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はてなキーワード: 音楽とは

2024-03-19

anond:20240317222158

うっせえな

本読んだら参考資料までとは言わんが、あとがきや奥付まで読むでしょ?一緒じゃないん?

エンドロールってのはエンディングのためだけに作られたのにやたらとコマーシャルで擦られる聞きあきた音楽とともに余韻を楽しむ思考時間なんだよ

終わってねえんだよ

エンドロールが終わって、暗かった館内が明るくなって、ようやく映画が終わるの、わかる?

本編だけ見てはい終わり~!で外出てみ?絶対スマホ触るでしょ?情報量多すぎて映画に対する思考時間取れへんやんけ

あとエンドロールが何もないって、どんな人が関わってるか、エンドロール自体にどんな演出がされてるか、意識して見てないから言えるんだぞ

エンドロールも含めて作品だろ

わからんやつはピクサー時代トイ・ストーリーモンスターズインクエンドロールまで見ろ

そっから耐性つけていこうな!

2024-03-18

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

――――――――

  

自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

――――――――

  

いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

――――――――

  

他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

――――――――

  

マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

――――――――

  

設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

――――――――

  

そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

――――――――

  

おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

――――――――

  

やっぱりあんまりまとまらなかった。

ゴジラ-1.0の良かったところ(ネタバレあり)

アカデミー賞取ったから観に行ったミーハーです。

まぁもうネタバレありで良いっしょってことでネタバレありで良かったところまとめる。

ストーリー

1.敷島自分意志脱出レバーを引いたこ

正直、橘が起爆レバー脱出機能も紐づけて死ぬつもりだった敷島を生かすという流れだと思っていた。

2.橘が脱出レバーのことを敷島に伝えたこ

ほぼ上と同じ。

自暴自棄になっていた敷島を見た後も敷島の生きる意志を信じた橘に拍手

俺なら起爆スイッチ脱出機能つけちゃう

3.あーなんだよ典子生きてるとかリアリティねーってなった後の絶望

ゴジラ敷島を逃してはくれない。

2作目があったら次はゴジラ後遺症問題(+復活したゴジラ)かな?

4.ベタだけど熱い

わかりやすい前フリ(ゴジラ敷島因縁付け)、中盤(愛する人を失って自暴自棄になる)、終盤(ピンチになるけど最後なんとかなる)だったけど、これでいいよね。

鬼滅もこのシンプルさがウケたわけだし、ベタベタで良い。

映像

1.ゴジラ怖い

銀座に襲来したとき、一緒に観に行った彼女が俺の手を握ってきた。(のろけ

2.戦艦とかメカがかっこいい

艦これで観た!が何度かあった。

3.統一感があった

多分、家の中とか以外は全部VFXだったのでは?統一感があって良かった。

その他

1.怪獣宇宙人映画によくある意味ないエロがない

これは-1.0の良いところというよりゴジラの良いところよね。

ゴジラ全部観てないから知らんけど。

2.音楽

今流れて!って思ったときにいつものアレが流れてくる。最高。

総合評価

パンツが見れなかったので☆1です

好き

音楽が好き、ひとりでもいいから。「誰にも愛されなくたってあなたが生きててほしい」って歌詞が好き、救われた時があるから動物が好き、優しさしかいから。

空気が好き、透明だから。山が好き、ただそこにあるだけだから。人が好き。悩んでる人がいたらなんでもするよあなたは美しいよ。精一杯だから

好き

音楽が好き、ひとりでもいいから。「誰にも愛されなくたってあなたが生きててほしい」って歌詞が好き、救われた時があるから動物が好き、優しさしかいから。

空気が好き、透明だから。山が好き、ただそこにあるだけだから。人が好き。悩んでる人がいたらなんでもするよあなたは美しいよ。精一杯だから

映画エンドロール確認するべきところ

声優俳優

アニメ場合特に声優陣をよく見てると

「え、あの声ってこの人だったの?」

っていうのがよくある

別に声優じゃなくて普通俳優とかお笑い芸人とかが出てきたりして面白い

あと、「この犬の声はこの声優だったんか」みたいなのも見つけられる

俳優についても

「途中ででてきたあの人、格好良かった・可愛かったな」

という人の名前をチェックできる

ちなみに「特別出演」は「この人は脇役で出てるけど俳優としてのクラスは主演だから脇役なんかで使える人じゃないからな!」という意味

友情出演」は「この人、この作品が凄い好きらしくてノーギャラで出てくれました。マジ感謝」の意味

主題歌挿入歌音楽担当

主題歌挿入歌歌手作詞作曲あたりをチェックする

「これもAyase/Vaundy/米津が作ったんかよ」

みたいな発見がある

あと映画の出来は音楽に左右されるところが大きいので

良かった映画音楽系を誰がやったかチェックするとよい

協力自治体確認

聖地巡礼のためにどこの自治体が協力していたか確認する

わざわざ行かなくても、出張旅行たまたま行ったとき

「そういやあの映画舞台ってこの辺だったな」

と思い出して、軽く聖地巡礼できる

監督がどこまでやったか確認

総監督」としてしか名前が出てこない場合は「名前貸しただけで何もやってません」に等しい

監督名前がどのくらい出てくるかで映画としてどこまで関与していたかが分かる

良作・駄作のどちらであってもこの辺をしっかり確認して

今後の映画のハズレ回避に使える

ハリウッド映画場合

俳優だけ確認したらあとは特に見るところが無いのでさっさと出て良い

anond:20240317222158

何がラノベで何がラノベじゃないって、只管どうでもいい。

音楽で言えば、何がロックで、何がロックじゃないかみたいな話で、只管どうでもいい。

逆に分類しないと何か不都合があるのか。

2024-03-17

野菜なんか食べなくても大きくなれると思っていた

私は野菜が大嫌いだ。

あのようなまずものを嬉々として食べる人の気が知れない。

野菜なんか食べなくても大きくなれる。

現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。

そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。

私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。

野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。

私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。

私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10である今が最後だろう。

あるとき、駅の構内にある喫茶店パスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人ムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供自分を克服できるかもしれない。

パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック勇気を振り絞って口に運んでみる。

シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。

小学校担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。

吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。

新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。

しかし私は諦めない。思うに、まずはマヨネーズごまドレッシングなどのまろやか系から挑戦すれば良いのではないか

とにかく、野菜を好きになるまでは行かなくとも、健康を保てる量の野菜摂取できるようになりたい。

「歳をとると感受性が衰える」ってやつ

40半ばでも全く意味がわからない。

次々新しいジャンル出会うし広がっていく。

本読んでも漫画読んでもyoutube音楽聞いても涙が出る。

しろ若い頃よりガンギマることが増えてきた気がする。

 

レゲエなんて全然からなかったのに今はビンビンに来るし(ARAREとかCHEHONとかRED SPIDERとか)

推しっていうのもわかるようになったし(平本蓮が大好き)

ある種のC級アイドルがなんでいいのかもわかるようになった。(YABACUBE)

 

ただかわりに若い頃に好きだったもの別に全然特別じゃない

最近気づいたけど自分が20歳ぐらいまでに好きだったものを至上のものとして終生ずっと好きな人って結構いて

そういう人と話すと同年代なのに全然話が合わない。(若いのものほとんど印象薄れてるか忘れてるから

  

「歳をとると感受性が衰える」って言うのの正体は

若い頃のことずっと覚えててそれが一番好きって言うタイプの人のことなんじゃない?

同じ物がずっと好きでも世間ではそれの供給は減ったり絶えたりしてくるので結果的に心が動くことが減るっていう・・・

anond:20240315115546

クラブ ①学校課外活動 ②会員制酒場 ③♣ ④ゴルフの用具 ⑤新体操ジャグリングでつかう棒 ⑥サッカークラブチームの略 ⑦DJの音楽に合わせて踊りを楽しむ店

音楽の生成AI進歩するのを楽しみにしている。

自分が好みの音楽言葉入力すると、それらしいやつが生成・再生されるようなものだ。

ムードジャンル指定する仕組みもありそうだが、それだけでは好みの詳細は捉えられない。

「もうちょっとテンポを早く」とか「ベースが主張する感じで」とかで微調整をすることになるだろうか。

インプット言葉である以上、生成AI使用した創造の根幹は言葉ということになる。

言語化能力が高い人ほど、正確なイメージインプットし、微調整をかけていくことができる。

肉体的・直感的な音は一度言葉フィルターを通し、AI上で再結合される。

オレンジレンジ、俺が中学生の頃めちゃくちゃ流行ってたのにもう何年も名前を目にしてない気がする。

追記。シティボーイって曲が好きだったことを思い出して今聴いてる。聴きたい音楽を聴きたい時に聴ける時代って便利よな。

2024-03-16

気をつけている暗黙の了解

焼肉食べ放題でも50人前食べてはいけない

納豆定食生涯食べ放題でも毎日行ってはいけない

・サブスク音楽を聴いてはいけない

他には?

anond:20240316154811

「鬼リピ」は男でも若干使う(音楽とか)

久しぶりにCDを取り込んだ

知らない人は知らないと思うが今はCD音楽

スマホアプリに取り込める。

昨日、久しぶりにそれをやった

ßźのシングル今夜月の見える丘に

ZARDシングル「瞳閉じて」

小田和正アルバム

バンドリのカバーアルバム

その四つだった

曲数が多かったため、一時間ぐらいかかった

取り込んでる間は暇になるので前に入れた音楽

聴いたり、ケースのCDを眺めたりしてた

にしたってケースに入ったCD母親の買った物ばかりなのだがどうも色々おかし

ユーミンとかアリスとかはまだしも

DragonAsh木梨憲武ヤマハ音楽教室と書かれた謎のCDまであった

いからといって買いすぎである

まあ、そんなこんなで全部取り込んで

から聴いてみた

途端、脳内に流れてくる色んな風景である

地平線まで続く青空、橋から眺めた大きな川

知らない街の夜景渋滞の時のテールライトの灯篭、体調が悪い時に寝そべりながら眺めた車の天井信号待ちで母からもらった飴のほんのりとした甘さ

それらはすっかり忘れたと思っていた

だけど私の記憶の引き出しにはちゃんしまってあったのだ、取り出し方を忘れただけで

それで嬉しくなって何回もリピートしてしまった

それからCDをていねいに元のケースに戻して

私は記憶の引き出しをそっとしめた

また忘れたころにこの引き出しは開くだろう

そしてまだ脳内子供自分わがままを言っている内に私はバンドリのアルバムを聴いた

よかった

自分は寂しがり屋なんだと思う

から、小さなから部屋を暗くして寝るのが苦手だった。

いつからだったろうか。

窓のカーテンを開けば外の豪奢な灯りが一面に飛び込んでくるような所に来たのは。

出来るだけ部屋は暗くしている。そうしたほうが、動く者の姿がよく目に入るから

モニターは三台。dvdも三台。

横一列に並んでる。

流すのは常に映画。でも何を流すかまでは決めていない。

帰宅後、家に足を踏み入れると音が聞こえる。

トントン、というものかもしれない。ドシュン、ドシュンとレーザーを飛ばす音かもしれない。

映画は暗闇の中で流れ続け、誰もない観客に映像提供し続けている。

ひと段落ついて特等席のソファに座り、モニター三台が目の前に来る。

睡眠導入剤を温めたコンビニ弁当と共に胃に流し、ふわっと意識が次第に上昇してくるのを感じ得る。

それは意識睡眠覚醒狭間彷徨ているような感覚で、眠りに落ちる手前の崖に突っ立ち、そこで下を眺めているような状態

飛び降りない。そこに留まって俺は映画夢遊病のような状態で鑑賞し、次第に三つの映画ミックス、合わさり合って観えてくる。

映像は立体になりモニターの縁をぶらして揺らし、身体ゆっくり揺れては地震のような倒錯感。

次第にゆっくりと、ヨガ深呼吸のように緩やかに意識沈殿していき端の崖から飛び降りる。

その先には夢があり、半夢遊病状態から夢の中へ覚醒する。

誰かが何かを言い続けていて、どこかで爆発が起こりもしながら夢に入り、夢の中でも引き継がれ、朝に起きると頭が痛くDVDは止まっていて無音。

ゆるやかな喧噪を感じながら目を覚ます

都内の夜の交差点。誰もいない。信号機のみが呼吸する。ふいにオルゴール音楽が流れはじめ、時計が針の音を軋ませ、オルゴールが鳴り止むと信号が全て青に変わった。

そこで目を覚ました。今日平穏で慎ましく、調和のとれた一日が始まるのだと思う。

2024-03-15

両耳にワイヤレスイヤホンを付けた状態で右耳を長押し。

しばらくすると、無音な両耳に「パアーオゥフ」との外国女性の声。

それが両耳でハモる。この瞬間がたまらなく好きだ。

ひとつの演技を見せられたかのようだ。

そして、無音という終了感。

この瞬間が楽しくて、逆転的に音楽をよく聞くようになったのかもしれない。

終わる瞬間のために聞いているのかもしれない。

「「パアーオゥフ」」。好きだ。

コロナの時もそうだったし、今回の麻疹もそうだけど…

音楽関係者って「大人に言われたことを守らない俺かっこEEEEEEE」って言う中学生メンタルから一歩も成長してないよね。隠れてこそこそタバコ吸ってるガキと一緒。ただただダサい

2024-03-14

イヤホン音楽聴かない人って何考えてるの?

語弊があるタイトルなっちゃったけど

街歩いててさ、イヤホンしてない人結構いるじゃん

なんかかっこいいなと思う 俺音楽聞いてないと歩いてるめっちゃ暇だから

音楽聴いてない人は歩いてる時何考えてんの?

脳内ぐるぐるメロディー

ちょっと小耳に挟んだ歌とか、ちょっと思い浮かんだ音楽がずっと頭の中で鳴っちゃうとあるよね。

私今それです。

さっき仕事気分転換ちょっとギターブルースアドリブとか弾いてたんだけど、その時適当に指グセで弾いたフレーズが今ずっと脳内をぐるぐる回ってる。

ありきたりで面白くもなんともないフレーズ。早く霧散してほしい。

USB端子の処女

スマホを買い換えた

今のスマホってデータ引っ越しも前のスマホを近づけてちょちょちょっとできるし

充電も無線充電で十分

写真データとかもクラウドにアップするものばかり

音楽聴くイヤホン無線が主流

2週間使ったけど、USB端子にケーブルを突っ込む必要が無い

 

このUSB端子ちゃんがオスを知るのはいつのことなんだろうと

ついつい考えてしまう私なのでした

公式元ネタが「やめろ」「不快です」と言ってからが本番よ

ロックマンのどれかの主題歌作曲家が「私の作った音楽下ネタ(金玉を振り回す異常性癖ポルノ動画)を合わせるのはやめてください、品性を疑います」ってキレたら

ネットオタク面白がって金玉振り回しMAD量産したり、物を振ったりヘドバンする動きにその曲を合わせてそれを想起させるような示唆をしたり、「はい品性」「品性疑う」と作曲家の怒りの声を定型文して、キレる前よりもおもちゃにしたよな

外国でも作者が何度もやめろと言ったのに、ちょっとキモいカエルマスコット差別象徴として過激なことを言わせた結果、作者はそのカエルを作中で死亡させたよな



そういうことだ、次に増えるのはずんだもんのより下劣動画群と、より巧妙かつ執拗に作られるウマ娘エロと、AI学習を嫌がる人間を中心に学習させた嫌がらせ用のモデル

当人が嫌がると、周りは余計にやりたくなってしまイジメロジック

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