はてなキーワード: 地滑りとは
公の場で政治の話はできんので半公共的な場所で匿名であれこれ書き散らそうと思う。
【目的】
今まで奈良県政に興味がなかった県民、紀伊半島の住民、それ以外の人たちに、ぱっと「滑走路VSメガソーラー」の構図だけ見て「滑走路いらねえだろ」と言われている。一県民としてはバックボーンを知ってから滑走路とメガソーラーの議論に参加してほしいと思った。
県政って突然計画が生えるものじゃなくて、ちゃんと文脈があるからそこを理解してほしいし、広域防災拠点は奈良県だけではなく紀伊半島すべてに影響する話なので関係ないと思ってる他府県民もめっちゃ関係あるし、単純な構図で論争が起きてるわけではない。
※この日記は滑走路欲しい人が書くので中立風に書いてはいるものの、まったく中立の視点ではない場合があることに留意されたし。
【今までの流れ】
・南海トラフが起きた時、救助や支援は深刻な被災が起こり得る和歌山、人口の多い大阪が優先される。
・奈良県はすぐに支援が受けられない(そもそも優先順位が低い)→災害時の広域応援部隊の重点受援県ではない(要するに、国が定めた基準の穴kでは奈良県全域が支援を最優先にしてもらえない地域)
・県内には自衛隊の駐屯地がないため、災害発生時は京都に支援要請→災害派遣の流れ。つまり救助開始までの初動が遅く、対応が後手でしかできない。
・県南部民をはじめに奈良県も防災拠点の設置および自衛隊の誘致を希望していた。
・和歌山県からも「南紀白浜空港だけでは南海トラフなどの大規模災害時の対応に間に合わない」と希望があり2000m級と計画された。
・地元住民は計画に同意し「防災拠点と滑走路ができる」認識で土地を売却。
・土地売却して計画始動のタイミングで、県知事選の結果荒井氏から山下氏へ。
・地元住民への十分な説明なく「メガソーラー案」が立ち上がり計画を強行する流れになる。
・何度か行われる説明会でも基本的に同じ説明のみ、「このプランが一番良い」と主張。
・メガソーラーで発電、電力の売却や蓄電池の設置、水素ステーションの建設プランを打ち立てる。
・災害発生時はソーラーで発電して備蓄した電力を蓄電器に充填し、各地に配布する予定。
・滑走路は大型ヘリポートへ。
・地元住民の反対や市議会での予算決議などで計画は一時保留の状態。←イマココ!
【滑走路あれこれ】
・滑走路の大きさは大型輸送機(C-2のこと。能登でも活躍した。)の運用に必要な規定のサイズ。
・滑走路とは言うが、大型ヘリポートとしての機能も持つので実際は「航空機の離着陸用の土地」。
・前例としてはのと里山空港。滑走路がひび割れている間はヘリポート、滑走路が直ってからはC-2の離発着に使用。
・普段は使わないわけではなく、自衛隊にUH-60Jなどの離発着場として提供するほか、民間機の誘致もし、南部の活性化・アクセスの悪さの解消を狙う。(ここものと里山空港とか南紀白浜空港と一緒)
・建設したって使わないなら~論調はもうここ十年議論し尽くされ、使用用途は明確に決まっている。
・平時であれば自衛隊と民間機の離着陸、非常事態は災害防災拠点。
・そもそも使わないでいられる方が幸福なのだ。ここがフルで稼働するときは、近畿全域で甚大な災害が起きた時である。
【メガソーラーあれこれ】
・一部県民、特に南部民は「寝耳に水だよ!」「そんな計画だったら土地売らなかったよ!」「え?!安全ってマジで言ってる!?2023年6月2日の大雨でこの辺の太陽光発電システムで地滑りを起こしたよ!?溜池が決壊して激甚災害指定されましたが!!!???」「自衛隊マダー?」という感じ。
・ソーラー建設賛成派、作ってもいいけど滑走路もそのままでいいんじゃない?、反対派、そのほかグラデーションの皆さんがいる。
・先述の激甚災害に指定されたことを含め、10~20年で産廃になる可能性もメンテナンスの必要性もあるけど、費用対効果は?
・別にメガじゃなくてもいいのでは?(施設屋上にソーラーパネル配置とかでもいいのでは)
・五條って知ってますか?地図とかグーグルアース見たらわかりますけど「山」ですよ。送電どうするんですか?
・メガソーラーの近くに水素ステーションも作る予定って水爆知らんのか?
・水素ステーションは安全だよ、そんなんだから後進国になっていくんだ!
……と、保守派云々というより前例と実態が明確でなく、過去の事例も踏まえて好感度マイナススタートのメガソーラー。喧々諤々あるものの「へ~そっちのが利益あるなら多少計画から変わってもいいよね!」とは簡単にうなずけないのである。
【補足情報】
・広域防災拠点は救助要員の派遣や救援物資の受け入れなどを担うところ。
・奈良県内だけでなく、紀伊半島全域が対象なので、奈良県だけでなく、三重や滋賀あたりでの大型の災害が発生した場合も使用する拠点になる。
・国からの支援を受けて作るものなので県の独断で作っていくものでもない。
・前知事はハコモノ好きだったが県の借金は順調に減少していたし、必要な予算は中央から上手に助成を使ったりして作っていたので押しなべて無駄とはいいがたい。
・防災ハコモノ利権と文句を言う人もいるが、それで金が流れて経済が活発化するのは県内企業。
・ソーラーは中国製が推されており、業者も上海電力関係。つまり金の流れる先はおおむね奈良県の外。建設中は奈良県に金を落としても、継続して奈良に住み、働き、企業を立ち上げ、地域を活発に動かしていく人たちではない。
・今の奈良県の借金は「ふるさと納税」が始まったことで他府県への納税が活発になっており、市町村の納税額が低く赤字になっていることにも大いに関係することに留意されたし。
・山下知事は「県が買った土地だから何を作ろうと県の勝手」という論法。
・↑の主張が一度でも通れば、「誰も住んでない場所がお金になるから嬉しいでしょ」理論で核廃棄物や原発が建設されるかもしれない。
・↑これが飛躍した論理だと思うなら、県民とってもメガソーラー計画や県が買った土地だから~という主張も飛躍した論理である。
【私見】
ていうか滑走路ほしいよ~メガソーラー反対派増えてほしい~某党メガソ賛同支持者SNSで声デカすぎてうぜ~~~~。
今まで伊丹とか関空とかまで高い金払って長時間移動して乗ってた飛行機が県内にあるだけでどれだけ旅行に行きやすくなるか…。新幹線も大阪か京都まで出ないと乗れないから、とにかく交通費で遠方旅行とか、移動にかかる時間で観光できる時間が少なくなってたの旅行好きとして悲しすぎる。車で行ける範囲も制限があるし、車は都市部の観光に向かないし…。
ヘリポート自体も悪くないとは思うけど、南海トラフ地震が起きた時、はたしてヘリだけで人員・物資を集めて紀伊半島全域カバーできるのか?大型ヘリだけの場合、東北から何往復必要になる?紀伊半島南部だけで90万人弱が被災するよ??
あとヘリポートにするならそれはそれでヘリポートの近くにメガソーラー作るの危ないだろ。ダウンウォッシュっていう強烈な地面にたたきつけるように吹き下ろす風を起こすから、その程度の風が何回も当たってたらパネル剥がれない?横風や上からの風に強くても地面に反射して下から回り込む強風も耐えられる?輸送数が増えたらその分、何度も吹き付けるよ?剥がれたパネルが人やヘリ、民家に落ちたり当たったりしたら危ないじゃん。メガソーラーが万が一火事起こしたら上昇気流発生して、そもそも離着陸できなくなるから防災拠点とかヘリポートとして使い物にならなくなるよ?災害時に物資を集めたり人が集まるところに漏電や火災のリスクがあるものをわざわざ作るの?
防災に関する金はけちるべきじゃないし、物資集めて再分配して~が南紀白浜空港だけじゃパンクするから五条にぜひ作って欲しいってのは和歌山県知事も要請してたことだよ。令和元年の県議会議録に経緯が残ってる。八尾は小型の航空機しかとまれないから大量の物資輸送できる航空機が乗り入れられないし(小回りが利くって意味ではあるけどね。)、南紀白浜から奈良まで、八尾から奈良までの陸路は絶対通れる保証もない。最悪のケースを想定して「陸路すべてが通行不可」になったとき、校庭や一般的なヘリポートにしかとめられない、小型~中型のヘリで奈良県全域に必要な物資を届けることはできるの?道路を作ったり、山を削ったりする技術を持つ地元の土建屋の仕事がなくなって技術のある人が県外に出たり、企業が倒産したり、能登の時みたいに重機は社有してなくて外からレンタルする方式だったらどうやって道路を復旧したりがれきを撤去したりするの?
災害が起きた時他県に頼るということは「自分たちの命を人任せにする」ことだ。よそに空港があるからそこでいいじゃん、まさかそんなこと起きないでしょ、なにかあったら大阪や和歌山や京都に頼ればいいじゃん、全員に袖にされるわけないでしょ。それって、自分の家に備蓄があることを知った隣人が「じゃあ何か起きたらあなたを頼ればいいわね!」って面の皮厚く言ってるのと変わらないってこと、分かってないよね。恥を知れ本当に。奈良県が被災するとき、和歌山も大阪も京都も大きな被災地になっている。なぜ彼らは自分たちのことで手いっぱいで、よそに人員を貸し出せないといってこないと思っている?今、ここで誰か助けに来てくれたら。そう思っても「現地に着くまで県境を越えるのでちょっと待っててくださいね」のこの時間がどれだけの命を奪う?土地勘もない、訓練もしていない他県で難しい判断を迫られる救助隊員だって大変だろう。
災害はその時だけじゃなくて起こる前・起こったとき・その後と継続的な支援が必要なのに「起こったとき」しか対応できないししてもらえない。物資と人という、もっとわかりやすい「救い」を運んでくれるものを捨てるのは、そこに住む人、近畿に住む人の命を捨てるのと変わらないのではないか?
山深い村とか集落が多いのに災害救助のプロが県内に常駐していないことを真剣に危機的状況であることを自覚した上で、まだメガソーラーを求めるのか、考え直してほしいし、安易に賛成するべきでも、反対するべきでもないのだ。
公の場で政治の話はできんので半公共的な場所で匿名であれこれ書き散らそうと思う。
【目的】
今まで奈良県政に興味がなかった県民、紀伊半島の住民、それ以外の人たちに、ぱっと「滑走路VSメガソーラー」の構図だけ見て「滑走路いらねえだろ」と言われている。一県民としてはバックボーンを知ってから滑走路とメガソーラーの議論に参加してほしいと思った。
県政って突然計画が生えるものじゃなくて、ちゃんと文脈があるからそこを理解してほしいし、広域防災拠点は奈良県だけではなく紀伊半島すべてに影響する話なので関係ないと思ってる他府県民もめっちゃ関係あるし、単純な構図で論争が起きてるわけではない。
※この日記は滑走路欲しい人が書くので中立風に書いてはいるものの、まったく中立の視点ではない場合があることに留意されたし。
【今までの流れ】
・南海トラフが起きた時、救助や支援は深刻な被災が起こり得る和歌山、人口の多い大阪が優先される。
・奈良県はすぐに支援が受けられない(そもそも優先順位が低い)→災害時の広域応援部隊の重点受援県ではない(要するに、国が定めた基準の穴kでは奈良県全域が支援を最優先にしてもらえない地域)
・県内には自衛隊の駐屯地がないため、災害発生時は京都に支援要請→災害派遣の流れ。つまり救助開始までの初動が遅く、対応が後手でしかできない。
・県南部民をはじめに奈良県も防災拠点の設置および自衛隊の誘致を希望していた。
・和歌山県からも「南紀白浜空港だけでは南海トラフなどの大規模災害時の対応に間に合わない」と希望があり2000m級と計画された。
・地元住民は計画に同意し「防災拠点と滑走路ができる」認識で土地を売却。
・土地売却して計画始動のタイミングで、県知事選の結果荒井氏から山下氏へ。
・地元住民への十分な説明なく「メガソーラー案」が立ち上がり計画を強行する流れになる。
・何度か行われる説明会でも基本的に同じ説明のみ、「このプランが一番良い」と主張。
・メガソーラーで発電、電力の売却や蓄電池の設置、水素ステーションの建設プランを打ち立てる。
・災害発生時はソーラーで発電して備蓄した電力を蓄電器に充填し、各地に配布する予定。
・滑走路は大型ヘリポートへ。
・地元住民の反対や市議会での予算決議などで計画は一時保留の状態。←イマココ!
【滑走路あれこれ】
・滑走路の大きさは大型輸送機(C-2のこと。能登でも活躍した。)の運用に必要な規定のサイズ。
・滑走路とは言うが、大型ヘリポートとしての機能も持つので実際は「航空機の離着陸用の土地」。
・前例としてはのと里山空港。滑走路がひび割れている間はヘリポート、滑走路が直ってからはC-2の離発着に使用。
・普段は使わないわけではなく、自衛隊にUH-60Jなどの離発着場として提供するほか、民間機の誘致もし、南部の活性化・アクセスの悪さの解消を狙う。(ここものと里山空港とか南紀白浜空港と一緒)
・建設したって使わないなら~論調はもうここ十年議論し尽くされ、使用用途は明確に決まっている。
・平時であれば自衛隊と民間機の離着陸、非常事態は災害防災拠点。
・そもそも使わないでいられる方が幸福なのだ。ここがフルで稼働するときは、近畿全域で甚大な災害が起きた時である。
【メガソーラーあれこれ】
・一部県民、特に南部民は「寝耳に水だよ!」「そんな計画だったら土地売らなかったよ!」「え?!安全ってマジで言ってる!?2023年6月2日の大雨でこの辺の太陽光発電システムで地滑りを起こしたよ!?溜池が決壊して激甚災害指定されましたが!!!???」「自衛隊マダー?」という感じ。
・ソーラー建設賛成派、作ってもいいけど滑走路もそのままでいいんじゃない?、反対派、そのほかグラデーションの皆さんがいる。
・先述の激甚災害に指定されたことを含め、10~20年で産廃になる可能性もメンテナンスの必要性もあるけど、費用対効果は?
・別にメガじゃなくてもいいのでは?(施設屋上にソーラーパネル配置とかでもいいのでは)
・五條って知ってますか?地図とかグーグルアース見たらわかりますけど「山」ですよ。送電どうするんですか?
・メガソーラーの近くに水素ステーションも作る予定って水爆知らんのか?
・水素ステーションは安全だよ、そんなんだから後進国になっていくんだ!
……と、保守派云々というより前例と実態が明確でなく、過去の事例も踏まえて好感度マイナススタートのメガソーラー。喧々諤々あるものの「へ~そっちのが利益あるなら多少計画から変わってもいいよね!」とは簡単にうなずけないのである。
【補足情報】
・広域防災拠点は救助要員の派遣や救援物資の受け入れなどを担うところ。
・奈良県内だけでなく、紀伊半島全域が対象なので、奈良県だけでなく、三重や滋賀あたりでの大型の災害が発生した場合も使用する拠点になる。
・国からの支援を受けて作るものなので県の独断で作っていくものでもない。
・前知事はハコモノ好きだったが県の借金は順調に減少していたし、必要な予算は中央から上手に助成を使ったりして作っていたので押しなべて無駄とはいいがたい。
・防災ハコモノ利権と文句を言う人もいるが、それで金が流れて経済が活発化するのは県内企業。
・ソーラーは中国製が推されており、業者も上海電力関係。つまり金の流れる先はおおむね奈良県の外。建設中は奈良県に金を落としても、継続して奈良に住み、働き、企業を立ち上げ、地域を活発に動かしていく人たちではない。
・今の奈良県の借金は「ふるさと納税」が始まったことで他府県への納税が活発になっており、市町村の納税額が低く赤字になっていることにも大いに関係することに留意されたし。
・山下知事は「県が買った土地だから何を作ろうと県の勝手」という論法。
・↑の主張が一度でも通れば、「誰も住んでない場所がお金になるから嬉しいでしょ」理論で核廃棄物や原発が建設されるかもしれない。
・↑これが飛躍した論理だと思うなら、県民とってもメガソーラー計画や県が買った土地だから~という主張も飛躍した論理である。
【私見】
ていうか滑走路ほしいよ~メガソーラー反対派増えてほしい~某党メガソ賛同支持者SNSで声デカすぎてうぜ~~~~。
今まで伊丹とか関空とかまで高い金払って長時間移動して乗ってた飛行機が県内にあるだけでどれだけ旅行に行きやすくなるか…。新幹線も大阪か京都まで出ないと乗れないから、とにかく交通費で遠方旅行とか、移動にかかる時間で観光できる時間が少なくなってたの旅行好きとして悲しすぎる。車で行ける範囲も制限があるし、車は都市部の観光に向かないし…。
ヘリポート自体も悪くないとは思うけど、南海トラフ地震が起きた時、はたしてヘリだけで人員・物資を集めて紀伊半島全域カバーできるのか?大型ヘリだけの場合、東北から何往復必要になる?紀伊半島南部だけで90万人弱が被災するよ??
あとヘリポートにするならそれはそれでヘリポートの近くにメガソーラー作るの危ないだろ。ダウンウォッシュっていう強烈な地面にたたきつけるように吹き下ろす風を起こすから、その程度の風が何回も当たってたらパネル剥がれない?横風や上からの風に強くても地面に反射して下から回り込む強風も耐えられる?輸送数が増えたらその分、何度も吹き付けるよ?剥がれたパネルが人やヘリ、民家に落ちたり当たったりしたら危ないじゃん。メガソーラーが万が一火事起こしたら上昇気流発生して、そもそも離着陸できなくなるから防災拠点とかヘリポートとして使い物にならなくなるよ?災害時に物資を集めたり人が集まるところに漏電や火災のリスクがあるものをわざわざ作るの?
防災に関する金はけちるべきじゃないし、物資集めて再分配して~が南紀白浜空港だけじゃパンクするから五条にぜひ作って欲しいってのは和歌山県知事も要請してたことだよ。令和元年の県議会議録に経緯が残ってる。八尾は小型の航空機しかとまれないから大量の物資輸送できる航空機が乗り入れられないし(小回りが利くって意味ではあるけどね。)、南紀白浜から奈良まで、八尾から奈良までの陸路は絶対通れる保証もない。最悪のケースを想定して「陸路すべてが通行不可」になったとき、校庭や一般的なヘリポートにしかとめられない、小型~中型のヘリで奈良県全域に必要な物資を届けることはできるの?道路を作ったり、山を削ったりする技術を持つ地元の土建屋の仕事がなくなって技術のある人が県外に出たり、企業が倒産したり、能登の時みたいに重機は社有してなくて外からレンタルする方式だったらどうやって道路を復旧したりがれきを撤去したりするの?
災害が起きた時他県に頼るということは「自分たちの命を人任せにする」ことだ。よそに空港があるからそこでいいじゃん、まさかそんなこと起きないでしょ、なにかあったら大阪や和歌山や京都に頼ればいいじゃん、全員に袖にされるわけないでしょ。それって、自分の家に備蓄があることを知った隣人が「じゃあ何か起きたらあなたを頼ればいいわね!」って面の皮厚く言ってるのと変わらないってこと、分かってないよね。恥を知れ本当に。奈良県が被災するとき、和歌山も大阪も京都も大きな被災地になっている。なぜ彼らは自分たちのことで手いっぱいで、よそに人員を貸し出せないといってこないと思っている?今、ここで誰か助けに来てくれたら。そう思っても「現地に着くまで県境を越えるのでちょっと待っててくださいね」のこの時間がどれだけの命を奪う?土地勘もない、訓練もしていない他県で難しい判断を迫られる救助隊員だって大変だろう。
災害はその時だけじゃなくて起こる前・起こったとき・その後と継続的な支援が必要なのに「起こったとき」しか対応できないししてもらえない。物資と人という、もっとわかりやすい「救い」を運んでくれるものを捨てるのは、そこに住む人、近畿に住む人の命を捨てるのと変わらないのではないか?
山深い村とか集落が多いのに災害救助のプロが県内に常駐していないことを真剣に危機的状況であることを自覚した上で、まだメガソーラーを求めるのか、考え直してほしいし、安易に賛成するべきでも、反対するべきでもないのだ。
ともかく1年前、私たち楽観主義者は、現実に比べてデータが悪い数値を示している口実を探していました。いまはその逆です。悲観主義者たちが、データは誤った印象を与えていると主張しようとしています。ですが、その主張を通すのはどんどん難しくなっています。
——EBCの中期インフレ率目標は2%で、2025年のインフレ率は2.2%と予測されています。中央銀行の幹部たちはどこまで本気でこの0.2%にこだわると思われますか。
先のことについては、不確実なことが多いように思います。こうした予測は一貫して間違ってきました。インフレについては楽観しすぎで、雇用については悲観しすぎる傾向にあります。2.2%の予測を真に受けるべきかどうかというと、私はそうは思いません。自然利子率については明らかに不透明な部分が多いものです。
米国の場合、労働市場のデータや実体経済の状況を考えると、インフレ率が下がったことにそれほど驚きません。私が驚くのは、現在の金利で、いま以上の景気減速に至っていないことです。
インフレ率2%にこだわるべきか
——経済はこれまでのところ、うまく持ちこたえています。でも、この流れが行き過ぎるのを懸念されませんか。
インフレ率を2%に戻すには、いまより高い失業率が必要かもしれません。でも2%に戻すことは、そんなに重要でしょうか。セントラルバンカーたちは、「2%に戻せなければ自分たちの信頼に傷がつく」と思っています。たぶんそれは正しいでしょう。そして彼らはこうも信じています。「自分たちの信頼性はとても重要だ」と。でもたぶんそれは正しくありません。
重要なのは、「実体経済」であって「市場」ではありません。インフレとの闘いの上で「中央銀行の信頼性」が重要な要素だというセントラルバンカーたちの考えを立証するデータは実際、存在しません。
もちろん彼らの行動は経済に大きな影響を及ぼします。けれども「市場の彼らに対する信頼性が鍵を握る」とする信念は、彼らが思う以上に正当化できないものです。もし、あなたが中央銀行の総裁なら、あなたの一語一句に注目する金融関係者と一日中、話すことになるでしょう。けれども価格や賃金を決めるのはウォールストリートでも、ロンドンのシティでもフランクフルトでもありません。その意味でも、中央銀行の信頼性がどれほど重要かは、私には確信が持てません。
——彼らが、何百万件もの住宅ローンに影響が及ぶ金利を設定しても?
変動金利型住宅ローンの問題は、欧州では一種の歴史的なアクシデントなのではないかと思います。米国の住宅ローンの大半が15年か20年の固定金利である事実は、(金利の変化の)間接的な影響を防ぐのに役立っています。
——日欧米の中央銀行の総裁たちはポルトガルのシトラで開催されたフォーラムで、賃金上昇について警告しました。企業利益をめぐって何が起きているのでしょう。
「企業利益」のほうが「賃金」より伸びています。このため「賃金上昇」がインフレを直接牽引しているわけではありません。「企業利益」と「賃金」の伸び率の差のすべてではないにしろ、その一部は、市場支配力による搾取を反映しています。この状況を生み出した要因の1つは「強欲」でしょう。でも主な要因ではないと思います。
また賃金があまりに急速に上昇している場合、インフレを抑制することはできません。このような場合、欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁が賃金に注目するのは正しいと思います。賃金は、経済の過熱具合を監視する1つの指標だからです。そして賃金の急上昇は、ユーロ圏の経済が依然として過熱していることを示しています。
——国際的な機関は各国政府にインセンティブの廃止を呼びかけています。財政面ではどうすべきなのでしょう。
欧州の状況についてはわかりませんが、米国では、インセンティブは事実上すべて廃止されました。別の時代の、別の政治状況下であれば、いまこそ一時的な増税で需要を抑制するときでしょう。でもそのようなことは、起きません。
——増税ですか?
はい。米国では1967年と1968年にそのような増税が実施されました。リンドン・ジョンソン大統領が、インフレを抑える目的で一時的に所得税を上げました。いまでは考えられないことです。
——スペインでは7月の総選挙の際に、右派が減税を訴えていました。
そうですね、低税率は長期的には経済成長を刺激するという偉大なる“ゾンビ的思考”が存在します。欧州のすべての国は、米国よりずっと手厚い社会的セーフティーネットを備えています。これは概して良いことです。そうしたセーフティーネットが働く意欲を削いでいるようなことはありません。就労率は現在、高いですからね。
では現実的に見て、財政縮小はどうすれば実現するのかというと、支出はたいてい良いことのために使われています。増税は政治的にほとんど不可能です。ですから当面の間、すべては金融政策にかかっています。
——1970年代の世界的なインフレの危機のあと、米国では調整がおこなわれました。今回も同様の流れとなるのでしょうか。
米国のインフレ率は約9%から3%まで下がったものの、失業率はまったく上昇していません。ですから70年代のインフレのときとはぜんぜん違います。このため、このまま何もせずに乗り切れるのではないかと私は結構、楽観しています。この度のインフレを70年代のそれと重ねるのは無理があります。
いいえ、実際には米国ではその逆のことが起きました。インフレは貧しい人たちにより深刻な打撃を与えると誰もが考えるものです。でも実際には米国では、高所得者層より低所得者層の賃金の伸び率のほうが大幅に大きい状況が見られました。このため米国ではコロナ禍で格差がかなり縮小しました。1980年代以降、広がった賃金格差の4分の1くらいを回復できました。これは相当です。インフレ率を超える収入の伸びを経験したのは実際、賃金が最も低い労働者たちでした。
——でもスーパーで物価の上昇を一番、実感するのは低所得者では?
確かに、そうです。けれども、それはインフレが、食品価格やエネルギー価格に大きく反映される間のことです。食品もエネルギーも家計に占める割合が大きな品目ですからね。このため食品価格やエネルギー価格の上昇によるインフレが起きている場合、格差は拡大します。けれどもエネルギー価格は現在、ぐんと下がっています。また食品価格も米国では下がっています。
——人々は常に「問題は経済だよ」と言ってきました。でもスペインでは経済活動は活発化しており、雇用も増加していて、インフレ率も2%未満です。にもかかわらず、5月末の統一地方選挙で有権者は与党を評価しませんでした。私たちはいま、経済が最大の関心ごとではない、別の方向に向かっているのでしょうか。
そうかもしれません。米国では、昨年11月に中間選挙がありました。経済が極めて悪い状態にあったため、共和党が地滑り的な勝利を収めるだろうと誰もが思っていました。でもそうはなりませんでした。
スペインの世論調査がどのような傾向を示しているかは知りませんが、米国では妙なことが起きています。人に経済的にどんな調子かと尋ねると「結構いい感じだよ」と答えます。けれども国の経済はどうかと尋ねると、「ひどいね」と答えるのです。ですから本当に不思議なことが起きています。人々の実感は、経済的な現実とかなり乖離しているようなのです。
——スピーチのなかでソーシャルネットワークやメディアの影響力に言及されました。
米国には、さまざまな事柄についてポジティブあるいはネガティブな報道に触れたかを尋ねる調査があって、たとえば「雇用」に関してだと、こんな具合です——雇用ブームのなか、労働市場への新規参入者が月20万人から30万人いたにもかかわらず、多くの人が、見聞きしたニュースの大半は「悪いものだった」と答えたのです。その一因は情報操作です。米国には「フォックス・ニュース」があり、党派的なメディアもありますからね。
——その一方で「気候変動は存在しない」と主張するメディアがある。でもあなたがいらっしゃるスペイン北部はこの猛暑で……。
ええ。マドリードはもっと暑いんですよね。妻はテキサス出身なのですが、そこでは郵便配達員が倒れて、なかには亡くなった人もいます。とんでもない世の中です。
長期にわたる個人的な付き合いがあるポルトガルについてのほうが詳しいのですが……。でもスペインは比較的、良い状態にある国の1つだと思います。2010年代はじめの債務危機がいかに深刻だったかを思えば、経済は持ち直しました。なかにはかなり状況が悪化している国もあります。ドイツは、実際には人々が思っている以上に深刻な状態にあると思います。スペインはそれほどではありません。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
トレーナー共はサイレンススズカの誕生日で湧きだっているが、こちとらアイルトン・セナの死亡日なんだゾ?
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
報いだの結果だの責任だの、「彼」に責を負わせるような言葉は一切口にするな。犯人に同情するような、理解を示すような言葉も一切するな。
まともな神経ならそんな言葉は出ないだろうが、興奮した時は何を言い出すかわからないのが人間だ。
今は徹底的に、何を話すべきか考えろ。熟慮せずに言葉を発するな。
搬送時は意識があったという話もあり、医学が勝利することを願うが、もしものことがあれば、彼は永遠の星に、英雄に、ある種の人々には神になる。
彼は凡百の人間では無い。
どこまでが彼の手柄かは議論があるにせよ、彼の政権下においては多くの変化がもたらされ、少なからずの人々に幸福な記憶として留められていることを直視せよ。
一人の愚か者が放言すれば、、彼の死の責任はその集団にのしかかるだろう。
支持者達に声高に非難され排撃されるだけでなく、ただの市井の人々、良識的な人々もいい顔はしないはずだ。
選挙は(何事も無く実施されるのであれば)おそらく地滑りが起きるだろう。
憤懣を、不平をこぼすこと自体が不道徳とみなされ、抵抗を叫ぶ人間は危険極まりなく厄介な人間として扱われるだろう。
表現規制に関してオタクは山田太郎以前の自分たちと山田が出てきた意義を忘れている。
また、オタクがわざわざ表現規制派の議員に惹かれ、彼/女らを支持するという問題がある。この構造を説明する。
山田太郎以前、二次元表現規制問題でオタクは強い党派性に駆動された言動をして人を遠ざけてばかりいた。
具体的には自民党の中でも二次元表現規制に前のめりな議員を支持して反表現規制で実績のある野党議員を攻撃する、内紛、と云うより粛清を繰り広げてしまっていた。
オタクの中にもこれらに異を唱えて社会性と利益の客観視を訴える人は居たが忽ちにパージされ、またその粛清の動機や行動が幼稚なので周りの人らは呆れて散逸してしまう。これをずっと繰り返して反二次元表現規制活動は何も成果を残さなかった。
元々社会性が比較的低い界隈で、「反オタクは反日」のようにアイデンティティと社会観が至近距離で両者間に経験が無い、特に社会性が無くて幼稚な人が支持を集めやすく攻撃性が高い。自我が傷つけられそうになると防御モードに入ってアイデンティティ発世界観の固持に入ってしまう。
製作で喰っている人間も「そんな政治家支持すると食っていけなくなりますよ」と説得されても「自分より日本の方が大事だ」とかの話になってしまう。それは自分と国家を直結視させる、社会性の低い人を釣る活動をしているからで、カルトの合宿セミナーに参加したみたいな状態だ。
こんな状態の所に現れたのが山田太郎で、「表現規制の世俗化」を行った。内側から理路整然と表現規制の各種問題を説いたのだ。特に優れていたのが熱心なフォロワー達で憲法上の権利と法益、などの自己と社会との回路を示して回っていた。実は法学の教養的な意味は法文の暗記ではなくこういうリーガルマインドにある。世俗化とは神を殺す事であり自分と世界は違う事、その疎外を意識する事だ。
山田の登場で何も生まなかった反二次元表現規制界隈は目を見張るほどの変化を遂げ、リーガルマインドに基づく表現規制問題が論議される土壌が出来つつあった。少なくともアイデンティティドリブンな人によるパージが横行するのは抑えられていた。
オタクが自民党の中でも表現規制派の議員を支持してしまうのは「憲法、教育、表現規制三点セット問題」による。
90年代までの自民党は世襲と族議員の世界でそれ以外の外様が入り込んで活躍する余地はない。一方自民党は神道関係でニッチな右派老人固定票を持っており、そこにアピールするのに使われたのが憲法教育表現規制三点セットだった。これらの特徴は前提知識が不必要である事で、経済問題や業法、国際問題となると知識と経験が必要で、そのアピール先の有権者もそれらを持っている。
憲法問題は今では左派は憲法論の前提知識で自民案に反対しているが90年代はそうではなく「憲法はリベラルで良いことが書いてある本」という扱いで、憲法の名宛人が国家という事すらあまり認識されていなかった。故に憲法は法学の中でも微妙な扱いがされていたのである。
三点セット議員の言う事はこの「良い事」の羅列を保守的な羅列に変えただけで、それでニッチな票田にアピールしていた。これは最初は「敢えて」だった。
三点セットの結果を見てみると:
・憲法:改憲派の先鋒だった小林節をパージ。2012年に「良い事」だと思うことを羅列した三点セット憲法案。論点を「憲法に国民の義務が無い」事に設定。
PKO派兵等で9条の限界に至った時に改正をする運びで20年以上活動してきたのに東スーダン問題で国民に改正や議論を訴えずに政局の為に隠蔽を指示。しかも自衛隊に後ろから刺される。
・教育:道徳を教科化して学習時間を削る。日本の大学の地位が地滑り。
・表現規制:法益ではなくアイデンティティに基づいたニッチな有権者の扇動と議員立法
と碌な結果は無い。
議員立法の評価を下げているのも三点セット議員の特徴で、閣法に比べて議員立法が廃案に成り易い原因を作っている。
皮肉だが、それによって二次元表現規制法案が取らないという効果も発している。彼らの無能な働き者っぷりが表現規制法案をブロックしているのだ。
オタクはその社会性の弱さから三点セット議員の票田となっているのである。その循環を止めるには社会性を上げるしかない。
リーガルマインドの啓蒙によって表現規制問題に限り疑似社会性、自分と社会の疎外とそこから発生する知恵を撒いたのが山田とフォロワー達だった。
山田が自民党から立候補した時に支持者の間で蝶ネクタイマーク(機種依存で入力不可)を入れるのが流行っていたが、これは結構危ういというのが判るだろう。支持表明からアイデンティティへの傾斜が大きくなると山田以前に逆戻りだ。
現在、自民党総裁選で二次元表現規制派の高市早苗が立候補していて「オタクはどうするの」という問題提起がされている。高市は三点セット議員のオリジンだ。
オタクが昔と同じアイデンティティドリブンの行動やパージを繰り広げたら、山田とフォロワー達が耕した黒い土壌は実を結ばなかったという事になる。
オレの小学校の時の自由研究のテーマが「七夕豪雨の爪あと」だったんよねw
近所で山崩れたところとか、浸水したところとかの写真を撮って模造紙にいっぱい貼って。
なんだか名目は忘れたけど、ちっちゃい賞をもらって、賞状が実家のどっかに残ってるかもw
20人だか30人だか死んだのもアレだけど、もっと大問題だったのが、東海道本線と国道1号線という「ニッポンの大動脈」が土砂に埋まって何週間?だったか不通だったことよな。
それで、地滑りの原因になったデカイ山を何10年かかけてほぼほぼ削り取って平らにした。公共工事のオカネで地元の土建業者などが長年ウハウハだったww
というのも毎年夏はクソみたいな高校野球のせいで関西だけプリキュアが放送中止になる、あるいは延期になるから。くっだらねえ曜日に再放送とか死ねよマジで。
ただ去年辺りからTVerで朝9時から見られるように措置が図られたけどやっぱり全国放送でリアルタイムで皆と感動を共有したい訳で
先週時点で、はあまたこの鬱々した日曜日がやってくるのかと気分が落ち込んでいたけど
今週ずっと大雨でホント良かったぁ!
マジで良かったよ。
他方土砂災害とか雷雨とか地滑りとか色んな災害に見舞われてる地域が多いけどホントに不幸中の幸いだわ。
高校野球なんて正直全国ネットでやりますって話ならやってくれたら良いけど、関西だけ延期とか中止とかってイジメじゃん。
イジメはいけないとか言いながら朝日新聞はよく高校球児を美談にして感動ポルノを引き出そうとするんだけど、プリキュア見れない俺からすればイジメポルノとしか思えんわ
毎年夏になるとプリキュアの放送を延期するからさ腹が立って腹が立って。
これ今後も継続するつもりなら幹事降りろよ。幹事テレ朝に渡して降りろよ、ABC放送さ。
あれもしたいこれもしたいじゃねえよ。
高校野球ハラスメントで好きなアニメを見れなくするのは辞めて下さい。嫌ならプリキュアの制作をテレビ朝日に譲ってABC放送、お前もう船降りろ。
山を管理する人がおらず、間伐されていないので草木が密集しすぎてる
登山道なんかもないからこの状態の山に入るのはジャングルに分け入るのと一緒
見通しが悪く歩き辛いのでヘビ、毛虫、イノシシ、サル、クマなどの危険生物が接近していても気付きにくく逃げにくい
樹が生えてる=カブトムシやクワガタが採り放題!ではない 都合よく虫が採れる種類の樹が生えているとは限らない
都会で言うと自分の住んでる街に高層ビルがたくさん建ってるけど
自分にとって縁もゆかりもない企業のオフィスやマンションばかりで誰でも入れるような商業施設がない感じだろうか
ただただ生えてるだけの木
ただただ建ってるだけのビル
絵の描かれた壁に囲まれてるのと一緒
1. 内閣人事局
忖度の元凶と言われているが、高級官僚の出世のための政権へのおもねりも、安倍政権が長期的であったことに担保されていた。次の政権が流動的になる可能性があるなかで、官僚たちは誰に尻尾を振っていればよいのか、安倍政権時代に登用された官僚と次の総理大臣との軋轢が起きないか。官僚人事に混乱を来たすことは必至。
2. 官房機密費
ネトサポの資金源であったとして、安倍個人崇拝に傾きすぎ、この辞任騒動で教祖が辞めるというので末端はバラバラ。時間とカネをかけて作り上げたネトサポシステムは、指導者層にはカネが回るが末端には虚栄心を与えるのみの形。カネには色はつかないが、次の総理大臣が末端の心を支配できるか非常に疑問。
3. 小選挙区制
安倍の発明ではもちろんないが、安倍政権を長期化させた最大の原因。与党第1党が地滑りで大勝する、この構図は恐らく誰がやろうがそうそう変わらない。日本は二大政党制に失敗し続けているし、二大政党制が完全に成立するには、早くても10~15年はかかるだろう。つまりは次の政権も選挙は盤石、選挙で勝てば自民党内の勢力争いはどんどん有利になる。
増田の使い方が全然わからなくて途中で途切れてしまった。続きを張ります。
ストレスと言ってしまえばそれまでなんだけど急にキレ始めるので怖いし不安になる。さっきの終末クソモブ男とカイトを重ねたのだろうか。弟君も知人がすぐそばで死んだのに有名人に会えたことを喜んでいる場合なのだろうか・・・何も感情移入できないのでここらへんで本当に怖くなる。引きこもりの先輩は空気より存在感がない。PT内に入っていることも忘れそうだ。
カイトが一人だけなら謎の機械に一緒に乗せて助けてやるよと意地悪を言って、なんやかんやついてくる。お姉さんの死体はまぁどうしようもないし放置・・・諸行無常を感じる。お父さんのことはあれだけ引きずっていたのに、近所のお姉さんが死んだことはこのあとほぼ何も描写されないので、本当に無情です。
電気が生き残ってたコンビニに入り、必要なものだけもらうことに。歩は必要なものをもらうことに、すごい嫌だ・・・て言ってるけど、スタンスが周りでどれだけ人が死んでも自分は死なないと思ってる人間すぎるのでこれまたよくわからない。もうPT内で二人死んでるけど・・・。
明らかにイカレてる店主に警告され、矢を放たれて追いかけまわされる。矢の攻撃力を舐め腐っていた弟くんの体のど真ん中に矢がぶっささるシーンで3話が終わるが、全然インパクトはないし4話を知らないときにここで弟が死んだと言われても何も思わなかったことだろう。3話目感想終わり。3話目は正直不愉快の塊なので飛ばしてもいい。
4話 ヒラカレタトビラ
弟は偶然懐に入れていたゲーム機のおかげで怪我をすることなく生きていた。そんなことってある?懐にゲーム機を入れてなければ死んでいたところだったぜ・・・・。弟を射抜いた怖すぎるジジィはなんか急にヨボヨボのシワシワになってすまんかった・・・そんなつもりでは・・・とか言ってきたがどう考えても殺意マシマシすぎて説得力がない。これで弟が死んでたら面白かった。はんだごてでジーッてやると、ひび割れたゲーム画面も治るので面白い。
車でどこかに移動するのだが、地滑りなどが起きて地図が無意味に(本当に無意味なのか・・・?地滑りが起きただけで・・・?)といいジジィが地図を捨てるので、ますます現在地がどこなのかわからなくなる。途中でやけに陽気なヒッチハイカーダニエルを拾う。マギー審司のネタをモロにやってくる外国人だ。ここで歩と弟のお母さんがフィリピン人だったことがわかる。それまでただ外国から帰ってきた、やけに日焼けしてる人というだけの描写しかなかったので、ここでフィリピン人だと言われなかったら多分最後まで私はお母さんのことを日本人だと思ってただろう。
ジジィが外国人嫌いなのに外車に乗ってたりとかなり不愉快。でもそれと反して、宗教関連は全然不愉快じゃないんですよね。むしろやさしさの塊なのだ。突然大麻がでてきたりして意外性はあるけど、描写は全体的に見ると作品内で一番穏やかだ。
宗教シティにたどり着き、あたたかなシャワーと食事をもらう。優しい。なぜかみんな服を来たままシャワーを浴びるので、とても不安になる。野菜たっぷりのカレーをもらい、それを食った先輩がお母さんのカレーみたいだ・・・と涙して存在感を出してくる。実は先輩のお母さんは、カレーができたわよと先輩に言ったあたりでカレーと共にがれきに挟まり、ぐちゃぐちゃに潰れて亡くなっていたのだった・・・。血とカレーがまだらに混じり合い、形容しがたい色になった母親の死体を見たのに、ここでカレーを食える先輩。ただ焼かれているだけの猪を見て吐いた歩とはメンタルの強さが違う。
ガツガツとお母さんの味に似ているカレーを貪り食っている先輩をみんながほほえましく眺め、お母さんがカレーを食べて不思議な味ねと言ったところで、突然ダニエルが大麻が入っているのさ!と言うので、前述した先輩のカレーに対するシーンが「大麻入りのカレーを食べてトリップしている疑惑」もしくは「お母さんがカレーに大麻を入れてた疑惑」へと急激に変化することになるのでとても酷いと思った。そんでもってみんな大麻が入ってるって言われても普通にカレー食ってたから、多分大麻が解禁されたか大麻が調味料代わりに使われている日本なんだろう。フォロワーが言う通りネオ日本なのかもしれない。普通は大麻カレーを食わされていると知ったら非常時であっても怒るし、急に大麻入りカレーを出してくる宗教団体はどう考えても異常で怖いからだ。「クセになる味わい」そりゃそうでしょうよ・・・。
大麻は外国では普通に解禁されてるところが多くなってきたけど、突然大麻カレーを説明もせずに出してくるのはマナーがなってないと思うので、この描写は明らかに異常すぎる雰囲気で怖い。事前に「大麻が入っている」と言われればまだマシだったが、結局なぜかダニエルが澄んだ笑顔で説明してきただけで宗教団体の人に「そのカレーには大麻が入っていますよ」と言われることはなかった。
というかお母さんがフィリピン人であることを考えると、この舞台の日本ではカレーに大麻が入っているのは当たり前なのでは?(お母さんが◎◎スタイルのカレーね!と言って明らかにこのカレーを知っている雰囲気なのに、食べてみたら不思議な味だと思う描写から)。当たり前なことは説明する必要もないからね。やはりスパイスの一種として扱われているんじゃないだろうか。大麻は日本の国草だし、日本のスパイス?である七味唐辛子にも一応大麻の種が入っている。きっと日本沈没2020では大麻は麻薬ではなくスパイスとして描かれているのだ。大麻をキメていると考えると、登場人物全員になんらかの狂気があるのも理解できる。大麻の描写が度を超えて肯定されているので、湯浅監督が大麻をキメて日本沈没2020を作ったと言われても理解できるけど・・・。
大麻入りカレーを食った後は施設内を案内され、日本の文化である「金継ぎ」や「もったいない」をなぜかダニエルが説明する。ここでも何故ダニエルが説明するのかはよくわからない。説明したがりやさんなのかもしれない。歩も弟もお母さんもジジィも引きこもりの先輩もみんな日本に住んでいるし大半が日本育ちなのに・・・。
地震につよいからと言ってモンゴルの家屋である「ゲル」に案内され、なんかエスニックな雰囲気なまま一日が終わる・・・と思ったところでここでジジィが麻薬中毒なのが発覚する。ジジィがここにみんなを連れてきたのは麻薬を手に入れるためだったのだ。そりゃ矢も射かけてくるだろうな・・・と納得してしまう強すぎる設定に痺れた。いやでも、矢を射かけてくるのは意味わかんねーんだよな戦争でも経験したのか?このジジィはありとあらゆる意味で強いので、仮にフォロワーが日本沈没2020を見る時はこのジジィに注目しておいてほしい。
てかジジィは普通のスーパーの店主?なんだけどなんでモルヒネ中毒になってんだよ・・・。
なんか中華系っぽい怪しげなピンク色の雰囲気、そしてやけに和っぽいBGMの中、背中にドン!と入った入れ墨が目立つ初老の女性がシルエットだけでヌルンヌルンと得体の知れないヨガを行っているところで4話目が終了。大麻にいきなり横っ面を殴られた回だった。文章だけでは説明しきれない独特の空気感があるので、インパクトを求める人は4話は見たほうがいい。
5話 カナシキゲンソウ
爽やかな朝にジジィがサウナに入り、水風呂で汗を流すところから始まる5話。どう見てもヤク抜きの現場だ。このジジィはもう薬物中毒と、歳のせいかかなり狂っているので、ヤク抜きする意味はないと思うしなんでこのシーンが入るのかはわからない。
ジジィは唐突に水風呂につかりながら「はぁ・・・ここにいる・・・」と感慨深げに言うのですが、これには後述する理由があった。初見だと唐突に意味わからないことをいうので、もう完全にこのジジィは終わっているなと思った。いや実際いろいろと終わっているんだけど・・・・とにかくパワーが強すぎて一番印象に残っている。
ラジオ体操やってる宗教団体の人たちがいたり、クソデカ彫像にメチャクチャ金継ぎがされていたりする。クソデカ彫像にメチャクチャ金継ぎを行うのは、明らかに金を大量にもっていないと無理なので、宗教団体の財力が垣間見える。突然主人公一行に合流してきたジジィが偉そうに車いすを要求。普通に歩けるのに。ただ、この車いすがのちに活躍することになる。
この話で「マザー」と呼ばれる4話最後にでてきた初老の女性が、10歳の子供を媒介に霊を下ろすスピリチュアルな儀式を施設内で行っているのがわかる。この子供がどう考えてもAKIRAなのでオイオイオイ・・・と思った。依り代として財布を受け取り、依頼者の母の霊を下ろして津波に攫われた私を助けてくれてありがとう・・・と依頼者に言うのだが、続く言葉が「暗証番号は金庫の中だよ」なので何もかもが台無しになる。ここらへんでさすがにストーリーのハシゴを外されまくるのにも飽きてくるし、正直こういうシュールギャグも全然面白くないので苦痛になってくると思うが、大麻編は6話まであるので大麻のその先に何があるのか知りたい人は6話までは見たほうがいい。
最初に大麻入りカレーを配ってくれたクソデカいおじさんがなんか白濁したポタージュみたいな謎の料理を配ってくれる。多分説明されていないが、これにも大麻が入っているんじゃないかと疑ってしまった(大麻が入っている説明はされなかった)。というかこの場所のすべての食事に大麻が混ぜ込まれていても不思議ではない。なんでかっていうとびっくりするほどでかい、明らかに違法なクソデカ大麻畑がこの宗教施設には存在するためです。
大麻カレーを食べてからやけに表情が明るい先輩が、労働の喜びに目覚めるなどして人間性を取り戻していく姿はどんな顔をしたらいいかわからなかった。大麻がなければいい話なのに、大麻のせいで何もかもが疑わしく思えてくる。それもこれも大麻が悪い。
大麻が出てくるとストーリーの何もかもが破壊されていくことがよくわかるので(登場人物すべての行動に「もしかしてこいつは大麻をキメてるかも」のノイズがかかるため)、もしかしたら大麻のすばらしさを語っているのではなく、大麻の恐ろしさを訴えているのかもしれない。こういう考察も、監督が大麻キメてそうなハチャメチャ奇想天外な展開をどんどんお出しされるともう考えるのが馬鹿らしくなってくる。これを反日アニメだと思っている人は見る前からすでに頭がおかしいか、それかたぶん視聴していないと改めて思った。そういう意味では監督は天才なんだけど、このアニメは最悪。
労働の一環として歩は寝た切りのおっさんの介護をすることに。寝た切りのおっさんは全身不随になっていて、ちょっとだけ指とあと目だけ動かせる。おっさんの介護をしている歩の表情はなんかやけに穏やかだ。あれだけ情緒不安定な姿を見せられた後では、大麻があらぶっていた精神をクールダウンしてくれたんだろうとしか思えないが・・・。
夜になって労働?奉仕活動?がおわり、一行は割り当てられたゲルへと戻る。薪の火が消えたので、やけに活力的になった先輩がガスバーナーを持ってくるよといってゲルから出て行った。ガスバーナー・・・?マッチとかじゃなく・・・?ゲルが燃えそう。火はガスバーナーを使うまでもなく、ジジィが息を吹いて起こして終わったので先輩の行為は無駄に(わざわざその描写もある、何なの?)。その日に行われる謎の週末パーティに誘われたので歩と弟はパーティへ参加することになった。
パーティに参加する前に、歩と母親がまた喧嘩をするんだけど、その理由が酷い。お父さんの声を聴きたいという歩にお母さんが聞いても無駄だよ・・・っていうんだけど、歩はそれをお父さんを忘れて、ダニエルと仲良くしたいからだと思うし、それをお母さんに言ってしまうのね。あまりにも酷すぎる・・・実の子供でもこんな子供は嫌だ。お父さんが死んでつらいのは歩もそうかもしれないけど、恋人を亡くしたお母さんが一番つらいと思うよ。
言いたいこといって気持ちよくなった歩にお母さんが「大人になってちょうだい」て言うんだけど、なんかもう、大麻編の先がどうなるのか見たい!て気持ちがなかったらここで切ってた。それぐらい最悪だったし、大麻畑のある宗教施設の週末パーティはやっぱりドラッグパーティで、この描写がクラベビを思い返させたし、先輩は多分大麻を吸ってDJになった。ちなみにユーチューバーも大麻を吸っていたことがこの後判明する。
息子と娘がドラッグパーティに参加している間にダニエルとお母さんが話す描写がね、また良いんですよ・・・こういう要所要所に湯浅監督節をキメてくるのでなんかだらだら見ることになる。
そんでもってお母さんと歩が和解するなんかいい感じの雰囲気の朝が来たと思ったら、急にジジィが車いすを乗り回しながら弓で施設内の人間を2人ほど殺す描写がやけにかっこよくでてきてもうマジでなんか温度差で死ぬんだよね。ジジィの描写は文字であらわすと頭痛くなるから描写しません。
5話冒頭の「はぁ・・・ここにいる・・・」は宗教として祭り上げられている10歳の子供のことだった。ジジィはこの子供を奪還するためにここに来たっぽいんだけど、絶対大麻が理由の50%ぐらいを占めているんじゃないかと思う。ちなみに子供を連れ出そうとしたジジィは、盗んだ車で脱走しようとした途中でヤクが切れて運転を失敗し、宗教施設の塀に突っ込んで自損して気絶したので最悪。ここで5話が終わる。今思うとここが一番の山場だった。
6話 コノセカイノオワリ
ここら辺まで視聴すると、タイトルがカタカナで描写されているのも腹が立ってくるようになる。ちなみに「コノセカイノオワリ」がタイトルだが、ここで終わるのはどっちかっていうと世界じゃなくて宗教施設だ。そもそも日本だけ沈没してるから、タイトルのスケールがでかすぎる。クソアニメを見ているとこういうところにもケチをつけたくなる。なまじメッセージ性があるから、考察する余地があるんだが、その考察をしている最中でわけがわからなすぎてこっちの頭がおかしくなってくる。勝手におかしくなったのを作品のせいにしたくもないが、本当に理解できなくて脳がバグる。
湯浅監督は、なんか炎上してますね~みたいなスタンスをツイッターで取っているが、このアニメで何がしたかったのかあとでインタビューとかでまじめに答えてほしい・・・。いや、やっぱり失望しそうだから答えなくていいよ。なんか炎上してますね~~いやそりゃ炎上するでしょうよ・・・逆に炎上しない自信持てねぇよこんなの。監督は炎上しないと思ってたん・・・?逆に怖いよ。てかこれに関しては、内容じゃなくてタイトルが悪い。日本沈没2020、完全に内容がタイトル負けしているのだ。別タイトルのオリジナルアニメだったら、ここまで炎上しなかったと思う。なぜなら日本沈没2020を見て(本当に見たのかは非常に疑問に思うが)騒いでるのはツイッターで見たところ右翼と左翼の人が中心だから。一般の人間と、監督ファンはどこを褒めればいいのかわからないのでさほど話題にもなってないという印象がある。最もこれはあくまで私の印象なので、自分で「日本沈没2020」をツイッターで検索するのが一番いいです。自分の目で確かめて。
「素直にこうあった方が良かったと言う意見も今後の参考になる。評価や分析された非難はあまり参考にならない事が多いが、たまに誉めてるものに鋭い見方があったりする。つまらなければ、あまり考えないし、面白ければよく考えるせいかと思う」
と言っていた。実力がある監督がクソアニメを作ると、つまらなくても考える羽目になるんですよねぇ。実力があるから何気ないシーンに考察の余地を残せてしまうし、実力があると知っているからこそ監督はこのシーンでこういう表現を訴えてるんじゃないだろうか?と考えてしまうんだ。だってこれまでの作品がそうだったし、そう思わせる下地や表現を監督はアニメで作ってきたでしょ。クラベビとか特にすごかったですよ。クラベビ何回も見返した。特にバトンのシーンがあまりにも素晴らしかった。バトンが澄んだ音を立てて地面に落ちて、何度渡しても了に受け取ってもらえないところの表現が本当にすごくて、ネトフリを開くと必ずクラベビのあのシーンを見たくなったし実際に見てた。だから日本沈没2020も酷評されてたけど、まずは自分の目で確かめようと思って最後まで見た。
まぁケモノヅメとかはぶっちゃけわけわかんなかったけどでも日本沈没2020レベルの意味不明さではなかったのよね。そして面白かった。他の作品も全部面白かった。ケモノヅメはわからないけど、面白かった。日本沈没はわからないし、面白くないです。だからこそこの考察?感想?書いてるのが自分自身むかつくんだけど、こういう形を取らないと「大好きな湯浅監督のクソアニメを見た」感情に整理がつかない。日本沈没2020を見る前は、まさか自分が「お前のことが大好きだからこそ殴っているんだ」みたいなDVクソ野郎みたいなことを主張する羽目になるとは思わなかったな。
私は「作者はそこまで考えてないと思うよ」って言葉がだいだいだいっきらいなんですけど、日本沈没2020に関しては「作者はそこまで考えてない」ことを祈ってしまう。すべてを大麻のせいにしたいです。
途中から感想じゃなくて文句になっちゃったけど、感想へ戻ります。
6話はそれまで陸上というかありとあらゆるものに消極的だった先輩が、ランニングをしているところから始まる。大麻のことがなければ、引きこもりだった先輩が立ち直り始めた良いシーンだと思うが、ここでも大麻が邪魔をしてくる。大麻のことを考えたくなくても
ふせったー内で身内にずっと吐き出していたが、日本沈没2020を観て思った事をここに張っていく。匿名だし、増田なんて多分本当に日本沈没2020に興味がある人ぐらいしか見ないだろう。でもその人が見てくれたら何よりもうれしいことはない。増田の作法がわからないので何もかも間違ってたらすみません。
たしか一昨日ぐらいに日本沈没2020をネットフリックスで全話見た。批判されていたのは知っていたが、湯浅監督の作品がすべて好きだったから自分の目で確かめたいと思った。結果悪い意味で打ちのめされて、日本沈没2020を観た次の日はずっとふせったーに籠って、まる一日をかけて30000文字ぐらいの感想(あらすじがほとんどかもしれない)を書いた。ただ30000文字だから、ものすごい長い。なのでその1日でわかった要点をまとめるとこうなる。
①「日本沈没2020」は右京先生の「日本沈没」を元にした作品で、ノベライズがある
②そのノベライズは、湯浅監督が書いたものではない。なので日本沈没2020のストーリーを描いた脚本家は湯浅監督ではない・・・
③湯浅監督はこれほどなく忠実に「日本沈没2020」をアニメ化していた
もうこのことさえ知ってくれればあとはどうでもよくなる。反日だのなんだの騒いでいる人もあほらしくなる。何故って日本沈没2020を視聴したらそんなことは言えなくなるからだ。これはもうそういう次元の作品じゃないんだ・・・・・。感想内で何度も書いたけど、逆に本当に見たのか気になるぐらいだ。反日だの陰謀だのなにもかもが虚構だ。批判すればするほど滑稽に見えて、考察すればするほど何もなくて空しくなる。こんな虚無のストーリーもなかなかないんだけど、そこで湯浅監督の表現力とぶつかってしまってビッグバンが起きたのは不幸だった。
丸一日かけて日本沈没2020に浸かってしまったのは多分私がアニメがどう作られているかに詳しくなかったのが原因だ。だから脚本も湯浅監督が作っているのかと思ってしまった。そこが間違いだった。これは自分の無知を恥ずかしく思った。OPとEDもしっかり見るべきだったんだなぁ。今度からはしっかりチェックしますね。
下記からはふせったーに書いたものをそのままコピペしたものになる。読んでもいいし読まなくてもいいけど、とりあえず置いておく。これから日本沈没2020を観ようかなと思っている人の参考になるとすっげーうれしい。また、途中で湯浅監督をぼろくそに言っているが、それは脚本家の存在を知らなかったためです。申し訳ありません。
長すぎるので2つに分けます。
無限に文句言ってしまうので改めて感想をまとめたいと思いました。本当に無限に文句言えるんですけど、それすら監督の予定調和の中な気がしてそれにもキーッ!むかつきますわぁ!!の悪役令嬢になって地団太を踏んでしまうことになるのですごいアニメだった。1話から振り返りをします。
序盤は普通に日本沈没2020の始まりだ・・・!て感じで、すごい描写が良かった。リアル感のある揺れ方とかでここで一度トラウマがよみがえって気分が悪くなった方もいるんじゃないかと思う。陸上の練習中に地震で被災し、足にけがをしてパニックになって周りの友達を助けずに逃げてしまった主人公、歩の心情も、無力感と罪悪感にまみれていてよかった。14歳だもの・・・。ただ、逃げているときに歩が父親が庭に飾ったイルミネーションのことを思い出していて、それで家族が集まる場所の証になったのが「神社に飾り付けられたイルミネーションだった」時には思わず2度見をしてしまった。電気の消えた町の中で燦然と輝くイルミネーション神社の絵はまるで悪夢のようだったし、何かの幻覚なんじゃないかと思った。
突拍子すぎてよくわからなかったし、貴重な電気をイルミネーションで全部使うなや!としか思えないのがすごい(このしばらくあとにイルミネーションは電気ぎれで切れる)。ただの地震やないぞ・・・!?普通にあちこちで人が死んでる災害やぞ・・・!?なんかもっとあったんじゃねぇのか!?しかも七色に輝くゲーミングイルミネーションでもうだめだった。ここで嫌な予感がした人は正しいと思うし、大部分の人間が「何故イルミネーションを?」と思ったのではないかなと思う。肯定的な意見があったら教えてほしい。あとどこから調達したのか普通に気になるな・・・。
まぁイルミネーションはさておきとして、神社にはイルミネーションを目印にして家族が集まっていた。水泳が得意らしいお母さんと、日本語と英語を織り交ぜて話すやけにむかつくクソガキのゲーマー弟と、建築の仕事をしているお父さんだ。あと近所の知り合いのお姉ちゃんと、引きこもりの陸上の先輩がいる。この引きこもりの先輩は、なんかイケメンの有名人らしくて同じく避難してきた近所のおばちゃん集団にヒソヒソと噂をされていた。
日本沈没2020ではそういう今話すことじゃねぇだろ?みたいな感じの描写が異常に多い。それも湯浅監督のツイート通り、表したかった「リアル」なんだと思うが、日本沈没2020なんてビッグタイトル以外のタイトルでやってほしいところだ。あと一応私自身も東北の震災は経験してるし周りがパニックになるところも見てたけど、流石にあの状況であそこにいるの引きこもりのあの子でしょ・・・?とかいう人間はいなかったなぁ・・・正直家族とか知り合いのことが気にかかりすぎてそれどころではないよ・・・好意的に見れば、先輩のことを説明する一番の近道とも言えなくもないのかもしれない。ただ、この先に先輩の引きこもり描写が何か意味があったのかというと、特にないのでやっぱり必要ないと思う。だからやはり、人間の悪意だけをあえて描いているのだと思う。そこは作品を通して徹底的に描かれているから、意図的だろう。
それから突然お母さんが家族写真を撮ろう!と言って・・・・まぁ、どうなるかわからないから写真に残しておきたい気持ちはわかるけど、震災時に写真を撮るような心理状態にはならないと思うので、ここも え?急に写真を!?となってしまった。この写真も後々最終話の伏線(?)だったことがわかる。あんまり伏線って言いたくないけど、まぁ写真を撮るのにも理由はあったという話。
そこから急に木の下に座り込んでいた引きこもりの先輩の腕に、雨かと思ったら血が降ってくる。あと死体?も降ってくる。空を見上げるとヘリコプターから人が落ちていて、イルミネーションされた木にも死体がクリスマスの飾りみたいな感じで乗ってた。
死体が降ってくるときに音がするわけでもなく、最初私は木に元から死体がひっかかっていたのかと思った。死体はイルミネーションで輝いている枝に乗っていたので、そう考えるとお父さんが死体を無視したことになってしまう。だからやっぱりヘリコプターから落ちてきたんだろう。でも重力の関係でそこにひっかかるまえに枝が折れるし、血もビチャビチャ降ってくるんじゃないか?なんかいつの間にか怪我をした人達も避難してきて、これにて第一話が終わる。
ここの空気が完全にゾンビ物だったので、このままゾンビ物が始まるのかと思った。いっそここで日本沈没2020ゾンビ大パニックとかに路線を変えてたら湯浅監督最高!て言えたのだが、残念ながら日本沈没2020は日本沈没2020のまま10話まで続いていく。1話目の感想終わり。
朝になり、なんかユーチューブとかネットで記事を探していた人達が騒ぎ出す。ユーチューバーのカイトという人がなぜか沖縄沈没の瞬間をドローンで撮っていて、こいつは一体・・・?となる 沖縄沈没の瞬間をドローンで撮れるユーチューバーは正直意味がわからない。なんでドローンで沖縄全体を観察してるんだよ。どういう規模のユーチューバーなんだ。国が雇ってんのか?
日本が第2のアトランティスになるとか陰謀論だとか、なんかツイッターのトレンドに上がってそうな感じの勢いで人々がありとあらゆるノイズをしゃべる。ネットにも記事がどんどん出ている。マスコミは情報を出さないというセリフすらある。携帯でテレビを見て情報を集める人がいない描写といい、ここは完全に日本マスコミへの風刺ですね。いたかもしれないけど見返す気はないです。
避難先になった神社はとても高い場所にある。というか神社って大抵そういう感じだよね。まわりに水が満ちてきたので、ここから脱出しようみたいな話になったんだが、避難先の神社にはコンビニの物資を大量に持ってきているコンビニの店長さんがいた。よって食料や水に困っているというわけではなかったし、普通ならここで安全な高台を捨てて歩くという発想にはならないと思うが、みんな神社を出た。歩は怪我をした足を保護することもなく、汚水まみれの水に浸かったので足が痛いみたいな描写がある。お察しの通り後で傷口から感染症になる。予定調和と言ってもいい。ここは別に違和感はない。まぁそりゃそうなるよねという感じだ。逆にならないほうが不思議なので、感染症になってくれてよかった。
神社にいた集団は、西に行くか東に行くかで途中で別れることになる。主人公たち(父母、弟、歩、近所のお姉さん、引きこもりの先輩)は西へ、他は東へ行くそうだ。ちなみに主人公たちが西へ行くのは弟が海外のゲーマー友人と連絡をとってどこに逃げたらいい?て聞いたことが理由なんだけど、別に根拠とかなくてゲーマーはただ「西に行け」と言ってるだけなのでマジか?て思った。予言か何かかよ。
別れる時に集合写真を撮る。ここは理解できるよ。ただ、2話で理解できた展開はここだけだった。
西へ向かって歩いてる最中に、謎のロードバイクに乗った男がなんか水を球体にしてそのまま飲めるやつを食べていたり、スケボーに乗った男が主人公たちを追い越すシーンがあるが、何を伝えたいのか全く分からないので、なにもわからなかった。歩かないで何かに乗れ!という意味だったのかもしれないですね。
道端に座り込んでいたおじいさんとおばあさんに、歩が家族にとって最後の水を「これが最後の水である」とわかっているのにどうぞと言う。おじいさんとおばあさんは普通にそのもらったペットボトルをもらったものだと思い、バッグへしまう。歩のえっ?という表情にこちらもえっ?となった。これどうぞ・・・て言われてそれが最後の水だと思うか?なんかこう、意図的に外してるのはわかるけど、外しすぎて意味わからんことになってるからマジで意味がわからん。
歩いた先にあるコンビニには何もなくて、歩がごめんねって言ってた。コンビニに何もないのがもうなんか災害起きてから1日後のそれじゃなくて、明らかに退廃後の日本・・・みたいな感じで時間間隔が何もわからなくなる。多分この世界の人々は自宅に備蓄とかしてない。
そこからなぜか山に登り、滝を見つけた。滝がある山で良かったですね。泳げないといってた弟をお母さんが滝つぼに突き落としたりしてて私がドン引きしたりした。そのあとは民家に降りて鳥がやけにリアルに死体を食べているところを見たり、お父さんがコメディ調でイノシシを仕留めたりした。野生動物を舐めるな。
イノシシを捌いて焼いてるときに歩が突然吐き出したので傷からの感染症がとうとう体に影響を?と思ったらなんか多分肉がダメな人っぽいだけだった。別にそれはいいんだけど人が飯を食ってるときに吐くのは人間として最悪だと思う。肉をみて気持ち悪くなるんなら猪をさばいてるときに吐きなよ。なんで焼いてるときに吐くんだ。
肉が食べられない?のでおなかがすいたよ~になってる歩のために、お父さんが山芋を取るな!の看板を見つけて山芋をさがしてそこらへんにあったスコップで山芋を掘る。長すぎて木の根っこ掘ってんじゃねぇのて思った。お父さんが掘り進めている間に、歩が蔦に覆われた「不発弾注意!」の看板を見つける。
というか不発弾注意!の看板がそこら辺にあるし、なんで山芋看板は蔦でおおわれてないのに不発弾注意の看板は繁殖した蔦でむちゃくちゃにおおわれてんだよ。どうやらここらへんの住民は不発弾で死なれるより山芋を取られる方が嫌だったっぽい。それか山芋と不発弾がセットになっていたので、この近くの山芋は不発弾の上に芽生えるのかもしれない。つまり山芋を掘ろうとしなければ、不発弾に出会うこともないので、結果として山芋を掘るな!という看板だけ綺麗にするのだ。ここまで考えて悲しくなった。
お父さんが不発弾で爆散四散する前の前振りがこれなんだけど、本当に意味がわからないから、これから日本沈没2020を見る人はここで止めといてもいいと思います。この適当なシナリオに対して、土くれと一緒にバラバラになったお父さんが降る光景とか、お父さんのちぎれた手とか、そういう描写に力入ってんのが本当に笑うしむちゃくちゃ笑った。全編通して死体描写だけは上手いんだよな。しかも2話はそこで終わる。え?ここで終わるんですか?お父さんと土と血の雨の中で!?てのにもびっくりした。
ちなみにここで山芋に対して、「お父さんがつくったこれ大好き!」て思い出すセリフがあるんだけど、山芋で何を作ったのかは最後まで明かされなかったです。2話の感想終わり。
3話 マイオリタキボウ
前回でお父さんが爆発したけど、特になにも思ってなさそうな顔で歩き続ける一行。その中でも歩だけはむっつりとした顔をしていて、お父さんが爆発したのを気にしていることがわかる。ここの部分は歩以外のみんなは、とりあえず生きる事を目標にしているのだということは伝わってくる。悲しむことはいくらでもできるし、今はまず命をつなぐことが大切だからだ。でもこの作品はあくまで「日本沈没」なのであって、他の国も全部滅びたわけではないので、主人公たちがここまでサバイバルする意味はさほど感じられないのがネックになっている。普通だったら神社で自衛隊や救援を待つんじゃ・・・。
ただその場合はこの物語は始まらないんだけど、でも何もこんな物語にしなくても良くない?
歩は無限に父親のことを考えていて、歩いている途中で癇癪を起して道端に座り込んでしまう。その癇癪の起こし方があまりにも幼稚で、お父さんがプレゼントしてくれた靴を脱いで投げ捨てたり(死んだお父さんのプレゼントなのに大切にしないんだ!?)何日も風呂に入ってないからお母さんが臭いとか、お母さんの顔が汚いとかちょっとわけのわからない暴言を吐く。お母さんのことが嫌いなのか?あまりにも酷いのでここはちょっとびっくりした。湯浅監督は歩に何をさせたかったんだろう。ここの考察を求む。ちなみに10話まで見たけど、特にお母さんが歩のことを邪険にしたとか、お母さんの子供じゃないとか、そういうのは一切なかったんだよな・・・。反抗期?お母さんかわいそうだ・・・。
都合よく通りかかった明らかにこの終末を楽しんでる感じの男の車に乗せてもらい、どこかへ移動。この移動もどこなのかよくわからないがどこかへ向かっている。ガソリンスタンドでガソリンを入れようとしたけど、機械が動いてないので入れられず暇になった男がタバコを吸いながら近所のお姉さんの肉付きのいいお尻を見て襲おうとする。ここまでは終末のテンプレ。
近所のお姉さんはそれまで何も描写がなかったのに、いきなりつよつよカラテの有段者になり、男を撃退する。とはいえあんまり効いておらず、男がスタンガンを取り出してきて一瞬危ないことになるが、お母さんが棒で殴って助かる。ただ、男がむちゃくちゃタフすぎてお母さんも反撃を受けてやばいことになり、最終的にスタンガンを奪って結構長い電撃のカットのあとにようやく男を倒す。倒れた男の眼鏡をお姉さんが奪って引きこもりの先輩の割れた眼鏡と交換してあげるのが美談風に描かれているが、なにも美談ではないし俺が先輩だったらそんな眼鏡はかけたくないかな。
この描写ここまでいるか?お母さんがお腹のみぞおち当たりを殴られててすごいかわいそうだった。暴力描写にもめちゃくちゃ力が入っていた。力を入れるところを間違っていると思う。ストーリーとして必要なところに力を入れず、死体描写や暴力描写だけにやけに湯浅監督ならではの表現力とテンポを入れるので、結果として「日本沈没2020」から受ける印象が醜悪になる。狙っているのだろうけど最悪の一言に尽きる。
日本沈没2020は徹底的に「主人公たちがどこにいるか」を描写しないんだけど、そのせいでマジでどこにいて何をしているのかわからない。車のガソリンが切れたので、いかにも両脇に危険な感じがある謎の道をひたすらに歩く。近くに富士山が見えるので、多分山梨とか・・・静岡とかそこら辺なんだと思う・・・。あやふやすぎる・・・。
引きこもりの先輩を気遣った近所のお姉さんを見て、自分も気にかけてもらうために歩がわざと座り込む。近所のお姉さんは優しいので構ってあげる。どうしたの?と言われたのでおしっこ行きたい・・・という歩。さっき意地をはって喧嘩した手前、母親にトイレ行きたいからちょっと待っててと言えなかったんだね・・・。思春期?反抗期?だね・・・。
近所のお姉さんと連れションしにいったが(お姉さんは明らかにトイレに行きたい感じじゃなかった)、一歩の差でお姉さんが溜まってた毒ガスで死に、歩は生き残った。本当に一瞬で死ぬので、とても展開がスピーディー。空から謎の白髪のイケメンが謎の機械を使って下りてきて、そこは毒ガスがあるから立ち寄るな!と言ってくる。前触れもなく急に現れたので本当にびっくりした。
有名ユーチューバーのカイト(KITE)じゃん!と弟君が喜び、カイトが自分のことを知っていた弟君におかしをあげようとしたら歩がいきなりキレ始める。そのキレ方がまた異常で、あげようとしたお菓子を人から盗んだものだと決めつけて、取り上げようとする。そのお菓子は外国のお菓子で、カイトも外国の人なので盗んだものじゃないでしょと弟から言われる。ここ本当に思考が飛躍しすぎててわからない・
ハンガリーなど名指し、「もはや民主主義国でない」 人権報告書
特にハンガリーではオルバン・ビクトル首相の強権的な「体制」により、民主主義国としての地位が「急激に」失われたと指摘。「現在のハンガリーはもはや、民主主義国とはみなせない」「民主主義と純粋な独裁政治の間の『グレーゾーン』に位置する(中略)ハイブリッド体制だ」と評した。
へー、どんなことやっとるんやろ。
と思ってググってみたら、
2003年にフィデス党首に復帰したが、2006年の総選挙でも社会党に敗れた。しかし、その後の経済危機で左派連立政権が崩壊するなど混乱があり、2010年4月の総選挙でフィデスは議会の3分の2の議席数を確保する地滑り的勝利を収めた。同年5月29日に、8年ぶりに首相に就任した。
2014年4月6日の国民議会選挙において、フィデスは圧勝し、オルバーンは首相に再選された。2018年4月8日の国民議会選挙(英語版)でも圧勝して3選した。
公共事業の多くがオルバーンに近い企業に発注され、金額の一部がフィデスへの裏金になっていると報道されている。欧州不正対策局(OLAF)が不正を指摘したケースもあるが、検事総長が政府に任命されるハンガリー検察は捜査をほとんど行っていない。
これは大草原。
名前入れ替えても気付かんやろ。
#UKelection2019 正確を期しておくと、保守党の総得票はたった36万票しか伸びてはいない。それが地滑り的勝利になるのは、労働党が260万も得票を減少させたこと。要は観念リベラルの自滅なのだよ。英首相「修復を始めよう」 総選挙での圧勝受け https://t.co/KL0dmelSVH— NEVERMORE (@nevermore1dream) 2019年12月13日
EU離脱は最大の争点ではあったけど、これに関しては本当に労働党やリベラルの自滅による所が大きいよ。
何せイギリスは日本以上にフェミやヴィーガンやリベラル共が女性の権利だの子供の権利だの動物愛護だのLGBTだのジェンダーだのトランスジェンダーだののポリコレ棒を振り回して、そこら中に殴りかかって、逆差別をしまくったり、言葉狩りや表現規制や法規制等で散々うんざりされていたみたいだしね。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019083100401&g=int
労働党に関してはこの様に公約でフォアグラ、商業捕鯨の禁止や競馬における鞭の使用規制や甲殻類を生きたまま茹でるのを禁止にするとかどう考えてもあの人達のお気持ちに配慮したとしか思えない狂った公約を出してしまった事も一般層からドン引きされ、逆に票を減らす結果を招いたとみて良い。
しかしこうしてみると今やフェミやヴィーガンや先鋭化したリベラルを味方につけると票田所か逆にその他の票を大きく減少させる効果がある事が日本に限らず、イギリスでも証明されてしまった事は皮肉であるとしか言いようがないよね。
日本だと参院選では投票率だけ下がって、自民が勝ったと言う顕著な結果だったしね。
いい加減日本の野党も他国の事と思わず、自国でも起こった結果なんだし、いい加減この手のフェミや先鋭化したリベラルを切るなりの対策を取らないと一緒に心中する羽目になると思うよ。
もう遅いかも知れないけどね。
おい、そこのお前!あさま山荘事件が大好きすぎてカップヌードル食う度に機動隊の気持ちになっているお前!なおかつ伊勢×戸田か戸田×伊勢かで議論したいが相手がいないお前!お前だ!お前に向かって俺は今書いてる!
『三体』だ!『三体』を買って読め!せめてKindleで無料サンプルは落とせ!BGMはRHYMESTERのThe X-Dayを無限リピートだ!
よし、Kindleの無料サンプルは読んだか?読んでないよな。面倒くさいもんな。あんくらいWeb上で読めるようにしといてほしいよな。まあいい、せめてSpotifyでRHYMESTERのThe X-Dayをリピート状態にして以下の文章を読め!
『三体』は最高だ!一般的なあらすじは「文革で物理学者の父を失った娘が云々」などとぬかしているが、無料サンプルで読めるその描写が最高であることはまったく紹介されていない。引用するぞ。
シュプレヒコールがおさまるのを待って壇上に立つ男の紅衛兵の片方が批判対象をふりかえって言った。
「葉哲泰、おまえは力学の専門家だ。自分がどれほど大きな合力に抵抗しているか、わかっているだろう。そうやって頑なな態度をとり続ければ、命を落とすだけだぞ! きょうは、前回の大会のつづきだ。くだらない話はもういい。次の質問に真面目に答えろ。六二年度から六五年度の基礎科目に、おまえは独断で相対性理論を入れたな?」
「相対性理論は物理学の古典理論だ。基礎科目でとりあげないわけにはいかないだろう」と葉哲泰。
「嘘をつけ!」そばにいた女の紅衛兵のひとりが荒々しい声で叫んだ。「アインシュタインは反動的学術権威だ。欲が深く、倫理に欠ける。アメリカ帝国主義のために原子爆弾をつくった男だ! 革命を起こす科学を築くためには、相対性理論に代表される資産階級理論の黒旗(反動の象徴)を打倒しなければならない!」
(中略)
「葉哲泰、これは言い逃れできないはずよ! あなたは何度も学生に反動的なコペンハーゲン解釈を撒き散らした!」
「それが実験結果にもっとも符合する解釈であることは厳然たる事実だ」これだけ厳しい攻撃にさらされても、葉哲泰の口調は落ち着き払っていた。紹琳はそれに驚き、畏れを抱いた。
「この解釈は、外部の観察者によって波動関数の収縮が引き起こされるというもの。これもまた、反動的唯心論の表れであって、その中でも、じっさいもっとも厚顔無恥な表現よ!」
「思想が実験を導くべきか、それとも実験が思想を導くべきか?」葉哲泰がたずねた。突然の反撃に、批判者たちは一瞬、言葉をなくした。
「正しいマルクス主義思想が科学実験を導くのが当然だ!」男の紅衛兵のひとりが言った。
「それは、正しい思想が天から降ってきたと言うに等しい。真理は実験によって見出されるという原理を否定し、マルクス主義思想がどのようにして自然界を理解するかという原則に反している」
紹琳とふたりの大学生の紅衛兵は、無言で同意するほかなかった。中学生や労働者出身の紅衛兵とは違って、彼らは論理を否定することができなかった。しかし、附属中学の若き闘士たち四人は、反動分子を確実に攻め落とすための革命手段を実行した。
最高かよ!!! 時はあさま山荘事件の数年前だが、アカの本場中国でも似たようなどうしようもないことが起こっていたのだ!引用の最後の部分で作者がたくみなカメラワークを用いて批判者側の「論理の欠如」を指摘しているのがまた光り輝いている。そうなのだ。この手の議論には論理というものがまったく存在しない。あるのは連想ゲームだけなのだ(「物理学者のお前は自分がどれほど大きな合力に~」「アインシュタイン=核兵器=帝国主義=敵」)。あさま山荘事件でもそうであった。無色のリップクリームを塗ったことと、彼女が死ななければならないということの間にまったく論理的な関係は存在しない(そもそも何かと誰かが死ぬということの間に論理的関係が成り立ちうるのかという問題は置いておくとして)。そこにあるのは、「革命」や「自己批判」といったマジックワードを挟んだアクロバティックな地滑り的連想ゲームだけである。
しかし、しかしである。われわれはそうした連想ゲームに時として身を委ねてしまう。どころかしばしば喜んでその中に身を投じさえする。あさま山荘の彼らが目指した「革命戦士」という存在にどうしてもワクワクしてしまうのは、そこからこれまでわれわれが目にした「革命」や「戦士」についての輝かしい言説やビジュアルがまさしく連想ゲーム的に引きずり出される快感にわれわれが抗えないからである。
「ベネディクト・アンダーソンは国民国家を『想像の共同体』と呼んだ」と言われるとき、たいていアンダーソンが主張したかったことは無視されている。アンダーソンはこうも書いている。「国民国家は『想像の共同体』であるからこそ強いのだ」と。どういうことか。例えばご近所たちは想像の共同体ではない。そこに想像力が働く余地はないからだ。近くてよく見えるがゆえに嫌いなところがよく見えてしまう。しかし国民国家は想像の共同体であるから、そうしたデメリットを回避することができる。逆の意味で、人類もまた想像の共同体ではない。そこにもまた想像力は働かない。あまりに大きな対象であるがゆえに、想像することができないからである(それを想像できるように「地球市民」とかいろいろなレトリックが開発されては頓挫した歴史があるわけだ)。つまり国民国家は想像するのに小さすぎも大きすぎもしないがゆえに、人間の持つ最も偉大な能力=想像力/創造力を刺激する存在であるがゆえに、これほど大きな存在になり得たのだ。世界大戦を二度経験して、戦後もエコやらなんちゃらがあってメイクアメリカグレートアゲインな今、人類は人類を想像力の対象にすべきであると誰も[誰?]がわかっているはずであるが、そうした方法は未だ見つかっていない。めっちゃナウい想像力を持ってそうなイスラム国ですら国を名乗る時代である。
そうした状況にある人類に対して、「地球市民」としての自覚=想像力を持たせるために一番手っ取り早い方法は、宇宙人に攻めてきてもらうことである。映画『インディペンデンス・デイ』があれだけ面白いのは、その「俺たち感」を徹底して純粋なものとして描けているからだ(もちろん「俺たち」と書いたようにそこからは女性が排除されているのだが、それもまた「俺たち」の盛り上がりを純化させるように働いている)。しかし、この方法には大きな問題がある。それはわれわれの知る限り宇宙人が当分の間攻めてきそうにないという点である。したがって二番目の方法が取られることになる。それが科学教育である。ひとりの神様とか王様の下で人類みんなが仲良くするのは無理だとわかったので、次は科学様の下で人類全員集合しましょう、というわけだ。まあ、承知のようにこの方法にもいろいろ問題はあるのだが、他に良さそうな方法もないので多くの人々からのんべんだらりと支持されているといってよい。
科学の持つ大きな問題として真っ先に挙げられるのが、それが神様よりも信頼可能か?というものだ。科学教の信者はそうだとなんの疑問も持たずに答え、異教徒たちはおらが村の神様の方が偉いと主張する。そこを調停するのが科学哲学者の役割のひとつであったが、どっちつかずとして双方の陣営から攻撃されるため調停役に名乗りを上げる科学哲学者はほぼ絶滅している。
(注:ネタバレ防止のため人名や固有名をアルファベットに置換している)
「Aくん、きみは仕事の範囲を逸脱しかけている」Bが首を振りながら言った。「研究は理論的なものだけに絞るべきだ。こんなに手間をかける必要が本当にあるのか?」
「Bさん、この実験は、大きな発見につながる可能性があるんです」とAは懇願した。「実験は絶対に必要です、とにかく、一回だけやらせてください。おねがいします」
「B、一度だけやらせてみたらどうかな?」Cが言った。「オペレーションはそれほど大きな手間でもなさそうだし。送信後、エコーが帰ってくるのに要する時間は――」
「十分、十五分だろう」Bが言った。
「だったらXシステムを送信モードから受信モードに切り替える時間もちょうどある」
Bがまた首を振った。「技術的にもオペレーション的にも造作ないことはわかっている。しかし、C、きみはどうも……、この手のことには鈍感みたいだな。赤い太陽に向かって超強力な電波を送信するんだぞ。こういう実験が政治的にどう解釈されるか、考えてみたことは?」
AとCは、どちらも茫然としたが、Bの反対理由が荒唐無稽だとは思わなかった。逆に、自分たちがその可能性を考えもしなかったことにぞっとしたのである。
この時代、すべてのものに政治的な意味を見出す風潮は、不合理なレベルまで達していた。紅衛兵は、隊列を組んで歩く際は左折のみ許され、右折は禁止された。信号機は、赤が進めで、青が止まれでなければならないと提案されたこともある(周恩来首相に却下されたが)。
(中略)
そういう風潮に鑑み、これまでAが研究報告を提出する際は、Bが必ず綿密な査読を行っていた。とくに、太陽に関する記述は、専門用語であっても、くりかえし吟味し、政治的危険がないように修正した。たとえば、“太陽黒点”という言葉は使用が禁じられた。太陽に向かって強力な電波を送信するという実験については、もちろん、千通りのポジティブな解釈が可能だが、たったひとつのネガティブな解釈がなされるだけで、関係者全員が政治的な災難に見舞われるにじゅうぶんだった。Bが実験の要請を拒絶する理由は、たしかに反駁のしようがなかった。
イアン・ハッキングがイヤンと言いそうなくらいむき出しの「科学の社会的構成」である!ここでも論理が連想ゲームに膝を屈している。このことを中国に特殊なものだと考えるのは科学教の信者である。似たようなことはどこの国でも多かれ少なかれ起こっている(また国家がくくりとして出てきてしまった!)。STAP細胞は論理を飛び越えればどんなものまでが「発見」されてしまいうるか、という好例であろう。それでも科学教の信者は言うだろう。「STAP細胞は誤りであることがわかった!これこそが科学の勝利ではないか!」と。残念ながら科学はそんな単純なものではない。たとえばケプラーの理論はそれ以前の理論よりシンプルでもなければ正確でもなかった。そのあたりのことはスティーブン・ワインバーグ『科学の発見』に詳しく書いてある。「それでもわれわれは今はケプラーの理論が正しいということを知っている!これが科学の進歩だ!」という主張は残念ながらワインバーグとは仲良くなれるが歴史学者からは異端扱いされるだろう。このワインバーグの本は、「ノーベル賞物理学者が科学の歴史について論じたら歴史学者から総攻撃を食らった」というそれじたいSFにガジェットとして出てきそうなシロモノなのだが、けしてトンデモ本でなくワインバーグは確信犯的にその地雷を踏んでいる。非常に面白い本なので『三体』を読んだあとにはぜひこの本を読んでほしい。『三体』に出てくる宇宙物理学の理解の助けにもなるし。
話がそれた。『三体』である。まあ、歴史学者から異端扱いされようが科学者は科学者でやっているのである。……本当に?「科学をする」とはどういうことか説明できるひとは今のところ地球上に存在しない。どころか説明できるひとが今後現れる可能性もまた科学哲学者によってほとんど否定されていると言ってよい。では科学者は何をやっているのか?われわれのような皮肉屋に言わせれば「教義の精緻化とその確認作業」とでも言い捨てられるだろうが、『三体』はそこに真摯に向き合っている。どころか、その先までをも作品の中に織り込んでいる。ネタバレになるので詳しくは話せないが、科学を「打倒する」ことを本気で考えてみた人はいるだろうか?いないだろう。『三体』はそれを本気で考えている。誰がなんのためにそんなことをし、さらにそれに抗うには何をするべきかを描いている。そしてその描き方がまた最高なのである。作中、ある「組織」が出てくるのだが、それがまたなんとも、「アカい」のである。もちろんそれは最初の引用で出てきたような無知蒙昧なアカさではない。連想ゲームではなく論理によって貫かれた「アカさ」というものがあるとしたら、こういうものだろうという迫力がある。
作中にこういうセリフがある。「中国では、どんなにすばらしい超越的な思想もぽとりと地に落ちてしまう。現実という重力場が強すぎるんだ」と。これはおそらく作者の嘆きでもあろう。その重力場から逃れるために、作者はこれを書いたのだと思う。中国の現実の重みは、隣にいるわれわれも知るところだろう。この作品は、その中国の現実の重みを、実に力強く脱出していると思う。それがこの文章で伝わったかどうかは甚だ心もとないが、一人でも多くの、未だ北田暁大先生のTwitterの件に心の整理がつけられていない人々が、『三体』を手にとってくれるよう望む。