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2018-12-17

デレマスは好きだけど"P"は嫌い

昨日の7周年イベを終えてとうとう我慢できなくてこんな陰キャゲロを吐くところに自分も書いてしまった。

オタクダブルスタンダードはもはや常識であるが、余りにもアイドルマスターシンデレラガールズオタクはその傾向が酷すぎる。

ではどのようなところが酷いかを挙げていく。



1.レギュは守れとか言っておきながら守らない

アイマスライブではUOの持ち込みは許可されている(割と他の大きいライブではNGな所が多いのにね)。また、「また周りのお客様のご迷惑となるような大声・奇声、公演の妨げとなる大きな音を鳴らす等の行為、両手を左右に激しく振る、腕を振り回す、上半身を反らすなどの過激応援行為、過度なジャンプ行為禁止させていただきます。(6thライブ注意事項)」とあるように周りの人に迷惑行為禁止事項として挙げられている。しかし毎年の様にライブではそのような禁止事項をしている人体がいたことをツイートして、周りの同情を買いたいのかリツイートをもらって承認欲求を満たしたいのかわからない人が多発している。(大声を上げることもNGなのだ演者あいつの後に叫ぶ人がたくさんいることについてはここではスルーする)

さて、昨日の周年イベントレギュレーション確認した人がどのくらいいたのであろうか。

ペンライトケミカルライトサイリューム)をご使用の際は、まわりのお客様の鑑賞を妨げないようご配慮ください。ただし、著しくまぶしい高輝度タイプ(大閃光やウルトラオレンジ等)や改造サイリウム等、光が強く明るすぎる物、長すぎて危険と思われる物などのご使用はご遠慮ください。(CygamesFes2018注意事項)」とあるようにUOは今回のライブにおいては持ち込み禁止なのであるしかし、実際にUOを振っている人が何人もいたのが当日確認された。

2. 強制させたい人が多い

アイマス9thの「Rebelion」、今年の台湾公演などの「2nd Side」などペンライトの色をライブ会場の人が揃えることによって綺麗な光景を作ることができる。それ自体は素晴らしいことではあるが「〇〇の曲ではUOを折るな」「〇〇ではこの色を振れ!」などの事をいう人がデレマスでは特に多い。ライブ直前には「Trinity FieldUOを追ってる人が前にいたら蹴る」と犯罪予告をしている人が複数見受けられとてもうんざりしてしまった。ライブになんのためにいっているのであろうか。アイドルを、演者を見に行っているのではないだろうか。周りのオタクを見に行っているのならばLVにでもいって映画館オタクとじゃれあっていてほしい。折りたい色を折らせてほしいしもし周りに自分の意に反した色を振っている人がいたならばセンスないなって内心思っておけばいい。どうして周りに強制させたがるのだろうか。

3. コール迷惑行為

直近で話題になったものだと「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」のサビである自分の中では公式が悪いと思っているのだが、イベントで初披露されたときに(ミリシタの真似をしたんだろうけど)コールも一緒に入っていた。曲を聞きたい人からしたら大迷惑なんだけどそのコールライブにまで取り入れたプロデューサーさんであった。前述の通りアイマスライブは「また周りのお客様のご迷惑となるような大声・奇声、公演の妨げとなる大きな音を鳴らす等の行為、両手を左右に激しく振る、腕を振り回す、上半身を反らすなどの過激応援行為、過度なジャンプ行為禁止させていただきます。(6thライブ注意事項)」というレギュレーションがあるのだが、これは周りのお客様のご迷惑となる大声なのではないだろうか。曲がいいだけに残念だった。(そんなことをTwitterでいうとじゃあBDかって家で見てけなんて言われるんだろうけどね)

他にもセンスのないコールが多すぎてなんだかなあって思いました。何でもかんでもフワフワ言うのはやめにしませんか。

4. マナーの悪さ

知り合いから聞いた話では5thライブの物販の始発電車に閉まる直前に乗り込もうとした人がいい年した大人4人くらいに囲まれて色々怒鳴られた挙句電車の後ろ側に押し込まれていた(一般客も乗っている電車の中の話である)、また物販のために徹夜で待機している人も大勢いる。(ペナルティで一番後ろに回されるのだが)6thライブではただでさえ狭いドームの周りのところで点字ブロックを踏んで名刺交換をしている人がたくさん見受けらえた。ナゴヤドームの近くのイオンフードコートでは法被やフルグラフィックなTシャツを着てフードコートを歩き回り、「飲食以外の使用はやめて下さい」と店員アナウンスしているすぐ近くで大人が何も買わずスマホをいじったり話したりしていた。終演後ではそのイオンナゴヤドームゴミ箱UOなどのゴミを溢れるほどに捨てていき、ゴミ箱の上に空のペットボトルを平気な顔をして立たせて捨てておく。これでどんな面をして「アイマスPはマナーが良い」なんて言えるのかその顔を拝んでみたい。










ここまでお見苦しい文章を読ませてしまって申し訳ないがそれでもシンデレラガールズから離れられない理由がある、それは「コンテンツの魅力」である。765ASや新規アイドル含め200人超のキャラクターを有するコンテンツは他には存在しないしアイドル同士の無限の組み合わせの絡みは飽きが来ない。その素晴らしいコンテンツの輝きをPが曇らせている今の現状に早く気づいてほしい。これを読んで悔しいと思う人がいるのならば直してほしい。私の願いはそれだけです。

2018-08-25

死刑制度存続に賛成できない

凶悪事件話題になるたびに思うのだが、私は死刑制度には反対だ。データを見る限り犯罪抑止力になっているとは言い難いし、再審請求が多くなされている中では冤罪を防ぎきれているとは言えないと思う。慣例のようなものが多く、制度自体の透明性も十分ではないと思っている。

そういう意見には、「被害者や遺族の気持ち想像してみろ!」という反論がある。実際に言われたことも何度かある。

けれど、私はそういうことを言われるたびに、〝私が実は被害者家族かもしれない" という可能性にも気づかないような貴方のお粗末な想像力に価値はあるのかなぁ、と思う。

私には「自分不利益を与えた相手に罰を与えたい」という気持ちになったことがない。「私はあいつのせいでひどいめにあった、あいつもひどいめにあえばいい」という理屈がよくわからない。ひどいめにあって自分が悲しい、悔しい、怒ったぞ!というのはわかる。私にとってそれらの感情と「罰」は別物で、そのために相手が悲しんだり悔やんだりしても、私には特にメリットがないように思うし、悔しさが埋められるわけでもない。

小さい話で言えばめちゃくちゃに私に仕事を振ってくる上司に「足の指を机にぶつけちゃえ」と思うとか、そういうことが一切ないということだ。もしその上司が足の指を机にぶつけて痛がっていても、別にそれで私が楽しくなるとか、そういうこともない。仕事は減らないし。

毎週のように人権侵害レベルのめちゃくちゃなクレームを浴びせてくるおばさまにも、私の弟をひどいシフト給料で働かせていたバイト先の店長にも、幼少期に私に暴力を振るった変質者にも、特にその報いを受けてほしいと思ったことはない。新聞テレビで見る殺人犯などはなおのことで、仕事関係でそういった事件現場に幾度か足を運んでも、さほどその感情が変わることはなかった。ひどいなぁとは思う。こんなことが二度と起きないと良いとは思う。犯人をとても許せないと思う。でも許せないってなんだろう。それは完全に私の中身だけの問題で、行動とか、外に出ているものとはあんまり関係がない気がする。私はたぶん、小学校の頃に私を無視した同級生を許していないけれど、彼女現在進行形で私を無視していないのなら彼女と夕飯を食べることができる。

ただ、これは私にとって理解ができないというだけの話で、それだけでは私がそれに反対する理由にはならない。それは例えば、私が目が見えるから街中の点字ブロックは全部剥がせと言うとか、私がトンボが嫌いだからトンボいくら殺してもいいとか、そういうのは間違っているのと同じだ。それに、その事件1つ1つに関して言えば私は完全に部外者で、当の本人たちが極刑を望むのならそれは無視されるべきではないと思う。あと、「二度とこういう事件が起きない」ためにはその犯人を世の中に出さないほうがいいと判断されることがあるというのは理解できる。

私が死刑に対して、それでも「反対」の方に傾くのは単純な理由で、「私が人殺しをしたくないし、誰かに人を殺してほしくない」からだ。それは部外者が持ち得る曖昧想像力よりも私にとってずっと実感がある。

この国に生きてきて、私は何人もの犯罪者を殺している。刑場を準備すること、片付け、それに関わる人の諸経費、お金は私が出している。執行のためにハンコを押す大臣、あの人も私が選んだ。事実としてそう。そういうシステムになっている。

そして私は同時に、誰かに人を殺すことを強いた。誰かがボタンを押したから、死刑囚は死んだ。そのボタンを押させたのは私だ。

高校の頃、死刑制度について考える授業で、反対サイドの私が「死刑執行する人の負担を考えると賛成できない」と言ったら、賛成サイドに「刑場にはボタンがいくつかあって、一斉に押すから誰が装置を動かしたのかはわからないようになっているから」と言い返されたことがあるが、私はやっぱり、それが反論になると思っている、自分が殺したかどうかわからなければ大丈夫だと思う人が想像する「被害者気持ち」はどれだけ信頼がおけるものなんだろうと思った。

賛成する人の意見はいろいろある。システム的な部分で理解できるものもある。でもそれを「人の気持ち代弁者」のような顔をして主張することにはどうも不信感がある。だから知りえない人の気持ちより、私は自分気持ちの方を重視する。私は人を殺したくない。私は誰かに人を殺させたくはない。だから私は死刑を望まない。おしまい。そっちも代弁者のような顔をしていないで、貴方言葉で話してくれよ、と思う。

ひとつ妥協提案がある。裁判員裁判のように、死刑執行する刑務官の役も毎回抽選で選ぶのだ。選ばれた人が、一斉にボタンを押す。

裁判員裁判可能なのだから、それより頻度の低い死刑執行ならシステムや経費の問題もそこまで重大なものにはならないだろう。被害者にさせるのはその後の世間死刑家族との関わりの危険性がありそうだから匿名無作為に選ばれた誰かが良い。執行がより透明性が高くクリーンものにも成り得る。ついでに死刑に賛成する人が主張する「犯罪抑止」の効果も強くなるのではないか

もしこれが実現しても、私は今の状況も同じだと思っているので、別に気持ちの面で変化はない。人に押させるのはいいが自分が押すのは嫌だ、というのはけっこうわがままなんじゃないかなぁ、と私は思う。死刑制度存続に賛成する人は、この案にも賛成してくれるに違いないと思うのですが、いかがですか?

2018-08-04

散歩中のマルチーズ

かいからちょこちょこ歩いてきて可愛いなーとか思ってたらおもむろに道のど真ん中にある点字ブロックの上に粗相し始めてわろた

障がい者への健常者の気持ちを代弁してくれているようだ、大便だけに

2018-05-10

画像あり】有楽町線有楽町駅構内の横に広がって歩く人達

今さっき、D7出口から有楽町線有楽町駅ホームに向かったところ。

2度酷い目にあった。

1つ目は、D7出口から入り、エスカレーターを降って駅構内に入ると、

エスカレーターを昇るための長蛇の列が横に広がり、

エスカレーターから降りた人達の行く手を全て遮って通せんぼしていた。

すぐに、ひと一人分のスペースを空けて通してくれたが、

昇りの、エスカレーターそもそもに2列なのになんでそんなに毎度広がっているのか。

つらい。

次に、

D7から有楽町線ホームに歩いて進むと、

通路を真ん中から半分にわけている点字ブロックを超えて歩いて来た人に、

盛大に肩をぶつけられた。

なんか、有楽町線駅構内歩行者マナーというか、モラル、低すぎない?

まだ、新年度始まったばかりで田舎者が暴れているからだろうか?

エスカレーターの転倒事故や、ぶつかられて怪我人がでたりする前に改善求む…。

以下参考情報:

エスカレーターの順路

┊︎↓┊︎↑┊︎

通路の順路(案内指示はなし、エスカレーターの順路に従った結果下記の通り)

┊︎↓↓↓↓点字ブロック↑↑↑↑┊︎

・実際の通路歩けるスペースは下記の通り。

┊︎↓↓↓↓点字ブロック↑↑屋台┊︎

屋台通路上にある為、屋台点字ブロックの間を歩けるのは人二人分。

今回は、そこを歩いていたところ、点字ブロックと壁との間が人四人分あるにも関わらず、

点字ブロックを超えて実質の順路逆走してきた人にぶつかられた。

この、ルールではないが、

マナーモラルとして存在している順路の逆走行為は目立って行われている。

というか起きない日はない。

また、駅利用者なかに盲の方がいてよく点字ブロックの上をあるいているんだが、

壁と点字ブロックあいだに広いスペースがある側の人がよく逆走してぶつかりそうになっている。

はっきり言ってかなりこわいと思う。

ぅちも今日はじめてぶつかられたけれど、

転んでパンツ丸出しになった。

画像https://www.tokyometro.jp/station/yurakucho/yardmap/index.html

2018-04-07

友達を作ること

皆様、

今年も春が来て桜が咲きました。

おめでとう。

生きていてくれてありがとう

4月、新しい人間にたくさん会う季節ですね。

どんな人たちなんだろう。

から特別貴方に向けて

この手記を贈ります

内容は、

理解されない他者として生きること、

かに似ているということ、

友達を作ること

についてです。

薄くて追いづらいかも知れませんが、

どうにか線をつないで行くので

寛い心で眺めていて下さい。


1、理解されない他者として生きること

貴方の行動・思考パターン

他人にとって条理に乗ったものですか?

僕は人間が好きで、興味と好意を持っていますが、

行動や思考他者に似せるのが少し苦手で、

周りの目には奇異あるいは攻撃的に映って

排除を受けやす存在です。

またたとえ僕がいびつ存在だということを

諒解して接してくれる相手でも、

発話の前提を共有することは、

酷く手間を要することです。

たとえば、散歩をしながら、鼻歌をうたう。

「なんだか楽しそうだね」って隣の人から言われたとき

そこまで楽しくないよ落ち着くだけ、とか

君は人生辛くないんでしょ楽しくないの?とか

マスタベーションと同じ構造でごめんね、とか

言うの

面倒だから

全部圧縮して「うん楽しいね」って答えます

もちろん何も考えずにうたってるときも多いけど。

相手発言から自分の反応まで含めて

違う人間だと感じさせられます

また、無自覚な心優しい人と一緒にいると

自分が彼らを怖がらせるような言葉

発していないだろうかと、

不安になります

もう一つ例を。

現か夢か忘れたくらい幼い頃、

あるいは繰り返すメロディーの話。

友達と一緒にお菓子を食べて

とりとめもない会話をして

なんだか僕は楽しくなって、

コンビニビニール袋を頭にかぶってしまいました。

それで上手く周りが見えなくなって窮屈で

ビニール袋を外して、

しょうがいから照れ笑いするような。

自分でも訳が分からないことばかりです。

誰も悪くはないのに僕がずれているだけで

ホロホロと角砂糖は宙に溶けました。

苦いコーヒーを前にこまってます

年を取るにつれ、

自分他人と違うことに慣れきってしまった。


2、誰かの一部に似ているということ

僕といわゆる普通人間

にはおんなじところがたくさんあります

例えば手足が四本生えているとか、

眠くなるとあくびが出るとか。

まあそれらは空気みたいに確かに存在してるけど

意識されない作りになっていて、

差異ばかりぷっくり浮き出てきます

現実世界で偶然出会う者たちとの間の稜に

いくらい慣れた僕にとって、

まるで自分のような、いびつな行動を取る人間

存在することはひとつの驚きでした。

https://anond.hatelabo.jp/20171227003911

僕の場合

増田のこの人と、

団体から承認されそうになるとバックレちゃうところが

すごく似てて記事読みながら笑ってた。

僕は高校時代部活を頑張っていて周りみんないい人で、

それでも自分が真ん中にいることに困って抜けちゃいました。

https://m3myk.hatenablog.com/entry/2018/03/25/232219

この記事ピュア傲慢さとか、

一部の大学生にはあるあるなんだって知って面白かった。

どこまでも純粋不器用自分を持て余してる人たち。

小説の中や、伝記の中で、

自分と同じ人がいるというのは気付いていたけど、

時代に生きるインターネット

自分性質を多く共有する人間生活垣間見るというのは、

聴診器背中にひやりと当てられた時のような

快感がありました。

この文章を書いているのも

伝わる人間がいることを知っているか

あるいはそう期待しているからです。

3、完璧ではない友だちを作ること

愚かで愛らしい僕たちは、

臆病な時、自分理想に近い人と友達になろうとします。

しかし似ているほど、差もはっきり見えてきます

サン=テグジュペリが書いた「星の王子さま」という小説があります

本の中、王子さまは砂漠に不時着した飛行士に頼んで

ヒツジの絵を描いてもらいます

だけど、王子さまにはどのヒツジも気に入らず、

「このヒツジったら、病気で、いまにも死にそうじゃないか。かきなおしてくれよ」

「そうだな......これあたりまえのヒツジじゃなくって、ツノが生えてるもの......」

「これ、ヨボヨボじゃないか。ぼく長生きするヒツジがほしいんだよ」

なんて文句を言います

飛行士はがまんならなくなり、

モーターの修理を急いでいたこともあって

ぶっきらぼうに白い箱の絵を渡します。

「こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ」

すると王子さまはそのヒツジを大層気に入りました。

王子さまが理想ひつじを箱の中に見いだすことは

人間の最も素晴らしい性質の一つであり、最も残酷なそれでもあります

夢見ることは素敵だけど、たぶん僕らにとって

完璧な友人なんて現実には存在しないから。

星の王子さまは箱のヒツジといっしょに死にました。

具体的な未来なんて軽く捨てちゃえるくらい美しくとも、

実体友達にならないと

僕らはたぶん生きていけない。

僕たちと環境

どうやって見るかという意味でも

どのように働きかけるかという意味でも、

たぶん影同士になっていて、

すぐ理想通りにはいきません。

不完全な友達貴方

その相互作用を愛してくれ。

4、まとめ

貴方ストイックに生きる姿はとても美しいと思います

からも、認められないかもしれないけれど、

それは只管に美しいです。

ただ、自分に周りに厳しくなりすぎませんように。

もがきすぎて疲れてしまって、

大切な価値意味を喪うことがありませんように。

冬、僕自分はもう自分として生きることを諦めていました。

体は動かないし、眠ることも食べることも苦痛

どうにもならなかった。

でもたぶん20回目の春だからどうにかなると思う。

きっとだれも貴方のことを

救ってはくれませんが、

祝福はあります

環境は変わりるけど、

これまできみを喜ばせてきてくれた

なにかを大切にしてほしい。

これから貴方の道を咲かせてくれるはず。

そして万が一、途方に暮れた時。

社会はわりと優しいものです。

先人の勇気やら愛やら

点字ブロックを見れば思い出せるかもしれない。


春がきました。

貴方が心安らかに

過ごせる友が出来ますように。

どんな君でも

生きていることがとても嬉しい。

この一年が素敵なものになりますように、

祈っています

それでは、また。

2018-03-20

図書館の前でデモするのはやめろ

昨日、久しぶりに国会図書館に行ったらようわからんデモ隊集団不愉快にされた。

アベがどうのとか言いながら、国会図書館の目の前の道で集団でたむろ。しか拡声器図書館の方にも向いていて館内にまで聞こえてくる始末。

こっちは調べもので来てるんだぞ、うるせぇよ、他でやれ!

駅までの帰り道も集団で埋め尽くされ、通り道ほとんどない。点字ブロックも封鎖。車椅子も通れないレベル。もし身体障害者図書館来てたらどうするつもりか。

なんとか通るも拡声器やらデモ集団が目の前でうるさすぎ。

どんな奴らか見てみたら、ジジババばっかり。暇ですねー。

働き盛りが納めた税金がこいつらを生かすのに消えるのかと思うと虚しくなった。調べてみたら、一度や二度ではないようで、他にも同じことを思っている人たちがいるようだ。

このデモかえって逆効果から図書館の前でやるのは本気で辞めてほしい。邪魔まりない。

2018-03-09

anond:20180309113631

黒一色にしてるのはデザイン関係では。

男は青女は赤って、色彩として単純にダサいもん。

統一した方がお洒落に見える。

点字ブロックなんかもそれで周囲に溶け込む色にされたりするよね。

あれは弱視の人の事も考えて見た目のお洒落さより目立つ事が大事から、そういうのは批判されるけど。

2018-03-06

無意識差別ってあるんだろうなって話。

ふとテレビをつけると、今年のR-1放送されていた。

しか最後の3人のネタが始まる、めっちゃいいタイミング。ヤッタネ。

おぐゆりやんと観て笑い、最後に出てきたのが濱田祐太郎でぼーっと見てた。

わ、めちゃくちゃオモロイやんけ。盲学校点字ブロックないとか、ほんとスパルタすぎるwww そういえばあの白い棒って、見たことあるよな。あ、そうだ、視覚障がいの方が歩くときに使う棒だ。、、、という事は。

検索してみると、思った通り。濱田祐太郎弱視漫談家だった。

「障がいのある漫談家はいない」って思い込んでいた自分が恥ずかしくなったよ。

そんで濱田祐太郎すごいなと思ってしまった事に、さらに恥ずかしくなったよ。デブとかハゲとかと一緒で自虐ネタに持ち込んで良いのに、何でだろうね。無意識差別してたんだな、反省。そういう差別ってクソ多いんだろうな。そして皆日常的に、無意識差別で人を傷つけているのかもしれない。確かに社会制度の上でとか、生活やすくする為に「障がいかどうか」を区切らなければいけない部分はあるんだけどさ。うまく言葉にできないけど。そういえば「みんな違ってみんないい」なんて言葉は、社会生活において「いわゆる普通の人の範囲内」って前置きがつくことが殆どだもんなあ。

濱田祐太郎、今年のR-1グランプリ優勝おめでとうございます

2018-03-01

anond:20180301114103

そっちは差別というほどではないけどまあ配慮が足りないよね。

「脚が悪い人のことを考えずに手すりを設置しない」「目の見えない人のことを考えずに点字ブロックを設置しない」などと同類

2018-02-13

anond:20180213085604

その道に点字ブロックグレーチングは無かったか

ヒールを履いて点字ブロックグレーチングの上を歩くのは非常に困難

転倒の可能性もあるため普通は避ける

相手の女がヒールを履いていて、かつ点字ブロックグレーチングがあった場合はこれが原因かもしれない

女がスニーカーを履いている場合や道が平坦な場合は知らん

2018-01-05

この世界に、自転車のための道はない

車道編】

道路交通法上、自転車原則として車道を走らなければならない。しかし、軽車両と定められている自転車は、その他の車両に比べても圧倒的に非力であり、車道を走ることはまさに「命がけ」なのである。ここに上げたのは、自転車乗りにとっての”脅威”、そのほんの一部である

路上駐車

言わずもがなの天敵。お前らを避けるために、自転車は右後方へ振り向き確認を行い、後続車両との車間距離意識し、タイミングよく避ける必要がある。自転車乗りなら誰でも分かってくれると思うが、車道右側へと接近する恐怖は計り知れない。そこまでして避けたのに、停止していた車が突然動き出し、衝突する可能性もある。突然開いたドアに引っかかり、自転車もろとも空中を舞う可能性もある。路上に駐車する運転手は、常に「自転車乗りを死傷させる可能性がある」と意識してほしい。

トラックバスなどの大型車両:

巻き込み事故などの主犯となる強敵。まずそのサイズからし威圧感がハンパない。風圧、ヤバい。「車に乗ると性格が変わる」と言われるが、あれだけ強靭な鉄の塊に守られていて、気が強くならないほうがおかしい。自転車を追い越すな、とは言わないが、左脇にもっと余裕を持って抜けてくれ(スレスレだと本当に「あ、死んだ」って思う)。バス停で停まっている車両の追い越しに関しては①と同じ。前方が開けていない分、通常の乗用車よりも追い越しが困難。

クラクションを鳴らしてくる乗用車

これは本当に辞めてほしい。自転車というのは四輪と違って自立せず、走行中はバランスが命である。突然のクラクションに驚いてバランスを崩し、転倒したことであなた乗用車の下敷きになるかもしれない。たしかに我々は邪魔存在かもしれない。しかし、歩道と違って車道を走ることに関しては断固として「権利」がある。遅いからといって、クラクションを鳴らされる筋合いはない。

排水口:

隠れトラップ。縦長の排水口にタイヤがとられて、悲惨事故へと繋がりかねない。タイヤ幅の狭い自転車ほどこのリスクが高い。しかも、排水口というのはまさに「自転車が走る軌道」上に位置している。端的に「おら!死ね!」と言われているようにしか思えない。

バイクや他の自転車

敵の敵はやはり敵であった。車道において、二輪車のためにあてがわれているスペースはあまりにも狭く、並走というのは不可能である。となると、バイク自転車を、速い自転車は遅い自転車を、狭いスペースで追い抜く必要がある。接触の可能性は高く、両者ともバランスを崩した結果仲良くオダブツになりかねない。向かいから逆走している自転車結構いて、ビビる




歩道編】

原則として車道での走行義務付けられている自転車だが、「やむを得ない場合」には歩道での走行を認められている。上記のような数多の危険性を鑑みたとき安全から歩道を走るのは「やむを得ない」。少なくともぼくは歩道を通行する際、自らに二つのルールを課している。1."走らせてもらってる"のだからいくら邪魔な人がいてもベルは鳴らさない。2.なるべくゆっくり走行する。このルールを遵守し、「ごめんなさい!」と懺悔した上で、ぼくは歩道へと乗り上げる。

しかし、歩道にはさらなる強敵たちが待ち受けている。

①老人:

歩くのが遅いのは許そう。せめて後方に注意を向けてくれ。もはや世界には自分以外の主体存在しないと思い込んでいる老人にとって、「後方から自転車が接近する」可能性は頭にも浮かばない。ギアチェンジや、ペダルガチャガチャさせる音で健気にアピールしても、耳が遠いので聞こえない。追い抜けず、何十メートルも後続し続ける図はシュール

歩道の真ん中を歩くヤツ全般

自転車乗りでなくてもウザい敵No.1。右からも、左からも追い抜けない微妙デッドスペースキープして歩くヤツ、なんなん。詩的に、風を切りながら歩きやがって。シンガーソングライターMVかよ。ちょっと端に寄るだけで、みんな幸せになれるんだ。寄れや。

JK

彼女たちは広がって歩く。それはもういいだろう、諦めた。不可解なのは、決して”避けない”ことだ。気づいたとしても、避けない。目があったのに、無視。なぜなのか。スクールカーストか? 陰湿女子社会において前後で歩くと角が立つので、とりあえず無難フォーメーションとして真横に広がっているのか? そんな五人も六人も横に広がって……端と端のヤツはどうやって会話してんだ??

男子中学生

男子中学生は全人類において最も「フィジカルコミュニケーション」が活発な人種だ。肩を組む、突っつく、カバンを引っ張る、押し合う、ケンカのフリ、ダイナミックな身体交流の数々は、挙げるとキリがない(決してイジメではない、仲のいい子同士でじゃれ合っているのだ)。自分にもそういう時期があったとは言え、思い返せばアレなにが楽しいんだろうね。じゃれ合って突発的に動くので、大変危険

児童

予測のつかない動きは、まさに奇行種児童が視界に入った瞬間、スピードを800000兆分の1に落とすのが正解。また、親御さんは大抵こっちに気付いてくれるんだが、とっさに「危ないッ!!!」って言うアレ、なんなんだろうね。「自分の子供が人様の通行妨害になっているのを叱る」意味での「ほら、どいて」的ニュアンスならまだ分かるが、どうしても「なんて危ない自転車!うちの子を轢くつもり!?」という風に聞こえて、悲しい気持ちになる。そんなつもりはないんだ……。

点字ブロック

意外と思われるかもしれないが、これが結構危ない。棒状のブロックタイヤ側面がこすれ、バランスが崩れる。棒状のアレをやめて全部点にする(かわりに信号前を棒状にする)とか、そういう技術的な努力いくらでも改善できるので、バリアフリーを謳うのなら自転車乗りにも気をつかってください。

⑦反復横跳びの選手

日本人によくある「すれ違いざまに右に避けようとしたら、相手も(こっちから見て)右に避けようとし、左に修正しようとしたら同じタイミング相手も左に修正しようとして、ばたばたする」現象のことだ。気遣いが、優しさが、こころ苦しい。自転車というのは対向する歩行者コンマ数秒でかけひきをする乗り物だ。前方に自転車を見かけたら、はやめに左右どちらかへ避けて、そこから動かないでほしい。





迫害されるのも無理はない。世の中には車道で奇妙な動きをしたり、平気で歩行者に向かってベルを鳴らす非常識自転車乗りがいくらでもいる。そんな悪いイメージを払拭するためにも、我々個々の自転車乗りが謙虚に、ゆっくり、周りを気にして走るしかない。この謙虚さが社会的に認められれば、自転車優先レーンの整備も進むことだろう。

そして、そこに乗用車が駐車する。

この世界に、自転車のための道はない。

2017-10-02

やめなよ

点字ブロックで足ツボ刺激するのやめなよ……

2017-07-01

理想が当たり前になる社会はいつ来るのだろうか

点字ブロックは段々と日常のものになりつつあって、

点字ブロックを剥がせという意見は見たことがない。

アイスクリームの件も、反対意見が出ること無いくらいに誰もが当たり前に移動できる社会が来ればいいなと思っている。

でもこれはあくま理想の話で、理想は人によって違うから理想が当たり前になる社会なんて永遠に来ることはないんだよね。その現実が辛いよ。

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170629200824

こういう、障害者は守られて当然!的な人が怖い。

どうして、障害者コストだけ考えるんでしょうね。

例えば鉄道では、駅員さんが忙しい中スロープ板を渡しにいってくれて、乗り降りの介助をするわけでしょ?

じゃあ、障害者はそれに対して運賃以外にかかったコストとしてチップでも払うんでしょうか。

点字ブロックや、スロープ、車椅子専用リフト、健常者だけであれば必要のない設備はたくさんあります

それぞれにコストがかかってて

タダで恩恵を受けてるんですよね。

電話一本なんだっていうんですか。

健常者も障害者も、助け合いでしょ。

この人が障害者かどうかわからないけど、

良識のある普通障害者は、人を助けず、助けてもらってばかりの人生嫌だと思う。

2017-06-18

歩行者同士の事故で約800万円の高額賠償(これより大きい金額のケースもあり得る)

歩行者歩行者歩行者同士の衝突で、歩行者に779万の賠償命令

http://www.jiko110.com/contents/busson/redbook/index.php?pid=3068&id=1306219698

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20150729/20150729051946.jpg

キャリーバッグ事故「足ひかれてケガ」「つまづいて転倒」「100万円強」の賠償命じたケースも (弁護士ドットコム

https://www.bengo4.com/internet/n_5503/

歩行者同士衝突、780万円賠償命令 当時25歳女性

http://blogs.yahoo.co.jp/pcakishima/37969140.html

裁判全盲者同士が点字ブロック上で衝突、負傷女性が勝訴 男性に約790万円の支払いを命じる判決神戸地裁 | 情報センター

https://archive.is/mQEKj

【高額賠償全盲者同士、点字ブロック上で衝突 負傷女性が勝訴

https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201702/0009899792.shtml

神戸市営地下鉄三宮駅で、ホームを小走りしていた全盲の20代男性神戸市須磨区)とぶつかって転がり、背骨を折るなどしたとして

、同じく全盲女性(65)=同市東灘区=が約950万円の損害賠償を求めた訴訟で、神戸地裁は8日、男性の過失を認め、慰謝料治療費など約790万円の支払いを命じる判決を出した。

2017-06-11

歩行者同士の事故で約800万円の高額賠償(これより大きい金額のケースもあり得る)

http://anond.hatelabo.jp/20170610102357

歩行者歩行者歩行者同士の衝突で、歩行者に779万の賠償命令

http://www.jiko110.com/contents/busson/redbook/index.php?pid=3068&id=1306219698

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20150729/20150729051946.jpg

歩行中のキャリーバッグ事故「足ひかれてケガ」「つまづいて転倒」裁判に発展するケース、つまづいて骨折、「100万円強」の賠償命じたケースも (弁護士ドットコム)  

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170102-00005503-bengocom-soci

歩行者同士衝突、780万円賠償命令 当時25歳女性

http://blogs.yahoo.co.jp/pcakishima/37969140.html

裁判全盲者同士が点字ブロック上で衝突、負傷女性が勝訴 男性に約790万円の支払いを命じる判決神戸地裁 | 情報センター

https://archive.is/mQEKj

2017-04-02

歩行者同士の事故でも高額賠償はいくらでもあるよ。自転車には自転車保険がある。では歩行者同士は?

http://anond.hatelabo.jp/20170319234347

歩行者歩行者歩行者同士の衝突で、歩行者に779万の賠償命令

http://www.jiko110.com/contents/busson/redbook/index.php?pid=3068&id=1306219698

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20150729/20150729051946.jpg

歩行中のキャリーバッグ事故「足ひかれてケガ」「つまづいて転倒」裁判に発展するケース、つまづいて骨折、「100万円強」の賠償命じたケースも (弁護士ドットコム)  

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170102-00005503-bengocom-soci

歩行者同士衝突、780万円賠償命令 当時25歳女性

http://blogs.yahoo.co.jp/pcakishima/37969140.html

裁判全盲者同士が点字ブロック上で衝突、負傷女性が勝訴 男性に約790万円の支払いを命じる判決神戸地裁 | 情報センター

https://archive.is/mQEKj

2016-12-17

障害者を健常者たらしめるものは好きだが、障害者のために行うものは嫌い

メガネが我々低視力視覚障害者を健常者にしているように、健常者に近づけさせるための道具は実に素晴らしい。

メガネがなければ、きっとなんの仕事もつけてないし、そもそも今に至るまで生き延びているかどうかも謎だ。

メガネは素晴らしい。低視力でも健常者と同じにしてくれる。メガネありがとうメガネ大好き。

 

だが、未だに盲目の人を見える人と同等にすることはできていない。

から、街中はうるっさい信号機や見苦しい点字ブロック、ピンポーーーンとなる駅の案内板、点字図書館などの目が見えない人のための道具で溢れかえっている。

これらは目が見えない人のためだけに日本中に、世界中存在する。

彼らは特権階級といってもいいだろう。点字ブロックは彼らのための道路であり、自転車や車を置いてはならない。

盲導犬は犬嫌いがいようが、犬の毛が入って欲しくないような飲食店だろうが、彼らの役に立っているがためにあらゆる場所での存在を許されている。

その優遇され具合は貴族のためにレッドカーペットを全国の道路に敷いているのとなんら変わりがない。

 

もう、彼らのために尽くすのはやめよう。

今すぐ全国の盲人のための設備を全廃して、そのためのお金を全て盲人が健常者と同様に見えるようになるような機械あるいはIPS細胞を使った人工眼球の開発に全投入しよう。

そうすればあの注意を引かせるためにある不快な音を聞く必要がなくなる。

景観を損ねる蛍光色の点字ブロックをこの世から抹殺できる。

 

何より、彼らが健常者と同等の生活を送ることができる。これに勝るものはないだろう。

映像も我々と同等に楽しめる。生活することで誰の手を煩わせることもない。

自転車だって路上においていい。杖をカチカチさせながら歩く必要もない。

 

盲人にとってのメガネを作ることが一番彼らのためになるのではないだろうか。

2016-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20160827215242

感動ポルノだー!」って言って何が解決すんの?

そんな事より障害のある人がどんな生活してるか知って、

実際自分生活でどうやったら障害のある人のためになるかって考える事が必要じゃない?

例えば点字ブロックの上に自転車止めたらダメだなって目が見えない人のドキュメンタリーとか見てたら思うじゃん。

そういう事だと思うけど。

2016-01-09

発達障害概念否定したら身体障害知的障害への「切り捨て」だというけれど。

少なくとも身体障害場合車椅子対応の通路や点字ブロック、音声放送など、当事者暮らしやすくなるよう社会の側が変わっている。

では「発達障害」はどうなのか。当事者社会への適合を強要するばかりでは?

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901151658

からお前の事だろ?どうした、顔真っ赤だぞ?

一生懸命叩いてたかLove&Peaceって叫んでたか

点字ブロックの上でハンストでもしてたか

どれかに該当することでもあったか

無能

2015-05-10

横浜駅人身事故

ホームはいつも以上に「お下がりください」という駅員の訴えが多いように感じ、それでやっと異常事態だというのを把握した。

東海道線上りホーム途中で電車が止まっていて、下りホームと乗った列車からほぼ全景が見えた。

消防士のような人が先頭でハシゴを持って待機していた。それがふたり

まれている場所はそれよりかなり後ろのほうらしく、上下ホームが立ち入り禁止に。

走行中の下り電車からは、ブルーシートで覆われていたが救助現場だったためどこに挟まれいるかもわかった。

見たときは気付かなかったがTwitterでは先頭車両ガラス割れてる写真も出回ってる。

ホームに入ってくる速度でも、先頭車両にぶつかってから巻き込まれてあそこまで後ろに行くものなのかと感じた。

横浜駅点字ブロックから出て列車にかなり近づいて移動するのが常態化している。毎日危ないと感じることがあるし、落としてしまったら大惨事になるのに、ホーム電車側に人を押しのける人すらいる。

健康な人は想像できないかもしれないが、老人とか身体の不自由な人はとっさに避けるという行為ハードルが高い。

まぁなんだ、お互い気をつけような。

2014-12-08

小学生の頃のホラー?体験

ふと思い出したから書く。小学校低学年の頃、授業かなんかでクラス全員で学校の外を歩いてた時のことだ。2列ぐらいになって、先生が先頭になって……という感じで。

その歩道には視覚障害者向けに点字ブロックや線字ブロックが敷かれていて、自分はなんとなくそれを踏みながら歩いていた。線字ブロックって、出っ張ってるところが4本あるやつね。そしたら、ある線字ブロックの中心、でっぱりとでっぱりの間に、文字が書いてあったんだ。

貴方は私を踏んでいる」って、縦書きで。

実際にブロックを踏んでいた自分は心底ぞっとして、書いてあることを確認しようとしたんだけど、列が進んじゃったもんで、その場で立ち止まることができなかった。そして、次にその道を通った時にがんばってそのブロックを探したんだけど、結局見つからなかった。しっかり書かれているように見えた文字は何度往復してもどこにもなかった。

小学1年だか2年だかで「貴方」とか「踏む」とかが瞬時に読めたのは不思議なんだが(「貴方」は「あなた」だったのかもしれないし「貴女」だったかもしれない)、読書好きでずーっと本ばっかり読んでいるような小学生だったから、なんとなく読めたという可能性はゼロじゃないかな……とは思っている。

冷静に考えれば単なるいたずら書きなんだろう。文字が消えたことにしたって、誰かが自治体に報告するなりしてそのブロックだけ入れ替える工事がされてれば、それなりに注意深く見ないと痕跡が分からない気はする。でも当時の自分は相当怯えたし、文字を見てしまったその日は怖い夢を見た記憶がある。今でもその道を通ると、なんとなくあの文字列を探してしまう。

2014-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20140921154052

いやいや、あの点字ブロック意味は「これに沿って歩いてくださいね」ではなく

「ここから先は線路ですから危ないですよ」だから

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