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2020-08-09

anond:20200809105530

まだ明らかになっていない領域に答えがある可能性もあります

おそらく趣味だろうなって思ってます

ググれば秒でわかるかと思います日本で振り回されがちなマズローフロイトユングなど 大昔の方々 が唱えたことは

既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます

 

たとえば脳科学とかですね

(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)

 

自己感情がなんなのか、どこにあるかはハッキリせずとも、

ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については

現在、疑いようが無いかなぁと思われる状況です

 

ところで脳を持つ動物わたしたち人間だけでしょうか?

もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造遺伝子を調べると、人間も含めて、共通ものがあることがわかっています

そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりしま

日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がしま

そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね

 

さて、わたしたち人間共通点の多い動物たちなのですが、

 

彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?

あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?

そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?

 

おそらくそんなわけがないですよね

 

セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、

世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです

 

たとえば、負の経験学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね

負の経験学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、

まとめたいと思います

 


  • 単なる趣味ではないと確信に至ったのであれば、負の経験学習が原因になっている可能性について考えてみてください


 

2020-07-30

[] 元増田に人間は生物であるという視点がないのが非常に気になる

自己肯定感を分解する

 

自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。

 

とき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。

> そんな自分が嫌になり、どんどん消極的になってしまう。

相互作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。

文字通り概念に縛られている状態といえるかもしれません。

 

> 私はもともと自分自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。

 

あなた自己肯定感の低い人間だと自分認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛共感力の豊かな人間であること。

 

単なる趣味から自由でいいんですけど、“人間動物である” という当たり前の視点があってもいいのではと思いました

 

増田が行いたいことが「マーケティング」や「自身の印象管理であるなら、“人間動物である” という視点不要で、

人間文化社会を眺め、ある程度 確立されている手法に従えば、プロでなくとも限定的効果は得られるとは思います

パソコンの仕組みを理解していなくてもパソコンを使えるのといっしょですね

しかし、実際的手法についてはとくに記載はされていないかったので このトラバ 以外もつけてみることにしました

 

ググれば秒でわかるかと思います日本で振り回されがちなマズローフロイトユングなど 大昔の方々 が唱えたことは

既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます

 

たとえば脳科学とかですね

(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)

 

自己感情がなんなのか、どこにあるかはハッキリせずとも、

ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については

現在、疑いようが無いかなぁと思われる状況です

 

ところで脳を持つ動物わたしたち人間だけでしょうか?

もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造遺伝子を調べると、人間も含めて、共通ものがあることがわかっています

そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりしま

日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がしま

そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね

 

さて、わたしたち人間共通点の多い動物たちなのですが、

 

彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?

あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?

そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?

 

おそらくそんなわけがないですよね

 

セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、

世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです

 

たとえば、負の経験学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね

負の経験学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、

まとめたいと思います

 


  • 単なる趣味ではないと確信に至ったのであれば、負の経験学習が原因になっている可能性について考えてみてください


 

○ 関連増田

2020-07-19

作品作家だと思う人。役者を本人だと思う人。

ネットでよく目にするんですが、作品作家のものの主張だと思う人って多いですよね。

奈須きのこ神智学者だ

西尾維新ダジャレおじさんだ

田中芳樹極左論客

赤松健パンチラ漫画人だ

だと思って、作品に書いてあることをその人そのものだと勘違いする人。

作品批判するはずが、作者を批判してるって場合がめちゃ多い。

役者悪人を演じると、役者悪人のものだと勘違いして取り囲まれたこともある。

金八先生を観た人が、武田鉄矢金八先生だと勘違いするケースは多かったらしい。

これって、どうしてそういうふうになるんだろう。

脳の作用とかで、そういう勘違いをしてしまうように人間は出来てるのだろうか。

脳科学的に、うまく区別できる人とできない人がいるのだろうか。

教えてえらい人。

2020-06-06

心の哲学」をまとめてみたよ

たとえば「女の生理痛は男が金玉を蹴られた痛みと同じ」という言説から考えてみよう。

これは冷静に見れば全然おかし言葉であることがわかるだろうか。

個人差とかもあるが、それ以前に「自分の感じる痛みを他人のそれと比較すること」はどうやっても不可能なのである

何故なら痛みという「感覚自体を、何らかの言葉や図表、量的な指標を用いて他人に伝えることができないからだ。

極端な話、自分の感じる【この】痛みという感覚が、他人の感じる痛みという感覚と同じなのかどうかすらわからない。

これがクオリアという概念だ。

自分の見ている赤が他人の見ている赤と同じとは限らない、と言う説明がされることが多い。

ところで質問なのだが、このクオリアという心的現象は、物理現象一種なのだろうか?

まり現在脳科学が発展していないために見えていないだけで、実際のところ「心の働き」と呼ばれるもののすべては脳神経で起こっているニューロンの発火や電気信号だけで成り立っていて、それらを完全に解析さえすれば上述のような「他人の痛みの比較」も可能だし、人が何を感じ、何を考えているのかといった心的現象も追うことができるのだろうか?

もしくは、意識感覚といった領域物理法則では縛られない世界にあって、ニューロンの発火だけでは絶対説明がつけられない部分が残るのだろうか?

あなた

  • 前者に賛成する→1へ進む。
  • 後者に賛成する→2へ進む。

1.心的現象物理現象一種だよ派

あなたは、意識感覚などの心的現象物理法則に則った現象一種にすぎず、人間技術力に限界さえなければ、いずれは脳神経学によって解き明かすことのできる類のものだと考えている。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは自由意志問題である

心的現象物理法則に則っているのであれば、あなたの「コーヒーが飲みたい」「あの本を読もう」「右足を前に出そう」といった意識はすべて、その直前の脳神経の物理状態から力学電磁気学などによって導き出される現象に過ぎない。

そうであるならばあなた意識と行動のすべては法則支配されており、自由意志などというもの存在しない。

あなたはこの考えを

  • 受け入れる→1-1へ進む。
  • 受け入れない→1-2へ進む。
1-1.

あなた物的一元論だ。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、そこにあなた意志はない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎない。End

1-2.

あなた物的一元論を受け入れながらも、自由意志存在肯定する。

すなわち、現代科学では解明されていない領域に、自由意志存在を受け入れる法則が隠れていると考えるほかない。

たとえば、量子力学説明する波動関数の収縮等である

あなた自由意志とはあなた構成する量子の揺らぎの別名であり、シュレディンガー方程式自在に操って、この文章を読むと言う物理行為を成し遂げているのだった。End

2.心的現象物理現象ではないよ派

あなたは、意識感覚といった心的現象には、ニューロンシナプス物理挙動だけでは理解しえない、物理法則とは別種の法則が働いている領域があると信じる。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは物理領域因果的閉包性問題だ。

物体物体に衝突して相互作用を起こす時、それは純粋物理世界のできごとであって、この現象に対して神や霊魂祈りなどが作用することによって物理挙動が変わることはない、と、多くの人間に信じられている。

これを適用するならば、心的現象物理実体である脳神経や肉体に干渉をおよぼしてその物理挙動を変えさせることはない、と言うことができそうだ。

あなたはこの結論

  • 受け入れる→2-1へ進む。
  • 受け入れない→2-2へ進む。
2-1.

あなた性質二元論だ。

あなたは心の存在肯定しながら、物理領域因果的閉包性をも肯定する。

すなわち、心的現象物理領域干渉されてもよいが、逆に物理領域に心的現象干渉することはできないと考える。

では、あなたが「コーヒーを飲みたい」と思って実際にコーヒーを飲むときあなたの心の動きが肉体という物理実体を動かしたことにはならないのだろうか?

すべての前提を整合させるには、こう考えるしかない。「コーヒーを飲みたい」という心の動きと同時に、脳におけるニューロンの発火という物理現象もまた起こっていて、それによって肉体が動作するという物理的結果を招いたのだ、と。

あるいは、心の動きと脳の物理現象は実は同一のものの二側面と考えても良いし、心の動きは脳の物理状態随伴して起こると考えても良い。

いずれにせよ、この立場を取るのであればあなた自由意志存在否定しなければならない。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、その結果にあなた意志干渉していない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎず、あなたの中に確かに存在しているその「心」は、物理実体に束縛された背後霊のようなものだった。End

2-2.

ここまで辿り着いたあなたには最後質問を投げかけたい。

あなたは、「物理実体」なるものが本当に存在すると信じているだろうか?

  • 信じる→2-2-1へ
  • 信じない→2-2-2へ
2-2-1

あなたは、心身二元論だ。

物理領域因果的閉包性なるものは、単なる科学主義者の経験則にすぎず、本当は心的現象物理実体干渉を与えて動作させることもできると考える。

今もまた、あなた霊魂という非物理実体は、あなたの肉体という物理実体操作して、画面をスクロールし、眼球を回転させ、あなた自由意志のもとにこの文章を読み、それについて何か考えを抱いている。

あなた自由尊厳はついに守られたのだ。End

2-2-2

あなたは、心的一元論だ。

あなたは、世界とは根本的に心の働きによって成り立っていて、物理実体物理挙動物理法則なるものはすべて心の働きがあなた自身に見せている虚像に過ぎない可能性を否定できない。

かにあなたの目の前にパソコンスマホがあるといっても、それはあなた視覚という感覚が伝えてくる像に過ぎないし、触れて確かめようとも触覚が同じことをするだけだ。

あなたは、パソコンスマホが目の前に「実在」すると断言できない。

あなたの脳は培養液に浮かび、接続された電気コードから絶え間なく信号を与えられている存在に過ぎないかもしれない。

もしくはそんなものもなく、世界などというもの根本的に実在しておらず、観念的な情報が漂っているだけの存在、それがあなたなのかもしれない。

今もまた、あなた自由意志は、あなたあなたの指であると思っているもの操作し、あなた文字であると思っているものを読み進める。

恐れることはない。あなた実体がなんであれ、あなたという意思主体存在すること自体は、他ならぬあなただけは絶対否定できないのだから。End

2020-04-27

anond:20200426232445

品がない発言だとしか思わなかったのでそれで終わったけど。

今の自分にはストレスフルな環境で、義憤モラルを旗印に他人を叩くことしかエンターテイメントがなくなっているSNSインターネット利用者精神的衛生、メンタルヘルスの方が100倍は心配になっている。

正義中毒という言葉脳科学の人が言っているから怪しいけれど、社会的現象としての正義中毒は、災害時の不謹慎厨を改めて思い出すを

2020-04-19

anond:20200419150019

エレーヌ・フォックス著『脳科学人格を変えられるか?』によれば、

研究の結果「遺伝的な不安の感じやすさに比例して本人の悲観の度合いも強くなるが、

なぜか遺伝的に最も不安を感じやす人達だけは例外的に楽観主義的になりやすい」事がわかったそうです。

臆病過ぎると思考停止して逆に楽観主義に傾き易くなるのでしょう。

臆病な日本人本来人一倍注意深くなる筈なのに、

危機管理能力が低く原発事故引き起こししまったのも「臆病すぎるがゆえ」なのかも知れません。

https://0dt.org/000884.html

2020-02-27

社会は正しき人間を救う

anond:20200227134525

 

ところがその話にはまだ続きがあって、人間社会動物なのだ

社会動物というのは、社会・群れを形成することで種としての生存を目指す。

群れというのはどうやって形成されるかというと、秩序によってだ。

もっと言えば、秩序を乱すもの排除することによってだ。

 

お前のいう公平世界仮設だが、どうしてそれが人間に備わっているか

これはリベラル教育によるものではない。生物的に備わっている。

脳科学では、既に「公平モジュール」という、公平さを期待する部位が特定されている。あるいは、サルも公平を期待していることが動物実験によって確かめられている(エサを平等に分配されないと怒る)。

 

すなわち、この社会ほとんどの人は公平を期待している。

この前提に立つと、利己的な行動はむしろ個人的利益に反する。タイトル通りだ。世界は公平ではないが、社会は公平な人間を救うし、公平に行動しない人間に罰を与える。

したがって社会を使って世界を生きる以上、正しくあることが、個人的利益を得る最も確実な手段となるのだ。

2020-02-15

自己啓発セミナー説明を聞きにいった話

途中で「これアレなヤツだろ…」と感づきつつも、暇つぶし(と、話のネタ)として、話だけは(我慢して)最後まで聞いてみました

具体的には https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/business/22250/1507157916/115 とほぼ同じ展開

調べてみると名古屋で「LID学院」という名称活動していて、関東では OLC という名称(Once in a Lifetime Chance の略らしい)で活動しようとしているみたいですね

ディズニーランドでお馴染みのオリエンタルランドドメイン名と同じなので、ググっても全然情報が出てこないのがより悪質な感じがしますね〜

(ただし、講師名でググる普通にそれっぽい情報が出てきます

最終的には、この規模の講座の受講料として一括で払うには常識的に考えて大きすぎる額(1コース数十万円)を提示されたので「いや、無理っす」と返したら、

「例えば銀行でローン組んで…」みたいなこと言ってました(いや、こんなんに融資降りるわけなかろうが)

試しに「すみません、もうお金借りられないんですよね〜」と返してみたところ、

「例えばお金溜まったらとかは?」と言われたので「いや〜貯められるとは思うけど、溜まった頃には時期を逸してるよね」

的なこと言いつつ「このあと予定あるんでいいすか?」という感じですんなりと開放されました

とはいえ、貴重な休日に5時間も拘束されてしまったので、皆さんも気をつけましょう

気になった箇所

話が全体的に回りくどすぎる

上記スレでも言及されてますが、こんなんでコミュニケーション能力を伸ばせるわけないだろwwwと思った

人間の処理能力は 20160bit である潜在意識が2万・顕在意識が160)という謎の説明

プログラマー自分は(単位bit にしてはえらい中途半端数字やな)と思って試しに「2の冪乗ちゃうやん」と突っ込んでみると、

「はじめて知った」「脳科学的(うろ覚え)にはこうですよ」と返され、(あ、これソースねぇんだな)と思った

(というか大前提として、なぜ処理能力単位が GHz とかではなく bit なん?という疑問がある)

セミナー動画

「これはくるか!?」と思っていましたが、来ました!例のみんなが泣いて抱き合っているシーン満載のセミナー映像

直前に「自己啓発なのはいらんぞ」とジャブを打ってはいものの、それを振り切って紹介する心意気は良いぞ!

2020-02-12

東京大学前期教養総合科目感想

適当感想を述べる。ただの主観なので履修に悩んでいる人はシラバスと逆評定を読め。L系列については書かない。

A系

記号論理学Ⅰ(理科生)

「¬A ∧ (A ∨ B) ⇒ B」みたいな命題証明を、ある規則に従って行ったりする。理科生的には数学の根源を掘っているみたいで楽しい

B系

C系列

現代経済理論

全13回の授業で毎回違う教員がいろいろ話をしてくれる。各回ごとにレポート課題が出るが、最終的に提出するのは1つだった。単位関係あるのは実質1回だけなので、結構気楽に聞くことができて癒しになる。普通講義は毎回理解を求められるが、この授業は理解できなければその回のレポート課題を選ばなければよいだけなので。

D系列

認知脳科学

人間認知機能と脳機能関係をやる。説明の都合なのか話題の9割が視覚特に錯視)についてだった。脱線が激しすぎて全体的に何を言いたいのかいまいちわからない。ノートスライド教科書を見比べまくってなんとかしたが面倒すぎた。良い勉強方法最後までわからない。

環境物質科学

学際の香りがする。主に扱うのは二酸化炭素オゾンホールプラスチックダイオキシン。「地球温室効果がなかったら気温は-15℃」というのはよく聞くと思うが、その根拠エネルギー収支の計算から示したりする。意外と覚えることは多い(フロン番号の命名規則とか)。

E系列

有機反応化学

印象がない。新しいことを学んだ気がしない。とにかく簡単だった。

基礎化学

天下り的にいろんな化学が降ってくるが、具体的な理論づけは全くやらないので結局暗記ゲーと化した。基礎化学で扱う内容は、後々その他の化学系の科目で詳しく扱うので正直取る意味がなかったと思う。

化学平衡と反応速度

熱力学の更なる応用みたいな感じ。ルシャトリエの原理とかの証明をしたり、酵素の阻害剤がどう働くのかをやる。学ぶところが多くて楽しい結構難易度は高い。

F系列

解析学基礎

なにもわからん

アルゴリズム入門

Pythonやってれば楽勝。Python実用みたいな感じ。アルゴリズム力よりコーディング力が付く。

計算プログラミング

アルゴリズム入門よりアルゴリズム寄り。ダイクストラ法とかやる。毎回課題が出るので面倒さは結構ある。アルゴリズム好きな人楽しいと思う。

2020-01-29

netflixで見た贖罪

湊かなえ原作贖罪という映像作品をみた。面白かった。

同時に、こんなことが現実にありえるだろうか、と思う。こんなこととは、贖罪テーマとして、複数人人生因果を一つの物語にまとめることができるのだろうか、ということだ。

もちろん、小説であり、サスペンスなのだから現実にはありえないのは当然だ。

もし、自らの人生を振り返って、小説のように物語として人生を捉える、説明することが可能であるとしたら、それは不都合記憶を省略して、因果を無理矢理に成立させているだけである

湊かなえ小説をわざわざ持ち出して書くことでもないのだが、久しぶりにこの手の作品を見たので、きっかけに思いつきを書いてみる。

また、この文章の発想の材料としてtwitterで流れてきた、脳科学に関するつぶやきであるtweetは見失ったが、内容は、脳のような複雑系ブラックボックスとして扱うしかないのではないか、というものだった。

この二つの材料を元に思いつきを書く。

脳が複雑系であるゆえに、私たちのあらゆる認知活動複雑系の一部である。とすれば、小説という営みは虚しい。なぜなら言葉説明ができない対象言葉にしているということはそれはただの虚構からである。もちろん、大抵の小説フィクションであることは、承知している。が、人は小説で感動し、自分人生を重ね合わせたり、小説人生の一つの真理を見出すわけである。ちなみに、逃げの一文を加えると、ドストエフスキーとか立派な文学ではなく、私が対象としたいのは大衆向けのエンタメ小説である

小説複雑系表現することが不可能である以上は、その存在意義上記のような、自分人生を重ね合わせたり、小説人生の一つの真理を見出すこととすることはできない。私の考えでは、小説存在意義は、まさにそのような錯覚を発生させること自体である、思いつきだけど。人は、自らの人生意味不明さ、理解不能さを紛らわせる為に、小説にすがるのではないか

また、小説という文化自体は複雑性が高いものであって、数多の小説を読み漁ってその相互比較をすることは、一つの小説を読んでそこから何らかの意図を汲み取ろうとする行為より格段上の行為であると思う。

追記、今またnetflix残穢、というホラー映画を見ていて、その途中に書いているのだが、怪談説明のできないもの説明しようとした結果のバグのようなものであると思った。

2020-01-05

ウィトゲンシュタイン哲学探究』の日本語訳を読む。

流石にニーチェ翻訳家が手掛けただけあって、日本語は実にこなれていて詩的だ

ウィトゲンシュタインは「詩的」な哲学を好んだ。ニーチェ哲学も従って高く評価していたという)。

悪く言えば情緒的で、こちらを刺激させるゴツゴツしたところのない滑らか過ぎる訳でもある。

ドイツ語が出来ないのにこんな生意気なことを言ってしまって申し訳ないが、好みとしては『論理哲学論考』の方が好き。

でも、「分かる」「伝える」「考える」ということがどういうことなのか再確認させる凄味はある。

脳科学世界で聞けば瞬殺されそうな考え方ではあるが、仮に科学で解明されたとしてもではその科学がどうして正しいのか、という疑問は残る。

確かウィトゲンシュタインはそういう事態を指して「語りえぬもの」と呼び、黙れ、世界はそのようなものからだ、と語っていたのではないかと思う。

2019-12-31

anond:20191231133504

しっかり福祉サービス受けれる/受けてる案件なので

しろそうならない理由を考えた方が良い

貰えるのを当たり前って思っちゃうからかな?

芸能人風味のどこぞの女性脳科学者も脳科学なのに

感謝ではなく自努力を強調していらっしゃた気がした

2019-12-23

2019年3月18日日記

を発掘したので投稿してみる。以下去年3月日記

。。。。。

お酒をやめたことで脳内に直接作用してアッパーとかダウナー作用を及ぼすイロイロに興味がわいて青井硝子さんの薬草協会とか読み漁ったりカフェインを絶ってみようとか思い立ったりして、まずはノンカフェインインスタントコーヒーを買った。100gで1100円だ。僕は近所の高級スーパーで購入したので1300円。2gで1杯分だと書かれているので100gだと50杯、1100円換算で1杯20円強か。今まではドリップコーヒーをわざわざ淹れて飲んでいて、それがだるいというのもインスタントコーヒーを購入した理由の一つなんだけど、値段で比較してもインスタントの方が安いんじゃないか。これインスタントの中ではかなり高級品のはずなんだけど。ドリップコーヒーって高級品なんですね。ドリップコーヒーは1杯40~50円くらいかかる。さて飲んでみた結果なんだけど口に入れた瞬間インスタントコーヒー特有のあの味がして一気に思い出した。インスタントコーヒーあくまでもインスタントコーヒー味で、コーヒーとは別物なんだよなってこと。ちゃんと蒸らしてドリップしたコーヒーは美味しいんだってことを再確認させられました。まぁインスタントコーヒーも飲めないわけじゃないのでいいです。ドリップに比べて圧倒的に楽だし、味もどうせすぐに慣れる。気楽に生きるには安物に慣れておいたほうがいいし、元々カフェイン絶ちのために購入したのでカフェイン入りのコーヒー比較するのは酷だ。それこそカフェイン入りのコーヒーカフェインが脳に直接作用する働きが「うまさ」として感じられているんだろう。知らんけど。

****

最近は本をたくさん読みたいと思うようになって、図書館で本をたくさん借りたのだけどいかんせん活字の本は読了するのにどうしてもある程度のスピードがかかってしまうのでだるいもっとアニメとか車とかゲームかにハマった時のスピード感が欲しいよな。あらゆる角度から情報をがんがんアップデートするあのスピード感が読書にはない。読書情報量が他の趣味の比にならないほど莫大に多いので、永遠にゲームの一週目が終わらない感覚なのかな。知っているものが出てこないというか。それはそれで楽しいんだけど。今は内田樹さんの『困難な成熟』、市原真さん『いち病理医のリアル』、池谷裕二さん『脳には妙なクセがある』を読んでいる。池谷裕二さんの脳科学の本は人間がする行為原理とかが脳科学的に語られていてすごく面白い人生は脳に快感を与え続ける作業ゲーだとも思えてしまう。内田樹さんの本はまだあまり読み進めていないのだけど面白そうだ。今はとにかくどの方面からでもいいのでとにかく新しいことを知って知識を蓄えていきたい。まだ21歳なので、どの著名人wikipediaを読んでも大体人生が上手く回り始めるのは20代後半か30歳に入ってからで、それまで彼らもとにかく知識を取り込んで自分が本当に好きなものを探していたんじゃないのかなとも思う。時代は常に動いているし何かに遅れてもまた新しい別の何かが生まれてくれるので「流行に乗り遅れた」なんて存在しない。今はまだ幼虫なんだと自分に言い聞かせて人生ゆっくり進めています不味いコーヒーを飲みながら。

2019-12-19

anond:20191219195644

脳科学経済学なら日本人ちゃんとした研究者が書いたのはまともな本あるよ(心理学は知らない)

著者が研究員とか大学先生とかのを選ぶとあまり外れがない

新聞記者とかどっかの企業役員が書いたとかいうのは、週刊誌を長くしているだけなレベルのが多い

脳科学心理学経済学の本って

日本人が書いたものは信用できなくて外国人が書いたものは信用できるみたいな妙な考えがある。

2019-12-15

anond:20191215181830

やめようとするとうまく行かないぜ。脳科学的に

やめるんじゃなくて別のことを始めるといいぞ

2019-11-29

anond:20191129094732

しかにこの文章ダメ感ある

でも概念自体はもうちょい穏健じゃない?

それは絶対ありえない!つってる人ってなにを根拠にしてるんだろうなと思って…脳科学かに詳しいのかな

2019-11-28

anond:20191127135052

自分の好みだけど「意識は語る」ラメッシ・バルカール

脳科学じゃなくて不二一元論だけど

安くはない本なのでアマゾンレビューとか見てピンときたらどうぞ

今までの時点で人生の一冊

2019-11-27

anond:20191127132508

なんかオススメない?

ガザニガ脳科学講義みたいな本よさそう!と思って図書館で探したけどなかったからがっくりきちゃった

2019-11-17

哲学黄昏

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html

サーバメンテナンスみえないっぽいけどめちゃくちゃ面白いね。いまさらだけど。

谷村先生は本当にまじめな先生だな、と思う。

メタな話をすれば、哲学者側は最先端物理学者との対談で自分の論に箔をつけて業績にできるめったとないチャンスで、対する物理学者側は正直こんな本が出ても業績としてたいして価値があるわけでもなく、無難お茶を濁しても誰も何も言わないだろう状況へこのガチファイターの投入である。(ほめてる)

流血覚悟、魂をこめた渾身の右ストレート

そしてこの叫びである

https://twitter.com/tani6s/status/1193542355975950336

https://twitter.com/tani6s/status/1193542463169810432

谷村先生人間味が感じられるツイートお気に入りである

心の哲学が何を問題にしているのか、とか全然興味なかったけど、おかげさまで浅いなりに理解できたし興味も出てきた。谷村先生が頑張らなければひっそりと専門書の棚に気付かれることなく置かれてるだけだったかもしれない本だったかもしれず、関係者谷村先生感謝しすぎてもしすぎることはないんじゃなかろうか。

ところで谷村先生が指摘した部分というのは、理系研究者人間であれば多かれ少なかれ感じていたが言語化するのがためらわれた結果、これまで表面に上ってくることのなかった問題のように感じる。

学生の頃、人文系研究室卒論科学研究室卒論とを同じ発表会で見る機会があったけど、科学系の教授の人文系の発表への容赦ないツッコミを思い出した。

用語定義しろ立論にしろ結論を導く論理しろ君たちあまりに緩すぎないか?というのが共通する雰囲気だと思う。

科学が発達していなかった昔、哲学科学がまだ扱えない領域を先んじて論理の力で掘り起こす役目を担っていたと個人的には思う。(谷村先生の期待もこういうものではなかっただろうか。)

だが色彩論でのゲーテニュートン批判とか、時間論でのベルクソンアインシュタイン批判とか、科学哲学に先行して真理を掘り起こした結果、取り残された哲学が宙ぶらりんのままになる状態19世紀以降は顕著になってきたんじゃねえかと思う。まあ哲学のことはよくわからんのでアレだが。

ベルクソンアインシュタイン対話翻訳ネットで拾って読んでみたが、ベルクソンが長く理解しにくい文章で考えを述べる一方、アインシュタインは明晰で短い文章でバッサリと切っていて既視感がすごい(語彙力)

今、AIとか脳科学研究が進んで、心に関する諸問題哲学ではなく、科学俎上で実際に解決される可能性が高くなってきたと思われる。

意識ハードプロブレムとかも、哲学からの「まだまだ科学に扱えないものがあるんだよ!!」という断末魔叫びのようにも感じられる。

だが科学は進む。

意識問題も脳というハードウェア上に構築されたニューラルネットワーク状態空間として科学領域に取り込まれ哲学領域はまた一歩小さくなっていくのだ。

地動説人間の住む地球宇宙の中心ではなくなったように、進化論人間が神に作られた特別存在ではないことがわかったように、有機物生命作用なしに合成できることがわかったように、意識もまた特別な何かではなく、我々自身哲学的ゾンビなのだということを認めざるを得ない瞬間が必ずくるだろう。

キリスト教根底にある思想最後まで魂の特別性に拘泥するかもしれないが仏教だと五蘊皆空と思えばどうということもない気もする。

まとまらず終わる。

2019-11-10

人が悪口言ってたよって伝えてくるタイプのやつなんなの?キモ だからなんだなって感じだよなキッショ不快になったわ他人悪口言って楽しんでる奴は一人でずっといってろ脳科学で悪影響あるって証明されてるんで笑勝手馬鹿になってください

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