はてなキーワード: 国際社会とは
それ以上に蒸気船と帆船の戦いにおいて、蒸気船の高い操舵力による
黒海での圧倒的有利が、難攻不落であるはずのセバストポリ要塞を孤立させ、
→次は蒸気船の中でも外輪船VSスクリュー船、で争う。
対日本、対中国程度であれば外輪船でもスクリュー船でも大差なく勝つが
同じ蒸気船同志なら、圧倒的にスクリュー船が勝つ
日本だって戦国時代はそうだったのだが、スケール感が違うので少し戸惑うね。
「井伊直弼は信念を持って粛清を始めている。本人の胸中に入ってんのやましさもないのだ。それがどれほど恐ろしいことかお前にわかるか?ただの悪意や傲慢なら少し恫喝をかければおとなしくなる。我が身が可愛いだろうからな。覚悟を決めた男にそれはきかない。これからの井伊は果てしなくエスカレートするだろう。権力を持った人間はやりたいことがどこまでもかなってしまうからな。しかし権力を掴んだ男は気づかぬうちに権力の奴隷に成り果てるのだ。私はな、自分で言うのも何だが権力の奴隷にならずにすんだ。正義と権力に酔ってお由良派を粛清するために血刀を振るっていたならば、今頃薩摩全土は死屍累々、私自身どこかで非業の死に倒れ、島津は滅亡し今の近代化など微塵もなかったであろう。だからこそわかる井伊家は日本を血で染め、日本そのものを滅ぼしかねん。使いたくもない権力であったが、ひと暴れせざるを得まい」(島津斉彬)
戦をせぬ戦というものがある。今回の騒ぎは糸をほぐせば簡単にとけるものだ。京の天子様をあまりにも現実から遠ざけてきたことが間違いなのだ。西洋人は禽獣ではないこと、我が国は国際社会と堂々渡り合える力を秘めていること、それを伝えて孝明帝の心が休んじられれば日本は平和に開国できるのだ。その自信を持てず西洋に一番怯えておるのが250年惰眠を貪り続けてきた江戸幕府である!どれほど格好をつけ、居丈高に振舞おうとも、いや水戸様のように居丈高になればなるほどその怯えは日本全土、全国民に伝わってしまう。幕府の自信のなさを朝廷は見ぬいておられる。意味不明な西欧の脅威とこの国の責任を押し付けられる帝は溜まったものではない。砲一つない御所にお住まいの帝が開国不承知を叫ばれるのは当然ではないか。帝に安堵していただければ御所の空気は一変する。京の攘夷派も納得し一滴の血も流さず開国への道がひらけるはずだ。(この真意を知るのは西郷、橋本左内など側近のみ)
どこの国の役人だって、出歩いたこっちが悪いと言いはるでしょうに
#坂本龍馬#
特別な人間などだれもおりゃせんが、一人ひとりは自分がかけがえのない人間じゃ
いつも前へ前へと突き進んでいくものには、
目の前に何が待ち受けていようと恐れることはない。
そうやって生きるには、身分制度ちゅうおかしなもんが邪魔じゃあ。
なんで人間をそんなにわけるんじゃ。
わしゃあこの国を全部変えちゃる。謀反人の血を持ってすりゃあできんことはない
「君たちは何のために学問をするのか 何のためにこの松下村塾に来ているのか?
日本のため人々のためといいますが、具体的にはどういう人々ですか?
的を見ずに矢を放っても的には当たりません 目的のない学問はすべてが無駄になります
何のために学問をするのか、それは学問をしたくてもできない人のためにするのです!
人々のためとはそういうことです 諸君が松下村塾に来るのは 松下村塾にも来れない人々のために来ているのです
それがわかれば一分一秒もおろそかにはできないはずです みんな私の代わりに力のかぎり戦ってください」
吉田松陰の講義は平地にありながら最新の情報に溢れており、藩校である明倫館をしのいでいたとされる。
(松陰と京都で知り合った勤皇思想家梅田雲浜=安政の大獄第一の逮捕者もこの頃松下村塾を訪れ各藩の政治状況を伝えたりしている)
とはいえ罪人の開いた私塾であるから白い目で見られ、上士の子である高杉晋作や久坂義助などは親の目を盗んで通ってくることになる。
(その他の生徒は貧農の子伊藤俊助、足軽の子品川弥二郎、中間の子山県小助など。)
松陰は一方的に教えるのみではなく、様々なテーマを与えて生徒に調べさせ、
順番に教えあい、その時は松陰も生徒となって学ぶ。これは野山獄時代と同じ。
学問といっても磁極を論じたりしているのであるから、しょっちゅう凄まじい議論となり、
先生も生徒も一緒になって朝まで大激論を戦わせたりするのであった。
したがって、松下村塾には遅刻も早退もない。各自の都合で来れる時間に来て、時にはその場で働きながら学ぶといった様子であった。
働きながら学び、学びながら働く。松下村塾は常に熱気にあふれていた。
物置を改造した松下村塾はあまりにせまく、毎日入りきれない生徒が庭にあふれていた。
(桂小五郎はこの時江戸にいて、吉田松陰とは往復書簡による師弟関係)
#薩摩 精忠組#
斉彬復帰後も、改革が第一優先であり
お家争いを防ぐため、「高崎崩れ」の犠牲者救済は、政治的バランスを考慮して後回しにされ、
結局流罪にされた者は2年以上放置されることになる。
この当時は、お家の安定が個々人の身分より優先されるのは、むしろ武士であれば当たり前、という時代だった。
斉彬は参勤交代から帰国し、洋式の事業も見通しがつき、斉興・久光派も落ち着きを取り戻してから
ようやく高崎崩れの流罪者が赦免され流罪からかえってくることに。
斉彬に直訴状を書いた。
書いているうちに、まず百姓の上に胡坐をかき、私服を肥やす役人どもへの怒りにうつり
さらに元凶たるお由羅派をなぜ処罰しないのか、という批判に及び、
勢いはどんどんエスカレートしてついには蛮学に湯水のごとく金を使う斉彬への彈劾となった。
(基本的にこの当時の武士というのは全員無知である。何も知らされていないから当たり前だが。
特に薩摩武士は武芸や忠誠がやかましく、下級武士である西郷は狭い学問でも実力は下の下であった。
だから、目についた農村の貧しさについて、その歴史も理解できず、目の前のことがすべてになってしまう。
西郷はこのあとも、斉彬の意図を全く理解できず、そのくせ忠義と称して暴走を繰り返している
しかしこれでも農村の痛みに気づいただけまだましな方というから、どれだけ当時の武士が
ものを知らされず、また忠義と称して暴走しやすい困った気質の持ち主であったかよくわかる。
江戸時代に行われていた偏った儒学や忠孝の教えでは、基本的にこういう愚か者を作ることしかできない)
→しかし、島津斉彬は彼を用いた。そのくらい「手駒としては仕える」人物だった
「考えは180度違っているが、それは今後の教育でなんとでも変えられる
おいそれと変わらぬのが、そちが持って生まれた無私無欲の心 そこを見込んだ。今日からわしの片腕となってもらいたい」
水戸斉昭さえ制御しようとしていた斉彬は、自分が死んだ時や、動きを制御しきれなかった時の危険については一切考えていなかっただろう。
→私はこの頃の西郷のような直情径行ガ忠義という概念とセットに成った、視野が狭くすぐに他人に攻撃的になる人間が嫌いだ。
西郷に関しては当時のことだから納得はできるわけで、現代でもたまにこういう奴がいるのを見ると吐き気がする。
「これといった目的もなく、落ちているものを探すのでもなくただなんとなく歩いているのですか?
我が国でも風流人はそういうことをしますが、それは楽隠居の道楽です。
あるいは無法者、ゴロツキ、怠け者のたぐいです。
江戸で何もせずに歩いているだけの人間など、挙動不審とみなされしょっぴかれても文句は言えませんな」
「日本の役人は世界最悪と言える 犬が何も考えられないのと同じ」
とまぁこれはいいけど、やれ風呂はだめだの山菜は食えないだの、ヤンキーはほんとにwww
「この1年は何だったんだ…国際社会の常識を知らぬ無知な国が相手だ。
彼らには経緯を持った対話を重ねて教えていくしかない。そう思い私は之までずっと耐えてきた。
しかし彼らは頑として心を開かなかった それがどうだ たった一艘の軍艦を見た途端
向こうは大砲に動揺した 私も相手が怯えるように話した
ハリスよりペリーが正しいのなら、言葉はなんのためにあるのだーーーー!」
#攘夷志士の怖い習慣#
「あなた方は無知です。9年前に国王ウィレム2世は親身になって日本のことを心配し、親書を特別船で届けました。親書には世界の情勢が詳しく説明されていたはず。いずれこういう日がかならず来ることを懸命に日本に訴えてきました。それに対する貴国の返事はこんな手紙は二度とよこすな、というものでした。去年私が長崎にやってきた時も、特別船でペリーより依頼された親書と、私の詳しい説明を添えてお渡ししました。一体この1年・・・いや9年の間、あなたがたは何をしていたのですか?」
「今から蒸気軍船を購入しても、航海士はいるのですか?一隻につき訓練された水兵が100人近く必要ですよ。今蒸気船を買った所で港の飾りにしかなりません。戦うつもりならもう遅きに失しています!」
「最初は腸が煮えくり返ったが、今は奴らが可哀想で仕方ない。自業自得だがこれから辛酸を舐めることになるだろう。三百年の付き合いだ、少しは何とかしてやらねばなるまい。本国に手配して蒸気軍船4~5隻をプレゼントしてやるか。今は商売抜きで尽くしてやるさ。この美しい長崎を、列強の砲火から救ってやりたいからな」
#佐久間象山の開国論#
オランダからの密使が来る前から島国の海防の困難さを悟り、大船建造禁止令を撤廃し、オランダより軍艦を購入して海軍を育てる必要性を説いていた(海防八策)彼からみると、阿部正弘の改革はすでに手遅れで勝負にもならない。
その上で黒船の戦力を見抜き、負けても大きな被害にはならないという見込みを立てた。この前提をもとに、1年以内に江戸湾近くの住民を避難させた上で日本側から戦闘を仕掛け、脅しには屈しない姿勢を見せつつ、あっさり負けて戦力差を思い知ることが開国のもっとも望ましい形である、とした。
これは長州や薩摩が外国艦隊と戦争をして開国に目覚め、その後の日本のリーダーシップを握ったことを考えても妥当な判断ではあるが、この時に彼の考えを理解する人はイなかった
→彼の献策は検討されることもなくお蔵入り。
勝海舟、吉田松陰のほか、橋本左内、河井継之助などを門弟として育てる
水戸斉昭は全くの鎖国論者ではなく、貿易でとませることも技術の導入も必要だとは考えている。
他の藩よりはやく大船建築や、蘭学推奨をしていることからも松平定信ほど頭が硬いわけではない。
しかし、西洋船が自由に日本に来ることは反対で、片道貿易などを考えていた。
もちろん、そんな身勝手で一方的な開国案が受け入れられるはずもないのだが斉昭にはそれがわからない。
「自分の都合の良いところだけ取り入れたい」という姿勢は中華思想と変わらないのだ。
そうして意見をはねつけられた不満と怒りを藤田東湖などの側近にぶちまけ
かくして彼の怒りは全国的に攘夷志士として広まっていく。
過激な発言はするがバランス感覚も持つ水戸斉昭の思想のニュアンスは
実は水戸の上層部は保守派がしめており、水戸学が攘夷思想として暴走するのを抑えようとするのだが
これがかえって水戸藩内に深刻な対立分裂を引き起こすことになる。
クリミア戦争の影響で君の航海も何かと苦労が多いことだろうとお察しする
しかし戦に巻き込まれた力を奪われたりしてはならない
相手国を武力で倒すより相手国の信頼を勝ち取るほうが遙かに難しく重要なことだ
1812年、この時もロシアはナポレオンのフランス軍を迎え撃つ大戦争のさなかにあった
こういう時代の気分は必ず伝染する
モスクワと正反対の極東においても日本とロシアが小競り合いから開戦直前の緊張状態にあった
捕虜のみでありながら両国の間に立ち戦争を回避することを決意し
言葉もわからぬ相手とほとんど身振り手振りでこの難題をやり遂げたのだ
42年前のカヘエの奇跡を忘れてはならない このような優れた日本人もいるのd
目的は日本との平和なる国交樹立だ その一点を決して忘れないでもらいたい
ロシア政府も戦争よりも日本を開国させることが重要であると考えればこそ
ちのに事務戦費を削っても我々に送金してくれているのです
三国通覧図説には「日本橋より唐おらんだまで境なしの水路なり」とあります。
海国兵談の末尾にもこうあります「この書で述べた計画を今から幕府が五十年かけてやり遂げれば
鎖国だけが問題だったわけではない。鎖国していてもやりようはあったのだ
六十年前のことならまだ諦めもつくが
これまで幕府は逆コースを撮り続け最も大事な人物ばかりを迫害し殺し続けてしまいました
その人達のおかげでこの国が救われたというのに
二度とこの失敗を繰り返すわけにはイカぬいよいよ国際社会の荒海に乗り出したのだからな
>何かできないことがあったときに「あぁ…早生まれだから。他の子より育ちが遅いから」「仕方ないね」「かわいそうに」と親から言われることによって、それが本人の中にも内面化されるんではないかという分析だった。
えー、ご存じの通り(ですよね?)早生まれの私ですが、敢えて「異議あり!」と言わせて頂きます^^;というのは僕の場合、親から言われたことはなくて、自分で後から「早生まれは損だ」と思ったからなんです。もし敢えて親のせいにするのであれば「早生まれなんだから仕方ないよ」ぐらい言って欲しかったな、ということになるのかもしれません。
経験談の一例ですが、幼稚園から小学校にかけて、周囲に比べてダントツで運動能力が低かったんです。ですが、高校を出る頃にはいつの間にか体力テストなんかでは全国平均を普通に超えられるようになってました。まあ元々運動や外遊びが好きな子供ではなかったですけど、別にその後人と比べて特に運動していたわけでもなかったので。で、子供の頃は実年齢の差がかなり大きかったのではないかなということに気づいたのはかなり後になってからでした。無駄に運動苦手コンプレックスを持ってたもんだと後悔したものです。
ところで、N さんが誰だか見当がつかない私です。
そういえば、悪名高き私の母校では全学年を通して異様に4・5・6月生まれが多かったです。僕はどちらかというと年齢以上にガキなので、周囲のマセ具合に余りついて行けなかった記憶があります(苦笑)
あと聞いた話だと、少年サッカー英才教育の世界では、選手がやはり4・5・6月生まれに偏っていたので、選抜に誕生月を考慮するようになったとかいう話も聞いたことがあります。
そういうことから、すくなくとも一部の分野においては、無視できない程度の影響があるのかなとは思っています。ただ、どれも男の場合の話であるのは事実ですね。女性はその辺どうなのか、面白いデータがあれば欲しいですね。たぶん誰か既に研究してるんでしょうけれど。
例のあだ名ゆえにあのお方が「Nさん」であることを完全に失念していました^^;まあ、何となく「先輩」が女性であるという先入観があったのも事実ですが(何でだろう?)。まあでも確かに、女性だったらおめでたの話があるのにもかかわらずお酒を飲んでいるはずがありませんね。
いずれにせよ、おめでたいことで。
そういえばドイツでもシュレーダー政権ができたてのとき、首相が党の実力者を追放して一波乱という一幕がありましたね。そのときの状況と今の日本の状況は似ているのかどうか……。
たぶん noctifer さんの同期の「実家が尼崎の人」がデジタル化したデータ持ってると思いますよ。僕も自分が 3 回生のときの録音をその人にもらったので。
ちなみにこれ、一年掛けて準備したのに散々ボロクソに言われた演奏で、僕の中ではまさに「黒歴史」だったんですけど、5 年ぶりに聴いてみたら意外にも、自分としてはそれなりに納得のいくものだったので愕然としました。あれ以来自信なくして楽器にだんだん触れられなくなってたのはいったい何だったんだろう……、と。というか音楽以外すべてにおいても自信喪失してしまう悪循環に陥ったきっかけみたいな一件だったので、あれをもっと早く聴いてればひょっとしたら少しぐらい人生変わったかもなー、なんて思ってます。要はその録音を聴かなかったこと自体が「黒歴史」でしたという情けないお話ですが(苦笑)。
ああなるほど、定演以外の録音でしたか。そりゃさすがに尼崎の人に頼んでも持ってないですよねえ。
ところで全然関係ないですが、今日聴講した某研究会で、僕の2年下の「ヘアスタイルが独特の人」に会いました。彼は今年D3でしたっけ?月日が経つのはなんとやらとはこのことですね。
都合が許さず彼の晴れ舞台を見られなかったのはなんとも残念です。こんど会ったらよろしくお伝え下さい。
前回までの大会と違って、今回は自分が主力選手と同世代だから身につまされるものがありました。仮に自分にあの方面の才能があったとしても、この段階で最盛期なんてとても無理だろうなとか思うと、前回大会までとは違った意味で感慨深いです。
それでよく考えてみれば、サッカーの選手生命から考えて、僕らと同世代の選手のほとんどは今回が最後のチャンスだったわけですよね。今までよりも、負けて悔しがる選手の姿が一歩だけとはいえ身近に感じられて、その分切なくなりました……。
論文を添削するには内容を理解できないといけないわけですから、それをタダでやってくれる人となると本当に貴重ですよね……。
思うに、大人に言語を教えるのは経済的にも効率がよくないですよね。色々な場に応じてそれなりの言葉づかいができて、なおかつ幅広いスタイルの文章を読んで書ける人なんて、なかなか語学教師をやろうとは思わないでしょうし、そういう人を雇うには相当なお金がかかって当然、生徒の側もそれだけの教師を探すには苦労するわけですから。
子供の頃から、母語の習熟に準じて第二言語を(できれば複数)学べると、言語というものを相対化できるという意味でいいんでしょうけどね。(現状は英語崇拝と英語憎悪の二極化およびその裏返しとしての日本語特殊論、そしてそれ以外の外国語への無関心がはびこっていて本当によくないと思う今日この頃。
こんにちはー。
「絶対音感」って能力、実は個人的には言語能力と近いんじゃないかなと思ってるんですよね。少なくとも僕の場合は、ですが。実際、無調性に近い音楽を聴いていると途中で音がわからなくなったりずれてしまうことが多いですし、無調性は無調性でもそれなりに慣れているウィーン学派系よりも、あまり聴かないブーレーズとかのフランス現代音楽系とかのほうが苦手だったりするので。
あと、E-dur と F-dur を間違えることはほとんどないのに D-dur と Des-dur の区別にはたまに自信がなくなることがあるなど、多分にピアノの鍵盤(というか頭の中でつけている「読み仮名」的な音名)に引きずられる傾向があるんですね。いってみれば、日本人は /t/ と /d/ の区別には苦労しないが /l/ と /r/ には苦労するというような話なんですが、まいさんはそういう傾向ってないですか?
そういえば、高校生ぐらいの頃は基準音を 2Hz ぐらいの単位で聴きわけられたものでしたが、古楽を聴くようになって以来その能力はほぼ完全に破壊されてしまいました。
ちなみに僕も音に「色」のイメージがありますけど、その正体はかなり情けないものでして、おそらく子供の頃に買ってもらったおもちゃの鉄琴です。一音ごとに色分けされていたのですが、その印象を未だに引きずっているんですよね。
個人的には欧米でどうして "Hentai" 文化があんなに抑圧されてるのかが気になりますねー。ホラーの世界では日本よりよっぽどどぎつい表現が社会的に許容されている風土で、ポルノの方面になるとフィクションであってもある種の表現はまかりならぬ!というのは、日本に生まれて暮らしている限り根本的にどこかで理解できない面があると思うのですが、だからといって「ピューリタニズムの伝統」で片付けてしまうのも一方では乱暴な気がするんですよね。
似たようなことは、捕鯨問題とかその他の文化摩擦のときにも色々感じることではありますが、その辺のことで「住んでみてわかったこと」って何かありました?
>実際には日本のエロゲの守備範囲の広さはそんなのを凌駕しうるわけですが、それでもアニメでは女性はそのように子どもっぽく可愛く描かれる事が多い(ただでさえ若く見えるアジア人をベースにしているのでなおのこと)
なるほどありがとうございます。確かに現代の日本人はおしなべて幼形成熟的なものが好きですね。女性に限らずジャニーズ系とかも結構そういう気がしますが。向こうから見れば余計子供に見えるというのは盲点でした。
しかし個人的にもっと疑問なのは、その "Hentai" 文化を変なものとして片付けるのでなしに、禁止してしまおうという考え方の方なんですよね。そしてそれを日本でも禁止せよと圧力をかける動きもあるようですし。米国は基本的に他者に寛容を是としているのだと思ったら、ときどきいきなりその逆の面が見えることがあるので、いったいあのあたりはどういう感覚なんだろうなあと思いまして。
うーん。やっぱりそれなんでしょうかねえ。だとすると捕鯨と "Hentai" はちょっと性質が異なる問題なんですね。
どうも最近、英語圏のメディアを読むようになればなるほど、日本に対する悪意や蔑視が一部高級メディアにでも平気で蔓延していることに気づいて憂鬱なんですが、その根っこは必ずしも一つではなさそうですね。
やっぱりこういうと何ですけど、欧米がアラブに違和感を持っている(あえて「蔑視している」とは言わない)のと同じような意味で日本から欧米(といっても色々温度差はあるでしょうが)を見たときに違和感があるんだなあと最近思うんですね。あんな趣味を持っているぐらいなんだから当然私は西洋かぶれ的人間なんですけど、例の "The Cove" 以来やっぱりあばたはえくぼじゃなくてあばたなんだなということにようやく気づきだしたわけでして、その背景には最近ちょっと興味を持ちつつあるんですが、どうもなかなか一筋縄ではいかなさそうですね。欧米の天地は複雑怪奇なり。
ところで話は変わりますが、意外なところで結婚ラッシュが始まりそうな噂を耳にしました。詳しくはそのうちお聞き及びになると思いますが……。お楽しみ(?)に!
あれ、あそこバーベキューだめになったんですか?「新条例」がなんなのか気になります。
>知らない人が20人以上という状態で3時間おしゃべり持ちこたえたのは我ながらよく頑張ったと思う(たぶん英語スキルというより社交スキルの問題)。
最近あちらこちらで、アメリカでは(あるいは「国際社会」では)そういう状況で人間関係を作れるかどうかがものをいう、そういう場でやっていけないと通用しない、みたいな主張をよく見るもので。
本当だとしたら語学力以上に絶望的に高い壁だなあと思いつつ、そういうことを書く人は大抵すごく社交的だから、たまたまその人の回りでそういうことが起こりやすいだけのようにも思えるし、その辺の真相が少し気になってまして。
そういう風に理解する、ということに考えさせられた。横入りだけど。
(1)「他人を試みることは失礼だ」
(2)なぜなら「(私の)不信によって相手が傷つくだろうから」
(3)「それは自意識過剰」
この(2)に対する(3)のリアクションについて。
確かに、「自分の為した行為等によって相手が傷つく可能性を考えて行為しない」という行動様式の帰結として、一般的にいって「肥大した自己意識」があり、そのため本来なら行うべきであった社会的に必要な行為すら行えなくなるとしたら、それは確かに病的な「自意識の過剰」であると言える可能性は否定しない。ちまたで見かける自意識の過剰を羅列すれば、
「みんながオレのこと監視して笑ってるような気がしてむかつく」
「頭の悪いオレが一票を投じても間違ってる可能性が高いから投票しない」
「すれ違うたびに気持ち悪がられてるだろうからもう外出しない」
とか、まあそういう感じ。
確かに、どんな「行為とそれに対する他者のリアクション」の場面においても、他者の心の内でどのような感情が渦巻いているかは外からしか見ることができない。そのため、その反応を基に、自己意識の外延としてしか他者の心を思いはかることはができないため、あらゆる「配慮」は原則的に自意識の産物足らざるを得ないし、そればかりでなく、常にそれが他者からみて(それが健全な社会関係を阻害するレベルに至るか否かは別として)不足であったり過剰であったりする可能性は免れ得ない。つまり、どんな「配慮」行為においても「自意識過剰」という批判は常に投げかけ得るマジックワードとなる、ということだ。
ただ、健全な社会性を保つためには、この「配慮」が過剰であっても、そして過『少』であっても、よろしくないことは理解されると思う。そこで、配慮を一定の規範とする考えが登場する。マナー、作法あるいは「礼」というのがそれである。ただ、これらのマナーや作法や礼というのは、決して「形式的にそれを満たしておれば、誰からも問題とされない」という許可を与える法律のようなものではなく、それらのマナーや作法や礼が要請するところの「基の感情」で内面が満たされていることが他者から見ても分かることが、社会的に必要な要件とされることが多い。
頭を下げるのは「礼」だが、ニヤニヤしながら頭を下げていれば不真面目だと言われる。テーブルマナーを形式的に身につけることは大事だが、頑なにそこから逸脱しないことが重要なのではなく根底にある「みんなが食事を楽しめるように、不快なことをしない」を満たすことが需要なのであるから、たとえばマナーを知らない人と食卓を囲む際にマナー知らずであることをもってその人を笑いものにしたりする人は、むしろ重大なマナー違反を犯していると考えるべきだ。
このことを前提として最初に戻ると、
(1)他者を試みることは失礼である
これは理解できる。聖書にも「汝、神を試みるなかれ」とあるが、試されるようなことをすれば、神様だって怒るのである。怒る理由は「信じていないから」であって、一般的に「試す」のは「確信がもてないとき」であることは言うまでもないから、「試す」ことが「確信をもっていない」というメッセージになりうることは、事実であると言える(これは、たとえば「私はそんな風に受け取ったりしない」という個人的主張を否定するものではない。たとえば「てめえぶっ殺してやる」を愛情のメッセージと受け取る人も世の中にはいるだろうから(範馬勇次郎とか)。)
次に、
という説明も問題はない。(1)が、メッセージの含意する「不信感の表明」という事態避けようとする意図から生まれた規範であることをベースに考えれば、その意図するところが(2)のような理由であると推測することに飛躍はないからだ。相手を傷つけることが、健全な社会関係を維持する上で不利であると考えるのは、理にかなっている。
そこで問題は(3)だ。(3)の発言者(以下、(3)の人と呼ぶ。)は、なぜかように考えたのであろうか。本当は、特に考えていたわけではなくて、単にマジックワードを振りかざして、ちょっと反社会的でカッコよさげなことを言ってみて悦に入りたいだけなのだろうか? それにしては中途半端な発言なので、一応そうではないと仮定すると、この文脈でこういう発言が登場するからには、(3)の人は「試すことは悪いことではない=私は試したい」と思っているのであろう。(2)の発言者に「相手を傷つける可能性」を指摘されてなおかつ(3)の人は、それを否定するために「自意識過剰」というワードを持ち出したわけで、そうすると、(3)の人の中では「相手を傷つけること」よりも「自分の願望を抑えること」の方を(あるいは、前者をしないために後者をすることを)悪とみなしているということになるからだ。
これはとても不思議な感性である。「自分の個人的な不信や疑念を払うこと」を重視する一方で、「他者を傷つける可能性」を低く見積もっているのみならず、その「他者を顧みない」行動により「自分が他者から不信や疑念を抱かれる可能性」を全く考慮していないからだ。この(3)の人にとって、他者とは、自分に決してコミットしない、窓の外の存在であるかのようだ。
肥大する自意識に脅えながら、同時に他者を窓の外に放り出して顧みない。彼は一体何と戦っているのだろうか?
「平気で嘘をつく人たち」ではないが、このような「平気で人を試す人たち」から見えてくるものは、確かに一つの時代、世界の風景である。それを、「核の時代」のうすら寒さと共通している、と言ってみると、飛躍して聞こえるだろうか。しかし「核抑止論」とは、「私の不安を解消するためなら、核武装するのが一番だ。みんなが核武装すれば、平和だからだ」という言明ではなかろうか。そう考えれば、これはそれほど突飛な比較ではないだろう。そして、核抑止論が、現代世界において一定のコンセンサスを得ていることも事実として認めておこう。「私の不安と核武装」が隣国の不安と核武装を呼び、それがまた次なる核武装を……と連鎖が続くという事実を眼前にしながらも、今のところ人類は、理性と対話というか細い支えで対抗しつつ、民族や文化の壁を越えることには必ずしも成功していない。「中の安心」が一番大事で「外との対話」は二の次なのだ。「外との関係」が「中の安心」を生む…というアイデアは、そこでは顧みられない。私たちの生きる「国際社会」は、残念ながら依然そのレベルにとどまっている。
(3)のつぶやきが示すことは、もはや個人と個人の間ですら大国間のように理解と協調を求めることが難しい時代だということであり、その中で、恐怖心のシェルターに閉じこもる人々が(3)のように振る舞うことは、もはや不可避のことなのかもしれない、ということである。異文化間における理解と対話のためのメソッドを確立することは、我々にとって真の意味で喫緊の課題である。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
しっかし、自分で極論振っておいて、相手が極論で返すと、まぁ嬉しそうに尻尾振って話し出すなw
建設的な方向
建設的ねぇ。
推進にしろ反対にしろ、極論言ってるのは一部の馬鹿だけだろうにな。
それと、今回試されたのは、施設の安全性やら、放射性物質取り扱いの技術やらじゃないんだぜ。
今回試されたのは、「規定外の有事に際してどういうリスク管理が為されるか」だった。
その原因がどうあれ、コントロールを失った施設へどう対応するかの話だ。
結果はごらんの有様。
これを「建設的に」見直すとしたら、人事も含め危機管理体制の刷新だ。
技術なんて関係ない話なんだよ。
いまさら「技術による安全神話(笑)」なんて言い出さないだろ?
原発を再起動するなら、今後この様な形で有事が発生した際どうするか、国際社会も納得する指針を発表すべきだ。
それは「事故を起こさない対策」じゃない。
「事故が起こったとき、何を優先し、どう行動し収束させるのか」そういう話だ。
「技術向上による安全の確保」なんぞ、やって当たり前の話だが、今必要とされてるのは、そんな次元の話じゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20110421220158 の続きです。
今後、世界的に原子力利用が拡大する中、ウラン燃料に対する需要の増加が見込まれる。国内の原子力発電所の燃料調達という狭義の安定供給はもとより、海外向け供給も視野に入れた安定供給確保という観点から、ウラン鉱山開発から濃縮・再転換に至る我が国の供給面全体を強化することが重要である。
事業者等のウラン鉱山開発を積極的に支援するため、日本貿易保険(NEXI)のリスク補完機能強化を含め公的金融支援を充実化させる。また、投資の円滑化等を図るため、我が国の外為法やOECD ルールとの整合性を念頭におきつつ、政府間の会合等を通じて、他国が独自に有する投資規制の改善等を働きかける。
ウラン濃縮については、濃縮ウラン供給元の多様化を図るため、事業者等による海外の濃縮事業者との連携など濃縮分野の取組の強化を支援する。また、国の支援の下、開発した新型遠心機の導入を着実に進めるとともに、国と事業者等は、国内の濃縮能力の維持・強化に関する考え方の整理を行う。さらに、我が国が核燃料供給保証など国際社会の取組に貢献し、輸送途絶等のリスクに備えるという観点から、濃縮ウランの国内備蓄の可能性について検討を進める。
加えて、国と事業者等は、ウラン燃料の輸送リスクを軽減するため、経済性・安全性の観点から新たな輸送経路の確立等に向けて関係国と連携しつつ議論を進める。特に、カザフスタンを始めとする中央アジアからのウラン燃料の供給量の拡大を念頭におきながら事業可能性調査等の検討を進める。
世界における原子力発電の導入見通しを踏まえ、①当面最大規模かつ低リスクの市場である米欧、②既に原子力を導入しており今後急拡大する見込みである中国・インドや、さらに、③将来的には発展の可能性が大きい東南アジアや中近東等の新規導入国など、市場ごとの特性に合わせた対応を行うことが必要である。
米欧市場については、新規建設、資機材輸出、発電事業体への資本参加等に公的金融支援等を活用しながら積極的に支援する。また、中国市場への資機材の輸出を支援するとともに、インドについては、エネルギー・産業政策の観点から、各々の原子力政策について意見交換や情報交換を進める。さらに、新規導入国市場については、システム輸出として、建設、運転・管理、燃料供給、さらには法整備、人材育成、インフラ整備、資金調達支援まで含めた一体的な対応が必要である。官民一体となって原子力発電新規導入国へ一元的な提案を行うための電力会社を中心とした「新会社」を遅くとも本年秋までに設立するなど、原子力発電に係るサービス・システムの総合的提供体制を具体化するとともに、公的金融資金を活用しつつ、ウラン鉱山の開発、及び海外の濃縮事業者との連携強化(資本参加)等を支援し、我が国の燃料供給能力の強化を図る。
また、NEXI の海外投資保険や輸出保証保険等のリスクてん補範囲の見直しを行う。加えて、相手国の人材育成及び国際展開に対応しうる国内の人材育成を行い、新規導入国での制度整備を支援するなどキャパシティ・ビルディングへの取組を強化するとともに、新規導入国等との原子力協定の締結を戦略的かつ迅速に進める。また、ODA 等を活用しつつ道路、港湾、送電網などの周辺インフラ整備を支援する。
原子力発電の推進に関心を示す国が世界的に増加していることに伴い、核不拡散や核セキュリティに係る取組をより一層強化するとともに、原子力発電施設の安全な運用、さらには使用済核燃料の扱いといった様々な課題に対処するための国際的な環境整備を進める必要性が高まっている。
このため、平等な競争条件の確保や核不拡散、原子力安全、核セキュリティ等を軽視した価格競争の防止を図るべく、国際的な場での取組を強化し、原子力の利用において国が確保すべき安全上の要請を国際的な共通基準として国際原子力機関(IAEA)の場で示すなど、安全面での国際社会の取組に積極的に貢献する。また、IAEA・GNEP(国際原子力エネルギー・パートナーシップ)等の場で検討されている核燃料供給保証の仕組みや使用済燃料の取扱いに関する国際的枠組みづくりの議論に主体的に取り組む。
そのほか、アジアを中心とした核不拡散・核セキュリティに関する人材育成のための総合支援センターを設置するとともに、国際的な核不拡散・核セキュリティの強化に向けた技術開発等を行い、原子力の平和利用に向け我が国として貢献する。
28 解析コード(応力等を計算するプログラム)等各プラントに共通する技術について取りまとめられた技術文書(トピカルレポート)の技術的妥当性を個別審査に先立ち評価し、安全審査の実効性向上を図る制度。
29 原子力発電所から発生した使用済燃料を再処理するまでの間、事業の許可を得て、原子力発電所外で一時的に貯蔵管理することをいう。
★枝野氏 レベル7で陳謝…それでも「チェルノブイリとは違う」
・枝野幸男官房長官は12日、福島第1原発事故の国際評価尺度が最も深刻なレベル7と
なったことを受け「周辺住民、国民、国際社会に対してこうした事態になって申し訳ない」と
陳謝した。
同時に「(旧ソ連の)チェルノブイリ原発事故と違い、事故による直接的な健康被害は
出ていない。今後もそれを最優先にしっかり取り組む」と強調した。都内で記者団の
質問に答えた。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/12/kiji/K20110412000612990.html
そりゃ短期的にはそうだろうよ。福島原発近くになればなるほど短期的に危険だろうが。
もうよ国民はわかっているんだよ。長期的には危ういってさ。全員危うくなるわけでもないってこともさ。
もうよいい加減、事実公表しちゃえよ。もうよいいよ…
★枝野氏 レベル7で陳謝…それでも「チェルノブイリとは違う」
・枝野幸男官房長官は12日、福島第1原発事故の国際評価尺度が最も深刻なレベル7と
なったことを受け「周辺住民、国民、国際社会に対してこうした事態になって申し訳ない」と
陳謝した。
同時に「(旧ソ連の)チェルノブイリ原発事故と違い、事故による直接的な健康被害は
出ていない。今後もそれを最優先にしっかり取り組む」と強調した。都内で記者団の
質問に答えた。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/12/kiji/K20110412000612990.html
そりゃ短期的にはそうだろうよ。福島原発近くになればなるほど短期的に危険だろうが。
もうよ国民はわかっているんだよ。長期的には危ういってさ。全員危うくなるわけでもないってこともさ。
もうよいい加減、事実公表しちゃえよ。もうよいいよ…
火力でまかなう
CO2排出削減が絡んでる協定をことごとく反故にする羽目になる。一般的に、条約を破る国は信用がた落ち。他国との排出量取引のために日本の金が必要以上に金が飛んでいく。産油国の事情に完全に依存するリスクを負う。その他諸々…というか、そういった背景があって原子力に切り替えたわけで。
あと、火力発電に回帰したらNPTは日本にとって足かせにしかならない。しかし「原子力発電やめるからNPT抜けるわ」なんて理屈は国際社会では通じない。
使用量を減らす
総消費電力の約半分を占める産業用は省エネが行き着くところまで行っていて、いわば「からからに乾いた雑巾」みたいな状態。これ以上絞っても何も出てこない。
なので、この国で原子力発電を無用とするためには家庭用の総消費電力を6、7割近く減らさなければならなくなる。夏場のエアコン代だけでほぼ一年分使い切ってしまうレベル。そんな事出来るの?
…と書くと、「だからそれをみんなで考えようよ!」と蒸し返す(それでいて自分は何の対案も出さない)バカが、昨夜あたりからずーっと頑張ってるのが増田の原発ツリーの現状なわけ。
僕は多国籍軍が正義だと訴えたい訳ではなく、リビアの国民、カダフィに対抗する人たちの事を想うからこそ、多国籍軍ができるだけ少ない犠牲で迅速に成果をあげることを願っている。
介入までの経緯を忘れてる人が多いので、これを書こうと思った。
この文章 自体にたいした問題はないのだが、これを読んで「多国籍軍が悪い!カダフィは英雄!」と言い出す知り合いがいるのに驚いた。かなり平易に噛み砕いて説明してるから、仕方ないのかもしれないが、これを読んで「カダフィと反政府側がにらみあっただけで、世論を無視して多国籍軍が急激に推し進めて戦争始めた」と取る人がいる。
自分は、最後の最後までリビア反政府側の人々、つまりリビアの国民殆どを思えば、できることなら介入が行われない方が良いとずっと思ってた。事の経緯を見守ってた人の多くがそんな想いだろう。介入は望まないという大きな旗、あの写真は今でも忘れらない。リビアの民主化は、リビアの民衆の力で行われるべきだった。
しかし、一ヶ月あまりの間、あまりにも多くの民衆が犠牲になった。
今でこそ武装している民衆もいるが、多くが無抵抗やせいぜい棒や投石程度の武装で虐殺された。非人道的な兵器が民衆に対して使われた。爆撃を命令された戦闘機が命令を遂行できず、マルタに亡命したのを覚えているだろうか。掘り出されただけで数百人という単位で、命令に背いた高官が埋められていた。数千人が地下に閉じ込められていた。多くの幹部がカダフィから離反し、同胞を虐殺することを望まない軍も離反し始めたために、カダフィは傭兵を使って国民を攻撃し続けた。
その間、何度もいまこそ介入すべき時ではないかという論争があった。しかし、リビアの人の誇り高き「死は覚悟の上だ、最後まで自分たちで戦って自由を勝ちとりたい」という命がけの訴えを見て、出来るなら介入なしでカダフィの降伏まで行って欲しいが…と犠牲者数に呻きながら祈るような世論がTwitterでは主流だった。
むしろ、これだけの非人道的な虐殺が行われているのに、介入が今まで起きなかった事に、国際社会は本当によく我慢したとさえ思える。ブッシュだったら半月は前にもうリビアにミサイルを撃ち込んでいたのではないだろうか。オバマは最後の最後まで乗り気ではなかった。(昨日の声明がどっかに上がっているだろうから、読んでいただきたい。)
国連の決議が行われた直前には、反政府側の最後の拠点であるベンガジに総攻撃をかける、残り24時間で全てを終わらせるというカダフィ側からの通告があった。この時点では、介入も致し方なし助けに来て欲しいという意見もリビア国民に見られるようになっていた。もしカダフィ側が本気で空爆を始めれば、多くの国民が一瞬で死ぬ。これを受けたギリギリのタイミングで国連の決議が通った。
決議のすぐあとに、カダフィ側は「即時停戦する」という声明を出した。国連はすぐに攻撃を行わず、カダフィが本当に攻撃をやめるのか見守った。しかし、言っている事とは裏腹にミスラタへの攻撃は止まぬどころか、ベンガジにまで爆撃が行われた。
どうみても崖っぷちの状況だ。
介入はここで始まった。昨日のことだ。
介入を認めたくない、リビア人の手で民主化を成し遂げさせたいと思っていた自分でさえ、これ以上は無理ではないかという瀬戸際のタイミングだった。
しかし、多くの人はこれを聞いて「戦争が今始まった。多国籍軍が戦争を始めた」と取る。違うんだ、一ヶ月前からリビア国民の戦いは続いていたんだ。カダフィの虐殺は行われていたんだ。
一度介入が始まったからには、いかに民衆の被害を少なく、迅速にカダフィを降伏させるかを論点として欲しい。
英国はともかく少なくともオバマは最後まで消極的で苦渋の決断として今回の決定を飲んでいる。米軍は地上制圧しないと言っている。ブッシュのようにやらせまで使って世論を煽って正義を振りかざして攻撃したわけではない。始めに上げたブログで、世論は介入に傾いていないのにとあるが、それはオバマがブッシュのように世論操作しなかった、比較的冷静であった証拠だろう。
イラクがあのような事態になったのは、操作された世論によるところも多く、多国籍軍も正義を振りかざして攻撃しにいった感が強いが、今回は違う。介入が始まったからといって、絶対に最悪のストーリーになると決まったわけではなく、まだどのように被害を最小におさえつつ、どれだけ早くカダフィを降伏させるかという目的が残っているのだ。
たしかに、この介入で得をする国もあるだろうが、これまでのような「反米か親米か」「宗教戦争」「米帝」「イスラム教が悪い」などといったイメージにむりやり押し込めてリビアの状況を捉えないで欲しい。そして、そういうステレオタイプでしか見ない論争によって、カダフィの行った戦争犯罪、虐殺行為、なによりもリビアの民衆の意思と行動と犠牲がおざなりにされることだけは無い様に願う。
カダフィを擁護する意見の中には、カダフィの演説する支離滅裂な内容を信じている方もいます。カダフィは自分の敵を西側諸国の回し者だと言ったり、アルカイーダだといったり、麻薬漬けにされた反逆者だと言ったり、国民が電話を使えないように情報統制しておいて、「国民が私に電話で助けを求めている」等と言ったり、しまいにはアルジャジーラが黒幕だとまで言っていて滅茶苦茶です。最近は「英雄である私が国民を守る為にアルカイーダと戦っている所に多国籍軍を名乗る十字軍が侵略してきた」ことにしたいようですが。次に何を言い出すのか注目しておいてください。
さらに、多国籍軍によって国民が攻撃されたとリビアの国営放送では虚偽の内容を流し続けています。リビア人の中には「カダフィは捏造の為に、冷蔵庫に数千人の死体を用意している」という噂を語る人もいます。そんな噂が本当に信じられるような状況なのです。
多国籍軍が正義だとは言わないけど、それ以上にカダフィの言う事を信じるのは陰謀論がかわいらしくなるほどトンデモな事だと自覚して欲しいです。
/| |/ >ハーイ ヽノ~~~\ ,,,,,,/´・ω・` \,,,,,,,,,, 富士山
べつにこんな広範囲に停電とかやらないでも被害のすくないうえに電気をくう23区を1つづつ落としていけばいいんじゃがの。
千葉とか意外と震災被害ひどいらしいぜ? あっちも津波あったんだよ。コンテナとかゴロゴロなんだよ。液状化してるところもあるし、ガスタンク火災とかもあったのに何スルーして停電させてんだよと。
まずは千代田区から電気を落とせって、率先してやらないで民を切り捨てるとかどうかしてますぜ。
国会とか、どうせおまえら役にたたないんだから、福島原発の30キロ近辺に本拠地をおけばいい。
真剣にやるだろうし、奴らが逃げ出したら、あ、やべぇんだなとわかるしね。
首都の地震発生時の被害想定をもとに今回の経済的被害額を推論してみるよ。
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/tmg/assumption.html
http://www.bousai.go.jp/syuto_higaisoutei/pdf/higai_gaiyou.pdf
・死者想定が11000
・建物被害が85万棟 55兆円
これを今回の東北関東大震災に直さなきゃいけない。
今回の地震の人的被害の把握もまだできないのだけど、行方不明者をあわせて勘案するにワーストケースを考えて人的被害:16,000~18,000人ぐらいかしら
また群発地震になっていて建物被害は北アメリカプレート上にのる東日本まるまる広範囲に及ぶ。
建物倒壊件数は津波の被害を考えなければいけないし、500年に1回の頻度の地震でも大丈夫なように防災アセスメントをとっていたガスタンクは見事に燃えちゃっているしな。
あーー
あれ?役にたたんぞえ!?
仙台港石油コンビナートの消失だけで数千億ぐらいいっちゃうだろうし、千葉の関連の施設だけで同額いきそうだっての。他の施設も点検や修繕などを合わせると巨大設備だけで1兆円いくんじゃないかな。
交通インフラの被害も甚大で道路などはこれらの復旧は幹線道路はともかくとして、生活道路などをあわせると戻すのに3年ぐらいはかかるだろう。考えれば考えるほど途方にくれる。
別の角度から推論しよう。
都道府県別にみると今回被害の大きかった岩手、宮城、福島、茨木を合計すると約32兆円
全部が被害を受けるわけではないとおもうので、今後3年間に平均して稼働率が60%に落ちるとすると、58兆円。
今回は関東地方も停電などの影響で被害をうけており、電力の逼迫は夏ごろまで続くと予想されている。
関東地方のDGPは大きく、東京、神奈川、栃木、埼玉、千葉の合計値が162兆円
今後3ヶ月で正常にもどるとしてその間の稼働率が平均して80%落ちるとすると、8.1兆円。
東北電力での計画停電で影響があるであろう、同じく被災地の秋田や青森、また震度6などを記録している静岡や新潟、長野などは考慮外。これらを合計すると機会損失的な合計が66兆円ぐらい。
人的損失を考えると、想定した16000人のうち生産人口を4割と低めに設定して、生涯獲得賃金を3億円として計算すると、まあだいたい2兆。あって4兆円ぐらいか。価値創出を勘案して3倍にしても12兆円。こちらはそれほどでもないかもしれない。仮に8兆円にしておこうか。
次原子力関連
これは被害額が大きそうだ。世論が暴走して将来日本で原子力が使えないとなると、相当なハンデを国際社会にたいして背負わなければいけなくなる。もしかしたらひょうたんから駒でクリーンエネルギーに転化して+に働くこともあるかもしれないので将来損失についてはあえて計算しないこととする。
建築被害
NHKが被害地域への受信料免除を設定したのは現在で56万件。まあ倍ぐらいにまでは増えるだろうから、仮に120万件として、東京都の場合85万件の被害で55兆円なので78兆円ぐらいか。
東京都の建物と東北の建物の建築物的評価は異なると思うけど、その分護岸とか、漁船とかも壊れているので妥当でしょ。
ここまでで210兆円!
うわー
誤差を1/4とかとっても50兆超すな。場合によっては国のGDPが消えて飛ぶ可能性もあらぁな。
リーマンショックショック並みに下げた相場は一応もどしてはいるけど、今後被害がまとまるとこれらの経済停滞、低下をうけて世界的な経済的なインパクトを持つ可能性がある。そうなると1000兆円とかがまた泡と消えるレベルだけど、正直そこまではいかないと思うので、世界的にはまあいま膨らんでいるので400兆ぐらいのインパクトで収まるかな?
アラブドミノから予想されるコモディ市場の急上昇が懸念されているので、もう勘弁してくれという感じや。
日銀はいままでで15兆円ぐらいオペしたという話しを聞いたけど、どうでしょうね。一応効果はあったみたいですがどこまで耐えられるかが気になるところ。単純被害だけで200兆円レベルとなると、日本のGDPの半分、国の税収30兆の7倍ぐらいなので臨時国債発行は続くでしょう。そうなるとまた別の問題が出てくる。新潟中越地震の激甚災害と同様の補償をすると国がもたないレベルだね。それを押してとおすためには相当刷らないとだめだ。
数百兆レベルが水増しされるとなると、それだけ保有資産のバリュエーションは目減りするわけで、いままで資産やネットワークを持って囲い込んでいたプレイヤーの交代が日本でも起きるかもしれない。小さい会社も多くつぶれるだろう。新陳代謝が進むので歓迎すべきことだけど、急激すぎておっかねえわ。権力層にいる人たちには悪夢。団塊世代との世代交代はこれを期にいっきにおこるかもしれない。
生活環境、医療環境が急速に悪化することで高齢者の延命を図ることが難しくなるとおもう。
逆に若いひとは停電でやることなくて戦後みたいに、一段落したら出生率増えたりしてね。
思わぬところで少子高齢社会が解決するかもしれないと淡い期待を持って見る。
不幸の次には幸福を。
やれるって。きみならできる。
してないよ。生産に寄与していない層を保護するには限界がある。という話だろ。
もともと、働きたくても働けない。 という おかしな言葉。 まるで、働きたいと思ったら、働けるのが当たり前であるかのような言葉がまかり通っているが、理想であって現実ではないという話だろ。
そもそも論として、単純労働は出来る人が多く、仕事の量はそれにたいして少ない。そして、そういう仕事はどんどん安い地域に持って行かれる。
だから、そういう仕事を国内で増やすためには、非単純労働が出来る人を増やさないと、単純労働の総数が増えない。したがって、単純労働の数を増やすために、非単純労働を優遇して伸ばさないといけない。という話だろ。
そのなかのサンプルとして、都市一極集中が出てきているが、それは現象であって、議論ではないと思うよ。
もっといえば、同時並行に話をしているんだから。
『所得移転』といわれているが、地方に所得と呼べるものがあるのか?という話だったはずだ。
地方に所得と呼べるものがあって、それを中央が奪っているのか?
それをやると、非単純労働が競合国際社会に負けて、競争力が無くなり輸出が減少するから、結果として、単純労働も減ってしまうから不可能。というのは、歴史の流れだと思うが?
ITなんかの振興産業を例にとればtwitterにしろFacebookにしろ、もっとわかり易い例で言えばお家芸のiPhoneにしろandroidにしろ 日本は全敗
なぜか? 頭が居ないからなんだよ。
なんで、頭が居ないのか? 中庸主義で、頭をたたきまくった結果、 頭は皆 渡米したから。(私の周りも結構渡米した人が多い)
だから、法人税減税にしろ、所得税の上限引き下げにしろ、優遇政策を撮り始めて
そもそも、中庸というのは、この前どこかの未開の地で、新しい部族が発見されたけど、そういうようなのも含め、インドで餓死する人が出ているようなのも含め
グローバル社会の中での 中庸であって、 今よりも だーーーーーーいぶ下の方なんだよ?日本はGDP3位の国で、平均をとっても裕福なんだよ。
それを、中庸にしようという事は、 保育園なんて、贅沢だ という話をするに等しいよ。
中庸そのものは美しいと思うけど、現実的に今の日本で中庸というのは、すんごい下の方だという事を考えると難しい。
あと、中庸がいい。じゃなくて、政治的経済的、グローバルな視点で、政策として実行可能な範囲でどの中庸なのか?どういう制作なのかを、
長文できちんと説明してくれないと、 中庸有りきでいわれても、 困るよ。 中庸と行っても 莫大な数の中庸案があるからね。
時代背景に反することを説明する場合は、きっちり、なぜ、時代背景に反したことを主張するのかを善悪ではなく、実行可能かどうかの観点から全部説明してくれないと困る。