はてなキーワード: 美談とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474
日本は安楽死がないから難病にかかってしまったら徒に高い医療費を払わされ苦しみながら死ぬしかない。そして「それでも頑張って生きましょう」と生の強制を突きつけられる。そんなことだから嘱託殺人が起きてしまう。死にたい死に方の選択肢が増えず望まない延命をさせられる難病患者はさぞかし辛いだろう
介護にしたって安楽死がないから介護苦で殺人や自殺が起きてしまう。安楽死がないのは苦しみながら延命させることで医者が金儲けしたいだけなんじゃないかとさえ思う。死にたい死に方で死ぬ権利を奪って本人の意志に反した延命で死ぬことが最後まで頑張って耐え抜いた美談になるのはもう終わっていい
https://www.shinchosha.co.jp/book/335533/preview/
大筋でいうと
ラーメン評論家()にセクハラされたり悪しざまに書かれたりアウティングされたり
盗撮された写真をばらまかれたりして人生を踏み外したラーメン好きが集結して
結局大人のポルノでしかないってのは理解しつつもどうしたってモヤモヤする。
登場人物は人生を取り戻すためにガチに人生かけて頑張ってラーメンに打ち込みました、
その苦労が報われてミシュランがとれるくらいの激ヤバラーメンを生み出しました。
普通にラーメン屋やってる連中もゴリゴリに人生かけてるじゃんか。
でもほとんどの奴らはそこに到達できないわけじゃん。
ジェンダーやLGBTQといった自分の尊厳を傷つけられた奴らの復讐心は
そいつらのうまいラーメンを生み出したいっていう真摯な思いよりも強いってこと?って思っちゃう。
スポーツ漫画とかで人生の目標もなくダラダラヤンキーやってた奴が指導者と出会って
必死で練習頑張って地方大会や全国大会で優勝しちゃったりする話あるじゃん。
いや、対戦相手だって努力しとるわ!なんなら子供のころから野球一本でやってきてた奴だっておるやろ。
ヤンキーの1年、2年そこらの努力がそれよりも感動が上ってどういうこっちゃいってなるのと似てる。
もちろん何事も才能の世界だから、他の奴には才能がないんだよwって言われたらそれまでだけど、
それこそ創作者連中に何がわかるねんっていう話でしょ。
"才能のある"LGBTQやジェンダー不適格者が評論家(おっさん)に潰されなくてよかったね
っていう結論なんだとしたらそれはそれで鼻につきすぎるわ。
自分は死んでも生活保護受給者となんか関わり持ちたくない癖になw
青葉とかもそうなんだけどさ
誰も近寄りたくないし、寄り添うなんて不可能なやつと関わらなきゃいけないやつのフォローのほうが重要だろ
金持ちほど軍隊に所属せずに底辺層を死地に送ってそれを美談にしてるってのと一緒
自分は死んでも関わりたくないけど、関わるやつはちゃんとやれって不正義そのものなんだよ
パヨクっていつもそうだよな
美談になんてしてないぞ 何を言ってるんだ
開戦から2年ということでYouTubeでウクライナ避難民の現状のニュース動画が多数アップされていて見ていたのだが、明らかに開戦直後とコメントのカラーが違う。
この2年で陰謀論界隈に何か動きがあったのか?
人の痛みを踏みつけにするような知性と想像力の欠けたコメントがやたら多い。
「帰れ」
「もう十分支援した」
「働かずに金貰える実質移民」
「国が心配なら今すぐ帰って戦え」
「貴族のようだ」
こんなのが異様に多い。
動画内では支援金がまもなく打ち切られるのに就労がままならないなど困難な状況はきちんと説明されているのにまるで一時期の生活保護叩きのような様相を呈している。
中にはまともなコメントもあるが動画によっては中傷の方が多い。ゼレンスキー戦争を始めたという謎のコメントも見かける。
2年前はどこを見てもウクライナ国旗の絵文字と共に無事を祈るコメントばかりだったのに。
それとも日本人にとってウクライナ人が「お客様」ではなくなってしまったのだろうか。
この2年で何があったんだ?
・野茂英雄は大阪府立成城工業(平凡な無名校)時代にはもうすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた
・小笠原道大が高校通算0本塁打ながら恩師のコネでNTT関東野球部に入社できたのは本当だけど、暁星国際高校時代にはすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた
・ヤクルト青木宣親は東京六大学通算0本塁打(ちなみに投手の江本孟紀でも六大学通算7本塁打)
・高卒入団即16勝で新人王を獲得した怪物松坂大輔は、実はオープン戦ではボロっカスで本来なら開幕一軍先発ローテ入りなどありえないような成績だった(防御率6点台)
・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上のスポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている
・「長嶋茂雄の巨人入団まで、東京六大学野球こそが野球において花形でプロ野球より格上だった」というのは大体合ってるが、
その遥か以前から野球のレベル自体は職業野球のほうが別次元に高く、また給料も当時の財閥系大会社の部長あたりより良かった
・1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)
・90年代はプロ野球とMLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)
・大阪桐蔭や仙台育英や東海大相模のような甲子園優勝校より東京六大学のほうが圧倒的に強い(東大野球部でもいい勝負かも)
>話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。
2chの特亜板とかに入り浸ってた人をネットの全てのように錯覚したまま記憶してないか…??
てっきり「みんなネトウヨだと思っていたが、違った」ってここから目が覚めるのかと思ったら、この前提は動かないらしい…そんなことある…?
美談のつもりなんだろうし、まあある種の美談なのかもしれないけど、前提からおかしいから腑に落ちない…
サブカルチャーお約束で言えばいわゆる古典的な「不良がちょっとマトモになっただけでべた褒めされる」状態というか、
元がズレていたのが少し良くなりましたは美談なの…?
予め言っておくが、自分は「安楽死反対派」である。それもかなり強く反対している。
ネット上ではたびたび安楽死に関する法整備を求める意見が見られる。
経済的な理由による安楽死は論外として、病気による耐えがたい苦痛を避けるための安楽死を求める意見は一定の支持があるようだ。
だが、主張は結構なことだが「国家によって安楽死を認める」ことがどれほど重大なことか理解していない意見が多いように見受けられる。
あくまで自分の意見だが、「安楽死を認める要件」として最低限以下のようなものがあってしかるべきだと思う。
安楽死とは、要するに医師などにより生命活動を停止させること、即ち「殺人」に他ならないのは疑いなく事実である。
即ち、「安楽死を法的に認める」ということは「国家によって殺人を承認する」ことに他ならない。
国家によって認められた殺人と言えば、「死刑」もそれに相当する。死刑の判決を言い渡すのは言うまでもなく裁判所だ。
当然殺人を法的に認める以上、安楽死についても裁判所による手続きがなければならないと考える。
医師によって、患者がもはや死を避けられない状態であることの証明が必要だ。
主治医はもちろんだが、感情的な選択を避けるためには利害関係のない複数の医師による中立的な判断がなければならないと考える。
当然、安楽死を「行う」医師がどれほどいるかという問題もある。
これが難題である。
その意志が、短期的な抑うつ状態や、周囲や「世間」の圧力に左右された一時的なものでないかの証明が非常に難しい。
2019年の透析中止死事件では、透析を続ける苦痛のあまり透析中止を決断したとされるが、終末期に至って透析中止を撤回したいと言いながらも助からなかったとされる。
本人の意志とはこのように揺らぐものであり、かなり長期間の意志確認は必須である。中立の公証人による証明があってもいいかもしれない。
同様に、安楽死を決めたものの直前になって「生きたい」と意志表示したならば即座に安楽死を中止しなければならないだろう。
また、周囲や世間の圧力でないことを証明するためにも、「安楽死」を美談にしないようにマスコミやSNSには厳重な自制と規制が求められるだろう。
特定の病気になったら安楽死するべき、なんて世論が広がることはあってはならない。
なまじハラキリ文化の日本であり、「潔い死」が受け入れられやすい社会的素地があるのはかなり危うい。
「安楽死を法的に認める」ためには、「安易な安楽死は認めない」という国民の意識改革がなければならないという矛盾がある。
これらの議論を進められるだけの十分な社会的な理解が日本にあるかというと、正直言って「ない」と言わざるを得ないのではないかというのが自分の意見である。
特にマスコミやSNSに関しては、現状ではほぼ絶望的なのではないかと思われる。
なお、昨今の安楽死議論の中には「終末期患者を生かし続ける社会的コスト」に言及するものがあるがこれは論外で、
憲法25条の生存権を見れば明らかなように、国民には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」し、
国には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とされている。
国民が生存を望むならば国は生存を保障しなければならない憲法上の義務が存在する。どれほどのコストを支払ってもだ。
つまり、一番手っ取り早い方法は憲法25条の改正と言うことになる。
当然自分はこのような憲法改正には賛成しないし、国際人権A規約にも反する。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。
いくつかコメントが来ていたので補足。
繰り返すが、自分は「安楽死反対」の立場からこれを書いている。
これくらい厳しく要件を掛けなければ、恣意的に運用されかねないという強い懸念があってのことである。
コメントにあるように「経営者が労働者に家族の安楽死を要求する」なんてことが起こりかねない。
裁判所の決定を要するとしているのも、時勢に強く左右されかねない行政ではなく、常に法の番人たるべき裁判所が決定すべきと言う考えからである。
実際、裁判によって決定した死刑囚の署名を時の法務大臣の意志で停止した過去の例もある。
そしてこの程度の要件をクリアできないのであれば、そもそも安楽死を法制化するべきではないというのが主旨だ。
国民の生存を保障するためにある国家が、それに相反する法制を行うことがどれほど困難なことかということについて、頭の片隅にでも残れば幸いである。
個人的には本人の自由意志が確認できなくなった段階で安楽死を認めるべきではないと考えている。
「本人の自由意志がなければ生存権を行使している」と見なすべきであり、当然国家はそれを保障しなければならない。
この時点で「本末転倒だ」と思われる人は多いかもしれないが、安楽死法制化は終末期医療のコスト削減策「ではない」。
あくまでも本人の自由意志によって死を選択する自由を与えるための法制であるべきであり、
医療コスト削減が目的にすり替わるのであればそもそも法制化の目的を見誤っている。
なお、現行法制でも積極的安楽死ではなく、延命治療終了による消極的安楽死は行われており、この手続きで不備があるとは思えない。
Twitterで見たよ でもなこの一件の事例だけで障害者カップルの出産とか優生学を語るのは危険だしナンセンスだと思うよ 恐らく本件は特殊事例であって社会問題化してはいない(だろう?)社会問題でもない、よって統計も取れないレアケースをあげつらって何か意味のある議論なんかできるわけないよ 本件は美談ではない、しかし地球上で絶対に起こしてはならない犯罪でもない 起こる可能性のあることが起こっただけでそこに前も悪もない 起こってしまった以上は関係者が何とかするしかない それだけ
SNSってこういう「公共の為に語る必要のないデリケートな問題」に触れちゃって、無駄に感情をざわつかせる人多いよね きょうだい児の話とかも障害児のいるカップルは新たな子供を作るべきではない!とか極論するやつがいたし(なんか見た)
そんな事よりイスラエル大使館の前でスタンディングでもしてガザの虐殺に抗議しようよ 今も毎日100~200人が殺されてんるだよ ガザじゃなくても日本の貧困問題でもいい 沢山の人が首を突っ込んで圧力をかけることで改善する問題は確かにある
だが、本件は明らかにそういう事案ではない 受け流せ 許容しろ ギリギリまで追い詰めるな 社会に幅を持たて柔軟に対処するしかない
酷いなこれ。
つーか、0歳児から保育園に丸投げする親さんなんて健常者でも珍しくないのにそっちはいいのかよ
https://twitter.com/akachandamon83/status/1751557646182916386
@akachandamon83
重度障害者夫婦が子供を欲しがり、当然児童相談所や周囲の人間に止められたが「決める権利は私たち本人にある」と聞く耳持たず妊娠出産。
当然この人達に育児能力はないので、ボランティアたちが無償で24時間体制で家に行き、代わりに育児。
コレが美談扱いされている。
自分たちの世話もままならない
アンテナの低いはてな住人諸兄におかれては、「茶化し」に対する冷ややかな目が広がっていることをご存じだろうか?
誰かの告発や不幸を告げるニュースであっても大喜利をはじめたり、冷笑的な茶化しをしている者をはてなでは頻繁に見かける。
世間では「共感性の低い」「未成熟な」人間のすることだという風潮が強まっている。
はてなのユーザ減少も、こういった大人げない者に付き合いきれない人々が去っていったからではないだろうか。
簡単に言えば、「茶化しはスベってるからそろそろ卒業しろよ」ってことだ。
【追記】
sexaddict 不謹慎とか非国民とか、私達はそういう戦前からの圧力に抗い続けて自由で開明的な日本を手に入れたのではなかったのか。皆が一挙手一投足乱れないマスゲームみたいなインターネットはさぞや気持ちよかろう、だが断る
「自由で開明的な日本」とか宣いながらも、そういう老害丸出しな態度が閉鎖的なはてな村を生み出したんだな、と。
hellshake まぁこういう奴に「世間ずれしてるでw」とか言われただけで傷ついてしまう軟弱野郎は文章で自己表現するの辞めちまえとは思う。茶化そうが茶化すまいが公の場に何か書いてる時点で他人を不快にする可能性はあるぞ。
https://twitter.com/akachandamon83/status/1751557646182916386?t=VMHiEa1mrVWbBhfOoEyRMg&s=19
「重度障害者夫婦が子供を欲しがり、当然児童相談所や周囲の人間に止められたが「決める権利は私たち本人にある」と聞く耳持たず妊娠出産。
当然この人達に育児能力はないので、ボランティアたちが無償で24時間体制で家に行き、代わりに育児。
コレが美談扱いされている。
自分たちの世話もままならない」
例の脚本家による原作改変は全般的に不評なのかもしれないが、それは改変の仕方が良くなかったからで、
世の中には改変によって原作超えを果たしたドラマもたくさんある。
その意味で個人的に、神改変を連発する脚本家だとあがめてるのが森下佳子だ。
【白夜行】
原作で内心の見えないモンスターとして描かれていた主役たちの内面を徹底的に描いた傑作ドラマだ。
原作者(東野圭吾)は改変が気に入らなかったようだが、俺は逆に原作の方に物足りなさを感じるようになってしまったくらい、
主役たちの心理状態の変遷には納得感があった。安っぽい紋切り型の美談にしているわけでもない。
原作では単なる敵対関係だった刑事を武田鉄矢が演じたが、彼と主役たちの間に生まれた悲しい絆の物語は見事。
【JIN】
原作漫画は良くも悪くも「大河ドラマ」で、話のスケールは大きいが平板で発散するだけの展開に感じ、没入しきれなさが残る作品だった。
ドラマ版は設定をうまく整理し、全てを視聴者の没入できる近距離にギュッと圧縮した。
主役(大沢たかお)の性格をいじり、江戸時代に適応しきれない現代人という要素を強めたことで、共感できるドラマ性を一気に強めた。
本作が当時の覇権ドラマとなったことは覚えている人も多いと思う。
ドラマ以前に原作漫画を知る人は少なかったと思うが、「よくこの原作を感動ドラマにできたな!」という別の感動が生まれるくらいのギャップがある。
綾瀬はるか演じる主人公の性格は原作漫画以上に漫画的に強調されているが、その分、漫画的仮面が剥がれていくクライマックスシーンが、視聴者の心を激しく揺さぶる効果を生んでいる。
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あとセカチューとかもあったな。あれは観てない。今の大奥はどうだろうか。
・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上のスポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている
我が地元の盛岡三高は近年顕著な実績を挙げてるが、特別な選考がされてると聞いたことは無いな。単に自分のアンテナが低いだけかもだが
・1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)
・90年代はプロ野球とMLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)