都合で来れる時間に来て、時にはその場で働きながら学ぶといった様子であった。
働きながら学び、学びながら働く。松下村塾は常に熱気にあふれていた。
物置を改造した松下村塾はあまりにせまく、毎日入りきれない生徒が庭にあふれていた。
(桂小五郎はこの時江戸にいて、吉田松陰とは往復書簡による師弟関係)
#薩摩 精忠組#
斉彬復帰後も、改革が第一優先であり
お家争いを防ぐため、「高崎崩れ」の犠牲者救済は、政治的バランスを考慮して後回しにされ、
結局流罪にされた者は2年以上放置されることになる。
この当時は、お家の安定が個々人の身分より優先されるのは、むしろ武士であれば当たり前、という時代だった。
斉彬は参勤交代から帰国し、洋式の事業も見通しがつき、斉興・久光派も落ち着きを取り戻してから
ようやく高崎崩れの流罪者が赦免され流罪からかえってくることに。
斉彬に直訴状を書いた。
書いているうちに、まず百姓の上に胡坐をかき、私服を肥やす役人どもへの怒りにうつり
さらに元凶たるお由羅派をなぜ処罰しないのか、という批判に及び、
勢いはどんどんエスカレートしてついには蛮学に湯水のごとく金を使う斉彬への彈劾となった。
(基本的にこの当時の武士というのは全員無知である。何も知らされていないから当たり前だが。
特に薩摩武士は武芸や忠誠がやかましく、下級武士である西郷は狭い学問でも実力は下の下であった。
だから、目についた農村の貧しさについて、その歴史も理解できず、目の前のことがすべてになってしまう。
西郷はこのあとも、斉彬の意図を全く理解できず、そのくせ忠義と称して暴走を繰り返している
しかしこれでも農村の痛みに気づいただけまだましな方というから、どれだけ当時の武士が
ものを知らされず、また忠義と称して暴走しやすい困った気質の持ち主であったかよくわかる。
江戸時代に行われていた偏った儒学や忠孝の教えでは、基本的にこういう愚か者を作ることしかできない)
→しかし、島津斉彬は彼を用いた。そのくらい「手駒としては仕える」人物だった
「考えは180度違っているが、それは今後の教育でなんとでも変えられる
おいそれと変わらぬのが、そちが持って生まれた無私無欲の心 そこを見込んだ。今日からわしの片腕となってもらいたい」
水戸斉昭さえ制御しようとしていた斉彬は、自分が死んだ時や、動きを制御しきれなかった時の危険については一切考えていなかっただろう。
→私はこの頃の西郷のような直情径行ガ忠義という概念とセットに成った、視野が狭くすぐに他人に攻撃的になる人間が嫌いだ。
西郷に関しては当時のことだから納得はできるわけで、現代でもたまにこういう奴がいるのを見ると吐き気がする。
「これといった目的もなく、落ちているものを探すのでもなくただなんとなく歩いているのですか?
我が国でも風流人はそういうことをしますが、それは楽隠居の道楽です。
あるいは無法者、ゴロツキ、怠け者のたぐいです。
江戸で何もせずに歩いているだけの人間など、挙動不審とみなされしょっぴかれても文句は言えませんな」
「日本の役人は世界最悪と言える 犬が何も考えられないのと同じ」
とまぁこれはいいけど、やれ風呂はだめだの山菜は食えないだの、ヤンキーはほんとにwww
「この1年は何だったんだ…国際社会の常識を知らぬ無知な国が相手だ。
彼らには経緯を持った対話を重ねて教えていくしかない。そう思い私は之までずっと耐えてきた。
しかし彼らは頑として心を開かなかった それがどうだ たった一艘の軍艦を見た途端
向こうは大砲に動揺した 私も相手が怯えるように話した
ハリスよりペリーが正しいのなら、言葉はなんのためにあるのだーーーー!」
#攘夷志士の怖い習慣#
今中学生の子が乳児の頃と今じゃ離乳食のやり方全然違うのでは。
栄養バランス取れるなんて言ってる増田も居るけど現実のベビーフード見た事あんのかと。野菜なんて見るからにちょっぴりしか入ってないぞ。全体量も少ないぞ。
殆どミルクから栄養取ってて離乳食はあくまで「食べる練習」な月齢の子ならともかく、大きくなったらあれじゃ無理だ。
大人だってインスタントでずっと過ごしたら栄養不足になるだろ。それが子供なら大丈夫な訳がない。
まあ保育園使ってるなら保育園でしっかり離乳食食わせてくれる筈だから、そこで栄養取ってれば大丈夫かもしれないけど。
つーか元増田は毎朝馬鹿正直に作ってるんだとしたらやり過ぎか要領が悪いかどちらかだ。
それじゃ食べないような拘りの強い子だったら仕方ないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20120127154920
家庭は事業じゃない。旦那は下請けではない。元増田も下請けではない。家庭は上下があってはならない場所。
元増田は無能すぎ。「必要最低限度の家事」は何さ? 風呂掃除なんて、最後にお湯抜くときに、スポンジでなでりゃ十分だろうに。離乳食はパックで売ってる。お湯を注いで出来上がり。そのほうが衛生的で栄養バランスも取れて、何より、元増田の心のバランスが取れる。
家事なんて、グッズ使って、手を抜きまくり、病気にならない程度にやってりゃ十分なんだよ。
世の男どもは、みーんな、そう思ってる。まして、共稼ぎしようって男なんて「家事? あんな楽なことに何時間かけてんの?」だよ。
鋭さを増してしまっている。
コミカルさがほしい。
うん、そうだ。コミカルさが足りないんだよ。
アメリカとかにいる気のいいお兄ちゃんをイメージしたらどうだろうか。
普段は掃除とかをしてるんだけど、休日はギターを弾いたりバスケットボールをしてるような。
この路線ならぜんぜん不自然じゃないぞ
「あなた方は無知です。9年前に国王ウィレム2世は親身になって日本のことを心配し、親書を特別船で届けました。親書には世界の情勢が詳しく説明されていたはず。いずれこういう日がかならず来ることを懸命に日本に訴えてきました。それに対する貴国の返事はこんな手紙は二度とよこすな、というものでした。去年私が長崎にやってきた時も、特別船でペリーより依頼された親書と、私の詳しい説明を添えてお渡ししました。一体この1年・・・いや9年の間、あなたがたは何をしていたのですか?」
「今から蒸気軍船を購入しても、航海士はいるのですか?一隻につき訓練された水兵が100人近く必要ですよ。今蒸気船を買った所で港の飾りにしかなりません。戦うつもりならもう遅きに失しています!」
「最初は腸が煮えくり返ったが、今は奴らが可哀想で仕方ない。自業自得だがこれから辛酸を舐めることになるだろう。三百年の付き合いだ、少しは何とかしてやらねばなるまい。本国に手配して蒸気軍船4~5隻をプレゼントしてやるか。今は商売抜きで尽くしてやるさ。この美しい長崎を、列強の砲火から救ってやりたいからな」
#佐久間象山の開国論#
オランダからの密使が来る前から島国の海防の困難さを悟り、大船建造禁止令を撤廃し、オランダより軍艦を購入して海軍を育てる必要性を説いていた(海防八策)彼からみると、阿部正弘の改革はすでに手遅れで勝負にもならない。
その上で黒船の戦力を見抜き、負けても大きな被害にはならないという見込みを立てた。この前提をもとに、1年以内に江戸湾近くの住民を避難させた上で日本側から戦闘を仕掛け、脅しには屈しない姿勢を見せつつ、あっさり負けて戦力差を思い知ることが開国のもっとも望ましい形である、とした。
これは長州や薩摩が外国艦隊と戦争をして開国に目覚め、その後の日本のリーダーシップを握ったことを考えても妥当な判断ではあるが、この時に彼の考えを理解する人はイなかった
→彼の献策は検討されることもなくお蔵入り。
勝海舟、吉田松陰のほか、橋本左内、河井継之助などを門弟として育てる
水戸斉昭は全くの鎖国論者ではなく、貿易でとませることも技術の導入も必要だとは考えている。
他の藩よりはやく大船建築や、蘭学推奨をしていることからも松平定信ほど頭が硬いわけではない。
しかし、西洋船が自由に日本に来ることは反対で、片道貿易などを考えていた。
もちろん、そんな身勝手で一方的な開国案が受け入れられるはずもないのだが斉昭にはそれがわからない。
「自分の都合の良いところだけ取り入れたい」という姿勢は中華思想と変わらないのだ。
そうして意見をはねつけられた不満と怒りを藤田東湖などの側近にぶちまけ
かくして彼の怒りは全国的に攘夷志士として広まっていく。
過激な発言はするがバランス感覚も持つ水戸斉昭の思想のニュアンスは
実は水戸の上層部は保守派がしめており、水戸学が攘夷思想として暴走するのを抑えようとするのだが
これがかえって水戸藩内に深刻な対立分裂を引き起こすことになる。
クリミア戦争の影響で君の航海も何かと苦労が多いことだろうとお察しする
しかし戦に巻き込まれた力を奪われたりしてはならない
相手国を武力で倒すより相手国の信頼を勝ち取るほうが遙かに難しく重要なことだ
1812年、この時もロシアはナポレオンのフランス軍を迎え撃つ大戦争のさなかにあった
こういう時代の気分は必ず伝染する
モスクワと正反対の極東においても日本とロシアが小競り合いから開戦直前の緊張状態にあった
捕虜のみでありながら両国の間に立ち戦争を回避することを決意し
言葉もわからぬ相手とほとんど身振り手振りでこの難題をやり遂げたのだ
42年前のカヘエの奇跡を忘れてはならない このような優れた日本人もいるのd
目的は日本との平和なる国交樹立だ その一点を決して忘れないでもらいたい
ロシア政府も戦争よりも日本を開国させることが重要であると考えればこそ
ちのに事務戦費を削っても我々に送金してくれているのです
三国通覧図説には「日本橋より唐おらんだまで境なしの水路なり」とあります。
海国兵談の末尾にもこうあります「この書で述べた計画を今から幕府が五十年かけてやり遂げれば
鎖国だけが問題だったわけではない。鎖国していてもやりようはあったのだ
六十年前のことならまだ諦めもつくが
これまで幕府は逆コースを撮り続け最も大事な人物ばかりを迫害し殺し続けてしまいました
その人達のおかげでこの国が救われたというのに
二度とこの失敗を繰り返すわけにはイカぬいよいよ国際社会の荒海に乗り出したのだからな
近頃人気ですね。一時期のGREE・モバゲーバッシングはどこへやら。
と言う話はさておいて、今までソーシャルゲームとは縁の無かった方々がプレイしている影響か、
このゲームにやたらと夢を抱いている人が多いようです。
特に、『アニメ化されないか』『アイマス新作に誰か出演しないか』等のメディア展開に関係するものや、
『新イベントの提案』『全体的な動作改善』『ゲームバランスの変更』等のゲームそのものに対する要望が目立ちます。
断言しておくと、動作改善がやや望みある程度で、他は「ありえない」ですね。
理由は下記。
・KONAMIの戦国コレクションがアニメ化と言う前例がありますが、
あれはKONAMIが自社で製作しているゲームだから実現できた話です
よって、新作への出演も無理
知っての通りモゲマスは、既存ゲーム(神撃のバハムート→戦国サーガ→モゲマス)の
モゲマス独自の要素(親愛度)もありますが、バグの温床となっています
(しかもそのバグ修正の方法が非常に稚拙かついい加減だったことは記憶に新しいですね、
(ダブルクォートがあったりなかったり、スラッシュで閉じていたり閉じていなかったり)
パーサに掛けたらエラー連発でしょうね
既存ゲームの挿げ替えであるがゆえに、上記2つのゲームの同じ箇所で誤字脱字が存在しています
気付いていないのか、直す気がないのか…
・モゲマスに限った話ではありませんが、
この手のゲームは『人よりお金を多くかけた人』が俺TUEEEEを実現出来ないと成り立ちません
人よりお金を払わない・そもそも一銭も落としていない人に対する運営の優先度は極端に低いです
だからこそSRカードの性能は壊れていますし、今後もっと壊れていきます
これらを理解した上でプレイしたり数万円つぎ込むのは、別段問題があるとは思いません。
※ツイッターからの流れで書きました。偶然ご覧になった場合は意味不明だと思いますのでスルーしてください。
では、昼間の河野さんの記事について、思うところを申し上げます。
「どっちが正しいか勝負しましょう」なんて気はありませんので、ひとつの意見としてお読みいただければと。
まず前提をいくつか。
1 ご承知とは思いますが、当該記事 marketingis.jp/archives/1594 の内容にのみ異議があり、河野さんご自身の人格や存在を否定する意図はありません。もしそう取れる発言があればお詫びします。特に河野さんが気にされたツイートは、確かに非難のニュアンスがこもったものになっており、あらかじめお詫びいたします。
2 ツイッター上では実際の知人友人もいらっしゃいますが、好き勝手なことを書きたいので、一応は匿名でやっております。「いや、直接連絡を取って口頭で」ということであれば、別途ご連絡申し上げます。
3 私は企業のサービス企画の人間で、以前はネット広告を担当していました。物書きではありませんので、文章の質についてはご勘弁を。また、ダイレクトマーケティングの経験しかありませんので、産業全体については私見を超える言及はできません。
以下、本文です。
まず、お気に障ったと思われる「終わった教」についてですが、もちろん、タイトルの「4Pの時代は終わった」についての言及です。
ここは批判というよりも反射的な嫌悪感がありました。
「○○は終わった」「これからは○○だ」「201X年は○○が来る」という言葉で危機感を煽ってコンサルだのセミナーだので稼ぐ方がいますが、反射的に「またか」と思ってしまったための言葉です。私は河野さんをネット上の断片的な上方しか存じ上げないにも関わらず、勝手にそうした類だと分類してしまったことは軽率で、たいへん失礼いたしました。
本文について。
私には4Pが終わったという意見(表現?)には同意できません。記事を拝読しても、終わる終わらないの問題ではないのではないかと考えます。
少し具体的に。
記事中で“ひとつは「バランスが崩れた」こと、そしてもうひとつは「Pが増えた」ことです。”と書かれていますが、この2つには違和感を感じます。
まずバランスについて。元々、4Pの要素間のバランスは均等ではないと考えています。
ダイレクトマーケティングでは商品が売れるための要素として「市場4:商品の良さ4:広告2」の比率であるいう考え方があります。ダイレクトマーケティングに長年従事してきた者としては、これは数値的にも実感的にも、実際にそうであると考えています。
通販的には、広告というのはあくまで受注を目指すものですから、4Pに置き換えれば、概ねプロダクトの方がプロモーションの2倍重要である、と考えられます。
他の業態を見ても、4Pがそれぞれ比較的等価に扱われてきたと思えませんし、業種や手法によって比重は異なるのではないでしょうか。
ならば、その比重の変化を4Pという考え方が終わる終わらないという話につなげるのは、少し無理がありませんか?
プライスの比重が高くなっているというご意見には異存ありませんが、安売り競争とは別の次元で成功する企業も少なくありません。
4つの要素の比重の変化そのものが当然であるならば、プライスの重要性の向上という現象は、4Pという考え方そのものの有効性には無関係であると考えます。
次に、セス・ゴーディンの引用に河野さんが加えられた「P」のリストですが、「Philosophy」以外は、従来の4Pを構成する要素のひとつ、あるいは4Pとは元々異なる切り口で語られていること、ではないでしょうか?
前者であれば4Pを深掘りしたことになりますし、後者であればそもそも4Pでは除外された考え方ですから、これらも4Pそのものの否定には繋がらないと考えます。
ただ、「こういう要素が重要だよね」という意見表明であれば、なるほどほとんど同意です。あ、ほとんどと言ったのは、全部について熟慮していない程度の意味で、一部同意できないことは意味しません。
ご存知でしょうが、マーケティングは色々な構成要素が複雑に絡み合っていますから、1つの切り口で都合よくすべてを考えることのできる方法はありませんよね? 4Pもそれらのひとつに過ぎず、終わった終わらないという意見は適当ではないと思ったわけです。
で、最近の「終わった」「来る」に辟易していたところに、河野さんの記事を拝読し、反射的に軽い気持ちで陰口を叩いてしまった、という次第です。
最後に。ツイートで言いたかったこととは離れますが、糸井さんの件も気になりました。
糸井さんの広告観ですが、「この広告でどれだけ売れたかとか、そういうことじゃない。俺と組んだら一回遊べるぜ、ってこと」(要約)という、広告そのものに価値を置いた考え方でした。これはなぜか10年以上前にプロレス雑誌に掲載されていた糸井さんのインタビューでの発言なので、ご存知かどうかわかりませんが。
こうした広告観に立てば、いま売れてます、というコピーは確かに広告の“文化的”な意味での衰退とも取れます。少なくとも糸井さんは楽しくはないことでしょう。
が、これがプロモーションの相対的低下を意味するとは思えません。だったら「いま売れてます」的なコピーでプロモーションすればいいし。嘘や違法は論外ですが、これまでのメジャーな広告手法が仮に力を失っても、他の方法はあります。企業の担当者や意欲ある広告会社の方は、そこに真剣に取り組んでいますよ。
他責的であるということは、歪んだ自責の裏返しなのではないか。
私自身にもその傾向があるが、何事も他人の責任にする人がいる。
傍から見れば迷惑この上ない人だが、実はその人の心の奥底では、自分自身を強く責めている何かがあるのではないか。そして、その何かが必要以上に自分を責めてしまうので、心のバランスを取るために、その負のエネルギーを内部で処理できずに、外に向かって吐き出しているのではないかと感じる。
私が何故そのようなことを思いついたかというと、今日たまたまNHK教育テレビで自閉症の家族のドキュメンタリーを観たからだ。
障碍を持つ家族がいるために、色々と振り回される。そして、誰も責める相手はいない。そのような状況の中で、不器用な人は上手く処理できず、「上手くいかないのは自分が悪いのではないか」と思いつめてしまう。自分の中に負の感情を溜め込んでしまい、負のスパイラルに落ち込んでいるようにも感じられた。
私自身も両親が障害者だったこともあり、ドキュメンタリーに出てきた家族の気持ちは少しわかる。
私も両親に対する怒りを感じることがあっても、「障害者だから仕方が無い」ということでどこか自分の中に押さえ込んでしまう癖がついていたように思う。
そのために、それが歪んだ形で外に向かうこともあった。
(現在は両親は亡くなり、そのときの気持ちを客観的に見ることが出来るようになりつつはある)
器用な人であれば、上手くその理不尽さを乗り越えられるかもしれないが、コツをつかめない自分のような人はどんどん不満を心の奥に溜め込んでしまう。
だからこそ、他責的であるというのは一つのシグナルだと思うのだ。
そういう人が職場や身の回りに現れたら、まずその人自身が自分自身を見つめなおすように促す工夫が必要だ。
下手をすれば、その人は一生中二病的な状況から抜け出せず、一生を棒に振ってしまうかもしれない。
取り留めの無い文章ですまぬ。