はてなキーワード: 現実逃避とは
フランス人のサッカー選手がフランス語で日本人/アジア人を差別する発言をしたことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。
昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人はダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人』である自分は例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本や日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人と結婚してパートナーの出身国に移住し、日本人向けに「ダメな日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本語書籍を出して小銭を稼ぐタイプの人間である。
万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸の文化だったからである。実は、昔から日本人は舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身の文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代の仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本のダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本を改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメな日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクだからである。
仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国の人間が相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。
最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間も仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本がダメになったのは自分以外の日本人の責任である」という考え方である。
さて、人間は大なり小なり、他者を差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人を馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本や日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分も日本人だから」という理屈である。
「これは嘲笑や罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメな日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメな日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人」である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想的母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。
件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護を鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手だから好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスのダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリー・アイリッシュのC-word発言映像に対して「自分はアジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人やアジア人が多数いたのも、これも同じ動機である。
日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在の自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである。
X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。
ヨーロッパ選手権を見ろ!ワクチン接種済みなら問題ない!!→感染者ドーン!!→あんなの参考にならない!重症化しないから大丈夫!!日本人は民度高いから大丈夫!!オリンピック競技はこんなに熱狂しないから大丈夫!(ワクチン接種済みなら問題ないとしたコメに口を拭って)(←NEW)
人集めりゃこうなる可能性は十分予想可能なわけで、なぜ目をつぶってしまうのか。ましてもっと規模の大きいオリンピックで
同じことが行らないって思っちゃうのはもはや現実逃避。重症化を防ぎうるといっても人数増えれば当然重症者の数も増えるわけでして。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210616/k10013088621000.html
id:rakko74 プロスポーツは普通に有観客だし、EUROのようにワクチン接種が済んでいる人の現地観戦については何の問題もない。もちろん未接種の家族に感染させるリスクはあるが、現地に行く・行かないはチケット所持者の判断だ。
id:KAN3 海外からの観客も入れてくれ。ワクチン接種済み限定ならリスクもないだろうし、7月なら接種済みの人は先進国にたくさんいる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210701/k10013112841000.html
id:koutatan この記事を元に五輪開催にケチを付ける人が出てくるだろうけど、ぜんぜん参考にならないからな。動画を見るとわかるが、マスクなしで密集して大声だしてハグして、それじゃいくらワクチン打ってても感染するって。
id:yhsmyhsm 重症化しないから平気平気があちらの考え。ワクチンの効能を何度説明しても理解しないのが日本人。
id:sumn はてブ民は若者層をどんだけ馬鹿に設定してるの?海外よりはマスク文化あるしおおっぴらにここまで騒ぐやつはテレビで取り上げるから目立つだけで少ないでしょ。
id:rakko74 五輪でここまで熱狂する競技って何がある?サッカーU24、バスケ、野球?野球はMLBの大谷に話題面で負けたままだと思うが。テニス、ゴルフで日本人選手が勝ってもこんな状況にはまずならない。マイナー競技なら尚更。
性欲発散は正しいと思うが、現実逃避ではないだろう。ただ単にひとつ覚えで正面からぶつかるしかできないような現実迎合おじさんに比べて、より柔軟に現実と戦えている。
もし本当に現実逃避なら、それで問題が解決しないどころか逆に悪くなるはずだ。BLを書き続けて結果「トラウマが深くなった」みたいに言うようになった人、どれだけ見たことがある?
…目を背けてると評するのは、無理があるでしょう。
書いてる連中は現実逃避だろうけど、
自分自身の何かを別の形に変換して客観的にとらえ直すのは、物語の基本的な機能だ。
そうすることで冷静になれたり見えなかった側面が見えてきたり、感じ方が変わったりする。
創作腐女子の場合は信頼できる仲間からのフィードバックも期待できるだろう。
目の前の現実への対処に真剣だからこそ、多角的で柔軟な付き合い方ができるんだよ。バカ正直に正面からぶつかるしかできないのは、言うなれば、現実迎合。
「原作へのリスペクトとか、書いた内容とか、それ以前の段階でコケてると思う」
十把一からげで語るのは解像度が低いと思う。実際には十分なリスペクトを持ってやってる人もいる。
次の仕事まで長期休暇をとった。
漫画をかくのが趣味だったので、いっぱい描いちゃうぞ~♪と思っていたのだが、いざ休みになると描いててもあんまり楽しくない。
疲れてるからかな、と思ってだらだらしてたのだが、すっかり元気になっても変わらない。
いろいろ考えて試したのだが、どうも自分は現実逃避として描くことに楽しみを感じていたようだ、と分かった。
したくもない面倒な仕事の合間に次の同人誌のネタを考えたり、限られた休日で必死にペン入れを終わらせたり、そういうふうに描くのが楽しかったんだな。
自分は描くことそのものに楽しさを感じられる人間じゃない、というのはちょっとショックだった。
でもまあ、漫画が好きなのは変わらないし、自分がどういう動機で描いていたのか気づけたのはよかったな。
ていうか、これ、たとえ5000兆円手に入れて一生仕事しなくてもよくなったとしても、また楽しく描くには一定のストレス下に身を置かなければならないということなんだよな。
い、嫌だ~~~(泣)
ただの悪口。
お前が推薦したからなんなんだよ。
誰だよてめーは。
三次元のアイドルだか二次元のキャラクターに、お前は関係もない人間じゃねーか。
「あなたと一緒にコンテンツを楽しみたい」とか言われたら、サブイボしか立たねえんだよ。
クラスや会社で面白かったバラエティー番組の話をしてる知力0のアホ共の風潮をインターネットにのさばらせるんじゃねえよ。
てかね、コミュニケーションのためにコンテンツ使うのやめろ。マジで。
コンテンツってのはコンテンツと消費者の双極的なもので、他人は入り込む余地ねーんだよ。
他人とコンテンツ楽しみたいなら格ゲーでもやってメイのイルカに轢殺されてろ。
いや何が言いたいかなんて1つだよ。
「自分をもて」。
ましてや、漫研楽しそうだな、漫研に入りたいな、そのために漫画を見よう。
女が腐ったようなやつが多すぎるわ最近。
1人でトイレも行けなそうなやつ。
「推し」とか「推し活」ってワードを嬉しそうに使うやつって、自分には脳ミソが入っていませんって嬉しそうに言ってるようなもんだぞ?
推し活で出来たと思ってる友人は友人じゃない。
オタク叩きたいだけの造詣のないやつだと思われると嫌だから、最後に言っとく。
フォロワーしか見てないアホ企業の依頼を蹴る時が一番気持ちいいな。依頼単価1点大体6~10万くらいって言えば他のレーターの人は俺のランクわかるだろ。
俺の言葉に価値はねえし俺の絵が好きなお前らにも価値なんてねえよ。
そんなわけないだろ。俺とお前は違う人間なんだから、共有できることなんて何もねえよ。
お前らさあ~。マジで、自分の都合のいい時だけ他人の論理とか、感性取り入れるのやめろよ。
俺がおはよー東京いい天気だね!って言うといいねついてそうですね!とか言われんのホンマ馬鹿かとアホかと外雨じゃねーかと。
大体イラスト目当てでフォローしてるお前らは俺の人格知らんだろうがと。なに急に話しかけてきてるわけ?
とにかく他人を気にしすぎるな。
どうしてもコミュニケーションしてえなら。他人からの批判だけ受容しろ。少しでも自分に都合のいい意見や自分を楽しませるものは全部無視しろ。
そのくらいで丁度いいわSNSは。
てか、オタクなんて録なもんじゃねえんだから、生き方から切り離せ。
切り離して、なんでもかんでも共有したがる癖をやめろ。シェアに価値はないしシェアしてるものに価値はないしシェアをしたからお前に価値が生まれるわけでもない。
自分をもて。
ネットで毒虫のように肥大化した自尊心と、おちゃらけすぎて現実逃避を極まりすぎてもはや現実とネットの極論の区別さえつかなくなったような本当に食欲と性欲以外は悪意か嫉妬にしか反応できない昆虫みたいな生物になったような
代わりに建設的な意見やそこそこエリート何だろうなって増田はごっそりいなくなっている
数年前の層はどこへ行ったんだろう?
社会人として意味がないからではなくて単純にオタクではないからだろ虚しいのは
ありとあらゆる趣味や分野と違ってアニメ・ゲーム・マンガだけは『視界に入れるだけでオタクを名乗れる』が
ありとあらゆる趣味や分野ではそれがオタクとは呼ばないし名乗らない
ただそれが悪いとは言ってない。弱者だから比喩抜きに死ぬこともあるので救いになることもあるだろう
もちろんネトウヨのように(つか兼ねていることが多い)これからも毎回毎回毎回毎回歴史をねつ造したり
仮初の帰属意識は持ってもいいけどポリコレで配慮されるべき属性の人間である自覚はあっていい
全然知識もこだわりもないけどアイドルグループ○○の△△オタです
当人も重篤なコミュニケーションのハンデキャップを抱えていなければ話題についていけないことを自覚して輪に加わらないと思う
けれどアニメ・マンガ・ゲームだけは何故か違って"知識もこだわりも求められない"
弱者の駆け込み寺になってる
この枠を無視してる作品は大人向けの限られた愛好者で消費される娯楽みたいな認識も作ろう
ネタバレしとくと始祖ユミルは王様への恋が断ち切れなくて2000年悩んでてその悩みの解決先をミカサに託したわけでミカサの恋心がキュンする度に頭痛が下のはユミルが脳を覗き見してたからなのんでミカサとエレンは相思相愛だったんだけれど戦争と運命のせいでガッサーー引き裂かれてたけれど最後はミカサがエレンを斬首し且つキスすることでユミルはんもニッコリというプロットやわそいでエレンも相当先の未来を見通してたんだけれどユミルはんは皿にその一歩先を見通しててだからエレンは最終的に巨人の居なくなる大団円な未来は見通せたけれど何でそうなるかは分からないし味方同士の殺し合いはハラハラ感あったけどユミルはん的にはそこはお見通しではあったがそこから先がわからんだからどうなるかミカサおせーてといった塩梅でオカピ使いながら吉田沙保里よろしくこっそり然るにしっかりヲッチしてたらミカサが一瞬夢と妄想の現実逃避しそうになったが最後のガッツーン来た頭痛で真の愛を見出して何故か分からんが巨人のエレンの口の中に首のエレンがいることを伏線1オングストロームもなしにズバリ言うわよと細木確信でリヴァイを使役しつつ前述した首チョンパアンド情熱のキッスでエンドや。
特に理由があるわけではない。気づいたら生理的な嫌悪感があった。高校生になったくらいではなかったかと思う。
敢えて『ノーマルな』と書くのだが、それは現実世界の大半の恋愛関係であったり、二次元ならば主に少女漫画で描かれるような、男性と女性による、世間一般的に常識として扱われるような恋愛。
恋愛作品を謳った時に王道として取り扱われるような、性的関係を孕んだ、恋愛をメインとして描かれる恋愛である。
高校生の私はそのようなノーマルな異性愛が大嫌いで、恋バナや恋愛ドラマ、街中の異性愛を彷彿とさせる化粧品の広告や芸能人の結婚のニュースなど、現実世界にある全てのノーマル異性愛要素を忌避していた。
当時から今までのことを忘れる前に書いておこうと思う。
私は女子校に通う高校生で、いわゆる女の子らしい女の子ではなかった。
化粧品を買うよりは本やマンガを買い友人同士でゲームを持ち寄って遊ぶような生徒だった。
最初はノーマル異性愛を嫌悪するほどではなく、ただ苦手なことは自覚していて、そのような要素を扱った作品を避けて生活し、恋バナにも積極的には参加しなかった。
日常を過ごす中で徐々に自分の中のノーマル異性愛に対する感情が生理的に嫌だ、という方向へ深化しているのはわかっていたが、まだそれは個人の好みの範疇で、地雷に気を付けるように過ごせばいいと考えていた。
それが変わってしまった決定的なきっかけは思い出せないが、強く印象に残っているのは学校行事としてミュージカル「リトルマーメイド」を見に行ったことだ。
『王子様』『お姫様』の典型的なノーマル異性愛物語であるリトルマーメイドは劇場に向かう前から気が重かった。
恋愛を素晴らしいもののように喜ぶアリエルを見ているだけで既に全く共感できず苦痛を感じていたが、決定的に駄目になってしまったのは幕間の休憩時間である。
隣に座っていた友人が、『王子様』のキャストさん、めちゃくちゃエロい、という話を振ってきたのだ。
もうそれを聞いた瞬間にそれまでかろうじて舞台の上にあった恋愛が観客席に侵食し、この目の前の友人の脳の中にも確実にそういう感情があるんだ......というのを認識してしまい、物凄い拒否反応が起こった。
友人とこれ以上会話はできないと思った。
私は黙って目を閉じ、そして幕が上がり、劇が終わるまで、ずっと微動だにせずひたすらに耐えていた。
周りから見れば相当おかしなやつだし寝たフリだとバレバレだったと思うが、そんなことを気にする余裕はなくひたすら推しのことを考えて現実逃避していた。
そして終劇、解散とともにコンビニに駆け込み、抹茶ラテを買って(推しは茶が好きだから)イートインスペースに陣取り、ひたすらに全てを忘れようと努めた。
だが、確実に友人たちと話ができなくなりつつあるのは感じていた。
直接的な恋愛の話は勿論、好きな俳優のタイプは?とかいう女子校定番の話題にも虫唾が走る。
テレビのバラエティも見るのが困難になっていた。どのバラエティでも恋愛関係の話題は死角から刺してくるからである。
とにかく少しでもノーマル異性愛を想起させる話題が出てくると途端に上手く表情を作れなくなり、言葉が出てこなくなる。
苦手な話題くらい誰にもあるんだし少しは話を合わせる努力をしろというのは全くその通りなのだが、もはや当時の私にとってそれは精神的拷問と化していた。
例を挙げてみるが、死体に興奮するんだよね~、どの死体が好き?俺は水死体、などという会話に笑顔で話を合わせられる人はおそらく少数なのではないだろうか。
生理的な拒否反応が咄嗟に起こり、思わず相手の価値観、人間性を疑う人もいると思う。
私は常時それを経験していた。
皆がそのような嗜好を当然のように持ち、話についていけないこちらが異端者扱いされる。
元々話が得意な方ではなかったし、もうここらが限界だと感じた。
突然黙り込んでしまう私に皆が気を遣っているのも申し訳なかった。
恋愛の話苦手なんだよね、と言うのも躊躇われた。
この耐え難い苦痛を真に理解してもらえるとは思えなかったし、仮に理解してもらえたとしても互いに気遣って気まずくなるのは目に見えていた。
おかしいのはこっちで周りに全くもって非はないのだ。
私はその後友達付き合いを一切やめ、高校生活をほぼ1人で過ごすことになる。
自分1人のことだけ考えていればよい環境はまぁまぁ心地よく、そして他クラスだが1人親友と呼べるような友人がいたのに随分助けられた。
その子とはとにかく趣味があったためいつも趣味の話しかしておらず、恋愛がどうとかいう話題は一切出てこなかったのだ。
後述する事に関わってくるのでここで少し性癖の話を挟むのだが、私はノーマル異性愛がめちゃくちゃに嫌いなだけで、それ以外の恋愛コンテンツは大体好きなのだ。
先ほど死体性愛の話をしたが、異性愛と死体性愛なら断然死体性愛の方が共感できる。
死体に興奮する趣味はないが、それに興奮する、ということに嫌悪感はないし、性癖の1つとして理解できる。
「死体性愛が好き」というより、「ノーマル異性愛でないから好き」という感じだ。
とにかくノーマル異性愛でさえなければとりあえず一律100ポイント入る感じだった。
高校時代は自分のセクシャリティに悩み、度々ネットの海を彷徨っていた。
今自分を鑑みるならおそらくフィクトセクシュアルかつアセクシャルが近いのではないかなと思うが、当時はどれを見てもピンときていなかった。
大学に進学した後も異性愛に対する嫌悪は消えることなく、結婚や就職などの将来や大学生活を考えるたびに不安になり、更に元々険悪だった両親の仲が更に悪化し、私自身が父親と衝突してずたぼろになったのも重なり、遂にうつ病になってしまった。
この頃の私はかなり限界で迷走しており、自分を励ますために自分の理想とヘキを全て詰め込んだ架空の女性キャラクターを創作し、その女性の面影を追って生活していた。
その女性と恋愛がしたいとかそういうわけではなくて、ただその女性が毎日見守ってくれて1日の終わりにお疲れさまと言い合えたらそれだけでいいのにな...というようなことをずっと考えていた。
考えすぎて辛くなってきたので実行に移した。
女性の容姿デザインを固め、その道の方に依頼してvroidで3Dモデルを作ってもらった。
そして既存の服データを買い込んで次々に着替えてもらい、外出する時はアプリでそのキャラをAR表示し写真を撮った。
キーボードに対応して稼働するデスクトップマスコットにし、課題でレポートを書くたびに見守ってもらった。
vroid対応のゲームにそのキャラを導入し、身体を借りてプレイした。
恋愛もできず友達付き合いも苦手な自分が将来どうやって生きていけばいいのか不安だったんだと思う。うつ病で趣味も純粋に楽しめなくなり、何を生きがいにして生きていけばいいのかわからなかった。
でもそのキャラモデルと過ごすうちになんだ、これだけで十分満ち足りるじゃないか、と思ったし、私はこういう架空存在との非恋愛関係がずっと欲しかったんだと思った。
同時期に心療内科に通い始めたのもあって心は徐々に落ち着き、趣味も再開できた。
落ち着くにつれてキャラモデルを起動させる回数は減っていったが、今もずっと特別な存在だと感じている。
ノーマル異性愛に対しては未だに全く共感はできないし自分からそのような作品には触れないのだが、嫌悪感は少し緩和されたように思う。
テレビのバラエティで出てくる恋愛談議にふーんと思えるようになったくらいだ。
恋バナも多少聞けるようになった。自分にその矛先が回ってくるとまだ上手く喋れなくなってしまうのだが、他者のそれを聞く分には良い。
高校時代は周りを取り巻く全てのノーマル異性愛に苦しんでいたため随分生きやすくなったなと思う。
今思い返すとそんな状態は明らかに異常なので、学校のカウンセラーなりに早いとこ相談しておくべきだった。
当時はそんな発想すらできなかったのだが。(家庭環境について耐えられずカウンセラーに相談したことはあった。しかし、ノーマル異性愛嫌悪については完全に自分がおかしく悪いと思っていたので誰かに相談するという考えがそもそもなかったのだ)
つらつらと書いてきたが、どうしても疑問なことが1つある。
中2の時に「18歳の私へ」というていでタイムカプセルのような手紙を書いたことがある。
高校卒業のタイミングでその手紙は自宅に届き、懐かしくなりながら封を切ったのだが、書かれていた文面を見て驚愕してしまった。
「彼氏はできましたか?」と書かれていたのである。彼氏!!!!?!?!?
あまりに衝撃だった。自分が書いた文だと思えなかったが筆跡は間違いなく自分だった。
しかもニュアンス的には彼氏はできましたか(笑)、のような感じで、彼氏/彼女ができないと人間として一人前でないとするような、私の一番嫌いな価値観が透けて見えるような文章だった。
本当に自分がこれを書いたのだろうか...?自分がそういうことをしたいのだと心から考えていたのだろうか...?と思い始めると気持ち悪くなってくるので感情は一旦おいて事実のみを考える。
中2ということはノーマル異性愛嫌悪を感じるようになる高校まで大体1年半くらいだ。
1年半で人間の考えはここまで180度逆に変わるんだろうか?
しかも手紙を受け取るまで自分が彼氏がほしいと思っていたことなんて全く忘れていたのである。最初からそんな考えはなかったものだと思っていた。
そして前述した「ノーマル異性愛以外が好き」というマイナス検索のような好み、これらを合わせるとどう考えても中2から高校までの間にノーマル異性愛を嫌いになる何かがあったのでは?と他人事のように考えてしまうのだが、何も思い出せないのである。
気づいたときにはノーマル異性愛に対する多大な苦痛だけがあった。
ネットを見る限り性的指向が変わることは往々にしてあるようなのだが、正直指向が何の理由もなくこれほど変動し実生活に支障をきたすというのは堪ったものではない。
原因があるなら特定したいし、今大好きなものもある日突然見るだけで苦痛を感じるようになったらどうしようと思ってしまう。
心療内科の先生に打ち明けた方がいいんだろうか...と思うものの(先生には家庭環境でうつになったとしか言っていない)、打ち明けるということは迷走時代の寄行も告白しなければいけないということなのでできれば避けたい。
ここまで読んだ方でもし心当たりある方がいれば教えて欲しい。